コメント (・∀・):72 (・A・):40 φ(。_。):0 |
1 :ざーみるく◆XPaZqyk6 2013/08/28 18:06:25 俺の白いジャムを三田友梨佳さんに食べてもらいたいです (´・ω・`) 2 :えっちな名無しさん 2013/08/28 18:41:50 菌とウィルスは違う。 3 :えっちな名無しさん 2013/08/28 18:56:28 いやおもしろいよ。アクアクララにどうやって入れたのか気になる。 4 :えっちな名無しさん 2013/08/28 19:46:41 ギダボドロリゴヅギジョグゴレゼドグ! 5 :えっちな名無しさん 2013/08/28 19:51:50 ブラックは本当に訴えてくるぞ。 「誰もいないんで辞めます」だと故意に与えた損害として有ること無いこと請求される。 6 :こりもつ太郎 2013/08/28 21:02:25 時は1945年。世界を包み込んだ戦火は日本の敗戦により終わりを告げたが、依然世は混乱し、特に占領下の日本は治安の悪化・経済の困窮による衛生状態の劣化から未曾有の流行性感冒禍に見舞われた。当時の日本の児童は栄養状態に乏しく抵抗力に欠け、戦争が終決を迎えたというのに流行性感冒の前になすすべもなく次々と倒れていく子供たちの姿をみた占領軍のインフルエンザー=グッドマン大佐は非常に心を痛めていた。米軍が世界の正義であると信じ戦ってきたインフルエンザー大佐ではあったが、ワクチンさえあれば助かる罪もない子供たちの命が目の前で失われていくのは耐え難いものだったのだろう。インフルエンザー大佐はGHQに掛け合い流行性感冒対策特殊医療班を組織、自ら陣頭指揮をとり流行性感冒患者の治療に奔走するとともに、日本の衛生環境の向上を目指し小学校や公民館において徹底的な衛生指導を行った。今日において我々が当たり前のように子供たちに言っている「外から帰ってきたら手洗い・うがいをしましょう」は、この時のインフルエンザー大佐の指導に端を発するものである。さらにインフルエンザー大佐は本国より当時貴重品だったワクチンを自費で大量に取り寄せ、大量の感染が予想される厳冬期を前に予防接種を行った。インフルエンザー大佐は高齢だったこともありのちの日本の経済発展をみることなくこの世を去ったが、インフルエンザー大佐が助けに来る病気→インフルエンザー大佐の病気→インフルエンザーという流れで我々日本人の中に彼が予防・対策につとめた流行性感冒の名前としてその名を遺したことは皮肉な事実であると言えよう。現在の日本ではあまり知られていないインフルエンザー大佐の功績であるが、彼が主に活動した焼津市においては大佐の軍における2ツ名の「駆け抜ける慈愛」からとられた「駆け抜けろ慈愛と平和」のモニュメントが同市美咲が丘公園に残されており、例年8月15日にはささやかながらインフルエンザー大佐を偲んで花を捧げる人々がいる。 民明書房刊「インフルエンザ〜戦場を駆け抜けた赤き慈愛の彗星は3倍の速さのあずさ2号で〜」より抜粋。ビキッ('◆') 7 :えっちな名無しさん 2013/08/28 21:06:46 DQN返しか イクナイ入れとこっと 8 :えっちな名無しさん 2013/08/29 09:15:01 あまりすっきりはしないなあwwあと、どこぞの国防組織も似たようなレベルだな。 9 :えっちな名無しさん 2013/08/29 18:46:24 A子とはその後どうなったの?A子も一緒に辞めたの?こいつも糞馬鹿だな 10 :えっちな名無しさん 2013/08/29 19:17:56 日々の食事で白ジャムの匂いは変わるよね 11 :えっちな名無しさん 2013/08/30 21:56:36 ハァハァハァ 12 :えっちな名無しさん 2013/08/30 23:08:03 ワタミ本社の日常 |