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イスラム教徒は ロリホモはOK
登録者:えっちな名無しさん
作者:名無しの作者
(・∀・)6(・A・)9

「イスラム圏のダンシングボーイ」で書いたように、アラブ・イスラム圏には、かってダンシングボーイと呼ばれる少年の踊り子がいました。
彼らは、イスラムの教えで男性と同席することを禁じられている女性に代わって男たちの酒席に侍って酌をし、余興に歌や踊りを披露し、ときには男性客相手に売春をしました。
現在、このようなダンシングボーイは、アラブ・イスラム世界では見られなくなっていますが、アフガニスタン辺りではいまだに活動していて、土地の有力者の愛人になったりしているそうです。
私がエジプトにカイロに滞在した70年代終わりから80年代初めにかけても、このダンシングボーイの名残りともいうべき一群の若者がいて、
金持ちのホモのエジプト人やカイロ在住の外国人ホモの愛人になって生活していて、パーティーのときには、余興で踊りを披露していました。
私がはじめてこのようなダンシングボーイに出会ったのは、アーメッドというエジプト人のホモの金持ちのカイロ郊外の邸宅で開かれたパーティーでした。
アーメッドは、エジプト中部アシュート出身のコプト教徒の大地主で、ハワイ出身の相撲取り、高見山そっくりの巨漢でした。
彼は常時、自宅に20人を超える若い男を住まわせていて、夜毎、その中から4、5人を選んでは、アメリカ製のゲイビデオを見ながら乱交に耽るというけっこうな生活をおくっていました。
この若い男のハーレムを取り仕切っていたのは、ハッサンというハーレムのボーイあがりの30過ぎの男で、さしずめ大奥総取締役といった感じで、男の子たちを監視、監督してました。
アーメッドは、エジプトの多くの金持ちと同様、カイロとアレキサンドリアの両方に家を持っていて、2週間ごとにカイロとアレキサンドリアを行ったり来たりしていたのですが、
そのときにはハッサン以下、20数人の男の子も全員、アーメッドと一緒に移動するということでした。
カイロにいるとき、アーメッドは、日本の土曜日にあたる木曜日の夜に何人かの客を招待してパーティーを開く習慣で、
そのパーティーに何度も招かれたことのある知り合いのイギリス人外交官、モーリスが、私とお仲間のカナダ人外交官、ジョンをその夜、はじめてパーティーに連れて行ってくれたのです。
その晩は、私たち3人のほかにドイツ人の客が1人招かれていて、合計4人の客の前で、20数人のアーメ
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