震災でのある少女

2008/07/30 16:00 登録: えっちな名無しさん

誰にでも忘れられない「文」や「写真」というものがあるだろう。
私にとって、今でも忘れられない新聞記事がある。

1995年1月17日(火)5:46、あの甚大な被害をもたらした阪神
淡路大震災。その模様を報じた確か東京新聞だったと記憶しているが、
今もときどき思い出しては深い悲しみを感じる記事であった。
(記事をとってはいないので、以下、私の記憶として刻まれた情景の再現)

母子家庭でお母さんといつも布団を並べて寝ていた小学校中学年の女の子。
夜明け前、いきなり襲い掛かる大地震、住んでいた家屋は跡形もなく崩れ
落ちた。二人とも瓦礫や家具に挟まれて身動きがとれない。
小さな女の子は、かろうじて体が動いた。
暗さに目が慣れると、瓦礫の隙間から外に這い出せるほんのわずかな空間。
布団に横になったまま身動きの取れないお母さんに励まされながら、女の子
は、必死に瓦礫を掻き分け、外に出ることができた。
何とかお母さんが外に出れる隙間をつくりたい。
女の子は、お母さんと言葉を掛け合いながら、小さな手で懸命に瓦礫を掘る。
少しずつ、少しずつ、隙間は大きくなる。しかし、ある程度掻き分けると、
また上から瓦礫が崩れてくる。
泣いている余裕はない。助けてくれる人も居ない。

どれくらいの時間が経過したのだろうか。
近くで火災が発生し、周囲から炎が近付いてくる。
火は風を呼び、風はますます火の勢いを増す。
熱い、もうそこまで炎が迫っていた。

「お母さん、火が、火が・・・、熱い。」
女の子は叫んだことだろう。

お母さんは優しく話しかけただろう。
「ありがとう、もういいから、○○ちゃんは逃げなさい。
 あなたが助かってくれば、お母さんはそれが一番嬉しいんだから。」

女の子は、それでも尚必死に瓦礫を掘る、火が迫る。もうだめだ。
「お母さん、必ず後で来るから、頑張って、生きていて。」


やがて火はおさまった。
女の子は、お母さんが中に埋まっている瓦礫に戻って来た。
辺り一面の焼け野原。
洗面器をどこかから見つけて持って来ていた。
堀った、掘り続けた、日が暮れるまで。 やっと、中に入れた。
中には、骨だけになったお母さんの姿があった。
涙も出ない。
少女は、お母さんの遺骨を丁寧に丹念に洗面器に移した。
顔も、着ている服も煤けて真っ黒になっていた。
瓦礫から出ても行く当てもない。
暫く呆然と立ち尽くし、やがて歩き始めた。
最寄の警察署に入った。
騒然とした中に、ひとりの警察官が立っていた。
少女は、堰を切ったように、それまでのできごとを話した。
夢中で話し続けた。
手には、お母さんの遺骨を入れた洗面器がしっかりと握られていた。
警察官は、ただ黙って少女の話を聞いてあげるしかなかった。
かける言葉も見つからなかった。
警察官の顔は、涙でくしゃくしゃになっていた。

この記事をまとめた記者は、その警察官から話を聞いたものだったろうか。
私はこの記事を読んで、涙が溢れ、止まらなかった。
大声で叫びたい衝動に駆られた。
少女は、それからどうしたのだろうか。
引き取って育ててくれる身内は居るのだろうか。
数日、数週間、数ヶ月、その少女のことが頭から離れなかった。
夢にまで見た。
私にできることは、その少女が早く立ち直ってくれることを願い、
祈ることだけ。

今でも折に触れて思い出す。涙が滲む。
もう、二十歳は越えているであろうその子は、今、どうしているのだろうか。

出典:新聞記事から
リンク:なし

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