柔道家ウラジーミル・プーチン
2008/08/15 02:39 登録: えっちな名無しさん
[コピペ者からの言葉]
五輪の柔道競技では不可解な判定が続出し、
海外選手の行動も、勝ち名乗りの前に露骨なガッツポーズしたり飛び上がったり
リードしたら露骨に逃げ回ったり、ひどい奴は終了前にガッツポーズ、
柔道が柔道という武道でなくなり、単なる相手に反則ポイントを付けさせるJUDOというゲームになっているように見えますが、
外人の中にもこういう柔道家もいるということでプーチン大統領をご紹介します。
彼の敵対勢力に対する暗殺や投獄はひどく、冷酷な面もありますが、
彼の本意ではなく、必要悪と割り切って仕事として行っていると信じたいです。
ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン
(Владимир Владимирович Путин, 1952年10月7日 - )
は、ロシア連邦の政治家。政府議長(首相)。第2代ロシア連邦大統領(在任1999年 - 2008年)。
柔道家でもあり、段位は柔道五段(柔道六段を来日時、講道館柔道において贈られるも辞退)。最終学歴は国立レニングラード大学法学部卒業。学位は法学士(サンクトペテルブルク大学)、経済科学準博士(1996年、ただし、ロシアにおける旧「準博士」は社会主義圏では「博士」として扱われる)。称号は、サンボと柔道のロシア連邦スポーツマスター。階級は予備役大佐。ヨーロッパ柔道連盟名誉会長。
人物
その経歴から、「冷酷な性格」や「粗野」という批評を受けているが、ロシア国内ではメディアを通じて非常に紳士的な姿勢をアピールしており、ロシア国民からの人気もきわめて高い。
[編集] 人物像
カメラの前では無表情を振舞っている。しかし実は取り留めないほどの冗談好きである。諜報員時代の上司から「お前は冷静すぎる」と言われたことがあるのだが、この逸話もプーチン自身にかかると「本当は『お前のようなおしゃべりはシュピオン(スパイ)には向かない』と言われたんです」になってしまう。
エリツィンに抜擢されたのでエリツィン派だったと思われているが、むしろ政治家としてはゴルバチョフ元ソ連大統領に敬意を表している。しかし、ゴルバチョフに師事したことはなく、サプチャークからの間接的な影響だと思われる。サンクトペテルブルク時代に仕えた市長(当時)のサプチャークは、プーチンが学生時代に指導をうけた恩師でもあり、生涯の尊敬と忠誠を捧げている。
ドイツ語に堪能であることはよく知られているが、大統領任期期間中に英語も本格的に勉強をスタートし、現在では各国首脳とも英語で会話している光景が見られる。また、ソチオリンピックの誘致では英語でのスピーチを披露した。
[編集] 私生活
趣味は釣り。競馬ファンでもある。煙草は吸わず、酒もほとんど飲まない。また、犬好きで、自身もラブラドールを飼っている。その愛犬は「コニー」という名前であり、徹夜でお産の世話をしたこともある。そういった経緯もあってか、日露首脳会談では当時首相の小泉純一郎から犬語翻訳機「バウリンガル」を贈られた。
家族は妻と2人の娘がいる。妻は元客室乗務員で、その後レニングラード大学の学生となり、その時にプーチンと結婚した。娘2人は、ロシア大衆紙モスコフスキー・コムソモーレツ(電子版2005年8月4日)によると、そろって父と母の母校であるサンクトペテルブルク大学(旧レニングラード大学)に合格し、姉マリーヤは生物土壌学、妹カテリーナは日本史を専攻することになると報じた。またマリーヤは2005年3月ギリシャで結婚式をあげた。結婚相手は明らかにされていない。
[編集] 格闘技
11歳の頃より柔道とサンボをたしなみ、大学在学中にサンボの全ロシア大学選手権に優勝。1976年には柔道のレニングラード市大会で優勝したこともある程の実力者である。
柔道について自伝のなかで「柔道はたんなるスポーツではない。柔道は哲学だ」と語っている。2005年12月より欧州柔道連盟の名誉会長を努める。得意技は「払い腰」。体を鍛えていることで、他の政治家とは比べ物にならない逞しい肉体や戦闘技術の高さ、高い指導力が目を引き、インターネット上では一部でカルト的な人気を博している。身長は168cm。
講道館で、技の型を当時の首相であった小泉純一郎に演武したこともある。
2000年の九州・沖縄サミットでは地元の沖縄県具志川市を訪問し、柔道の練習に飛び入り参加。掛かり稽古(お互いが交互に投げる練習形式)を行い、相手の中学生を投げた後、同じ相手に今度は投げられるというパフォーマンスを行った。中学生は大統領相手にためらったが、プーチンに促され投げたという。投げられる大統領の姿はインパクトが強く、その写真や映像は世界中に報道された。好感度アップの行動というよりは、柔道を愛するが故の行動といえるだろう。警備員やSPはまさか大統領が稽古とはいえ投げさせるとは考えられなかったようで、非常に驚いたという。
2000年の来日時には講道館より柔道六段の段位を贈られることになったが、「私は柔道家ですから、六段の帯がもつ重みをよく知っています。ロシアに帰って研鑽を積み、一日も早くこの帯が締められるよう励みたいと思います」という言葉とともに、これを丁重に辞退した。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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