セピア色の俺達
2008/08/21 13:13 登録: えっちなバスドラ
105 :名無し三等兵 :2008/08/01(金) 11:22:24 ID:???
昭和17年、横須賀に入った戦艦「山城」の准士官のもとに二十人もの部下が区域外上陸の願書を持ってきたそうですが
艦長印が必要なのに、こんな大人数では許可が降りないだろう、しかし何とかしてやりたいと考えた准士官は一計を案じ
部下の願書をすべて破り捨て自身の区域外上陸願書をひとつだけ申請
目的を「靖国参拝のため」とし若い部下二十人を同道させ英霊を拝ませたいと付け加えたもの
許可はすぐに降り、艦長からは「是非言って来い」という激励だけでなく
「旅費は出すぞ」という有難いお言葉まで、丁重にそれを辞退し靖国参拝後は解散
おのおの自由に恋人や東京に出てきていた家族に会いにいけたそうです
感激した当時二十歳前後の若者たちは「中尉に恥をかかせるな!」と約束の集合時間に全員集合
このときの若者たちの嬉しそうな顔が今も忘れられないといいます
106 :名無し三等兵 :2008/08/01(金) 11:48:15 ID:???
日華事変前、ある軽巡洋艦に乗っていてそろそろ満期除隊しようと考えていた機関兵が
たまたま実務実習で乗ってきていた海軍大学在学中の大尉の目にとまり
高等科の受験をすすめられたそうですが気乗りがせずのらりくらりと断っていると
いきなりカミナリが落ち「貴様ッそれでも男かっ」「海軍軍人たるもの・・・!」「光栄ある機関兵は・・・!」と
えんえん説教されるもまったく心が動かず、最後に「貴様ッ女にモテたくないのかっ」と言われピクンときたそうです
士官になれば女にモテる、思わず「やりますッ、やらせてくださいッ」
大尉はおそらくウムッと言おうとしたのでしょうが、裏返った声で「うッ」と言ったそうです
いきなり態度を翻した部下に驚いたのだろう、と
120 :名無し三等兵 :2008/08/05(火) 07:14:52 ID:Pq4TOhHh
>>105
この若者たちもその多くがスリガオ海峡で戦死したのでしょうね
130 :名無し三等兵 :2008/08/14(木) 20:56:34 ID:???
ニューギニアからの帰還船で、「俺たちはおめおめ帰国するのだから
石を投げられる」というような噂が広まり、おびえていた
名古屋の桟橋に近づくと、岸壁に婦人会がたすきがけと日の丸でずらーっと並んで待っていた
船の兵士たちは全員が涙が止まらなかった
(昨日のラジオ深夜便の93才の方のお話)
131 :名無し三等兵 :2008/08/14(木) 22:39:41 ID:???
キスカ撤収に参加したある駆逐艦は陸戦隊の飼っていたキツネまで乗せてきたそうです
キツネは飢えの動物園に寄付され後に乗員が行ってみるとなつかしそうにすり寄ってきたといいます
このキツネは戦争を生き延びることができたのでしょうか
あるいは北の島にいたままのほうがしあわせだったのかもしれません
132 :名無し三等兵 :2008/08/14(木) 22:56:46 ID:???
「野分(ノワキ)乗リ組ミヲ命ズ」の辞令をもらった3人の水兵たち
旧国名は戦艦、山や川なら巡洋艦、天象気象は駆逐艦のはず
「ノワキって何だべ?」「わからん、特務艦じゃねえの?」「駆逐艦を希望したのになァ」
「おら成績よぐながったしな」「オレなんか班長にタテついてばかりだったしな」
野分から来たカッターに乗ってオールを握るとあれに向かえ!と指差された先にはバリバリの新鋭駆逐艦が
このなかのお一人は戦後俳句の会に入られ常連の投稿者になられたということです
135 :名無し三等兵 :2008/08/15(金) 12:31:10 ID:???
ベーリング海において史上初の電池式魚雷による撃沈を記録したキャプテン板倉の伊2潜
泊地に帰還後早速艦内で祝勝会を開くも酔って乗員が海へでも落ちようものなら一大事
「いいか、何人たりとも甲板に上げてはならん、艦長命令だ!」「はっ」
さて、ほどよく酒もまわり宴も佳境に入ろうかという頃さんざん酒をきこしめして甲板に上がろうとする板倉艦長
制止しようとする当直にいわく「通せ!貴様っ、艦長の言うことが聞けんのかっ!」
その艦長、甲板で用を足している途上でふらつき海へ転落、即時救助され事なきを得るも
母艦から「貴艦イカガシタルヤ」の信号、伊2潜は「只今溺者救助訓練中」と返信
出典:@@ 戦時中・戦場でのほのぼのとした話し5 @@
リンク:http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/army/1213301299/l50#tag141

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