セピア色の俺達 弐
2008/09/22 16:25 登録: えっちなバスドラ
181 :名無し三等兵 :2008/09/14(日) 02:00:23 ID:???
「トラトラトラ」の著者プランゲが日本に取材に来た際、かつての真珠湾攻撃
総隊長の淵田美津雄と、彼の足跡をたどって日本中を廻った。
その旅行中、淵田がもっとも反応を示したのは、彼らの列車からあるものが
見えたときだったという。
彼らの視線の先にあったのは、赤城山であった。
言うまでもなく、淵田が最も愛した艦の命名の元となった山である。
186 :名無し三等兵 :2008/09/17(水) 00:36:00 ID:???
昭和16年12月8日、ミッドウェー島砲撃を命じられた第7駆逐隊司令駆逐艦「潮」の艦橋
「航海長!針路に誤差はないのか!」商船学校出の航海長に怒声を浴びせる小西司令
「間違いありません!司令、このまま20分走ってください!間違っていたら私は腹を切ります!」
「馬鹿モンッ!貴様の腹を切っても出るのはウイスキーばかりだろうが!」
ほどなく前方に敵艦発見と思いきや、それが標高わずか3メートルばかりのミッドウェー島
「潮」「漣」はおのおの120発ほどの砲弾を撃ち込んだということですが
この「潮」の伊藤航海長の腕前には感心するばかりです、呑んだくれ航海長の異名はあれど最高の船乗りの一人でしょう
187 :名無し三等兵 :2008/09/17(水) 01:02:56 ID:???
昭和14年、駆逐艦「朝凪」が海南島沖で海底から油が噴き出ているのを発見
木村昌福艦長は「天皇陛下万歳!ワレ油田ヲ発見ス」と打電
あとでよく調べてみると海底にドラム缶が沈んでいただけだったとか
昭和17年、海南島沖に達した重巡洋艦「鈴谷」の二人の若い士官がこの話をしつつ
「うちの艦長は慌てものだなw」と笑い合っていると後ろに木村艦長が立っていてニコニコ笑っておられ冷や汗をかいたとか
器の大きな人間というのはやはり違うものですね
18 :名無し三等兵 :2008/09/10(水) 02:04:04 ID:MXx+tIzR
昨年亡くなった母方の大叔父から聞いた話なんだけど…
その大叔父という人は、産まれも育ちも台湾の花蓮で、戦時中は軍属として飛行場で土方みたいな事をしていたらしい。
ある日その飛行場が空襲されて、大叔父は近くを流れる川に架かる橋に逃げ込んだところ、"あらまき少佐"という人と鉢合わせた。
敵機が去ると、その"あらまき少佐"が、「みんなを驚かそう」と言って、大叔父と二人して川にプカプカ浮かんでたら、水死体と勘違いされたらしく、沢山の人が集まってきて大騒ぎになったらしいw
もしかして、この"あらまき少佐"って陸軍航空隊の有名人、荒蒔義次少佐の事だったりして?
23 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/09/06(土) 09:30:31 ID:4dqYwYbO
小学生の頃、戦車のプラモが大好きだった俺が、タミヤの1/35
九七式中戦車を作って遊んでいると、じいちゃんがやってきて
「ああ、俺の戦車じゃねえかこれ」とか言い出して、戦時中の話をしてくれた。
フィリピンで九七式の運転手をやっていたらしいけど
どうやってもM4シャーマンにかなわないので、最後には砲塔だけ残して車体を埋めて
葉っぱやらなんやらでカモフラージュして、至近距離で1発あてて逃げたらしい
それでもシャーマンは撃破できなかったみたいだけど。
「一式砲がくりゃなあ、あんなもん1発だったのになぁ」とか、ぼやいてた。
193 :名無し三等兵 :2008/09/22(月) 01:51:57 ID:???
ある輸送船に、外地帰りの女郎さんが便乗してきた。
さいしょはおそるおそるであったが、そこはフェミニスト海軍、
台湾泊地に入るころにはすっかりうちとけて甲板上でだべっていた。
すると、他の艦艇が一斉に輸送船に注目。
舷窓に群がる水兵、ひどい船に至っては艦橋の大メガネで覗き込む始末・・・・・
しばらくして、意を決した見学船から手旗信号で
「ソノオンナナニモノナリヤ」
受けた甲板上の主計兵が返して曰わく
「ジョロ(ウ)」
それを見ていた女郎さん「兵隊さん、なにしてるん?」
まさか「ジョロウ」と書いていたと言うわけにも行かないので
「あんまりイチャイチャするなと言ってきたから、了解、と返したのだ」
フィリピン陥落前の一コマである。。。
出典:@@ 戦時中・戦場でのほのぼのとした話し5 @@
リンク:http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/army/1213301299/l50#tag193

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