ありがとう、お父さん
2008/09/23 23:53 登録: 電気街
■30:名無し
2007/04/21 18:11:00
4年前に亡くなった父のこと。
元気だった頃は喧嘩ばかりしていた父と私。
怒鳴られたりぶたれたりが日常茶飯事で、とても嫌いで恐怖の対象だった。
私の前に立ちはだかる壁そのものだった。
そんな父が肺がんに倒れ、脳に転移が始まった頃。
買い物をするために車を運転していた父が突然、足の痙攣のために運転ができず、路肩に車を止めて冷や汗をかきながら足の痙攣を止めようとしていた。
私に「すぐ止まるから、心配するな」と言って。
そのとき、父のために運転免許を取ろうと思った。もし、再び痙攣が起きてもすぐに病院に連れてゆけるように。
化学療法も放射線も効き目が薄く、日に日に症状が進んでついに入院した後も毎日教習所でのことを話しに行った。
抗がん剤の副作用で機嫌が悪い父は無反応だったけど。
私も、強大な存在だった父が病床にあるのが認めたくなくて、徐々に冷たい態度をとるようになった。
そして、やっとのことで卒業試験に合格し、後は府中の試験場で筆記試験を受けるだけ、ということを報告しに行った日。
すでに声が出なくなっていた父は一生懸命に「よかったな。おめでとう」と言ってくれた。
その3日後、父はこの世を去ってしまった。
父のためにとろうと思ったのに、間に合わなかった。
免許証を見せてあげることができなかったことを今でも悔やんでいる。
嫌われているのだとばかり思っていた父。
でも、母に「誰よりもお前のことを心配していたんだ」と聞かされたとき、今まで冷たい態度をとっていたのが申し訳なくて泣いた。
愛されていたなんて気付かなかった。
病室で父にとりすがって泣いている母と姉を見て以来、私は父のことで人前で泣くまいと決めている。
かつての勤め先である葬儀社に連絡し、すべての手続きを自分がやった。
父を嫌ってろくに看病もしなかった自分の、せめてもの罪滅ぼしと思って。
私に泣いていい権利なんてなかったから。
立ちふさがる壁であった父は、私の行きたい道を阻むものではなく、私を厳しい現実から守ってくれるものだった。
不器用で、頑固で、我侭で、子供みたいな父。
でも、家族には見せないところで努力していた父。
葬儀に来た勤め先の人たちの涙を見ればよくわかるよ。本当に尊敬されていたんだね。
今まで私を守ってくれてありがとう。
でももう大丈夫。今度は私と姉が母を支えてゆくから。
最後まで「ごめんなさい」も「ありがとう」も言わなかった娘だけど、今は心から感謝してる。
ありがとう、お父さん。
出典:泣ける話をコピペしていくスレ
リンク:http://bugra.jp/mobile/view.html?board=71&id=31&page=2

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