時、来たり
2008/11/14 21:27 登録: えっちな名無しさん
「はやく来てくださいね」
優子さんは会場へと戻っていった。
開始から既に数十分は経過している。
そろそろ出迎えを宿の方に任せて宴席に行っても
失礼にはならないだろうと思う。
しかし、なぜか宴席に行けない。
なぜだ?そう、俺は怖いのだ。
おそらく宴席に来ている「オオカミ様」は
晦日にお社で会った、あの少女だろう。
彼女はオオカミ様に間違いない。俺は既に確信を持っている。
しかし、あの時彼女は俺のことを覚えていなかった。
どのような形でオオカミ様が現世に顕在したのかは想像も出来ないが、
俺の事を覚えていないという事が衝撃だった。
オオカミ様が俺の事を覚えていないという事実。
この状況を冷静に分析すれば、彼女にとって俺は見知らぬ中年男性でしかない。
この宴席で出逢えたという事は、縁がまったく無いわけではないだろうが
現実的にこれからの状況を考えると目の前が真っ暗になってくる。
こんな事ならば、あの頃のまま、
精神で触れ合えたままでいた方が良かったのではないか?
生まれてからこんなに不安に、
絶望に苛まれた事は無いほど俺は憔悴し切っていた。
「○○、様...?」
オオカミ様の声が聞こえる。どうやら、憔悴の余り幻聴まで聞こえてきたようだ。
「あの、○○様...?」
・・・幻聴、では無い!ばっと振り返ると、そこにはオオカミ様の姿があった。
「きゃっ!?」
すごい勢いで振り返った俺に驚いたようで、びくっと身をかわす彼女。
そこには、晦日の夜に出逢った、
そして俺の記憶の中に住み続けている姿がハッキリと容を取っていた。
「貴女は...」俺が呟く。
「あ、はじめまして、ですよね。でも、大晦日にオオカミ様のお社で
お逢いしましたね。 私は、榊 沙織と申します。」
深々と頭を下げる彼女。艶やかな黒髪がさらっと流れる。
初めて逢った、あの時の様に。
「昔、○○様に可愛がって頂いた姉、詩織の妹です。
と言っても私は養女ですし、詩織姉様とは現世では逢えなかったけれど」
彼女は滔々と語りだした。
伊勢で捨てられていた事から、現在に至るまでの事を。
「でも、私は捨てられたことに感謝してるんです。
そのおかげで、父様や母様の子になれ、お祖父様やお祖母様にも逢えました。
それに、詩織姉様にも...○○様、どうなさったんですか?」
彼女が心配そうに俺の顔を覗き込む。
俺はいつの間にか、涙を流していた。嬉しさによって。
「いえ、なんでも有りません。
貴女が幸せな人生を歩んできたのが感じられて、嬉しかったんです」
俺の答えに彼女はちょっと驚き、頬を染めながらはにかんだ様に俯いた。
「・・・お社でお逢いしたとき、なぜか直ぐに○○様、って解ったんです。
貴方の事は、父様や母様、詩織姉様から聞いていたからかも知れませんが、
それだけじゃなく、・・・なんていうのかな、
パッと閃いたんです貴方が、○○様だって」
そこで俺は気付いた。詩織姉様から聞いた、とは...?
「あ、ごめんなさい。変ですよね...
でも、私、良く詩織姉様の夢を見るんです。
何か悩んだり、困ったりすると詩織姉様が
夢に出てきて助けてくれるんです。
○○様の事もいつも聞いてました。
詩織姉様は○○様のお嫁さんにしてもらうんだって言ってました。
でも、沙織ちゃんになら○○様を譲っても良いよって言うんです...」
ココまで言い、彼女はハッとした様に顔を真っ赤に染めて
「ご、ごめんなさい!変な事を言って!
あ、そういえば私○○様をお呼びするように言われてたんです。
親方のおじ様が早く来い、って仰ってました。さ、行きましょう!」
彼女は俺の手を取ると、会場へと歩き出した。
その手は華奢で、心地よく冷たかった。
会場は相当な盛り上がりだった。
沙織と会場に入った俺は直ぐに親方に呼ばれ、
しばらくは親方とお客様の相手をする事になった。
そのうち榊さん夫妻も近くに来て、想い出話になっていった。
沙織はちょっと離れたところで若い弟子達と談笑していたが、
榊さんに呼ばれてこちらにやってきた。
想い出話が続くうち、俺は沙織がしている髪飾りについて尋ねてみた。
「沙織は銀の髪飾りを二つ持っているのです。」
榊さんの奥様が答える。
「一つはおかみさんの実家の玄関に沙織が置かれていた時、
最初から握り締めていました。
もう一つは三歳の時にお伊勢さんにお参りに行った際、
奥の宮で不思議な少年が沙織にくれたのです。」
その少年は神官服を着た玲瓏な美少年で、
沙織に近づいて握らせてくれたと。
ご両親もまったく不審には感じず、ありがたく受け取ったと言う。
「今着けているのは、三歳の時にもらったものです。」
沙織は髪飾りを外すと、俺に渡してくれた。
それは、間違いなく俺があの時、あの少年に預けたものだった。
「この髪飾りをくれた少年は、どんな感じでしたか?」
俺は髪飾りを沙織に返しながら聞いてみた。
「私は小さかったので良く覚えて無いんですが、
なぜかとても懐かしい感じがしました。まるで...」
言い淀んだ沙織の跡を継ぎ、母上様が話し出した。
「まるで、沙織の血縁者の様でした。顔立ちや雰囲気も似ていて、
後になって もしかしたら沙織の本当の兄では、
と主人と話したものです。しかし、とても神々しく
優しげな少年でしたので、あの少年は神様の遣いで、
沙織は神様が詩織を転生させてくれたのだとその時は考えました」
再び、沙織が話し出す。
「でも、私は詩織姉様の生まれ変わりではなく、妹でした。
○○様には先ほどお話しましたが、私の夢には
詩織姉様が良く出てきてくれて、私をとても可愛がってくれました。
いつの間にか私の方が姉様よりもずっと年上になってしまったけれど」
親方も詩織の事を想い出したのか、涙ぐんでいる。
詩織の事を覚えている弟子たちも集まってきて、しんみりとした空気に包まれていた。
「最初に握り締めていた髪飾りは、今、持っていますか?」
少しの間静まっていた空気を破り、俺は沙織に聞いてみた。
「はい、ここに有ります。ずいぶんと古いものみたいで
傷が多かったので、ペンダントにしたんです。」
沙織は白い胸元からペンダントとなった髪飾りをを取り出し、俺に渡してくれた。
沙織の体温が残り仄かに暖かいそれを受け取ったとき、心臓がドクンと脈打った。
撫ぜ廻して出来たような擦れ痕と細かい傷が数多く残るそれは、
かつて俺が二度目に納め、そして土砂に埋もれてしまったあの髪飾りだった。
「・・・その髪飾り、どこかで見た事が...?」
いつの間にか俺の後ろに廻り込んで覗いていたお客様が呟いた。
驚いて振り向くと、そこにはオオカミ様のお社を管理している神主さんが居た。
「あ!これは!○○さんがオオカミ様に納めたモノじゃないですか!」
その場に居た皆の視線が髪飾りと俺に集中する。
「・・・○○、本当なのか・・・?」
親方が搾り出すように問いかけて来た。
「・・・はい、確かに俺がかつてオオカミ様に納めたものです。
間違い、有りません...」
「・・・え?え?どういうこと、なんですか・・・?」
沙織が混乱しつつ聞いてきた。いや、周りのすべての人々が混乱している。
俺と、優子さんとその夫、晃を除いて。
「・・・沙織さんが、オオカミ様だという事ですよ。」
晃がボソッと答える。「晃!」俺が叱責するが、晃は構わず語りだした。
「兄さんはオオカミ様を愛し、オオカミ様も兄さんを愛した。
二人の余りの愛の深さに、天照大神様が心動かされ、
オオカミ様はヒトへ、沙織さんへと転生なさったんでしょう。
ただ、時間を越えることまでは出来なかった。 だから...」
「やめろ、晃」
親方が静かに諌めると、流石に晃はそれ以上口を開けなかった。
宴の席は、いつの間にか静まり返っていた。
「さ、お祝いの席が静まっちまったら仕方ないよ!」
パンパンと手を叩きながらおかみさんが声を上げた。
「そうそう、皆さん さあ飲んで飲んで!」
優子さんも声を張り上げる。
堰を切った様に止まっていた時間が動き出した。
俺も晃にコップを持たせ、ビールを並々と注ぎ込んだ。
俺には沙織がビールを注いでくれ、晃と俺は一気に喉の奥へと流し込んだ。
宴は深夜まで続き、沙織とご両親、若い弟子達は十二時前に部屋へと引き上げた。
お客様がすべて部屋に戻り、それを見届けてから親方夫妻も引き上げ、
最後に残ったのは俺、そして晃と優子さんだった。
三人ともかなり酔ってはいるが、なんとか理性は繋ぎ止めている。
優子さんのお酌で静かに日本酒を飲んでいるうち、晃が口を開いた。
「・・・兄さん、沙織さんはオオカミ様ですよね。」
「・・・ああ、多分、な」
「兄さん、どうするんですか?」
俺は、オオカミ様、いや沙織に自分の気持ちを伝える積りは無い事を話した。
「何故ですか!」
晃が声を上げる。
俺は歳が離れ過ぎている事、俺の事を覚えてない事を主な理由として、
そうなると常識的に難しいだろうからと答えた。
「意気地無し」
それまで黙っていた優子さんが俯いたままぼそっと呟いた。
「怖いんでしょう。あの方に拒否されるのが」
ぞくっと背筋に寒いモノが走る。
違う。いつもの優子さんじゃ無い...?
「優子...?」
晃も何かを感じたらしい。
優子さんがすーっと顔を上げる。その顔は優子さんのモノではなかった。
目尻はきゅっと吊上がり、高い鼻梁の下には厚めな紅い唇。
そして、微かに紅く光る瞳。この、刃物のように尖った美貌は...
「お狐様...」晃が息を呑む。
俺の背中にも冷たい汗が流れた。
お狐様の突然の発現に息を呑む俺達。
優子さんがお狐様に憑かれたのは何年振りだろうか。
もう、十年以上前になるのだな、等と脈打つ心臓とは裏腹に
思考は妙に冷静に過去を想い出していた。
「お久しぶり、ね。○○さん...そして、あなた(晃)も...」
口の端を上げ、微笑う彼女。
ぞくりとするほど妖艶なのだが、同時に冷たい戦慄を覚える。
俺は、頭を振りながら精神を統一し、大きく息を吐いた。
「なぜ、出てこられたのですか?」
俺が尋ねると同時に、晃がビクッと震える。
「ご挨拶ね。久しぶりに逢えたのに。
あの方に対しては弱気なのに、私には随分とキツく当たるのね」
甦る、苦く切なく、そして少しだけ甘い記憶。
お狐様に憑かれた優子さんを晃が抱きしめて鎮めた夜。
あれ以来、彼女が現れる事は無かったのだが...
「なぜ出てきたのかは解っているでしょう?
あの時の私の言葉、忘れていない筈よね。貴方達なら」
・・・確かに、覚えている。彼女は言った。
俺の心が変わった時、また逢いに来ると。
「覚えています。だけど俺の心は変わっちゃいない。
俺はオオカミ様だけを愛し続けている」
彼女の微笑が、嘲笑う様に変わった。
「そう。その答えがあの方を見守っていくって事なの?
自分の気持ちを伝える事無く」
ふん、とせせら笑う。
「触れてはいけない時には抱きしめたくせに
触れられるようになったら諦めるなんて、
貴方と結ばれるために御身をヒトにまで落としたあの方が報われないわね」
その言葉に俺は驚愕した。
俺と、結ばれる為に...。
その時、がた、と物音が聞こえた。
俺と晃はビクッと驚き、物音のした方を見る。
そこには、沙織が見覚えのある少女と手を繋いで立っていた。
記憶の中から愛らしい姿が甦り、その少女と重なった。あれは、詩織...
「詩織ちゃん...」俺が呟く。
詩織は俺の記憶の中に有るままの天使の様な微笑を見せ、すっと消えてしまった。
「優子!」晃が叫んだ。
驚いて振り返ると、倒れこんだ優子さんを晃が抱きとめた所だった。
その顔はお狐様のものではなく、既に優しげな優子さんのものに戻っている。
呆然と立ちすくむ沙織。消えてしまった詩織。
倒れこんだまま意識の無い優子さん。
あまりの急な展開に俺と晃は混乱した。
俺は深呼吸をして、優先順位を確認する。まずは優子さんの状態だ。
「晃、優子さんはどうなっている!?」
とりあえず正常に息をし、脈も大丈夫。心臓も動いている。
ほっと胸を撫で下ろしたが、万が一という事もある。
「沙織さん、救急車をお願いします」
俺が沙織に向かって声を掛けると、晃が答えた。
「いえ、大丈夫です。折角の宴の初日にそんな縁起の悪い事は出来ません。
俺が自分で病院に運びます」
「馬鹿野郎!お前も酒飲んでるだろうが!そんな事言ってる場合か!」
晃を睨み付ける俺の横を沙織が通り過ぎ、優子さんを抱く晃の前に座り込んだ。
沙織は晃から優子さんを抱き受けると、自分の白い額を優子さんの額に当てた。
数分の後、沙織が顔を上げる。
「大丈夫です。彼女はもう奥様の中には居りません。」
呆気にとられる俺と晃。
「お部屋で横にさせて上げたほうが宜しいでしょう。
○○様、お手伝いしてあげて下さい」
しかし晃は一人で優子さんを抱き上げ部屋に帰って行き、
広間には俺と沙織が残された。
「○○様、少し散歩しませんか?」
沙織が俺を見つめながら聞いてくる。
そして数分後、俺と沙織は旅館の庭に有る池の辺をゆっくりと歩いていた。
空を見上げると見事な月が光っている。
沙織の歩みが止まる気配を感じ、俺は月明かりに照らされて
白く浮かぶ沙織に目を向けた。
「・・・宴会から部屋に戻ってうとうとしていたら久しぶりに姉様の夢を見たんです」
そして、夢から覚めると詩織がそのまま存在していたのだという。
詩織は微笑みながら沙織の手を取って俺達の居た宴会場へと導いた。
そして、お狐様が優子さんに憑いている所に出くわしたと。
「彼女の言葉を驚きながら聞いていたら、姉様が私をとん、と押したんです。
そうしたら、私の中に、爆発したように、全てが、戻って...」
沙織は漆黒の瞳から、宝石の様に輝く涙を溢れさせた。
「貴方と、初めて、逢った時の事、貴方に、抱き締められた時の事...」
もう言葉になっていない。俺の両目からも、驚くほどの涙が溢れてきていた。
両手を顔に当て、泣き笑いのような表情をしている沙織。
俺は両手を広げ、辛うじて声を絞り出した。
「お還りなさい。」
沙織は俺の腕の中に飛び込んで来た。
そして、はっきりと応えた。
「ただいま、還りました」
抱き締めたその華奢な肉体は、あの時と同じ様に熱かった。
どこからか微かに流れてくる笛の音を感じながら、
月明かりに照らされた二人の影は重なったままだった。
名作・宮大工シリーズの17話目です。
1話 オオカミ様の神社の修繕
http://moemoe.mydns.jp/view.php/5361
2話 俺が宮大工見習いを卒業し、弟子頭になった頃の話
http://moemoe.mydns.jp/view.php/14703
(途中略)
16話 奇跡の宴
http://moemoe.mydns.jp/view.php/14742
出典:本編はこれで最後…
リンク:http://kangenpatsu.blog83.fc2.com/

(・∀・): 97 | (・A・): 30
TOP