バイク乗りのお話

2009/02/02 16:16 登録: 李 安成

485 :774RR :2009/02/01(日) 20:32:15 ID:+Zeik23c
このスレを見つけたので書いてみる。

もう十数年前になるが、レースにのめり込んでいた。
スーパーカップやエリア選手権など、全日本の一歩手前っていう感じのシリーズ。
成績はあまりパッとせず、それでも3年目にはランキング5位って所までこれたんだ。

成績が上向いてるのに比例して、極貧生活はフル加速w
田舎町で実家暮らしだったから、食うには困らなかったが遊ぶ金なんて1円もねぇ。
楽しみといえば給料日にはラーメン屋に行くって事ぐらい。もちろん彼女もいないし。
もうね、ローン・信販・サラ金あらゆる所の常連w  でも夢をみていられたから、まぁ幸せだったのか。
昼は土方、夜は配送のバイトでなんとか凌いで来たが、でもそろそろ限界。
せっかくここまで来たのに、これからなのに、エンジンOHする金もない。

で、ワープロで企画書作ってスポンサー探し開始。

当時、今ほどバイク業界は冬の時代ではなかったと思う。でもブームは完璧に過ぎ去っていて
年々参加台数は減っていってる。
することもないから、休みの度に企画書持って地元の会社に飛び込みしてた。
そんなに大きくない街なんで、知人がいたり親父の知り合いだったり、結構ある訳よ。
そういうのが嫌なんで、関係のない所ばかり行ってた。

でも、そんな俺個人のつまんねぇ拘りに乗ってくれる企業なんて、あるはずも無い。
たいがい門前払い。中には応接室で話聞いてくれる所もあったが、金を出せとなると話は別。
「頑張って下さい。」は聞き飽きた。頑張ってるっつーの。

そんな中でも「○○タイヤ」という小さなタイヤ屋さんの先代の社長が、
俺の親父の事を知っていたらしく、タイヤを2セットサポートしてくれた。
なんでも、その先代の社長の息子=現社長が若い頃結構グレていたらしく、
親父に大層世話になった、と言っていた。 親父は当時市の民生委員をしていた。

そんな事をやりながら、開幕戦まであと2ヶ月をきった頃、その人と出会った。
雪がちらちら降っていたのはよく覚えている。

今シーズン出れるかなぁと、不安になっていた。
このままなら、2戦くらいで確実に潰れる。絶対ムリ。
途中で止めるくらいなら、初めからやらない方がいい。1〜2年我慢して借金減らしてから
またやった方がいいか?なんて悩んでいた。

その日はめずらしく平日休みになって、前から目を付けていた車屋に行ってみたんだ。
今で言うチューニングショップ程ではないが、走り系の店で板金塗装も出来る店。
隣町のショップのチームに入っていたから、そこ以外のバイク屋にはもちろん行けない。
車なら関係ないだろうと思って、結構車屋には行ってた。
でも「バイクかぁ、ウチ車屋だからねぇ」 って必ず言われたな。

店に入ると、常連のようなお客さんが2人くらいいたかなぁ、でもいいやと思って
「社長さんいらっしゃいますか?」 と声をかけた。
で、色々とそのお客さんと4人位で話していると、どうやら他の人から聞いてたらしく、
印象が良かったのか、オイル交換と塗装するならブース使わせてあげると言ってくれた。
メッチャ嬉しかった。
で、そのお客さんの中のシゲさんという人が食いついて来て、バイクも大好きだと。
シゲさんはそこそこ金持ちで会社を経営しているらしく、ケンメリRとか持ってるエンスーな親父w
バイクのレースは生で見たこと無いから、ぜひ見たいと言ってくれた。
でも、シリーズ通して出れるか分からないことなどを正直に話した。すると
「出来なくなったらその時やめれ。可能性が残ってんならやれ」 と。
なんか背中を押してくれた気分。サバサバしててすげーいい親父w

これで4年目だ。25歳の早春だった。


オイルとタイヤは何とかなった。でも金が無い。ホントに無いw
スペアパーツの中からまだイケるシリンダーやらピストンやらで組んだエンジン。
足回りだってシール類とオイルだけ。真っ白のカウルに「○○タイヤ」と「○○自動車」のカッッティング。
そんな状況での第1戦。 ツナギもボロだ。

「おっいたいたwおお〜い○○」
振り向くと、バイク海苔みたいなカッコのシゲさんと小学生くらいの男の子。
「どうしても見たいって言うから連れてきたわw」
って、恥ずかしそうにwktkしながらマシンをマジマジ見つめる親子w
でも良く見ると、男の子の歩き方がおかしい。 
義足だ。
その時は聞くに聞けなかったが、あとで教えてくれた。
名前は「勇気」。 生まれつきインスリンが分泌されない、いわゆる糖尿。
3年前に左足を切断した。今はもうひょこひょこ走り回ってるらしい。

予選は確か11番手くらい。
「いや〜シゲさん駄目だわw」 「せっかく来てくれたのにごめんねw」
なんて言ったのを覚えてる。
決勝はというと、やりましたよロケットスタート。
3列目から3〜4番手くらいで1コーナーへ。路面温度が低くて2台くらい前でコケた。ペースも速くない。
これはイケる! と思ったが、ラスト3周最終コーナーの進入でいきなりロック。

焼き付き。 オワタ。

呆然と凹んでいる俺に勇気は 「凄いカッコ良かった」 と言ってくれた。
シゲさんはにこにこしてて、何も言わなかった。


もうスカスカのエンジンしかない。どうすんべ?
と思いながら、店に挨拶と報告に行く。
「シゲさんから聞いたわ。惜しかったなぁ。」 と。
「活躍できずにすいません。おまけにエンジン壊しちゃいました。」って言うと
「そんなの期待してないよw そんなんでウチは儲からんw」
「でもなぁ、お前のお陰でウチの若い連中も変わったんだ。草レースでちょっと早くて調子こいてた奴らが
 お前の姿勢を見てみんな真面目にレースする様になった。それだけでもウチにとっては良かったよ。
 何でバイクにサポートして俺らには何もしてくれんの?って今でも言われるけどなw」
って言われた時には泣きそうになった。

でももうシリンダーもピストンも買えない。クランクも終わってるのしかない。
「ああ、そういえばシゲさんが家に来いって言ってたよ。いつでもいいから来いって。」

何だろう? いい所見せれなかったからなぁ、会いずらいなぁ・・
なんて思いながら行ってみた。
シゲさんの家は電設工事の会社を経営している。3階建ての新しめの家で、一階がガラス張りの会社だ。
晩飯を食っていけと言うのでご馳走になった。
俺は酒が飲めないが、シゲさんは酒豪も酒豪w 飲めなくなったらいつでも死ねると言うw
「自慢のガレージを見せてやる」
と言われついて行くと、ケンメリとロータスの何だかって車。ピカピカだ。
その傍らに古いXL250が。フロントがぐしゃぐしゃだ。
壁を見ると工具がきれいに掛けてあり、コンプレッサーやフライス盤もある。
その中に、小さなトロフィーと古ぼけた写真。 シゲさんだ。
「へぇ〜シゲさん、オフやってたんだ?」
「あぁ若い頃なぁ。 でも事故ってから磨き専門だw」

写真の中のシゲさんは、今と同じ人懐っこい顔でにこにこ笑っていた。


「次はいつよ?」 とシゲさん。
「一ヵ月後だけど、ムリだわぁ。」
もうね、なんて言っていいかわからんです。こんなに良くしてくれる人たちに恵まれ
しかし自分のふがいなさで期待に応えられない。自分でスポンサーになってくれって言っておきながら、だ。
弱いくせに酒が入って、色んなことを話したと思う。
シゲさんはにこにこと笑っていたのは覚えている。
勇気と一緒に風呂に入って、その晩は泊めてもらった。

10日くらい経ったある日、店に寄った。
活動中止の報告をするためだ。
店に入るとシゲさんがいた。
「あらっ、丁度いいトコにw」 と社長。

「今日マシン置いていけ。あと必要なパーツ、注文しとけ。1年分な。」
「???」
わけわかんねー。
「これはウチの店からじゃない。シゲさんからだ。そのかわりエンジンはきっちり組んでやる。」
シゲさんなんで?と詰め寄ると
「何よ、○○電設工事じゃ不満か?」
次の瞬間、俺は生まれてはじめて土下座した。声をあげて泣いた。

「一杯宣伝してくれやww」
シゲさんはいつもの様に、にこにこと笑っていた。


後で社長に聞いた話だが、シゲさんにはもう一人息子がいた。
生きていれば俺と同じくらいの歳らしく、事故で亡くしていた。
そう、あのXRだ。
それ以来シゲさんはバイクを降りた。いい車は持ってるが、あまり乗らずに、でも程度は極上らしい。
俺とダブったのかな、なんて思った。
で、諦めていたところにやっと勇気を授かり、夫婦で涙を流して喜んだそうだ。
だから勇気がかわいくて仕方がないという。
そんな勇気が 「またお兄ちゃんのレース見に行きたい。」
と言ったんだそうだ。

なんか背負うものが大きくなった。
そして、「○○電設工事」 のカッティングが増えた。

何とかマシンは間に合った。問題は人間だ。
シゲさんと勇気はまた来てくれた。 あ!し、社長!
「お前、勝つんだべな?」
「いやっ、あの、そ、そんな・・」
とは言えず、あたりめーですみたいな事を言ったような気がするw
でも予選は6位だったかな?トップとのタイム差は1秒以上あったと思う。

「わぁ〜、うちの名前はいってる〜ww」 と勇気。
シゲさんはカッティングを見てにこにこ笑っていた。

迎えた決勝。まずまずのスタート。
バイクが速い。トップにも引けをとらないくらい速い。
途中のことはあまりよく覚えていない。でもトップが見える位置でチェッカーを受けたのは
鮮明に覚えている。

結果は3位。初表彰台だ。
もう少しで勝てたかも、ってのと嬉しいのと混じってなんか複雑だった。
でもみんなの前で表彰台に立てたのは嬉しかった。

勇気がひょこひょこはしゃいでいる。社長も写真を撮ってくれている。
シゲさんはにこにこ笑っていた。
「惜しかったな〜、行けたべ〜?」 と社長。
俺の頭をつかんでわしゃわしゃしながら、
「でも、マシンがかっこ悪w」
「車よりおもしれーなw」
って言ってくれた。すげーうれしそうだった。

シゲさんがカウルを買ってくれた。社長は色を塗ってくれた。
ピカピカな俺のマシン。 TZ250。
もう足を向けて眠れませんよw

そんな調子でその年はシリーズを終えた。
結果はランキング4位。結局勝てなかった。
表彰台もその一回きり。あとは4位とかリタイヤとか。
転倒だけはしなかった。まだカウルはピカピカだ。

店に挨拶に行く。今までホントに良くして貰った。
たぶん来年はこんな事はないだろう。全日本でもないのに、そんな面倒みてくれる筈も無い。
社長曰く
「来年チャンピオン取れ。そしてその次は全日本だろ。違うんか?」
「全日本に行ってもウチのステッカー貼ってくれよ。小さいのでいいから。」
何ていい人なんですかあなたは。
シゲさん曰く
「勇気がモトクロ乗り始めたんだ。ちっこいヤツ。お前みたいになりたいってよ。」
「一緒に走るんだってな。あいつに教えてやってくれや。」

もう涙は出なかった。
借金はまだ減ってない。キツい。でもこう言ってくれる人達がいる。
来年は絶対チャンピオン獲る。 マジで。

その年のオフシーズン、3月。勇気が入院した。
社長から聞いて、あわてて病院へ飛んで行った。
奥さんが付き添っていて、話を聞いた。
このところ、あまり調子が良くないこと、幼い頃病気が判明した時に
医者からは成人は出来ないだろうと言われていたこと。

何か聞いたことがある様な気がする。
大人の、いわゆる贅沢病の糖尿とは違う、先天的なもの。
2〜3日おきに人工透析に通い、好きなものも食べられない。
いくらカロリーコントロールしていても、徐々に蝕まれていく。
聞かなけりゃよかった。 勇気は弟みたいなモンだ。

「慌てて来たから何も買ってこなかったわ。何か欲しいもんあるか?」
すると勇気は
「帽子がほしい。」
「黄色いダンロップのやつ。お兄ちゃんが被ってたやつ。」
あれだ。表彰台に立つときに、タイヤサービスが用意してるやつ。
去年1個もらったが、無くしてしまっていた。
ここで、お前のために獲ってきてやるとか言えば良かったんだろうが、
確か言えなかったと思う。
貰えたらあげるよ、くらいだったな。

やる気は満ち溢れていたが、軽々しく勝つとかは言えなくなっていた。
今にして思えば、開幕戦が近づくにつれ、ナーバスになっていた。
今までのような80点主義的な走りじゃ、今年も絶対勝てない。
コケてもいいや位の勢いで、もうひとつ壁を越えないとならん。

開幕戦の1週間前に、勇気は退院した。

迎えた開幕戦。みんな応援に来てくれた。奥さんまで。

なにげに思う。カウルはピカピカだ。
これがスポンサーの看板を背負って走るって事なのか。
「○○自動車」
「○○電設工業」
そしてキザなんだが、メーターの所に「勇気」といれた。
他人からダサいと言われた事もある。
スポンサーついてるの?いいねー。 と言われた事もある。

うるせぇ。もはや俺の家族だ。誇りだ。
お前らには絶対負けねぇ。

予選2位。人生初のフロントロー。2/100秒で負けたのを覚えている。
勇気はすごく喜んでくれた。
で、決勝スタート。やっちまったorz
スタートは得意のはずなのに、フロントあげちまったいw
もう何位なんだか分かりませんw
でも順調に追い上げ、結局3位でフィニッシュ。 悔しくてあまり笑えなかった。
それでも勇気に帽子をあげるとすげー喜んでくれた。
でかくてスポスポだがwずっと被ってたなぁ。

社長はそんな俺の心情を察したのか
「悔しいのは分かるが、冷静になれ。お前はあの集団から抜け出してトップに追いついた。
 つまり、それだけの速さは持ってる。あとはその速さをどう使うかだ。タラレバは無いが、
 スタートさえミスらなければ勝ててたよ。その手のタラレバは自身に変えることができる。
 シゲさん、涙うかべてたぜ。」
って言われたのははっきりと覚えている。

シゲさんはいつもの様に、ただにこにこと笑っていた。

勇気は入院することが多くなった。
その後の2戦くらい、遠征してたので勇気は来れなかった。
結果は4位と優勝。 やっと勝てた。
でも勇気もシゲさんもいない。嬉しかったが淋しくもあった。
その頃は携帯なんて今みたいに普及してなかったので、帰った次の日
仕事終ってからすぐに病院へ。 勇気は寝ていた。
いつ来るかと俺を待っていたが、疲れて寝ちゃったんだ。
俺は枕元に帽子とトロフィーを置いて、病院を後にした。
後でシゲさんが言ってた。寝てる間に来て起こさないで帰っちゃったから
何で起こしてくれないのって泣きじゃくったそうだ。
バイクに乗りたいって泣く事もあるらしい。
でも看護婦さんにトロフィーを自慢するそうだw

大丈夫だ。また元気に走れる時が来るよ。
そのときは一緒に走ろうな。いろいろ教えてやるからな。
漠然とそう思っていた。



その2週間後、暑い真夏の日 勇気は死んだ。


正直言ってそれからの事はあまり覚えてないんだ。
人間て防衛本能かなんかで、本当に辛い事やきつかった事やなんかの記憶を
早く忘れさせるようにできてるってTVかなんかで聞いた事がある。
本当にそうなのかも知れない。

でも勇気の棺の中にダンロップの帽子とトロフィーをいれたのは覚えてる。
シゲさんが勇気の頭に被せてくれたのも覚えてる。
たぶんあのタレ目の、人懐っこい顔は一生忘れられないんだろうな。


それからもシゲさんは俺をかわいがってくれた。
レースの時には近くなら来てくれた。
後から社長から聞いたんだが、懐に勇気の写真を偲ばせていたそうだ。
俺の気が散ってはいけないと、黙っていたらしい。

いつもいつもただにこにこ笑っていた。


みんなの前で勝てた時は嬉しかった。
勝って泣いたことなんてなかったけど、あん時ぁ泣いた。みんな泣いてくれた。
まわりから変な奴らと思われていたと思うw
それくらい嬉しかった。

ランキングはトップだ。次の最終戦で3位以内に入ればチャンピオンだ。
チャンピオン決めて全日本に行く。絶対に。

最終戦。予選は4位。なんかイマイチ。
力入りすぎてるなーと思いつつ、決勝スタート。
おっしゃ、ホールショットと思った瞬間、

ドン!

背中に激痛が走った。 突っ込まれた。
あまり覚えてないんだが、3台くらい絡んだらしい。
転がる俺の目の前を、見慣れたマシンが跳ねていった。
でも次の瞬間、他のヤツのマシンが降ってきた。

鎖骨と大腿骨の複雑骨折。 オワタ。


もうそれでレースは引退。今でも足は不自由だ。
ゆっくり歩けば気づかれないが、走ると痛みが出る。
シゲさんと社長には世話になった。本当に世話になった。
返しても返しきれないくらいの恩がある。本当にありがとうございました。

それから土方もできなくなり、出稼ぎに出た。
今で言う派遣てヤツだ。
とにかく借金を返さんと。当時は結構給料良かったな。


地元を出る時、シゲさんに
「バイクはどうした?」 と聞かれた。
激しくコケたわりに、ダメージはひどくなかった。
でも直すのも馬鹿らしいし、金も無い。そんなバイク売れるはずもなくて
納屋に置いてある。と言うと
「じゃあ俺が買う。」
と言って100万ポンと。
ちょwちょっ、シゲさんアフォですか?20マソでも売れませんでしたよ?
「いいんだ。」
と言って、受け取れないって言うのに、無理やり売らされた。
あんたって人は・・

そのにこにこした顔が涙で見えなかった。


それから4年くらい車造って、今の嫁と知り合った。
借金も返し終わる頃、結婚した。
で、俺の足が悪いのを見かねてか、北海道に行こうと言う。 嫁は北海道出身なんだ。
実家は事務機などの卸会社を経営している。女姉妹2人で跡継ぎがほしいらしい。

そんなこんなで北海道に来て数年たった去年の年末。
俺の親父から電話がきた。



シゲさんが亡くなったと。



年の瀬で忙しかったが、義父さんに無理を言って地元に帰った。
嫁もどうしても会いたいと言うので、2人で帰った。
お通夜には間に合わなかったが、葬式には間に合った。
社長も来ていた。


肝臓ガン。

マジかよシゲさん。酒にやられちゃったのかよ。
勇気が亡くなってからは、酒の量が増えたと奥さんが言ってたけど・・

「飲んで死ねるんなら最高だべやぁw」
って笑ってたシゲさん。 何も言わず、ただにこにこ笑ってたシゲさん。
発泡酒なんて飲むな。男ならビールだべ。 って言ってたシゲさん。
ごめん、俺いまだに味の違いわかんねぇよ。


葬儀のあと、社長と話をした。
「ちょっと来い」
と言われ、社長と会場を出た。
シゲさんの家だ。なんかガラス張りの事務所が光ってる。

俺のバイクだ。 ’93 TZ250。
キズひとつ無いピカピカの俺のバイク。 いや、シゲさんのだな。


もう枯れた筈の涙が溢れて止まらん。俺干からびるんじゃね?ってくらい。
嫁も泣いてた。わんわん泣いた。
俺が出て行ってからずっと飾っていたらしい。
「○○電設工事」
ってはいったバイク。ピカピカに直してあった。

近所の小僧どもが寄ってくるらしい。その度に
「かっこいいべ?乗ってたヤツ速かったんだぞw」
って自慢してたみたい。
シゲさんあんたって人は。


次の日、嫁と2人で勇気の墓参りに行った。
近付いていくと、何やら墓石についている。
確かあれだよなぁ、何かなぁと思いながら近づいた。



「DUNLOP」



俺の帽子だ。 いや、勇気のだ。
濡れないようにビニールで包んである。
風で飛ばされないようにくっつけてあった。

兄ちゃんや父ちゃんとと会えたか?バイクのってるか?
教えてやれなくてごめんな勇気。ホントの兄ちゃんにたっぷり教えてもらえな。


シゲさんは半年くらい前から体調を悪くしたらしい。
わかった時にはもう手遅れだったそうだ。
病院では看護婦さんに、酒が飲みたいと言っていつも怒られていたそうだ。

今度来る時はアイスクリームいっぱい買ってくるからな。
お前大好きなのに、あんまり食べれなかったもんな。
シゲさんは何がいい? ビールか?焼酎か?w

こんな俺に、あなたたち家族や社長、○○タイヤさん、沢山の人達が良くしてくれました。
俺の一生の心の財産です。誇りです。
結果は残せなかったけど、代わりに多くのものを頂きました。
本当にありがとうございました。


いままで読んでくれたおまいらありがとう。
朝になっちゃったなぁ。俺休みだけどw

全日本スレにスポンサーの話が出てたんで、思い出してしまった。

おまいらも見守ってくれている人がきっといる筈だ。
その人達を悲しませる事だけはしないでおこう、お互いに。
そんな俺も今年からまた、バイク乗ろうかなって思ってる。
スクーターかカブがいいな。

お互い安全運転で楽しもうぜ。











出典:バイクにまつわる泣けた話【5発目】
リンク:http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/bike/1225428542/l50

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