姉か妹

2009/02/07 23:46 登録: えっちな名無しさん


車のシートに身を沈めると、
俺は鍵を回してエンジンをかける。
低い唸りのような響きが聞こえてくると、
ブレーキから足を離して、ゆっくりと走り出した。

行先は同じ大学に通う友達の家だ。
去年、入学式が終わって
数日後に始まった最初の授業で隣に座った女が、
シャーペンの芯をくれ、と言う。
俺は快く頷いて、
ペンケースの中から二本を取り出して彼女にあげたのだが、
以来、何かにつけて俺に絡んできたりしている。
飲み会に誘われたり、授業のノートを貸してくれと言われたり、
レポートを手伝わされたりしていた。
その、どれもが平穏に終わらない事が多いせいか、
最近では、すっかり辟易していた。
飲み会に行けば、
金がないから飲み代を立て替えてくれ、と言うし、ノートを貸せば、
どこかに失くしてしまい彼女の部屋を一緒に捜索したり……。
積極的に付き合いを続けていきたい心境ではなかったが、
何となく憎めない彼女の強引さに振り回されている、
というのが実情だった。
その彼女の家が、これから向かう目的地だ。
今日も、そんな日になりそうな、何か悪い予感みたいなものがあった。
しかし、それでも俺は上機嫌でハンドルを握っている。

横目で時間を確認すると、
緩やかにアクセルを踏み込んでスピードを上げた。
免許を取って数ヶ月。
初心者マークも取れないほど経験が浅いが、
初めの頃よりも大分、余裕が生まれてきた。
狭い路地や駐車場に若干、
苦手意識があるものの普通の運転は問題なくこなせている。
少し速度を上げたので、待ち合わせには間に合うだろう。

「俺くんって免許持ってたよね?」
数日前、その日、最後の授業が終わった後、
学食近くのベンチに座って自販機で買ったコーラを飲んでいた俺に
彼女は声をかけてきた。
「持ってるけど」
「じゃあさ、今度、私と付き合ってほしい所があるんだけど……」
彼女は怪しげな文科系サークルに所属している。
一度、どういった活動をしているのか尋ねた事があるのだが、
彼女がしてくれた説明の甲斐なく俺の理解は深まる事がなかった。
却って、俺の中の、
そのサークルに対する怪しげな印象が深まっただけだった。
話によると、サークル関係の用事で、
買い物をしなければいけなくなったらしい。
彼女は、まだ二年生だったから、
そうした雑用を押し付けられる機会が多いのだろう。
予定の品を全て買い揃えると結構な荷物になるから、
車で行って運んでもらうのが一番手っ取り早いと判断した、と言う。
彼女の話した行先は、
総合雑貨店というのかホームセンターみたいな店で、
ここから三つ先の駅から少し離れた場所にある
五階建てくらいのビルだった。
「それって一年生とかに頼んじゃダメなの?」
「バカねぇ、一年生は、
もっと大変なのを押し付けられてるのよ。私なんて楽な方」
「車だって誰か他の人が持ってるんじゃない?」
「俺くんが一番近いのよ。それに先輩とかには頼みづらいし……」
確かに、彼女の家と俺の家は、そう遠くない。
どちらの家から目的のビルを目指しても遠出という感じはしなかった。
しかし、俺は即答出来なかった。
その理由の一つは、上記のような彼女のトラブルメーカー振りで、
もう一つは、俺の車というのは親の所有だったからだ。
その為、自分の一存で勝手に使える訳ではない。
俺は、それを説明すると、彼女は「じゃあ訊いてみてよ」と言う。
「今?」
「今」
俺は、その場で親に電話をして
車を使いたいのだが空いているか、と訊いた。
特に使う予定はない、という返答。
結局、次の日曜に俺の予定が入っていない事もあり、
彼女の用事に付き合う事になった。
「ありがと。なんか奢るからさ」
話が済むと、最後に、そう言って彼女は足早に去って行った。

大通りから左折して住宅街に入ると、
アクセルを緩めて少し速度を落とす。
その一角にある家のすぐ前で車を止めると、
携帯を取り出して彼女に電話をした。
約束の五分前だ。
三コールしない内に彼女が出る。
「はい」
「あ、今、着いたよ」
「わかった。すぐ行く」
電話を切ると、間もなく玄関から出てくる彼女の姿が見えた。
長袖にジーンズという、いつも見ている格好。
助手席側のドアを開け、シートに座ると、
俺は再びエンジンをかけて車を発進させた。
「先に御姉さんの所でしょ?」
「そう」
「どう行けばいいの?」
「暫く、この道で良いよ。私が案内するから」

外出の仕度は昼前から始めていた。
準備は全て終わって、
後は出かけるだけだ、という時になって携帯が鳴った。
画面を見ると、彼女からで、
ちょうど、これから電話をしようと思っていた俺は手間が省けた、
と思いながら通話ボタンを押す。
「もしもし、俺くん?」
「うん」
「ちょっと予定が変更になってさ……」
彼女の話によると、
買い物の前に寄ってもらいたい場所がある、と言う。
ついさっき、彼女の御姉さんから電話があって、
彼女がこれから出かける、という話をしたら、
御姉さんも外出する予定だったらしい。
行先を尋ねると、俺達の目的地から近い場所の駅前だ、と言った。
それならば、
私達は車だから同乗して行かないか、と彼女が提案したらしい。
だから、
彼女の家に来たら、まず御姉さんの所によって、
駅前で下ろしてから買い物に行きたいのだがどうだろう?
という相談だった。
俺は、一も二もなく賛成した。
最後に彼女は、もう一つ別の話をした。
「あ、それから、この前の話なんだけど、ナナもミサキもOKだって」
「あぁ……うん、わかった」
俺は電話を切ると、急いで洋服を選び直し、
鏡に向かって髪形や髯をチェックした。
可笑しい所がないか入念に見直して安心すると、
鞄を持って玄関に向かった。

行き慣れない路地を何度か曲がると、住宅街に出た。
狭い道ではないから平気だが壁が迫っているので油断は出来ない。
あるアパートの壁際で彼女は車を停めさせた。
それから携帯を取り出して、電話をかける。
相手は御姉さんのようだ。
暫く待っていると、少し先の道路にスカート姿の女性が現れた。
俺の視線は一瞬で釘付けになる。
その髪型や上着の襟の形、
スカートの柄さえも焼き付けようと目を凝らした。
優美な曲線を描く髪形や、整った鼻筋。白い肌。
どれも魅力的で、美しかった。
話し方も繊細で知的な感じに加えて、優しさに満ちている。
俺はシスコンではないと思っていたけど、
もし理想の御姉さん像というのを描くとすれば、
正に目の前の人がそうだろう。
御姉さんとは、これまでにも何度か会った事があった。
彼女の家を訪ねた時に会えたり、
彼女も交えていたがレストランで一緒に食事をした事もある。
後から知った事だが、
御姉さんは実家を出て一人暮らしをしているけど、
頻繁に帰ってくるらしい。
俺が会ったのは、その時だったという事だろう。
何度か御姉さんに会う機会が増える度に、
俺は助手席の彼女と比較して首を傾げざるを得なかった。
どうして、こんなに素敵な御姉さんの妹が、こんな風なのだろう、と。
優美な姉と粗暴な妹という対比が不思議で仕方なかった。
しかし、
そんな下らない事を考えているのは俺の中のほんの一部分で、
御姉さんが目の前にいる間、
殆ど全ての感覚は一点に向けられていた。
それだけ御姉さんと会える時間は俺の中では貴重な時間だった。

御姉さんは、周囲を見回して、
すぐに俺の車に気付くと、こちらに向かって歩き出す。
運転席の窓に近付いてきたので、俺は窓を下げて挨拶をした。
「こんにちは」
「俺くん、久し振りね。今日はゴメンね」
「いやー、全然、平気っすよ」
俺の浮かれ気分は、そこで終わった。
「あと、もう一人いるんだけど平気?」
意味がわからず戸惑っていると、
助手席の彼女から急かすような声が飛ぶ。
「平気だってば。早く乗りなよ」
「そう?」
「私も用事あるんだからね。御姉ちゃんも急いでるんでしょ?」
「うん」
御姉さんは、頷くと、
もう一度、来た方に戻って行って男を連れてきた。
二人は揃って俺に挨拶をすると、
男は俺の後ろに、御姉さんは助手席の後ろに乗り込んだ。

俺は車を走らせると途端に黙り込んでしまった。
時折、助手席の彼女からの指示に頷く程度。
後ろばかりが気になってしまって
何度、ミラーを覗き込んだり後部座席の様子に耳を澄ませただろう。
そんな俺が不機嫌だと思ったのか、
それとも気を遣ってくれているのか
御姉さんは積極的に話しかけてきた。
後ろの男は黙っているから、
車内が重い空気にならないように配慮していたのかもしれない。
「俺くん、ごめんなさいね。迷惑だったんじゃない?」
「もー、平気だってば。御姉ちゃん、心配しすぎ!」
「だって、あんたを見てると、
俺くんに迷惑ばっかりかけてる気がするのよ」
「そんな事ないって。…………ねー?」
同意を促すように俺を見る彼女。
俺は横目で曖昧に頷いた。
「俺くん、ホント?」
後ろから御姉さんの声が届く。
何て優しい口調なんだろう。
隣の女も少しは見習ってほしい。
俺は、御姉さんを安心させる為だけに言った。
「ええ、どうせ僕も出かける所でしたから」
「ホントに?でも、アスカが迷惑かけたら、いつでも私に言ってね」
「御姉ちゃん、うるさいってば。
なんか聞いてると、私が凄く悪い女みたいに聞こえるよ」
(実際は違う、とでも?)
俺は心の中で呟く。
決して声に出しては言えない。
「あんたは、これ以上、
控え目になれないってくらい遠慮して、ちょうどいいのよ」
「そんな事ないもん。これでも、かなり気を遣ってるんだからねー」
「……そう思える日が来るのを期待してるわ」
姉妹の遣り取りで、少しだけ空気が和やかになった。
後ろの男も少し吹き出していたようだ。

日曜の午後という時間帯のせいか道路は渋滞していたが、
三十分もしない内に御姉さんの目的地が近付いてきた。
「駅のロータリーまで行けばいいですか?」
俺は後ろに訊いた。
「そうね、混んでなければ、そこまで行ってくれると助かるな」
鏡越しに御姉さんの笑顔が見える。
駅に近付くにつれて、道が混み出してきた。
なかなか進まなくなってくる。
車間距離に気をつけて慎重にハンドルを握る。
駅は、もう目の前で、
すぐ脇の歩道を流れていく人の数も増えてきた。
すると、急に御姉さんが言った。
「ねえ、ちょっと窓、開けていい?」
俺に訊いているのだろうか。
誰も返事をしない。
車は停止していたから、俺は横目で後ろを窺って返事をする。
「大丈夫ですよ、暑いですか?」
俺は空調のスイッチを動かす。
「ううん、そうじゃないの」
御姉さんは、
そう言うと窓をゆっくり下ろしていって全開近くまで下げると、
歩道に向かって、言った。
「ミホちゃーん」
身を乗り出すようにして、何度も大きく手を振っている。
御姉さんが危なくないかと心配で、周囲を窺う。
そんなに車外に乗り出している訳ではないし、
バイクなんかも通ってないから大丈夫そうだ。
「ミーホーちゃーん、こっち、こっち!」
御姉さんの視線の先を追うと、
歩道にいた女が、漸く、こちらに気付いたみたいで
跳ねるように飛び上がって手を振り返している。
隣に男がいるからカップルだろう。
「ゴメン、ここで降りていい?」
「あ、はい、どうぞ」
俺は反射的に返事をした。
御姉さんは隣の男を促す。
車は殆ど動いていなかったから降りるのに支障はなかったけど、
二人は注意して周囲を見回した。
「俺くん、ありがとね」
御姉さんは満面の笑みを見せて歩道に向かう。
男の方も何度か俺に頭を下げた。
二人は歩道のカップルと会うと楽しそうに笑い出す。
それから、揃って、どこかへ歩き出した。
繁華街のある方向だったから、おそらく食事にでも行くのだろう。
俺は、それを遠目に見ている。
車は緩やかに動いていて、
四人が視界から消えていくのを座席で見送っていた。

「なんかねー、昔からの友達なんだって」
俺達は本来の目的地に向かっていた。
駅前から離れて大通りに入ると渋滞もなく、車は順調に流れていく。
車内は二人だけになって随分静かになった。
二人が降りて、
暫く黙っていた彼女が最初に口を開いたのが、その言葉だった。
「何が?」
「さっきの人」
「どっちの事?」
俺は、その『友達』というのが
後ろにいた男であれば、と願って訊いた。
しかし、彼女には、それが通じなかったらしい。
「は?」
「いや、後ろに乗ってた人の事かなって思って……」
「はぁー? 何、言ってんの? どう見たって彼氏でしょ?」
「だよねー」
「俺くん、恋愛経験ゼロですか? 
御姉ちゃんの一人暮らしの部屋から一緒に出てきたんだよ。
だったら……そういう事でしょ?」
(そうだよねー、やっぱりね。わかっていたけどねー)
俺は、彼女のこういう、はっきりした物言いが好きじゃない。
もっと、こう……何かに包んで言ってほしい。
彼女の言葉は剥き出し過ぎて、
時折受け止めると痛みを伴う事があるのだ。
だけど……。
好きじゃないけど、だからと言って嫌いか、と言うと、そうでもない。
何となく、その物言いの中に
彼女なりの気遣いみたいなものが仄かに感じられるからだ。
はっきりと伝える事が本人の為になる。
彼女は、そういう信念で動いているようにも感じられた。
それは、俺の単なる錯覚かもしれないけど、
もし、そう考えるとすると、さっき彼女が言ったように、
本当に彼女なりに色々気を遣っている事があるのかもしれないな、
なんて思ったりもした。
「だから、無駄だよ」
「何が?」
「御姉ちゃんは」
「えっ? …………何の事?」
「それ…………とぼけてるつもり?」
俺は何も言えなくなってしまった。
運転に集中しようとする俺の意識を掻き乱すように彼女の言葉が続く。
「あんた、御姉ちゃんの事、好きでしょ?」
「何で、そう思うの?」
「見てれば、わかるよ」
「そっか……」
俺は少し落ち込んだ。
彼女にだけは気付かれないように、
なるべく努力してきたつもりだったのに……。
いつ頃からバレていたんだろう?
「ねぇ、御姉ちゃんのどこがいいわけ?」
俺は秘めていた感情のほんの一部を、
更に包んで、包んで、これ以上ないくらいに抑えて、
自分が感じている御姉さんの魅力を表現した。
それは、容姿だけじゃなく性格にまで及んで、
気付いたら結構な時間を使ってしまっていた。
「ふーーん」
俺の話を聞き終ると、
彼女は鼻息を漏らしながらシートに身を預けた。
それから腕組みをすると、前方を見詰めながら何事か考えていたが、
やがて、俺を諭すように言った。
「あれだからね……。
ああ見えて、御姉ちゃんって、すっごいワガママだからね」
「そうなの?」
「そうよー。あんな風に上品そうに振る舞ってるけど、
私くらいの歳の頃は、学校とかでも、もう凄かったらしいからね」
「へぇー」
俺は頷いていたが、
そんな今すぐ証明出来ないような材料を持ち出されても
納得しようがないんだけどな、と思っていた。
「……って言ってた」
「誰が?」
「さっきの人」
「後ろの人?」
「違うよ、友達の方」
「あぁ……」
俺は、駅で見た光景を思い出す。
あの子も可愛い子だったな。
俺よりも歳上だろうが、
御姉さんよりも小柄で可愛らしい、という印象だった。
比較しているのが御姉さんとだから、
余計に、そう見えるのかもしれないが、
『妹』という感じがして並んでいると、
隣にいる実の妹よりも本当の姉妹らしい感じがした。
「可愛い人だったよね」
「誰が?」
「御姉さんの友達」
「ん?」
彼女は、暫く不審そうに眉を顰めていたが、
不意に手を打って、笑い出した。
軽い笑い声が車内に響く。
「どうしたの?」
「はぁー、はぁー……。
あー、おっかしい……。ゴメンね。ちょっと待って」
それから、お腹を抱えて何度か深呼吸していたが
落ち着いたらしい様子になると、俺の疑問に答えてくれた。
「御姉ちゃんの友達って、そっちじゃなくて男の人の方だよ」
「えっ……じゃあ、女の人は?」
「彼女」
「そっか……」
「なんか、男の人とは昔から仲良くて、
結構経ってから、あの彼女と付き合い始めて……
三人とかで御飯食べたりとかしてたみたいよ。
それで、御姉ちゃんの方にも彼氏が出来てからは
四人で遊ぶようになって……って感じだったかな。
細かい所は、よくわからないし、
あんまり覚えてないから違ってるかもしれないけど大体そんな感じ。
御姉ちゃんの友達って優しいし結構、いい人だよ。
この前も奢ってもらっちゃったし……」
「そんなに、よく会うんだ?」
「んー、そうじゃないけど時々かな。
あの人と御姉ちゃんがいる所に私が入って……って感じかな。
その彼女……あ、今、駅にいた人ね。あの人も前に紹介されて、
チラッと会った事あるけど、あの人も、いい人だったな。
ちょっと天然入ってるけどね」
その時、俺は上の空で、彼女の話を聞いているのか、
いないのか自分では、よくわからない状態だったが、
こうして記憶が残っているのだから、きっと聞いていたのだろう。
「なんか、あの四人って凄く仲良いから、
御姉ちゃんも友達カップルも別れるなんてないんじゃないかな」
「そう……」
「最近、御姉ちゃんも仕事が落ち着いてきたみたいだし、
そろそろ結婚……なんて話も出るだろうし……」
「うん」
「だから……さ」
「うん」
「だから………………私にしときな」
「え?」
エンジンは軽快に回転数を上げて、それをタイヤに伝えていく。
路面は緩やかで、車は滑るように走っていた。
しかし、反対に会話は止まってしまう。
頭の中に連続で浮かぶ『?』マーク。
その沈黙に苛立ちをぶつけるように、彼女は言った。
「だーかーらー、私にしろって言ってるの! 聞こえてる?」
「うん」
「で?」
「……付き合おう…………って事?」
「そんなの自分で考えろ! 
まったく……鈍いわね、あんた。恋愛経験ホントにゼロか!」
俺は横目で助手席を見た。
彼女は横の窓から外を眺めていて、こっちを見ない。
微かに覗く首筋が赤くなっているのがわかる。
俺は、この時、初めて彼女を可愛いかもしれない、と思った。
そうしたら、
不意に可笑しくなってきて笑いが込み上げそうになってくる。
しかし、こんな場面で、もし笑い出したりしたら、
彼女に何をされるかわからないから、
必死で、それを堪えるように唇を噛み締めた。

それから、俺は色んな未来を想像してみる。
学食の同じテーブルで食事をする二人。
図書館でレポートに取り組む二人。
休日に買い物に行く二人。
そして。
並んで手を繋ぐ二人。
どの場面も自然に頭に浮かんできた。
それから、拍子抜けした。
なんだ、と。
最後以外は普段している事と変わりないじゃないか。
もしかして、
周りから見たら俺達って恋人同士に見えてたのかな。
今まで考えてみた事もなかったが、
こうして自分の隣にいる彼女を
そういう対象として見る事が出来るだろうか。
この関係を発展させていく覚悟が、俺にあるだろうか。
彼女は、ずっと黙っていたが、
目的地が見えてくると、こんな事を言った。
「言っとくけどね。もし付き合ったとして、その後で、
御姉ちゃんに手を出したら、どうなるかわかってるでしょうね?」
「うん」
「私と付き合って御姉ちゃんに近付いて
乗り換えて……とか考えてるなら止めた方がいいし、
どうしても諦め切れないなら、
早目に告っておかないと結婚しちゃうかもしれないよ。
まぁ……告ったとしても、多分フラれるだろうけどね」
彼女の言う通りだろう。
あの様子から判断して、二人が別れるとは思えなかった。
仮に、御姉さんに告白したとしても成功の見込みは零に近い。
否、零だ。
俺は、とりあえず、頭に浮かんだ言葉で返事をした。
「今は、よくわからないけど、前向きに検討してみる」
「あんた政治家?」
「いや……ちゃんと真剣に考えるよ」
結論は、ゆっくり考えていこう。
俺はハンドルを握り直してアクセルを緩める。
そして、独り言のように呟いた
「そりゃ、そうだよね。
付き合って、その後で御姉さんに……ってなったらマズイよね」
「マズイって言うか、付き合ってるなら、その瞬間、別れるけどね」
「だよね」
「別れた上で……、怒り爆発か一生シカトか、だね」
「怒ると怖いもんね」
「まぁね。…………って何で知ってるの?」
「見た事あるから」
「嘘? 俺くんの前で怒った事なんてないよ」
(えっ? じゃあ、今まで俺の見てきたのは?)
彼女が怒っていたと思しき様々な場面が浮かぶ。
俺は、その中の一つを選択して、問い質した。
それは、構内の掲示板の近くで、
彼女が友人と口論していた場面だった。
あまりの剣幕に見かねて仲裁した思い出がある。
「あー、あれ? あんなの怒っている内に入らないよ」
事も無げに言う彼女。
これが今年一番、鳥肌が立った瞬間だ。
俺は身の引き締まるような思いで言った。
「そうなんだ……じゃあ怒らせないようにしないとね」
乾いた笑い声を上げた。
車は既に目的地の敷地内に入っていて、
駐車スペースに向かっている。
緩やかなスロープを曲がって立体駐車場を上っていった。
「そうね、そうしてくれると私も助かる。
……怒るのって結構、疲れるしね。
あぁ……そっか……うん。
まぁ……、手っ取り早く怒られないようになる方法ならあるんだけどね」
ゆっくりとバックで駐車してエンジンを切った。
上手くいった、と安堵する。
「あ、そうなの? じゃあ、それ教えてよ」
俺が訊くと、彼女は微笑んで言った。
「私、彼氏には怒らないって決めてるの」

出典:オリジナル
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