我慢の限界
2009/02/23 05:47 登録: えっちな名無しさん
最近我慢強くなった私ですが、我慢にも限界があります。
今日の日記は愚痴です。
家庭の恥をさらす覚悟で記します。
とりあえずどっかに吐き出さないといずれ限界がくる。
ということで・・・
大変ネガティブですんで
そういうのイヤな方はスルーして下さい
いえいえつき合ってやろうという方
どうぞヨロシク・・・
さて。。
今日、会社からの帰り際に義理の母から電話がありました。
ふだん連絡事項はお互いにメールでやりとりしているので何かあるなと思ったら、
「おばあさんが肺炎かもしれないので入院する」とのこと。
我が家のおばあさんは、今96歳。もう何年も前から痴呆です。
口癖は「よいしょ」
「よいしょ」することがなくても、延々
「よいしょ、よいしょ」と言っています。
昨日はたしかに、その「よいしょ」の元気がありませんでした。
今日の義理の両親の予定は、確定申告に行くこと。
そして、元気のないおばあさんを病院に連れて行くことでした。
夕方の電話で、入院を知らされ
「今から病院に行くから、ゆうこさん帰ったら食事の準備をしてほしい。
私達の分は要らないから、(夫と)二人分だけでいいよ。
今日は寒いから、お鍋の材料が買ってあるからそれ使って」とのことでした。
わたしは結婚してからも職場を変えず同じ条件で働いているので、
食事の準備はほぼお義母さんにしてもらっています。
今日は自分が食事の準備だから急いで帰ろうとは思ったけど
今日に限ってふだんより遅くなっていた私。
一方夫はというと、ここのところいつも帰りが遅かった。
今日も同じだろうと思ったけど、念のため電話を入れて確認してみると
「もう家に帰ってるよ」という応えが・・・。
今日に限って・・・と、若干の苛立ちを覚えつつ、とにかく急ぐことに。
事情を話して、帰り次第食事の準備するからおとなしく待っていてと言いました。
少し前置きが長くなりましたが、
さて、帰ってみると・・・
炊事場はぐちゃぐちゃ状態。
義母は、洗い物を一切せず、義父とともにおばあさんを連れて出かけたようです。
入院することになり、色々と準備や何かでバタバタしたんだろう、と一瞬思いましたが
実はこれは日頃よくある光景なのでした。
いつもよりかなり早い時間に夫が帰っていたので
一刻も早く食事の準備に取りかかりたいのに、
まず片づけをしなければとても料理出来る状況ではありませんでした。
夫が少しくらい気の利く男なら
私が帰るまでの20〜30分の間に洗い物くらいしてくれるかもしれません。
しかし、それは全くない。
のんきにゲームをしている。
まぁそれは初めから期待していないし、いつものことだ、と自分に言い聞かせます。
それより、炊事場。
昔よく、実家の母が言っていたことを思い出しました。
「さぁご飯作ろうと思って帰ったら、まず片づけからしないといけない。悲しくなるわ。」
まさにそれです。
涙は出なくとも、泣けてきます。
しかも冷静に考えてみると、
今日の炊事場
朝から放置してると思われる鍋やら釜やら何やらで溢れかえっている。
でも昼食を食べた形跡もあるし、つまり、朝も昼も洗い物をろくにせず放置している。
おまけに、夕方急いでいたのかと思いきや、
しっかりコーヒータイムをとって、お菓子も食べている。
決して時間がなかった訳じゃないと思われる。
なのに炊事場はぐちゃぐちゃ。
ゴミ袋もなぜかひっくりかえっていてゴミは散乱。
机の上には、みかんの皮やお菓子の空き袋、使用済みのつまようじ、鏡、文房具など
あらゆるものが散らばってる。
だいたい、靴もあちこちに散らばっていたし
いくらネコが6匹いるとは言っても、全部ネコの仕業とは考えがたい範囲でその惨状。
だいたいわかる。
確定申告行って、やれやれ終わった、ってほっとして
ご飯食べて、いつも通り2時間ドラマとか見て
3時になったからコーヒー飲んで
「あ、おばあさん病院に連れて行くんだった!」ってなって
夕方、近くのかかりつけ医院にいざ行ってみて、
肺炎の心配があるからもう少し大きいところに入院させましょう
ということになったのでしょう。
なぜもっと早くに段取りをして
やるべき片づけをしておかないのでしょう。
たしかにお義母さんはいつも、後からまとめて洗うタイプです。
でも、私は食事の準備をあまりしない代わりに、食後の片づけをしています。
それに、私は毎日お弁当を持って会社に行くので
夕食の後はお弁当の仕込みもしたいし、それもあって食後すぐに片づけをする習慣です。
しかし平日昼間の惨状がこれほどまでとは・・・
と、あきれかえるほどに今日はひどかった・・・
お風呂も洗っていなかったし、、
それを見て知っていた夫も洗ってはくれなかったし・・・
散々だった。
片づけながらだんだんと腹がたってきて、いろんな事を考えた。
我が家の惨状。
調理台とは名ばかりで、物置状態。
調理はおろか、料理を盛りつけようにも皿を置くことすらできない。
皿を置けないからどうするかというと、床に並べる始末。
だいたい、なぜ、料理ばさみが爪切りと一緒にしまってあるのか。
それに、まな板を床に置くのはなぜ?
他に収納する場所はないのですか?
というか、調理の時まな板を置くスペースがありません。
どこにおいて調理するかというと、流しの洗い桶の上にまな板を置いています。
慣れてしまったけど理解できん。
流しにまな板置いたら、その間洗い物出来ないし・・・。
しかし、調理中でもそのまま上から洗うお義母さん。
なんせ、おばあさんの下の世話をした後も平然と同じよう手を洗います。
しかも、手を洗っていると言うより、ぬらしているだけ。
見ているこっちが気持ち悪いし、食欲なくなるし。
お義母さんは食器洗いの時間は短いけど、その分洗えていない。
今日なんて、お皿にべっったりとおかずがへばりついていたのに
極当たり前に洗いかごのなかにその皿が入っていた。
何を見ているの?
油が落ちていないのは当然のことだし。
あと、お鍋のふた。
たとえ使った後でも、洗うのは内側のみ。外側は洗いません。
それって、きれいだと思ってそうしてるの?
で、洗い終わった食器は自然乾燥のみ。
布巾で水気を拭くということをしません。
なぜなら、布巾はおろか、手ふきタオルすら炊事場にないから。
それって、どう考えてもおかしくない?
でもって、自然乾燥の食器。
少々ぬれていてもそのまま食器棚に収納されること多々あり。
カビはえないのかな・・・
お鍋類は、びちょびちょにぬれていようが、そのまま蓋をしてしまうし。
次に蓋をとるのがこわい・・・
そのお鍋たち、、なぜ床に直置きなのでしょうか・・
ネコもいるのに・・・
毎日のように、食事に髪の毛が入っている。
おかずの上に落ちているとかのレベルじゃない。
ごはんの「中」から出てくる。
お好み焼きの「中」で一緒に焼かれている。
天ぷら・かき揚げの「中」に入って一緒に揚がっている。
とにかく、食事の中に練り込まれている。
だんだん書くの疲れてきた・・・
あと、お義父さん。
ゴミをゴミ箱に捨てるということをしません。
とりあえず後ろの方に隠しています。
だから、お義父さんの後ろの方にある机は、上も下も物だらけ。ゴミだらけ。
入れ歯を調理台の上に置いているし、、気分悪い。
いつも、他人の批判ばかりしているし、すぐに金の話。過去の自慢話。
聞き飽きた。
とても書き切れませんが
本当にふだんから色々なことがあります。
これらのことを上手く乗り切るコツは
我慢するというより、諦めること。
ただし、
この日記の一番初めに、我慢にも限界があると書いたのですが
諦めるのにも限界がある、と言った方が正しいかもしれません。
今でも仕事を続けられるのは、義母が家事をしてくれるから
というのは本当はよくわかっています。
ただ、台所事情に関する考え方の違いは本当に多く
こんなことなら、どんなに大変でも
すべて私が自分でやった方が、だいぶ気持ちが楽かもしれません。
台所をひとりで使いたい。
それが私の望みです。
でも、これから先も同居していくと思います。
次男なのに跡取りの息子のところへ嫁にきたのだから仕方がない。
それにその息子(夫)は地元消防団に入っているので
どっちみち地元を離れることも当分できないでしょう。
とりあえず、早く家を新築にして欲しい。
ただし、いざ新築にするとなっても、嫁の私にさほどの発言権はないでしょうし
すでに義父母の中で、理想の完成像は出来上がっている模様です。
でも、今のぐっちゃぐちゃ状態から少しでも逃れられるのであればもう
なんだっていいです。
早く子どもを授かりたいとも思いますが
今の状況で授かっても、
まともに(清潔に)暮らしていくことは難しそうで
それを思うと、複雑な心境です。
家を新築にするには
実はその96歳のおばあさんがネックになっていて
義父母は常々「おばあさん、早く・・・・・・」と言っています。
ところでネコが6匹いると書きましたが
実はこの6匹はみんな三毛猫です。
これがどういうことか解る方もいらっしゃるでしょうが、
三毛猫として生まれるのはほぼ雌なのです。
雌で、しかも三毛猫だけが生まれてくるわけはありません。
つまり、意図的に三毛猫だけを残しているということ。
もっと言えば、それ以外は処分していると言うことです。
理由は、ネコといっても、三毛猫だけが好きだから。
もちろん私ではありません。
両親です。義理の。
なにもかもを見て見ぬふりするわたし。
義母は、仏壇にご飯もお茶もお供えしません。
拝むこともない。
仏壇の花は造花。
神棚の榊も、造花。
お盆にお墓参りをしたとき、
お供え物の野菜が余って、墓石の頭の上からそれをまき散らした義母を見て
唖然としました。
そういう家です。
正直、失敗したなと思うことは多いです。
ただ、ある時、人に言われたことを思い出しつつ生き延びています。
「家は、お嫁さんで変わるからね」と。
見て見ぬふりのままでは変わらないでしょう。
でも、それらを変える努力と行動をすれば
少しは良くなるのかも知れません。
こんな夜中にただひたすらに思いを綴ったら
とても悲惨なものになりました。
私自身が批判を受けるかも知れません。
でも、当然なのかな。
これを書いていて、自分自身がいろんなコト考えて
見つめ直すきっかけに少なからずなったかも。
最後まで読んでくれた方には、どうもありがとう。
出典:?
リンク:?

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