カブトムシの死を電池切れと思う現代っ子
2009/03/01 19:44 登録: えっちな名無しさん
「最近の子供のなかには飼ってたカブトムシが死んで動かなくなったら電池が切れたと思う子がいる」
という言葉を皆さん一度は聞いたことがあると思います。
おそらく、時代が平成になる前から既に言われていた言葉でしょう。
この言葉の意図するところは
「最近の子供は自然に触れる機会が少なくて生死の観念が希薄だ」ということのようです。
解釈に多少のニュアンスの違いはあれども、本質的には暗に現代っ子(の在り方)を否定している言葉だと思います。
少なくとも褒め言葉ではありませんね。
よく年寄りが言う、「最近の若いもんは・・・」という愚痴・小言の類です。
しかし、私は以前から、
カブトムシが死んだのを電池切れと思う=生前に触れる機会が少ないから生死の観念が希薄、
これが単純にイコールで結ばれることに違和感を感じていました。
確かにそういう面もごく一部にはあると思います。
ですが、「最近の子供がカブトムシが死んだことを電池切れと思う」ことの最大の理由はズバリ
「電池が当たり前のものとして普及した社会で育ったから」
だということに昨日寝る前に思い至りました。
自然との関係が希薄で云々、というのは後付けの理屈で全く見当違いです。
単純に育つ過程で身近に電池があったかないか、ただそれだけの差です。
子供自体に差は無いのです。
以上、昨日寝る前に気づいたことです。
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