俺は親父が嫌いだった
2009/03/02 13:39 登録: えっちな名無しさん
文章が下手だから読みにくいかもしれない。
先に謝っておく。ごめん。
読んでくれたら嬉しい。
俺は親父が嫌いだった。
理由はバカみたいだがゲーム機を買ってくれなかったから。
周りの友達がプレステやらゲームボーイの話をしていても
俺はゲームを持っていなかったから、その輪に入ることができなかった。
お年玉で買いたいと言っても断固反対された。
ゲームを買ってくれなかった理由は「目が悪くなるから」
同じ理由でマンガを読んでいても口うるさく注意された。
親父が嫌いだった理由は他にもたくさんある。
そのひとつに、キャッチボールをしてくれなかったこと。
俺は小学4年から高校卒業まで野球部だったこともあり
小学生のころ親父にキャッチボールの相手をしてほしいと頼んだことがある。
だけど親父はすごい下手糞で、ボールをポロポロ取りこぼして
10分もすると「キャッチボールよりランニングで足腰鍛えとけ」と家に帰ってしまった。
まだまだある。
親父は運転免許を持っていなかった。
だから車を運転するのはいつも母だった。
母に運転させておいて助手席で偉そうに腕を組む親父が嫌いだった。
通勤も車やバイクではなく自転車。
高校生にまじって自転車で会社まで行く親父を恥ずかしいと思った。
俺が高校3年生になって免許を取って「親父も免許取れよ」と言うと
親父は「俺は車とかあんまり興味ないからなぁ」とヘラヘラ笑っていた。
親父を助手席に乗せて運転していると、自分がとても偉くなったように感じた。
免許も取れない親父はカスだなとか思ってた。
「俺、親父超えたよな?」
そんな俺の言葉を聞いて親父は助手席で笑ってた。
そんな親父が癌で死んだ。俺が二十歳のときだった。
俺は地方都市の大学に進学して、一人暮らしをしていた。
その日も普通に大学に行って、普通に友達と遊んでたときだった。
車を飛ばして実家に帰ると、痩せた親父は嘘みたいに冷たくなっていた。
余命宣告されてからも、大学で楽しくやってる俺には伝えるなと母に釘を刺していたらしい。
そんなこともあり、葬式のあとで「なんで俺に教えてくれなかったんだよ。最低な親父だったな」
とポツリと呟くと、母に殴られた。
「あんたは何にもわかってないでしょうが!」
今までに聞いたこともない怒号だった。
「父さんには黙ってろってきつく言われてたことだから
あの世で逢ったときに怒られるだろうけど
あんたが誤解したままだと、私は死んでも死に切れないから
私が生きてるうちに本当のことを伝えておく」
それから母が全てを教えてくれた。
親父は左目が見えていなかった。
失明した原因は、当時1歳半だった俺とじゃれあって遊んでいたとき
運悪くおもちゃの先端が左目に突き刺さってしまったから。
片方の目が見えなくても、視野検査をクリアすれば運転免許はもらえるが
親父は、運転中に何かあってはいけないと、好きだった車の運転をやめて大事にしていた愛車を売った。
それ以上に大好きだったバイクも降りた。
ゲームを買ってくれなかったのは、俺が目を悪くして自分のような思いをさせたくなかったから。
キャッチボールが苦手だったのも、片目だと遠近感が掴みにくいからだと知った。
俺が振りかざしたおもちゃが原因で失明したと聞いたら
きっとショックを受けて自分を責めると思い、親父はこのことを周囲に固く口止めしていた。
そして母から一通の封筒をもらった。
中には親父から俺に宛てられた手紙が入っていた。
そこにはこう書かれていた。
『大学生活はどうだ?友達とバカ騒ぎするのも楽しいけど、人様だけには迷惑かけるなよ
車に乗るときは安全運転しろ。お前は運転はうまいけど調子に乗りやすいから気をつけろ
お前は車のほうが好きなようだが、俺はバイクも好きなんだ
○○(親父の兄の家)とこの畑の納屋の奥に、俺が若いころ乗ってたバイクがある
更新忘れて免許なくしてからは乗ってなかったから、すぐには動かないだろうが
****(バイク屋の名前)に頼めばまた乗れるように整備してくれるはずだ
もしよかったらあれをお前に乗ってほしい。興味がないなら売って小遣いにしろ』
すぐに伯父さんの家に連絡してバイクを探しに行った。
そこには大きなバイクが保管されていた。
タンクにはYAMAHA、カウルにはFZの文字、FZ750。
伯父さんの話では、親父がバイクを降りたときに頼まれて納屋の隅に置いていたらしい。
車は売り払ったけど、このバイクだけはどうしても売れなかったそうだ。
早速手紙にあったバイク屋に連絡して、また走れるように整備してもらった。
その店の店長さんは、もう昔のことなのに親父のことをよく覚えていた。
店に出入りするバイク仲間の中でも、みんなのリーダーみたいな存在で
店とお客さんの間でトラブルがあったとき、仲裁役になって解決したことを教えてくれた。
親父は左目が見えなくなってバイクを降りたこと、そして死んだことを伝えると
店長さんは整備する手を止めて泣いていた。
それから俺はすぐに大型二輪免許を取りに行って、FZ750に乗っている。
親父が死んでから半年、早朝の峠に走りに行ったとき
登ってくる朝日を見ていると自然に涙が溢れてきた。
俺は何もわかっちゃいなかった。
俺が嫌いだった親父は、誰よりも立派で誇らしい親父だった。
親父が死んだ日に高速を飛ばした車も、親父が買ってくれたものだ。
こうして今乗っているFZ750も親父が残してくれたバイクだ。
親父を超えたなんてクソガキの戯言だった。
俺は何もわかってないくせに、わかったような気になっていた。
できることならもう一度親父に会って今までのことを謝りたい。
そしてありがとうって言いたい。
就職は地元の企業に決まった。
春からは実家に帰って、親父の分も母を守っていきたいと思う。
でも十数年も義眼に気づかないって設定は無理があったな。
最後まで読んでくれてどうもありがとう。
出典:?
リンク:?

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