顔にモザイク入れてください

2009/03/21 08:04 登録: えっちな名無しさん

三保ヶ関親方「今日は顔を合わさないように、逃げます。
テレビで放送するなら、顔にモザイク入れてください」
(朝日新聞 2003年7月10日朝刊17面)
角界のコメント王として名高いのは、心臓疾患で引退した
敷島(詳しくは「VOW」シリーズ参照)である。
しかし、この日の三保ヶ関親方のコメントは、往年の敷島に
引けを取らないものであった。

この日(9日)、愛弟子の増健(十両)が北桜に「つきひざ」で敗れた。
2001年に加えられて以来、十両以上でははじめて出たものだったそうである。

この日の増健は、北桜に変化されてバランスを崩し、相手にぶつかることなく
左ひざから崩れ落ちた(新聞表現ママ)のだが、それに対する
「あっと思ったら、相手がいなかった。何しに来たんかなぁ」という
本人のコメントもなかなか味のあるものであるが、それにもまして親方。
まるで自分が負けたかのようなコメントである。まさに面目丸潰れか。

今回注目したいのは、「モザイク入れてください」である。
言うまでもなくモザイクは画像処理方法のひとつであり、
映ってはまずいものをごまかすというものが一般的である。
例は卑近なので省略する。

鈴木淳史が『美しい日本の掲示板』で述べているように、モザイクは
「隠されているからそれを逆にハッキリと意識させる」ほかに、
「実際に映っているものが本当に実物なのかどうなのか曖昧にしてしまう」
という効果がある(鈴木、2003)。機能と呼んでも良い。
この場合、親方がモザイクで隠されることによって、その人物が親方なのかどうか
わからなくしてしまうという効果が期待できるわけだ。

親方がそれを狙って発言したのかどうかは不明だが、特に被写体が力士または
「力士あがり」の人物の場合、モザイク処理はその機能を存分に発揮する。
音声も変更させれば、武蔵丸と舞の海の区別は体型でつくと思うが、
少なくとも千代大海と雅山の区別はつかなくなるはずである。

ところで、最近のワイドショーにおいて、被写体の顔を隠す際に
よく見られる手法は、首から上を映さないというものである。
それがいつ頃から開始されたのか、理由は時間的余裕のなさ(編集時間カット)の
ためなのか、という点については調査を待つしかない(私はやらない)が、
「どうせ隠すものは映さなくて良い」という発見は、業界をうならせたのではないだろうか。

友人から聞いた話で、「ノーカット」(編集なし)と謳われたビデオを見たら
いわゆる「肝心な部分」が映っていなかったという。
しかし、確かにモザイク処理がないという意味において、それは「広告に偽りなし」であり、
友人にしてみれば「やられた」という感想をもらすしかなかったわけである。
意味合いは少々異なるが、撮る側の画像処理への考え方は同じであろう。

しかし、今回のように文字になってしまっては、それも意味を持たないわけである。
しかも「三保ヶ関親方」という形で発言者として記録されてしまっている
時点で、もう親方はこの発言から逃げられない。その意味で、今回の件で
最も私の気を惹いたのは、実は親方であった。

<参考文献>
鈴木淳史『美しい日本の掲示板』2003、洋泉社



出典:朝日新聞 2003年7月10日朝刊17面
リンク:http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/7184/th-miho.html

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