ブーンは歩くようです #3
2009/06/20 21:13 登録: 萌(。・_・。)絵
http://moemoe.mydns.jp/view.php/17131のつづき
第五部 ツンドラの道と、その先に夢を見た男の話
― 1 ―
見上げれば薄い青をした空色と薄い雲。
ロッキー山脈を越えてひたすらに北上を続けた僕は、アメリカ大陸の西端セワード半島、
かつてプリンスオブウェールズ岬と呼ばれていた場所に立っていた。
目の前に広がるのは、凍りついた海。
その先に、うっすらと茶けた大地の一部が見える。
そう。ここは大陸と大陸の境目。北アメリカとユーラシアの間に横たわるベーリング海峡だ。
はるか昔に存在した氷河期。
人類はここを通って北アメリカへと渡り、のちに彼らの子孫はインディアンと呼ばれることになる。
そして今、何の因果か僕は、彼らの辿った道を逆行しユーラシアへと向かおうとしている。
( ^ω^)「なんかこう……感慨深いもんがあるお。なあ、ビロード?」
( ><)「わかんないです!」
僕の足元にいるのは、暖かそうな厚い銀色の体毛に身を包んだ、一匹の大きなイヌ。
どちらかといえばオオカミに近いか。
僕の声に反応し、僕と同じように海峡の向こう側を眺めていた彼がひとつ、
こちらを見上げて彼独特の鳴き声をあげた。
僕が超繊維のマントの上から着込んでいるのは、
くすみ始めた原色の衣服と、彼の体毛と同じ色をした銀色の毛皮。
彼の両親の成れの果て。
ここにたどり着く途中で出会ったエスキモーの子孫から貰った手袋を脱ぎ、
僕は素手でそれに触れてみた。
滑らかで、有機的な温かみが感じられた。
思えば僕は、この毛皮のおかげで今もこうやって生きることが出来ている。
あの村を出てまもなく、僕は寒さで凍え死にそうになっていた。
当時冬が迫っていたのにもかかわらず、僕が着込んでいたのは超繊維のマントと、
あの村の人々が着ていた明るい原色の秋用の薄い羽織のみだったから、無理もない。
そしていい加減倒れそうになったそのとき見つけたのが、
薄く積もった雪の上に横たわり動かなくなっていた二匹。
彼の両親と、二匹の死骸を舐め続けていた幼い日の彼。
冬の寒さから腐敗が進んでおらず、生前の形を保ち続けていた二匹の毛皮を剥ぎ取り、
僕は縫い合わせて着衣とした。
別に二匹と同じように、そこで野たれ死んでも構わなかったのだが、
生きる術がある限り、生き続けなければならない気がなぜかしたから。
( ><)「……」
ところが毛皮を剥いでいる間、不思議なことに彼は僕になんら危害を加えなかった。
彼の両親を陵辱しているといっても過言でなかった僕を、彼は静かに眺めるだけ。
そして僕が毛皮を着込み、二つの肉塊を埋葬して歩き出したところ、
彼もまた僕に付いて歩みを始めたではないか。
( ^ω^)「どうしたお?」
( ><)「……」
( ^ω^)「僕は君の親じゃないお。ついてきても何にもないお」
( ><)「……」
それでも彼は、僕に付いて歩みを止めない。
僕が休んだら彼も休むし、僕が寝ようとすれば彼も僕に寄り添って丸くなる。
何日も何日も、彼は僕に付き従って来た。
羽織った毛皮が肌に馴染んできた一週間後の夜、焚き火を前にして僕は尋ねてみた。
( ^ω^)「なんで君は僕に付いてくるんだお?
僕と一緒にいても、楽しいことなんか何にも無いお?」
( ><)「……」
耳をピンとそばだてた彼は、どこからか狩ってきたらしい小動物の肉を食すのを止めると、
代わりに「食べろ」と言わんばかりに、肉の塊を僕の前に置いて、それから黙って僕を見上げた。
( ^ω^)「……そんじゃ、ありがたくいただくお」
手ごろな木の枝をむしりとって肉に刺し、火であぶって口にした。
臭みはあったが、淡白で美味しかった。
彼は依然として僕を見上げ続けていた。
貰った肉のお礼に僕は、香辛料たっぷりの保存食を取り出して彼に投げてよこす。
( ><)「……」
しかし訝しげにそれをひと嗅ぎすると、彼はぷいっとそっぽを向いた。
どうやら辛いものはダメらしい。
( ^ω^)「ところで君、名前はなんていうんだお?」
( ><)「わかんないです!」
( ^ω^)「おっおっお。変な鳴き声だお」
一見すると会話が成り立っているようではあるが、実のところまったく成り立っていない。
人間と獣なんだから当たり前だ。
僕は彼の鳴き声がおかしくて笑う。
そのあとパッとした思いつきで、僕は彼に名前をあげた。
( ^ω^)「ビロードっていうのはどうだお? 昔の工芸品の名前だお。
君の両親の毛皮みたいに着心地が良くて、結構な高級品だったんだお?」
( ><)「わかんないです!」
彼の尻尾がせわしなく左右に揺れた。どうやらビロードという名前を気に入ってくれたらしい。
多分。おそらく。きっと。メイビー。
自然と、僕の頬は緩む。
こうやって焚き火だけが照らす夜闇の中で誰かと話せることが、すごく幸せなことに感じられた。
いつまでもこうしていたい。そう思った。
( ^ω^)「……よければ一緒に旅をするかお?
どこに行くかもわからない、あてのない旅だけど」
( ><)「わかんないです!」
即座に返された答え。激しく振られる尻尾。
ジッと見つめてくる、開いているのか閉じているのかわからないビロードの目。
なぜ彼は僕についてくるのか?
毛皮をまとった僕を親だとでも思っているのか、はたまた別の理由からか。
動物の言葉が分かればよかったのだが、残念ながらそんなことなど出来るはずもなく。
ただ彼が僕についてきてくれると言っているらしいことだけは、僕にはなんとなく伝わった。
焚き火を消して床に就いた。そばで丸まるビロードの体温が心地よかった。
こうして、僕とビロードの一人と一匹旅ははじまった。
深く降り積もった雪。季節は冬の真っ只中へと向かっていた。
しかも山の中ときたもんだ。気温はバカみたいに低く、風は肌を刺すほどに痛く、冷たい。
――はずだった。
( ^ω^)「おっおっお。毛皮であったかいお」
( ><)「わかんないです!」
けれども超繊維の服の上に原色の羽織、
さらに毛皮を着込んだ僕には、その寒さも特別厳しいものには感じられなかった。
雪に埋もれた足元も、靴に入れておいた香辛料のおかげでポカポカだった。
北へ。
受け継いだ石ヤリを杖代わりに、真っ白に染まった山の上を、
銀色の毛皮をまとった一人と一匹が歩いていく。
その道中、ひとつだけ集落を見つけたが、手痛く門前払いを受けてしまった。
獣を連れた毛皮の男など、彼らにとっては脅威の対象以外の何者でもなかったのだろう。
ただ、どうにか頼み込んで食料や香辛料、その種などを分けてもらえていたことだけは幸いした。
冬の寒さも最高潮に達し、山中を頻繁に吹雪が襲うようになっていたからだ。
( ^ω^)「しばらくはここで足止めだお。
せっかくの機会だし、春が来るまでのんびり休むお」
( ><)「わかんないです!」
適当な穴倉を見つけ、冬眠するかのようにその後の冬をそこで過ごした。
その間、焚き火の光で旧世界の書物を読み返したり、滅多に使うことのない銃の手入れをしたり、
石ヤリを振り回したり、ビロードと戯れたり。
たまの晴れ間には薪に使えそうな木のきれっぱしを集めたり、ビロードと一緒に小動物を狩ったり。
やがて、食料が内藤ホライゾンの開発した一粒で三日分腹の膨れる夢の錠剤だけになった頃、
長かった冬がようやく明けた。
心なしか暖かくなった日差し。
雪解け水の緩やかな流れとともに、僕たちは山の斜面をのんびり下っていった。
一冬をかけたロッキー山脈越えもやっと終わり、
僕とビロードは短い春の平野の彩りの中を、ゆっくりと北上した。
なぜ、北だったのか?
あの村を発つとき風が北に向かっていたという理由もある。
しかしそれ以上に、北に向かえば自然と死ねるだろうと、
そんな死への憧れが一番の理由だったように思える。
僕に残されていた仕事は死ぬことだけ。
だから、いかにして死ぬか。
出来れば道半ば、野垂れ死ぬのがベストだ。
旅の目的は、それに終始していた。
しかしそんな僕の想いなど知る由もなく、
傍らを歩くビロードはうれしそうに尻尾を振わせながら舞う鳥や蝶を追いかけたり、
いなくなったかと思えば小動物を口にくわえてひょっこり戻ってきたり。
( ^ω^)「おっおっお。ビロードがいるから、僕は当分死ねそうにないお」
( ><)「わかんないです!」
夜、焚き火を囲んで肉を食した。
一冬を越えて大人に近づきつつあるビロード。すっかり体も大きくなった。
赤い炎に照らされた、愛らしさの中に精悍さが混じりつつある彼の顔を見て、
「ビロードが死ぬまでは生きてみようかな」
なんて、そんなことを僕は考え始めていたり。
そして、ビロードの狩りの腕もめっぽう上がってきていた春の終わり、
僕たちは地平線の先にとある集落を見つけ、立ち寄ることにした。
その集落はエスキモーの子孫たちのものだった。
なぜ彼らは生き延びているのか?
立ち並ぶテントの群れへと迎いながら、なんとなく考えを巡らせてみた。
千年前から厳しい気候の中で生活していた彼ら。
一時の核の冬も、彼らの祖先にとっては想定以上に厳しいものではなかったのかもしれない。
適当な推察に納得しながら、彼らの集落に足を踏み入れた。
知識の中からエスキモーの言語を探し出し、拙いながらも会話を試みてみる。
幸いなことにこれが結構通じてくれた。天才内藤ホライゾンの知識に感謝しつつ、会話を重ねる。
移動性の生活を送る彼らは、捕鯨を行うため西海岸に向かって移動している最中だという。
捕鯨に対する単純な興味、
そして肉を分けてもらえるかもしれないという打算から同行をお願いすれば、彼らは快く許可してくれた。
もっとも、彼らの快諾も人手が増えるなどの打算からきていたのかもしれないが。
(;^ω^)「ふひー! こりゃしんどいお!」
(;><)「わかんないです!」
事実、僕らは散々こき使われたが、結局はお互い様なので気にはならなかった。
そんなこんなで西海岸へ移動を続ける最中。
せっかくだから贈り物としての勤めを果たそうと、僕は旧世界の技術や知識を彼らに教えてみたりもした。
しかし彼らに一番喜ばれたのは旧世界の技術や知識ではなく、
冬に立ち寄った村で分けてもらっていた香辛料の残りと、その使い方、そしてその種だった。
( ^ω^)「この世界にはこの世界の贈り物が一番喜ばれるみたいだお。
やっぱり僕には、贈り物としての価値はもう無いみたいだお」
( ><)「わかんないです! わかんないです!」
( ^ω^)「おっおっお。別に落ち込んじゃいないお。でもありがとうだお、ビロード」
そして、もうひとつ喜ばれたものがある。
西海岸へたどり着き、捕鯨に同行した際に使用した、ドクオの石ヤリ。
エスキモーたちのものよりはるかに切れ味鋭いそれと香辛料の種を、
彼らは執拗に譲ってくれと頼んできた。
(;^ω^)「種は別にいいけど、石ヤリは大切な友人から譲り受けたものなので……」
けれど、テントや犬そり用のそり、鯨の肉、
靴や帽子や手袋と引き換えだと言われれば大いに迷った。
これからも北上を続ける僕たちにとって、それらはどんなものより心強い味方となるからだ。
(;^ω^)「う〜ん……どうしたもんかお……」
( ><)「わかんないです! わかんないです!」
( ^ω^)「……そうだおね。今後のことはわからんお。ま、背に腹は変えられんお」
散々迷いに迷ったが、しきりにじゃれ付いてくるビロードの顔を見て、決心した。
ドクオの石ヤリを手放そう、と。
死ぬこと以外に目的の無い僕だけど、
生きている以上は生き続ける最善のことをしなければならない。
何より今、僕の隣にはビロードがいる。
彼を無下に殺すわけにはいかないし、
僕だけが死ぬことで、彼を内藤ホライゾンやあの女のように独りにするわけにもいかない。
ドクオだって、きっと許してくれるさ。
( ^ω^)「色々とお世話になりましたお。これからもどうぞお元気でだお」
( ><)「わかんないです! わかんないです!」
短い夏も半分が過ぎ、
今度は東へと移動するというエスキモーたちとお別れする日がやってきた。
石ヤリと引き換えに得た荷物をそりの上に載せ、僕たちはまた北へと歩き出す。
――大きな誤算とともに。
(;^ω^)「そり重てぇwwww雪がなけりゃ単なるお荷物だおwwwwwww」
(;><)「わかんないですwwwwwwwwwww」
むき出しの地面の上では、そりはとっても重かった。
それから雪が降り積もるまで、僕は重いそりを引きずりながらのんびりと北を目指した。
雪が降り始めれば、ビロードに荷物を積んだそりを引かせて歩いて。
斜面があれば、ビロードと一緒にそりに乗って滑り降りて。
そして一年半以上を歩き通した二年目の冬の終わり、
僕たちはこうやって北アメリカの西端で凍りついた海を眺めている。
( ^ω^)「ここまで来るのに色々あったお。生きてるのが不思議なくらいだお」
( ><)「わかんないです!」
( ^ω^)「おっおっお。本当だお。どうして生きていられてるのか、全然わかんないお。
それじゃ、生きてるついでにユーラシアまで行っとくかお?」
( ><)「わかんないです!」
ビロードの鳴き声が海峡に響いて。
それから僕たちは岬を下り、氷上の先、
遥かなるユーラシア大陸へ向けて、そりを引きずり歩き始めた。
― 2 ―
氷に閉ざされたベーリング海峡の上を、一人と一匹が渡ってゆく。
季節は晩冬。寒さが去りゆく時期ではあるが、
それでも空気が身を凍えさせる冷たさを含んでいるのに変わりはない。
それなのに僕は、大した寒さを感じなかった。ビロードはどうなのかわからないが。
それはビロードの両親の毛皮のおかげでもなければ、
エスキモーたちに貰った防寒具のおかげでもない。
周囲に広がる「色」のおかげだった。
滑らかな氷上の大地は、空の青さを反射する。
吐く息の白はまるで雲のよう。ゆるゆると中空を漂い、そして静かに消えていく。
行方を追って周囲を見渡せば、上下左右、僕とビロードを包む世界はどこまでも淡い空の色。
空中に浮いているかのような感覚。
もしかして僕は、今、地上の空を歩いているのだろうか?
ガリガリと氷上を削るそりの音がしなければ、
僕はそんな錯覚に惑わされ、自分が歩いていることを自覚できなかったに違いない。
( ^ω^)「まるでおとぎ話の世界だお」
( ><)「わかんないです!」
もっとも、千年後の今に僕がいること自体おとぎの世界の話なのだが、
銀盤の上の光景はその事実さえ忘れさせるほどに神秘的で、きらびやかで、それでいて幻想的だった。
夢のようなひと時はまどろみのように過ぎ去り、間もなく僕たちは対岸へと到着する。
ユーラシア大陸の東端、チェコト半島デジニョフ岬。
踏みしめたツンドラの大地は固く、あたりに生き物の姿はまったく無く、植物の姿さえまばらにしか見当たらない。
そして目の前に広がるのは、真白に染まった険しいチェコト山脈。
( ^ω^)「おっおっお。あれを越えるしかなさそうだお」
適当な平地にテントを立て、春先に連なる山々の頂を眺め、
そりに乗せた超繊維の袋から錠剤を取り出してビロードに一粒やり、僕もまたそれを飲み込む。
味気は全くないが、腹は一気に膨れる。
少し苦しいまでに膨らんだ胃から空気が押し出され、げっぷが漏れる。
しかし、それさえもツンドラの空気は白く染め上げてしまう。
春の入りだというのに、それほどまでにここは寒い。
さらにその先、山脈の上の冷たさは想像を絶するものだろう。
( ^ω^)「こりゃさすがに死ねるお。なあ、ビロード?」
( ><)「……げっぷ」
( ^ω^)「……」
(*><)「わ、わかんないです!」
自分の死期をそれなりに自覚しながら、久しぶりに真剣な顔で話しかけてみた。
それなのに返ってきた答えはげっぷ。
おまけに、そのあとにはビロードのはにかんだような鳴き声。
可笑しくてたまらなかった。
( ^ω^)「おっおっおwwwwwwwwwww」
(;><)「わ、わかんないです! わかんないです!」
もちろん、犬がはにかむはずがない。あくまでそれは僕の主観にすぎないのではあるが、
さらに照れ隠しのように吠えまくるビロードの声を聞いて、笑いをこらえることなど出来るはずがなかった。
楽しいから、笑いが出た。
笑いが出たから、気持ちが前向きになった。
( ^ω^)「僕たちはアラスカの冬を越えたんだお。ここもきっと越えられるお」
( ><)「わかんないです! わかんないです!」
まだまだ僕は死ねそうにない。漠然とそんなことを思った、ユーラシア大陸最初の日。
それからの二年半に特筆して語るべきことはない。
ただひたすらに内陸へ向けて歩き続けるだけの日々。
内陸を目指したのに特別な理由はなかった。
ただ、風の吹くまま、気の向くまま。河の流れをたどっているうちに、内陸へと進んでいた。
生きるため。あえて挙げるとすれば、それだけが理由だろう。
この二年半で、人と出会うことは一度もなかった。
僕が人のいる土地を通らなかっただけなのか、それとも単にこの地方に人が住んでいなかっただけなのか。
理由は定かではない。
それでも僕たちは、何とか日々を歩き続けた。
内陸のレナ川と合流するまでの二年間。
レナ川の流れをさかのぼって南下した半年間。
特にレナ川と合流するまでの、
ユーラシア東北部の険しい山々を越える中で迎えた、合計で一年以上にもなる厳しい冬。
立つことすらままならない吹雪が幾度も行く手を阻む道のりの中で、僕は何度も死を覚悟した。
けれど必死に生き延びようと、穴倉の中にテントを張り、たき火の頼りない炎の中でビロードとじっと身を寄せ合った。
( ^ω^)「ビロード、こっちにくるお」
( ><)「わかんないです!」
(*^ω^)「ビロードの体、すごく……あったかいです……」
(*><)「わかんない……です……」
千年前の世界よりさらに昔。
厳しい冬を越えるため、一部の地域では「犬貸し」という職業が存在していたらしい。
冷える冬の夜。家もない浮浪者たちは、
暖を取るため金を出して彼らから犬を借り、丸まりながら抱いて寝たそうだ。
その事実を裏付けるように抱いたビロードの体は温かくて、彼がいなければ僕は本当に凍え死んでいたことだろう。
どちらにしても、僕とビロードは当初の予感通りに生きており、
川で獲れる魚、わずかな小動物の肉、ツンドラの大地に夏の間実るベリー類を保存食としたもの、
そして千年前の錠剤を命の糧とし、ユーラシア北東部の厳しいツンドラ地帯を歩きぬいた。
しかし、あくまで非常食としか認識していなかった千年前の錠剤は常食同然となって確実に減っていき、
内陸のレナ川と合流したユーラシアで迎える三度目の春、ついにそれは底をついてしまう。
それからの半年間、
僕たちの歩くレナ川周辺は高原だったため、食糧補給は幾分かマシになっていたとはいえ、
頼るべき食料は相変わらずの川魚か、ビロードがたまに狩ってくる小動物の肉、
まばらに生る果実、そして植物の新芽――これが意外に美味しい――くらいのものだった。
やがて、ユーラシアで迎える三度目の短い夏も過ぎ去る。
木々は枯れ、動物たちも冬眠に入り始める冬の入り、僕もビロードも慢性的な空腹に悩まされるようになり、
ついに僕はそりを引くことさえままならなくなる。
(ヽ^ω^)「……これはここで燃やしていくお」
(ヽ><)「……わかんないです」
この頃の僕は歩くのも精いっぱいで、
テントなど生活必需品を運ぶそりは、ビロードに引いてもらうしかなかった。
しかし、痩せて毛までガサガサになってしまっていたビロードにだけ
重いそりを引かせるのはなんとも心苦しく、せめてもの手助けにと、とある夜、
僕はそりに積んでいた旧世界の書物をすべて燃やすことにした。
(ヽ^ω^)「これで千年前のものは超繊維と銃だけになっちゃったお。
僕の贈り物としての意義も、これで本当に無くなってしまった気がするお」
旅の指南書、あまたの技術書。音を立てることなく燃えていく千年前の書物たち。
もっとも、その中身はあの村を出て以降飽きるほど読み返してきたから、
一言一句とまではいかないまでも頭の中には入っていた。
例えば、書物の中のひとつにあった世界各地の詳細な地図。
穴が開くほどに読み返したそれは、今ではすっかり脳に焼き付いてしまっている。
だから僕が生きている限り、過去の技術をこの世界に生きる人々に伝えることはまだまだ可能だ。
けれどそれらはもう、僕の頭の中に情報としてしか存在していない。
書物として、物体としての存在の確かさは炎とともに失われたのであり、
その事実が、僕をしてそんな感傷的なことを思わせたのかもしれない。
(ヽ^ω^)「……内藤ホライゾン。あんたはどう思うかお?」
(ヽ><)「わかんないです!」
凍てつき、乾燥し始めていた空気の中、降ってくるような星空を見上げて呟いた。
答が返ってくるはずもない問いかけに答えたのは、ビロードの鳴き声だった。
(ヽ^ω^)「……そうだおね。そんなこと、誰にもわかんないお」
(ヽ><)「わかんないです! わかんないです!」
(ヽ^ω^)「おっおっお。ビロード、ありがとうだお」
僕のそばで縮こまるビロード。
ツンドラの厳しい大地の上をともに歩いてきた、かけがえのない仲間。
見上げてきた彼の開いているのか閉じているのかわからない眼に、
なんだか救われたような気がした。
やがてたき火も消え、僕たちはテントへと戻って眠りに就いた。
翌朝起きた時には、風に吹かれたのだろう。
千年前の書物の名残は、わずかな灰を永久凍土の上にこびりつかせる程度で、
そのほとんどが地平線の彼方へと消えてしまっていた。
それからの数週間、空腹と疲れで朦朧とする意識の中、
拾った木の枝を杖代わりに、僕はひたすらに歩き続けた。
レナ川の水をたらふく胃に詰め込んで空腹をごまかし、
わずかな食料を腹に入れ、倒れこむまで歩き続けた。
しかし、ついに限界は来る。
体重をかけ続けた杖代わりの木の枝が折れ、僕は前のめりに地面へと倒れる。
それきり僕は、立ち上がれなくなってしまった。
(ヽ><)「わかんないです! わかんないです!」
(ヽ^ω^)「お……ビロード……すまんお……僕はもう……ダメみたいだお……」
初冬の空の下。
頬に触れた永久に溶けるはずのない凍った土は、なぜかほのかに温かかった。
そう感じられたのはおそらく、僕の体温がそれほどまでに冷え切っていたからだろう。
視界がかすんでいく。
そばで鳴いているはずのビロードの声が遠のいていく。
ああ、僕はここで死ぬのだ。
これまで僕は、どれほどの道のりを歩いてきたのだろうか?
ともかく僕は、ようやくここで死ねるのだ。
贈り物としての意義を果たしてなお、ドクオに、ギコに、「生きろ」と言われた。
だから生き続けた。死ぬことを望みながら、
それでも彼らの言葉に従って、生きるための最善のことをし続けてきたと思う。
ただひとつ、ビロードを食して生き伸びるという手段が残されてはいるが、
そればっかりはどうしても出来ない。
しかし、たとえそれを差し引いたとしても、
僕は十分に生きる努力をしてきただろう? 義務を果たそうとしてきただろう?
それでも力及ばなかったのだから、もうこの辺で勘弁してやってくれ
(ヽ^ω^)「……雪……だお」
うつぶせのまま、凍土に頬を付けていた僕の視線の先で、今季初めての雪が舞っていた。
ユーラシアで過ごした二年半でもっとも降り始めの遅い、はらはらと舞う三度目の初雪。訪れた冬の唄。
彼らは、僕が野垂れ死ぬのを待っていてくれたのだろうか?
どうであったとしても、これほど粋なレクイエムもそうそうないだろう。
(ヽ^ω^)「おっおっお……悪くない最期だお……」
視覚が機能しなくなったのか、それとも重い瞼が閉じてしまっただけなのか。
自らのつぶやきを合図に、僕の視界は黒に染まる。
ビロードの声も聞こえなくなった。おそらく聴覚が潰れたのだろう。
だからきっと、目の前が暗いのも視覚が潰れたからに違いない。
ダカラキット、ボクハ、ココデ、シネル。
「わかんないです! わかんないです!」
「これは大変だ。急いで僕のテントへ」
「ちんぽっぽ!」
最後の最後、機能していないはずの耳にいくつかの声が入ってきた。
だけど、それは僕の幻聴にすぎなかったはずだ。
だって、こんなツンドラの大地に人がいるはずなどないから。
僕の頬にまた何かが触れた気がした。
それは雪と違い、とてもとても温かかった。
そして、僕の意識は途切れた。
― 3 ―
意識が途切れてなお、僕は歩いていた。
朝日を受け銀色に輝く雪の上に足跡を残し、
太陽に照らされた赤土だけの広大な大地を通り過ぎ、
夕焼けにけぶる草原の中を渡り、真っ暗な森の中を駆け抜け、
降ってきそうな星空を見上げる。
見上げた夜空から顔を戻せば、あたりは一面、空色を反射した氷の世界。
すぐそばには隆起した氷山があって、その壁面には僕の姿が映っている。
いや、氷の中に囚われている。
その中で眠っているかのように目をつむっていた僕の姿は、パッと目を見開くと、僕を捉えてにやりと笑った。
そして僕に問いかける。
( ^ω^)「君はいったい、どこまで歩く?」
どこまで? 目的地なんてないよ。居場所がないから歩き続けてきただけだ。
( ^ω^)「なら君は、居場所を求めて歩き続けているのかお?」
そんなことはない。あえて言うなら、死に場所を求めて、かな。
( ^ω^)「死ぬため? 馬鹿言っちゃいけないお。死ぬ事を目的とする生き物なんていないお。
生き物は、生き続けるために生きている。あるいは、種を保全するために生きている。
死はその延長線上にあるに過ぎない。
それ以前に、人間以外の生き物には死という概念すら存在しないお」
それは人間の主観に拠った身勝手な理論に過ぎない。
証拠はあるのか? すべての生き物がそう答えたとでも言うのか?
それ以前に、死こそが生の帰着点だと謳った哲学者は現にいた。
( ^ω^)「くだらない能書きを垂れている暇があったら、僕の質問に答えてくれお。
どんな言葉で着飾ろうと、生き物は本質として前に進むために生きている。
人間だって同じだお。その先に何かを求めて歩いている。
そして君だって同じだお。内藤ホライゾン」
内藤ホライゾン? 何を言っている?
僕は彼じゃない。僕はお前じゃない。僕とお前は別の意識だ。
けれども氷の中の彼は、ベーリング海峡の氷面に映った僕のものと全く笑みを浮かべて、
続けざまに問いを投げかけてくる。
( ^ω^)「なあ、君はいったい、どこまで歩く? 何を求めて、君は歩く?
今はまだ答えられないようだおね。答えに気がついたら、またここに来るといいお」
途端、足もとの氷は割れ、僕は何度目かの現実へと落ちていった。
(´・ω・`)「やあ、目覚めたかい? 死んでしまったのではないかと心配したよ」
低い声色に、間延びした一音一音が妙に連なった言葉。
ロシア語か。
言語野の認識から即座に意味の汲み取り体系を変更した僕は、
見上げていた鋭角状のテントらしき天井から目を移し、そばに座る男の顔を見上げた。
(´・ω・`)「飲みたまえ。体が温まる」
差し出された皿は湯気をたゆらせる液体で満たされており、
香ばしい匂いを放つそれを受け取ると、無我霧中で僕はすすった。
酸味の聞いたスープとしなびたキャベツ。ロシア料理のシチーに近いもののようだ。
すぐに中身をたいらげた僕は、活動しだした胃がさらなる食物を欲しがる声を聞いて
ようやく自分が生きていることを認識しつつ、起き上がって遅めの礼を彼にかける。
( ^ω^)「助かりましたお。ありがとうございますお」
(´・ω・`)「いやなに、旅は助け合いだよ。気にすることはない。
それよりかなり衰弱していたようだからね。もう少し横になっていたほうがいい」
彫りの深いしょぼくれた眉毛の大男は、頬の無精ひげをじょりじょりと撫でながら、
つぶらな瞳を三日月形に歪めると、僕の体に毛布をかけてくれた。
(´・ω・`)「どれ、もう一杯持ってきてあげよう」
( ^ω^)「すみませんお」
男は皿を受け取ると、テントの外へと姿を消した。
しんと静まり返ったテント内で横になりながらあたりを見渡すと、
中には乱雑に置かれた毛布や食器類のほかには、
画板と思しき四角い板と、いくつかの筆しか見当たらなかった。
彼は絵描きなのだろうか?
そんなことを考えながら耳を澄ますと、外からは聞き覚えのあるビロードの鳴き声と、
聞き覚えのない、別の犬らしき鳴き声が交互に聞こえた。
どうやらビロードも無事だったらしい。
ほっと一息入れていると、あの男が湯気の立った皿を手に戻ってきた。
(´・ω・`)「やれやれ、君の愛犬は僕のちんぽっぽに夢中なようだ」
(;^ω^)「僕の……ちんぽ……?」
(´・ω・`)「ははは。何か誤解しているようだね。
違うよ、ちんぽっぽだ。僕の愛犬、旅のパートナーの名前さ」
( ^ω^)「お、おお……そうなんですかお」
それからまた夢中でシチーをすすり、腹が満たされて一息ついた。
文字通り生き返った感じがする。
腹の落ち着きとともに気持ちも落ち着き、冷静さも戻ってきて、
僕はようやく、現状について尋ねることを思い立つ。
(´・ω・`)「僕の名はウラジミール・ショボンビッチ・アダムスキー。しがない旅人さ。
ちょうどこの辺を通りかかった際、君の愛犬の遠吠えが聞こえてね。
何事かと思い駆けつけてみれば、君が倒れていた」
( ^ω^)「そうなんですかお。おかげで助かりましたお。
ありがとうございましたお、アナルスキーさん」
(´・ω・`)「うん、アダムスキーね。ショボンと呼んでくれたほうが嬉しいな。
それに、感謝なら彼に言いたまえ。えっと……名前はなんだったかな?」
( ^ω^)「ブーンですお」
(´・ω・`)「ブーンか、いい名だ。君は良いパートナーに恵まれたね」
( ^ω^)「あ、ブーンってのは僕の名前ですお。犬のほうはビロードです」
(´・ω・`)「あっはっは! これは失敬した! どちらにしても、君は主人想いの良い犬をお持ちだ」
ひとしきり大笑いしたショボンさん。
その口元には、大きな笑いじわが刻まれていた。
よくよく見れば、目もとにもいくつかの小じわが刻まれており、
年は四十代前後と勝手に想像された。
(´・ω・`)「それでビロード君」
( ^ω^)「ブーンですお」
(´・ω・`)「あっはっは! これはうっかり! で、ブロード君」
( ^ω^)「ブーンですお」
(´・ω・`)「あいや! 重ねて失礼! で、ビーン君」
まあ、名前を覚えるのが苦手な人はいつの時代、どこの場所にもいるものだ。
どちらにしても、快活な笑顔で声を上げる渋いロシア人の顔を前にすれば、
たとえ自分の名前を犬や剣や豆に間違えられたとしても、誰も怒る気にはなれないだろう。
なにより笑うショボンさんの顔は、ドクオの笑顔にとてもよく似ていた。
人種、体格、服装、顔の良さ、すべては全くと言っていいほど異なるのに、
ショボンさんの雰囲気だけは、ドクオのそれと不気味なまでに酷似していた。
だから、僕の警戒心も否応なしに薄れていく。懐の銃に手をやることすら忘れてしまう。
(´・ω・`)「で、ビーン君。
君はあんなところで、一体全体、どうして倒れていたんだい?」
発せられたのは当然の質問。
けれど場の雰囲気に油断していた僕は、一瞬、口をつぐんでしまった。
「北アメリカ大陸から海を越えて歩いてきました」
なんて言っても、彼には到底信じられないだろう。
かといって、うまい虚偽の理由も、病み上がりの頭ではなかなか思い浮かんではくれない。
何を言うべきか思い悩んでいると、
顔を上気させたショボンさんが身を乗り出して声をかけてきた。
(´・ω・`)「もしかして、君も『神話の道』を目指して来たのかい?」
(;^ω^)「お……おお?」
(´・ω・`)「おお! そうなんだね!?
して、北に『神話の道』は続いていたのかい!?」
(;^ω^)「い、いえ……特にそういったものは……」
(;´・ω・`)「むむむ……そうか。やはりあの分岐で道を間違えたか……。
これは引き返すべきだな……」
次々とまくし立てては、ひとり勝手に悩み始めるショボンさん。
渋い中年の外見とは裏腹に、結構饒舌な人のようだ。
腕を組んで糞づまりのように「うーん」と呻くと、
気を取りなしたかのようにさっぱりとした顔をあげ、ショボンさんはまた笑った。
(´・ω・`)「いずれにしても、ここで気づけたのは非常に助かった。君を助けて正解だったよ」
( ^ω^)「お、そう言ってもらえると嬉しいですお。それで、『神話の道』って……」
(´・ω・`)「ああ、すぐそこにあるよ。行ってみるかい? 立てるかな?」
( ^ω^)「お。多分、だいじょう……」
そう言って立ち上がろうとしたのだが、
不意に立ちくらみが襲ってきて、僕は力なく地面に手をついてしまった。
ショボンさんがあわてて僕の体を支えて、心配そうな顔で僕を覗き込む。
(´・ω・`)「厳しいようだね。三日も寝ていたんだから無理もない」
(;^ω^)「お、おお……そうだったんですかお。でも大丈夫ですお……何とかなりますお……」
しかし膝をついたまま、僕の体は一向に起き上がってはくれない。
するとショボンさんは僕を背負い、肩越しに僕を見てにやりと笑う。
(´・ω・`)「いい好奇心だ。旅人はそうでなくっちゃいけない。どれ、僕が連れて行ってあげよう」
(;^ω^)「お……何から何まですみませんお」
背負われてテントから外に出ると、今日は雪が降っておらず、空は快晴の青さを存分に誇っていた。
あたりは黄土色をした広大な大地。
まばらな短草と山頂が白み始めた高い山々除けば、彩るものは他にない。
空腹のあまり朦朧としていて気付かなかったが、僕はこんな荒野の上を歩いてきたのかと、
自分が生きていることに対し、あらためて不思議さと縁のようものを感じる。
続けて、テントの付近を見た。
地面に打たれた杭とテントとの間に繋がれたロープの上で、ショボンさんのものと思しき衣類たちが天日干しにされていた。
耳垂れのついた防寒用の帽子。厚手の手袋。地味な色をした生地の厚い衣服。
冬へ入った季節の中、彼らは日の温もりを吸いつくそうと、目一杯風に揺らいでいた。
地面には燻りかけた薪と、その上に置かれた土鍋があり、中には先ほどのシチーがわずかに残っていた。
そのほか、荷物を積んだ僕のそり、ショボンさんのものらしき車輪のついた大きな台車が無造作に置かれている。
改めてテントを見上げてみれば、それはモンゴルのゲルを小型化したようなしっかりとした造りをしていた。
これらの荷物を見る限り、ショボンさんは正真正銘の旅人、それもベテランと言って良い程の位のようだ。
広大なユーラシアでこんな人に拾われるとは、自分の運の強さに呆れすら覚えてしまう
( ^ω^)「こりゃ……当分死ねそうにないお」
(´・ω・`)「ん? 何か言ったかい?」
( ^ω^)「おっおっお。独り言ですお」
(´・ω・`)「なんだ。独り言か」
背中の上の死に体のつぶやきが聞こえていたのかどうかはわからないが、
ショボンさんはそれ以上何も言わなかった。
かわりに僕の姿を見つけたらしいビロードが、黄土色の大地を駆けて僕のもとに馳せ参じてくる。
(*><)「わかんないです! わかんないです!」
( ^ω^)「おっおっお。僕は大丈夫だお」
千切れんばかりにしっぽを振りしだき、
ショボンさんの体をよじ登って僕の顔をなめようとするビロード。
懐っこい彼に頬を緩めていると、もうひとつ、別の鳴き声が聞こえてきた。
(*'ω' *)「ちんぽっぽ!」
(´・ω・`)「ちんぽっぽ。ちょっと出かけてくるから、留守を頼むよ?」
(*'ω' *)「ちんぽっぽちんぽっぽ!」
ビロードとおなじ銀色の体毛をした、猫のような顔の犬だった。
体つきはシベリアンハスキーに似ていたが、それより一回りほど体が大きい。
狼に近いビロードと差のない体つきをしている。
突然変異か、千年の間にこの世界に適応した結果そうなったのか。
どちらにせよ、ちんぽっぽという名前はいかがなものか?
(´・ω・`)「はっはっは! 可笑しな名だろう?
しかし、娘が付けたものでね。変える気にはならんのだよ」
( ^ω^)「そうなんですかお」
(´・ω・`)「それよりビーン君。『ペットは飼い主に似る』、という言葉をご存じかな?」
( ^ω^)「ブーンですお。知ってますお。で、それがどうしたんですかお?」
(´・ω・`)「いやね。あれを見たまえ」
テントからしばらく歩いてそう言うと、ショボンさんはもと来たテントに向け、
くるりを百八十度、身を翻した。
彼の肩越しからちんぽっぽの背面にのしかかろうとするビロードの姿が見えて、
僕は情けなくなって溜息をひとつ漏らした。
(´・ω・`)「会って間もないというのに、毎日のようにビロード君はちんぽっぽに跨ろうとしていてね。
彼はなかなかの好色家みたいだ。ということは、君もなのかな?」
(;^ω^)「馬鹿言わないでくださいお。でも、うちの馬鹿がご迷惑おかけしてすみませんお……」
(´・ω・`)「はっはっは! なーに、気にすることはない。
うちのちんぽっぽも飼い主に似てるんだ。特に私の嫁にね。ほら、見てごらん?」
するとちんぽっぽは、背中に跨ったビロードを後ろ足で見事に蹴り飛ばしてしまった。
クリーンヒットを頂戴したビロードは、地面で二度バウンドすると、仰向けのままそれきりしばらく動かなくなった。
倒されてなお彼の股間でそそり立っていた陰茎が、彼の哀れさをさらに掻き立ててくれていた。
(´・ω・`)「ね?」
(;^ω^)「……おっおっお」
もはや情けなさも通り越した僕は、笑ってごまかすことしか出来なかった。
それから半日近く、ショボンさんに背負われたまま南へと下った。
すぐそばと言っていたにもかかわらず、結構な道のり。
そんな道中でも僕を背負ってなお息一つ荒らげないあたり、ショボンさんは相当に旅慣れしているようだ。
あたりは相変わらずの黄土色と、頂に雪帽子をかぶった山々ばかり。
風景に色どりを添えるべき草木も、まばらにしか存在しない。
もともと生命の息吹からは程遠い土地柄だが、
それ以上にここもまた、千年前の戦争の影響をいまだに引きずっているらしい。
( ^ω^)「痩せた土地ですおね」
(´・ω・`)「ここらあたりは、ね。
しかし神話の道沿いの大地はまだ肥沃な方だから、まあ安心したまえ」
( ^ω^)「……そうですかお」
神話の道、か。
ショボンさんの早合点のおかげで僕は神話の道を目指してきた旅人になっており、
そのため旅の理由について無駄な説明を省くことができているのだが、
「神話の道とは何か」を聞けないでいることには、正直やっかみを隠せない。
探究心の豊富な天才の脳みそを共有している身としては、これはなかなかにつらいことだ。
( ^ω^)(ドクオの村では探究心を押しとどめられたのに……なんでだお?)
死に際の、内藤ホライゾンとの邂逅。
そのせいで、一時的に僕の意識と彼の意識がシンクロしているとでもいうのだろうか?
それ以前に、内藤ホライゾンの意識は本当にこの体の中に存在しているのだろうか?
おそらく、彼の意識は存在しているだろう。
死に際の夢の中、氷山に囚われていた彼の姿は、彼の存在を証明する何よりの証拠だ。
では、彼が存在しているのだとしたら、どうして彼の意識は表に出てこようとしない?
(´・ω・`)「着いたよ」
( ^ω^)「お?」
疑問はショボンさんの言葉に遮られ、それ以上の驚きを前に風化してしまうことになる。
(´・ω・`)「ほら、あれが神話の道だ」
前を指さしたショボンさん。
そこはこれまでと違い、丈の長い雑草がひしめいていた。
違いといえばそれだけ。この雑草たちのどこを「神話の道」と呼ぶべきなのだろう?
(´・ω・`)「違うよ。もっと目を凝らしてよく見てごらん?」
( ^ω^)「……お?」
言葉どおりによくよく眼を凝らしてみると、
長い雑草に隠れるようにして、四角い人工物のような物体が目に入った。
( ^ω^)「屋根……かお?」
ショボンさんに背負われたまま黄土色の大地を進めば、雑草地帯が確実に目の前へと迫ってくる。
それに伴い、隠れた物体の正体が徐々にわかり始める。
四角い屋根。その下付近に、同じように角形をした物体が見える。
(;^ω^)「プラットホーム……? そんな馬鹿な……」
雑草地帯の境目に入って、はっきりとわかった。
目の前にあるのは、ホームと、その屋根。
雑草の中に隠されていたのは、紛れもない廃駅の姿だ。
(;^ω^)「ちょっ! 降ろしてくださいお!」
(´・ω・`)「かまわないが……大丈夫かい? ベーン君」
あるはずのない光景を前にして、僕は立ちくらみさえ覚えてしまう。
ショボンさんの間違いと気遣いに言葉を返すことすら忘れ、
それでも僕は地面に足をつけると、力の戻りきらない体で雑草地帯を掻き分けて必死に走った。
目の覚めるような緑の中、単子葉類の直葉に皮膚をわずかに割かれながらたどり着くと、
損傷はひどいものの、そこにはまごうことなきかつて駅と呼ばれていた廃屋の姿が。
(;^ω^)「千年経っても残っているのかお……。で、ここの駅名は……」
何とか驚きを押しとどめて、地面からプラットホームによじ登り、駅看板を探してみた。
間もなく、ホーム中に転がっていた四角い板を見つけることに成功した。
拾い上げてみれば、そのほとんどは雪や雨やらで風化していてボロボロだったが、
かろうじて地名を類推できるだけの文字は遺ってくれていた。
(;^ω^)「……ルカ……ト?」
何とか解読できたのはこれだけ。
ここからかつての知識を呼び起こし、合致する地名を導き出す。
現在地はロシア東部、レナ川付近。そして、駅の所在地。
以上の条件で「ルカト」を含む地名はあるか?
(;^ω^)「ベ……ルカ……キ……ト……」
あった。ベルカキトだ。
ロシア東部、第二シベリア鉄道と呼ばれた、バム鉄道最北端の駅名。
(;^ω^)「……ということは」
ホームから見下ろしてみれば、そこには予想通り、なぎ倒された雑草に埋もれた
――雑草は、ショボンさんがここに来る際に倒していったのだろう
――並行した二本の錆びついた鉄の棒があった。
(;^ω^)「……線路だお」
錆びつき、枕木は朽ち果て、その合間から雑草が見え隠れしているが、
そこにあるのは紛れもなく線路だ。
遥かなるシベリア鉄道。
なるほど。「神話の道」の正体はこれか。
ホームから飛び降りてその先に目をやる。
線路は両脇を雑草に挟まれ、まるでそれらに守られるようにして地面に敷かれており、
どこまでもどこまでも、延々と続いているように見えた。
(;^ω^)「これが神話の道かお……それじゃ、この先には……」
(´・ω・`)「どうだね? 見事なものだと思わんかね?」
立ち尽くすだけの僕の傍らに、いつの間に現れたのだろうか、ショボンさんの姿があった。
彼は太い両腕を腰に当て、白みの混じった無精ひげを銀色に輝かせながら、後ろでくくった長髪を風になびかせていた。
わが子を愛しむように目を細め線路の先を見つめていた彼は、
顔に苦笑を浮かべると、罰が悪そうに頭をかきながら僕を見る。
(´・ω・`)「いやはや、この道を辿って行く途中でいくつか分岐があってね。
適当に選んできたらこんなところに辿りついてしまった。
しかし、道が途切れていたところは他にもいくつかあってね。その時は、歩いていけばまた道と合流できた。
今回もその類いかと思いあそこまで歩いてみたのだが、いっこうに道とは合流できなくてね。
いい加減引き返そうかと考えていた時、倒れている君を見つけたんだよ」
それから豪快に笑ったショボンさんの顔に、僕はドクオの面影を重ねることさえも忘れ、
目の前の疑問に言葉を紡いだ。
(;^ω^)「ショボンさん……あなたの目指している場所っていうのは……?」
(´・ω・`)「ん? 君の村には伝わっていないのかい?
僕の村、ウラジオストクには伝わっていたのだがね?」
(;^ω^)「ええ……まあ……」
ウラジオストク。シベリア鉄道最東端の駅名だ。
戦争の発端地である某国とさして離れていない場所にはあったが、
立ち並ぶ鉱山の群れの守られたのか、未だに現存していたらしい。
となると、もはや「神話の道」の先は一つしか考えられない。
(´・ω・`)「ふむ……不思議な話だ。
途中で立ち寄った村々には必ず伝わっていたのだが……まあいい」
顎鬚を指でなぞりながら訝しげに僕の顔を眺めた後、ショボンさんは再び神話の道へと視線を移した。
そして視線をそのままに、僕が思い浮かべた地名とわずかに異なった名前を、彼は口にした。
(´・ω・`)「神の国、もすかうだよ」
― 4 ―
ベルカキト廃駅から戻り、数日静養した。
幸いなことにその数日は天候にも恵まれ、初冬にしては比較的暖かな日が続き、
僕の体力も滞りないまでに戻っていった。
その間、ちんぽっぽとビロードに狩りをさせていたらしいショボンさんは
――もっとも、ビロードはただちんぽっぽの尻を追いかけるついでに狩りをしていただけらしいのだが
――二匹が狩ってきた小動物の肉を手際よく塩樽に入れ、保存食として蓄えていた。
(´・ω・`)「ビロード君とちんぽっぽのコンビはなかなかのようだ。
おかげでいつもより多くの肉が手に入ったよ。
もっとも、ビロード君はすっかりちんぽっぽの尻に敷かれてしまっているようだがね」
ショボンさんとともに、焼かれた肉をテントで食す。
それはこれまで僕が何度か食したことのある小動物の肉らしいのだが、
味は全くと言っていいほど異なり、臭みもなければ肉も硬くない、
絶妙な味付けに彩られた非常に美味な代物だった。
( ^ω^)「どんな生き物も、女の方が強いもんですお」
(´・ω・`)「あっはっは! まさにその通りだ!」
世界の終わりを前にしても笑って希望を語った女。
五年の孤独に耐え続けた女。
極上な焼き加減の肉に舌鼓を打ちつつ、二人のことを思い出して床の上から呟いた僕の言葉を受け、
ショボンさんは顔を笑いに崩しながら腹を抱えた。
(´・ω・`)「僕も嫁には頭が上がらなかったものさ。
娘も嫁の気性を受け継いでいてね。ちんぽっぽもあの調子だろ?
そう考えると、家族の中で一番弱かったのは僕じゃなかったのかな?」
( ^ω^)「おっおっお。そうなんですかお」
何気ない顔で笑い返した僕だったが、それ以上、彼の家族について尋ねることはしなかった。
ショボンさんの語る家族の話はすべて過去形だったし、
現にショボンさんはちんぽっぽとともに一人で旅をしている。
それだけで彼の家族がもうこの世にいないか、
もしくは何らかの理由で別れたということを推察するには十分だったからだ。
やがて、僕の体力も戻りきって間もなく。
旅の準備を整え始めたショボンさんは、もと来た道を戻っていくと言った。
(´・ω・`)「もうすぐ冬も本番に入る。
本来なら春が来るまで寒さをしのげる場所に定住すべきなのだがね。
ここは平地で木も穴倉もないから、雪や風による寒さをもろに受けてしまう。
一度引き返し、神話の道沿いに適当な場所を探すことにするよ」
( ^ω^)「そうですかお」
手慣れた手つきでテントをたたみ、無駄なスペースを残さないよう台車に荷物を積んでいくショボンさん。
僕も同じように自分のそりへ荷物を積んでいたのだが、
千年前の書物を燃やして以来、積み荷の量は圧倒的に少なくなっていたため作業はすぐさま終わってしまい、
あとはそりの縁に腰かけて、ショボンさんの作業をのんびり眺めることくらいしかすることがなかった。
手持ち無沙汰にショボンさんの作業を手伝おうともしたのだが、
(´・ω・`)「病み上がりの君に無理はさせられない。気持ちだけありがたく受け取っておくよ」
そう言って、ショボンさんは穏やかに笑うだけだった。
何もすることのない僕は、そりの上でボーっと、
遠くでじゃれあっているビロードとちんぽっぽを眺めることにした。
相変わらず積極的なアプローチをかけるビロード。
そんな彼に、強烈な後ろ蹴りをかますちんぽっぽ。
バイオレンスに満ちていながら、なぜか二人の間には親近感が漂っていて、
( ^ω^)「いいコンビじゃないかお」
なんて、思わず呟いてしまっていた。
その後、荷物の積み込みを終えたショボンさんが額の汗を軽く拭った。
頃合いかと思い、僕は彼に声をかける。
( ^ω^)「ショボンさん。僕も一緒に連れて行ってくれませんかお?」
死ぬ以外に特別な目的もなく、ビロードが生きている間は生き続けようと思っていた僕は、
千年後のシベリア鉄道自体にも、
その終着駅たる、おそらくはモスクワのことであろう神の国とやらにも興味があったし、
ショボンさんが何をもって旅をしているかも気になっていた。
何より彼と別れて別の道を行くと言えば、
ちんぽっぽに付きまとっているビロードが大反対するだろうと思い、
旅への同行をショボンさんにお願いした。
もちろん、誰かと旅をすることの危険性は理解している。
旅人の死因は、餓えることや獣に食われることよりも、他人に拠るものが一番多いのだ。
いつ寝込みを襲われるやもしれないし、翌朝荷物ごととんずらをこかれる可能性だって十分にある。
誰かと旅をするということは、これらの責任を自らに課すということなのだ。
けれど、それ以上に好奇心が勝った。
そして、たとえ善良そうなショボンさんが僕を襲ったとしても、
懐の銃さえあれば大丈夫だろうという安心感もあった。
損得のせめぎ合いの結果の決断だった。
しかしショボンさんは、僕の内心など知ってか知らずか、
さも当然といった様子で言い放つ。
(´・ω・`)「何を言っているんだい? 君も『神話の道』の先を目指しているんだろう?
ならば、君とともに旅することを拒む理由が、僕のどこにあるというのだろう?」
( ^ω^)「……」
彼の善意からきたであろう言葉に、僕は少なからず落胆した。
僕とショボンさんが過ごした時間は、まだ一週間と少し。
そんな僅かな時間だけで簡単に僕を信頼してしまっている彼の無警戒さが、
僕にはどうしても引っかかってしまったのだ。
これまでたくさんの人間の影を見続け、数多くの辛酸を舐めさせられてきた僕と内藤ホライゾンの記憶が、
「人間とはそんなに甘いものではない」と、心の中で目の前の善良そうなロシア人に向け呟いていた。
ところが、知らず心中の思いが顔に表われていたのだろう。
それまで朗らかな笑みを浮かべていたショボンさんは、突然表情を険しくさせると、とても低い声で言った。
(´・ω・`)「勘違いしないでくれ。僕は誰でもほいほいと付いてこさせるような男ではない。
これでも多少の人生経験は積んでいるつもりだ。
人間の恐ろしさというのも、もちろん理解している」
( ^ω^)「……」
(´・ω・`)「ただ、それを踏まえた上で、君ならば同行させても大丈夫だろうと思ったんだ。
君は理性的な顔付きをしている。神話の道を見たいと言った時の君の目の輝きも本物だと思った。
素晴らしい好奇心も持っている。ビロード君という素晴らしい犬の飼い主でもある。
なにより君は善良そうな男だ。君はきっと、純粋な旅人なんだろう。ただし……」
( ^ω^)「ただし……なんですかお?」
まっすぐ、睨みつけるようにショボンさんの顔を見つめた。
その先で彼は、これまで見た中で一番真剣な顔つきをして、言った。
(´・ω・`)「僕の方が、圧倒的にカッコいいけどね」
( ^ω^)「……おっおっおwwwwwwwwww
何言ってるんですかおwwww僕の方がカッコいいですおwwwwww」
(´・ω・`)「いやいや。申し訳ないが、僕の方が百倍カッコいい」
快晴の空の下。
どこまでも続く大陸の上に、僕とショボンさんの笑い声が響いた。
面白い人だ。
たとえ殺される危険性があったとしても、彼を信じずに交流を絶ってしまうことは何とも損である気がした。
警戒心が解け、自然と笑い声が大きくなってしまう。
心から楽しいと思ってしまっていた。
その声を耳にしてか、遠くでじゃれあっていたビロードとちんぽっぽもまた、
嬉しそうにしっぽを振って僕たちの足元に集まり、「おーん」と大きな遠吠えをあげた。
旅の始まりを祝う華やかな声は、無機質な荒野の上を、ゆるやかな風と共に静かに流れていった。
そののち、ショボンさんは柔和な笑みのまま、
着込んだ防寒着の懐から何かを取り出し、自らの前面に掲げる。
(´・ω・`)「これが僕の奥の手だ」
それは調理用のナイフとは比べ物にならないほどの存在感と威圧感を誇った、
刃渡り数十センチにもわたる巨大なナイフだった。
彼は深い茶色をした革鞘からそれを抜き、刀身を白日の下にさらす。
刀身は艶のない漆黒をしていて、日の光を浴びても夜のような闇色を昼の中に浮かべている。
(´・ω・`)「僕の家系に代々伝わるナイフさ。これを君の前に晒したということは、
君に襲われた場合、僕はもうどうしようもなくなる。
君はこのナイフの存在を前提に、僕に攻撃を仕掛けてくるだろうからね」
( ^ω^)「……」
(´・ω・`)「これが、僕が君を信じるという覚悟の証であり、旅に対する誓いだ。
もし君が応じてくれるというのなら、証と覚悟を僕に見せてくれたまえ」
漆黒のナイフの先にあるショボンさんの瞳を、僕はじっと見つめた。
彼のやわらかな眼差しの中に強い決意の火が燃えている気がして、僕もそっと、懐に手を入れた。
たとえ銃の存在を知られても、いざというときショボンさんを打ち抜く自信は十分にあったし、
何より彼はそんなことはしないだろうと、感覚が僕に教えてくれていた。
ショボンさんのナイフと同じ色をした銃。取り出して前に掲げる。
(´・ω・`)「……不思議な形をしたナイフだね」
( ^ω^)「いえ、ナイフではありませんお。銃という……えっと、僕の村に伝わる武器ですお」
(´・ω・`)「そうか。それが君の奥の手だね?」
( ^ω^)「はい。間違いありませんお」
それからショボンさんはニヤリと唇を釣り上げ、そっと、ナイフを持つ手を僕の方に伸ばす。
その笑いの先に僕は、初めて出会った時のドクオの不細工な笑い顔を思い返していた。
そして気づけば、ショボンさんと同じように銃を持つ手を前に伸ばしていて、
握られていたナイフの刀身に銃身を軽くぶつけていた。
コンと、金属と金属の接触とは思えないくぐもった音がした。
どうやらショボンさんのナイフは、普通の金属ではない素材で造られているようだ。
ウラジオストクが出身地と言っていたことから推察して、おそらくはレアメタル製のナイフなのだろう。
そのあと彼がナイフを天高く掲げたので、僕も同じように銃口を空へと向ける。
(´・ω・`)「僕たちの旅に栄光あらんことを」
( ^ω^)「おっおっお」
儀礼的な言葉を述べる彼を前にして照れが出て、思わず笑ってしまった。
それを隠すように僕は、握った銃の引き金をカチャリと引いた。
快晴の空の中へ、パンと乾いた音が響いて、消えた。
わずかに驚いた様子のショボンさんとちんぽっぽ、
そして当り前のような顔をしたビロードと僕の二人と二匹は、
しばらくの間、ずっと空を見上げ続けていた。
― 5 ―
こうして、神話の道、シベリア鉄道をたどる僕たちの長い旅が始まった。
シベリア鉄道の最長距離はおよそ九三〇〇km。
現在地は途中のベルカキトだから距離は短くなるとはいえ、それでも七〇〇〇km近くの道のりはあるだろう。
モスクワ、いや、もすかうか。
どちらにせよ、ショボンさんの言う神の国にたどり着くのは、いったい何年後の話になることか。
荒野を南下した僕たちはベルカキト廃駅にたどり着くと、そりと台車を線路の上に乗せた。
ショボンさんの台車に設えられた車輪は、線路の幅とぴったり合致していた。
あらかじめ、線路の幅に合わせて車輪を取り付けていたのだろう。
僕もそれにならい、廃駅に転がっていた木材を加工して車輪を造り、そりに取り付けた。
重い荷物を積んだショボンさんの台車をビロードとちんぽっぽが、
比較的軽い荷物を積んだ僕のそりを僕とショボンさんがそれぞれ引きずり、線路の上を歩き始める。
連なって進むそりと台車は、あまりに原始的とはいえ、貨物列車のようなものだと言って差し支えはないだろう。
ガラガラと音を立てるそりと台車。
千年後のシベリア鉄道の上をまた列車が進むなど、いったい誰が想像できただろうか?
( ^ω^)「歴史は繰り返すってやつかお」
妙な感慨にふけりながら空を見上げ、
鳥の目から見た線路上の自分の姿を想像し、薄く笑ってみる。
それから、僕たちと同じようにシベリアの大地を歩いた東洋人がいたことを時の彼方に思い出し、
繰り返す歴史の不思議さにもはや驚きさえも通り越して、僕はまたしても笑ってしまった。
すると、隣で一緒にそりを引いていたショボンさんが僕の笑いを目ざとく見つけたらしく、声をかけてくる。
(´・ω・`)「なんだい? 神話の道を辿れるのがそんなに嬉しいのかい?」
( ^ω^)「おっおっお。まあ、そんなところですお」
今度、機会があったらその東洋人の話をショボンさんにしてあげよう。
僕はいたずらっぽく、三度目の笑みを浮かべた。
二日歩いて、一日は休息や狩り、食糧補給のために歩みを止める。
そんな旅のさなか、何度目かの休息の一日の中で、
この地方により適した狩りの方法をショボンさんが教えてくれた。
狩りの仕方は独学で身につけてはいたが、やはりここに住む人間の方法論というのは、
これまで僕が実践してきたものや書物の中のそれとは違い、格段に成果が違っていた。
(´・ω・`)「しかし、ビロード君とちんぽっぽの連携は素晴らしいね。
息がぴったりだ。獲れる獲物の量がまったく違うよ」
( ^ω^)「そうなんですかお?」
(´・ω・`)「うん。ちんぽっぽはビロード君を蹴飛ばしたりしてるけど、
もしかしたらそれは、彼に対する彼女なりの愛情表現なのかもしれないね」
嫌な愛情表現だな。
そう思いながら、狩りを終えて楽しそうにビロードを蹴飛ばしているちんぽっぽを眺めていると、
二匹が狩ってきた小動物の皮を剥いでいた手を止め、ショボンさんは立ち上がった。
(´・ω・`)「さて、肉の下ごしらえはこのくらいで大丈夫だろう。
今度は食べられそうな植物でも集めに行こうか」
( ^ω^)「果実が生っているんですかお?」
(´・ω・`)「まさか。この時期に実をつける植物はこの辺には無いよ。
今から取りに行くのは野草さ」
そう言って、雑草の向こうへと進んでいくショボンさん。
僕は皮を剥ぎかけの獣の亡骸を地面に横たわらせると、あわてて彼の後を追った。
ベルカキト廃駅から大分歩いたにもかかわらず、線路を包むのは相変わらずの雑草たち。
荒れた土地に芽吹くのは、まず彼らだ。
彼らは持ち前の生命力でやせた土地にも幹を伸ばし、
そして枯れ、地面へと腐り落ち、自らの亡骸を糧として徐々に大地を肥やしていく。
やがて豊かになったその土地に別の植物群が種を下ろし、あたりは緑色に染まっていく。
それが再生への一つのプロセス。
シベリアの大地も、その過渡期の中にあるようだった。
そして、たくましい雑草たちが風に踊る大地の上でショボンさんは、的確に食べられそうな植物を集めていく。
僕も書物の中で得た知識を活かし野草を集めては見たのだが、
ショボンさんに手渡すと、それらの大半は止めておこうと言われた。
(´・ω・`)「食べられないことはない。しかし、いかんせん、味がひどすぎるんだ」
( ^ω^)「おお、そうなんですかお」
(´・ω・`)「ま、野草っていうのは大体が味の悪いものばかりなのだがね。
それでも食すべき一番の理由は、やっぱり栄養補給だ。肉だけでは体がおかしくなるからね」
それからショボンさんに教わりながら、僕は野草を集め始める。
僕の頭の中にあるのは内藤ホライゾンの専門であった科学知識や、
千年前の書物から得た建築関連の技術論や医学・政治学の類が多くて、
こういった実生活に直結する知識はあまり豊富ではなかった。
もちろん、書物を読んで食べられる野草の勉強もしてはいたのだが、
千年後の世界には書物の中の野草とは微妙に異なった植物群ばかりが生育していたため、
どれが食べられるかの判断がつかず、さらに実生活知識の乏しさも手伝い、
どれがどの植物の亜種で、だから食べられるはずだといった応用もからしきダメだったのである。
そのため、結局これまでの旅の中でも、
こういった応用力のなさや、ツンドラの大地に野草があまり生えていなかったこと、
そして野草自体の味のひどさも相まって、
よほど飢えた時を除いて、僕は野草を食さないようにしていた。
であるからして、ショボンさんの教えは非常に興味深く、僕は時間を忘れて野草集めに没頭してしまった。
(´・ω・`)「さて、そろそろ戻ろうか。残念ながら今日は不作だったが」
( ^ω^)「そうなんですかお? でもこんなにいっぱいなのに……」
日が傾きはじめ、吹く風の冷たさが身に染みだした頃、
僕たちは両手いっぱいの野草を抱えて草原にたたずんでいた。
だのにショボンさんはこれを不作だといい、少し残念そうな顔をしている。
(´・ω・`)「水煮すると半分以下の体積になるからね。
それに実を言うと、君に集めてもらった野草の大半が食べられないものなんだ」
( ^ω^)「あれまー。お前死ねお。
でも、それじゃどうしてこれを僕に集めさせたんですかお?」
僕は抱えていた野草の中から、その大半を占める長方形の、
手のひら程の大きさの草を取り出して、ショボンさんに見せた。
彼は濃い緑色をしたそれをしげしげと眺め、手で触れて質感を確かめると、満足したように数度うなずいた。
(´・ω・`)「うん。これはいい。
肌ざわり、大きさ、色、どれをとっても申し分ない。
これに限ってみれば、今日は豊作だったと言えるね」
( ^ω^)「それで、これは何に使うんですかお?」
(´・ω・`)「決まっているだろう? 尻を拭くためだ」
僕は、抱えていた野草をすべて放り投げた。
(;´・ω・`)「ちょwwwww君は一体何をしているんだ!」
(;^ω^)「それはこっちのセリフだお! こんなもの集めさせるなお!
尻なんか適当な草で拭いとけけばいいお!」
(;´・ω・`)「馬鹿言ってんじゃない! まったく! 君は何もわかっとらん!」
(;^ω^)「わかりたくもねーですお!」
(;´・ω・`)「いいからこれを持ちたまえ!」
出会った中で一番のあわてぶりを見せたショボンさんは、抱えていた食べられる野草を僕に持たせると、
急ピッチで地面に散らばった尻拭き用の草たちを集めだした。
彼は気持ち悪いほどにぷりぷりと怒りながら、集める手を休めず僕に語る。
(#´・ω・`)「いいかい? 尻を拭くというのはね、物を食べるということの最後のプロセスだ!
その出来の良さ如何でね、食べるということ自体の価値も決まってしまうんだよ!」
(;^ω^)「決まんねーお!」
(#´・ω・`)「決まるんだ! 考えてもみたまえ! どんなに美味なものを食べようと、
その結果下痢になってしまえば、君はそれを食したことを大いに後悔するだろう?
たとえ見るも素晴らしい便が出たとしても、それを拭く草が最悪の質感だったらガッカリするだろう?
そんなとき、素晴らしい質感のこの葉で尻を拭いてみろ!
この葉にはかぶれを治す効果もある! 下痢をしたとすれば、君の尻はこの葉で癒される!
良い便ののちは、さらに高揚した気分になれる!
結果、食べるという一連の行為の価値までもが上がってしまうのだ! わかるかね!?」
(;^ω^)「お、おお……」
一気にまくし立てたショボンさん。
なんだかよくわからない彼の威圧感と言葉の説得力に、僕は思わずたじろいでしまった。
尻拭き葉を集め終えたショボンさんはゆっくりと立ち上がると、
興奮を冷ますようにコホンと咳払いして、僕に振り返った。
(´・ω・`)「そしてこれは、人生にもつながる」
( ^ω^)「つながんねーお」
思わず横やりを入れてしまった僕を、いったい誰が責められるだろうか。
しかしショボンさんは、相変わらずの真剣な表情のままに僕を一瞥すると、テントの方に戻っていく。
あわてて後を追った僕に向け、興奮はしているようだが先ほどよりは穏やかな声で、彼は語ってくる。
(´・ω・`)「人間はね、終わりというフィルターを通してでしか、物事の価値を評価できないものなんだ。
食べるという行為でもそう。便を出して尻を拭いてようやく、食べるという一連のプロセス自体を振り返ることができる。
そしてその際、終わり、食べることで言えば尻を拭いたというフィルターを通して、それまでを見ることになる。
このフィルターが良いものであれば、それまでの行為すべてがよく見えるし、悪ければ当然、悪く思えてしまう。
だから物事の終わり、食べるということで言えば尻を拭くことには、大いなるこだわりを持たなければならない。
僕は常々そう思っているんだが、さて、どうだろう?」
(;^ω^)「まあ、わからんこともないですが……」
それがたとえ尻の話であっても、
こうまで順を追って説明されると、なんだか正しいことのように思えてしまうから不思議だ。
一種のレトリックに近い会話の技法を、ショボンさんは自然と身につけているらしい。
半ば場の雰囲気に流されて答えてしまった僕の言葉に、彼はコクリとひとつうなずいて、続ける。
(´・ω・`)「そして、人の一生というのも同じさ。と言っても、これは推論にすぎないんだがね。
きっと僕たちは人生の最後、その間際、
目の前に迫った死というフィルターを通してでしか、自分の一生を評価できないと思うんだ。
その死が納得のいけるものであれば、人生自体にも僕たちは納得するだろう。
逆に納得ができなければ、それまで辿った道がどんなに素晴らしいものであったとしても、きっと悔いを感じてしまう。
言うなれば、僕たちは納得のいく死というフィルターを作り上げるために、生きているんじゃないのかな?」
( ^ω^)「……」
まさか、尻の話からここまでの人生論に行きつくなんて思ってもいなかった僕。
多少の惑いはあったのものの、同時にショボンさんの言葉に共感も覚えて、不覚にも嬉しく思ってしまった。
ショボンさんが言っていることはつまり、人生の目的は死だということだ。
あの時、内藤ホライゾンに向け、「死ぬために生きている」と言った僕の言葉と合致している。
( ^ω^)「そうですおね。やっぱり僕たちは、死ぬことを目的に生きているんだお」
(´・ω・`)「ん? いや、それはちょっと違うな」
( ^ω^)「お?」
しかしショボンさんは僕の返しを否定すると、しばらく「うーん」と首をひねった。
赤から藍色に染まりはじめた冬空の下、彼は選ぶようにして、ゆっくりと言葉をつないでいく。
(:´・ω・`)「確かに……そうなんだ。
死ぬことは生きることの目的だと……いや、違うなぁ……。
なんというか、その……ただ死ぬことが目的であればね、
えっと……どんな死に方でも、構わなくなってしまうんじゃないかな?
それはちょっとなぁ……って」
どうやらショボンさんは、あらかじめ準備していたことでないと饒舌に話せないタイプの人らしい。
(;´・ω・`)「僕が言いたいのはね、あくまで、納得のいく死に方を……ってことなんだ。
そういうフィルターを手に入れる、ってことなんだ。
だから……僕が重視したいのはその……それを作るまでのプロセスってことで、
えっと……それを作るのは、生きること自体じゃないかなって、思うんだ」
上ずるショボンさんの声。彼の言葉は本当に途切れ途切れだ。
しかし僕には、想定外の問いを前にした彼のそんな答えの方が、なぜかすんなりと耳に入ってきてしまう。
(;´・ω・`)「つまり、死って言うのは、ゴールではあるが目的じゃない。
……それはあくまで、振り返るための立ち位置であって、
そのー……死というフィルターは、そこにたどり着いてからでしか通すことができない。
そして、死というフィルターは結局……これまで生きてきたこと全体を指すんだと思うんだ。
だから、生きることの目的が何かって問われれば……それはやっぱり、生きることってなるんじゃないかな……」
生きることの目的は、より良い死を獲得することにある。
しかしそれは、より良いフィルターを手に入れなければ獲得することはかなわない。
だからこそ人間はより良いフィルターを獲得するために生きているのであって、
けれどもそのフィルターというのは、これまでの人生すべてから構築されるものである。
ショボンさんが言っているのは、大体こんな感じのことだ。
つまり、より良いフィルターを手に入れるには生きなければならないのであって、
より良いフィルターを手に入れることが生きる目的だとすれば、生きる目的は生きること自体になってしまう。
なんだそれは?
あまりにも抽象的で、あまりにも漠然とし過ぎている。
まるで禅問答の世界。目的は目的自体が目的だと言っているようなものだ。
しかしこれは、内藤ホライゾンが言っていたことでもある。
「生き物は生きるために生きている」
では、生きるとはなんだ?
生きるということが目的ならば、現在生きている僕は何を目指し生きればいい?
となると、答えは俄然ひとつ。「死ぬこと」以外に思い浮かばない。
しかし、内藤ホライゾンもショボンさんも、
死とは生きることの延長線上、もしくはゴールにすぎないのであって、
ただの死は生きる目的にはなりえないと言っている。
ならば、なんだ?
生きる目的は何だ? 僕が歩き続ける意味は何になる?
(´・ω・`)「知らんがな」
(;^ω^)「んな無責任な……」
(´・ω・`)「目的の中にいる僕たちにその目的が何なのか、わかるわけがないだろう?
答えはきっと、死ぬ時になって初めてわかるんだと思うよ」
今度は饒舌に答えたショボンさん。
この答えは、彼があらかじめ想定していたもののひとつなのかもしれない。
そして彼は「ただし、旅の目的はある」と付け加えると、
転がっていた植物をひと房、尻拭き草を抱えた腕で器用に持ち上げながら、言った。
(´・ω・`)「おや、こんなところに藍がある。珍しいな」
( ^ω^)「お? それがどうしたんですかお?」
(´・ω・`)「うん、これは顔料なんだ。
藍はね、薄めると綺麗な青色になる。空の色に使えそうだ。
ついでに言うと、先ほど君に集めてもらった草も、尻拭き以外に顔料としての使い道があるんだ。
こっちは薄い緑になる。草原を書く時なんかに重宝するんだよ」
( ^ω^)「おお。ショボンさんは絵描きなんですかお?」
ショボンさんのテントに画板と筆があったことを思い出した僕は、嬉しそうに色の元を見つめる彼に尋ねた。
彼は笑って答えてくれた。
(´・ω・`)「絵描きではないが、僕の趣味は絵を描くことだ。
神話の道をたどっているのも、そこにある風景を描くため。
そして最終的には、神の国もすかうを描くため。そういった目的で旅をしている」
( ^ω^)「……」
旅の目的は絵を描くこと。では、絵を描く目的は?
ショボンさんの答えには、大事なピースが一つ欠けていた。
しかしこれまでの話を聞くに、今の彼にはそれを埋める答えは出せないだろうと思い、僕はそれ以上の追及をしなかった。
そして同じくショボンさんも、神話の道をたどる僕に、その理由を尋ねることはしなかった。
互いが互いに微妙な距離を保ったまま、その日は野草と肉を口にして、静かに床に就いた。
そうやって神話の道を歩き続け二週間ほどが経過して、僕たちは線路の分岐点へとたどり着いた。
この分岐から東へ行けばウラジオストク、北へ行けばベルカキトへ逆戻り、
そして西へ向かえばモスクワ、否、もすかう。
(´・ω・`)「複数人での旅ってのはいいね。来た時よりも早く戻ってこれたよ」
事実、行程は順調に進んでいた。
しかし、問題はこれ以降だ。いよいよ冬も本番が迫っていた。
このまま行けば、僕たちは厳しいシベリアの寒さの中を歩かねばならなくなる。
テントのみでの野営は危険が危ない。
一刻も早く、雪風をしのげる場所を探さねばならなかった。
しかしショボンさんは一向にそんな場所など探そうとはせず、線路の上をただ歩き続けるだけ。
さすがに危機感を覚えた僕は、分岐を西に向かって二日歩いた次の休息日、
ビロードとちんぽっぽを狩りに向かわせたあと、ショボンさんに抗議することにした。
(;^ω^)「ショボンさん! いい加減冬を越せる場所を探さないと危険ですお!」
(´・ω・`)「うん、その通りだ。だけどね、もうすぐのはずなんだ」
(;^ω^)「お? 何がだお?」
(´・ω・`)「村があるはずなんだよ」
(;^ω^)「む、村があるんですかお?」
平然と言い放ったショボンさんの言葉に驚きを隠せなかったが、ありえない話ではなかった。
現に、ショボンさんがいる。彼の故郷、ウラジオストクが現存している。
だとすると、シベリア鉄道沿いに集落が存在していても何ら不思議ではない。
ただ、これまでの二年半でツンドラの大地に人を見つけられなかったという僕の経験が、
容易に類推できる事実を気づかせにくくしていた。それだけの話だ。
(´・ω・`)「ああ。村なら神話の道沿いに転々としているよ。
といっても、小さな村々ばかりで、村と村の間の距離は結構なものだがね。
この前立ち寄った村で……といっても、ひと冬前の話になるのだが、
神話の道が二手に分かれている西側のすぐそばに、
ツインダという村があると聞かされていたんだよ」
ツインダ。聞き覚えのある地名だ。
頭の中の地図帳をペラペラとめくっていく。
うん。確かに。
ベルカキトから南へ下った分岐の西側に、そういう名前の駅があった。
シベリア鉄道本線とバム鉄道が交わる場所だと記憶している。
分岐からそう距離も離れていなかったはずだ。
しかし――
(;^ω^)「ショボンさん? あなた、
分岐から西に行けって前の村では言われたんですおね?
それなのに、なんであえて北に向かったんですか?」
(´・ω・`)「いやだって、その先に何があるか気になるじゃないか。ちょうど冬まで時間もあったしね。
別に急ぐ旅でもないんだし、もしかしたらそこからもすかうまで行けたかもしれないじゃない?」
(;^ω^)「いや、でも……」
(´・ω・`)「好奇心だよ、好奇心。旅人に必要な好奇心が僕にそうさせたのさ。
それに、そのおかげで君は命拾いできたんだし、僕はこうして君と旅ができてるんだ。
それでいいじゃないか。あっはっは!」
つくづく破天荒な人だと思った。
なんというか、彼の行動を逐一記録して分析し体系づけてみたら、
それだけで面白い論文の一つや二つ、容易に書けてしまいそうな気がした。
そして、そう考えてしまった自分が、少し不思議に思えてしまった。
(;^ω^)「なに内藤ホライゾンみたいなことを考えてるんだか……」
またひとつ、自分のことがわからなくなった。そんな冬の一日。
そして翌日、出発して間もなく。
僕たちはツインダ廃駅へたどり着き、
そこから少し離れた場所に村を見つけて、立ち寄ることと相成った。
ツインダの村に立ち寄った僕たちは、
予想だにしないほどの手厚いもてなしを受け、ひと冬の滞在も快く許してもらえた。
そして結論から言えば、今後立ち寄ることになるどの村々でも、
僕たちはすべからく過剰とも呼べる歓迎を受けることとなる。
理由はいたって単純明快。各村々に同じような神話と言い伝えが残っていたのだ。
「神話の道たるシベリア鉄道の重要性、そしてそれを保存すべし」
伝承を要約すればこのような内容になる。
そのため、シベリア鉄道は千年後の今も保存され続けており、
そこをたどる僕たちは今と神話の世界を結ぶ懸け橋として、どの村においても半ば勇者のような扱いを受けたのである。
(´・ω・`)「村人の期待にこたえるためにも、
僕たちは何としてももすかうに辿りつかなきゃいけないよね」
真っ白に染まったツインダの村や廃駅、どこまでも続いていく線路などを画板の上に描きながら、
村に滞在したひと冬の間、ショボンさんは旅へのモチベーションをじっくりと高め続けているようだった。
一方、ショボンさんのように時間を潰す趣味のない僕はというと、
ショボンさんに悟られぬように、それとなく村人に千年前の技術を伝えたり
――もっとも、ショボンさんは絵を描くことに夢中でその心配は杞憂に終わったが、
――絵のモデルとしてちんぽっぽをショボンさんに取られ、
僕と同じように暇を持て余していたビロードとともに、
のんびりとあたりを散歩したり、日がな一日を寝て過ごしたりして、
ドクオの村を出て以来、およそ五年ぶりとなる穏やかな日々を満喫していた。
( ^ω^)「……神話の道とはよく言ったもんだお。なあ、ビロード?」
( ><)「わかんないです!」
その最中、白の中に浮かぶ赤茶けた錆色の線路を見つめながら、しみじみと感慨にふけったりもした。
もっともらしい講釈を、傍らのビロードに語って聞かせたりもした。
( ^ω^)「鉄道っていうのは、いわばその国の動脈だお。
鉄道の通るところに人が集まって、情報や物の交換が行われて、国自体もどんどんと発展していくんだお。
昔は我田引鉄といって、鉄道を引きたいがために田を潰したりもしたそうだお。
田舎者が豊かな生活を夢見て、この道をたどって都会へと向かったりもしたんだお。
鉄道っていうのは、そのくらい人を惹きこむ魔力を秘めているんだお。
ホント、神話の道とは言い得て妙だお。わかるかお、ビロード?」
( ><)「わかんないです!」
思えば、昔を懐かしみ感傷にふけったり、
自分の知識を頻繁に口に出したりすることが多くなったのはこの頃からだ。
この時点で、僕の肉体年齢は三十をとうに超えてしまっていた。
そろそろ人生も折り返しに来たのかと、
眼の前の真っ白な雪の上に足跡を残すように、自分が生きた証を何かしらの形で残したいと、
そんな一般的な感情がわずかではあるが、僕の中にも芽吹き始めているようだった。
こうして冬と春、合わせ半年近くの時間をツインダの村で過ごし、晩春、夏が姿を見せ始めてようやく、
僕とショボンさんの二人、そしてビロードとちんぽっぽら五匹は、再びの長い神話の旅へと出発することになった。
そうそう、言い忘れていたが、
ツインダの村を旅立つ際、旅の一行に新たに三匹の犬が加わった。
実を言うと、滞在した半年の間に一つの珍事件が起こっていたのだ。
ちんぽっぽが懐妊したのである。
旅立ちが晩春までずれ込んだのも、このせいであった。
(´・ω・`)「やるねぇ、ビロード君。あのちんぽっぽを落とすとは」
(;^ω^)「ビロード、まさかとは思うけど……レイプじゃないおね?」
(;><)「わ、わかんないです! わかんないです!」
必死に否定した――のかどうかは定かではない――ビロードの鳴き声の通り、
事実、懐妊し三匹の子を産んだあとのちんぽっぽとビロードの間には、
相変わらずのかかあ天下ではあったけれども、そこはかとない夫婦の情愛が漂っているように感じられた。
生まれたのはビロードによく似た二匹の雄犬と、ちんぽっぽにそっくりな猫顔をした一匹の雌犬。
ちなみにこの三匹の名前については、ショボンさんが
「インキン肉棒ペニス丸」「シャーミン松中」「マラドーナ」なんてとんでもないものを提案し出したので、
僕が必死に説得して「じゃじゃ丸」「ぴっころ」「ぽろり」とすることで、何とか事態を落ち着つかせた。
(;><)「……」
(;*'ω' *)「……」
顔には出さなかったが、ビロードとちんぽっぽの二匹も、きっと喜んでくれたに違いない。
この三匹が加わってくれたことで、旅はとても楽なものとなった。
線路に載せた台車とそりの荷台に僕とショボンさんが乗り、五匹の犬にそれを引かせる。
彼らが疲れたころ合いになって、今度は五匹を乗せた台車とそりを僕とショボンさんがゆっくりと引いて歩く。
食い扶持も増えたが、同時に狩りの担い手も増えたため、その辺についても特別な問題は生じなかった。
旅はいたって順調だったのである。
そんなある日。休息の一日。
僕とショボンさんは転がっていた枯れ木の幹に座りのんびりと体を休めながら、
うららかな夏の日差しの下、緑色に萌える雑草の中、走り回るビロードたちの姿を眺めていた。
(´・ω・`)「睦まじいね。ビロード君たち親子は」
(;^ω^)「まあ……そうですおね」
ショボンさんの言葉とは裏腹に、ビロードと息子二匹は、
ちんぽっぽともう一匹の娘にこれでもかというくらい尻に敷かれていたのではあるが、
なんだかんだで仲の良いらしいことに間違いはなかった。
(´・ω・`)「家族とはいいものだね。
彼らにはぜひ……幸せになってもらいたいものだ」
( ^ω^)「……」
連れだって狩りに向かう五匹の後ろ姿。そして、それ追うショボンさんの瞳。
眩しそうに細めたその中に寂しさの色がにじんでいたことを、
彼と別れて十数年が経っても、僕はいまだに忘れることが出来ない。
それからも線路沿いのいくつかの村に立ち寄りつつ、旅をつづけた僕たち。
出立が遅れたにもかかわらず、次の冬が来る前には、
かのバイカル湖を有するイルクーツク廃駅近郊の村へと辿りつくことが出来ていた。
前述したが、シベリアの冬はとてつもなく厳しい。
マイナスにいたる月は五か月以上にも及び、冬の最盛期にはマイナス20度を軽く下回ってしまう。
特にイルクーツクなどの内陸部は、海風もなく空気が乾燥し切っていることや放射熱の関係から、
その体感温度はより緯度の高いベーリング海峡周辺よりも低く感じられるときさえある。
よって、冬が来る一歩手前でイルクーツク廃駅に到着した僕たちであったが、
その先すぐに滞在すべき別の村が見つかる確証がなかったため、
その年は一足早く、旅を中断する運びとなった。
― 6 ―
イルクーツク近郊の村でも、手厚いもてなしを受けた僕たち。
春までの滞在も快く許してもらえた。
(*´・ω・`)「ブーン君! 素晴らしい湖がこの近くにあるらしいよ!」
与えられた住居に積み荷を下ろしている中、
さっそくバイカル湖の話を聞きつけたらしいショボンさんは、
興奮した様子で画材やテントを台車に乗せ戻すと、
ちんぽっぽを連れてすぐにそちらへ向かうと言い出した。
落ち着く間もなく騒ぎ出したショボンさんを前に、正直少しの呆れを僕は覚えてはいた。
しかし、千年前でも世界一の透明度を有し世界遺産として有名だったバイカル湖。
僕も、是非ともその姿を一度はお目にかかっておきたいと思い、
村人にじゃじゃ丸ら三匹の子犬の世話を頼み、ビロードを連れてショボンさんの後を追った。
(*´・ω・`)「……なんと美しい」
まだ冬に入っておらず、持前の透きとおる湖面を惜しげもなく大地に広げていたバイカル湖。
湖上を渡る風が波紋を作り、日の光を乱反射させ、
無数の細かな光の粒に変えて、僕たちに届けてくれた。
こぶしよりわずかに小さい丸い石が埋め尽くす岸辺にたたずみながら、
ショボンさんは文字通り、その雄大さに見惚れていた。
( ^ω^)「ここは世界でもっとも古い湖で、昔から世界屈指の透明度を誇っていた。
と、村には伝えられているみたいですお」
(*´・ω・`)「そうなのか……いや、本当に美しい……」
( ^ω^)「冬がくれば湖面が氷に閉ざされて、その輝きもまた格別なものだって村の人たちが言ってましたお。
あと、山のてっぺんから見下ろせば、この湖は月の形をしているそうですお」
自分の知識を、あたかも伝聞したかのようにショボンさんへと語って聞かせた。
彼は無精ひげの上からもわかるほどに頬を紅色に染めると、興奮冷めやらないといった調子で声を張り上げた。
(*´・ω・`)「それは興味深い!
僕はしばらくここに留まって、この湖を描き続けることにするよ!」
それから滞在した半年間、
よほど天候の悪い時期を除いて、ショボンさんはバイカル湖周辺に入り浸りとなってしまった。
彼はずっとテントで野営し、食糧その他の生活必需品が切れたとき以外、
村に顔を出すことをまったくといってしなかった。
その間の僕はというと、ショボンさんがいないのをこれ幸いに、村人たちへ千年前の技術を伝え続けていた。
たとえば、より雪国に適した住居の作り方。
実際、見本として一軒、その方式の住居を彼らに新築させた。
その結果、村人からは大いに喜ばれ、
僕の、そして村にいなかったショボンさんの評価までもが上がり、滞在はより心地よいものとなった。
そんな風に日々を過ごした冬の終わり。
久方ぶりに村へ戻ってきたショボンさんが、最後に山の上から湖を描きたいと言い出したので、
僕も最後だからと、ビロード、ちんぽっぽらの家族全員を総動員して、彼に同行することにした。
慣れた足取りで山道を登るショボンさん。
荷物を積んだそりを引くちんぽっぽもまた、すっかり慣れてしまった様子だ。
一日半を書けて山を登ったあと、真っ白の中に開けた丘を見つけ出した。
すぐさまテントを立てたショボンさんは、画材一式を抱えると、描く場所の選定にかかり始めた。
(*´・ω・`)「いいね! いいね! 本当に月の形をしているよ!」
眼下に広がる三日月形をしたバイカル湖を眺めながら、
ショボンさんは子供のようにはしゃぎ、白い鼻息をいくつも中空に漂わせていた。
そして彼は画板を雪の上に立てると、愛用している筆とパレット、そしてハンマーといくつかの石を取り出した。
石は顔料で、これを砕いて粉末にし、塗料として使う。
旅の最中、ショボンさんが僕に教えてくれていたことだ。
( ^ω^)「それにしてもショボンさん。
狩りといい野草といい顔料といい、ホントそういうのに詳しいですおね?」
(´・ω・`)「まあね。ウラジオストクでは山師をやっていたから」
( ^ω^)「山師……ですかお」
彼は石を砕く音で雪崩が起きないよう注意を払いながら、器用に顔料を砕きはじめる。
(´・ω・`)「言うなれば、山のなんでも屋さ。
坑道に発破をかけたり、生える植物群から地質を類推したり。
土砂崩れの起きそうな場所を探して注意を促したり。
そんなことばっかりやってたから、自然とこんなな知識が身についてしまってね」
( ^ω^)「おお……」
残念ながら、僕が知りたかったのは山師の意味ではなかった。
なぜショボンさんが過去を語り始めたのか。このことが非常に気にかかっていた。
これまでの旅の一年半。
ショボンさんは僕の過去を聞かない代わりに、自らの過去も語ろうとはしなかった。
その結果作られた彼との微妙な距離が僕には心地よかったし、
何よりそれが、僕とショボンさんがこれまで一緒に旅を続けられてきた一番の要因だとも思えた。
それなのになぜ、彼は今更になって過去を語り始めるのだろうか?
(´・ω・`)「君と旅を始めた頃、
僕は君に『もすかうを描くために旅をしている』って言ったよね?」
( ^ω^)「お。覚えてますお」
画板の前に腰を下ろしたショボンさんは、手にしたパレットの上に粉末の顔料をのせた。
続けて筆にそれをまぶし、雪のように白いキャンパスと向き合う。
(´・ω・`)「実を言うと、その時の僕はまだ、
『なぜもすかうを描きたいのか』、その理由が自分でもよくわからなかった。
ただなんとなく絵を描くことが好きで、なんとなくもすかうをキャンパスに残さねばならない気がした。
当時の僕にわかるのはそれだけだったんだ。
聡明な君のことだから、多分、その時の君は、このことに対して疑問を持ったと思う。
それでも聞かないでくれたあたり、僕は君の優しさに感謝した。
そしてそれに報いるためにも、答えがわかった今、僕は君に話さねばならないと思った」
想定外の問いには声が上ずり、言葉が途切れ途切れになってしまうショボンさん。
けれど今、声のトーンに変化はなく、饒舌に、歌うように彼は語り始める。
きっと、ずっと前から彼は、語るべき言葉を僕のために用意しておいてくれたのだろう。
それが、僕にはとてもうれしく感じられた。
(´・ω・`)「僕には愛すべき家族がいた。
妻と娘。ちんぽっぽは娘が拾って来た犬だったな。
ちんぽっぽを見てもらえばわかるように、妻と娘はしっかりとした人間でね。
山を歩きまわることしか出来ない僕を、二人はずっと支えてくれたよ。
幸せだったなぁ……ホント、幸せだったよ。
その時は気付かなかったけど、今、厳しい旅に身を置いて痛いほどわかる。
あの時以上の幸せに、僕はもう絶対に出会えない」
背を向けたままのショボンさんの声を聞き、僕は彼の足元にいたちんぽっぽへと目をやる。
彼女は雪の上に伏し、ショボンさんと同じようにバイカル湖を眺めていた。
視線をキャンパスに戻した僕。目に映ったキャンパスの色は、相変わらずの白。
(´・ω・`)「絵を描き始めたのは、娘が生まれてからだった。
理由はなんとなくで、暇な休日を潰せそうだと思ったから。
その程度の気持ちで始めたから、当然、今と同じで素人臭さしかない下手くそな絵でねぇ。
でも娘は、それを好きだと言ってくれた。
妻も、『良い絵だわ』なんて言ってくれたっけ……。
実を言うと、絵を描くことにそこまで楽しみを見出してなかった僕だけど、
二人の称賛が嬉しくて僕は絵を描き続けたし、今もこうして描いている」
これまで僕は、ショボンさんの絵をいくつか見せてもらっていた。
彼の絵は、本当に簡素なものだ。
限られたいくつかの色だけを使い、下書きをすることなく筆を走らせる。
だから、構図を考える時間こそ長いみたいだったが、
一度描き始めれば、絵はものの数十分で完成してしまう。
今はまだ、キャンパスにあるのは雪の色。雲の色。
構図がなかなか思い浮かばないようだ。
(´・ω・`)「でも、幸せは長くは続かない。
僕が絵を描き始めて二年ほどして、妻と娘が流行り病に倒れた。
僕は貯金をはたいて薬を買ったり、病に聞く野草を集めて回った。
もう、絵なんてどうでもよかった。
だけど、二人はあっけなく死んでしまったよ。ホント、あっけない最期だったなぁ……」
僕はショボンさんの後ろに立ち、彼の背中と無地のキャンパスだけを眺めていた。
だから、ショボンさんが今どういう顔をしているのか、当然ながらまったくわからない。
だから、彼の声が少しばかり震えていても、彼が泣いているかなんて、僕にはまったくわからない。
(´・ω・`)「それからの僕は、君も想像している通り、抜け殻みたいになったよ。
仕事にもいかず、食事もとらず、引きこもって死ぬことだけを考えていた。
そんなとき、家宝であるこのナイフを物置の奥から見つけてね。
『これを売った金で薬を買えば二人は助かったかもしれない』、なんて考える間もなく、
僕はのど元を掻っ切って、そこで死のうと思った」
ショボンさんは懐からあのレアメタル製と思しきナイフ取り出すと、振り返って僕に握らせた。
僕はそれを皮鞘から取り出して、刀身に指で触れてみた。
薄く皮膚が裂かれ、その上に赤い血がにじむ。
そして、ショボンさんがまたバイカル湖へ視線を戻したのを確認すると、
そっと、切っ先を自分のこめかみに当てた。
もう、七年以上前。
内藤ホライゾンの最期と同じ仕草のまま、続くショボンさんの話を僕は聞いた。
(´・ω・`)「僕は、このナイフをのど元に突き立てた。
大きく息を吸って、一気に刺しきろうと思った。
でもね、その時、外からちんぽっぽの鳴き声が聞こえたんだ。
その声が尋常じゃなかったから、気がそがれてしまって、僕は渋々外に出た。
吠え続けるちんぽっぽに連れられてふらふらと歩けば、そこに、あったんだ。
見たこともないほどの鮮やかな夕焼けと、夕日に続いていく神話の道がね。
僕は急いで家へと走り、画材を持って再び走った。
それから沈みかけの太陽と神話の道を、こんな風に、さささっとキャンパスに収めたんだ」
構図がようやく決まったのだろう。
そう言うとショボンさんは、さらさらとキャンパスの上に筆を走らせた。
彼の絵に縁取りなんてものは存在しない。
色と色との曖昧な境界。それだけが、ショボンさんの絵における輪郭。
(´・ω・`)「そして、僕は思いだした。村に伝わっていた、神の国もすかうの存在を。
神の国。そこに行けば、夕日に続いていく神話の道をたどれば、死んだ二人にも会えるんじゃないか。
そう考えると居ても立ってもいられず、翌日には僕は、ちんぽっぽと一緒に旅を始めていたんだ」
そこまで言って筆を止めると、ショボンさんは足元にいたちんぽっぽの頭を撫ぜた。
ちんぽっぽは気持ちよさそうに、つぶらな瞳をバイカル湖と同じ形に歪めている。
(´・ω・`)「でもね、冷静になってすぐに気付いたよ。神の国に着いても、死者は絶対に蘇らない。
事実、言い伝えにそんな話は出てこないし、他の村にもそんな話は伝わっていなかった。
でも、僕は旅を続けた。
神話の道をたどることが、そしてそこにある風景を描くことが、なぜか楽しかったから。
旅を続けているうちに、不思議と沈んでいた気持ちも浮きあがり、昔のような好奇心も戻ってきた。
そしていつしか、神の国もすかうをキャンパスに描きたいと思うようになっていた。
そんなとき、君と出会った」
僕を指すであろう代名詞を聞き、びくりと震え、
僕はこめかみに突きつけていたナイフを慌てておろした。
そんなことなど露知らず、ちんぽっぽを撫ぜる手を止め、三度キャンパスと向き合ったショボンさん。
キャンパス上の白は少しずつ色を持ち、意味を持ち、やがて一つの絵へと仕上がっていく。
(´・ω・`)「懐かしい。たった一年半前の話なのに、僕には本当に懐かしく感じられるよ。
それはきっと、僕が年をとったから。それと、その間にいろいろなことを考えたから。
なあ、ブーン君? 君はあのとき、僕に聞いたよね。『僕の歩き続ける意味は何になる』って?」
大方を書き終えたのだろう。
ショボンさんは塗幅の広い筆から面相筆へと持ち替えた。
そして、極小の毛先に塗料をつけ、細かな色付けを行っていく。
(´・ω・`)「残念ながら、僕にその答えは出せない。それは君が見つけなきゃいけないからだ。
だけどね、僕は、僕がもすかうを描く目的だけは、この旅の中ではっきりとわかったんだ。
ちんぽっぽたちに引かれる台車の上でぼんやりと空を眺めている時、僕はふとこう思った。
『もすかうを描いて見せてやれば、死んだ二人はきっと喜ぶだろう』って。
そして僕は気付いたんだ。それが、僕が旅する、僕がもすかうを描く目的だってことにね」
自信満々に言い切ったショボンさん。だけど僕は、どうしてもそれに納得がいかなかった。
ショボンさんは線路の先に沈む夕陽を見て、旅を始めた。
神の国に死者の面影を求めて、歩きはじめた。
しかしそれが絵空事だと気づき、それでも何となく楽しかったから、旅を続けた。
そして線路の上を歩くうちに、絵を描き続けるうちに、もすかうを描きたいと思うようになった。
その理由に、旅の途中で気がついた。
けれどそれは、単に自分の行動に理由を後付けしただけの話じゃないか?
自分のしてきたことを後々振り返って正当化する。
ショボンさんのしていることはそれと同じだ。
そこで見つかった答えが、真の意味であるはずがない。
(´・ω・`)「そう言いたい顔をしているね?」
(;^ω^)「お……」
いつの間にか、こちらを振り返っていたショボンさん。
読心術を使ったかのように僕の考えを正確に口にしてみせた彼は、
しかし、穏やかな顔をしていた。
(´・ω・`)「僕が以前言ったことを覚えているかい?
人間は、終わりというフィルターを通してでしか、物事の価値を評価できない。それと一緒さ。
僕たちの行動の目的や意味なんてね、その終わりで、
もしくはその途中で振り返ってからでしかわからないと思うんだ。
目的ありきで行動する自由なんて、僕たちにはほんの一握りしか与えられていない。
僕たちの行動の多くは、何んとなくか、周囲に流されるか、もしくはそうせざるを得なかったことに始まる。
だからこそ、行動を続けていく中で、意味や目的といったものは作られていくんじゃないかな?」
彼は僕の手からナイフと皮鞘を取り上げると、流れるような仕草で懐に仕舞った。
それからまた面相筆を手に取り、仕上げだと言わんばかりに、ちょんちょんとキャンパスに雪を降らせた。
(´・ω・`)「言うなれば、すべては後付け。
君が歩く意味も、僕が旅する理由も、そして生きる目的さえも、すべては後付けに過ぎないのさ。
僕はそれが正しいと信じている。
それが正しいことだからこそ、僕は旅の目的を後付けることに成功したんだ」
絵が完成したのだろう。
ショボンさんは「うん」と小さくつぶやくと、筆を置いて立ち上がった。
そして、僕と向き合う。声だけでなく眼も使い、彼は語る。
(´・ω・`)「ブーン君。なぜ君が歩き続ける羽目になったのか、その経緯を僕は知らない。
ただ何となくだったのかもしれない。誰かに命令されたからかもしれない。
辛いことから逃げ出すためだったのかもしれない。もしかしたら、旅をするしかなかったからかもしれない。
僕は君にそれを聞かない。だって君も、あの時僕に聞かないでいてくれたからね。
だけど、一つだけ言わせておくれ」
その時、雪原の上を風が渡った。
舞い上がった粉雪が太陽に照らされ、キラキラと輝きながら空気中を漂う。
その中でショボンさんは、目をそらすことなく僕を見つめ、笑って言葉を贈ってくれた。
(´・ω・`)「君がその意味を知りたければ、歩き続けるしか道はない。
歩いて歩いて歩き続けて、立ち止まって振り返った時、それまでのすべてがカッチリ噛み合う、
そう説明づけられるだけの意味が、いつか必ず見つかるはずだ。この僕のように、ね。
だから君は、これからも歩き続けなさい」
まるで遺言のようなショボンさんの言葉。
そして彼は「テントに持っていってくれ」と残すと、描き終えた絵を僕に手渡した。
そこには月の色に輝くバイカル湖と、その真ん中にたたずむ少女らしき人間が一人、
暖色を主として描かれていた。
その少女が誰なのか?
答えの分かりきった問いを飲み込んで、
僕はテントとは別の方向へと歩いて行くショボンさんに声をかけた。
( ^ω^)「ショボンさん。あなたはこれから、どこに行くんですかお?」
雪原での真ん中で立ち止まったショボンさん。
おずおずとこちらに振り返った彼は、恥ずかしそうに顔を赤らめて、言った。
(*´・ω・`)「……う、うんこ」
(;^ω^)「……いってらっしゃい」
(*´・ω・`)「……うん」
ぽつりとつぶやきを残したショボンさん。
よほど切羽詰まっていたのだろう。彼は駆け足で白の中に消えた。
冬の山での、ひとときの語らい。
その終わりは、とても残念なものだった。
やがて間もなく、冬は過ぎ去り、旅立ちの春が訪れた。
名残を惜しんでくれたイルクーツクの村人たちと固い握手を交わし、
僕たちはまた線路の上を歩き始める。
いくつかの川を渡り、いくつかの山を越え、
いくつかの村に立ち寄り、いくつかの季節を通り過ぎ、ひたすらに日々を歩き続けた。
成長した子犬たちのおかげもあり、旅はますます快調に進む。
これまでにない速度で線路の上を進み、夏の終わりにはウラル山脈のふもとまで辿りついた。
ここを越えれば、モスクワまであと一〇〇〇キロを切るだろう。
冬を越えれば、次の夏には辿りつける。
眼前に迫っていたウラル山脈ふもとのズラトウスト廃駅を視界にとらえ、僕はそう確信した。
そして、その付近に村がないか、探そうと線路を離れたその時。
ショボンさんが、ガクリと地面に崩れ落ちた。
― 7 ―
地面にうつぶせに倒れたショボンさん。手をつくことすら無く頭から倒れこんだ彼。
その口元からおびただしい量の血が吐かれているのを見て、僕は事態が急を要することを理解した。
ただちに彼を台車に寝かせ、ビロードとちんぽっぽとともに村を探した。
廃駅のそばだったことが幸いし、すぐさま村は見つかった。駆け込んで医者を所望する。
現れた村長に事態を説明すれば、彼は手早く医者と名乗る人物を呼んでくれた。
といっても、現れたのは単なる村のご意見番。
ただ長く生きているだけの、よぼよぼの腰の曲がった老人。
千年後の、それもへんぴな片田舎にあるこの村には、
医療施設はおろか、医学知識を持つ者さえ存在しなかったのだ。
老人はショボンさんを一目見て、流行り病に冒されていると診断を下した。
その症状を詳しく聞いた僕は、それが結核のものとよく似ていることに気が付く。
(; ゚ω゚)「ストレプトマイシンはないのかお!?」
めまいを覚えながらあるはずのない薬品の名を叫び、すぐさま僕は頭を抱えた。
知識はある。方法も知っている。
しかし、結核に対する特効薬とも呼ぶべきストレプトマイシンを放射菌から分離させる設備はおろか、
それを投与する注射器さえこの村には存在しない。
( ω )「……何が天才だお。ただの頭でっかちで、結局僕には何も出来ないじゃないかお……」
ただ知識があるだけ。それだけの僕に、価値など欠片もなかった。
床に横たわったショボンさんの頬をなめ続けるちんぽっぽの方が、僕よりよっぽど役にたっていた。
(;*'ω' *)「ぽっぽ……」
(;´‐ω‐`)「うう……くっ……」
くらむ視界の中に、うなされ続けるショボンさんの顔が映る。
( ω )「クソ……クソッ……!」
けれど、僕に出来ることと言えば、
己の無力さに歯噛みしながら、古びた木製の床に向け、ガンと拳を打ち付けることだけだった
それから三日三晩眠り続けたショボンさんは、四日目の朝、ゆっくりと目を覚ました。
すっかり痩せてこけ、頬の肉がそげ落ちてしまっていた彼は、力ない笑いを浮かべて僕たちに声をかける。
(ヽ´・ω・`)「悪いね……心配をかけてしまって……」
(; ^ω^)「気にしないでくださいお。
ひと冬はここに留まらせてもらえますから、ゆっくり休んでくださいお」
(ヽ´・ω・`)「それは良かった……春までには……必ず治す……」
かすれた声でそう呟いて、そばについて離れようとしないちんぽっぽの頭を撫でたショボンさん。
けれど、彼に完治の見込みがないことくらい、僕には嫌というほどわかっていた。
これまでの歴史の中で、どれほど多くの人間が結核を前に倒れたことか。
何も知らない方が、まだ希望が持てるだけ幸せだった。
知識があるとはかくも残酷なものかと、冬の間、宛てのない恨み事ばかりを僕は思い続けていた。
滞在期間中、絵を描くことすらなく静養を続けたショボンさん。
そのおかげか、多少なりとも病状は改善に向かったが、
一歩間違えれば死に直結することくらい、誰の目にも明らかだった。
すっかり食も細くなった。かつての面影を見失うほどに痩せこけてしまった。
髭も髪の毛も急速に白みはじめ、発する言葉には後ろ向きなものが多くなった。
(ヽ´・ω・`)「ブーン君。もし僕が道半ばで倒れてしまったら、
僕の死体をもすかうの大地に埋めてくれないか?」
(;^ω^)「馬鹿なこと言わないでくださいお! ショボンさんらしくもない……」
(ヽ´・ω・`)「ははは……そうだね。らしくないよね」
乾いた笑いをあげて、ちんぽっぽの頭を撫でるショボンさん。
彼は自分に言い聞かせるように、誰にともなく声を発した。
(ヽ´・ω・`)「ここまで来た。残りの人生のすべてを賭けて……ここまで来たんだ。
こんなところで負けるわけにはいかない。こんなところで……死ぬわけにはいかない」
( ^ω^)「……そうですお。死んじゃダメですお」
(ヽ´・ω・`)「……うん」
しかし返答に力はなく、対照的に彼が放った「死ぬ」という二文字だけが、なぜか妙な現実味を帯びていた。
それからまたちんぽっぽの頭を撫でたショボンさんの風貌は、老人のそれと言って間違いはなかった。
考えてみれば、ショボンさんが老け込んでしまったのも無理はない。
医療技術は原始的。厳しい土地柄を考慮に入れれば、
シベリアの住人の平均寿命は五十を切ると見て外れすぎということはないだろう。
さらに、出会った当時ですでに、彼の齢は四十代前後。
その時でさえ彼は、この世界においては壮年と形容して差し支えない年齢に達していたのである。
それから二年半も厳しい旅をつづけ、そして病に倒れた。
うっ積した疲れが表れ、急速に老け込んでしまうのは当然のことだ。
むしろこれまでが若々しすぎたと言える。おまけに、予想される病名は結核。
( ^ω^)「ショボンさんは……もう長くはないお」
彼の病床から外に出て、連なるウラルの山々を眺めた。
真冬の雪で純白に染まったそれが、美しいとではなく、
まるで誰かの死に化粧のように、僕には感じられてしまった。
( ^ω^)「その前に……辿りつけるのかお?」
はじめは簡単に超えられると思っていたウラルが、とてつもなく高い壁に感じられていた。
やがて、春が訪れる。
起こった出来事とは裏腹に、これまでで一番温かい春だった。
この頃、立ち上がれるくらいには回復していたショボンさんは、
荷物をまとめ、直ちに出立しようと言い始める。
(;^ω^)「もう少し回復するのを待ったほうがいいんじゃ……」
(ヽ´・ω・`)「これ以上回復の見込みがないくらい、僕だってわかっているさ。
妻も娘も、同じような病に冒されていたからね」
ショボンさん自身、死期が近いことをその身でひしひしと感じているようだった。
だからこそ、一刻も早く旅立ちたい。命を削ってでも、彼は進むつもりだ。
(ヽ´・ω・`)「だからその前に……
いや、まだ体が動く間は、僕はもすかうを目指し続けなければならない。
これまで僕たちを留めてくれた村人たちのためにも。
ずっと旅に付き合ってくれた君やちんぽっぽたちのためにも」
痩せこけたショボンさんの顔。
病的なまでにくぼんだ眼骨は、いつか見た麻薬中毒者たちのものとそっくりだった。
けれど、瞳の中にある光は、確かな意思をたたえていた。
そんな切実な想いの彼を前に、僕はこう返すことしか出来なかった。
( ^ω^)「夏が来る前に何としても辿りつきましょう。
目いっぱい飛ばせば、辿りつける距離のはずですお」
放った言葉に、嘘偽りはなかった。
事実、僕たちと同じようにかつてロシアを横断した東洋人大黒屋光太夫は、
単純な移動時間だけで言えばわずか十ヶ月で、
カムチャッカ半島からモスクワのさらに西、サンクトペテルブルクまでたどり着いてみせたのだ。
もっとも、彼は僕たちとは違い、多くの仲間や現地の案内人、そして立ち寄る町を持っていた。
食糧を自給自足する必要がなかったことも考えると、
僕たちの旅と彼の旅を単純に比較することはできない。
しかし、出来るのだ。
ここから目いっぱい台車を転がせば、うまくいけば一か月もかからず
モスクワへたどり着けると証明してみせた男が、歴史のかなたに存在しているのだ。
だから、その先にある懸念事項から目をそらしさえすれば、僕たちはモスクワに辿りつける。
(ヽ´・ω・`)「ははは……なんだかもすかうの位置を知っているような口ぶりだね……」
するとショボンさんは、僕の言葉を聞いて、こんなことを力なく呟いた。
僕は慌てて否定する。
僕の頭の中にある懸念を、彼に悟られるわけにはいかない。
(;^ω^)「そ、そんなことはないですお! 何となくそんな予感がするんですお!」
(ヽ´・ω・`)「ふふふ……そうかい……」
荷物を積み込む手を休めないまま、ショボンさんは横目でちらりと僕の顔を捉えた。
何もかもを見透かしているかのようなその視線から逃れるように、僕はあわてて荷物で顔を隠した。
次の春先。早々に村を出立した僕たち。
自殺行為だと言って反対してくれた村長や医者と名乗る老人に丁重な礼を述べ、
台車に積み込める限りの食糧や薬草の類を分けてもらった。
そして絹のような感触で肌をなでる初春の風の中、僕たちはウラル山脈越えへと挑んだ。
広大なユーラシア北部を、かつてヨーロッパとアジアとに隔てていた天嶮。
ウラルは単に土地を分かつだけでなく、そこに住む人々の生活や文化をも分断していた。
ただの山脈にはないそんな歴史的な重みが、そして僕たち一行の置かれた緊迫した状況が、
ウラルを物理的、そして精神的な壁として、僕たちの前に高くそびえ立たせていた。
(# *'ω' *)「ちんぽっぽちんぽっぽ――!」
(#><)「わかんないですわかんないです――!」
台車を引っ張るビロードとちんぽっぽ、
そして子犬と呼ぶには申し訳ないほどにたくましく成長した彼らの子ども三匹は、
主人に旅の目的を遂げさせるべく、力の限り線路の上を駆け抜けてくれた。
彼らの頑張りのおかげで、ほどなくして僕たちはウラル山脈を越える。
それ以後もビロードたちは、足を止めることなく神話の道を駆け抜け続けた。
しかし、それが災いした。行程を急ぎ過ぎたのだ。
(ヽ´・ω・`)「ははは……これはなかなか厳しいね」
速度を上げるということは、吹きすさぶ風をさらに強くし、より激しい震動を伴わせるということに他ならない。
老け込み、病を患っていたショボンさんにとって、これらは致命的なダメージとして蓄積され続けていった。
だからこそ僕には、これまでため続けていたツケを払うべき時が、思った以上に早く訪れてしまったのだ。
(;^ω^)「……しばらく休みますかお?」
(ヽ´・ω・`)「いや……止めておく。
僕のことは……気にしないでくれ。遅かれ早かれ……僕は死ぬんだ。
ならば僕は、もすかうの上で死にたい……」
台車の上に横たわり、力なく呟くショボンさん。
彼の意思を尊重したかったが、一刻も早く休ませなければ
もすかうを見る前に彼が死ぬことくらい、僕にだって容易に想像できた。
彼の死期を延ばすのなら、村を見つけて、温かな部屋の中で静養させなければならなかった。
しかし、村は一向に見つからなかった。
村はおろか、かつての地図から鑑みて線路上にあるべき廃駅ですら、
この近辺にはまばらに、いや、ほとんどといって存在しなかったのである。
その上、神の国への唯一の道標であるシベリア鉄道の線路さえも、
西に向かえば向かうほど、途切れ途切れになっていった。
その傾向はもすかう、いや、モスクワに近づけば近づくほど顕著になった。
おまけにウラル山脈を越えて以降、大地に芽吹く植物の数は少なくなり、
さらに、血のような赤が土の色として明らかに目立ち始めるようになっていた。
僕はこの土の色を知っている。
そしてそれが意味することを、否が応にも理解している。
(;^ω^)「この土地は、グレートプレーンズにそっくりなんだお……」
そう。僕が初めて歩いた千年後の大地。
核爆発の被害を存分に受けたであろうグレートプレーンズのなれの果てに、
ウラル以西の大地は眼をそむけたくなるほどに酷似していたのだ。
地面が赤く、植物は少なく、村が一向に見つからない。
あるはずの廃駅がまばらにしかなく、線路が途切れ途切れとなっているのも、
かつてこの近辺で頻繁に核爆発が起こっていたと仮定すれば、
何もかもが一貫した整合性を伴うことになる。
同時に、旅のはじめから抱いていた懸念事項が、僕の中でますます現実味を帯びていく。
決してショボンさんに伝えてはいけない推論が、確固たる真実味を持って僕の脳裏を駆け抜けていく。
(;^ω^)「これで本当に……良かったのかお?」
僕は、進む台車の上で大いに迷った。
このままショボンさんを連れていくか、それとも道半ばで死なせるべきか。
どちらが彼にとって、より幸せなことなのか、と。
なぜなら、僕の予想が正しければ、神の国もすかう
――かつての大都市モスクワは、もはやこの世界には存在していないのだ。
ショボンさんに対し、これまで僕がかたくなに素性を明かそうとしなかったわけ。
立ち寄った村において、ショボンさんから隠れるように千年前の技術を伝えていたわけ。
それらはすべて、僕の頭の片隅に、
限りなく真実に近い上記の推論が消えることなく存在していたことに由来する。
神話の道をたどるショボンさんにとって、僕はパンドラの箱とも呼ぶべき存在だった。
僕はこの世界で語られる神話の中を生きて、今に至っている。つまり僕は、過去を知っているのだ。
いや、正確な過去を僕は知らない。けれど限りなく正解に近いであろう推論を僕は有している。
そして、神話における過去とは、神話の先を目指す者にとっては未来と同じ意味合いを持ってしまう。
つまり、僕というパンドラの箱には、ショボンさんにとっての未来が詰まっていたのだ。
パンドラの箱を開けてしまったものには、もはや絶望しか残されていない。
だから僕は、決して僕自身を開いてはいけなかったし、
ショボンさんにそう思わせるような言動もできる限り慎まなければならなかった。
実際、僕はいくつかそれらしき言動を漏らしてしまってはいたのだが、
幸いにもショボンさんは気付いていなかったので、特別な問題は起きていなかった。
だからこそ僕たちの旅はうまくいっていたし、むしろ順調すぎたりもした。
それに甘えて決断を先延ばしにしていたツケを、
そしてショボンさんとの旅を楽しいと思ってしまっていたツケを、
僕は今、まとめて支払わなければならない時期に立たされている。
そのツケとは、神の国が存在していないのを知っておきながら、ショボンさんに旅を続けさせたこと。
彼の幸せを願うなら、僕は旅の途中で神の国の存在を認めつつ、
つまりパンドラの箱から未来が飛び出さないよう注意しながら、彼に旅を諦めさせなければならなかったのだ。
もしかしたら、そんな方法など初めからなかったのかもしれない。
しかし、僕がもっと早くにちゃんとそれと向き合っていれば、なんらかの方法を見つけられたのかもしれない
そして、もう遅すぎた。もはや何をしようと、ショボンさんの未来には絶望しか残されていない。
このままモスクワへ向かわなければ、彼は目的を果たせず、悔いを残したまま結核に倒れることとなるだろう。
かといってモスクワへ向かえば、彼は存在しない神の国を前にして、絶望のうちに死んでしまうことだろう。
道は二つに一つ。
どちらを選ぶかなんて、僕に決められるはずはなかった。
ツンドラの道の先に夢を見て歩き続けてきた男の未来を、僕程度のものが決めることなどできるはずがなかった。
だから、ひきょう者の僕は、その決断をほかならぬショボンさんに委ねることにした。
( ^ω^)「開けますか? 開けませんか?」
(ヽ´・ω・`)「ははは……何だい? 急に……」
吹く風の温もりが肌に心地よい晩春の夜。
ウラルをだいぶ西へ進んだ平野部の中。
奇跡的に形をとどめていたとある廃駅の上にたき火を起こした僕は、
毛布にくるまり横たわるショボンさんに向け、これから進むべき道を問うた。
( ^ω^)「あなたの目の前に未来の詰まった箱がありますお。
ショボンさん、あなたはその箱を開けますか? 開けませんか?」
(ヽ´・ω・`)「……何だい、それは? ……なぞなぞか、何かかい?」
( ^ω^)「いいから答えてくださいお。開けますか? 開けませんか?」
横たわったまま、たき火をはさんで僕を見たショボンさん。
ゆらめく炎の先。彼の瞳、彼の声には、
もうとっくに失われたと思っていたかつての力強さが宿っていた。
(ヽ´・ω・`)「決まっている。開けないよ。
未来とは自ら掴んでこそ、初めてその意味を持つからだ」
( ^ω^)「……たとえその未来に絶望しかなったとしても、ですかお?」
(ヽ´・ω・`)「無論だ。与えられた絶望より、つかみ取った絶望の方を僕は選ぶ」
そろそろと、床の上から上半身を起こしたショボンさん。
バイカル湖と同じ形をした月が、静かに語る彼を照らしていた。
(ヽ´・ω・`)「それが、何かを目指す権利を振りかざしたもの義務だ。
それを放棄することなんかできやしない。僕は僕のわがままで、
君やちんぽっぽ、ビロード君、子犬たち、神話の道沿いの村人たちに迷惑をかけてきた。
だからもう、僕は逃げられないんだ。散々好き勝手に権利を行使してきたんだから。
もっとも、そんな義務がなくても、僕はもすかうを目指すがね。より良い終わりを得るために」
( ^ω^)「……」
権利と義務、か。
そんなものが、この僕にもあるのだろうか?
内藤ホライゾンにもあったのだろうか?
彼の記憶を思い返して見る。確かに、彼は冷凍睡眠に入ることを一度は望んだ。
しかし、はじめて惚れた女との別れを前にして、彼の意思は揺らいだ。選択は白紙に戻った。
けれど、それにもかかわらず無理やり冷凍睡眠に入らされた彼は、
二千年後の世界を復興させるという義務だけを押し付けられる。
そして、目覚めたのは千年後。
彼に道を選び取る権利はなかった。
周りの状況に翻弄され、ただ義務だけを押し付けられた。
そしてその末路は、言わずもがな。なんと哀れな男だろう。
( ^ω^)(……じゃあ、僕は?)
では僕には、ショボンさんのように何かを目指す、
進む道を選ぶ権利は与えられていたのだろうか?
いつの間にか生み出されていて、
なぜだか贈り物としての意義を果たさねばと思い、歩いてきた。
たぶんそこに別のものを目指す権利なんて
与えられていなかったのだろうけど、これまで疑問には思わなかった。
ただなんとなく千年前の英知伝えねばと思い、
そしてドクオが、ギコが、それを受け継いでくれた。
権利の伴わない義務はもはや果たされており、
それ以後の僕は死ぬことだけを考え続ける。歩く意味だけを求め続ける。
( ^ω^)(その意味は……歩き続けることでしか見つけられない)
もう一度月を見上げる。三日月。
バイカル湖で聞いたショボンさんの言葉を思い返す。
ああ、そうだ。その時、初めて僕は選んだんだ。
歩き続けるということを。それまでは死なないということを。
考えてみれば、道を選ぶ権利はいつでもどこでも転がっているんだ。
そこに付随する義務から目をそらさなければ、
僕たちはいつだってそれを行使することができるのだ。
( ^ω^)(それが選び取る権利。つまり……)
――自由だ。
そして今も、僕の眼の前に自由は与えられている。
ショボンさんを連れて行くか、行かざるべきか。
その義務を果たすつもりがあるのなら、恐れることはない、自分の好きな道を選べばよいのだ。
さあ、僕はどっちを選びたい?
決まっている。ショボンさんは言ってくれた。
絶望しかなくてもつかみ取る。絶望しかなくても行かなければならない。そして何より、行きたいのだと。
( ^ω^)「……わかりましたお」
道は決まった。もはや迷う理由などどこにも存在しない。
僕はゆっくりと立ち上がると、すでに横たわってしまっていたショボンさんの前に歩み寄った。
そして屈みこみ、彼の前に手を差し出す。
( ^ω^)「僕はあなたを、何としてももすかうに連れていきますお。
だからそれまで、絶対に死なないでくださいお」
(ヽ´・ω・`)「ふふふ……死ねるわけ……ないだろう?」
しかし、彼の意思とは裏腹に、握り返してきたその手は冷たく、枯れ木のように細かった。
時間はもう、残り少ない。手段を選んでいる余裕はなかった。
(;^ω^)「お前たち! 正念場だお!
きついだろうけど、なんとか頑張ってくれお!」
(;><)「わかんないです!」
(;*'ω' *)「ぼいんぼいん!」
それ以降、僕はビロード、ちんぽっぽらに全速力で台車を引かせ続けた。
最後の廃駅を出発して一週間。ウラル山脈を越えて、すでに一か月が経とうとしている。
この頃にはもう大地の上に線路の姿はなく、僕たちは辿るべき道を失っていた。
だから文字通り僕たちは、赤土の大地の上をむき出しの車輪でひた走るしかなかったのである。
(;^ω^)「西北西にまっすぐ進めばモスクワのはずなんだお……」
頭の中に焼き付いていた地図、途中で見かけたの大きな湖、
そして星見式によるおおまかな緯度経度の測定結果から、
最後に立ち寄った廃駅をモスクワから東南東におよそ六〇〇キロ下ったスイズラニ駅と類推した。
このように僕は、猛スピードで進む台車の上で、進むべき方向を見定めることだけに全力を注いでいた。
しかしその間にも、ショボンさんの体力は無情なまでに削られていく。
季節は春の終わりへと移りはじめ、気温も大分上がっていた。
とはいえ、線路ではなくむき出しの地面を駆け抜ける台車の揺れ、
そして流れていく風に奪われる体温の量は決して生半可なものではなく、
健康体である僕でさえきついと感じてしまうこの道程は、
病人であるショボンさんにとっては耐え難い苦痛以外の何物でもなかったであろう。
けれど神話の道が途切れ、村も存在せず、
あるのは荒れ果てた大地だけで食糧の補給も満足にいかないこの状況では、
もはやこうやって進む以外に道は残されていなかった。
(;^ω^)「ショボンさん! きついだろうけど耐えてくださいお! 絶対にたどり着きますから!」
(ヽ´・ω・`)「ああ……ああ……」
すでに立ち上がることさえままならなくなっていたショボンさんは、
激しく揺れる台車の上で、毛布に包まりながらうわ言のような呟きを返すだけだった。
それからさらに一週間。休むことなく駆け続けたビロードたち。
しかし彼らにもついに限界がきて、僕たちは進む足を失ってしまった。
ビロードたちは実によく頑張ってくれた。
少ない食糧で飢えを満たし、一日に八十キロ近い距離を走ってくれたのだ。
それなのに、もはやボロ切れにしか見えない体を地面に横たえ、それでも彼らは立ち上がろうとしていた。
(;><)「わかんないです……わかんないです……」
(;*'ω' *)「ちんぽっぽ……ぼいん……」
(;^ω^)「もういいんだお! お前たちは本当によくやってくれたお! あとは僕に任せてくれお!」
これ以上台車を引かせれば、ショボンさんより先に彼らが死んでしまう。
旅の労をねぎらい、残っていた食糧をすべて与え、彼らを台車から解放した。
しかしそれでも、休んでいる時間など皆無だった。ショボンさんがこん睡状態に陥ってしまっていたからだ。
(ヽ´‐ω‐`)「……」
(; ω )「……万事休すだお」
脈拍も息もかろうじてではあるがあった。
けれどもショボンさんは一向に目を覚まさなかった。
時折うなされているかのように数度呻いて、血を吐いて、
あとは不気味なほど静かに眠り続けるだけ。
彼にはもう、本当にわずかな時間しか残されていない。
(; ω )「もすかう! もすかう! モスクワはどこだお!
すぐそばまで来ているはずなんだお!」
疲れからか、朦朧とする頭で叫んで、周囲を見渡した。
しかし周囲に広がるのは、まばらな植物だけの赤色の大地。
空にあるのは陰鬱とした重い雨雲。
地平線の彼方は三六〇度、灰色の雲に溶けているだけ。
(; ω )「方角を間違えたのかお!? いや! そんなはずはないお!」
自分に言い聞かせるように何度も叫んだ。
けれどもそれは、何の気休めにもならない。
ビロードたちの必死の努力のおかげで、
史実におけるモスクワまでの直線距離分はもう充分なまでに消化している。
それでもモスクワにたどり着けないとなると、原因はもはや、
行程の指揮を執った僕以外に考えられなかった。
(; ω )「……空さえ晴れていたら……
もっと正確に現在地を割り出せたのに……」
意味のない言い訳通り、一昨日から空は雲に閉ざされていた。
だから空には星が出ておらず、
僕はうっすらと見える太陽と曖昧な方向感覚だけを頼りに道を示すほかなかったのだ。
( ω )「僕は本当に……役立たずだお……」
そして、呟いた僕をあざ笑うように、ポツリ、ポツリと、空から大粒の雨が降り始めた。
( ω )「でも……でも……」
力なくうつむいた視線の先では、
赤土の上でもけなげに生きようとしている野草がひと房揺れていて、
僕はその芽を手に取ると、一気に口の中へと放り込んだ。
あたりを見渡し、食べられる野草を集めるだけ集め、
台車の影で火を起こして、水煮したそれらをすべて胃に収めた。
それから自分の想いとともにそれらを消化し、立ち上がる。
出来るだけショボンさんに雨風が当たらぬよう積み荷を配置しなおし、
少しでも暖をとれるようちんぽっぽを彼のそばに置き、台車を引きずり歩きはじめる。
( ω )「僕は何も出来ない役立たずだお。だけど……」
――それが、僕の自由に対する義務。だからそれでも、前に進むしかなかった。
進み続けた。こぼれ落ちてくる雨に打たれながら、夜が更けても台車を引き続けた。
いつかショボンさんが言っていたように、歩いて歩いて歩き続けた。
けれど、雨と雲と夜に閉ざされた地平線の先に何も見つけることは出来ず、
ついに限界を迎えた僕は、もうダメだと地面に膝をつき、それきり歩みを止めてしまった。
それから這うようにして荷台へとたどり着き、ショボンさんの容体を診る。彼の体に手を触れる。
( ω )「……今夜が峠かお」
病の体で雨に打たれ続けたショボンさん。冷たくなっていた彼の体。
かろうじて口からはか細い息、そして血を漏らし続けてはいるが、
もう死に体と称して差し支えない状態へと陥ってしまっている。
彼の顔を必死になめ続けるちんぽっぽの姿が、痛々しくて見ていられなかった。
( ω )「ショボンさん……ごめんなさいだお」
許しを請うように地面にひざまずいて、僕はそれだけを残した。
(*'ω' *)「ちんぽっぽ! ちんぽっぽ!」
鼓膜の震わすちんぽっぽの声に目を開けば、
映るのは透き通るほどの星空と銀色に輝くまん丸い月。
「まるで空の穴みたいだ」と、「あの先には何があるのか」と、ぼんやり満月を眺めていた僕。
しかし、またしても聞こえたちんぽっぽの鳴き声に引き戻され、
僕は自分が何をしてしまったのかを思い出す。
(;゚ω゚)「馬鹿かお僕は!」
飛び起きて、立ちくらみから膝に手をつく。それから自分を罵倒する。
なんということだ。僕は眠ってしまっていたのだ。
そんな暇などなかったのに。ショボンさんが生死の境をさまよっていたというのに。
(;゚ω゚)「ショボンさん!」
叫んで台車の荷台へと顔を向け、僕はわが目を疑った。
なぜならそこに、眠っているショボンさんの姿がなかったからだ。
(ヽ´;ω;`)「……」
その代わり、荷台の上に上半身を起こし、前を見つめて泣いている彼がそこにいた。
ショボンさんは泣いていた。傍らで何かに対し吠え続けるちんぽっぽを支えとして、
台車の上で上半身をしっかりと起こし、ある一点をひたすらに見つめ、ぼろぼろと大粒の涙をこぼしていた。
僕もその方角へと目をやる。
西。僕が目指していた方角とわずかに異なった道の先。
いつかと同じ色をした満月。眩いばかりのその光が、
涙を流すショボンさんと吠え続けるちんぽっぽ、彼らの見つめる先を僕に照らしてくれていた。
(;゚ω゚)「あれは……」
くらむ目をこすり、もう一度目を凝らしてまじまじと見る。
月明かり。目覚める前とは正反対に澄んだ空気。
雨と雲など、遮るものなど何もないまっさらな夜空。
その先に、地平線の向こうに、
明らかに山とは異なった幾何学模様の凹凸がいくつも連なっているのが見えた。
それはまだ全容を明かしていない。
夜に隠され、地平線の上に影としてしかその姿を現していない。
けれど、それだけで十分だった。
僕にはわかる。たとえそれが他人の夢であっても、ずっと一緒に追いかけてきたから。
そしてそれを夢として追い続けてきたショボンさんには、ちんぽっぽには、もうはっきりとわかっているようだ。
そう。あれはモスクワ。否、もすかう。
遥かなるシベリア鉄道。神話の道と呼ばれたその先にある、紛れもない神の国だ。
(*^ω^)「ショボンさん! やりましたお! 僕たちは辿りついたんですお!」
(*'ω' *)「ちんぽっぽ! ちんぽっぽ! ぽっぽぽっぽ! ちんぽっぽぼいん!」
(ヽ´;ω;`)「ああ……ああ……!」
荷台へ飛び乗りショボンさんの肩に手をやれば、
彼は起こした上半身をぶるぶると震わせているだけで、
影として地平線に浮かび上がるもすかう以外、もはや何も見えていないようだ。
僕はすぐさま積み荷をあさり、ショボンさんの画材をすべて取り出して、彼に手渡す。
彼はぶるぶると震える手でそれらをつかみ取ると、荷台に上半身だけを起こしたまま、一心不乱に絵を描き始める。
その後ろ姿があまりにも弱弱しくて、僕は思わずその肩に手をやり、彼を支えた。
そして彼の肩越しから見えるもすかうの影を見て、押し黙ってしまう。
彼の冷たい体に触れたせいで、熱を帯びていた感情が冷め、冷静さを取り戻してしまった。
思い出してはいけない真実を思い出してしまった。
あれは間違いなくもすかうだろう。だけど、ただそれだけ。
目の前に浮かび上がるもすかうは、きっと、神の国などではない。
けれど、夜と満月が味方してくれていた。
夜はうまいこともすかうの真実を隠していて、その影だけを満月は浮かび上がらせてくれていたのだ。
何も知らないショボンさんは、だから疑うことなく筆を握った。
無言でもすかうの影とキャンパスを交互に見つめながら、ただひたすらに筆を動かし続けた。
いつもは数十分で仕上がる彼の絵。しかし、このときばかりは違った。
空に昇った満月が傾きはじめ、東の空が白みはじめる手前まで、ずっとずっと彼は描き続けた。
(;^ω^)(日が昇る前に、真実が白日のもとにさらされる前に、早く……)
―― 一刻も早く、完成してくれ。僕はそれだけを願い続けた。
そしていよいよ日が東の空に顔を出そうとしたその時、彼の筆は止まった。
そのままポトリと握られていた筆が荷台の上を転がり、赤土の大地に落ちた。
僕の口から安堵のため息が漏れた。
ショボンさんの口から、最期のつぶやきがこぼれた。
(ヽ´;ω;`)「ペニサス……ヘリカル……僕は……描いたんだ……
……神の国を……もすかうを……僕は……描けたんだ……」
それだけを遺して、彼の首はガクリと垂れた。
( ^ω^)「……ショボンさん、おめでとうございますお」
二度と起き上がることのない亡骸に声をかけ、そっと、荷台の上に横たわらせた。
描いている間ずっと黙っていたちんぽっぽが彼の遺体をじっと見つめ、一度だけ絞り出したような鳴き声を上げた。
それを聞き届けた後、死体が握ったまま決して放そうとしなかったキャンパス、
そこに描かれた絵を僕は眺める。
これまでの彼の絵には見られない様々な色を用いた、神々しいまでに煌びやかな色どりの町並み。
互いに手を取り合い、仲睦まじげな様子でそれを眺める、三人の親子と、一匹の犬のものらしき後姿。
ツンドラの道を歩き続けた男は、その先、その終わりに、確かな夢を描いていた。
これ以上ないくらいに切ない夢。僕はその結末を、今ここで、確かに見届けた。
( ><)「わかんないです! わかんないです!」
しかし、夢とはただの夢。絵を眺めて歯噛みして、ビロードの声を合図に顔をあげる。
日が、僕の背中から登り始めていた。
東の山際から、強烈な光が差し込み始めていた。
そして、西の大地が照らされる。
夜という名のベールがはがれおち、それに覆われていた真実が浮かび上がる。
( ^ω^)「……」
( ><)「……」
ショボンさんの描いたもすかう。
僕とビロードの目の前、西の地平線の先に浮かび上がったのは、
絵の中の町とはどう考えても似つかない、
誰がどう見ても廃墟と呼ぶしかないまでに崩れ落ちた、高層ビル群の残骸だけであった。
― 8 ―
辿り着いたもすかう、否、モスクワは、遺跡のようなたたずまいをしていた。
いや、「ような」ではなく、モスクワは完全なる遺跡と化していた。
崩れ落ちたビル群。路上に転がっている無数のコンクリート片。
割れてすっかり風化してしまっているアスファルトの隙間からは雑草たちが芽吹いていた。
吹く風は砂埃を巻き上げ僕の視界を霞ませていて、
空から照りつける晩春の太陽でさえ、そこに色を作り出せないようであった。
(;^ω^)「……思ったより狭いお」
遺跡は、歴史上のモスクワに比べて明らかに狭かった。狭すぎた。
遠目から眺めた際には広く見えていたのだが、どうやらそれは僕の錯覚に過ぎなかったらしい。
現存しているのはかつてのほんのひと区間だけのようであり、
都市の大部分はきっと、消滅したか、この赤土の下。
(; ゚ω゚)「……うっ!」
その元凶の名前を思い出した僕は、
モスクワに足を踏み入れて以来ずっと襲われ続けていためまいの限界を迎え、
胃の中のものをすべて吐き出してしまった。
(; ゚ω゚)「ゴェェ!!ガハッ!ゴェェェ!!」
すっかり風化し土色となっていた道路の上に、それとよく似た色の吐しゃ物が流れ落ち、馴染んでいく。
それでもめまいは去ってくれず、僕はその後十数分に渡って廃墟の上に吐き続けることとなった。
その間、悲鳴を上げ続ける体とは正反対に冷静な意識の中で、このおう吐の原因は何かと考えてみたりもした。
はじめに思い浮かんだのが、僕も結核を発症してしまったのではないかということ。
しかし子どもの頃に予防ワクチンを接種していたことを思い出し、結核はすぐに否定された。
では、他に原因はあるのかと考えた時、唯一思い浮かんだのが、内藤ホライゾンの存在だった。
世界有数の大都市であったモスクワを遺跡へと貶める原因を作り出したのは、ほかならぬ彼。
僕を包むこのモスクワの廃墟は、言ってみれば内藤ホライゾンの罪の象徴だ。
そして、この体のどこかにある内藤ホライゾンの意識が、
己の原罪を前にして一刻も早くこの場から離れたがっている。
それがこの体をして胃液を吐き出させ続けている原因なのではないだろうかと、僕は考えた。
真偽のほどは定かではないが。
(;^ω^)「うぇ……もう吐くもんがないお……」
吐いて吐いて吐きまくって、もはや口から何も出てこなくなってようやく、僕は再び立ち上がることが出来た。
まだフラフラとめまいはするけれど、先ほどに比べればかなりマシな状態まで回復していた。
それからしばらく廃墟の中をうろうろとさまよって、
おそらくはその中心部であろう場所にたどり着き、僕は足を止める。
( ^ω^)「ショボンさん。お借りしますお」
台車の荷台に載せてあった亡骸の懐からあのナイフを取り出し、皮鞘から抜く。
手頃なアスファルトの割れ目に刀身を這わせ、その下の赤土を人の体の大きさほど露出させる。
その後、浅くではあるが、人間一人分は収められるだろう穴をそこに掘った。
(; ^ω^)「大した強度と切れ味だお」
遺品の有用性に舌を巻きつつも作業を終えた僕は、
いったんそれを地面の上に置き、台車へと歩を進めた。
それから遺体と彼が最期に描いた絵、そして画材一式を抱え、掘った穴の中にそっと横たえる。
その上に土をかぶせた後、
傍らでじっと動かず埋葬の様子を眺めていたちんぽっぽの頭をひと撫でして、僕は口を開く。
( ^ω^)「ショボンさん。これで約束は果たしましたお。
もすかうの絵も入れておきましたから、あっちでご家族に見せてやってくださいだお。
それと、残りの他の絵は、墓掘りの駄賃として僕が頂いておきますお」
笑いながらそう呟いて、置いていたナイフを皮鞘におさめ、手に取る。
そのまま、ザクッと、盛った土の上へ深く突き刺した。最後に目をつむり、静かに両手を合わせた。
これが、神の国を目指した男の墓標。
その名前はわからなくていい。ただ、いつか誰かがここを訪れた際、
このナイフを目印にして、僕と同じようにその手をそっと合わせてくれればいい。そう、願った。
( ^ω^)「ショボンさん。本当におめでとうございますだお」
いつの間にか、墓の周りに集まっていたビロードと三匹の子犬たち。
目を開いた僕は彼らに囲まれたまま、もはやどこにもいやしないショボンさんへと話しかけた。
( ^ω^)「正直言うと、僕はあなたをここに連れてくるべきなのか、ずっと悩んでいましたお。
僕は千年前の人間ですお。神話が神話になる前から生き続けている人間ですお。
だから神の国なんて無いこと、僕は初めから知ってたんですお。ごめんなさいですお」
それを聞いて、ずっと僕の傍で墓標を見続けていたちんぽっぽが、ぴんと耳をそば立てた。
すぐさま彼女の頭へと手をやり、同じように「ごめんなさい」と声をかけて、続ける。
( ^ω^)「だけど、結局それを言えないまま、僕はここまで来てしまったお。
それはたぶん、ショボンさんやちんぽっぽと旅することが楽しかったせいだお。
ずっと独りで、途中からはビロードと二人っきりで旅してきたあの時の僕は、
自分では気づいてなかったけど、きっと寂しかったんだと思うんですお。
ビロードだって寂しかったと思うお。なあ、ビロード?」
( ><)「わかんないです!」
声を掛ければ、僕とちんぽっぽを囲んでいた輪から
ビロードがひと鳴きして足を踏み出し、僕の隣へ歩み寄った。
彼とちんぽっぽに挟まれる形で再び墓と向き合った僕は、泣いてなどいなかった。
( ^ω^)「あなたと旅した三年間、一緒に歩いて、家族が増えて、同じ風景を僕は見ていられたお。
ずっとこうやって歩いていたいって、僕は心のどこかでそう思っちゃってたんだお。
だからあなたにこのことを言い出せなかったんだお。
だけど今こうやって振り返ってみれば、言わなくて正解だったとも思えるんだお。
だってあなたは、神の国を見たんだお。最期に描いたあなたの絵が、その何よりの証拠ですお」
本当なら、僕が普通の人間なら、ここで泣くべきなのだろうし、そうでなくても自然と涙がこぼれてくるんだろう。
だけど、僕は泣かなかった。いや、違う。どんなに頑張っても、僕は泣けなかった。
腐り落ちた孤独な死体を前にしても、暗い森の中で爆発を耳にしても、
丘の上で殺してやると憎まれても、息をのむほどの美しい風景を前にしても、僕は一度だって泣けやしなかった。
これまでの経験を思い返し、やはり僕には何かが欠落しているのだと、
自分の非情さを皮肉りながら、薄く笑って目を細めた。
( ^ω^)「僕には廃墟にしか見えないもすかうも、
あなたにとっては紛れもない神の国だったんだお。
ずっとずっとそれだけを目指して旅を続けてきたあなたは、
いつしか現実さえ夢に書き換えてしまえるほどの力を手に入れていたんですお。
……いや、そうじゃないお。ずっともすかうを信じ続けてきたあなたにとっては、
たとえそれがどんな姿をしていたとしても、きっとその絵と同じような神の国に映ったはずですお」
だから僕の心配など、空から天が落ちてくると心配したどこかの王様の故事ように、無駄で意味のないことだったのだ。
予想だにしなかった最良の結果を迎えた今となっては、本当にどうでもよい悩みだったと笑えてくる。
クーを埋めるしかことが出来なかったし、ドクオの行動を止められなかった。
その結果ギコやしぃちゃんには恨まれるだけだったし、三年もの旅の中でもショボンさんに何も告げられなかった。
やっぱり僕は何も出来ない傍観者に過ぎなかったけれど、こうやって笑っていられるなら、それで十分かなと思える。
こうやって歩き続けていれば、いつか必ずその意味が見つけられると、漠然とだけどそんな風に思えてくる。
( ^ω^)「ショボンさん。死んで人生を振り返って、
生きる意味を後付けすることが出来ましたかお?」
最後にそんなことを尋ねて、僕はもう一度手を合わせた。
答えなんて望んではいなかった。聞き手さえもいらなかった。
ただ自分に言い聞かせるように問いを声に出すことが出来れば、それだけで十分だった。
(;^ω^)「……お? おっとっとっと……」
それから立ち上がった僕は、再びのめまいを覚えて、廃墟の上で不思議な踊りを踊った。
僕のどこかにいる内藤ホライゾンは、どうやら早急にここから立ち去りたいらしい。
(;^ω^)「まったく……感傷くらい浸らせてくれてもいいのに……」
ぶつぶつと独り言を呟いたあと、とりあえず吐くほどの気持ち悪さではない健康状態を確認した僕は、
台車へと足を運び、次の旅への荷造りを始めた。
ショボンさんのテントはひとり旅には大きすぎる。僕が以前使っていたテントだけを持っていくことにした。
遺された大量の絵は一つにまとめればそんなにかさばりはしないので、思い出として超繊維の袋の底に入れる。
ショボンさんの使っていた調理用のナイフ、食器なども必要最低限は貰っておくことにしよう。
あと、予備の防寒具、ロープや杭といった雑貨も拝借する。
ショボンさんの台車はここに置いていく。この程度の荷物なら、僕のそりだけで十分に運べる。
(; ^ω^)「うっぷ……またぶり返してきたお……」
あらかた旅の支度が整ったと同時に、またしても吐き気が腹の底から襲ってきた。
まったくせっかちな男だと、どこにいるかもわからない内藤ホライゾンに舌打ちをして、僕は彼らに声をかける。
( ^ω^)「おーい。そろそろ行くお。これ以上ここにいても何も……」
――無いお。
そう言おうとしたのだけれど、僕は思わず口をつぐんでしまった。
(;><)「……わかんないです」
ビロードが困った表情――少なくとも僕にはそう感じられた――で、僕ともう一方を交互に見ていた。
彼は僕を見たあと、しばらくして視線を隣に移した。その先には、墓の前でじっと座っているちんぽっぽの姿。
(; ^ω^)「ちんぽっぽ? どうしたのかお? そろそろ出発するお?」
(*'ω' *)「……」
しかし彼女は僕の声など聞こえていないと言わんばかりに押し黙ったまま、
ショボンさんの墓標だけを眺め続けている。それを見て、さすがの僕でもすべてを理解する。
ちんぽっぽの旅はすでに終わっている、ということを。
ずっとずっと、ショボンさんと一緒に旅を続けてきたちんぽっぽ。
ショボンさんが目的を達成した今、たとえ彼がいようがいまいが、
それでもう彼女の旅も完結してしまっているのだ。
そしてショボンさんがいない今、彼女にこれ以上の旅をする理由はないし、
彼女をここから連れだせる人物ももうどこにも存在してはいない。
きっと彼女は、死ぬまでここで墓守を続けるに違いない。
ならば、見据えている先が違う以上、
僕とちんぽっぽが同じ道を歩く必然性などもはやどこにも有りはしない。
むしろ彼女を一匹の旅犬として尊敬するのなら、僕は笑って彼女と別れ、
いつか出会う日を夢見て大きく手を振らなければいけない。
何より僕はここに留まれない。
これ以上出発を遅らせれば、僕はこみ上げる吐き気により冗談抜きで死んでしまうことだろう。
だから、僕と彼女はここでお別れだ。
そうなると、一番困るのがこいつになる。
(;><)「……わかんないです」
そうです。ちんぽっぽの夫であり、三匹の子犬の父親でもあり、そして僕の旅のパートナーでもあるこいつです。
(;><)「……わかんないですー……わかんないですー……」
所在無げに右往左往しながら、犬なのに器用に語尾を伸ばし、
自分の気持ちを正確無比に鳴き声として表しているビロード君。
妻や子どもたちを取るべきか? それとも僕を取るべきか?
おそらく彼は今、生涯で最も難しい選択を迫られているのだろう。
だけど僕は、それを鼻で笑った。
(; ^ω^)(なーにやってんだお、あの馬鹿は。答えなんて決まってるお……)
家族と友人、どちらを選ぶべきかと問われた場合、
そこによほどの関係性がない限り、家族を選ぶべきだと相場が決まっている。
大体、僕とビロードにはよほどの関係性など存在しない。
何年も、おそらく生涯で一番長い時間を共有してきた仲だけど、所詮はそれに過ぎない間柄だ。
何より生き物としての種別が違う。僕たちの間に家族を上回るほどの関係性など有りはしない。
それなのになぜ、彼には悩む必要があるのだろうか?
( ^ω^)(……いや、待つお)
しかしよくよく考えてみると、ひとつだけ思い当たる節があった。
それは、僕とビロードとの出会いにまで遡る。
あの時、僕は死んでいた彼の両親の毛皮を剥いだ。臭いのついたままのそれをすぐさま着込んだ。
そして、ビロードはなぜか僕についてきた。
僕を親と勘違いしているのかと疑ったものだが、
こうやって思い返して見ると、やっぱりそうであったとしか思えない。
群れを作りそのリーダーに従うイヌの習性も手伝って、
僕をそのリーダーたる自分の親と勘違いしたビロードは、
だから今までどんなつらい道の上でも僕に従ってきたし、きっとこれからも従ってしまうのだろう。
( ^ω^)(僕に騙されているのも知らずに……哀れだお……)
しかし、それならそれで方法はある。
確かに彼を失うのは手痛いが、これからの彼の幸せを願うなら、
これまで騙し続けてきた罪滅ぼしをしたいのであれば、僕は僕からビロードを解放しなければならない。
( ^ω^)(……潮時だお)
それにもう、僕は充分すぎるほどの助けをビロードから受けてきた。そのおかげでここまで歩いてこれた。
僕はビロードに拠って生きる必要は無くなったし、生きていくだけの手段はこの三年間でショボンさんから十分に学んできた。
だからビロードがいなくても、僕はもう大丈夫なんだ。
( ^ω^)「それじゃあ、僕はもう行くお」
そりを引くひもを握り、相変わらず墓前に座り続けるだけのちんぽっぽ、廃墟でじゃれあう子犬たちに声をかけた。
そして、そりを引きずり歩きだす。案の定、ビロードが後ろからついてくる。
( ><)「わかんないです!」
( ^ω^)「おお、ビロード。お前にもいろいろ世話になったお。だけど、もう用済みだお」
振り返って声をかけ、着込んでいた毛皮をゆっくりと脱いだ。
それをビロードの前へと投げ捨て、僕は笑う。
毛皮の下に着ていた原色の衣服から銃を取り出し、向けて引き金を引く。
( ^ω^)「バイバイだお、ビロード」
(;><)「わ、わかんないです!」
何度も何度も、まるで親の敵が目の前にいるかのごとく、ありったけの銃弾を撃ち込んだ。
閑散とするかつての大都市。放った銃声は、ことさら大きく響き渡った。
( ><)「……」
( ^ω^)「おっおっお」
空になったマガジンをアスファルトの上に落とす。
カチャンと情けない音が僕の足元に響いたけれど、ビロードは僕の方を見てはいなかった。
( ^ω^)「おっおっお。そういうわけだお。今まで騙していてすまんかったお」
( ><)「……」
ビロードはアスファルトに横たわった、彼と体毛と同じ色をした穴だらけの毛皮を見つめていた。
耳をそばだてているところを見ると、一応、僕の声は聞こえているようだ。
( ^ω^)「お前はホントに有能だったお。おかげで僕は何度も命拾いしたお。
ま、これに懲りて、今後は人に気をつけることだお。ここに人が来ることはもう無いだろうけど」
( ><)「……」
そりに積んでいた超繊維の袋からストックのマガジンを取り出し、銃に装填した。
それからショボンさんの遺品たる予備の防寒具を羽織って、内ポケットに銃を仕舞った。
いつの間にかこちらを向いていたビロードは、僕と目が合うとぷいと顔をそらして、ちんぽっぽの隣へ歩き出す。
そしてそれ以降、二度と僕へとふり返ることはなかった。
( ^ω^)「……」
僕は墓前の二匹の背中を無言で眺めて、ゆっくりその場をあとにした。
― 9 ―
ひとたびモスクワの廃墟をあとにすれば、体にまとわりついていためまいや不快感は嘘のように姿を消した。
同時に空となっていた胃が消化することを思い出し、盛大に腹の虫を鳴らす。
(;^ω^)「うーん、腹減ったお。ビロード、狩りに行って……」
そこまで言ってビロードがもういないことを思い出した僕は、
取り繕うようにぼりぼりと髪の毛を掻きむしって、食べられそうなものがないかと周囲を見渡した。
広がるのは相変わらずの赤い大地。
季節が夏の手前だけあって、いくらか食べられそうな野草が生えてはいたが、
とてもじゃないが空腹を満たすだけの量は集まりそうにない。
おまけに周囲に河は見えない。
この辺は比較的河の多い地域であったと記憶しているが、今は千年後だ。
河の流れは変わっているだろうし、それ自体が消え去っている可能性もなくはない。
(; ^ω^)「やれやれ……ちょっとカッコつけすぎたかお?」
自分では完璧な別れを演じたつもりであったが、
生きるという現実を前にすれば、そんなものに微塵の価値もなかった。
一度だけモスクワへ振り返って戻ろうかと悩んではみたが、
やっぱりそれは出来ないと思い、意を決して歩きを再開した。
( ^ω^)「歩く意味がわかるまでは、歩き続けなにゃならんのだお」
(; ^ω^)「……でも、早速飢え死にしそうだお」
これまでにないほどの厳しい条件での旅立ち。
久しぶりに一人で引くそりは重く、ますます体力は削られていく。
さらに悪いことに、途中で見つけた植物の芽を口に入れれば、ますます空腹感が増してしまった。
(; ^ω^)「あー……こりゃいかんお。ちょっと歩けそうにないお……」
しばらく歩いて、結局空腹に負けてしまった僕。そりを引く手を放し、仰向けに地面へと寝転がった。
( ^ω^)「そう言えば、前にもこんなことがあった気がするお。確かあの時は……」
――ショボンさんが助けに来てくれたんだっけ。
そんなことを思い返しながら目を閉じれば、
もう三年も前のことなのに、あの時の状況を事細かに思い出せた。
頬に触れたツンドラの大地は暖かくて、
空からはその年一番目の雪が舞っていたっけ。
「わかんないです! わかんないです!」
「ちんぽっぽ! ちんぽっぽ!」
そうそう。音を失ったはずなのに、
不思議と僕の耳にはビロードとちんぽっぽの鳴き声がこんな風に聞こえていて、
頬に触れた何かはこんな風に、とってもとっても温かかった。
だけど、ちょっと違うな。
あの時触れていたのはたぶんショボンさんの指のはずで、今みたいにざらざらした、
まるで犬の舌のような感触では――
( ><)「わかんないです! わかんないです!」
(*'ω' *)「ちんぽっぽ! ちんぽっぽ!」
(; ^ω^)「おお!? なんでわかんないですがいるんだお!? それにちんぽっぽまで……」
妙に現実味を帯びた感触と声を不審に思い目を開けてみれば、
なんとそこには別れたはずのビロードの姿。
身を起してよくよく見れば、彼の後ろにはちんぽっぽ。
じゃじゃ丸、ぴっころ、ぽろりの三匹も、それぞれの口に小動物をくわえて、
僕の目の前に確かに存在していた。
(; ^ω^)「ビロード……何で来たんだお? おまえはあそこで家族を守らなきゃダメだお」
( ><)「わかってます!」
( ^ω^)「いや、わかっているならそれでいいんだけど……」
(; ゚ω゚)「……って、ええっ!?」
ありえない返答にめまいを覚えながら聞き返してはみたけれど、
当の本人のビロードは、当たり前のような顔をしてしっぽを振りしだいているだけだった。
( ><)「わかんないです! わかんないです!」
(;^ω^)「お、おお……こりゃどうもだお……ありがたくいただきますお……」
それから、いつものビロードの鳴き声を合図に歩み寄ってきた子犬三匹から、
それぞれの口にくわえられていた小動物を受け取った。
よくわからない状況にどぎまぎしながら敬語で対応していると、
最後にちんぽっぽが、彼女の足元に転がっていた何かをくわえ直し、僕の前へと歩み寄ってきた。
( ^ω^)「これは……ショボンさんのナイフ。……僕が持っててもいいのかお?」
(*'ω' *)「ちんぽっぽ! ちんぽっぽ!」
構わないと言わんばかりにしっぽを激しく振ってくれたちんぽっぽ。
彼女の唾液まみれた皮鞘から引き抜いてみれば、
やっぱりそれは、ショボンさんの墓標にしたはずのあの黒いナイフ。
しかし、これを僕が持っていてもいいのか、甚だ疑問だ。
第一これがなくなれば、ショボンさんの墓の位置がわからなくなる。
( ^ω^)「ショボンさん……いいんですかお?」
答えを求めるように、廃墟を振り返った。
それを見て僕は気付いた。
ああ、この廃墟のモスクワ自体が彼の墓標なのだ。
僕が作らなくても、彼の墓はもうすでに、
彼が旅を始めた時点できっと出来あがっていたのだ。
もちろんそれが、僕がこのナイフを受け取っていい理由にはならない。
しかし、ほかならぬちんぽっぽが許してくれるのなら――
( ^ω^)「……それじゃ、これはありがたく頂いておくお」
(*'ω' *)「ちんぽっぽ! ちんぽっぽ!」
僕が懐にそれ入れれば、ちんぽっぽは大きくひと鳴きして、空に向かってぼいんと跳ねた。
それから僕は火を起こし、頂戴した小動物の肉を焼いて、五匹と最後の食事を楽しんだ。
胃が少し痛く感じられるほど多くの肉を腹に入れ、残ったわずかな肉を保存色とする。
あとは水さえ手に入れられれば、少なくとも数日は歩けるだろう程の体力が、僕の中には戻っていた。
( ^ω^)「最後の最後まで世話かけちゃってすまんかったお」
炊き火がくすぶり始めたころになって立ち上がった僕は、
五匹それぞれの頭を順に撫で、一匹一匹に声をかけていく。
( ^ω^)「じゃじゃ丸、ぴっころ、ぽろり。とーちゃんかーちゃんと仲良くやるんだお?」
三匹「にこにこぷん!」
( ^ω^)「ちんぽっぽ。ショボンさんの墓守はお前に任せたお。
もし変な奴が来たら追い返してくれお。
あと、ビロードは僕に似てだらしないところのあるから、しっかり世話してやってくれお」
(*'ω' *)「ちんぽっぽ! ちんぽっぽ!」
(;><)「わ、わかんないです!」
( ^ω^)「おっおっおwwwww冗談だおwwwww」
抗議しているかのよう声を上げたビロード。
最後に彼の前に座り、頭を撫でながら僕は言う。
( ^ω^)「ホント、お前には世話ばかり掛けたお。
お前がいてくれたから僕はここまで歩いてこれたし、
これからも僕は歩いて行けるんだお」
( ><)「わかんないです!」
( ^ω^)「おっおっお。これまで僕はお前の親みたいな感じで一緒に歩いてきたけど、
振り返ってみれば、むしろお前の方が僕の親だったのかもしれないおね」
( ><)「わかんないです!」
そうひと鳴きして、ビロードが僕の頬をなめる。
くすぐったいその感触を合図に僕は立ち上がり、そりを引くひもを握り締める。
見上げた空では長くなっていた太陽が西にだいぶ傾き始めていて、
別れにふさわしい色を演出してくれていた。
その色が眩しかったから目をこすった。それ以外に理由はない。
( ^ω^)「それじゃあ、達者に暮らすんだお。
もすかうが犬の国って呼ばれるくらい、いっぱいいっぱい子ども産めおw」
(*'ω' *)「ちんぽっぽ! ちんぽっぽ!」
( ><)「わかんないです! わかんないです!」
睦まじい鳴き声に見送られ、僕はモスクワを出発して以来三度目の歩みをはじめた。
歩きながら何気なく後ろを振り返ってみれば、そこには赤い大地と赤い空。
廃墟であるはずのモスクワは、その色どりの中で、なぜか神々しく輝いて見えた。
そして、それらを背に預けた五匹の仲の良い犬の家族は、
腕の代わりにしっぽを振って、僕の旅立ちをいつまでも見送ってくれていた。
― 10 ―
歩き始めて二週間。
何度目かの腹の虫の鳴き声を耳にした僕は、またしても大地の上に倒れこんでいた。
けれど、別に死ぬわけではない。
空腹に襲われているとはいえ、まだまだ歩けるだけの力は十分にある。
なんとなく、仰向けに寝転んでみたかった。
背中には、草たちのクッション。つい先ほど赤土地帯を抜けた僕は、
緑を前にした嬉しさも手伝って、こうして空を見上げているのだろう。
青い夏空を流れる真っ白な雲。流れていくその方角は南。
そして僕が目指しているのもまた、南だ。
より温暖な南へ下れば、近いうちに赤土地帯を抜けられるのではないかと思った。
それに、生きて歩き続けるのならば、温かな場所を目指した方がより効率がいい。
何より、これまでずっと寒冷地帯を歩いてきた僕の中には、
むしろ暑いと思えるほどの大地の上を歩きたいという欲求が生まれてきていた。
生命の躍動がより激しいであろう南に、舞台を移したいと思い始めていた。
目をつむり、そっと、耳をすませた。
渡る初夏の風の音。
草木がこすれる柔らかな音。
小さな小さな虫たちの羽音。
近くを流れているのかもしれない水の音。
この中を、僕は歩く。
より沢山の命が踊る南へむけて、僕は歩く。
かつて、神話の道を旅した男がいた。
悲しみの中からなんとなく旅を選び、目的を見つけ、病に倒れた彼は、それでも最期には夢に辿りついた。
彼とともに歩く中で僕は自由を知り、選び、歩き続けることに決めた。
自由に対する義務を果たすため、これまで一番長く付き合ってきた仲間とも別れ、
何より自分が歩く意味を見つけるため、僕はこれからも歩き続ける。
目を開いて、あたりを見渡した。
夏に萌える草たちが、日の光を吸いつくそうと、葉を広げ、精一杯風に揺れていた。
それから懐かしいことを思い出した僕は、立ち上がって空を見上げる。
( ^ω^)「ショボンさん。あなたと出会った時、
確かあなたの洗濯物も、こうやって風に揺れていましたお」
いるはずのない人に向け声をかけ、懐の銃、腰に挟んでおいたあのナイフを取り出した僕。
その両方をそれぞれの手に持って空に掲げ、いつかの出発の言葉をつぶやく。
( ^ω^)「僕たちの旅に栄光あらんことを」
同時に響いたあの時と同じ銃の声は、いつまでもいつまでも、夏の高い青空の中を響き渡っていった。
第五部 ツンドラの道と、その先に夢を見た男の話 ― 了 ―
― つづく ―
出典:( ^ω^)ブーンは歩くようです
リンク:http://wwwww.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1195322586/

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