哀憐の少女
2009/07/13 14:59 登録: えっちな名無しさん
ある殺人事件が起こった。被害者は五歳になる少女。母親と近くのスーパーに買い物に行き、母親がちょっと目を離した隙に、姿が見えなくなった。警察や地元の住民達が総出で捜索した結果、近くにある山道で遺体となって見つかった。
そこは地元の住民しか知らない旧道で、また住民達も滅多に通らない所だった。警察は犯人は土地勘のある人物と断定して、捜査し、すぐに犯人は逮捕された。以前からマークされていた変質者だった。悪戯目的で連れ出したが、泣かれたのであっさりと首を絞めて殺害し、無造作に道の脇の茂みに遺棄したという。
それからしばらくして、夜に現場を通りかかると女の子の泣き声を聞いたり、姿を見たという噂が立つようになった。そのうち、恐ろしい形相で飛びかかってきたり、車で走っていると、後ろをすごいスピードで追いかけてくるなど、よくある都市伝説の様相を呈すようになった。
「――らしいんだ。今夜俺の車でそこへいって、確かめにいかねえか?」
大学の学食で一緒に昼飯を食っていた同級生のM夫が言い始めた。
「本当かなあ、胡散臭いよ」
俺が言うと、
「なんだよ、お前。怖いのか?」
これも一緒に飯を食っていたJ太がからかうような口調で言った。
「別にそんな訳じゃ」
「じゃ、行こうぜ、実はY子とS美も誘ってあるんだ」
M夫が意味ありげに笑いながら言う。なるほどな、女の子を誘ってちょっと肝試し気分で行こうって訳か。
「まあいいけど……」
どうせ霊の話は眉唾ものだろうが、可愛いと評判の二人が来るのなら行ってもいいかな。
その時、少し離れた席に座っている、一人の人物が目に入った。旨くなさそうに、ラーメンを啜っている、先輩のTさんだ。
彼は寺生まれで霊感が強く、不思議な力を持っていた。以前、俺はTさんに救ってもらったことがある。ビルの屋上から飛び降り自殺し、その後、他の者を道連れにしようとする悪霊に襲われた時だ。そのビルの屋上でやっていたビヤガーデンでバイトをしていた俺は、もう少しで殺されるところだったんだ。
休憩時間に事務所で一息入れていると、なぜか今すぐに飛び降りようと考えてしまったのだ。勝手に身体が動き、人のいない事務所の裏口を出てフェンスをよじ登り始めた。
――俺、なにやってんだろ? 自分の行動を不思議に思いつつも飛び降りることに、いささかの疑問も恐怖も感じていなかった。
「そこまでだ」
フェンスを登る俺の襟首を掴んで引き戻す者がいた。投げ飛ばされるように俺は尻餅をついた。見上げると、そこには同年代の男性が立っている。どこかで見たことがある、と思った。
「てめえが死ぬのは勝手だがな、関係ない奴まで巻き込むんじゃねえ」
凄みのきいた声で彼は言った。
「おら、姿を見せやがれ」
彼は双眸をすっと細めると、なにか小さく呟き始めた。お経のようだったがはっきりとわからない。
「貴様ぁ! 邪魔するな!」
突然俺の背後から声が聞こえた。振り返ると血みどろの男が立っていた。頭は砕け、右目が半分飛び出し、口や鼻や耳からも血を流し、手足は信じられない角度で折れ曲がり……凄惨な自殺者の姿だった。
「借金まみれになってどうにもならなくなったのは、てめえがギャンブルに狂ったからだろうが。自業自得ってやつなのに、将来のある若者を道連れにするんじゃねえよ」
「うるせえ! お前も殺してやる!」
俺は恐怖のあまり動けずにいた。驚くほどの跳躍力で、血みどろの男は彼に襲いかかろうとする。危ない! だが、彼は全く動じずに、両手をすっと前に突き出した。
「破ぁ!」
切り裂くような裂帛の気合いとともに両手の平から青い閃光がほとばしった。
「うぎゃああああああああ!」
青い閃光に包まれた男は跡形もなく消え去った。
茫然としている俺に向かって、
「危なかったな、もう大丈夫だ」
そう言って彼は笑った。それが同じ大学の先輩であり、寺生まれのTさんとの出会いだった。
肝試しの計画を楽しそうに話している二人から離れて、俺はTさんの向かいの席に着いた。
「お久しぶりですね」
「ん?」
Tさんは麺を二、三本口から垂らしたまま、俺の顔を見る。
「なんだ、お前か。それより今年はビアガーデンでバイトしないのか?」
「すいません、本屋でバイト始めたものですから今年はちょっと……」
「ちっ、せめて牛丼屋でバイトしろよ」
「相変わらずですね」
あの出来事の後、Tさんはしょっちゅうビアガーデンへ来て飲み食いするようになった。もちろん俺の奢りで。それはひと夏続き、ビアガーデンの季節が終わると、ひどく残念そうな顔をしていたのだ。
「それより話があるんですけど……」
俺は今夜のことを話すと、Tさんはつまらなさそうに、
「くだらないな。お前、あんな目にあってまだ懲りてないのか?」
と、とりつく島もない口調で言う。
「俺だって信じちゃいませんけど。でももし少女が悪霊になって人を襲い始めたら……」
「ねえよ、そんなことは。馬鹿共が面白半分で流した噂だろうが。あまり面白がってるとひどい目に遭うぞ」
Tさんは不味そうに残ったスープを飲み干した。
「お前もな、くだらないことやってる暇があったら、居酒屋のバイトでも探せ」
そう言ってTさんは、席を立って行ってしまった。
その夜、俺はM夫の車で女の子二人を含む五人で、問題の場所へ向かっていた。Tさんに、ひどい目に遭う、と言われて行く気がしなくなっていたが、臆病者と笑われるのが嫌で参加した。
現場が近づくにつれて、道幅は細くなり、左右は茂みに覆われていた。外灯もまばらで、行き違う車など全くない。その数少ない外灯さえ、電球が切れているのか、明かりを灯していないものが目立った。
初めは騒いでいた女の子達も口数が少なくなり、M夫やJ太の表情も硬くなり始めた。
ほどなくして、車は少女が見つかった場所に着いた。
「ここか」
俺達は車を降りた。
「やっぱり気味悪いね」
Y子が言うと、
「うん、なんか寒くない? もうすぐ夏なのに」
S美がタンクトップから剥き出しになっている両腕を抱くようにさすりながら言う。
外灯が頼りなげにやっと道路上を照らし、道の左右は濃い闇に覆われている。昼間でも滅多に人は通らない。こんなところに僅か五歳の少女は置き去りにされたのか。
不安げな女の子達に向かって、
「大丈夫、もし悪霊が出てもこれがあったら逃げられるから」
J太が明るい口調で言いながら、紙包みを取り出す。
「なんだよそれ?」
俺が言うとJ太は中身を取り出した。それはコンビニで買ったと思われるホットケーキだった。車内で甘い匂いがすると思っていたが、これだったのか。
「どうすんだよ、そんなもん」
M夫も不思議そうに訊く。少女はホットケーキが好きだったという。だから少女が現れたらホットケーキを投げつければいい、と。それに気を取られている間に逃げられると、まことしやかに囁かれていたそうだ。馬鹿馬鹿しい、ほんとに都市伝説じゃないか。
緊張が解けてきたのか、他の四人は煙草を吸ったり、もってきた缶ジュースやお菓子を食べながら、話して笑っている。完全に興味を失っていた俺は一刻も早く帰りたかったが、もうしばらくの我慢か。
「出そうにないね、もう帰ろうよ」
飽きてきたのかY子が言い始めた。
「そうだなあ、そろそろ行くか、カラオケでもいかねえ?」
「ああ、いいねー」
四人は言いながらゴミを片付け始める。やれやれ、やっと帰れる。車に戻りかけたとき、視界の隅で何かが動いたような気がした。
「ん?」
俺は足を止め、道端の茂みに視線を移す。
「なんだよ、どうした?」
M夫が俺の肩に手をかけながら訊いてきた。
「いや、何かが動いたような気がして」
「どこに?」
俺が指さしたそこはまさに少女が遺棄されていた場所だった。
「やだ、やめてよねー」
「はいはい、わかったわかった、もう行こうぜ」
M夫とS美が笑いながら言う。
「いや、待て」
J太もそこに目を向けて言った。
「なんか……見えないか?」
俺達五人は視線を一点に向けたまま動けなくなっていた。暗い茂みの中。そのなかに浮かび上がるようにぼんやりとした白いものが形を作り始めた。
「嘘……」
S美が口を手で覆って呟く。ぼんやりした白いものは人のような形になり……はっきりと人の形になり……それは小さい女の子のような形になり……
「まじかよ……」
M夫が呻くように言った。茂みの中からゆっくりと少女が出てきた。可愛い子だ。あどけない顔に不安げな表情を浮かべ、俺達を見つめていた。頬には涙の跡がある。
「ねえ、ここどこ? ママはどこ行ったの?」
少女は泣きそうな声で言った。女の子達がひい、と喉の奥で悲鳴を上げる。
「ねえ、ママは? パパは? お家へ帰りたいよう……」
少女は言いながら、俺達の方へ近づいてくる。
「うわああああああああ!」
J太が悲鳴を上げ、ホットケーキを少女に向かって投げつけた。
「キャッ!」
少女は小さく悲鳴を上げる。ホットケーキは少女の顔に当たった。かに見えたが、少女の身体をすり抜けて茂みへと消えた。
「怖い……怖いよう」
少女は蹲って、泣き始める。これが悪霊? ただの女の子じゃないか。泣いて怖がって、寂しがってる女の子じゃないか。
「今のうちだ!」
M夫の声に女の子達が、弾かれたように車へと駆け戻る。
「おい! なにしてんだ、逃げるぞ! 悪霊だ、殺されるぞ!」
茫然と立ち尽くしている俺の腕を引っ張ってJ太が叫んだ。
「怖い……怖いよおお……」
それまでか細い声だった女の子の声が急に変わった。
「え……?」
全員足が竦んで動けなくなった。
「ここどこ? 帰りたいよう! 怖いよおおおおおおお!」
老婆のような嗄れた声で叫ぶと、少女は顔を上げた。その顔はさっきのあどけない顔ではなく、目は赤くつり上がり、耳元まで裂けた口からは真っ赤な舌を出し、恐ろしい形相に変わっていた。
「ひいいいいいい!」
J太はまだ残っていたホットケーキを投げつけようとした。少女はJ太をキッと睨み据える。
「馬鹿! やめろ!」
俺は叫んだが、J太は勢いよくケーキを投げつけた。少女は立ち上がり、両手の指をかぎ爪のように曲げ、J太に襲いかかる。
「ぎゃあああああああ!」
少女に飛びかかられ、J太が転倒した。Y子とS美が絶叫し、M夫が腰が抜けたようにその場に座り込む。
「怖いよおおおお!!!!」
少女は、J太の顔に指先をめり込ませ始める。俺は駆け寄って少女を引き離そうとしたが、身体が動かない。
「そこまでだ」
この声。俺が振り返ると、彼が立っていた、寺生まれで霊感の強いTさんが。
――助かった。俺は思った。すぐにTさんは両手を前に突き出す。そして「破ぁ!」と気合いを発して青い閃光を手の平から発するんだ。もうすぐだ。
「お嬢ちゃん、こっちへおいで」
Tさんはあの気合いの代わりに、優しく語りかけた。俺は驚いてTさんを見た。Tさんの顔は、慈しむような表情を浮かべていた。優しく微笑みながら。
「ほら、ママにこれ預かってきたんだ」
そう言って、手にしたものをすっと差し出した。それは白い皿に載った――手作りと思われるホットケーキだった。
「え?」
J太の身体の上から少女の姿が、かき消えたかと思うと、次の瞬間にはTさんの前に現れた。
「ほんと?」
「ああ、ママが作ったホットケーキだよ」
Tさんは、その場にしゃがみ込むと、少女に皿を手渡す。少女の顔は、元に戻っていた。さっきのあどけない、でも不安な表情ではなく、嬉しそうな笑顔を浮かべている。
「嬉しいなあ、ママのホットケーキ大好き」
「いい子だね」
Tさんは少女の頭を撫でた。
「お兄ちゃん、ママとパパの所に連れて行ってくれるの?」
少女はしゃがみ込んで同じ目線になったTさんの目を見ながら訊いた。
「うーん、そうだなあ、今すぐには無理なんだ。ママもパパもちょっと遠くにいてね。だからケーキを食べて待っててねって、いい子にしてたらすぐに会えるからって」
「うん」
少女は嬉しそうに頷く。
「ほんとにいい子だね、だからすぐに会えるよ」
「ありがとう……お兄ちゃん、ありがとう……」
少女の姿は薄くなり、やがて見えなくなった。Tさんはゆっくりと立ち上がった。そしてその場にへたり込んだままの俺達に目を向けた。それまで優しい表情を浮かべていたTさんの顔が険しくなった。
「この馬鹿共が!」
Tさんは、あの『破ぁ!』よりもビリビリ腹に響く声で怒鳴りつけた。突然の雷鳴に遭ったように、俺達はひっと喉を鳴らして首をすくめた。
「悪霊だのなんだの面白半分でいい加減なこといいやがって! 生者の念に死者の念はたやすく同調するんだよ! 特にあの子のように人を恨むことも憎むことも知らない無垢な魂はな、スポンジが水を吸い込むように、同調しちまう。お前らはあの子を本当の悪霊に変えようとしてたんだぞ、わかってるのか!」
鬼のような形相でTさんは言う。
「そんな……」
「それでも生者の悪意を吸い込んで、人に害をなす悪霊になっちまったら浄化するしかない。それがどういうことかわかってるか? 輪廻の輪にも加われず、成仏も出来ず、光りも音もない闇の中に永遠に封じ込められるんだ。それも悪霊でもなんでもなく、ただ親に会いたがって寂しくて泣いてた子をだ!」
J太が泣きながら、頭を下げた。
「すいません……そんなつもりは」
「ごめんなさい……ごめんなさい」
Y子もS美もM夫も泣いて謝っていた。もちろん俺も。
「俺に謝ってもしょうがねえよ」
そう言うと、Tさんは俺達に背を向けた。
「謝るならあの子に謝るんだな」
俺達は車に乗ってその場を後にした。Tさんも車で来ていたので、家の方向が同じだった俺はTさんの車に同乗させてもらった。
俺は思い出してTさんに尋ねた。
「あの、ホットケーキはほんとにあの子のお母さんの?」
「ああ。あの子の母親は今も、毎日ホットケーキを仏壇に供えてるよ。あの子の大好物だったからな」
「どうやってそれを?」
「ま、黙って貰ってきたんだけどな。でもあの子に渡すわけだから構わないだろう?」
それ、不法侵入と窃盗なんじゃ? だけどあの子、本当に喜んでたもんな……
「あの子は、両親にまた会えるんですか?」
「さあな……でも、あの子の両親はまだ若い。この先子どもが生まれるようなことがあったら、またあの子は親の元に帰れるさ」
「帰れるといいですね……」
「そうだな……おっと」
Tさんはハンドルを切ると、深夜まで営業しているリカーショップの前に停まった。
「どうしたんです?」
「なあに、あの子のために今夜は部屋で弔い酒でもやろうと思ってな」
「あ、俺も一緒にいいですか?」
Tさんはニヤッと笑う。
「かまわんが。やっぱりいい酒が飲みたいな、一本980円とかそんな安酒じゃなくってよ」
「はい」
「安酒はだめだよな、こういう時は」
「はい」
「最低一本一万近くする酒がいいなあ……あ、俺金持ってきたかなあ」
……やっぱり。
「……俺が金出しますから」
「お、悪いな」
寺生まれってやっぱりスゴイ。改めてそう思った。
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