温情裁判
2009/07/31 23:37 登録: えっちな名無しさん
京都伏見区桂川河川敷で2月1日、方桐康晴被告が、認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられている事件の初公判が行われた。
事件のないようは認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母親と相談の上で殺害したというもの。方桐被告は母親を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
方桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転し、徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。方桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず9月に退職した。生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、06年1月31日に心中を決意した。
最後の親孝行にと、方桐被告はこの日、車椅子の母親を連れて京都市内を観光。市内のコンビニで、被告は財布に残っていたわずかな小銭で菓子パンを買い、二人で食べたという。
2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で方桐被告が「もう生きてられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。被告が「すまんな」と謝ると、母は「こっちに来い」と呼び、方桐被告が母の額にくっつけると、母は「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、方桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、方桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。裁判では検察官が方桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て、追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。陳述の最中に、検察官が涙で声を詰まらせるという異例の雰囲気の中で裁判は進行した。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。「痛ましく悲しい事件だった。今後あなた自身は生き抜いて、絶対に自分をあやめることのないよう、母のことを祈り、母のためにも幸せに生きてください」裁判官が最後にこう語りかけると「ありがとうございました」と頭を下げた被告。
法廷には、傍聴人と検察官と被告のすすり泣く声が響き、法廷は悲しみに包まれた。
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