深山の秘湯

2009/09/04 00:08 登録: えっちな名無しさん

友人がある町の『昭和を語り継ぐ』活動で、古老から言い伝えや歴史・由緒を聞き溜めている。そんな話の中で、印刷にするのは当分まずいよね、と封印しているエピソードを見せてもらった。

固有名詞や場所の特定を避ける省略をして、書き直してみた。文才も無い固い文章だけど、土地の民俗として生き生きした躍動感も感じられる言い伝えだ。今度休みにはそこに行こうと友人に誘われている。

多分何処の土地にもたくましい人々の営みが連綿と続いているのだろう。妙な遠慮や恥じらいは捨てて人間らしく生きようと羨ましく見た話だ。
 そっけない点は許して頂く・・・・

【エピソード】
うちの嫁は温泉ホテルで働いていた。事務職として入って、フロントから経理から営業まで何でもこなした。それにお客商売は暇な時間と忙しい時が大差だから、人手が足りない部署には誰彼なく駆けつける。

その温泉は山の奥まった不便な場所にあって、自然の恵みと温泉の種類が多いことだけが取り柄の鄙びた温泉地だったが、近年は逆に静かな雰囲気が好まれて少しずつ大きくしてきた。珍しいのは団体客を受け入れず、日帰りでも宿泊でも馴染み客だけで、頑固に新規のお客は必ず紹介を頂いて受け入れた。問題が起きれば紹介した側も連帯責任で、何年かの宿止め(ご利用謝絶)が言い渡された。

客筋が良いために守れたのは混浴で、頑固な先々代の女将が家族とカップルそれに女性客の居心地を大事にして、お湯に満足してもらえなければ温泉の名がすたると堅く混浴を守ってきた。お座敷遊びも盛んでずっと大切にしてきたが、本当の芸者だけを厳選していた。

景色が優れた山に挟まれた温泉は湧き出す岩場を徐々に大きくして、泉質の異なる泉源から引き湯して、そこに内湯と露天風呂を巧みに配して今は立派な湯屋に成長した。昔は脱衣所だけを別々にして、目隠しの巨岩と湯煙で混浴も抵抗なく受け入れられてきた。いっときは湯屋を男女別々の風呂に作り換えろとの圧力もあった。それでも先々代の女将が身を張って拒んで伝統は守られた。現実にそんな巨額なお金を掛けられないし、それでは内湯・露天風呂の風情が台無しになる事情もあった。

そこで取られた苦肉の策は、婦人専用・家族カップル混浴・紳士専用と柔らかく区分して、そのポール柱と仕切り飾り紐を臨機応変に移動させる事だった。客層や時間帯や貸し切りで区画を変えるアイディアだった。大人の入浴客は暗黙の了解で区画を守り、子供たちは気ままに出入りして、和気あいあいとした雰囲気は今に至るまで好評で続いている。まだ湯屋が小規模の時はそれは女将の仕事だった。初めは和服の裾を端折ってたすき掛けで回ったがそれではいかにも場違いだったので、素足に浴衣でたすき掛けで回ることにした。それを見た先々代のかって身を張った婆さん女将が、「自分の家なのだから、そんなもの着ないで隠さずに堂々としていなさい」と意見され、裸で目印の手拭鉢巻が決まりになった。その女将は温泉旅館の娘で、子供の頃から湯屋を遊び場にもしていたので、別にためらうことなく裸で見回りと仕切りの変更の仕事をするのが定着した。

今の若女将に受け継ぐ時には、やはりすんなりとはいかなかった。旅館の跡取り息子が修業先で見染めた同僚を、時間を掛けて口説いて若女将として連れ帰って来た。彼女は本格的にホテル経営学を学んだ優秀な人材で、温泉旅館の伝統の魅力を自分なりの哲学で発展させようと意気揚々と乗り込んできたと聞いている。

跡取り息子との交際時代に何度か湯屋にも入って、彼氏の母親である女将が裸で湯屋を見回っていることに余り意識もしていなかったと後日語っていたそうだ。留学もしていた彼女は、活発な性格で休暇中に保養地でトップレスで過ごす事にも抵抗なく、まずは経験と彼氏と一緒にバーデンバーデンのフリードリッヒサウナやヌーディストビーチを訪れた事もあった。それで跡取り息子も、温泉旅館の若女将としての仕事は、すぐに慣れてくれると早合点していた。

跡取り息子との結婚後、早速若女将としての仕事が始まった。女将と連れ立って客室へのご挨拶を始め、決まり切った作法通りの日常が始まった。事務の仕事もホテル経営学を学んだ身にはさほど違和感を感じる事もなかった。そしてある日に湯屋の仕事の引き継ぎをすることになった。湯屋の裏にある引き湯の調整バルブなどが並んでいる控え部屋に彼女は女将に促されて入って行った。「浴びてから回りましょう」と女将が脱ぎ始めたのを見て、見学するのかと続いて脱ぎ終わって、手拭を手に湯屋に歩み出した。手近の湯船で湯桶で汲み上げて湯をザーッと流して、「今日はお茶の団体ご一行に奥の方に貸し切り区画を作って、あとはポール柱は微調整でよさそうね。」と指示を出して歩き出した。

彼女は興味深く周りを眺めながら従って行く。客と目を合わせて会釈をしながら動く内に、手拭は鉢巻きで頭の周りにあることが気になって来た。女将(義母さま)は裸なのに和服姿の時と何ら変わらない歩みで先に立っている。家族連れらしい一行から声が掛かって、女将は片膝をついて、「若女将もこれからは代わって湯屋を見回って呉れます」。あわてて若女将は女将の蔭に隠れるように同じ姿勢で挨拶を続けた。この時彼女は、最大のカルチャーショックを感じて全身の血液が顔面に集まった、と後日語っている。そのあとは自分がどこにいるかも定かでなく、湯屋の見回りを終えた。それからは数回女将が彼女に付き添っての湯屋の見回りがあって、心の葛藤はあったものの独り立ちで仕事を受け継ぐ事になった。

当時若女将は、嫁入りから余り時間が経ってなく、客相手商売への不慣れは勿論、新婚旅行での宿泊で、初夜の花嫁の床入りの付き添いお世話までする仕事に、驚く事ばかりが続いていた。極め付きがこの全裸での湯屋回りだった。いざこの役割を毎日身のすくむ思いで始めて、やはり更なるためらいが待っていた。伏し目勝ちに事務的に仕切りを移動していても、若女将と気付いたお客からは声が掛かる。受け答えは自然と片膝をついた作法通りの姿勢になる。移動する仕切りの近くに陣取った客がいれば、やはり「そろそろ仕切りの移動の時間です」と話はしなければならない。

同性の女性客には洗い場なら道具の片付けとか、気を散らし視線をそらす事は出来ても、湯船からの声が掛かった時は気の遠くなる思いだったと、のちに語っている。特に男性客の見上げる視線を防ごうと、身を縮めて膝を堅く合わせて気もそぞろの受け答えに終始したと。何度辞めて逃げ出そうと若旦那に訴え、先々代の婆さん女将にも溢れる涙で気持ちを語った。婆さん曰く、「それは好色な視線は殿方誰しも持っている品性みたいなもの。英雄色を好むとは言い切らないけれど、うちの旅館の馴染みの客筋ならこれも通って下さる高い宿賃を稼いでいる活力みたいなもの、それを一休みしに湯療治に来られて元気になって帰って頂くのがうちらの役目、違いますか? お客が湯屋で安心して裸になっているのを、旅館としては何としても雰囲気を壊さずにお守りしなければなりません。うちは座敷遊びはお世話しても、芸者に春は絶対に売らせません。私も昔は体を張りました、そうしてこの湯屋の雰囲気を守ってきました。」

婆さんを見つめる彼女の表情にも変化が表れて、ようやく若女将の気持ちの中に気構えが芽生えたと分かった。婆さん曰く、温泉旅館も段々大きくなっていつまでも若女将一人に任せることは出来ないね。もうしばらくは気張ってな、と締めくくった。

温泉旅館時代の家族的経営は、女将の家族も従業員も何かしらの縁続きで、旅館の湯屋で湯仕舞いを兼ねて誰の子供も関係なく世話して洗ってやる関係で、混浴はそこでも伝統が続いていた。子供の体の発達についても性教育を兼ねた一族の団らんの場でもあった。そうしている内に、温泉旅館は温泉ホテルを名乗るようになって、うちの嫁が登場する時代になる。

そんな時で若女将に待望の跡継ぎの懐妊が分かって、幾らなんでも大きなお腹をしてまで回るのはまずいよね、と言う事で従業員が交代でこの仕切り移動を受け持つことになった。回る時の恰好はどうしようと議論喧々諤々と決まらずにいたら、婆さん女将の鶴の一声で、「どうして変える必要があるのか、若女将があれほど体を張って伝統のしきたりで頑張ってきたのに、清潔感があればそれが一番ではなくて?」と。

後で分かったがこれが意外な効果を生むことになった。もう一つの鶴の一声は、従業員男女で組になって仕切り移動に回る。客の紳士・婦人に分けて対応して挨拶と声かけに仕切り移動を分担。一見うろうろしているのはカップルだと怪しまれなくて、雰囲気を損ねない。紳士客にはやはり女性従業員が対応が柔らかいし、婦人客には男性従業員が結構興味も持たれる。「乳、立派や。肌、綺麗や。くびれ、決まっとる。」には、「温泉の効能ですから・・・・」。「立派なシンボルや・・。色、黒うて光っとる・・」と言われて悪い気になる男はいない。たまに手を伸ばして触れるご婦人もいない訳ではない。男女問わず、上品一遍だった訳はなく、裸と下ネタはいつの時代も付き物の話題だと。

そんな男女従業員の組み合わせが一仕事終わると、裸のまま控えの部屋に戻って汗を流して着衣の時間に戻る瞬間、従業員男女はほっと溜息をついて、相手によって男女を意識する空気が流れるそうだ。未婚も既婚もいるが、湯屋での対応で女子従業員は子宮が火照っている場合もあるし、男子従業員も性的衝動に刺激を受けて勃起を抑制している時もある。実は、この温泉ホテル男女関係がかなり緩い、自然と緩くなる環境でもある。それは婆さん女将も気を使って、「(男女関係と夫婦関係に)病気と嫉妬は持ち込まないように」と、従業員には言い含めていた。熟練した従業員はなかなか定着しないので、訳ありの者でもしっかり教育して育てた。生まれた子供を旅館で共同して育てたりもしている。浮気を奨励している訳ではないが、この仕事の後に性衝動のガス抜きに抱き合うことは公然の秘密になっている。

このポールの移動作業は毎日2回あるが、順番は男女ランダムに受け持ち表を埋めておくが、わざと空欄を少しあけておく。すると、気の合う男女が自分たちで受け持ち日を決めて欄に書きこむ。ラブホテルなんてない不便な土地でそれがランデブーの場所。誰も見て見ぬふりをしている。戻ってくる時の二人の顔を見れば、澄まし顔か満ち足り顔かで首尾が分かる。一緒の移動作業が30回にも達すると、何らかの男女感情が生まれていると感じている。片思いの時は片方が勝手に相手を決めて書きこむ。あの日以外は移動の仕事自体は断れない事にしてある。性行為は決して強要しない事に決めてある。不思議なのは心理的に抵抗が余り無いようだ、一瞬の足入れ婚になっている。新人の従業員だと、初めは先輩がこうした習慣を教えるが、最近の若い人はすんなりその習慣になじむ。処女・童貞の場合だけは、女将が強制はしないが、因果を含める。おかしな習慣かも知れないが、仕事上での仲間意識は極めて強いと感じている。

実は僕も嫁と職場結婚だ。嫁のお腹が大きい時は、その仕事はお休みで僕はパートナーが換わる。嫁は別の機会にお腹の大きい同僚の代わりを務めている。病気の予防は女将から厳しく指導されていて抜かりが無い。嫉妬を持ち込まないのは、従業員の意志がしっかりしているからとしか言いようがない。嫁が生む子供は僕の子供と決める。最近珍しくないのが、独身なのに子供を産んで育てながら働く女子従業員。混浴の伝統も違う方向と要素が入ってきている。「あなたの子供を産みたい」と、独身の女子従業員に迫られた時の経緯をここに書く勇気はまだない。嫁は、「あなたに僕の子供を産んでほしい」と、誰かに言われているのだろうか、も気になるが気に病んでも仕方が無いとあきらめている。

この温泉ホテル、こんな時代になっても賑わっている。口コミだけでネットにも載せないし、旅行代理店も通さない。ありがたい事に利用客も口が堅くて、妙な噂が立つこともない。不思議と客が従業員になりたいと聞いたことはない。良い客筋はたしなみにも節操がある。(終わり)

この主人公の夫婦と友人とのかかわりは聞いていない。


出典:『我が街の昭和を語り継ぐ』
リンク:当分一般向けは非公開

(・∀・): 41 | (・A・): 24

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