夏の思い出
2009/09/10 12:14 登録: えっちな名無しさん
初めて人間の死を意識したのは小学一年生の初秋だった。
九州に住む同い年の従姉が下校途中に横断歩道を渡っていたらしい。左折してきた大型トラックの何かの突起に数百メートルほど引きずられ、翌日にはいくつかの部分に分かれたまま白装束を着て棺に納められていた。八月のどん詰まりに手を振って再会を誓ってから数週間も経っていなかった。
広島の我が家に電報が届いた。押し黙った両親に連れられて急行列車とタクシーを乗り継ぎ、約束通り彼女と再会した。棺の中の従姉はただ眠っているように見えた。今思えば高等技術を要する死化粧が施されたのだろう。その日のうちに彼女の同級生が大挙して訪れ、開け放たれた縁側の向こう、庭先に溢れかえった。
棺の前で正座したまま振り返ると、同い年の小学生たちの向こうに青々とした稲穂が見えた。代表の女の子が弔意を表す作文を読み上げた。今思えば担任の先生が注意深く書き上げた文章だったのだろう。従姉の人柄、たった数ヶ月の学校生活の様子、同級生が彼女に抱いた敬意が余すところなく淡々と読み上げられた。それは小学一年生の僕の想像力を喚起するのに充分な力を秘めていた。僕はようやく従姉がこの世から永遠に消滅したことを察し、ようやく涙を流した。涙を流すだけでは足りなくなり、号泣した。何故従姉の同級生たちが全員泣かないのか不思議でたまらなかった。今思えば想像力がほんの少し不足していたのだろう。
その晩は遺体とふすまを隔てて布団に入った。大人たちは棺を囲んで遅くまで酒を酌み交わしていた。それが通夜という儀式であることは後で知った。線香の臭い、蚊屋に染みついた除虫菊の臭いが漂い、子供の霊を慰める回転灯籠の光が壁や天井に赤や青の模様を作った。家の外では蛙がギーギーと鳴いていた。時折ふすまの向こうからぼそぼそと話し声が聞こえた。ほとんど眠れなかった。
翌朝マイクロバスに乗せられて斎場に向かった。火にくべられる棺に花を添える役目を与えられた。毒々しいほど赤い花に小さく黄色い花が混ざっていた。赤い花は従姉に似つかわしくないと感じた。耐熱レンガの窯に設えられた赤い点火ボタンを押すように勧められたのだが、どうしても押す訳にはいかなかった。皆が伯父の方を見た。結局は彼が泣きながらボタンを押すことになった。斎場の中庭に出ると低い煙突が灰色の煙を吐き出していた。足許を見ると妙に白くて細かい砂が褐色の土の上に散乱していた。名も知らない人物の骨の灰だったのかもしれない。
低い音でブザーが鳴り、さらに暫くの後、窯から銀色のトレイが引き出された。小さな人間の形に並んだ一群の骨が現れた。頭にあたるらしいところには左右対称の八重歯が落ちていた。目をそむけた。長い箸を手渡され、伯父と一緒に骨を拾うよう促された。丁度左利きの矯正をされていた頃で、箸を使うのは全く駄目な話だった。でもそれ以上に従姉の骨を見るのが駄目だった。
親戚一同、あの世で歩くのに脚の骨が要る、腕も要るだろう、物を噛むのに歯が要るだろうなどと、がやがやと銀色のトレイの上の物を器用に骨壺に移していた。僕はその光景からできるだけ離れ、壁に背中をつけて親戚たちの動きを眺めていた。泣いてもいないのにソフトフォーカスの風景だった。骨壺は先祖代々の墓に納められ、新盆には子供の墓に供えられる極彩色の風車がくるくると回った。
それ以来多くの人間の死に立ち会い、それより遙かに多くの動物の死に立ち会った。あるいは自分の生命の終わりを予感する瞬間も経験した。集中豪雨の最中、荒れ狂う濁流を支えている堤防の上に立てば、誰でも簡単に自分の死を意識できる。それでも従姉の死に際したときほど厳粛でやるせない気持ちを抱いたことはない。
なぜ無理にでも彼女の骨を拾わなかったのだろう。
出典:ある獣医の
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