ほしのあき似の彼女
2009/09/15 19:15 登録: 痛(。・_・。)風
俺の高校3年間を通じての恋人は、ほしのあきそっくりだった。
ほしのあきは165cmということらしい。俺の彼女、美来は高1のときにそのくらいの身長だった。
ほしのあきそっくりというのは童顔で細身の巨乳だったということなんだ。
俺は同じクラスになった彼女が、背が高くほっそりした童顔の女の子だと感じたものの、
俺の好みではなかったので、実は全く関心がなかった。俺はきりりとしたきつめの目をした女性が好みだった。
当時でいえば女優の中島ゆたかみたいなちょっと悪女っぽい大人の雰囲気の女性に憧れていた。
だから美来のことは眼中になかった。彼女は明るく世話好きで人気があったし、勉強もよくできた。
体育の時間に女子と一緒にグランドに出たとき、彼女の胸がただものではないことに男子全員が気づき、俺の周りは
「おい、H(美来の姓)、ブルンブルン揺れてるぞ、すげぇなぁ」と言っていたが、俺は巨乳(当時そういう言葉は
なかった)にもそれほど関心がなかったので、特に反応しなかったと思う。
5月下旬の中間考査が終わった日に、俺は美来から手招きされた。それまで親しく喋ったこともなかったので、何事かわからず、
俺は彼女に歩み寄った。すると周囲に素早く目を走らせた彼女はさっと俺にメモを渡した。その場で見るのはまずそうな気がして、
何気なく歩いて廊下に出てから見た。「今日の放課後に■(地名)の●(店名)に来て下さい。どうしてもお話したいことがあります」
と書かれていた。一瞬俺ラブレターかなと思ったが、俺と親しく話したわけでもないし、彼女から俺に親しく話しかけてきたこともない。
すると彼女と仲のよいE美が、俺を・・・・と思った。というのはE美は細身のきりりとした顔立ちで、俺は好きというわけではなかったが、
ついついE美とよく話していたのだった。
俺は指定された●に出向いた。そこには美来が待っていた。
「ごめんね。試験の後なのに。あのね」と彼女は何か言いそうになり、「うん、その前に何か飲もうよ、わたし奢るから」と店員さんに合図した。
俺は自分の好みで紅茶を頼んだ。美来はそれを聞いて「あっ」という表情になり「私も」と同じものを頼んだ。
俺はかなり紅茶好きだった。だから●にあるような「紅茶」とだけ書かれたメニューでは美味しいものが飲めないと思っていたが、
日頃の好みで頼んだのだった。
紅茶が運ばれてくるまで俺は話すことは無いし、彼女も黙っていた。変な緊張感を漂わせている彼女に俺はいらいらした。
彼女の童顔も俺をいらつかせるのだった。
紅茶が運ばれてきた。ひとくち飲むと彼女は「ふぅ」と息を吐き、「わたし、T田君(俺)とつきあいたい!」と大きな声で言った
ので、俺は思わず周囲を見回してしまった。彼女は立て続けに言った。「高校の入学式で会った瞬間にこの人だって思った。運命だって。
同じクラスになったときに死ぬほど嬉しかったし、傍でT田君を見ていて、思った通りの人だったので、本当に運命なんだって思った。」
そして俺が答える間もなく「ね、いいでしょ!」と同意を求めてきた。
俺は断りにくくなった。彼女の上気した満面の笑みを見ていると、仕方ないなと思い「いいよ」とOKしてしまった。
だが紅茶を飲み終わってからはどうすればいいのだろう?そう思ったが、彼女との話は尽きなかった。話しているうちに
性格的にも俺と凄く相性がいいことがわかり、俺は驚いた。俺にとっても運命かもしれないと思った。俺は正直に最初は
断ろうと思ったこと、だけど美来の笑顔を見ていると断れなかったこと、でも話しているうちにこんな出会いがあるのか
と驚いたこと、今このとき美来を本気で好きになってしまったことを話した。
美来は笑っていた。その日の内にお互いのことは語りつくすくらい語り合った。
翌日から二人並んでの登校。俺の周りは「おまえ、どうやって落としたんだ?全然関心ないみたいだったのに。
H島なんか、 喋っていて感触がよかったので申し込んだら、あっさり断られたんだぞ、運命の人がいるからって。
おまえかよ、運命の 人って」とN野は呆れ返っていた。
俺と美来はいつも一緒だった。毎日一緒に登校し、一緒に下校した。だが平日はずっとくっついているわけでもなかった。
美来はしっかり者で、平日はちゃんと予習・復習するなど真面目だった。だが休日は遊びまわった。彼女の巨乳を振り返る
男性は多かったし、童顔とのアンバランスな魅力に俺もとらわれていった。
期末考査が終わって、二人で海に行ったときには彼女の水着姿はビーチで注目を集めていた。
飾り気のない彼女はスクール水着だったが、多分それが男性をそそったのだろう(今はそうだと理解できる)。
普段からそんなにおしゃれをしない彼女はTシャツにショートパンツが夏の定番で、ほとんど変わらなかった。
俺はキスしなければと焦っていたが、俺と美来の間にはもうそれも不要であるような気がして、先延ばしにしていた。
本当はキスを求めて嫌われるのが怖かったのだ。だけどチャンスがきた。体育祭が終わって二人で帰っていると、
雨が落ち始めた。降り方がどんどん強くなったので、俺と彼女は公園の屋根つきのベンチで雨宿りしていた。
土砂降り状態になり、視界がとても悪くなった。「風邪ひかないようにしないとね」と美来が体を寄せてきたので、
抱き寄せていきなりだったがキスをした。美来は驚いて体を離したが、俺の目を見ると、今度は自分から抱きついて
キスをしてきた。大雨の中、二人で何度もキスをした。雨のカーテンが周囲から俺達を隠してくれていた。それを美来に
言うと、「素敵だね、雨のカーテンって」と嬉しそうだった。
その日、なぜか美来を両親に紹介したくなり、家につれて帰った。彼女は両親を前にしても朗らかだった。
父は「可愛い子やなぁ。おまえの学校はがりがりのがり勉ばかりかと思ったけど、あんないい子もおるんやな」と
彼女が帰ってから感心していたし、母も彼女に「本当に素直な可愛いお嬢さんで、どうしてあんたなんかと付き合うのか
不思議やわ」と言っていたが、俺は美来から俺に言い寄ったことは言わずにおいた。
俺と彼女は何度もキスを繰り返したが、セックスには進まなかった。彼女の巨乳は俺を夜な夜な悩ませる存在になっていたが、
そこだけは踏み越えないようにしようと心に決めていた。
こうして2年間が順調に過ぎ、交際開始当初は背の高さがかわらなかった俺達は、俺の急速な伸びもあって、
美来が2cm伸びたものの、かなり背の高さに差ができた。美来が並んでいて、俺を見上げるときの視線が
可愛くて仕方が無かった。 俺は幸福だった。将来は美来と結婚するのかなとさえ思った。美来も「こんな家に
住みたいね」などと言うことがあり、明らかに俺との将来 を意識していた。
5月だった。美来が倒れた。貧血だということだったが、俺は胸騒ぎがした。
大事をとって検査のために入院するという彼女のもとに駆けつけた。翌々日彼女は退院した。
彼女から打ち明けられた。「白血病だって」と明るく。俺は美来が死ぬんだと思った。
そう思うともう涙が止まらなくなり、声を上げて泣いてしまった。
「本人が泣いてないのに、おかしいよ。わたし、一度も泣いてないんだから。よし闘うぞ!って
思ったから。絶対に死なないわ」
こうして美来の闘病が始まった。俺は神様に祈った。俺の命を削って美来に与えて下さいと。
だが病状は好転しなかった。夏休みには入院して本格的な治療をすることになった。
美来から彼女の家に来て欲しいといわれたのは夏休み直前だった。
「もしかするとね、わたし、もう帰って来れないかもしれないから、
今日、たぶん最初で最後の思い出を作っておきたいの」
俺にはそれが何かわかっていた。俺は美来を抱き締めた。キスをした。
「ダメだ。美来がよくなってから、そのときにきっと・・・だから必ずよくなって・・・」
俺はまた泣き出してしまった。彼女は俺から離れると服を脱ぎ始めた。
「私の全てを見て。覚えていて。必ず帰ってくる」と彼女は微笑んだ。俺は彼女に歩み寄り
また抱き締めた。
俺は毎日を彼女の病室で過ごすようになった。そこで受験勉強もしたし、彼女に乞われることは何でもやった。
もう泣かなかった。彼女は言った。「こんなに大切にしてくれる人がいるんだもん、必ずよくなるよ」
彼女の勘は鋭い。だから俺はそれを信じた。
夏休みが終わり、秋が来て冬になった。俺はずっと彼女に付き添った。彼女の両親は俺を気遣ったが、俺は
自分の受験結果よりも彼女が治ることが先決だった。
共通一次試験を終えて、俺は希望の大学を受験できるだけの点数をとることができた。その大学に入れば、
彼女のもとに通うことが出来る。その一念で勉強したのだ。
彼女も喜んでくれた。明らかに彼女の病状は好転しつつあった。俺が志望校に合格し、それを彼女と共に
彼女の家で祝うことが出来た。そのときのことだ。彼女のお母さんが「この子は本当に言い出したら聞かないし、
大胆というか向こう見ずというか。でもT田君がしっかりしてたからよかったわ。」俺は何のことかわからなかった。
彼女のお父さんも笑っていた。そしてお父さんが説明し始めた。「入院の前日に美来が明日H樹さんとひとつになる、
なんて言い出してさ」そこでお父さんはゲラゲラ笑った。俺はあっと思った。美来は「もう!わたしは真剣だったん
だから、笑うこと無いでしょ!」と怒った。お父さんは「ごめん、ごめん」と謝って「わたしは死ぬまでに愛する人
と何もしないまま人生を終えるのはいやと真剣に言ってね、父親としてはこんなことを娘に言われるとは思いもしな
かったし、聞きたくもないような話なんだけど、病気が病気だったし、娘にとって本当に最後の願いかもしれないと
思ったんで、好きにしなさいと言ったんだよ」と言い、「でも君が娘を大切に思ってくれ、娘に生きる希望と戦う勇気
を与えてくれたんだ。本当にありがとう」と最後は涙声になった。お母さんも涙を流しながら、「T田君のお陰よ」と
言ってくれた。
その後、美来は検査を受けなければならなかったものの、とりあえず「治癒」という診断を受けた。医師もすごく運が
いい、医学的には手を尽くしたので、あとは患者の生命力次第だったといったそうだ。
彼女は卒業はできたものの、大学受験は1年遅れになった。それでももともと勉強のできる子だったので、俺の後輩
として入学してきた。
その年には医師から「完治とみていい」と言われた。俺の両親も交えての祝賀会で、美来の父親が例の話を披露した。
俺は恥ずかしくて何も言えなかった。というのはこのときは既に美来とは何度もセックスしていたし、「治ったらする」
という話まで出てくるのだから、双方の両親の前で「めでたくやっちゃいました」と宣言しているようなものだったからだ。
俺の父親などは「おかしいですね。こいつにそんな自制心があったとは。私の子供じゃないかもしれません」などと言う始末
だったし、母親まで「この子はそんなカッコいいことができるわけがないですよ。美来さんが美談にしてくれただけで、本当は
体の調子でも悪かったか、極度に緊張していたんだと思いますよ」と笑いをとろうとするのだった。
もう40歳近くになったけど、今でも美来は童顔で巨乳だから、振り返る男性は多い。彼女もほしのあきの活躍を見て、私も
今からグラビアに挑戦しようかななどと言っている(実際に大学2年のときに某大手プロダクションにスカウトされたが、彼女は
断った)。
実は彼女が入院前に全裸になったとき、「やろう」とその瞬間は決意したのだけど、なぜかできなかった。今そうなれば、彼女は
永遠に戻ってこないと思った。でも実はその姿を思い浮かべてオナニーしたことは何度もあるし、彼女とセックスするようになっても、
あの姿が一番エロティックだったように思っていた。
出典:セピアな思い出
リンク:http://www2.2ch.net/2ch.html

(・∀・): 2227 | (・A・): 503
TOP