家族ってなんだろう

2009/09/26 20:50 登録: 痛(。・_・。)風

喉が渇いて目が覚めた。
目覚まし時計を見ると午前9時20分。
夕べの酒がまだ残っている。
ふらつきながらキッチンで水を飲むと、
冷たい水が体に染み込んでいく。
昨夜は職場の忘年会で、
会社近くの居酒屋で大騒ぎした。
飲み会でしか笑わない課長の隣に座ってしまい、
「飲み放題なんだから、遠慮せず飲め。」
と勧められて、
焼酎をストレートで一気飲みしたのがいけなかった。
記憶がぷっつり途切れてる。
夕べはどうやって帰ってきたんだっけ。
結婚してもうすぐ六年。
子供はまだ。
子供が欲しくて結婚したのに、
一年経っても二年経ってもできなかった。
心配になって、
オレは泌尿器科で、
由香は産婦人科で
検査をした。
二人とも生殖機能に異常はなく、
コウノトリがやって来るのを待っている。
毎朝、体温計を由香の口に入れてあげるのはオレの仕事。
由香はひどい低血圧で、
風呂に二十分以上入らないと一日が始まらない。
トーストをかじりながら基礎体温のグラフを見て、
今日かも明日かもなんてのが朝の会話。
生理が来ると「残念賞でした」って。
二日酔いの朝はトマトジュースだけの朝食。
「すぐ出かける?」
今日は亡くなった親父の命日。
土曜なので実家に帰ることにしていた。

親父は田舎の小さな雑貨店の長男。
祖父は市の教育長を長くやっていた人だったが、
商売には全く不向きな人で、
祖母が一人で店を切り盛りしながら三人の男の子を育てた。
親父が東京の高校に通っていた頃、
祖父が連帯保証人をしていた電気屋が潰れて、
経済的に困窮した。
親父は合格していた大学への進学を諦めて、
店を継いだ。
でも、小さな雑貨屋でいくらがんばっても
借金はなかなか減らず、
どうにもならない日々が続いた。
…その頃の話を親父はあまりしたがらなかった。

転機が訪れたのは店を継いで一年後。
近くで牛乳屋さんをやっていた老夫婦が店を閉めることになって、
親父に牛乳屋を譲りたいと言ってくれた。
牛乳屋といっても店で牛乳を売っているわけではなく、
毎朝各家庭に牛乳を配達するのが仕事。
親父はその話に飛びついて、
朝は暗いうちから牛乳配達。
店は祖母に任せて、
昼は牛乳の拡販で市内を回った。
従業員も雇わず、
一人で牛乳の宅配を頑張ったお陰で
それから五年で借金は消えた。
二人の弟も大学に通わせた。


朝早く牛乳配達をしている時にオレのお袋と出会った。
お袋は十歳のときに火事で両親を亡くして、
親戚のお寺の養子になっていた。
住職の奥さんは既に亡く、
住職が男手ひとつでお袋を育てた。
毎朝、住職がお勤めをしているときに
境内の掃除をしていたお袋が、
牛乳の配達をする親父と出会った。


結婚してからは、
親父がバイクで牛乳配達をしている後ろを
お袋が自転車で追いかけて、
二人で牛乳配達をしていた。
その話をお袋から聞く度に、
「別々に配達すれば半分の時間で済んだんじゃないの?」
と言うと、
「暗いうちに女一人で配達するのは心配だって
お父さんが言ってくれて、
それに、私一人じゃ重い牛乳瓶を運べなかったしね。
お母さん、か弱かったから。」
と今でも笑って言っている。
親父、優しかったんだな。


そんなとき、オレが生まれた。
親父は本当に嬉しかったらしく、
「看護婦さんに注意されても、
生まれたばかりのあんたをずーっと抱いててね、
ニコニコしながらじーっと顔を見てたのよ。」
と、お袋からよく聞かされた。

親父が分娩室の待合所で
オレが生まれるのを待っていたとき、
朝日がカーテンの隙間から差し込んで、
その瞬間にオレの産声が聞こえたらしい。
オレに「晃」と付けてくれた。
太陽から光が降り注いでいる字。
四年後に生まれた妹は「一海」。
お袋の隣に入院していた人の旦那さんが絵を描く人で、
綺麗な海の絵をお祝いにくれたから。
ハガキぐらいの大きさのキャンバスに
穏やかで輝く海が描いてある。
額の裏には親父の字で
「みんなに祝福されて生まれてきたことを忘れないで欲しい。」
と鉛筆で書いてある。
妹はその絵をなによりも大切にしている。



子供の頃から、牛乳配達を手伝った。
手伝ったと言っても、
バイクを運転している親父の前にちょこんと乗っけられて、
配達についていくだけだったけど。
「晃と一緒に配達していると、あっという間に配達が終わるんだよなぁ。」
と親父は言っていた。
背中を包み込んでくれる親父が暖かかった。

小さな車を買ってから、
よく親父と二人で山にドライブに行った。
「お昼寝しようか。」
って、日の当たる所に車を止めて、二人で昼寝をした。
車のダッシュボードにはいつもハーモニカが入っていて、
車の中でコンサートをしてくれたこともある。
ハーモニカが得意な親父だった。
たった一つの楽しみがハーモニカかも知れなかった。


オレが小学3年生の時、
牛乳屋を親父に譲ってくれたおじいさんが亡くなって、
おばあさんは息子さんの家に行くことになった。
宅配する大きな冷蔵庫があったので、
その家をそのまま譲ってもらって、
家族4人で生活するようになった。
おんぼろな家で、
冬にはすきま風が吹き込んで、
冷蔵庫のコンプレッサーが一晩中うなっていたけど、
幸せな想い出がたくさん詰まった家。

近くの学校や会社に自動販売機を置いてもらえるようになって、
小学校から帰ってからお袋と一緒に自販機の補充に回るのがオレの仕事になった。
自販機から集金してきて、帆布の手提げ一杯の小銭を毎日数えた。
指は真っ黒になって、金属臭が染みついた。
「こういう小さなお金のありがたさを忘れちゃいけない。
晃には100円を稼ぐことの難しさを知っている人になってもらいたいんだ。」
親父は口癖のように言っていた。


子供の教育には熱心だった。
小学校に入った頃、
家に大きな黒板が来た。
黒板に使う緑色の塗料を大きなベニヤ板に塗って、
下にはチョークの粉を受ける台が付けてあった。
親父がその黒板に初めて書いた字は
「粒々辛苦」。
今でも忘れない。
親父は、そういう生き方だったんだなと
今、思う。


塾に行ったことはない。
勉強は家でするものだと思ってた。
祖父には漢文の素読を教わった。
千字文、論語から始まって、四書五経。
「読書百遍意自ずから通ず」で、
中学にはいるころには白文も読み下せるようになった。
親父には数学。
「円の面積は”ぱいあーるじじょう”、
半径の自乗に3.14を掛けても円の面積にはちょっと足りない。」
と言っていた。


中学に入ってまもなく祖父が亡くなった。
冷たくなって横になっている祖父の横にいるのが嫌で、
二階でぽつんと座っていた。
親父が階段を上がってきて、
「人未だ自ら致す者有らず。必ずや親の喪か。」
とつぶやいて、静かに泣いた。

父親が抱えた借金を返すために、
大学にも行けず、
朝から晩まで働き詰めの人生になって、
それを親父はどんな風に思っていたんだろう
と考えることがあった。
初めて親父の泣いている姿を見て、
オレが親父を尊敬しているように、
親父はその父親を尊敬していたんだなと思った。

親父が大学を諦めて帰って来たのは、
祖父が親父を呼んだのではなくて、
親父が勝手に帰って来たんだって、
葬式の晩、親戚から聞いた。
そうなんだろうと思った。


中学3年の夏。
自販機に入れる商品の卸問屋が不渡りを出して倒産した。
自販機を設置する契約は、
その卸問屋と設置先が取り交わしていたので、
実質的には親父が経営していたにも関わらず
契約の全てが無くなってしまった。
牛乳の宅配は徐々に数が減っていて、
その収入だけでは食べていけなくなるのは
家族みんながわかっていた。
親父がそうしたように、
オレも高校進学を諦めて、
家を手伝おうとした。


「ちゃんと高校に行くんだぞ。」
と見透かされたように親父に言われた。
「100円稼ぐことの難しさをよく知っているから手伝いたい。
オレも妹を大学に行かせてやれるぐらい働く。」
「頼むから、高校出て大学に行ってくれ。
おれは大学に行かずに働いて、
後悔したことは一度もない。
でも、もし大学に行ってたら
どんな人生だったんだろうって、
この歳になっても思うことがある。
どんなことをしてでも大学に行かせてやるから、
頼むから、学校に行ってくれ。
思う存分勉強したらどんな生き方ができるのか、
おれに教えてくれ。」

親父に追い出されるように、
全寮制の高校に入った。
家を出るとき、
英和と和英が一緒になった三省堂のGEMを
親父からもらった。
トランプぐらいの大きさで、
天地と小口が金色の革装の辞書。
全ての単語に鉛筆で下線が引いてあった。
小口はもうボロボロ。
どんな思いでオレにこの辞書をくれたんだろうと、
ずっと考えてた。

自販機の契約を新たにしてくれる会社が結構あって、
牛乳の宅配も件数が増えて、
うちはなんとかなったみたいだった。
また、親父が頑張った。


高校2年の秋、祖母が亡くなった。
いつも店番をしている雑貨屋の奥で、
眠るように亡くなっていたらしい。
いつもニコニコしていて、
祖父の思い出話ばかりしている祖母だった。
雑貨屋を死ぬまで切り盛りしながら、
近所のおばあさんと世間話をしていた。
卸問屋が潰れた時、
コツコツ貯めていた年金を出してくれて、
そのお金でオレは高校に行けた。
「歳を取って迷惑ばかり掛けて、
すまないと思ってる。」
と帰省するたびに言っていた。


お袋は火葬場で
「おかあさん。」
と言って泣きじゃくって、
棺にしがみついていた。
本当の母を早く亡くしてから、
お母さんと呼べるのは祖母一人だけだった。
嫁姑なんて関係ではなく、
実の親子以上に親子だった。

高校を卒業して東京の大学に進学した。
親父は、大喜びではしゃいじゃって、
入学式で人が溢れているキャンパスで、
「二人で並んで写真撮ろう。」って。
よれよれのスーツに満面の笑みの親父と
恥ずかしがって困った顔のオレ。


あれは、親父の入学式だったんだね。
あのとき、おれはどうして
笑って写真に写らなかったんだろう。


休みに帰省すると
「大学で勉強したこと、おれにも教えてくれないか?」
って。
もう使わなくなった教科書を持って帰って、置いてきた。
どうせわからないだろうと高をくくっていたら、
本気で勉強しているみたいだった。
高校の物理の教科書を本屋に注文して、
勉強していたらしい。
大学の教科書にはさすがに苦労したらしく、
帰省するたびに質問攻め。
誰も使わなくなった黒板で、
物理と数学を教えた。
教えるためにオレも勉強した。


親父が亡くなったのは、
オレが大学を卒業して9ヶ月後。
胃ガンだった。

調子が悪いと言って
病院で胃カメラを飲んだときには、
もう手遅れの状態で、
病巣を手術で摘出したが
間に合わなかった。

手術が終わってからも、抗ガン剤での治療が続いた。
会社が終わると病院に行き、
付きっきりで看病した。
親父と二人きりだった病室での時間は、
宝物のような時間だった。

論語の話をした。
量子力学の話もした。
文字を読むのがツライと言うので、
歎異抄を音読してあげた。
「晃が死ぬかも知れない病気になったら、
誰かに歎異抄を読んでもらうといい。」
と言っていた。

「将来の話をしてくれないか。」
と何度か言った。
オレは精一杯の夢と
家族を支えていく決意を話した。
ニッコリ笑って、親父は眠った。

意識が混濁してもう手の施しようが無い状態になったとき、
オレは親父の写真を撮った。
酸素の吸入マスクを当てて、
点滴が何本も繋がっている親父の写真。
死んでしまうなんてウソだと思っていた。
元気になって、その写真を見ながら
「あのころは大変だったなぁ。」
と親父が言うのを信じていた。


仕事が終わって病室に行くと、
親父はもう息を引き取っていた。
手を握ると、まだ暖かかった。
「お父さん頑張ったのよ。
午前中にほんのちょっとだけ意識が戻って、
『ありがとう』って。
それからまた意識が無くなって。
昼過ぎに一度呼吸が止まったのに、
また息を吹き返して、
さっきまで晃が来るのを待ってたのよ。」

まだ意識があった頃、
オレが仕事をしているときには、
親父になにがあっても
絶対に呼ぶなって言ってたらしい。
そうだよな。
オレは働いてるんだもんな。
親父の代わりに稼いでこないといけないもんな。
でも、会いたかったよ。


「これからはずっと一緒だね。」
と妹が冷たくなっていく親父に
顔を近づけて言った。
親父の目からは涙がこぼれていた。


病室で撮った写真は、葬式が終わってから、
オレに黙ってお袋が焼いた。
「写真は幸せな時をとっておくためにあるのよ。」
と、昔のアルバムをオレに見せてくれた。
幸せな写真ばかりだった。
オレと親父が大学の入学式で撮った写真は、
普通の写真の倍の大きさに引き伸ばされていた。


いつも親父が座っていた場所から手の届くところに、
オレの教科書と大学ノートと裏が白いチラシがあった。
チラシの裏には、
三角関数の公式。
微分積分の公式。
ギリシャ文字とその読み方。
γに「ギャンマ」と書いてあって、
おかしかった。
おかしくて泣いた。
悲しくて泣いた。
親父の大学生活。


実家へ向かう車の中で、
親父の話を由香にした。
親父の話をすると泣いてしまうので、
今までしたことがなかった。
「お父さんに会えなかったのが悔しい。」
って由香も泣いた。


命日はお袋と妹夫婦と五人で賑やかだった。
滅多に飲まないお袋もビールを飲んで、
仏壇の親父の写真を振り返りながらの宴会。
笑い話をしているのに突然お袋が泣くから、
「どんなタイミングで泣いてるのよ。」
と妹が突っ込んで、お袋は泣き笑い。
それにつられてみんな泣き笑い。
「ここにお父さんがいないのはどうしてだろう
って思っちゃって。」
「そうだな。」


親父は仏壇で笑っていた。



「片づけは明日にしよう。」
ってお袋が言うので、
テーブルの上をそのままにして解散。
オレはテーブルに残ったつまみと
半端に残ったビールで居残り。
初めて親父と酒を飲んだ。
親父とは一度も酒を飲んだことがなかった。

お袋が風呂から上がって、
パジャマ姿で戻ってきた。
「お父さんが、
亡くなる日の午前中に意識を取り戻して
『ありがとう』って言ったって話、
私の夢だったかも知れない。
ずっと気になってて、
でもいくら考えてもよく思い出せなくて。」
「いいんだよ。
親父は、お袋にありがとうって言ってから死ぬに
決まってるんだから。
きっと本当にそう言ったんだよ。
な、親父。」

気が付くと、炬燵で眠ってしまっていた。
毛布が掛かっていて、ふと顔を上げると
由香が仏壇の前にちょこんと座っていた。
親父と話をしてるんだろうなと、
もう一度目を閉じた。


帰りの車で由香が
「子供欲しいね。」
と、にっこり笑った。
「そうだな。」
と言ったきり、
二人とも黙った。

家族ってなんだろう、
と考えていた。




出典:嗚咽その10
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