おじいちゃんバイバイ。また明日ね
2009/09/26 23:03 登録: 痛(。・_・。)風
このスレ久しぶりに覗きます。
覚えている人がいるかどうかも分からないけど、
7スレ当たりで、父親が癌になって余命少ないと
言われた時に、出産のため実家に帰っている嫁を戻そうかと
悩んでDQNの称号を頂いたものです(w
あれから経過報告に伺うこともできませんでしたが、
ちょっと落ち着いたのでその後の経過報告に伺いました
もう2年前のことになります。
子供はこちらの事情も知らず(w)、予定よりも10日遅れの
2月1日に無事生まれました。
親父の病状は心配でしたが新生児を飛行機に乗せることもできず、
3ヶ月になるまで帰省はできませんでした。
親父の病状はというと決して楽観できるものではなく、1回目の
手術の後、傷口がくっつかずに再手術。再手術の際にに前回の
手術ではなかった大網への転移が発覚。手術もできずにそのまま
閉じたそうです。
こうなると時間との戦いです。親父の病状が悪くなるのが先か、
子供が飛行機に乗れるようになるのが先か。
それでも5月の連休に嫁は子供を連れて無事に帰省。
親父は抗がん剤の治療に切り替えて何とか生きていました。
初めて孫を見せた時の喜びようといったらありませんでした。
私たち子供(4人兄弟)には、ただ怖いだけの親父でしたが、孫には
こんなに甘くなるのかといった表情で嬉しそうなこと。
「美子(仮名)の顔を見ると元気が出てくるなあ」というのが口癖でした。
私たち夫婦はせめてもの親孝行と週一で実家に通って孫の顔を見せて
あげるしかできません。そのたびに大喜びをしてくれる親父を見るのが
せめてもの慰めでした。
癌は肝臓にも転移して当時肝臓に4つの影が出来ていたそうです。
相変わらず抗がん剤の治療は続いていましたが、体調はそれほど
悪くなさそうな様子。「次は入学式を見るまで生きているのが目標だな」
と冗談までいえるほどでした。
いつしか娘も喋れるようになり「おじいちゃん」と呼ばれるととろけそうな笑顔を
見せるようになりました。
そして主治医がいいました。「肝臓の癌が消えています。奇跡としかいいようが
ありません」
我々、家族もこのまま生きていてくれるのではないかと期待しました。
いつしか医師から「覚悟していてください」と言われてから1年半以上が経過していました。
その父親が腹部の不調を訴え始めたのが12月でした。
腸閉塞の既往があったのでそれかと思ったのですが、
癌マーカーが上昇していているというのでそのまま入院し、
入院後、見る見る衰弱していきました。
CTでは肝臓の癌が再び再発。もはや長くはないのは誰の眼にも
明らか。主治医からは終末医療をどの程度まで行うのかを家族で
話し合って下さいといわれるしまつ。
家族で話し合った結果、親父の「苦しむのはいやだ」という意見を最大に
尊重して強心剤の治療だけで止めてもらうという選択をして主治医に伝えました。
そして段々と弱っていく親父。嫁さんと娘を連れて毎日お見舞いに行きました。
最後はほとんど寝たきりでした。
そして1月8日の夜。いつもの通りにお見舞いに行きましたが例によってほとんんど
寝たきりでした。それでも帰るときに娘を抱いて「ほら、おじいちゃんにバイバイして」
というと娘が「おじいちゃんバイバイ。また明日ね」と言ったら、そのときだけは眼を
あけて「ああ、帰るのか。またね」と言ってくれました。
結果的に、それが親父の最後の言葉になりました。
その夜に意識不明になり翌日僕たちが連絡を受けて病院に行った時には
意識不明のまま逝ってしまいました。
最後の言葉が娘との会話だったのはきっと親父にとってはよかったのでしょうか?
でも、今でももっと娘を連れてお見舞いに行ってあげればよかったとか思ってしまいます。
親父が死んでもうすぐ2ヶ月になります。
できれば入学式まで頑張って欲しかったなぁ。
出典:嗚咽その10
リンク:http://www2.2ch.net/2ch.html

(・∀・): 82 | (・A・): 24
TOP