憧れの1人暮らし隣人に恋(を)した(2/6)

2009/09/27 14:39 登録: 痛(。・_・。)風

第9章 304号室

俺は川田さんの専属AD状態になった。
身を粉にして働いた。

余計な事は考えるな!
俺は川田さんのしたい演出の
手助けをするのが仕事だ。

社内の視線など気にするな!
いまの俺には働くことしか出来ないのだ。

そんな感じで1ヶ月が過ぎた。
川田さんもまぁまぁ俺を信用してくれている様子だ。

川田さんの仕事は良く言えば大らか。
悪く言えば適当だった。

この時期になると携帯に電話が入ってきて
「ごめ〜ん。二宮。俺酔っぱだから原稿書いてて」等と
とても南さんには報告出来ないような仕事を頼んでくる。

マジっすか!?とよく心の中で呟いたものだ。

俺は自分なりに原稿を書いた。
隣のデスクの南さんの目を盗んで。

それをパソコンで南さんに送信する。
返事が来る。

「お前文章下手ね(笑)やっぱ俺が書くから待ってろ」

随時がそんな調子だった。
川田さんは俺によく言った。

「本は読めよ。二宮。文章をパクれるまでに読み込めよ」
それから俺は本を買い漁った。
台本の練習もした。

川田さんがちゃんと台本を書いている時でも
自分なりの台本を書いて川田さんに見てもらった。

川田さんも添削をして返してくれた。
通常業務に加え、ディレクターになるための修行。

俺の帰宅は早くて24時になった。
泊り込みもしばしばだ。

そんな生活が続けば
当然まりあや油田とは疎遠になる。

業界用語に「消え物」という言葉がある。

これは撮影で使った商品をスポンサーに返さず
スタッフが持って帰ってもよい物を指す。

食品が圧倒的に多い。
家庭用品やレアポスターも案外ある。

例えばキムタクのFMVのポスターがあったとしよう。
こんな物も消え物だ。

通常は家電量販店などしか手に入れることは出来ない。
商業用のPOPなどにしてもそうだ。

よくネットオークションでレアポスターが出品されているが
俺は業界人が消え物を流していると考えている。

ある日インスタントカレーの消え物が出た。
「川田さん。カレー持って帰りますか?」

川田さんは
「いらね。俺ボンカレーしか食わね。貧乏人のお前にやる」と言ってくれた。

カレーといえば。
やっぱりまりあだ。

俺は消え物のカレーをどっさりと袋に詰め込んで帰宅した。

20時。
バイトが無ければまりあが家にいてもおかしくない時間だ。
とりあえず301号のインターホンを押した。

油田もインタントカレーの類は好きそうだ。
2〜3個あげよう。

しかし油田は留守の様子だ。
仕方ないよね。
全部まりあにあげよう。

俺は302号のインターホンを押した。
しばらく応答がない。

「留守かな?」諦めかけた時だった。
「はい?」まりあの声が聞こえた。

「俺です。光輝です。カレーのおすそ分けなんですが・・・」

「あ・・・。光輝くん。ちょっと待ってね」
そういえば2週間ほどまりあに会っていなかった。

まりあの顔が見られる。俺は少しドキドキしながら
ドアが開くのを待った。


ガチャっとドアが開く・・・。

「これ撮影の余り物なんだけど、もし良かったらまり・・・」

!!!!!?????

「やぁやぁ。どうもどうも」

目の前には油田が立っていた。
「お久です。二宮さん」

「・・・・・・・・・(アングリ)」

後ろからまりあが登場した。
「光輝くん久しぶり〜。元気だった?」

「・・・・・・・・・・・」
「上がって上がって」

「今カレー作ったところなんだ♪」

カレー・・・ですか?


気づくと俺はまりあの部屋のリビングにいた。
となりにはオタクがいた・・・。

なにがどうなっているんだ??

「まぁ。おひとつどうぞ」
呆然とする俺にビールを注いでくるデブ。

なぁ?デブよ・・・。お前が恋の勝者なのか?

まりあがカレーを2つ持ってリビングにやってきた。
「召し上がれ!」

召し上がれと言う言葉を初めて生で聞いた。
まりあは確かに可愛い。
そして目の前のカレーも美味そうだ。実に・・・。

「実にうまいですよ。まりあちゃんのカレーは」

うるせーデブ。お前は俺の持って帰ってきた
消え物のカレーでも食ってろや!


まりあはリビングで自分のカレーを入れている。

「君ねー。油田くんさぁ」
俺は隣で汗をかきながら
カレーを頬張るオタクに話掛けた。

「なんですか?」
その上目遣いをやめろ!

「なんでさぁーいるかなぁ?君がここに?
なぜ君がここでカレーを食ってんのかなぁ?」

油田はフフフ・・・。と不気味に笑うと
「有閑倶楽部ですよ。有閑倶楽部」と意味不明の言葉を並べた。

「なによ?ユウカンクラブって?」

「嫌だなぁー。二宮さん知らないんですか?巨匠一条ゆかりのマンガですよ。」

後になって分かったが最近ドラマ化された
「有閑倶楽部」という少女漫画のことらしい。

「そのユウカンクラブがなぜカレーなのよ?」

油田はまたしてもフフフ・・・と笑いながら
「お礼ですよ。有閑倶楽部を貸してあげたお礼です」


イカンだろ!まりあよ。

有閑倶楽部のお礼かなにか知らないが
こんな足の臭いオタクを
1人の部屋に呼び込むなんて
あまりにも無防備すぎるだろ!

心の中でそう呟いていると、張本人のまりあが俺の横に座った。

「いただきま〜す」等と言ってのん気にカレーを食べようとしている。

俺が仕事にかまけている間に
事態がここまで深刻になっているとは・・・。

これは注意せねばイカンな。

年長者として・・・。
社会人として・・・。

そして恋のライバル(油田なのが情けない)を蹴落とすために!!

「あのねー君たちさぁ・・・」

「そうそう!光輝くん何時に帰ったの?」

へ・・・?

「何度も呼びに行ったんだよ。光輝くんの部屋に」

え・・・。そうなの?

隣のデブはそ知らぬ顔をしてカレーを食っている。

「うんうん。光輝くんもカレー好きそうじゃん。でも丁度タイミング良かったね♪」

今日のところは注意はやめておいてやるか。


ある日俺が出社すると同期の渡辺が近づいてきた。

一応渡辺の説明も必要かもしれない。
技術部の渡辺はカメラマン志望である。

ほとんど毎日ロケに出ているので
制作部の俺と顔を会わす機会は少ない。

この業界全般にいえることだが化粧をしない。

特に技術部の渡辺は化粧が落ちてしまうし
先輩から嫌味を言われるのであろうか?
化粧をした姿を見たことがない。

いつもGパンにTシャツ。
そしてノーメイクだ。
入社初日には俺に涙を見せた渡辺。

きっと気が弱い子なんだろうな?
そんな想像をしていたが、とんでもない!

人一倍気が強く。
業界向きである。

今にして思えばあの涙は悔し涙だったのかもしれない。
事実あれ以降は渡辺が泣いている姿を見ていない。


顔は美人である。

女らしい素振りは全くみせないが

まりあが可愛いタイプ。大塚愛とすれば
渡辺はキツイ系の美人。柴崎コウといったところだ。

その渡辺が声を掛けてきた。
「今日はロケ?」
「ないよ。お前は?」

「私もないよ。かなり久しぶりにね」
「ふーん。技術ってロケない時なにしてるの?」
「機材の点検とか勉強」

そんな他愛の無い会話の最中に渡辺が言った。

「今日は何時終わり?」
「決まってないけど8時くらいかな」
「そんじゃ飲みに行こうよ。相談あるんだ」
「いいよ。んじゃ帰り技術部に寄るわ」

こうして渡辺と飲みに行くことになった。


会社の帰り近くの居酒屋に入った。
ちなみに俺は渡辺に対して女を感じない。
これは人それぞれの好みの問題だろう。

「相談ってなによ?」
「二宮くんの部屋って会社に近いよね」

会社まで3駅。間取りや家賃をザックリと伝える。

「なにお前?引っ越すの?」
「うん。考えてるんだ。私いま実家だしね。通勤に1時間掛かるし」

この業界は朝が早い事が多い。
ロケだと6時に会社発という場合もある。

確かに1時間も掛かれば
前日に会社に泊まることもあるだろう。
始発では間に合わない場合もあるのだ。

「やっぱお風呂には入りたいじゃん。女だしね」
渡辺の言うことはもっともだ。

「それでさぁ。今度の休み二宮くんの家行っていい?」
「なんで?」
「家賃と間取りの相場知っておきたいんだ」

それは別にいいが。
そんな物が見たいのか?

その夜は適当に
仕事の愚痴で盛り上がり解散した。

次の休みは意外に早く一致した。
日曜であった。
俺はともかく渡辺が日曜に休める機会はそうそうない。

その日、俺は自宅近くの駅まで渡辺を迎えに行った。
降りてきた女はまるで別人だった。

化粧をしている。
しかもスカートなんか穿いていた。
俺は大げさではなく別人だと思った。

「二宮くんごめんね」
そう声を掛けられるまで全く気づかなかった。

余談だが、渡辺が家に来ることを川田さんに話した時。
「あの綺麗なねーちゃんか?ちゃんとカケ(ヤルという業界用語)よ!」
とアドバイス?をくれた。

俺は「間違ってもありませんよ〜。だって女感じませんもん。アイツに」等と
笑っていたが・・・。

今日の渡辺は女の子にしか見えない。


「そ・・・そんじゃ行こうか?」
あれ・・・?俺おかしい・・・。

なんか渡辺相手に緊張してない?
「うん」といって俺に並んで歩く渡辺。

あまり近づかないでくれ。
お前相手にドキドキしたくないの。

「二宮くん。お昼食べた?」
「え・・・まだ」

「そんじゃーさぁ・・・」
「あそこで食べない?あのカレー屋さん」

先を見ると・・・。そこはまりあのカレー屋さんだった。
「え・・・あそこ?」
「うん。私カレー食べたい」
「そうなの・・・?そうね」

なぜ緊張するんだ!?俺!
俺は同期とカレーを食うだけだ。

たとえまりあがいたとしても
やましい事など一つもない。

しかもまりあは彼女でもなんでもない。
それにバイト出てるかどうか分からないじゃん。

俺と渡辺はカレー屋のドアをくぐった。


「いらっしゃいませー」
テーブルを拭いている女の子が言った。

顔を見るまでも無い。

声が既にまりあなのである。

渡辺と入店した俺を見て
まりあはしばしキョトンとしていた。
「・・・いらっしゃいませ」

もしかして驚いてる?驚いてる?

「ああ。この子同じマンションの子。新田さん」

苗字で紹介をした。
でもそれが普通だと思う。

「こんにちは」
渡辺は業界人らしくキビキビした挨拶をする。

「どうも・・・」まりあもキョトンとした顔で返事をする。

「で・・・。これがの同・・・」
渡辺を紹介しようとした瞬間。

「ここに座ろう!」と渡辺に引っ張られた。
まりあも厨房に消えて行く。
渡辺を紹介するタイミングを失った。


「注文は何になさいますか?」
無機質な声を出すまりあ。

なんかムスッとしてない?

渡辺は「うずら玉子カレー」を注文した。
悪くない。確かにそれも悪くはない。

しかし俺は「納豆、フライドチキンカレー」を注文した。
やっぱこれだよね。

「少々お待ち下さい」

厨房に消えるまりあ。
やっぱりムスッとしてるよ。

しばらくするとまりあがカレーを2皿持ってきた。
俺たちのテーブルに置くと「ごゆっくりどうぞ」と言ってまた厨房へ。

間違いない!まりあは不機嫌だ!


カレーを食おうとする俺。

????

納豆が入ってないじゃん。
俺はまりあを呼んだ。
「あの。納豆が入ってません・・・」

まりあはカレー皿をサッと手に取ると
奥の厨房へ消えた。

カレーに納豆を乗せて戻ってくると
「どうもすみませんでした」と言って厨房へと戻る。

怖い。怖いよ。まりあ

さすがに俺もウブがるつもりは無い。
これは嫉妬なのか?ヤキモチでは?等と考えなくもない。

という事はだ・・・。

まりあは俺のことが好きなのか・・・?

「なにこれ〜。グロい〜。食べ物じゃないよね」
渡辺が俺のカレーを見て大笑いしていた。


だとすれば・・・。

だとすればだ・・・。

この目の前の女。

同期渡辺をどうにかせねば!!

そんな俺の思いも露知らず。
渡辺は「ちょっと食べていい?納豆カレー」と
はしゃいでいる。

食ってもいいから。
いかにもカップルみたいなマネはやめてくれ!

「やっぱ不味いね〜」
うんうん。そうか。そうか。そうですか。

俺はまりあに告るタイミングなどを考えていた。

まさかとは思うが油田の動きにも
万全の注意が必要だ。

俺と渡辺はカレーを完食すると席を立った。
会計もまりあだった。
「1750円です」

財布を出す俺・・・。しかし
「今日は奢るね」といって渡辺が先に2000円を出した。

だからそういうマネをやめろと言っとるんだ!

「ちょ・・・渡辺それはマズいって!!」
しどろもどろする俺。

「いいから♪いいから♪」
お前が良くても俺が・・・。

「250円のお返しです」
まりあもお釣り用意してるし!

俺と渡辺は店を出た。
まぁ多少の誤解を生んでしまったが間違いない!

あれはヤキモチだ!いや・・・そのはず・・・だ。

俺と渡辺はマンションに到着した。
まずは外観を眺める渡辺。

「へぇー。綺麗だねー」と感心してくれた。
この物件は俺の入居前に外観塗装を施していた。
物件の説明をしていると

マンションから陰気臭い男が出てきた。

油田だ!!


ニヤニヤとしながら近づくオタク男。
「やぁやぁ。二宮さん。お盛んですなぁー」
その話方をやめい!

渡辺が不気味がるだろ。

「俺の会社の同期で渡辺」

とりあえず油田にも紹介する。

「こんにちは」
元気に挨拶をする渡辺。

しかし俺の後ろに
隠れ気味になったのは気づいていますよ?

「ほほぉー」メガネを軽く持ち上げて
品定めするように渡辺をジロジロと見る油田。

まるで質屋のオッサンみたいだ。

ニヤリと笑うと。「では・・・」と言ってどこかに消えて行った。

「あの人は?」渡辺が聞いてきた。
「住人・・・」とだけ答えた。


エレベーターで3階フロアに到着した。

手前から油田の301号。
まりあの302号。
そして俺の303号。

しみじみと思った。
最初引っ越してきた時は不安一杯だった。

1人で残してきたおふくろも心配だった。

でも2ヶ月程度経った今・・・。
俺ちゃんと1人暮らしが出来てるよ。

おふくろも安心してくれるよね?

それはもちろん油田の存在やまりあの存在が大きい。
いなくても暮らせるが
楽しく暮らしているのはあの2人のお陰だ。

俺はドアにキーを差し込んで
「どうぞ!」と言って渡辺を招き入れた。

「うわー。綺麗にしてるじゃん」
渡辺の第一声だった。

まりあにも言われたが
物が無いだけである。

TVとPC本棚が1つ。
あとはテーブルと座椅子。

大きい物ってそれくらいしかない。

「リビングも広いねー」
そうでしょ?そうでしょ?
それが自慢なんですよ!

渡辺は部屋をグルっと見渡すと
「これ見てよ」と言ってVHSを出した。

ビデオデッキはあるがなんのビデオだ?


それは渡辺がカメラの練習をしたビデオだった。

技術部の部屋が映し出される。

部屋を何回もパン(カメラを横に振ること)している。
そしてペットボトルにズームすると
何回もティルト(カメラを上下に振ること)をしていた。

「どう?」と聞いてくる渡辺。

どうもこうもこんな映像に評価はつけ難い。
しかも俺は制作だから
カメラワークまでは分からない分野である。

「うまいんじゃない?」適当な返事をしておいた。

それでも渡辺は

「ここが難しいんだよ」
「やっぱズームに滑らかさがないよね」等と
呟いている。

こいつ本当にカメラが好きなんだな。
俺の部屋にビデオまで持ってきてさ。
本気でカメラマンになりたいんだな。

俺は渡辺の姿を見て
とてつもないひたむきさを感じた。

そして自分も頑張ろうと決意した。


しかし30分もストーリーの無い映像は拷問だった。
渡辺は1人で盛り上がっていた。

やっと砂嵐が出た。

終わった・・・。

しかし次の瞬間、渡辺の口から
信じられない言葉を聞いた。

「ねぇ。もう1回見ていい?」

家で見ろやっ!仕事熱心もほどほどにせいよっ!

と言えるはずもなく

「いいよ・・・」と言ってしまう俺。
こんな時の断り文句ってあるのか?

2度目の鑑賞が終わった時に渡辺が聞いてきた。
「ここ家賃はいくら?」

答える俺。

「それじゃ私も304号室に引越しするね♪」

え・・・・・??

俺は内心焦りまくった。
コイツなぜ304号が空室だと・・・。ハッとした!
そうだこの前一緒に飲んだ時。

「俺の隣の部屋開いてるよ。304号。渡辺そこ住めよー」

タラリ・・・。

酔った勢いでそんなことを言った・・・ような気がする。

「間取りはここと同じなのかなぁ??」
もう住む気になっているし!!

しかし今はあの時と状況が違う。

今はシラフである。

しかもしかも・・・。
今日まりあは俺にヤキモチを焼いた(ハズ)なんだよー!

隣にその原因である女が引っ越してきて
恋が成就するハズが無い!

「ちょっと待て。渡辺!」
どうにかして阻止せねば。

「304号なんて数字が悪い。4の付く部屋なんか住むもんじゃない」
「私そういうの気にしないから!大丈夫!」

「そうだ。さっき下で会ったデブのオタク。あいつ301号に住んでんだ。
不気味だっただろ?」

「二宮くんの友達でしょ?平気だよ」
俺は渡辺が引越しを諦める理由を必死で考えた。


この言葉しかない!俺は必殺技を繰り出した。

「会社の連中にバレたらどうするんだよ?
同期とはいえ、いくらなんでも
男と女が隣に住んだら怪しむよ?世間は?」

「そのことなんだけどさぁ・・・・。内緒にしててね♪会社には」
ここでニコッと笑顔。

コイツ可愛い・・・。

いや。そんな場合じゃない。

「なんでよ?なんで会社に内緒なのよ?」

渡辺は悪びれる様子もなく
「安くなった交通費の分を家賃に回すからだよ」

な・・・なんと!
「だから実家住まいにしておいて、交通費多めに貰うの」

策士現る!


俺と渡辺は部屋を出た。

304号の前で渡辺ははしゃいでいる。
「あー。憧れの1人暮らし♪」

確かに俺も同じこと思ったよな。
ここに越して来た日・・・。

渡辺の気持ち分かるわー。等と考えていた。

この時俺は純粋に
「部屋が押さえられてなければいいね」と思っていた。

しかし10秒後早くも考えは変わった。

チーン。エレベータが到着した音だ。
俺はドキリとした・・・。

ドキン・・・ドキン・・・。

油か?まりあか?

扉が開く・・・。

そこからはコンビニ袋を重そうに抱えたまりあが出てきた。


まりあはまだ俺たちに気づいていない。

もうすぐ・・・もうすぐ・・・。

その可愛い瞳が俺たち2人をロックオンしてしまうのね。

ロックオン完了!

空気の流れが止まった。

立ち尽くすまりあ。フリーズする俺。
はしゃいでいる渡辺。

第一声を発したのは渡辺だった。
「あ!カレー屋さんだ。こんにちわ」
悪気は無いとはいえ「カレー屋」とか言って逆撫でするな!

「どうも」とだけ言って
自分の部屋へスタスタと移動するまりあ。

でもコンビニ袋が邪魔でキーがなかなか取り出せない様子。

「袋俺が持ってるよ。まり・・・・新田さん・・・」
まりあとは呼べない。
渡辺は仕事の同期だ。

隣人に恋愛をしているというプライベートは知られたくない。

「けっこうですっ!!!」

そう言うとまりあはガチャガチャとキーを取り出して
部屋へと消えて行った。

俺は駅へ渡辺を送りながら考えた。

あれはまずいよな?
普通同期の女を部屋に入れるかな?
ヤッたと思われたかな?

渡辺の意向で方向を変更し不動産屋へ向かった。
俺にあの部屋を紹介してくれた不動産屋だ。

304号よ。どうか埋まっていてくれ!
俺の思いも届かず304号は見事に空き部屋だった。

喜ぶ渡辺。

「この物件はおすすめですよ!」
煽る不動産屋。

死んだ目の俺。

渡辺は大喜びで帰って行った。
俺は駅からの帰り道をトボトボと歩いた。

付き合っているなら言い訳も出来る。
今からまりあの部屋へ行って言い訳するのもアリだ。

しかし今はそんな関係でもない。

俺はマンションに到着した。

自分の部屋のドアの郵便受けに白い紙が挟まっていた。

???

その紙を開くとこう書かれていた。

「なんでまりあじゃなくて【新田さん】なんですかっ!?」


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第10章 初ディレクション

当時の俺は仕事に夢中だった。
もう二度とミスはしたくない。

そして川田さんの演出を盗みたい。

これしか頭に無かった。

実際川田さんは演出においても大雑把であった。
手を抜くべきところは抜きまくる。

しかし重要なポイントは他のスタッフが疲れていようが
なんだろうが必ず押さえる。

そしてそのポイントは必ず必要な部分なのだ。

俺は川田さんのフォローに必死になった。
この人は突然とんでもないことを言い出す。

「二宮〜。その辺の民家からチャリパクってきて〜。なんか急にチャリ使った
演出がしたくなった」

え・・・。台本に無いじゃん!そんなの。
とは思わない。
ディレクターが必要だと思えば必要なのだ。

そして俺の仕事は「チャリの入手」になるのだ。

そんなある日俺は南さんに呼び出された。


南さんは言った
「二宮ってディレクターやりたい?」

え・・・?

「今度川田ちゃんが別の仕事入っちゃってさぁ。
お前ディレクターやる?」

そ・・・そんな簡単なものなのか!?

「やらないなら別の人間探すけど」

返事なら決まってるだろがっ!

「やります!一生懸命やりますのでやらせて下さい」

こうして俺の初ディレクションは決まったのである。
なんともいい加減なものだ。

ロケは3日後。俺はこの仕事に全てを掛ける。
尺(O.A時間)が60秒のパブリシティである。

某ピアノ会社の展示場に赴き
そこの支配人がオススメする
数台のピアノをアピールするのもだ。

俺は川田さんに電話をした。

「川田さん。俺・・・俺とうとう・・・初ディレクターです!」
川田さんはあまり関心が無いのか
「そか。おめっとさん」と言うだけだ。

しかしこの興奮は止まらない。
「俺・・・川田さんのお陰で・・・初めて。初めて」
「いや・・・ムサ苦しいって・・・」

「ありがとうございます川田さん!」
「え・・・。俺なんもしないけど。ああ良かったな」

それから俺は今回の作品のあらましを川田さんに説明した。
「なんか注意点ありますか?」
「へ・・・?なんもないよ。そんなクソみたいな仕事・・・」

「お願いします。なんかお願いします」
川田さんはう〜んと唸って一言
「カメラマンには60秒以上カメラ回してもらえ。んじゃなんとかなるわ」

俺は「ありがとうございます!ありがとうございます!」と言って電話を切った。
アホである。

ロケ日まで3日。
俺は毎日23時まで台本を書いた。
何度も何度も書き直した。

ちなみに今の俺なら30分で書ける台本である。
当時はウブだったのだ。

そして技術クルーは会社でも怖いと評判の大宮さん。
そして音声は偶然にも渡辺だった。

渡辺はロケ車の中で「初ディレクター頑張ろうね!」と言ってくれた。

展示場に到着する。
支配人に挨拶だ。これも制作の仕事。
「ディレクターの二宮です」

少し恥ずかしい。
でも嘘は言っていない。

支配人がオススメのピアノを教えてくれた。
どれも年代物であろうか。
その重厚さはひしひしと伝わってきた。

大宮さんが無言で撮影に入る。
こうなると渡辺も必死だ。

少しでも助手の動きが遅いと怒鳴る。
それが大宮さんなのだ。

撮影が熱を帯びてくる・・・。
大宮さんは年代物のピアノを相手に格闘している様に見える。

渡辺も必死だ。
大宮さんが次に何を求めてくるか?
それを頭の中で考え
大宮さんの一挙手一投足を見逃さないよう神経を集中している。

俺だって同じだ。
たとえカメラマンが怖い大宮さんだって
自分の演出をしたい!後悔だけはしたくない。

自分なりの言葉で欲しいカットを必死に大宮さんに伝える。
緊迫した状態で撮影が進む。

その時・・・。

入り口の方でで陽気な声が聞こえた。
振り向くと川田さんがいた!

「撮影のスタッフですー」と受付の人に説明している。
なんで?なんで川田さんがここに?
だってこの人は別の撮影があるじゃん。

だから俺にお鉢が廻ってきたんだろ?

川田さんが言った。
「俺の撮影が早く終わって暇だったから来ちゃった」


「川田さん・・・・」
俺は泣きそうになった。

本当は不安で一杯だったんだ。

川田さんのようなベテランなら
クソみたいな仕事かもしれないけど
俺はすごく不安だったんだ。

「二宮に仕事盗られたなぁ。明日から生活苦しいべ」
照れ隠しをしているのだ。

川田さんはフリーだ。
正規の仕事でない以上はここまでの交通費だって自腹だ。

そして・・・
俺がこのままディレクターになってしまえば仕事を1つ失う。
それでも俺を心配して駆けつけてくれたのだ。

俺は必死になって頑張った。
川田さんに見てもらうために。

一度は廃人になった俺を蘇生させてくれた
川田さんに報いるために。


撮影中川田さんは黙って俺を見ていた。
いちいち口出しをしないのも
いかにも川田さんらしい。

川田さんは以前に言っていた。

「撮影はな。ディレクターが主役なんだぜ。カメラマンじゃない
ディレクターが主役の舞台なんだよ」

技術系の人間が聞いたら「ちょっと待て」と言いそうな言葉であるが
川田さんは俺の舞台をただ見守ってくれた。

俺の舞台に土足で踏み込むマネはしなかったのである。

撮影終了。全てを出し切った。
カメラマンに臆することなく
欲しいカットは全て注文した。

やったぞ!俺はやったぞ!

俺はしばしこの感動を噛み締めていた。
川田さんが俺に近づいてきた。

「お祝いしなきゃな。キャバ行っとく?」


俺はその日の夜、川田さんとキャバでお祝いをし
ほろ酔い気分で帰宅した。

マンションのゴミ置き場に人影が。

ドキッ・・・。まりあだ!。

「ども・・・こんばんわ。ゴミ捨て?そうだ明日ゴミの日だよね。
俺もゴミ出ししなきゃ」
意味不明な言葉しか出て来ない。

まりあはそんな俺に冷めた視線を向けて。

一言「そうだね。」

重いぞ。空気重いぞ・・・。

それもそのはずである。
例の紙切れの一件以来まりあとは会っていなかった。

なんとなく会い辛かったのだ。
仕事も忙しかったし・・・。

なにより

「なぜ新田なんですかっ!?」
の上手い返事が思いつかなかったのだ。

2人でエレベーターを待つ。
タイミング的に別々の方がおかしい。

無言・・・。

何か話さないといけない。
この重い空気にも耐えられないし
なにより仲直りしたい。

でも俺が謝るのもなんか変だ。

「そ・・・そうだ。今日俺さぁ。初めてディレクターしたんだ」
こんな話題しか思い浮かばない。

驚いた顔で俺を見るまりあ。
「たった60秒なんだけどさぁ。撮影で緊張しちゃってさ・・・」

まりあの反応が変わった。
「え。すごじゃん!ディレクターなんて!放送はいつなの??」

今でもこういった反応は苦手です。
ディレクターなんてただの映像オタクにしか過ぎません。
俺からすれば知らない人に物を売りつける
営業さんのほうが宇宙人です。

「え・・・と。一週間後の19時54分」
パブリシティとはこういう変な時間に放送されているのだ。

「すごい!すごい!」
自分のことのようにはしゃぐまりあ。
やっぱり可愛すぎるな。お前


「その日だとバイトないから、私の部屋で一緒に放送観ようよ!」

マ・・・マジっすか!?

もう怒ってないのですか?

何があっても行きますよ!

「いいの?お邪魔しちゃって」
顔がニヤけてくるのが自分でも分かる。
頑張れ俺の顔面。

「うんうん。もちろんだよ。みんなで観ようよ!」

うん。うん。観よう!観よう!みんなで。

へ・・・?みんな??

「油田くんも誘っておくからさ♪」

油田・・・ですか。その子いらない子・・・。

「60秒だとすぐ終わるから録画して何度も見ようね!」
「う・・・うん。そうだね」

なんにしても仲直りのキッカケにはなりそうだ。
公私ともにいいことづくめで怖い。

別れ際に言ってみた。
「おやすみ。まりあ」

「おやすみなさい。光輝くん」

あの笑顔が帰ってきた!
最高に可愛いあの笑顔が。


俺は自分の部屋に入ると
「よっしゃーー!!」とガッツポーズをした。

次の日から俺は編集作業に入った。

いくら撮影が無事済んでもここで気を抜けば元も子もない。

まずはオフライン編集。
簡単にいうと撮影した映像を大体の順番に並べて
簡易編集機でザックリと60秒前後にまとめる。

またの名を仮編集という。

今なら2時間もあれば余裕で終わるこの作業を
俺は丸2日を掛けてこなした。

自分が納得いくまで何度も何度もやり直した。

これが俺のデビュー作になるのだ。
いい加減な出来では
今度いつディレクションをさせてもらえるか分からない。

そしてこれはお茶の間に流れるのだ。
不特定多数の人間が目にする

誰も注目なんかしないかもしれない。
でもその時間そのチャンネルをつけている人間は数万人いる。
(視聴率は1%で数万単位になる。地方により違うが)
誰かは真剣に観てくれるかもしれない。

そしてなによりまりあが観てくれる。
まりあには俺が全力で作ったものを観て欲しい。

俺はオフライン編集に没頭した。

そして次の日オンライン編集(本編集)に臨んだ。
これは自社では出来ない。
ポストプロダクション(編集屋)で行う。

撮影が成功してもオンラインでダメになることもある。
逆もまたしかり。

つまりこの作業で作品の良し悪しは決まるのだ。

ポスプロにはプロの編集マンがいる。
自分のしたい演出を必死で言葉にして伝える。

たかが60秒のパブでなにを必死に・・・。
編集マンはそう思ったかもしれない。

しかし関係ない。最後の最後で後悔してたまるか!


619 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/06/19(木) 20:46:12.75 ID:PgQo3YSO
俺まで顔がニヤけてしまうwwww
こんなの読んでたら感情移入して自分もまりあの事好きになったりする俺は異端?


626 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2008/06/19(木) 20:52:45.85 ID:HaR8ONwo
>>619
異端じゃない


621 名前:二宮 ◆htHkuunP2I[] 投稿日:2008/06/19(木) 20:47:37.31 ID:QXNks9Mo
無事に画が繋がった。
ここに別撮りしていたナレーションを被せる。

これで全体像は完成だ。

最後の最後。MA作業で作品は完成する。
MAとはBGMやSE(効果音)そしてナレーションを入れる作業である。

今回ナレーションは編集で入れたのでOK
SEはプロに任せた。

そして選曲マンが今回の作品に合いそうなBGMを5〜6曲
用意してくれた。

その中から俺が1曲を選ぶ。

ディレクターの醍醐味ともいえる瞬間だ。

BGMは作品全体の雰囲気を作る大切なものだ。

慎重に選になる。

俺の選んだ曲を映像とMIXする。

これでとうとう俺のデビュー作が完成したのだ。

「プレビューしますね」MAマンが言う。

緊張の一瞬だ。

完成作品が目の前の画面に映し出された。
60秒の時間があっという間に過ぎていく。

MAマンが訊ねてくる「どうでしょうか?」

俺は万感の思いを込めてこう言った。

「OKです」


編集からMAまで付き添ってくれた
南さんが拍手をしてくれた。

「初ディレクターお疲れ!いい作品になったな」

俺は南さんにペコリを頭を下げ
「トイレ行ってきます」と言って部屋をでた。

俺はトイレで1人泣いた・・・。

仕事というのは本当に辛い。逃げ出したい時もある。

しかし・・・

ほんの一瞬
ほんの一瞬だけ
仕事をやっていて良かったと思う瞬間が訪れる。

だから社会人は頑張れるのかもしれない。

おふくろ・・・。
俺ちゃんと自分で一つの仕事完成させたよ!

南さん・・・。
俺にチャンスをくれて(人がいなかっただけだが)ありがとうございます。

川田さん・・・。
あなたに出会えたことに感謝します。


ポスプロの帰り
TV局にテープを納品して
本当の意味でこの仕事が完了した。

あとはしっかり流して下さいよ!

変なことまで祈ってしまう。

ご機嫌で会社に戻ると
志村の姿を見つけた。

あの事件以来、社内で何度も志村に会ったが
俺が挨拶をしても目も合わせてもらえなかった。

俺は志村に近づいた。

やっぱり怖い。
でも俺はどうしても志村に言いたいことがあった。


「志村さん。少しお時間ありませんか?」

志村はびっくりした表情を浮かべている。

まさか俺から挨拶以外の言葉を聞くとは
思ってもいなかったのだろう。

「なによ?」
表情は一瞬で冷めたものに変わった。

「今日僕が作ったパブが完成しました。
たった60秒のものですが、もしよろしければ
1度プレビュー(試写)して貰えませんか?」

俺はポスプロから貰った社内試写用の
VHSを差し出した。

「パブ?君が作ったの?」

「はい」

志村が失笑した。

「なんで俺がそんなつまらないもの観るの?
60秒のパブなんて演出した内に入らないからさ」

「・・・・・・」

「んじゃ俺忙しいから」
そう言い残し志村は俺の前から消えて行った。


俺は自分の席に座った。

いいのだ。これで。

俺が志村にプレビューをお願いしたのは
自分の中でのけじめに過ぎない。

「俺は潰れなかったですよ!」
それを分かって欲しかっただけだ。

あの事件以降、志村を恨んだことは1度もない。

志村だって必死なのだ。
なにより俺のミスで迷惑を掛けた事実は変わらない。

いいのだ。これで。

俺はその後テープが擦り切れそうになるまで
自分の作品を観た。
何度も巻き戻して観た。

そしてその夜は自宅に戻ってからおふくろに電話をした。


「はい。二宮です」
おふくろの声だ。
なぜかやっぱり安心する。

「俺だよ。おふくろ」

「どうしたんだい?仕事でなにかあったかい?」

例の事件以降、俺が連絡をすると
心配そうな声になるおふくろ。ごめんね。

「ううん。今日俺ね。ディレクターの仕事をしたよ」

「でれくたーかい?」

「うんうん。60秒のね。簡単なCMみたいなものだけどさ」

「そうかいそうかい。光輝はずっとでれくたーになりたかったんだろ?」

「うん。まだなってはいないけどね。とりあえず1本だけだよ」

おふくろが涙声になった。
「良かったね。天国のお父さんにも報告しなきゃね。
光輝が立派なでれくたーになったってさぁ」

「あはは。全然立派じゃないけどね」

俺は放送日時を伝えて電話を切った。
おふくろはビデオ録画すると言ってはりきっていた。

ビデオなんて操作できないだろ?おふくろ・・・。


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第11章 渡辺のお引越し

今日はまりあの部屋で放送を観る日だ。

この日ばかりは南さんも
「早く帰って自宅のTVで観ろ。全然印象が違うぞ。
それも勉強だ!」と言って定時退社を認めてくれた。

俺は駅に着くとコンビニに入った。

ジュースや適当なお菓子を買い込んだ。

まりあにばかり負担を掛けちゃいけないね。

俺は一旦自室に入り着替えて302号に行った。

インターホンを鳴らす。
この瞬間はいつもドキドキした。

今日はどんな可愛いまりあが出てくるのだろうか?

俺と確認するとドアはすぐに開いた。

「いらっしゃーい」そう言って出てきた
まりあはワンピース姿だった。

その可愛いさ・・・いい加減にしろよ!


「お酒買ってあるよ。放送のあと乾杯だね」
そう言いながら俺を招き入れるまりあ。

おいおい。こりゃ新婚カップルじゃねーかよ!

リビングに入ると

「いやぁ。どうもどうも」

手を上げている油田がいた。
貴様はいつも俺より先にいるんだな?おい!!

「まぁまぁ座って下さいな」
テメーの部屋じゃねーだろが!!

時間は19時30分。放送まで30分弱だ。
3人でしばしの雑談。

実は俺はこの時かなり緊張していた。
本当に放送されるのか?
俺なんかが作った作品が・・・?

19時50分。放送まで4分。
ここでまりあがビデオをセットした。
口数が減ってくる一同。


放送まで

3分・・・・。

2分・・・・。

1分・・・・。

俺「・・・・・・・・・(ドキドキ)」

ま「なんか緊張するね♪」

油「待ち遠しいですなぁ」

そういって油田がテーブルに肘を付いた瞬間。

ザーーーーーー。

TV画面が砂嵐になった。

へ・・・?何これ放送事故??

「えっ!!」俺とまりあは同時に声を上げた。
「あっ!!」と1人別の声を上げる油田。

画面の右上は21CHを表示している。
そんな局あるの?


「すすす・・・すみません。肘が・・・リモコンに当たったみたいで・・・」

油田ぁぁぁーーー。貴様という男は!!!

相当テンパッっているのか
リモコンを適当に押しまくる油田。

「ちょ・・・。油田。頼む!!頼むから早く戻してくれ!!」

「えっーと。何チャンネルでしたっけ?えっーと・・・」

「60秒しかないんだ。油田。急いでくれ!頼むから!」

TV画面が見覚えのある映像を捉えた。

「そこ!油田!!そこで止めて!」

俺の体感では冒頭20秒以上は進んでいた。
テープが擦り切れる程みた映像だ。

すぐに分かる。

あっという間に俺の処女作はTV画面から消え去った・・・。
そこは既にカレーのCMに支配されていた。

シーーーーーーン。

室内が静まりかえる。

「そ・・・そうだ。ビデオ!ビデオ撮ってたんだ。やっぱ便利だよね。ビデオ」
まりあが慌てて停止から巻き戻しのスイッチを押す。

まりあの気遣いが痛々しかった。

そこに映し出された映像は
俺が100回くらい観た映像だった。

そこにLiveの興奮は無かった。

またカレーのCMが流れる。

シーーーーーーーーーーーーン。

またしても室内は静まりかえった。


しかし俺が一生懸命に作ったデビュー作は
無事お茶の間に放送さたようだ。

心の奥底から込み上げる感動を
全身で受け止めていた。

右の拳は握りしめていたに違いない。

「すごいね・・・。ほんと」
まりあがポツリとそう言った。

「私の目の前にいる光輝くんの頭の中で考えたことが
映像という形になって、こうしてTVに映し出されているんだ・・・」

聖母マリア様降臨!
君はなんという才女なんだ。

そしてなんて可愛いことを言うのだ。

若い人は感受性が豊かだね。やっぱり。うんうん

俺はチラリともう1人の若者を見た・・・。

「短すぎて何がなんだかよく分かりませんでしたなぁ」

そう言いながら俺のグラスにコポコポと
ビールを注いでいる。

貴様は・・・・。

なにはともあれ俺たちは乾杯をした。


ビールが進む。

まりあは何度も何度も巻き戻して
俺のデビュー作を観てくれた。

その度に「すごいねー」と言ってくれた。
仲直りは完璧に成功したみたいだ。

この2人といるとやっぱり楽しい。

年齢も大差無く、俺も浪人や留年があれば
2人と同じまだ大学生だった。

会話をしていても同じ感覚で笑える。

こんなに楽しい時間を
マンションの住人と共有できる奇跡に感謝していた。

飲み始めて1時間程度。
場はすっかり盛り上がった。

今なら言える!このタイミングしかない!

「あのさぁ。ちょっと2人に報告があるんだけどさぁ」

「なになに?」
まりあも酒が入ってテンションが高い。

「2人もこの前ここで会った女の子。
あれ会社の同期の渡辺っていうんだけどさ・・・」

まりあと油田が動きを止めて俺を見つめる。

「なんかアイツ304号に引っ越してくるみたい。あはは」

シーーーーーーーーーン。

再び室内に沈黙が訪れた。


「ななな・・・なんですと!」
最初に反応したのはデブだった。

「渡辺さんというと、あの綺麗な顔立ちで
少しすました感じの美人ですね?」

「そ・・・そうだね。それが渡辺だね」

「いつ引越してくるのですか?」

「うーん。近々。おそらく数週間以内には」

「やりますなぁ。二宮さんも。いやー。実に羨ましいですなぁ。二宮さんも」

ちょっと・・・。黙っててくんない?デブ。

俺はまりあの顔の顔を見た。
ビールの入ったグラスを握り締めて
フリーズしている。

下を向いていて表情が分からない。

怖い・・・・。

ひとりではしゃぐオタクの声を遮ったのはまりあだった。

「さぁ。そろそろお風呂入ろーっと。明日学校早いしね。
男子の皆さんは出て行ってくださーい!」

え・・・まだ21時だけど・・・。

「はいこれビデオ。あげる。家で見て下さいね」
俺はまりあにデビュー作のVHSを渡された。

「二宮さん家で飲み直ししましょうか?フヒヒ」
俺は気づくと楽園からオタク部屋へと移動していた。


・・・
・・


「オーライ!オーライです!!」
次の日曜日。
マンションの駐車場で大声を張り上げている俺がいた。

TシャツにGパン。
頭にはタオルをガテン巻きしている。

「ストーーーーップ!!」
赤帽の車に指示を出す。

なぜ俺は引越し等の行事になったら張り切ってしまうのだろう・・・。

この日は渡辺が304号に入居する日であった。

渡辺はわざわざ俺の休みを狙って引越してきた。
人手を確保するためだ。

通常の引越し業者ではなく赤帽を頼むあたりは
いかに引越し費用を安く抑えるかという
渡辺の魂胆が見え隠れする。


「ごめんね。二宮くん。せっかくの休みに」
いやいや。それを狙っていたんでしょ?あなた。

「別にいいよ。暇だし」
今日の渡辺はいつもの渡辺だった。

ノーメイクにTシャツGパン。
引越しだから当たり前なのだが
お陰でドキドキすることは無さそうだ。

なんといってもここは
まりあのテリトリーである。
迂闊な行動はとれない。

俺は赤帽のオッサンと洋服ダンスやTV等の大物を運ぶ。
渡辺は鞄に詰め込んだ衣類などを細々と運んでいた。

30分程度引越しが進行したところで
302号からまりあ出てきた。

俺は焦らない。
今日は同じフロアでの引越しだ。
この後どうせ油にも会うであろう。

「こんにちわ。これからヨロシクお願いします」
渡辺がまりあに挨拶をする。

さて・・・どんな反応を返すのか?


「こちらこそヨロシクお願いします。
分からないことがあったら
何でも聞いて下さいね♪」

まりあもニコニコと挨拶を返した。

いける!今日はご機嫌な様子だ。
便乗して俺も話掛ける

「まり・・・。新・・・。新田ちゃんは今からバイト??」
一瞬ためらってしまった。

「まりあ」と呼ぼうとして渡辺の存在が
「新田さん」と呼ぼうとしてまりあの存在が頭の中で交錯した。

脳内で一瞬にして出した折衷案が「新田ちゃん」だったのだ。

それにしても新田ちゃんってなんなんだよっ!!

新田ちゃんは俺をキッと睨むと無言で
エレベータの中へと姿を消した。

このままでは本当にマズいな。
渡辺には話しておくべきだ。


駐車場で次の荷物を運ぶ準備をしていると後方から
「やぁやぁ。ご精がでますなぁ」
という声が聞こえてきた。

目の前には俺と全く同じ格好をした
デブが立っていた。油田だ。

「僕も微力ながらお手伝いしましょう」
本当に微力そうだな。

渡辺が挨拶をする
「これからヨロシクお願いします。・・・えっと」
「301号の油田」俺が紹介する。

「すみません引越しのお手伝いまで・・・油田さん」
渡辺が恐縮する。

デブはいや〜っと頭を掻いて
「靖男って呼んで下さい。年も近いことですし」

テメーーー!!気持ちワリーんだよっ!!!


部屋に荷物を入れる作業は意外と早く終わった。
1人暮らしの引越しだけに大した量の荷物では無い。

赤帽が帰った後、俺と油田は304号の整理を手伝った。

15時頃片付けのメドがたったところで
「後は1人で出来るから平気だよ」
渡辺のその言葉で一旦解散となった。

「今日はお寿司を出前するから、二宮くんと油田さんも来てね」
手伝いのお礼というわけだ。

ちなみに渡辺が「靖男」ではなく
「油田さん」と呼んだところに注目したい。

「そうそう。302号の・・・。新田さん?彼女も呼びたいんだけど」
渡辺としては同じフロアで同年代のまりあと
仲良くなっておきたいのであろう。

「いいですねぇ。それはグッドアイディアです」

油田は女2人に囲まれて寿司など食った経験はないのであろう。
そのシチュエーションを想像して興奮している様子だ。

ちなみに俺もそんな経験は無い(寿司以外ならギリギリある)


19時に304号に集合するという事で一旦解散した。

果たしてまりあはいつ帰ってくるのだろう?
カレー屋のバイトは割と早い時間に終わるはずだ。
19時までには戻ると思う。

部屋でゴロゴロと時間を潰す。

やっぱり言っておくべきだな。

俺は決心して304号に行った。
そしてインターホンを押す。

「はい?」
当たり前だが渡辺の声だ。
なぜか新鮮な気がした。

「二宮だけど。ちょっといいかな?」
ドアがガチャっと開いて渡辺が顔を出した。

「どうしたの?」
不思議そうな顔をする渡辺。

「廊下でいいや。話があるんだ」
俺は部屋を整理中の渡辺を気遣った。

「あのさ。302号の新田さん。新田まりあさんなんだけど」
「うんうん。」

「俺さぁ。彼女のこと・・・好きなんだよね」
渡辺は驚いた顔で俺を見つめた。


「そうなんだぁ。でもどうして突然私に??」
そう聞かれると上手く答えられない。

「いや。後々になってどうせバレるじゃん。だから今言ってみた」

この話は俺と渡辺が同期の枠を超えてしまう話だった。
完全にプライベートの領域だ。

俺はなんとなく嫌だったのだ。
会社とプライベートは分けたいタイプだったのだ。

「いいじゃんいいじゃん。彼女可愛いし」
渡辺は笑いながらそう言った。

「応援してあげるよ。今日お寿司に来てくれるといいね」

「うん・・・」

「それじゃ19時だよ!」そう言って渡辺が部屋に戻りかける。

「ちょっと待って渡辺!」

「ん?」

「俺・・・。新田さんのこと・・・まりあって呼んでる」

「うん。それが?」
それ以上は特に無いです。
渡辺の前でまりあと呼ぶために、一応言っておいただけだ。

「なんにもない。それだけ」

渡辺は笑顔を見せて304号へ戻った。


よし!これでまりあの誤解を解けばOKだ。

ボーッと空を見ながら
俺はマンションの廊下でまりあの帰りを待った。

30分ほどしてマンションの下にまりあの姿を見つけた。
もうすぐエレベータで上がってくるな。

しばらくするとチーンというエレベーターの到着音がした。

まりあが廊下にいる俺に気づく。
少し驚いた様子だ。
「お疲れ。まりあ」

まりあは「どうも」とだけ言って部屋のキーを取り出そうとした。

「ちょっと待って!」
俺はまりあを呼び止めた。


「今夜7時からなんだけど、304号でお寿司を食べるんだ。
渡辺がまりあもどうぞ!って言ってるから一緒に行こうよ」

まりあは少し考える素振りを見せたが

「私はいい・・・」と言った。

「なんで?お寿司だよ?お寿司」

その瞬間まりあが右手に持っていた
某カレーチェーンのビニール袋を
俺の目の前に差し出した。

「私はバイト先で貰ったカレーを食べるのでいいですっ!!」

なんだそりゃ?

「お寿司なんか食べたくありませんっ!!」

この言葉にはさすがにカチンときた。
まりあは好きな女だけど、渡辺だって大事な同期だ。

渡辺の好意に対して、今のまりあの態度はあまりにも失礼だ。

「んじゃカレーばっかり食ってたらいいじゃん!」
とうとう言ってしまった。

「言われなくてもカレーばっかり食べますっ!!私はカレーが大好物なんですっ!!」
そう言って俺を一睨みすると、まりあは302号へ入って行った。

渡辺より気が強い!俺もムカついて自室に帰った。


とはいうものの・・・。
俺は後悔し始めていた。

やっぱりアレはちょっと言い過ぎた気が
しないでもない。

それに、もしあれがヤキモチだとしたら・・・。
その分、まりあは俺を好いてくれているという事になる。

みんなが304号で楽しくお寿司を食べている時に
1人でカレーを食べるまりあを想像した。

・・・切ない。

俺は時計を見た。18時45分。まだ間に合う。
謝りに行こう。

その時ピンポーンとドアホンが鳴った。
誰だ?
どうせ油田か渡辺であろう。

俺はドアホンに出ずそのまま玄関を開けた。

そこにはまりあが立っていた。
シュンとして下を向いている。

「どうしたの?まりあ」

まりあは
「ごめんなさい・・・」と呟いた。

俺は意外な言葉を聞いて少しオロオロとした。
「いや。俺もごめん。なんか・・・。ごめんね」

するとまりあが恥ずかしそうに言った。

「まだ間に合うかな?・・・お寿司」

まりあは渡辺の部屋へ行くと言っているのだ。

「大丈夫!大丈夫!用意してあるよ」

渡辺のことだ。
お寿司は4人前用意しているに決まっている。

あいつは女だが男前なヤツなのだ。
(引越し費用はケチッたが)

俺とまりあはそのまま部屋を出た。
少し早いが304号に行こう。

「渡辺彩」しっかりとネームプレートをはめていた。
こういうのは性格なんだろうな。

まりあは用心のためかネームプレートを付けていない。
油田は苗字だけ。

俺は渡辺と同じでフルネームだ。
こういうことは、しっかりしないと
なんだか落ち着かないタチである。

インターホンを押す。
「はーい」
「俺。二宮です」

すぐにドアが開いた。
まりあに気づく渡辺。
「新田さんも来てくれたんだ。良かったー。お寿司8人前も買っちゃったから」

8人前ですか!!??

「どうぞ。上がって」
渡辺に促されてリビングへと入る。

・・・・・・・・・・・。

「やぁやぁ。どうもどうも」
聞きなれたデブの声。

貴様いい加減にしろよっ!!
まりあの部屋ならまだしも、渡辺の部屋くらい時間通りに来い!!

しかもビール飲んでねーか??テメー!!

「さぁ。新田さんはここに座って!二宮くんはこっちね!」
そう言いながら渡辺はさり気なく席を指定した。

まりあと油田を近づけず、なおかつ俺とまりあが隣になる席だ。
なるほど渡辺が言った「応援するね」はこういう意味なのか。

渡辺は近所の回転寿司屋で購入したであろう、8人前の寿司を広げた。

そして(なぜか)油田が乾杯のとって宴が始まった。

寿司・カレー・すき焼き・・・。ここに越してきてから
みんなで食べたものだ。うん。悪くない。

油田・まりあ・渡辺。
3階フロアも気が付けば全員同世代で
くつろげるメンバーが集まっていた。

引越して来た日は
まさかこんな生活になるなんて、想像もしていなかった。

このままみんなで
ずっと楽しく暮らせればいいな・・・。
俺はそんなことを願っていた。

しかしそんな俺の願いはアッサリと崩れさる。

親友の手によって・・・。

しかしそれはまだ後のお話。


場が盛り上がってくる。

酒がまわってきた油田は饒舌になってきた。
「ところで彩さんは・・・」

あ・・・彩さんだぁ!!??

「おっとこりゃ失礼!」
と言って自分の後頭部をピシャリッと叩くデブ。

「いいですよ!彩で」
渡辺がすかさずそう言った。

「そうですかぁ。それでは今後は彩さんで」
不気味にニヤリと笑うオタク。

計算だ・・・。
計算に違いない・・・。

この流れは渡辺の返答まで予測した
油田の緻密な計算による流れなのだ。

きっとまりあの時もそうだったに違いない!

コイツは侮れない・・・。
この分野では完全に俺の敗北だ。

「彩さんはなぜカメラマンを目指したのですか?」

コイツ・・・。俺にはそんなこと、聞いたことも無いくせに!!

渡辺は律儀に答える

「子供の時にね。風の谷のナウシカを観て感動したの。
それから映画に興味を持って・・・。
それでいつの間にかカメラマン志望」

そう言って照れくさそうに笑った。

へぇー。渡辺はアニメがきっかけなのか。
人それぞれなんだな。


「ナウシカですかぁ」
油田が語り出した。

「あれは実に名作ですなぁ。冒頭のシーンでですなぁ。
実はちびまる子ちゃんのTARAKOが声優出演しているのです」

更に講釈は続く。

「実は秘話がありましてね。巨神兵のシーンです。
あれはエヴァンゲリオンの庵野秀明が原画を描いたのですよ」
と自慢気に語ったあと

コップに残ったビールをグイッと飲み干し一言。

「どうです?」

一同。シーーーーーーーーン。


渡辺は油田のグラスにビールを注ぎながら
「へ・・へぇー。そうなんだ。勉強になるねぇ・・・。二宮くん」

別に。

油田はヤレヤレというゼスチャーを見せ
「困ったものですなぁ。映像業界の人がこんな事も知らないなんて」

ほっとけっ!!

その時、携帯の着信音がした。
渡辺の携帯だった。

「あ・・・私だ!会社からだ!」
そう言って急いでキッチンに消える渡辺。

いま逃げたよね?君。

それにしても携帯か・・・。
俺はこの時まりあの番号はおろか
メールアドレスも知らない。

これは由々しき事態といえよう。

しかし今はチャンスだ!

「そうだ。携帯といえば俺まりあの携帯番号知らないや」

軽くジャブを入れてみる。
油田戦法の変形といえよう。

「そうだね。私も光輝くんの番号知らないや。赤外線送るね!」

あっさりOK!!
油田戦法使えるっ!!

まりあがピンクの携帯を差し出してきた。

チクショーー!!携帯まで可愛いなぁ!!チクショーー!!

俺もグリーンの携帯を差し出す。

もうすぐ君の携帯のデータが、僕の携帯に侵入してくるんだね・・・。

その瞬間、俺の左側からグレーの不気味な携帯が飛び出してきた。

ん???

何ちゃっかりまりあのデータ傍受しようとしてんだっ!!デブッ!!!

「次は光輝くんが送ってきてね♪」

か・・・川田さん。俺とうとうここまで来ましたよっ!!
とりあえず心の中で川田さんに報告をしておいた。




出典:憧れの1人暮らし隣人に恋した
リンク:http://www2.2ch.net/2ch.html

(・∀・): 74 | (・A・): 21

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