キャバ嬢を愛して5
2009/11/07 11:44 登録: えっちな名無しさん
ちょっとした誤記が生んだ伝票上のゴタゴタに巻き込まれ、終電を逃してしまいました。
けっこう頭に血が登り、上司と盛大に喧嘩してしまったこともあり、まだ興奮状態が続いています。
そのまま家に帰る気にはなれず、たまにはひとりで呑んで帰るか、と、センター街の外れにあるショットバーへと向かいました。
そのバーはカウンターのみの小さな店ですが、バーボンの品揃えの充実した「いい店」です。
400本近いバーボンがずらりと並ぶバックバーは圧巻のひとこと。今ではもう呑めないオールドボトルも数多く取りそろえています。
かつて、新入社員だった頃、今はひとりも残っていない同期たちと、青臭い夢や将来像を語りまくった店でもあります。
仲間が減るたびに足が遠のき、今では半年に1〜2度程度しか顔を出さなくなりました。
重いドアを開け、薄暗い店内に入ると、口ひげのマスターが嬉しそうな顔でおしぼりを持ってきてくれました。
他に客はカップルがひと組だけ。
「あいかわらず静かでいい店だね」
「皮肉ですか? 経営してられるギリギリのセンですよ」
「ゴールドトップ、ストレートで」
「はい」
マスターはメジャーカップを使わず、慣れた手つきでショットグラスにきっちりダブルで酒を注ぎます。
黙っていてもダブル。通い慣れた店にいる安心感が俺を和ませます。
「ご無沙汰でしたね。絵里さんはお元気ですか?」
「ああ……。別れたよ」
「え? 離婚?」
「そう。今年の初めにね」
「……それは、失礼いたしました」
「はは、いいってことよ」
気が付くと、千佳の口癖が移っていました。
がしゃん、とグラスと倒れる音に、振り返ると、カウンターの奥に座っていたカップルの男が立ち上がり、ふざけるな、と声を荒げました。
あわててマスターが近づき、お怪我はありませんか、と、仲裁に入ります。
紳士風の男は財布を取り出すと、何枚かの札をカウンターの上に投げ、そのまま店を出て行ってしまいました。
女性の方はカウンターに突っ伏したまま、身じろぎもしません。
マスターはやれやれ、という表情を作り、懐中電灯と、ほうき、ちりとりを持って、カウンターを出ました。
「Eさん、申し訳ありませんね、静かな店じゃなくなって」
「もう、終わっただろ?」
「そうですね。……お嬢さん、すみません、コップの破片を片付けますので、お足元失礼します」
そういって、他の席に移ることを促すと女性は「すみません」といって足元に注意しながら、立ち上がりました。
それまで、顔を伏せていたこともあり、気が付きませんでしたが、その横顔には、見覚えがありました。
「あ」
まずいと思いつつも、つい、声が漏れてしまいました。
振り向いた彼女の、涙で濡れた表情が硬直するのがわかります。
「……京香さん」
「つまらないところ、お見せしちゃいましたね」
「い、いえ……」
京香さんと、この店で隣同士並んで酒を呑むなんて、当たり前ですが、想像すらしたこともありませんでした。
普段、楚々とした笑みを湛え続けている正統派美人の疲れた面持ちに、思わずどきどきしてしまいます。
「今日のことは、たーさんや『春菜』ちゃんには黙っていてもらえませんか?」
「そりゃ、もちろん……」
「おわかりになってると思いますが、彼はお客様じゃありません」
「ですよね……」
「以前、勤めていた会社の上司で……不倫の相手です」
「はあ」
突然始まった告白に、間の抜けた返事を返すことしかできません。
「ありがちな話ですが、結婚の約束をしていて。
馬鹿だと思いますが、離婚するっていう彼の言葉を信じてしまったんですね。馬鹿だなあ、私。本当にありがちな話なのに……」
彼とは『エンジェル』に入る前からの付き合いだったこと、処女を捧げたこと、彼には中学生のお嬢さんがいること、最近不倫がバレそうになっていたこと……。
脈略なく続く独白を、俺は黙って聞いていました。
お店で見せる笑顔の影に、完璧なプロとして接客をこなすナンバーワンのプライドの裏に、ごくごく普通の恋愛に苦しむ「本当の京香さん」がいる……。そんな当たり前のことを思い、同時に千佳のことを考えていました。
千佳はどれぐらいの闇を抱えて生きてきたんだろう?
京香さんもそんな仮面を、まさか俺の前で外すことになろうとは、想像もしていなかったと思います。
ズタズタの精神状態と、偶然すぎる対面、そして俺が自分の指名客ではないということが、意外な独白を引き出したのでしょう。
「マスター、マティーニもう一杯」
「もう10杯目ですよ。そのへんにしておきませんか?」
「……呑ませて。迷惑は掛けないから」
苦笑いしながら、これで最後ですよ、と言ってマスターはミキシンググラスを手に取りました。
「ありがとう、ここのマティーニ美味しいから……」
そういうと、京香さんは俺の肩に頭を預けてきました。
「泣いちゃうかもしれないけど、放置しておいてくださいね」
そういわれても、この状況で放置できるはずありません。かといって、俺に出来ることはそのまま肩を貸すぐらいでしたが。
「ごめんなさいね、Eさん。『春菜』ちゃんに怒られちゃう」
「いや、怒らないと思いますよ」
話したところで、千佳は絶対に怒らないでしょう。
でも、話せません。黙っていると約束した上での独白だったと思っていましたから。
そのまま、目の前に置かれたマティーニ手を付けることなく、京香さんは眠ってしまいました。
「お知り合いだったんですね」
「ああ、聞いてのとおりだよ」
「バーテンダーは、お客様同士の会話は、なにも聞きませんよ」
「……そういうことにしときましょう」
深い寝息を確認して、俺は彼女の頭を肩から降ろしました。
「あんまりね……」
「ん?」
マスターがグラスを拭きながら、ぽつりと言いました。
「あんまり、いい男じゃないんですよ、彼氏」
「……そう」
マスターが他人の評判を口にすることは珍しいことです。
それだけで、京香さんの彼氏の行いが想像できました。
「余計なお世話ですけどね」
「……余計なお世話だな」
「ですね。……しかし、困りましたね」
そういって、熟睡している京香さんを見やります。
「どう……しようかね?」
送っていこうにも京香さんの住所など、知るわけもありません。
強引に起こしてタクシーに同乗し、家のそばまで送るにしても、この状態では不可能です。
時計を見ると、すでに4時。
昨日も千佳と夜更かししていただけに、強い睡魔が襲ってきます。
「置いて帰る、ってのもできないよなあ」
「そうですね、あれだけ頼られたんですから、男としてきちんと面倒を見た方がいいとは思います」
「あれ? 『バーテンは聞かない』んじゃなかったの?」
「そんな雰囲気に見えただけです」
そういって、マスターはくすくすと笑いました。
マスターの炒れてくれたコーヒーを飲みながら、昔話に花を咲かせていると、京香さんがようやく目を覚ましました。
「あ……あたまいたい」
「はい、好きな方をどうぞ」
そういって、マスターは水とオレンジジュースをカウンターに並べます。
京香さんは水を一気に呷ると、さらにオレンジジュースに口を付けました。
「すみません、眠っちゃって……」
「ずいぶん無理して呑んでましたからね」とマスター。
京香さんは腕時計に目をやり、えっ、と小さな悲鳴を挙げました。
「もう……10時ですか」
そして、はっと気が付いたように俺を見ます。
「あの、Eさんお仕事は……」
「午後出社にしましたよ。レディを置いていくなって、ヒゲオヤジに脅されたし」
「すみませんっっ! あんな愚痴に付き合わせた上に、お仕事まで!」
「ああ、大丈夫。今は暇な時期だし、有給とってもよかったぐらいだから。でも、覚えてるんですね、昨晩の会話とか」
「ええ……。忘れてた方がよかったですね、すみません」
「はは、いいってことよ」
「あ、それ『春菜』ちゃんの口癖」
そういって、笑う京香さん。その笑顔だけで場が一気に華やぐのだから、たいしたものです。
「ああ、そうね。移っちゃったみたい」
「もう大丈夫そうですね。タクシー、お呼びしますか?」
マスターがネクタイを緩めながら聞きます。
「いえ、この時間なら電車で帰ります。すみませんでした、迷惑ばかりお掛けしてしまって」
「いえいえ、お気になさらずに。バーテンダーは綺麗な女性には寛大ですから。それに」
ちらりと俺に視線を投げます。
「Eさんも同様のジェントルマンですからね」
あまりにも気障ったらしい台詞に、俺も京香さんも思わず吹き出してしまいました。
「んー。今日もいい天気。……何があっても陽はまた昇る、か」
気持ちよさそうに伸びをする京香さん。店を出る前にメイクを直した彼女は、昨晩の出来事などなかったかのように、清々しい美しさに満ちていました。
「ねえ、Eさん。まだ時間あります?」
「大丈夫ですよ。うちの会社ここから歩いてすぐですから」
「お詫びにもならないかもしれませんが、ランチおごらせてください」
「ああ。いいですよ。そういえばお腹すいたかも」
敢えて会社とは反対の方角へと歩き、小洒落たイタリアンの店へと腰を落ち着けました。
しかし、安請け合いして同席したものの、いったい何を話していいのやら。
そんな俺の困惑を察したかのように、京香さんが話し始めます。
「私ね、3人姉弟の一番上でね。両親が共働きだったんで、いつも弟2人の面倒をみていたんです。
それもあってか姉御肌っていうのか、いろいろ頼られる立場の方が気が楽なんですよ。だから、甘えるのがとっても下手で、……」
「わかるような気がしますね」
「いままで心底頼ったのって、昨日の彼ぐらいだったんです」
「そうですか」
「お店でも、それなりのプライドがあるから、プライベートな悩みなんて、女の子たちにも話せないし、スタッフにもいつも文句を言ってる立場上、弱音はけないし。
唯一、年上の『春菜』ちゃんぐらいしかマトモに話できる娘がいなくて……」
「ん? 『春菜』の方が年上なんですか?」
「え? そうですよ。私こう見えても25歳ですよ。
『春菜』ちゃんの2こ下ですよ。やだなあ、Eさん」
『春菜』のことを、「ちゃん付け」で呼んでいるし、立ち居振る舞いにしろ、雰囲気にしろ、明らかに京香さんの方が年上のように思えます。
いや、考えてみれば、『春菜』は、というか千佳は27歳にしては幼い部分が多い女性です。
「し、失礼しました」
「ふふ」
楚々とした上品な笑いが、とにかくハマっています。千佳とはまったく別方向のベクトルですが、京香さんもまた、飛び抜けていい女でした。
「これに懲りず、また一緒に呑んでくださいね、Eさん」
「ああ、もちろん。また店に顔出しますよ」
「あ、そうじゃなくて……できればプライベートで、呑み友達に」
「え? そ、そりゃいいですけど……」
「あんなにね、素直になにもかも話しちゃったのって、はじめてだったんですよ。
ああいうシチュエーションだったし、ものすごく酔っぱらってたし、っていうのもあったけど……
Eさん、とても話やすくて、ちょっと甘えちゃった、というのが本当のところかも」
これが店内での会話であれば100点満点の『仕事』かもしれません。
彼女はきっと素なのでしょうが、前振りの仕方、話の持って行き方、雰囲気の作り方など、完全にプロの業がしみこんでいるように感じました。
「でも、田上さんにも、『春菜』にも悪いから……」
「そんな、ただ一緒に呑もうってだけですから……駄目ですか?」
京香さんはちょっと弱気な表情を作ります。それはもう見事に。
「駄目じゃないけど……。『春菜』とかと一緒に呑むんじゃ駄目ですか?」
「『春菜』ちゃんも含めて、ほかの人には聞かせられない愚痴、聞いて欲しいんだけどなぁ」
ちょっと拗ねた口調でそう言うと、ふと、視線を切って、伏し目がちになる京香さん。
……完璧すぎます。
彼女は自分の魅力を十分に理解した上で、イメージのギャップまで自在に扱うことができる女性です。
それが彼女にとっての自然体で、悪意など、かけらもないのでしょう。
同じ店で働いている『春菜』と付き合っていなければ、ソッコーで堕ちています。
というか、そこまで理解していながら、俺はすでに半堕ちの状態でした。
「田上さんとはプライベートで呑んだりしないんですか?」
「え? お客様とはないですね。同伴とかアフターは別ですけど」
「俺だって客じゃないんですか? 京香さん指名したことありますよ?」
「ああ、そうですね。
でも、あれって『春菜』ちゃんの代用で、私が目的ってわけじゃなかったんでしょ?」
「そりゃまあ、そうです」
「でしょ? Eさんは少なくとも私のお客様じゃないですよね。
指名をいただいているお客様だと店の愚痴なんて聞かせられないから。
というか愚痴の大半は彼らがらみのことだったりするしね」
「まあ、俺も店の客であることはかわりないと思うんだけど……」
「そのぐらいの繋がりがあるのがありがたいなって思ったんです。
だって、お店の私を知らない人に愚痴っても、きっとわかってもらえないでしょ? ……お店の私とプライベートな私、両方身近に見ているのって、この世でEさんしかいないんですよ。
あんな現場に居合わせちゃったのもなんかの縁だと思って……ね?」
「運がいいのか悪いのか……」
ふふっと、独特の笑みを浮かべる京香さん。……本当にいい女だ。
「うーん。わかりました。お酒ぐらいお付き合いしますよ。ただし、条件があります」
「条件?」
「ええ。呑む場合は必ず、さっきのバーで」
あの店であれば、俺は自制心を保つことが出来るだろうと、とっさに思い付きました。それに、マスターの話しぶりからすると、あの「彼氏」はあそこの常連に違いありません。もしかしたら、京香さんが断ってくるかも、とも考えたのです。
「いいですよ、もちろん。じゃあ、そのうちまたあのバーで!」
しかし、意に反して京香さんは嬉しそうに快諾しました。
その日は睡眠不足もあって、仕事はグダグダでした。
上司の田上さんとは、きのう怒鳴り合ったのと、京香さんのこととが重なって、できるだけ視線をそらしながら半日を過ごしました。
「おーい、Eちゃん!」
ぐだぐだになって帰り支度をしている俺を見つけ、田上さんが声を掛けてきました。
「あ、ども。おつかれさんです」
「なんかさ、今日のEちゃん感じ悪いよ?」
「はあ、すみません。昨日の今日で、田上さんの顔、まともに見られなくて」
いろいろ省略しましたが、本当のことです。
「らしくないな。済んだことだろう。男らしく、仲直りの酒といこうぜ」
体力的には限界を越えていましたが、断れるタイプの誘いではありません。
俺はトイレに行く、といっていったん席を立つと、千佳にメールしました。
”今日、店出れませんか? かなりヤバい。たすけて”
すぐに返信が届きました。
”また接待ですか? わかりました。シフト外れてますけど、お店に頼んで出勤するようにします"
心からほっとしました。京香さんと田上さんと、わけのわからんヘルプの娘と呑むとなれば、さすがに心労でぶっ倒れそうでしたから。
行きつけの定食屋で食事を摂りつつ、軽く呑んだたあと、ずるずると、田上さんに引きずられるように『エンジェル』へと辿り着きました。もちろん指名は『春菜』と京香さんです。
俺たちの到着と入れ替わりで団体客が帰っていったため、店は珍しく空いていました。
今日は京香さんも最初から付いてくれたので、田上さんも上機嫌です。
ふたりが席に着く際、京香さんと視線が絡み、無言で挨拶を交わしました。
「なんか、本当に体調悪そうね」
『春菜』は薄目の水割りを作りながら、心配そうな顔をしています。
「うん。完全に寝不足。いますぐ寝たい」
「寝てていいよ。たーさんの相手しとくし」
「……膝枕して欲しい」
「あはは。そういうことは千佳さんにお願いしてね」
などと、軽口の応酬をしていると、
「なんだー? Eちゃん、『春菜』といい感じじゃん!」
ひとしきり京香さんと盛り上がった田上さんがすごいテンションで絡んできます。
「こいつさあ、離婚したばっかりで寂しいんだよ。『春菜』、お相手してあげてよ〜」
「え? Eさん今独身なんですか?」
反応したのは京香さんだ。
『春菜』は笑顔で「そんなのとっくに知ってますよ〜」と受けます。
「あ、知ってるの? そっか。じゃあ『春菜』ちゃん、こいつのことヨロシクね。
こいつ、こう見えて意外に仕事できるし、女の扱いも上手いと思うぜえ〜」
「はいはい。Eさんのことは私に任せて。たーさんは京香さん口説かないと!」
「おお、そうだ。今日こそ京香を……!」
必死で京香さんに口説き文句を投げ続ける田上さん。
彼がどこまで本気で京香さんを思っているのかわかりませんが、とにかく胸が痛みました。
「顔色、さらに悪くなったね……早く帰った方がいいよ」
「そだね。わざわざ店出てもらって悪いけど……」
「あはは、いいってことよ。そんなことより、体調整えないと……週末、ね」
ああ、そうだった。今週末、千佳と旅行にいくんだった。
そんな大事なことさえ、瞬間的にとはいえ失念するぐらい、俺は疲れていたのです。
出典:萌えちゃんねる
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