キャバ嬢を愛して7

2009/11/07 11:53 登録: えっちな名無しさん

「ねえ、あの子、また来てたましたよ」
いつものバーに着くと、先に来ていた京香さんが、挨拶もそこそこに話し始めた。
「え?」
「新入社員の平田くん。毎週ですよ」
「へえ、あいつが……」
平田は俺の部署に配属された新人で、いかにも体育会系、といった趣の大男だった。
指導係を命じた部下の報告だと、非常に折り目正しく、かつ、物覚えも早いと高評価を得ていた。
新人歓迎会のあと、かつて俺が田上さんにされたように、数人の部下と一緒に『エンジェル』へと「社会見学」連れて行ったのだが……。

「ひとりで来てるの?」
「そう。ハマっちゃったみたいね、彼」
「そっか……。ちょっと注意しとくよ。新人のうちからハマるのはちょっとな」
唐突な話に面食らいながらも、マスターにいつものダブルを注文する。

「……『春菜』ちゃんからはなにも聞いてないんですか?」
「え? いや、特には」
「そっか」
そういって、グラスワインの縁を指先で弄ぶ。物憂げな仕草が堂に入っており、そこはかとないエロスを沸きたてる。
「……平田くんがハマってるの、『春菜』ちゃんですよ」
んぶっっ。
口に含んでいたバーボンがヘンなところに入り込み、思いっきりむせる。

「マジ?」
「マジです」
……絶句。
ラグビー部で鍛えた巨漢の平田と、小さな『春菜』が並んで楽しそうに笑っている図を思い浮かべると、なんとも嫌な汗が出てくる。
これまで、他の客に軽く嫉妬を覚えることはあっても、あくまで向こうは他人だ、と割り切れた。
しかし、平田となると、別の感情がわき出してくる。
短い付き合いで知った平田は、悪い意味での体育会系のノリも持ち合わせている。つまり、遊び人気質だ。一流大学でラグビー部のレギュラーを務めていた、というだけあって、それなりの武勇伝を持った男なのだ。

だからどうした、『春菜』は千佳なんだぜ。俺の千佳なんだぜ。
そうは思うのだが、どうしても一抹の不安をぬぐい去れないのは、きっとそのことを千佳本人から聞いていなかったからだろう。

「あらあら、Eさん。なんか深刻そうね」
黙り込んでしまった俺を見て、ふふっと不敵に笑う京香さん。
赤ワインがおそろしく似合う。

「いや、どうやって言い聞かそうかな、と思ってさ」

とっさにごまかしたが、それももうひとつの不安点だ。
「そうねぇ。『春菜』ちゃんご指名のEさんが言ったんじゃ、なんか嫉妬してるようにも聞こえちゃうものね」
「……そこなんだよなぁ」
「ふふっ。いいアイデアがありますよ」
「ん? どんな?」
「これを機会に『春菜』ちゃんから私に乗り換えちゃう、っていうのはどうです? 『春菜』ちゃんのお客様じゃなければ、問題ないでしょう?」
怪しく笑う京香さん。なにを考えてんだか……。

「ははっ。無理っすよ。そんなの田上さんに顔向けできないでしょ? それに京香さんの客になったら、こうやって呑むのは辞めるけど?」
「そういうと思った」
京香さんはぐいっと、グラスを空けた。
空になったグラスには、すかさずお代わりが注がれていく。
「冗談よ。アイデアっていうのはね、たーさんにね、頼むのがいいと思うの。
平田くんがよく来てるって私から聞いたってことにして、それとなく注意してもらうの。たーさんなら上手くやってくれると思いますよ」
「……そうだな。それが一番かもね」
ひとまず、平田との直接対決を避けられてホッとしている俺。なんだか情けない。
そんな顔色を京香さんは敏感に読み取ったのだろう。楽しそうに微笑む京香さん。
「ふふふっ。Eさんって、意外に純情ですよねー」
「……」

完全に弄ばれている俺を助けるように、携帯が鳴った。
千佳からだ。
「もしもし」
言いながら席を立ち、店の外に出る。

「あの新人さ、どーにかした方がいいよ」
一言めから核心を突いてくる千佳。
「ああ。なんか通ってるんだって?」
「あ、知ってるの?」
「ん、まあね……」
「1〜2回来るぐらいは仕方ないかと思ってほっといたんだけど、3週連続となると、ちょっとね。それも先週末は2日連続だったし」
『春菜』は金曜、土曜の週2日しか出勤していないことを考えれば、恐るべき出現率といえる。
「新入社員にしては金遣い荒すぎるし。ああいう遊び方するのはまだ早いと思うのよね」
「そりゃそうだな。明日にでも田上さん経由で注意してもらおうか、って思ってる」
「そうね。ふっくんが言うと角が立ちそうだもんね……」
さすが千佳さん。わかってらっしゃる。

「それに、ちょっと怖いの、平田くんって。私がちびで大きい人苦手っていうのもあるかもしれないけど、なんかすごい威圧感で迫ってくるのよね」
「……迫られたのか?」
「あ……うん。まあ、デートしてください、とかそんなんだけど」
「あのヤロ……」
「あんまりさ、ふっくんの部下の悪口言いたくなかったんだけど。今日もすごいペースでメール来てるし、ちょっと困っちゃってさ」
「わかった。なんとかするよ。ゴメンな、迷惑掛けて」
「あはは、いいってことよ。『春菜』的にはそれが仕事だし、本当はふっくんに相談するのもお門違いかもしれないことだから」

最後のひと言に、『春菜』の本音が詰まっていた。
平田がどんなバックボーンを持っているかは関係ない、『春菜』にとって、「自分の客」のひとりだから、できるだけ自分でなんとかしたかったのだろう。

店に戻ると、京香さんはすでに新しいボトルを口開けしていた。
「電話長かったわね、彼女?」
「あ。そうです」
「へえ、離婚したばっかりなんですよね? その彼女が原因?」
「違います……。別にいいでしょ、俺のプライベートは」
「あら、ちょっとぐらい聞かせて。私の修羅場だけ見てるっていうのずるいですよ」
酔っているのか、演出なのか。京香さんはほわんとした雰囲気を身に纏っている。
いつもとはちょっと違う、桃色の雰囲気だ。
その彼女が『春菜』でなかったら、俺はべらべらと話してしまったのかもしれない。

ウチの部署に配属された新人はふたり。
ひとりは件の平田くんである。プライベートの面はさておき、仕事上は極めて優秀だ。
物覚えがいいし、いい意味で要領がいい。人当たりも抜群とくれば、新米課長としては、頼もしい存在である。

問題はもうひとりの方だ。
小西有理は超の付く美人。小顔で、ほっそりとしつつも出るところの出たモデル体型。長い髪、大きな眼、すっと通った鼻。見てくれだけは完璧といえる。
たぶん、これまで周囲にチヤホヤされつづけて生きてきたのだろう。
たしかに、それだけの価値が彼女の外見にはある。
しかし、中身といえば甘やかされて育った馬鹿女の典型、といっていいだろう。
まあ、外見と中身がマッチしているとも言えなくはない。

電話の応対や外回りでの挨拶をはじめ、研修でたたき込まれたはずのすべてが抜け落ちている。
叱れば、甘えた声で言い訳し、媚びを売って責任を逃れようとする。
教育係に任命した小林は、早くも骨抜き状態になり、「だめじゃ〜ん、有理ちゃん」など、猫なで声で怒るのが関の山、というていたらくだ。

しかたなく女性を教育係に付けようとしたが、勘弁してください、と断れてしまった。
もちろん、業務命令だから無理強いすることもできるが、とりあえず彼女の気持ちもわかるので、結局、俺の直属の部下として一から躾けをすることにしたのだ。

「小西……お前、書式理解してないだろ?」
「え? 見本を見ながら記入したつもりですが……」
「んじゃ、その見本とやらをもってこい」
「あ、えーと……どこにやっちゃったかなあ……えへ」
……えへ、じゃねえ、えへ、じゃ。

基本的な書類作成ですらこのノリである。とても使えたもんではない。
「とにかく、これ書き直せ。細かいところは小林に聞け」
「はぁい。がんばりますっ!」
……そんな書類、頑張るとかのレベルじゃないんだが、と、頭を抱えていると、内線が入った。
田上さんからだ。

「よお。ご無沙汰、元気か?」
「って、昼休み会ったじゃないですか。所属変わったといっても同じフロアなんですから」
「あはは。それはさておき、平田っての。あれはやっかいだな」
「あ。なんか揉めました?」
今日、田上さんが平田に説教をしてくれているはずだった。
「おお。大揉めだよ。今、暇あるか?」
ふと、部署を見回す。平田はいないし、とくに俺に用事がありそうな奴はいなさそうだ。

出際に、小西を頼む、と、小林の肩を叩き、ホワイトボードに外出マーカを貼り付け、近所の喫茶店へと向かった。

すでに田上さんは到着していた。
「Eちゃん、なんかヤベエよ、あいつ」
「……平田、何やらかしました?」
「うん、キャバ通いなんて10年早い、今は仕事覚える時期だろ、って。俺にしてはマトモなこといったと思うんだけどな」
田上さんは、笑いながら、煙草に火を付けた。

「そしたらよ、『それはE課長の差し金ですか?』ときやがったぜ」
「……はあ。そうきましたか」
俺と『春菜』が仲がいいことは、最初に連れて行った時のやり取りで、平田もよくわかっている。
それ以上の好意を俺が持っていることも、同じ女性を好きになったあいつには筒抜けなのかもしれない。
「だったら余計なお世話です、僕は真剣に『春菜』さんが好きで、今、必死なんです。……だとさ。なんかデイトレかなんかでしこたま儲けてるらしくて、金のことも心配するなっていうし、仕事だって迷惑掛けるようなハンパなことはしてない、って豪語しやがるんだよな」
「確かに……新人としてはケチつけるところない仕事ぶりですね……」
「まあ、お前の差し金ってのは否定しといたが、アレは信じてないね。完全にお前のせいだって思いこんでるよ」
頭痛がしてきた……。

「そんなわけで、申し訳ないが、他部署の人間としては、これ以上は強く言えない、ってワケさ」
煙で輪っかを作りながら、田上さんはダルそうに言った。
「あいつ、ヤバいぞ。ただ頭いいだけじゃなくて、なんというか……狡猾だ。腕力もあるし度胸もある。それだけ持ってるのに、中身は子どもだよ。ああいうのはヤバい」
「ヤバい、ですか」
「プライベートな面はまあ、『春菜』ちゃんがなんとでもあしらうだろうし、京香だって店のスタッフだってフォローするだろう。ああいう客には慣れてるはずだ。……けどさ、仕事の上ではかなりヤバいぜ。今はいいけど、仕事覚えたらお前のアキレス腱になるぞ」

そっちか。……正直、ほっとした。
安堵の色を見抜いてか、田上さんは煙草をもみ消しながら笑った。
「お前さ、けっこう本気で『春菜』ちゃんのこと好きなんだな」
「え? ああ。まあ……そうですね」
「付き合ってるのか?」
「……ここだけの話にしといてもらえますか」
「って。お前……マジかよ!」
がたっと椅子を揺らし、腰を浮かせて田上さんは驚いた。

「マジですよ。だから、京香さんも含め、完全オフレコでお願いしますよ!」
「……うらやましい。俺なんか京香んとこ何年通ってると思ってんだよ?」
「いや、その……すみません」
「なんかお前の応援するのがバカバカしくなってきたぜ」
そういって、田上さんは新しい煙草に火を灯す。
脳裏にワイングラスを掲げた京香さんの姿がちらつき、心から申し訳ないという気持ちになってしまう。

「なんてな。……とにかく平田には気をつけろよ。横領とかそういうの、やらかすタイプだ」
「わかりました。ありがとうございます」

社に戻ると、平田が席にいた。
鋭い視線を俺に投げかけてくる。
あえて無視していると、平田は俺のデスクまでやって来た。
「課長、お話があります」
「なんだ、話してみろ」

……こいつと殴り合ったら、1分と持たないだろうな、と思いつつ、そのぶっとい腕を眺めていた。

「田上課長のお話、E課長の差し金ですよね?」
「……だったらどうした?」
屋上で部下とタイマン。
なんだよこの三流ドラマみたいな展開は、と思いつつ、とにかく完全に開き直って真っ向勝負することに決めていた。

最初からこうすればよかった、という思いは強い。
好きな女を守ろうと思うなら、身体ぐらい張らなければならないもんだ。
なのに、田上さんに仲介してもらうなど、小細工を用いた俺が悪かった。
平田に対しても失礼だったかもしれない。

正直、俺は平田が怖かったのだ。
田上さんが言ったのとまったく逆の方向でヤバさを感じていた。
一匹の「雄」として、俺はこいつに勝てるのか。
腕力、知力、見た目、そして若さ。
とにかく「雄」としての魅力を総合した場合、平田のそれは圧倒的だったのだ。

「自分は『春菜』さんが大好きです。初めて会った瞬間に一目惚れしたんです。ずっと課長が指名している女性だというのは知っていました。……だから、会社での立場を考えて一度はあきらめようとしました。それで、最後にもう一回だけと思って、翌週ひとりで『春菜』さんに会いに行きました。……やっぱり『春菜』さんは素敵でした。これで最後かと思うと、泣きそうになりました。自分はやっぱり『春菜』さんが好きなんだ、と実感したんです。上司が指名しているとか、惚れているとか、その程度の理由であきらめられるような気持ちではありません」

清々しいほどの、若くて真っ直ぐな気持ちの発露だった。しかし、ここまで露骨に気持ちを開示してくるのは、「俺を舐めている」ということとも取れる。

「もう、くだらない邪魔はしないでください。上司といえど、恋愛にまで干渉することはできないはずです」
なんともふてぶてしい物言いである。

平田という男を主人公としたとき、俺は『会社での地位を振り回してその純情な恋路を邪魔する陰険な上司』という、ありがちな役回りでしかないのだ。
そして、そんな物語では、たいがい『陰険な上司』は自滅し、改心し、主人公とヒロインの幸福を応援することになっている。
なんじゃそりゃ?

「課長も自分も『春菜』さんの客という意味では対等なはずです。どちらが彼女の心を掴むか、正々堂々勝負してみませんか?」
「勝負って、お前な……」
「いいじゃないですか、恨みっこなしで。負けた方が彼女の前から消える、ということで」
「しかし、それは……」
勝負にならんと思うぞ、と続けようとしたのを遮って、平田は言った。
「はっきりいいますけど、『春菜』さんほどの女性が課長を選ぶなんてことはあり得ないと思いますよ。立場を利用して、部下を遠ざけようとするような、そんな下卑た男を!」
びしっと、俺を指さして決め台詞ときた。……こいつ、自分に酔っている。
三流ドラマでもありない展開に、俺は完全に毒気を抜かれていた。

自信過剰で、青くて馬鹿。思いこみが激しくて、なんでもかんでもすぐに勝負。
そして、力押しの一手でなんとかなると信じている。平田は「純然たる雄」だ。
たしかにこいつは魑魅魍魎の跋扈する仕事社会においてはかなりやっかいな存在だ、と田上さんの忠告の意味を肌で感じていた。

でも、同時に、案外悪い男じゃないな、とも思っていた。

もっと遊び人の側面を露出した低レベルな感情で『春菜』に迫っているとおもっていた。
しかし、『春菜』に対しての思いには邪念はない。
奴には奴なりの正義感の元、動いているのだ。
こちらが愚策を労さずに、正面からぶつかっていったとしたら、また違った展開が望めたのかもしれない。


行きつけの居酒屋に千佳を呼び出し、事の成り行きを説明すると、彼女は目をぱちくりさせて言った。
「なんじゃそりゃ?」
俺の感想とまったく同じである。
「すまん。どうにもこっちの話を聞いてくれなかった。奴は今週末も顔出すと思う」
「……なんか、脳みそ焼き切れそう。言ってやればよかったのに。『春菜』は俺の女だからって」
梅酒ロックの氷を指で弄びながら、千佳はため息をついた。

「うーん。嘘吐くな、とかいって殴られそうな雰囲気だったし。なんか『春菜』さんを侮辱するなッ! とか怒鳴られそうじゃん?」
「あはは。まあ確かに聞く耳持たなそうだね」
「それどころか、きっと店に押しかけて問いつめるぜ、本当にEさんと付き合ってるんですか、って大声で」
「……それはキツいわ」
その光景がリアルに想像できたのだろう。千佳はテーブルに突っ伏してしまった。

「そのこと伝えるにしても、タイミング選ばないと、とんでもないことになるよ」
「まあ、なんにしても『春菜』さんが選べばいんでしょ? 『陰険な上司』様の方を」
「……陰険、言うな」
「あはは。でもさ、勝手に勝負に持ち込んで、負けた方が去るなんてルール作って……完全に自爆じゃない? まあ、こっちはやりやすくなったからいいけど」
「勝てると思ったんだろうね。なんというか、自信の固まりみたいな男だし……」
「自信の根拠が知りたいわ」

満面に自信を浮かべた表情で、俺を指さした平田の姿が脳裏に浮かんだ。
「あいつは自分なりに正しいと信じてるんだよなあ。悪意はない。それがやっかいなんだけど……千佳はああいうの、魅力感じない?」
「んー全然」
久々の即答だ。しかし、これまでと違い、聞いてい気持ちがいい。
同時に、あいつの存在を畏怖していた自分が恥ずかしくなる。

「同性としてはあいつみたいなエネルギッシュなタイプは脅威だけどな」
「私ね、若者苦手。そのエネルギッシュとやらが、とにかくうっとおしくてダメ」
「枯れたのがお好みで?」
「枯れた、というかいろんな経験を積んだ大人の人がいい。それと、若い人特有のがっつき感が抜けた人がいいかな? 」
「ふーん。そんなもんか?」
「うん。40歳以下はいらない。いままで付き合ってきた人はみんな40代だったし」
「俺まだ37歳なんですけど……」
「あはは、先行投資。というか、そのぐらいの年齢なら誤差の範疇ね。40代でもダメな人もいるし……。きっといい40代になるよ、ふっくんは」
付き合った男は全部40代か。
「……千佳はこれまでどんな恋愛をしてきたのかなあ」
心の声が思わず表に出てしまった。

「んー。そうね……不倫とかしてたね」
ふっと、千佳は遠い目をした。脳裏には過去の男が浮かんでいるのだろう。
「不倫ときたか」
妙に納得の出来る話だった。千佳の懐の大きさは、きっと不倫に向いている。

「あはは。40代のいい男となると、やっぱり結婚してる人が多いからね。好きになっちゃうのに既婚とか独身とかは関係ないもんね。まあ、そのあと付き合うかどうかっていうのにはいろいろ関係してくるけどね」
「うーん。俺はすごいタイミングで不倫にならなかったけど。……離婚してなくても俺と寝た?」
「それは正直、わかんない。相手を好きならあとはきっかけの問題だから、寝なかったとは断言しないけど。……離婚の話がまったくなかったら、ふっくんの方が、そういう流れに持っていかなかっただろうし、『抱っこしてあげる』なんて、展開にはならなかったんじゃない?」
「それは……そうかもな」
「意固地だったもんね、お店でのふっくん」
くすっと笑う千佳。その眼差しはどこまでも優しい。

「ある意味完璧だったのよ、お客さんとして。表面上はちゃんと楽しんでくれるし、話題も豊富でこっちを楽しませてもくれる。私のこと気に入ってくれているけど、絶対深追いはしない。我が儘も言わないし、後腐れないし。っていうの。たまにいるのよね、そういう『キレイに遊ぶお客さん』って」
「そうね。田上さんの付き合いで来てたから、自制してたな、ずいぶん」
「でしょ? すっごく感じたの。この人の内面を見てみたい、って。……そう思わせたら勝ちかもね」
「勝ち、なんですか?」
「思わないもん、普通は。『キレイに遊ぶお客さん』でも、そんなことほとんど思わない」
「へえ。何が勝因だったんだろ」
「……単純にタイプだったのよ、ふっくんみたいなのが」
そう言って、照れくさそうに長い髪に手櫛を入れる。

「え? 見た目の話?」
「そう。ぼさぼさの髪に眼鏡に丸顔。けっこうストライクだったわけ」
「……初めて聞くぞ、そんな話」
「だって、初めて言うもん」
考えてみれば、千佳が、いや『春菜』が俺のどこを気に入ったのかなんて話、したこともなかった。
わりと話は合うし、一緒にいて楽だと思ってくれているのは感じていたので、そのへんがツボなのかと思っていたが、まさか外見だったとは意外だ。

はっきりいって、俺は外見には自信がない。まあ、人並みではあるだろうが、千佳の指摘どおり丸顔だし、見た目でモテたことなど、ついぞ記憶にない。「人間中身で勝負」が合い言葉な人生であったはずなのだが。

「見た目好みで、そのうえ完璧なぐらい『キレイに遊ぶお客さん』。ちょっとムキになって、こいつ堕としてやろうかぐらい思ったんだけど、完全に無反応だしさ。気になるよ、どうしても……」
「ごめん。正直、本気になればカモにされる、とか思ってたんだわ。ハマりやすい性格だし」
「カモにできなかったよ、意固地すぎだし。……だから、ラブホに誘われたときはちょっとビビったんだよ。この人、どこまで本気なのかな? って」
「不安になった?」
「うん。それこそ私の方がカモだったのかなとか思っちゃったもん」

考えてみれば、絶妙なバランスとタイミングで、俺たちの関係は成立したわけだ。

「お先に失礼しまーす!」
午後5時。定時を迎えると同時に、可愛さだけがウリの新人・小西有理は席を立ち、小走りで部屋を出て行こうとする。
……毎日のことだ。

以前よりはかなりマシになったとはいえ、ミスの多い仕事っぷりはあいかわらずで、さらに最近は定時きっちりで有無を言わさずにご帰宅なさる。
まあ、残って仕事をしていってもらっても、かえってやっかいが増えるばかりなので、部署の誰も文句を言わない。

しかし、今日は同期の平田が小西を呼び止めた。
「小西さん、ちょっと」
「ん? なに?」
「ここのデータ集計、お願いできませんか?」
「えー。もう帰る時間だよ。明日やるからさ」
「いえ、明日は明日でやることがあると思いますから。大した量ないんでお願いします」
「大した量じゃないなら、自分でやれば?」
「なんだとっ?」
さすがに平田もかちんときたようで、大きな声を出す。
しかし、小西はそれにビビることもなく、笑顔を返す。
「私はね、残業とかしないことにしてるの。明日、またなんか頼んでネ♪」
それじゃあお先に、と言って、くるりと背を向けると、軽い足取りで部屋を出て行った。

どんっと平田が机を叩く。そして、俺に血走るような視線を向け、「課長」と、低い声を絞り出す。最近、平田は平田で荒れ気味だ。
「あれは……小西は、あんなんで許されるんですかっ! 今週は多忙なの、あいつだって知ってるはずですよね? なのに週初めから、ひとりだけ勝手に帰ってしまうなんて……」
俺は無言で肩をすくめて見せた。
「課長っ……!」
今にも俺を食い殺さんばかりの勢いで、ずかずかと平田が近づいてくる。

「あんた、この課の統括が仕事なんですよね? ああいうのをそのまま放置して、それでよくもまあ課長だなんだって名乗ってられますね? 俺だけじゃなく、みんなの士気に関わりますよ、あれは」
「わかっている。だから早く帰ることに文句を付けてないんだ」
努めて冷静な口調で言ってから、なあ、と他の社員に同意を求めた。
「そうね。いない方が仕事がはかどるわね」
すぐに古参の女性社員が同調した。たしかにね、とあちこちから追随の声が挙がる。
平田は絶句したまま、社員たちの方を振り返った。こめかみに血管がひくひくと浮いている。

「なあ、平田。俺だって、小西があのままでいいとは思ってない。ただ、すぐにあれもこれも直せ、っていうのは彼女には無理だ。少しずつだが良くなってるところもあると思わないか?」
事実である。少なくとも10日前に比べ、電話対応は見違えるように良くなったし、基本書類のフォーマットに関しては完璧にこなせるようになっていた。
「それは、まあ……そうですが」
「お前ぐらい仕事が出来れば言うことはないが、全部の新入社員がそうとは限らないんだよ。多少、時間の掛かる奴もいる。まあ、1年後もアレなら解雇確実だろうけどな」

平田は憎らしそうに一瞥をくれると、自分の席へと引き下がっていった。
思わずため息が出そうになる。
「ちょっと、第4編集部の方へ行ってくる」
そういって、席を立った。

エレベータ待ちをしていると、後ろから肩を叩かれた。田上さんだった。
「よ。お疲れ、って感じだな」
「ええ。もう問題児ばっかりで……」
「ちょっと外の空気、吸いにいかねえか?」
「ちょうど、そのつもりでした」
編集部云々は方便だ。多少息抜きが必要だと思って席を立ったのだ。

「平田、そうとうカリカリ来てるみたいだな?」
いつもの喫茶店に着くと、全面禁煙の社内では吸えない煙草を、ここぞとばかりに銜え、田上さんが言う。
「ええ。『春菜』にいじめられてるみたいですから」
「先週も金土と連続で現れたらしいな」
「俺と田上さんの悪口、まくし立ててたらしいですよ。それで『春菜』に、あれは私が頼んだことだから、って言われて。かなりショック受けてたみたいです」
「ほお。ショックね。かわいいところもあるじゃんか」
「かわいい後輩ですよ、平田は」
「へえ。なんか余裕出てきたね、Eちゃん」
「課長の自覚、ってやつですよ」

立場が人を作る、っていうのは本当にあるのかもしれない。
今の部署に移り、課長の座に着いてからというもの、俺の物言いはとてつもなく偉そうになっている。
むろん、意識してやっている部分や必要に駆られてという部分もあるのだが、気が付けば、部下たちを諭すような、そんな口ぶりになっているという場合が多い。
いや、口調だけではない。思考のプロセスがずいぶんと変質しているように思えることがある。
もちろん、根本的な部分は変わっていないが、個人主義を離れ、大局を見る視点は、これまでとは比べものにならないものがある。
小西の件だって、以前なら平田のようにブチ切れてお終いだったように思うのだ。
課長になって、たかだか2ヵ月弱ではあるが、俺は成長したのかもしれない。

「ところで、E課長様、本日、ご一緒に『エンジェル』行きませんか?」
田上さんがにやっと笑って言った。
「今日は『春菜』ちゃん、いらっしゃらないと思いますが、お付き合いいただけますか、課長」
「……いいですよ。お付き合いしますから、その気持ち悪い口調やめてくださいよ」
「わっはっは。しかし、考えたら俺もお前も同格なんだよなあ。いつまでも後輩扱いはしてらんねえかと思ってよ」
「どこまでいっても田上さんは先輩ですよ」
いい先輩に恵まれ、おれは幸運だった。
できれば俺も、平田にとっていい先輩になってやりたいものなのだが……。

給料日前の月曜日、ということあって『エンジェル』は空いていた。
さすがの京香さんも、今日は指名客が少ないようで、最初から田上さんの隣に着いた。
俺に着いたのは、アヤちゃんという若い新人の娘だった。
「ドリンク、頂いてもいいですかぁ?」
挨拶もそこそこにドリンクをねだるアヤちゃんは、実にキャバ嬢らしいキャバ嬢である。
たれ目の童顔で、美人というよりも可愛いといった風だが、ボディは迫力満点。呆れるぐらいの巨乳を誇っている。
田上さんは俺らを完全に無視して京香さんと盛り上がっているので、仕方なくアヤちゃんと「はじめまして」恒例の自己紹介をすることになる。
アヤちゃんは静岡出身で、19歳の専門学校生。服飾デザイナーを目指して悪戦苦闘中だという。

キャバクラには、美容系と服飾系の専門学校生が多い。俺の経験で言えば、20歳前後の娘の場合、6割はそれに該当する。自然と「それ系のキャバ嬢」と会話する機会が多くなる。結果、この手のタイプを相手にするための予備知識は豊富なのだ。
課題がどうの、家賃がどうの、といった身の上話に柔軟に対応し、話を盛り上げてやる。
やがて話題は下ネタへと行き着く、というのもこの手の嬢のパターンである。

「やだあ、Eさんってどスケベじゃないですか、もしかして私も狙ってる?」
「当然だろ? いいからその乳揉ませろって」
「え〜どうしようかなあ? 場内指名入れてくれたら考えようかなあ?」
「指名? 無理無理。金もったいないよ」
「え〜そうなの〜寂しいなあ。アヤ、Eさんのことすごい気に入ったのにぃ。んじゃ、せめてドリンクもう一杯いい?」
実に正しいキャバ嬢ぶりである。
それだけに、こちらも正しく下品な「キャバの客」として、楽しむことにしているのだ。
『春菜』との席ではあり得ないノリだが、これもキャバの愉しみ方のひとつである。

『春菜』や京香さんのような、しっとりしたノリも、アヤちゃんみたいなノリも、どちらもキャバには必要不可欠であるのは間違いない。しかし『エンジェル』のような客の年齢層が高めの店では、どうしても京香さんタイプの方がウケがいい。
若い嬢たちも馬鹿ではないので、やがてそういった人気の先輩たちの振る舞いを真似るようになる。
それが店のカラーというものなのだ。
そのカラーになじめない娘は辞めていき、また新たな女の子がやってくる。元気なキャバ嬢である彼女たちは、やがて先輩嬢に学び……。そういう繰り返しが店のカラーを作り、守ってきたのだ。

アヤちゃんが呼ばれ、席を立つ。
「今度来るときは指名よろしくお願いしますね〜」
と、メールアドレスの入った名刺を置いていく。

「おつかれさま。たまには巨乳ちゃんもいいもんでしょ?」
田上さん越しに京香さんが話しかける。
「あれはいい乳だったなあ、たしかに」
と田上さん。
「あんたはこっちだけみてなさい!」
京香さんがぐいっと田上さんの耳を引っ張った。
「いてて、冗談です、冗談です。ごめんない」
おとなしくなった田上さんを無視して、京香さんは俺に話しかけ続けた。
「ところで、彼、どうしてる?」
「ああ、平田くん。なんか『春菜』にいじめられてヘコんでるみたいですよ」
「ふふ。こないだも肩落として帰っていったものね。上司としては、キチンとフォローしてあげないと」
「俺がですか? あいつが嫌がると思いますけどね」
「それでもフォローするのよ。それがいい上司」
そういってウインク。……そんなわざとらしい所作が似合ってしまうのが京香さんのすごいところである。
千佳がウインクなんてしようものなら、吹き出すか頭をはたくか、ふたつにひとつだろう。
「フォロー……ね」
なんだか、大きな課題を京香さんに与えられたような気がしていた。

出典:萌えちゃんねる
リンク:過去ログ

(・∀・): 46 | (・A・): 15

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