キャバ嬢を愛して8
2009/11/07 11:55 登録: えっちな名無しさん
「思ってた以上にタフね、彼」
俯せで夏掛けにくるまった千佳が頬杖のまま、ため息を付く。
はらりと落ちた前髪と、白い肩が艶っぽさを醸し出している。
「ああ。まだ通い続けてるんだってなあ」
俺はごろりと仰向けになると、頭の下で腕を組む。
「はっきり言ってやったんだけどね。若い子に興味ないし、課長さんが大好きだ、って」
「ははは。『必ず振り向かせてみせる』とかいいそうだな、あいつなら」
「……言った、言った。『春菜』さんは課長に騙されている、とかも言ってたし」
「騙してるかなあ、俺」
「ふふ、どうなの?」
意地悪な問いには答えず、俺は千佳の長い髪に手を伸ばすと、指先でそれを弄ぶ。
「ふっくん、髪好きだよねぇ」
「うん。俺、髪フェチみたい」
鼻先に髪を持って行くと、千佳の香りがふわっと薫る。
「今まで、こんな髪の長い娘と付き合ったことなかったから自覚なかったけど。いいもんだなあ、綺麗な髪」
「先の方は枝毛バリバリだけどね。でも、髪フェチの人って、黒くて長い髪が好きなんじゃないの?」
千佳の髪は「黒髪」というわけじゃない。ほんのりと、下品ではない程度のブラウンに染めているのだが、それがいい。千佳の持つ雰囲気にぴったりマッチしていると思うのだ。
「これだけ髪が長くて真っ黒だったら、かなり重たい感じになるだろ。それはちょっと嫌かも」
「ふーん。平田君は黒くて長いのが好きなんだって。黒くしてくださいって言われた」
「へえ。それじゃなおさら黒くして欲しくないね」
そう言いながら、肩先に引っかかった髪を摘み、そのまま背中への流れに合わせて撫でていく。
そして、細い腰を抱きよせた。
「ここに平田を呼んで見せつけてやったら、あきらめるかなぁ」
「あはは。ヤだよ、平田くん、ふっくんはねとばして襲いかかりそうじゃん」
「んー。まあパワーじゃ勝てないわな……」
「んなこと言ってないで、あの猛獣ちゃんと躾けときなさいよ、課長」
「はは。猛獣か。そんな感じだよな、あいつ」
「猛獣というか野獣というか……。こないだも、『自分、すごいちんちん大きいんです、試してみませんか』とか言ってたよ。あんなのに激しいセックスされたら、壊れちゃうよ、ホント。それに……」
千佳の手が股間に伸び、俺のモノを掴んだ。
「今はこの粗チンがお気に入り」
「……粗チン、言うなよ」
にやっと笑うと、千佳は身体を起こし、まだ半勃ちのそれに顔を近づけた。
そして、胸に掛かる髪を手に取ると、俺のモノに巻き付け、優しく上下に動かし始めた。
なんとも言えない新しい感覚。みるみる勃起していくのがわかる。
「うふふ。今思いついたの。髪フェチさん向け変態プレイ。どう?」
「どうって……これは……癖になるかも」
髪による摩擦のスピードを少しずつ上げながら、千佳は先端に口吻をした。
ヤバい、と思ったときはもう遅かった。
勢いよく噴出した白濁液は、千佳の顔を、そして綺麗な髪を汚していた。
社内での新体制もあらかた整ったことと、夏のビッグ・プロジェクトの始動に伴い、俺は外回りに出ることが多くなっていた。
今日も4本の打ち合わせをこなし、ようやく会社へと戻ってくることが出来た。
時計はすでに10時を指している。
部屋には古参の女性社員・大塚さんと平田だけが残っていた。
といっても、他の者もただ帰ったわけではない。ホワイトボードには、打ち合わせからの直帰を示す「NR」の文字が並んでいる。
……もちろん、小西の欄は例外だが。
デスクに着いてネクタイを緩めたところへ、平田がやってきた。
「ん、どうした?」
「あの、ちょっとお話が」
といって、ちらっと大塚さんの方を見る。どうやらふたりだけで話がしたいようだ。
「んじゃ、メシでも食いに行くか?」
「はい、お願いします」
席を温める間もなく、鞄を掴んで立ち上がった。
今日の日報は家で書くことにしよう。
会社にほど近い焼鳥屋に入り、ビールを注文した。
今日も外回りでずいぶん汗をかいた。こんな季節にはビールが一番だ。
「んで、どうした?」
なにげない風を装いながらも俺の心は臨戦態勢に入っていた。しかし、平田の口からは意外な名前が出た。
「小西のことなんですが」
ああ、そっちね、と、戦闘態勢を解除すると、上司モードに切り替える。
「小西がどうした?」
「……告げ口みたいなことは性に合わないのですが、見てしまったもので」
本当に性に合わないのだろう。平田の顔には苦悩の影が見て取れる。
「とりあえず、オフレコにしとく。なんでも言ってみろ」
「実は、ですね……」
平田の話によると、小西は池袋のキャバクラでバイトをしているらしい。
このところ『春菜』に冷たくあしらわれることが多く、気分転換に別のキャバクラへと行ってみたのだそうだ。
そこで小西を「見かけてしまった」、というのだ。
事情の説明に『春菜』のくだりは不必要だと思うのだが、そこまで話してしまう平田が妙にかわいく思えた。
「かなり広い店でしたし、照明も暗かったので、向こうは自分に気が付かなかったようです」
「そうか……見間違いってことはないんだろうな?」
「ええ、チラチラとですが、何度も確認しました。間違いありません」
キャバクラでバイトしているとなれば、定時にそそくさと帰っていくのも頷ける。
それに……小西にはキャバクラがよく似合っている。
「事実だとすると、問題だな」
「……アルバイトは社則違反です」
何故か申し訳なさそうな口調で平田が言う。告げ口に対する後ろめたさがあるのだろう。
「キャバというのも会社的にはちょっと不味いな」
「……そうでしょうね」
さて、どうしたものか。
社畜として任務を全うするのであれば、ただ上に報告すればいい。
たぶん小西は解雇になり、俺も部下の管理不行き届きでなんらかの処罰を受けることになるかもしれない。
処罰はいい。しかしここで簡単に小西解雇という結論に話を落ち着けていいのかには疑問符が付く。
ようやく仕事を覚えはじめ、半人前ぐらいにはなってきたところだ。
それに、会社勤めの傍ら、キャバでバイトをしている女性は、それこそ山のようにいる。
それが当たり前のように思っていて、いままで問題だと思ったことは一度もなかった。
「バレないようにやれ」が鉄則で、彼女たちは、それなりのリスクを覚悟して働いているのだろう。
それがバレてしまったとき、彼女たちはどうするのだろう?
そして見つけてしまった者は?
俺だったら、見て見ぬ振りをするか、そっと本人に忠告をするに留めるだろう。
しかし、今、俺が置かれている状況では、そうもいかない。
課長として、部下からその報告を受けてしまったのだ。
そして平田は俺の判断を待っている。
課長として、安易な結論は出せない。
やっかいな話である。
「とりあえず、その店の場所を教えてくれ。これから行ってくる」
とにかく小西に会ってみようと思った。それもキャバクラで働いている小西に。
「あ、それでは自分がご案内します」
「いや、ひとりでいく。その方が小西のためだ」
「……ご面倒をお掛けします」
平田が頭を下げる。
この男、思っていた以上にいい奴なのかもしれない。
平田の言葉どおり、広い店舗だった。
照明は暗めで、ビートの効いたBGMが大きな音で流れていた。
指名やドリンクだの注文が入るたびに、店内にサンキュー・コールのアナウンスが響き渡る。
オールド・スタイル、といったところか。この手のキャバは久しぶりである。
どうやら今日は「コスプレDAY」らしい。店の前に張り紙があった。
ほぼ満卓といった盛況ぶりで、ミニスカポリスやらメイドさんやらナースやら、さまざまなコスチュームに身を包んだ女の子と大勢客がひしめくカオスな空間は、上品なドレス着用の『エンジェル』に慣れてしまった俺にはかなり異質に感じられた。
痛恨だったのは、小西の源氏名を知らなかったことだ。
とりあえずフリーで入ることにして、キョロキョロ店内を見回すが、小西を見つけ出すことは出来なかった。
なにも考えずに店まで来てしまったのは、ちょっと短絡的すぎたかもしれない。
奥の方の席に案内されると、すぐにバドガールがやって来る。
偶然、小西が着いてくれれば、などと甘いことも考えたが、そうは上手くいかなかった。
バドガールは、つり目で綺麗な感じの娘だったが、その衣装を着るのであれば、もう少しダイエットした方がいいだろう。
大きなお尻を窮屈な空間に押し込めると、肩と肩が触れる。めいっぱい客を詰め込んでいるため、客ひとりあたりの占有空間が狭い。
店の規模が半分以下だが、ゆったりと席を作っている『エンジェル』とは、根本的に経営方針が違うのだ。
バドガールがなにか話しかけているが、BGMが大きすぎて聞き取りにくい。
名刺を差し出しているところを見ると、自己紹介したのだろうが、聞きそびれてしまった。
「ところでキミさ、この店にこーいう感じのコいない?」
彼女の耳のそばに口を近づけて、小西の特長を説明する。今度は耳を傾けて答えを聴いた。
「えー。誰だろう? ゆうかちゃんか、リサちゃんかなぁ。それともあんりさんかなあ?」
「ゆうかちゃんっていうのはどの娘?」
「えーっと、あそこのチアガール」
といって、こそっと指を指す。違う小西じゃない。
「リサちゃんは?」
「んーと、ここからは見えないね。さっきは入り口近くにいたよ。ピンクのメイドさん」
「そうか。んじゃ、あんりさんは?」
「えーっと……。てゆーか、お客さん感じ悪いよ。着いてすぐほかの子の話ばっかじゃん」
「あ、ごめんごめん。夢ちゃんも素敵だよ」
胸のネームプレートをちらっと確認しながら、彼女を誉めてみる。
「へへっ。ドリンクいただいてもいいですかぁ?」
気をよくしたんだかなんだか知らないが、さっそくドリンクの催促だ。
「ああ、どうぞどうぞ」
「あと、お腹減ったの。フードもいい?」
「あ、ごめん。俺フードは指名の子にしか頼ませないことにしてるんだ」
もちろん、今作った勝手なルールである。
「じゃさ、私指名してよ。てゆーかしちゃってよ」
そういって俺の膝に手を置いて、爆乳をすりよせてくる。
残念だったな、おっぱい星人じゃないのさ、俺は。
今度来たときね、とかなんとか、指名の件はごまかし、チラチラと店内の様子を伺いながら、バドガールちゃんの話に相づちを打ち続ける。
「んで、今度お金貯まったらベトナムに行くのー」
「へーそうなんだ(棒読み)」
「なんか良さそうだと思わない? ベトナム料理も好きなんだよね、トムヤムクンとか」
それはタイ料理だ、とツッコミをいれようとしたとき、向こうでピンクのメイド服が立ち上がるのが見えた。
会社とはまったく雰囲気が違うが、間違いなく小西だ。
意外なほどメイド服が似合っている。
俺は近くのボーイを呼ぶと、『リサ』を場内指名することを告げる。
「えーなにそれー」
とブーたれるバドガールちゃんにひたすら謝りながら、『リサ』が来るのを待った。
すぐにバドガールちゃんがコールされ、席を立つ。
ふと、見ると、ホールスタッフと談笑しながら、『リサ』がこちらへとやってくる。
俺は思わず俯いてしまう。
「『リサ』でぇ〜す、よろしくお願いいたしま〜す」
うるさいBGMの中でもよく通る声が頭の上から振ってくる。
毎日、毎日聞いている小西の声に間違いない。
俺は覚悟を決めて顔を上げた。
「かっ……かちょお……」
瞬間、棒立ちのまま凍り付く『リサ』。
「いいから座れよ、メイドさん」
顎先で、隣を指す。
「は、はいぃ〜」
あたふたしながら、席に着く『リサ』。表情は凍り付いたままだ。
肩と肩が触れる距離だ。
会社で部下の女性とこんな距離になることはないだけに、どうしても緊張してしまう。
無性に喉が渇き、不味いハウスボトルの水割りを一気飲みした。
「あ、あの。あの……」
「ドリンクでも頼むか?」
「あ。はい……」
「んじゃ、俺のビールも頼んでくれ」
『リサ』もビールを頼んだ。
無言のまま、ふたりして一気にビールを飲み干す。
「……すみませんでした」
いつもの勝ち気なわがまま娘はどこへやら。小西=『リサ』はしおらしく頭を下げた。
しかし、それは一瞬のことで、上げた顔には余裕の笑みを浮かべていた。
「やっぱり、私、クビですよね?」
「ん? ……そうだな、このままだと」
「ですよね〜。ちょっと残念ですけど、バレちゃったから仕方ないですね。辞表とか書いた方がいいですか?」
爽やかな口調で言う『リサ』の顔に、会社に対する未練などはこれっぽっちもなさそうだ。
あまりに吹っ切れ具合に、こちらの方がしどろもどろになってしまう。
「まあ、そうなんだが……。小西はそれでいいのか?」
「私、就職決まる前から、ここで働いてて……。会社入ったらさすがに夜は辞めようと思ってたんですけど、思ったより会社つまらないし。それにこっちの方が向いてるかなって。課長もそう思いませんか?」
「……かもしれないなぁ」
そういって、思わず天を仰ぐ。
「でも小西、ようやく仕事できるようになってきたところだし、ここで辞めちゃうっていうの、もったいないと思わないか?」
「そーですねー。ちょっと思いますよ。あ、ドリンクもう一杯いただいていいですか?」
「……俺の分も頼んでくれ」
完全に小西のペースである。やはり一筋縄でいく相手ではなさそうだ。
「平田くんのように優秀でもないし、大塚さんや小林さんのように仕事を楽しいとは思えないし。私、あの課で浮いてるじゃないですか。……みんな明らかに私のこと馬鹿にしてるし。課長はなんで私のこと辞めさせたくないんですか? 」
真っ正面から聞かれると、困惑してしまう。上手い言葉が浮かばない。
結局、小細工は辞め、俺は本音をぶつけることに決めた。
「……ここだけの話にしといてもらえるか?」
「いいですよ。私と課長だけの秘密、うふ」
『リサ』は特上の営業スマイルを作った。決して会社では見せることのない笑顔だ。
「個人的にはキャバでバイトするのを悪いことだと思ってないんだ、俺。そいういう娘、多いじゃない。仕事をきっちりこなしてるなら、勤務時間外は自由でいいと思う。まあ、社則は社則だし、役付の身としては断言しちゃうのマズイけど。」
そういいながら、脳裏には千佳の姿が浮かんでいた。
派遣の千佳と正社員の小西とでは立場が違うとはいえ、会社に勤めながら、夜の仕事をしていることに変わりはない。昼間の千佳を知らないが、それなり以上にしっかり仕事はこなしているのだと思う。
「まあ、なんにしても部下をクビにする理由としては切なすぎるなあ、って思ったわけだ。キャバ好きの俺としては」
「なにそれ? あははっ……馬鹿じゃないの? あははははっ!」
『リサ』は声を上げて笑い出した。
「うるせーな。どうせ馬鹿だよ」
「あははっ。いいね、課長。なんかもっと説教臭いこと言われるかと思ってた。意外すぎー」
「いや、ここから先、説教になるんだよ。ウザいかもしれないけど、聞いてくれ」
「うん。聞く聞く」
『リサ』は小西になっていた。会社で俺に説教されるときの顔だ。
「大原則は『仕事をきっちりこなしてるなら』だと思うんだよ。小西はまだその域に達していない。それはわかってるだろ?」
「……そうね」
「もうちょっとちゃんと仕事しろ。夜の出勤回数減らして、たまには残業付き合うとか、そういうのも必要だと思うし」
「それって、黙認するからちゃんと両立しろ、ってこと?」
「……まあ、そういうことだ」
言ってから、本当にいいのかよ、と自分にツッコミを入れてしまう。
管理職としては失格なのは間違いない。だが、妙に気持ちが楽になっているのも事実だ。
「ふーん……課長って面白い人ですね〜。うん、おもしろい! わかりました。なんとか両立してみます。昼の仕事ももうちょっと頑張ってみますよ、課長のために」
そういってにこっと笑う。先ほどの営業スマイルより百倍は魅力的な笑顔だった。
きっと『リサ』ではなく小西の笑顔なんだろう。
「いや、俺のためじゃなくて、お前自身のためにだな……」
「いいんです、課長のために頑張ります! 誰かのための方が頑張れますから」
「……そ、そうか。なら俺のために頑張ってくれ」
「はい! ご主人様♪」
思わず、ビールを吹き出しかけてしまう。
「ご主人様って、おい」
「だって『リサ』、今日メイドだしぃ」
短いスカートをぴらぴら弄びながら、科をつくる。
「さ、説教はそれぐらいにして、呑みましょ、ご主人様。ここはキャバクラっすよ、楽しまないと!」
「お、おう……」
これでいいのかなぁ、と首を傾げつつ、ビールグラスを掲げ、『リサ』と乾杯した。
「……失礼を承知でいわせて頂きますけど、課長って相当馬鹿ですね」
翌日、屋上に平田を呼び出し、昨夜の経緯を一通り説明すると、呆れ顔でそういった。
「やっぱりそうか? 昨日も小西に言われたよ。『課長、馬鹿でしょ?』って」
「ええ。かなりの馬鹿だと思いますよ。でも……自分はけっこう好きです、そういう馬鹿」
「馬鹿馬鹿、連呼するなよ、落ち込むだろ」
「誉めたつもりですが」
そういって平田は笑った。
そういえば、平田の笑顔を見るのは久しぶりだ。
「そんなわけで小西の件はお前の胸の内にしまっておいて欲しい。奴もこれからはもうちょっとマトモに仕事してくれるだろうし、働きぶりに変化がないようなら、改めて解雇通告をすることになっている」
「諒解しました。小西のフォローは任せてください。簡単には辞めさせませんよ」
どん、と胸を叩く平田。そんな仕草がよく似合う男だ。
やはり部下としては頼もしい。
「じゃ、そういうことで。わざわざ呼び出して済まなかったな」
「あ、課長!」
階段室へと向かおうとする俺を呼び止めると、小走りで平田が寄ってくる。
「なんだ?」
「今日、『エンジェル』に行って、『春菜』さんに最後のアタックをしようと思っています」
「そうか。……応援する気にはなれないけど、まあ頑張れよ」
「ええ、頑張ります。……たぶん、勝ち目はないでしょうけど」
以前ここで対決したときに大見得を切った平田とはまったく別人のように、肩を落としそう言った。
下手に同情するのは失礼だろう。返す言葉を思いつけないまま、俺は軽く手を挙げて応えると、無言で屋上を後にした。
千佳から連絡があったのは夜中の12時すぎだった。
「まだ『春菜』さん中なんだけどさ、店終わった後、そっち行っていい?」
「いいよ。……平田のこと?」
「それもあるけど、なんか顔見たくなったから」
「お。嬉しいこと言うね。わかった、飯でも作って待ってるよ」
「わーい。お願いしまーす」
俺が顔を出してアフター、というカタチ以外では、『エンジェル』に出勤したあと千佳が会おうというのは珍しい。
ああは言っていたものの、平田のことでなにか言いたいことがあるのだろう。
団体客に呑まされたとかで、ウチに到着した時、千佳はかなり酔った状態だった。
「おいおい、大丈夫か?」
そういってダイニングテーブルに突っ伏している千佳の前にアイス・レモンティを置く。
「ありがと。助かるわ」
俺も自分用のコーヒーを入れ、隣に座る。
「んで、平田はどーだった?」
「ああ。平田くんね。『真剣な交際をしてください』って告白されちゃったよ」
「それで?」
「Eさんとお付き合いしているから無理です、って言っといたよ。なんかね、察してたところあったみたいで、やっぱりそうですか、って。あっさり引いたよ」
「へえ……付き合ってることバラしたんだ」
これは意外だった。『春菜』の仕事とプライベートを完全分断するスタイルをよしとする千佳だけに、そこには触れないように断るだろうと思っていたのだ。
「平田くんね、ふっくんのこと、すごい好きみたい。そう思ったからバラしてみました。そのあとは帰るまでずーっと課長さんの話題で盛り上がったよ。面白かったよ〜」
「……なんだよ、それ」
「聞いたぜ、池袋のキャバ嬢の話!」
それは平田に口外するなと言っといたはずだ。今日はふたりともそれなりにハメを外して盛り上がったようである。
「それでね、平田くんとふっくんの話してたらさ、すごい逢いたくなっちゃって……。えへへ、電話しちゃったよ」
なにか相談でもあるのかと思ったのは俺の考え過ぎだったらしい。単純に俺に逢いたがっていたというのは、この上なく嬉しい誤算だった。
ふと、頬に千佳の唇が触れた。
「早く仕事終わんないかなって、こんなに思ったのはじめて。平田くんが帰って、団体客の席に着いてから、ずっとふっくんの事考えてたんだよ」
酔いも手伝ってか、いつもの数倍は色っぽい声色で千佳が囁く。
「もう、だめかもしれない」
艶っぽさに切なさを重ねた声で千佳がいった。
「え?」
「『春菜』なのに……仕事中なのに、なんか電話してからはずっと千佳だったの。一生懸命『春菜』さんやろうとしてたのに、なんか無理でさ」
『割り切れないと続けてられないかもなあ』
初めて千佳を抱いた晩、言っていた台詞を思い出す。
「『エンジェル』にいるのに、千佳だったんだよね。千佳なのに他の男と呑んで、笑って……なにやってんだろうなぁ、って。もうね、早く終わって、早く帰りたい、って……そんなこと考えてたら飲み過ぎちゃいました、あはは」
俺は千佳を抱きしめた。
愛しくてたまらなかった。
力一杯抱きしめた。
「痛いよ、ふっくん」
嬉しそうに、千佳が言った。
出典:萌えちゃんねる
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