死んだ友人の思い出話に付き合ってくれないか。
2009/11/15 17:59 登録: 痛(。・_・。)風
心筋梗塞だと。まだ24なのに。
一昨日かな、会社から帰り道の公園で、缶コーヒー持ったまま冷たくなってんのを
近所の子供が見つけたらしい。
最期まで一人きりだったよ。イイ奴だったんだ。ほんとにイイ奴だったんだよ。
高校1年で同じクラスになったんだ。
出席番号が俺の一つ後ろで、第一印象が愛想のない暗い奴だった。
こんな奴が後ろかよってげんなりしたな。
ただ、入学式の朝、後ろから肩を叩いてブレザーの裾を引っ張るんだ。
何かと思ったら、型崩れしないよう仮縫いしてあった糸を取り忘れてたんだ。
「ああ、有難う」って素直に礼を言ったんだが、
「礼には及ばない」っていう時代がかった返事が最初の会話だったな。
んで。
仮にこいつをAとしよう。
Aは物静かで口数の少ない方だった。
でも喋るときは声も通るしハキハキしてたから、根暗っぽいイメージはなかった。
しかし変わり者ではあったようで、入学式終わって速攻で生徒会に入ってた。
生徒会推薦?みたいなので入学したからなんだと。律儀だなって思ったよ。
高校入りたてで、初対面だらけの教室で、変な緊張感が漂い、皆ソワソワして
視線をあちこちやるのに忙しい中、Aだけは平然としていたな。
そのうち段々と仲の良いグループが出来始めるんだが、Aだけは一人だった。
とっつきにくいってのもあったな。ただ、いじめじゃないけど、周囲が避けた結果というには、
Aは余りに堂々としていたな。
ちなみに俺は中学の同級生が数名、同じクラスだったので、そいつらを中心に交流を
広げていった。
俺はAの入学式での返事が余りに印象的だったんで、席が前後というのもあって
ちょこちょこ話しかけてみた。
中学はどこ出身?とか、部活何にする?とか。ありきたりなの。
俺の隣の中学出身で、生徒会に専念するから部活やらないんだってさ。
口数は少ないんだけど、一回話してみると、不思議と話題が途切れなかった。
俺から話しかけて、質問も俺がして、一見俺のターンで会話してるんだけど、
主導権と言うか話の流れは完全いAが握っていて、それがまた楽しめる会話だった。
Aほどどうでもいい世間話が楽しい奴とは、いまだに会った事がない。
そうこうして1ヶ月ほど経つと、クラスも段々しっくりとしてきた。
周囲の連中もAへの接し方が分かってきたみたいで、大人しくて滅多に笑わないってだけで
あとは普通であるという認識のようだ。まあ、コレでも充分変だろうけど。
この頃になると、俺+中学の同級生×2+A の4人組が成立していた。
同級生(CとDとする)は最初、Aを気味悪がっていたが、話していく内に自然と
打ち解けていった。
んで更に1ヶ月程か。初めての定期考査が始まる訳だが。
なんとAは学年1位を取りやがった。
それまで目立ってなかったAがやおら注目を集めて、この時はAも「しまった」みたいな顔を
していた気がする。
この頃になると一つわかったんだが、Aは男子相手には基本的に友好的なんだが、
女子が相手になると、たまに凄く冷たい目をする。あと素っ気ない態度をとる事が多い。
普段の大人しさに隠れて余り気にされてなかったが、この時のAの目つきは
底冷えするものがあった。
この時はまだ教えて貰ってなかったが、Aはどうやら母親に手ひどい扱いを受けた上に、
男作って出て行ってしまったんだと。以来、父親と二人暮しをしているとか。
これは高校卒業してから聞いたんだっけな。
既に学年1位という経歴が出来た以上、次回以降の試験の時は
Aの周りに人が群がる群がる。
Aも基本的に人が良いからいちいち応対していたんだが、結局面倒になって
希望制で放課後にA主催の補講をやる事になった。
最終的にクラスの男子21名全員と、女子の半分くらいが参加していた。
うちのクラスが何かの試験をする度に学年平均を大きく上回り始めるのに
そう時間がかからなかった。
頭もいいが、人に教えるのが凄く上手だった。
勉強に限らず、「人に伝える」事に長けてたんだろうな。
だからAとの会話も退屈しなかったんだろう。
でもやっぱり、基本は大人しくて物静かな男だから、人気はあってもそんなに
大騒ぎされる事はなかった。
朝、登校するとAは既に自分の席で読書していて、休み時間は図書館で本を読んで、
放課後は生徒会かとっとと帰るかのどっちかだった。
これも母親の話と一緒に聞いたんだが、朝は新聞配達、夜はコンビニとか複数のバイトを
やってたんだってさ。
家計を助ける為で学校に許可を得ていたとあわてて付け加えたな。誰も気にしないのに。
そうして高校1年が終わる。
年末年始に遊びに誘っても断られたのは、稼ぎ時だったかららしい。
2年になると文系と理系に分かれる。
俺とAは同じ文系だが、この1年はクラスが分かれてしまった。
でも休み時間は互いの教室を行き来して1年の時と変わらない付き合いだった。
今思えば、Aがそうして定期的に会話を続けてくれたのは、俺だけだった気もする。
と言うのも、Aは例え1年の時に同じクラスだったとしても、それ以降接点がない場合は
自分から話しかけたり接触を図ったりする事がなかったからな。
あー、花粉症がひでえや。
2年の3学期、次期生徒会長の選挙が行われた。
立候補する物好きは勿論Aしかいない。
そしてこの頃にはある種の名物扱いされていたAは、生徒からも先生からも信任厚く、
当然の事のように当選。
Aの演説聴いていると、煽動家になれるんじゃないかと思ったよ。
そして3年。Dは理系だったから結局合流できなかったが、俺とAとCの3人が再び集った。
どうでもいいが、2年の時に俺とCは一緒だった。
んで、くしくも俺の弟がこの年、新入生として入学してきた。
兄貴の俺が言うのもなんだが、弟は基本的にばかだ。いわゆるお調子者だな。
どこにでもいると思うが、「学年全員が友達」なのが弟だ。とにかく人付き合いは広かった。
後に、この弟とその友人達をめぐって事件がおきるんだが。
3年の2学期になってから、校内がちょっとした事件でざわざわしていた。
事の始まりはまさに便所の落書きで、卑猥な言葉とか下らん駄洒落がトイレに
目立つようになってきた。
んで全校朝礼とかで先生から注意が呼びかけられるが、勿論効果はなかった。
やがて、書かれる内容が段々エスカレートしていって、まず誰かのイニシャルが書かれ、
そこにバカとかクソとか加えられていった。
次第に、苗字だけとか、或いは名前のどこかを伏字にしてシネとか学校クンナとかが
書かれていった。
流石に対応を迫られた学校側は、再度全校に注意を呼びかけ、校内巡視を始めた。
すると落書きは大人しくなるんだが、巡視が少なくなると、また再燃した。
まさにイタチごっこ。
過去の事件だから分かるんだが、この頃になると伏字で名前を書かれる奴らに
法則性が出てきていた。
それは、「弟グループと余り親しくない連中」の名前だった。
この傾向が段々顕著になり、日頃のお調子ぶりが災いして、やがて疑いの目が
弟グループに向けられるようになった。
しかし俺が言うのもなんだが、弟グループはお調子者軍団で、「愛されるばか集団」だった。
授業妨害するほどDQNでもないし、人をむやみにからかって不快にしたりはしなかった。
今思えば。
周囲の人間も、そういう感情もあるからか、弟達を疑いきれてはなかったようだ。
そうした小康状態出迎えた2学期末。
ちょうど期末試験後だったから覚えている。
俺は生徒会には入ってないが、Aとの付き合いでちょくちょく生徒会室に入り浸っていた。
試験も終わったし、寄り道でもして帰るベーと思ってたが、既にAはいない。
CはDを待つといって残り(理系は試験科目がちょっと多かった)
俺は恐らくAがいるであろう生徒会室に向かった。
「Aいるー?仕事ねーなら帰るべー」
と扉を開くと、いつになく厳しい表情でAが資料を読んでいた。
「あ、忙しい?」と俺が尋ねると、「うむ・・・。ううむ。・・・むう」
と、肯定、逡巡、観念で返事が返ってきた。
「・・・T。(俺のこと) お前は当事者ではないが、知る権利はある」
といって、ここでようやくトイレ騒動の一部始終を誰よりも詳しく聞いた。
と言うのも、騒ぎのメインは1年の教室がある棟で、別棟の3年には噂程度しか流れてなかった。
「おいおい。弟が犯人の一人かよ・・・。」
この時の俺は、てっきり弟が調子に乗りすぎてやったと思ってしまった。
あのばか、限度があるだろうに。と苦々しく思っており、
「すまん、A。奴には俺からもきつく言って・・・」と言いかけたところ、
「Tよ。お前は、おのが弟を疑うというのか」と、遮られた。
決して大きい声ではなかったが、俺はうっと詰まってしまった。
「兄たるお前が、真っ先に疑って何とする。信じてやらんでなんとする」
「でも、状況が状況じゃないか・・・。」
責められているようで、でもそう思うしかなかったから、こう返すのがやっとだった。
「ならば来い。この問題、今日でケリがつく」といって、俺を伴って生徒会室を出た。
CとDが来た時の為に書置きしておいた。
今更だが、俺の高校は3棟に分かれている。並びも丁度、
教員棟(職員室とか会議室とか)、1、2年教室棟、3年教室+特殊教室棟(理科室とか音楽室な)
で、生徒会室は教員棟1階にあって、そっから3階に上がって会議室に入った。
誰もいなかったが、すぐに生徒会顧問の古典のじいちゃん先生が来た。
「彼(俺のこと)は関係者です。同席許可を願います」とAが言うと、先生は頷くだけ。
更に暫くして、ドアがノックされた。
「どうぞ」とAが言うと、一人の男子生徒が入ってきた。ネームの色からして、1年だ。
「もうちょっと待って欲しい。適当に架けてくれ。」とAが着席を促し、おずおずと座った。
それから間もなく、今度は複数の足音がした。
「失礼しまーす」「ばか、ノックしろよ」「あ、やべ」
一度開いた扉を閉めてやり直そうとするが、Aが「気にするな。いいから入りなさい」と
入室を促した。
入ってきたのは弟他数名だった。
「うえ、兄ちゃん!?」
「ちょっと、話が違いますっ!?」
先に来ていた1年(ややこしいのでQ)と弟が同時に寄声を上げた。
Aは両方を見渡して、「とにかく座れ」としか言わなかった。
Qは渋々、弟連中は?でとにかく座った。
「俺が、こうするのが最良と判断した。Q君、君の話を聞いた上でね」
と、Aが含みを持たせる言い方をした。
これを聞くと、Qはどうやら落ち着きを取り戻したようで、「なら、まあ・・・」とかなんとか
ゴニョゴニョいいながらやがて黙った。
Aが切り出す。
「さて、皆既に知っているかと思うが、今学校を騒がせている問題がある。
トイレの落書きだな。最初は静観していたが、どうにも洒落で済まなくなりつつあってね」
ここで一旦言葉を切り、
「双方とも、何で呼ばれたか、分かっているな」と、ゆっくり区切りながら、全員の顔を見渡した。
弟達はソワソワし始め、逆にQは無表情を装っているが得意げになっているのが分かった。
「えっと・・・。多分、信じてもらえないっすけど、俺らじゃないです・・・。」
と、弟グループからか細い意思表明があがった。
「それに関してだが、まずは彼の話を聞いて欲しい。Q君?」
話をQに振った。
この時のQはまさに得意満面といった様子で話しだした。
「僕、見たんですよ。昨日の昼休み、K君(弟の事)達が笑いながらトイレから出てきて。
入れ違いでトイレの個室に入ったら、落書きしてあったんです。
実は、僕は昨日お腹の調子が悪くて、4時間目の途中で一度、先生に言ってトイレに
行かせて貰ったんです。その時は落書きはありませんでした。」
ふーん。といった感じで聞き入ってた弟達は、それからゆっくり3秒ほど間をおいて
「ちょ!?俺ら書いてねーよ!?」と急に慌てだした。
俺は、こいつらつくづくばかだと呆れ、同時にやはりかと怒りもふつふつと沸いてきた。
「A。やっぱこいつら・・・」と俺が言いかけるとまたしても
「まあ待て。」とAに遮られた。
「待たなくっても、そういうことでしょ?」とQが切り出す。
ぎゃいぎゃい騒ぐ弟達。
ぱんぱんと手を打ち、「まあまあ」と、ここでようやく先生が動いた。いたのか、と思った。
「落書きなんてかわいいもんだ。でも、やっちゃいけない事ってのは分かるよね?」
と、弟達を見ながら言った。
「だから、俺らじゃないんすよ」と弟達が強く抗議するも、「しかしだね・・・」と
暗黙で犯人と思っているようだ。
ここでAのターン。
「先生」言うと室内が静まり返った。
A「彼らは、やっていないと言っています」
先生「でもねえ・・・」
A「やっていない、と言っているんですよ。先生」
先生「まあ、A君がそういうならねえ・・・」
Aは強く机を叩き、(ダンッって凄い音して吃驚した)
「僕がどうこう言うからじゃなく!どうして皆、彼らの言い分に耳を貸さんのですかっ!」
これには先生もシーン。俺も耳が痛くて仕方なかった。
「で、でも、実際に落書きがあったんですよ?」負けじとQの反撃。
ころっと冷静に戻ったAは、
「そうそう。それが決め手なんだ。何て書いてあったんだっけ?」とQに尋ねた。
「あ、はい。えーと、××は○○」
(1年の誰かの名前伏字に、卑猥な中傷だったと思うがはっきり覚えていない)
「ああ、そうだったね。ところで、それを聞いた以上、俺はQ君に確認したい事がある」
「女子トイレで何してたんだ?」
一同、ぽかーん。何言ってんだ?A。状態。
しかし、一番最初に状況に気付き、青ざめたのはQだった。
「落書きの内容は全校に公開していないし、その全てを知っているのは教職員と
生徒会副会長、そして会長の俺だけ。しかもその書込みは昨日あったばかり。
・・・女子トイレでね」
弟グループ、まだ状況が飲み込めていない。
先生混乱。俺も混乱。
まだAのターン。
「ちなみに。君が言っていた1年男子トイレに書かれていたのは『○○学校くんな。くせー』じゃないか?
「更に付け加えよう。落書きは全て、壁際のぎりぎり左端から書かれていた。
左端から。そして、この中で左利きなのは一人しかいない」
弟グループ「お前?」「ちげーし!」「俺も右だっつの」お前ら黙れ。
先生得心。俺も把握。
「あれだけ端っこから書くには、右腕だと少々不便だ。わざわざ体の前に腕を回す必要が
あるからね。敢えてそんな書き方をする理由が分からない」
「以上、この話はこの会議室内でのみのものだ。今後、この部屋を出た直後から、
誰も何も決して口外してはならない。だから、言う事があるなら今のうちに言っておけ」
観念したQは真っ青になりながら、弟グループが疎ましかったこと。
自分のアリバイを作る為に、密告の直前だけ女子トイレに侵入し、一番過激な内容を
書いた事、弟グループなら女子トイレに侵入しても疑われないと思った事、
アリバイで頭が一杯だった為、最後かつ強烈に書いた女子トイレの書込みを証言して
しまったこと。
ここでようやく弟グループが事態を把握。
「マジか!?」「おいおいおいおい」「えぇぇえ〜」とひとしきり騒いでいたが、
「あぁ、その、Q。ごめんな。俺らうるさかった?」と謝罪した。
てっきりブチ切れて暴れるかと思ったが、俺もQも先生も拍子抜けした。
ただAだけが「ま、双方とも、表現方法には充分気をつけなさい」と両者をとりもった。
結局、落書き事件はこのまま終息に向かい、話題に上らなくなった。
流石にこれだけの出来事は年に何回も起こらず、後は普通に受験勉強の日々だった。
会議室を最後に出た時、「よく分かったな」とAに尋ねると
「証言内容がおかしすぎる。最後の左利きに関しては、彼が密告時に概要を書かせた時に
分かっただけで、関連を証明できていたわけじゃない。別に右でも書けるしな」
それに、とつなげて
「誰も彼も、K君達を完全に疑いはしなかったが、同じく信じてもいなかった。
それは、あんまりだと思ったんだよ」
兄として面目なかった。その日は風呂掃除を弟と変わってやった。
・
・
・
受験生の3学期は早かった。
俺とCは県内の大学に進み、AとDは県外の大学に。
最初の1年はAとも連絡が取り合えていたが、ある日を境にふっつりと連絡が
取れなくなってしまった。
電話番号もメールアドレスも繋がらず、同窓会に問い合わせても転居したようで
現在の住所を把握できていなかった。
何でそうなったかは結局分からずしまいだったが。
まあ、Aらしいといえばらしかった。
Aとの関係は、今でも正直わからない。親密だったが、凄く希薄だった。
そんで昨日。知らない番号から電話があった。
仕事関係かと思って出たら、Aの叔母と名乗る人物からだった。
懐かしい名前だと思っていたら、Aが死んだと聞かされた。
全然実感がわかなかった。どっきりかと思った。
Aの携帯のメモリーは仕事先のものばかりだったという。
その中で、3件だけのカテゴリーが一つだけあった。
「フォルダ8」の中には、俺とC、Dのアドレスが入っていた。
CとDは携帯を変えていたので繋がらなかったが、俺だけ面倒がって変えてなかったのが
幸いした。
CとDとは連絡を取り合っていたので、すぐ召集をかけた。
音信不通からの第一報が訃報とは。
3人で通夜に出たが、やっぱり現実感はなかった。
一方的に連絡がとれなくなって、急に知らせが来たと思ったら死にましたとか。
最後に連絡を取ったのは、大学1年の夏休みで、メールで一文、
「暑いのが夏だ」
それだけだった。
結局、通夜の席で長居できなかったが、その叔母さんから聞いた話では、
その連絡が不通になった頃、ちょうど父親が事故で亡くなったらしい。
叔母さんはAの父の妹にあたる。
「恩を返すべき人に、返せぬまま生きろというのか」と、あのAが大泣きしたという。
結局、Aは大学を中退し、2,3箇所転々として今の仕事に落ち着いたらしい。
それが約半年前。
何で連絡を取れなくしたのかは分からなかったが、Aに何が起きたのかは分かった。
結局、高校のインパクトが強すぎた割に、大学に入ってからはぱったりと音沙汰なしだったので
そのギャップがより鮮明に高校時代の思い出を残してるんだと思う。
先週の残業より、高校生活のほうがよっぽど昨日のように思い出されるよ。
ちなみに、Aのバイト事情とかは高校卒業時の4人で行った打ち上げの帰りに聞いた。
今更だが、ありきたりだが、俺らにだけは、最後の最後まで、打ち明けて欲しかった。
何を思って、公園のベンチに腰掛けていたんだろう。何を考えていたんだろう。
誰の記憶にも残ることなく、誰にも看取られることなく、報われない苦労の人生を歩んで
まだ寒い空の下、まだ若い身の上で、どうしてAが死なにゃならんのだ。
連絡とれなくっても、同じ空の空の下で、きっとあんな調子で生きているんだろうと
思えていればよかったのに。
悲しいというより、凄く空しい。空しくて、なんか色々と悔しい。今。
俺が高校卒業した年に弟も進学するんだが、この時やはり文理の選択がある訳だ。
この相談をAにしたらしい。するとその答えは
「俺ではなく、まずお前の兄に聞け。それが俺の相談の答えだ」
Aの訃報を弟に伝えると、そういうことがあったと言ってきた。
だからあの時、珍しく真剣に悩んでいたのか。
結局、俺との相談が功を奏したのか知らんが、弟もまた文系を選んだ。
他にも、在学中から何かにつけAに相談していたらしい。弟グループは軒並み世話になったようだ。
傍から聞けば(俺ですら)何バカな事で悩んでんだと一笑に付してしまうことでも
Aは真剣に向き合ってくれたと。
電話口で弟も泣いていた。
缶コーヒーは、しっかり保持していたんじゃなく、脱力した手の中に納まるような感じだったんだと。
子供が揺り起こそうとした時に弾みで落っこちたらしい。
「缶コーヒー持ったまま絶命」ってのはほんとに印象が強くて、叔母さんからも
まずその死に様から伝えられた。
実際、心筋梗塞ってのは、「心臓が急に止まったんだろう」っていう医師の判断でしかないんだよな。
確か正式な病気?病名?でもないんだろ?分類とか。よく知らんが。
ただ、死んだ理由すらはっきりわからんとは、ほんとにAの人生、何だったんだ。
もしAが教師になってたら、多分日本の将来は心配なかったよ。
もしAが医者になってたら、多分俺らの老後は心配なかったよ。
もしAが政治家になってたら、多分世界は良い方向に向かってたんじゃないかな。
風呂敷でっかいけどさ、大袈裟だけどさ、死んだと分かったからこそ、
なんかそういう取り留めのないこと考えてしまうんだよな。
こうやって考えてること自体、Aの死を認めて受け入れているんだけど、
頭の表層に浮かぶ考えは、Aの死は冗談の類でしか認識してないんだな。
そんでさ、この自分の中のギャップが、Aはいないという現実を強く認識させるんだよ。
話は以上。これといったオチもなくて申し訳ない。
じゃあ、明日も早いし、皆寝てくれ。俺も寝る。
このスレも、明日の朝の日の目を見る前に、そっと沈めてやってくれ。
出典:死んだ友人の思い出話に付き合ってくれないか。
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