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2009/12/07 11:44 登録: 居栗とリス
彼女はいつ見ても礼儀正しくて、講師には必ず挨拶していた。
彼女はロボットのように、一定のトーンで、抑揚がなく「こんばんは」「ありが
とうございました、さようなら」とかすんだ声でГの形になる。
いつも俺はそれを視聴しては友達のk介と笑いを堪えるのに必死だった。
よく塾帰りに二人で彼女のマネをして楽しんでいた。彼女は塾に友達がいない。
それもそうだろう。顔を見ても頷ける。堅いオーラの彼女。きっと学校でも友達
はいないんだろう。そう思いつつ講師の授業を聴いていた。講師は塾生を笑わせ
るつもりは一切なく、真面目に教える。だけどそれがよくて、変なワードやジェ
スチャーが生きてくる。今思えばこれが笑いの真髄だったのかもしれない。
中2のうるさい女子が友達の手をペンで刺してふざけていたとき、
講師「代わりに私の手を刺しなさい。」と真面目に命令から困る。私が人生で初
めて尊敬したのがこの講師。年は5、60代。今では恩師である。
これもまたk介と一緒に講師のマネをして騒いでいた。
いつも講師の授業は面白過ぎて笑いを抑えられない。机に顔を埋めて笑い声を堪
えても体が震えて机がガタガタと音を立てる。座っている椅子にもその振動は伝
わっていただろう。だけどいつも悶えるのは俺とk介だけ。席は離れていたが似た
者同士だ。仕方ない。だが残念なことに他8人の受験生は何一つ反応を示さなかっ
た。感情がないのか、平然と笑いを堪える奴等なのか、俺とk介の感度が異常なの
か。今思えばこのぐらい考える余地がある。とても声を出して笑える雰囲気では
なかった。
気が付けば一番前の横長の机にk介と二人で占領するのが当たり前になっていた。
いつも通りk介と笑いを堪えていると後ろからクスクス、クスクスと声がする。赤
子と青子だとすぐに把握した。4人が発した笑いの菌は宙を舞って伝染し、他の受
験生に移るのはあくびよりも早かった。
俺達は救われた。もう笑いを堪えなくて済む・・・と胸を撫で下ろす。しかし彼
女は決して笑わなかった。周りがどんなに笑っても、彼女は表情ひとつ変えない
。他にも何人か同じ奴がいた。だが気にしなかった。
そういえば赤子と青子はいつも仲が良い。姉妹でもないのにいつも一緒に塾に来
る。どちらも髪が長くて少しかわいいのが印象的。でも私は全く意識しなかった
。メガネフェチはエビちゃんをも凌駕する。彼女はメガネをかけていたけど赤青(
笑)の方がマシだった。
ある日講師が彼女に「どこの高校行きたいの?」と聞いた。彼女はA校に行くかG
校で迷っていた。A校はG校より偏差値が高い。だが講師は「そうですか。鳩山さ
んならどちらも行けますねえ。いい大学目指すなら勿論A校ですよ。でも確実に入
るのならG校ですねえ。」的なことを述べた。どちらも市の中では三本の指に入る
。俺もG校だ!と心の中で叫ぶが届かなかった。
彼女は後日G校に行くこと講師にを宣言した。俺の目の前で。まじかよ〜と思った
けど正直どうでもよかった。でも一緒に受かろうぜ!と吠えたに違いない。
塾に通い始めた7月頃、俺のG校の合格率判定はDだった。当然の結果だとわかって
いても己の自尊心を削ぐのには十分だった。
当初は講師が出す宿題をやるだけで勉強を投げ出していた。しかし吐息が白く染
まる頃になると、さすがにこのままではまずいと思い、参考書を夜中の2時頃まで
貪る日々が始まった。
すると学校の連中はクリスマスの話で盛り上がっている。だが気にしなかった。
気にする余裕がなかった。いや、むしろ他人を気にすると痛い目に合うことを悟
っていたからだ。
そう、受験は他人ではなく自分との闘い。合格の秘訣書を読んでいた私に死角は
なかった。
受験間近になっても学校に緊張感は無かった。いや、私のクラスの女子達が余裕
だったからだろう。その余裕は周りの受験生の集中を掻き消した。ただ俺一人を
除いては。
塾の温度と大差無かったのが好都合だった。
塾も相も変わらず笑いが溢れていた。俺は最後の授業日、お前らに会えて良かっ
たって心の中で囁いたに違いない。特に会話は無かったが笑い声だけは確かにあ
った。言葉にしなくてもお互いの気持ちがわかる。そこは一番居心地のいい素晴
らしい世界だった。もうすぐこの世界がなくなると考えるとちょっと悲しくなっ
た。でも歳月は待ってくれない。そんなことを気にしたら前へ進めないことを潜
在意識は知っていた。俺は講師に挨拶して消えた。塾生には何も言わなかった。
ただ心に思うだけだった。
合格発表の日だというのに朝起きてすぐ講師のお陰で好きになっている歴史の勉
強をした。ペリーが渋い顔をして私をみつめている。もしタイムスリップできる
なら、「バカだなお前wペリーもそう思ってるぜw」とでも言うところ。もうす
ぐ合格発表の時間。私は特に緊張していなかった。むしろ母上の方が緊張してい
た。私は母上と学校に向かった。積もった雪の如く頭が真っ白だった。何も考え
無かった。
1キロメートルほど歩いてようやく辿り付いた。そこには大勢の親子連れがいた。
きゃーきゃーうるさい。探し物はずいぶん高いところに掲示されている。目を細
めて見るが数字自体ぼやけて見えない。とか思っていたら母上が「あっ!あった!!
あったあった健太!!ほら見てあそこ!!!」とかなり喜んで指で示す。マジ?と冷静
な私。見えねえと嘆いたらデジカメを渡してきて「これでみれるでしょ」的なこ
というからああうん確かにと納得してズームアップして見たら確かに私の数字が
あった。母上は歓喜と安堵に包まれていた。しかし私は形相を変えず「落ちた方
が良かった」と溢した。そのときの母上の顔は言葉に表さないでおこう。
私が朝ペリーに会った理由は不合格なら浪人という覚悟を決めていたからだ。そ
して歴史が好きな私はもっと中学の歴史を勉強したいから落ちてもいいと思って
いた。むしろ落ちたかった。。そうやって保身していた。逃げ道を創るのが上手
いのかもしれない。それが自分の長所であり短所でもある。学校の勉強から逃げ
るのは朝飯前だった。
私は善悪のつかない感情だけを持って家に帰った。
自分の部屋に向かったらペリーはまだそこにいた。
私は歴史を勉強する気がなくなっていた。
ペリーを投げ捨てたと思う。現在行方不明。
母上が講師に挨拶しないとね、っていうから一緒に合格しましたと講師に伝えに
行く。講師は笑顔で「健太くんなら受かって当然ですよ。私には受かるか受から
ないかわかります。」的なことを言ってたような。そういえば講師が「私は色ん
な生徒見てきたから言えるんだけどね、その子に能力があるかないかがわかる。
健太くんは能力がある。」的なことを言ってたな。しかも受験問題を毎年当てる
という。分析力に長けている講師。今思い返せば私は心の中であなたを神と呼ん
でました。
k介は別の高校だったが事無きを得たようで良かった。他の奴等は知らなかった。
入学式。私は時間ギリギリに教室に入った(教室から体育館という流れ)。担任が
目に止まる。若いころ不良でした的な顔付きで彼曰く身長が180センチ(+イッセン
チしてる)と体格がいい。
私が教室に入ったときは他の奴等は全員来ていて凄まじい視線を受けた。卒業の
ときよりは絶対数は少ない。だがクオリティオブアイが異質だった。
担任が「何番?名前は?」と聞いたから慌て「1年○組×番です。」と言った。担
任は「×番はそこの席だ。」と指を指す。妙にカッコイイ。
後で名前を名乗ってないことに気付き哀れむ。
学校に通い始めたある日。彼女を見てしまった。あ、受かってたんだ、ですよね
ー的な感じでスルー。というか人へ声を掛けられるほどの人間ではないのは自分
が一番わかっている。それ以外特に刺激的なことは無かった。まさに学校つまん
ね〜状態。宿題が市内で一番多いという。
タイムスリップできるとすれば「恋愛しろw」って言う。その時思春期じゃなか
ったのか知らんが俺の頭には恋愛のれの字もなかった。早生まれで本当は中学三
年生でもいいくらいの奴だったからしょうがないって見方もある。が、当時中三
で恋心がないのはおかしいのかもしれない。今となってはもっと恐ろしい日本だ
。
で、学校つまんね〜から抜け出せなくて夏休み開けに不登校になる。何回も担任
のS先生が来てくれた。この人には恐れ入る。尊敬してた。不良の巣窟学校に転任
して胸ぐら掴んで生徒とやり合ったお方。一度ブチ切れたところを見たが、俳優
の誰よりも怖い。プロレスラーの威嚇を越えてる。そんな先生に限って親切な先
生なんだよ。生徒には何かあったら何でもいいから俺に相談しに来いと言う。
話は戻るが正直私は先生が来るのが嫌だった。会っても目を会わせず俯いたまま
頷いて相槌するだけ。聞き上手なんてのは意識して無かった。ただ頭がバカだか
ら何を話したらいいのかわからなかった。何かを話す必要もないから焦りはなか
った。ただ質問に答えるのが面倒だった。何で行かないのかということををやわ
らかく聞いてくれた。本当に人に気を遣う人だった。私はバカだったから理由が
明確にわからず「わかりません。」とだけ貫いていた。ある日S先生は学年主任を
連れてやって来た。すでに進級の見込みは無かった。ただS先生は学校を辞めるの
か、留年するのか。そして学校に行かない理由を聞いてきた。
すると母上は俺を擁護した。それからS先生は一言も喋らなかった。母上の弁護が
終わると私は涙ながらに留年することを伝え、行かない理由はわからないと断固
した。それからまもなくして少し強ばった顔をしながらS先生は学年主任と共に去
っていった。
今思えば学校行かないのは宿題のせいだと捉えている。前から宿題に対しては逃
げ腰になる癖がある。それが災いしたのだ。だから若い内はかってでも苦労せよ
と言われるのだろう。
だが俺には逃げ道がいくつかあった。『これは体験入学。不合格でも良かったけ
どお試しできるっていうから〜。』、『俺は年齢的に中三と大差ないから別にい
いじゃんホトトギス』と、くだらないことを考えては安心していた。まさに逃げ
屋。殺し屋でも困難を極める存在・・・。最低なクズだった。自分を貶すなんて
バカらしいかもしれない。でも・・・。
出典:皆様申し訳ありません。
リンク:色々な意味で。

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