鳥山明

2010/02/14 08:07 登録: えっちな名無しさん

鳥山 明(とりやま あきら、1955年4月5日 - )は、日本の漫画家、キャラクターデザイナー。愛知県名古屋市出身[1][2]。現在は、同県の清須市に在住。プロダクションは「BIRD STUDIO」(バードスタジオ)。妻は漫画家のみかみなち。

1978年「ワンダーアイランド」でデビュー。主に『週刊少年ジャンプ』に作品を発表。代表作『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』はいずれもTVアニメ化されており、『ドラゴンボール』は2008年時点で単行本42巻と完全版34巻を合わせて1億5000万部以上、全世界で3億5000万部を超えるヒット作となった[3]。『Dr.スランプ』で第27回(1981年度)小学館漫画賞少年少女部門受賞。2006年の日本のメディア芸術100選では、『ドラゴンボール』がマンガ部門3位に選出されている。

1980年-90年代の「ジャンプ黄金時代」の立役者であり、元『週刊少年ジャンプ』編集長・西村繁男は、「『少年ジャンプ』の600万部の快挙は、鳥山明の破壊的なパワーを借りて初めて実現しえたことは、誰も否定できないだろう」と述べている[4]。

『ドラゴンクエストシリーズ』をはじめ、ゲームのキャラクターデザインも手がける。

目次 [非表示]
1 来歴
1.1 デビューまでの経緯
1.2 漫画家として
1.3 その後の活動
2 画風・作画方法
3 人物
3.1 趣味・嗜好
3.2 マスコミへの露出
4 作品リスト
5 キャラクターデザイン
5.1 コンピュータゲーム
5.2 アニメーション
5.3 テレビ番組
5.4 その他
6 イラスト集
7 関連人物
7.1 アシスタント
8 参考資料
9 関連項目


来歴 [編集]
デビューまでの経緯 [編集]
小さい頃から、絵を描くことが好きな子供だった。子供の頃、通っていた絵の教室で描いた『101匹わんちゃん大行進』が表彰された事で、絵を描く事に自信を持ったという[5]。小学校の写生コンクールでは何度か賞を貰い、高校時代には美化キャンペーンのポスターで全国高校生の部で入賞している[6]。担当編集者の鳥嶋和彦によると、家は貧しかったが、両親共にのんびり屋の性格で、夕食を食べる金がないからと、代わりに2人でワルツを踊るような人だった。そして、子供時代の鳥山は、腹を空かせながら漫画を描くのを唯一の楽しみにしていたという[7]。

幼少時は、漫画やアニメに熱中したが、小学校高学年以降は、映画やテレビドラマに興味の対象が移り、漫画に触れる機会が無くなっていた[8]。しかし、絵を描く事は好きで自信もあったため、愛知県立起工業高等学校デザイン科を1974年に卒業した後、デザイン会社に就職。そこでチラシなどを作っていたが、結局サラリーマン生活に嫌気が差し、2年半ほどで退職した。辞めた一番の理由は、「朝早く起きるのが辛い」というものだった[9]。

退職後は、気ままな生活を送っていたため、金銭的に困る事になるが、たまたま手に取った『週刊少年マガジン』で、新人賞への応募作品を募集している記事を見つける。賞を取れば賞金50万円が手に入ることを知り、賞金のために23歳にして初めて本格的に漫画を描き始めた。結局『週刊少年マガジン』の新人賞の締め切りには間に合わず、毎週作品を募集していた『週刊少年ジャンプ』へ作品を投稿するようになった[10]。この頃は『スター・ウォーズ』のパロディなどを描いていたという[11]。

当時の鳥山の作品は、新人賞には及ばないものだった[12]ものの、鳥嶋和彦は鳥山が作中の描き文字(擬音、擬態語など、写植以外の文字のこと)をカタカナでなくアルファベットで描いていることや、色々なものを色々な角度から描けること、絵が丁寧に描き込まれている事にセンスを感じ[11]「今は下手だが頑張れば何とかなるかも」とアドバイスをした[13]。そして鳥山は厳しくボツ(不採用)を出す鳥嶋の元で懸命に修行することになる。この間のボツ原稿の総量は、1年間に500ページにも及んだ[14]。

漫画家として [編集]
1978年11月(WJ52号掲載)に、読み切り作品『ワンダー・アイランド』が『週刊少年ジャンプ』に掲載されデビューを飾ったが、アンケート結果は最下位であり[15]、その後『週刊少年ジャンプ』本誌や増刊号で発表した短編作品の人気も、芳しいものではなかった。鳥嶋に促されて描いた、1979年の読み切り作品『ギャル刑事トマト』は、鳥山が本来苦手とする「女性を主人公とした」作品だったが、評判が良く、これを機に『週刊少年ジャンプ』での連載が決まった(この時期に描かれた作品は、主に『鳥山明○作劇場』に収録されている)。

1980年開始の初連載作品『Dr.スランプ』は、いわゆる「博士物」であり、鳥山は、当初は自称天才科学者、則巻千兵衛を主役と考えていたが、鳥嶋のアドバイスを受け、少女アンドロイドの則巻アラレを主人公に配し、千兵衛は脇に据えた[16]。これが功を奏し、『Dr.スランプ』は当初より人気作となった。1981年より『Dr.スランプ アラレちゃん』としてTVアニメ化もされ、最高視聴率36.9%を記録し歴代アニメ最高視聴率で3位になる[17]など大ヒットアニメとなった。

『Dr.スランプ』連載1年目は、3日に1回しか寝られなかった[18]、最高連続徹夜6日を記録した[19]、ペン入れの記憶がない回がある[20]などと、多忙を極めた。連載は5年程度続いたが、アイディアが不足してきたということで1984年に終了させた[21]。

1984年、『Dr.スランプ』終了後すぐに『ドラゴンボール』の連載を開始。主人公・孫悟空の冒険譚として始まった作品で、当初はアンケートでも大きな反響は無く、人気は低迷していた[22]が、次々登場する強敵と戦うことを中心としたシリアスな物語となることで人気を獲得。1995年まで11年もの間連載が続き、親子2代の壮大なスケールの作品が描かれた。1986年から1997年まで3つのテレビアニメシリーズが制作され、第2シリーズ『ドラゴンボールZ』は、6年間の放送で平均視聴率20%を超えている[23]。アニメに関しては『Dr.スランプ アラレちゃん』から『ドラゴンボール』『ドラゴンボールZ』『ドラゴンボールGT』『ドクタースランプ』(『Dr.スランプ - 』のリメイク)と、1981年から1999年にかけてフジテレビ系列の毎週水曜19:00 - 19:30は、鳥山原作のアニメが放映されていた。

また、1990年から1994年には『ドラゴンボール』の連載と平行して、『ブイジャンプ』および『Vジャンプ』で『貯金戦士キャッシュマン』『DUB&PETER1』『GO!GO!ACKMAN』を不定期で連載した。

その後の活動 [編集]
長期連載で、かなり大変な思いをしたことが元で、1995年での『ドラゴンボール』終了以降、漫画は『週刊少年ジャンプ』などジャンプ系列誌で読み切り、もしくは短期集中連載作品を描く程度である。また、その一方で、自動車のデザインや漫画原作等も手がけている。『週刊ヤングジャンプ』の2009年4・5合併号巻末コメントでは完全引退を望んでいることを明かしている。

『ドラゴンボール』終了以降に描いた主な作品は『COWA!』、『カジカ』、『SAND LAND』(いずれも『週刊少年ジャンプ』で短期集中連載として掲載された)、『ネコマジン』(短編)、『天使のトッチオ』(絵本)など。その中でも『SAND LAND』と『ネコマジン』は人気を得ており、『SAND LAND』は北米やドイツ、フランスそのほかの地域でも多数翻訳出版され、『ネコマジン』もシリーズ化した。

画風・作画方法 [編集]
漫画作品では、あまりタッチをつけない均一な線が用いられており、スクリーントーンはあまり使われない。鳥山は、自身を非常に面倒臭がりだとしており、トーンを使わないのも、切ったり貼ったりするのが面倒だから、自分に合わないという理由からである。本人曰く、「トーンを切り貼りする作業は漫画を描く作業ではない」とのこと[24]。ただし、トーンが嫌いな訳ではなく、むしろ使いたいとも述べていたこともある[25]。

また、漫画ではネームを描かずに、いきなり下描きから始めるという製作方法を取っている。これも「3度も描くのが面倒」だと、担当編集者の鳥嶋に進言したことによる[26]。これに対し、2代目担当編集者の近藤裕は「いきなり下描きが上がってくるから、描き直しをさせていいものかどうか」と、戸惑ったという[27]。

他に「面倒くさがり」を表すエピソードとして、『Dr.スランプ』では、背景を描くのが面倒で、村を舞台にし[11]、『ドラゴンボール』では、超サイヤ人は髪をベタ塗りせずに済むので時間短縮になる、フリーザの最終形態も、シンプルなデザインにすることで作画の手間を省かせた[要出典]、描くのに時間がかかる市街地などの背景はすぐに爆破(移動)させたい、などがある[28]。

鳥嶋は、彼の絵に関して「基本的な絵の勉強を漫画ではなく、デザイン画などから学んでいるため、バランス感覚が優れている」また「トーンを使わないので、白と黒のバランスを取るのが非常に上手い」さらに「背景などを描かなくても画面が持つだけの構成力とデッサン力を持っている」と述べている[11]。

描かれる作品には、動物が人間の言葉を操り、普通に人間社会に溶け込んでいたり、様々なメカニックが登場する。サブキャラクターに動物が多いのは、普通の人間だけでは顔を描き分けるのが大変だから、とのこと[29]。また、メカニックは『スター・ウォーズ』他、数多く見て来たSF映画からの影響が強く、物語の本筋以上にメカを描いているのが楽しいという[25]。

『ドラゴンボール』連載終了後はMacを使い始め、以降の作品は制作過程でCGを用いたものがかなりの割合を占めており、パソコンが無ければ絵を描くのが完全に嫌になっていたとも[30]。Macを用いられて作られた作品例として、漫画では『カジカ』、『ネコマジン』、ゲームでは『ドラゴンクエストVIII空と海と大地と呪われし姫君』、『BLUE DRAGON』等が挙げられる。

『ドラゴンクエストシリーズ』のキャラクター・モンスターデザインでは、堀井雄二の描いたラフ絵を元にデザインしているものもあるが、スライムに代表されるように(堀井のラフ絵では、スライムはドロドロの液体状のモンスターで、目も口もない)自分のアレンジを加えており、キャラクターデザインに至ってはほとんど別物になっている。

人物 [編集]
この節に雑多な内容が羅列されているので、本文として組み入れるか整理・除去する必要があります。(2008年1月貼付)

自画像や自分を作品の中に登場させるときはガスマスクをかぶった姿で描かれることが多い。これは自分の似顔絵を描くのが照れくさいから[31]。
当初は本名ではなく、水田二期作(みずたにきさく)というペンネームを使おうとも考えたが、どうせ売れる訳がないと思い、結局本名でデビューした。しかし、「鳥山明」という名前が愛知県には数軒しかいなかったために、イタズラ電話がよくかかって来たとのことで[32]、本人曰く漫画家になって一番後悔している[33]。
人付き合いが苦手だと公言しており、家族と気の合う友人、信頼できる仕事仲間以外の人物とは積極的に会いたいとは思わないと語っている。また、田舎に住んでいるのも同じ理由からとのこと[34]。
夫人と出会いのきっかけは、鳥山がイタズラ電話をかけたのが始まり[35]。また、あのセンスと知識にはかなわないと夫人を尊敬していると述べている[36]。
趣味・嗜好 [編集]
モデルガンが好きで、多くを壁に飾っている。また、プラモデル作りの腕前はプロ級で、株式会社タミヤの主催する1/35フィギュア改造コンテストで入賞している[37]。愛知県唯一のプラモデルメーカーファインモールドの社長と懇意であることから、同社関連の仕事もいくつか手がけている。
鳥山の父がかつてバイクのレーサーだった影響で、車やバイク等のメカニック関係が好き[38]。『Dr.スランプ』では表紙や扉絵に車ばかりを描いていたら鳥嶋に「いい加減車は飽きた、この漫画は車が主人公だっけ?」とまで言われた[39]。ただしメカの構造などに詳しいわけではなく、専門用語などは理解出来ないまったくのメカオンチ、との事である[40]。
恋愛物は見るのも描くのも大の苦手だと述べており、ラブコメ好きの鳥嶋が出したアラレとオボッチャマン、あかねと突詰、タロウと鶴燐、悟空とブルマを恋愛させろという指示に対しては頑なに拒否し、千兵衛とみどりの結婚をあっさりと済ませた[41]。
「生まれも育ちも名古屋。当然、ドラゴンズ・ファン」[2]と語っている。『Dr.スランプ』内でもキャラクター達が中日ドラゴンズを応援するという一幕がみられる。
読者からもらったパンティーが、ヤニで黄色くなってしまう[42]ほどのヘビースモーカーであり、1日で多いと3箱[31]、締め切り前は100本以上吸う事もある[43]。逆に酒は苦手で、飲んでもビールをコップ1杯ぐらいだという[31]。
『Dr.スランプ』の登場キャラ、空豆ピースケの趣味はサイン集めであるが、これは、鳥山の趣味がそのまま反映されたもの[44]。
動物が好きで、犬や猫を始めウサギや、鳥類、魚類など多くの生き物の飼育を趣味としている。少年時代には、馬やチンパンジーを飼いたいと親に駄々をこねたという[45]。その趣味は、自身の作品にも活かされており、ハイギョの飼育がテーマの短編漫画『ハイギョのマヒマヒ』や、『Dr.スランプ』内でも、村の乱暴者がブンチョウの飼育を通じて更生する、などの話がある。また、動物好きの鳥山が、例外的に苦手としていたネズミだが、子供にせがまれて飼い始めたハムスターの影響で、苦手意識も薄れた、と語っている[36]。
子供たちと一緒に『地球戦隊ファイブマン』及び『鳥人戦隊ジェットマン』を見ていたところはまり、『ドラゴンボール』に戦隊ヒーローのパロディギニュー特戦隊を登場させた。
マスコミへの露出 [編集]
マスコミなどへの露出を好まず[46]、インタビュー記事や本人の写真がマスコミに掲載されるケースは稀である。理由は自分が住んでいるのは小さな町なので顔がばれるのが嫌だったから[47]。当該写真も顔にガスマスクが合成されている。
ただ、かつては『徹子の部屋』に出演したり、NHK特集『わが青春のトキワ荘〜現代マンガ家立志伝〜』に荒木飛呂彦と共に登場していた[48]。また、鳥嶋の指示により『ジャンプ』誌面や『Dr.スランプ』等の単行本にも自身の写真を積極的に載せていた事もある[33]。最近ではテレビゲーム『BLUE DRAGON』のCMに口周りのみながら出演している。
1984年の映画『ゴジラ』にエキストラ出演したことがある。本編中では確認できないが、一部ポスター(市販もされた)においては群衆の中に確認できる[49]。

出典: 
リンク: 

(・∀・): 93 | (・A・): 35

TOP