「できることがあったら何でもするから」

2010/03/10 00:16 登録: 30女

私は今年30歳になります。
大学を卒業後、今の会社へ入社し、8年もの間、1日の大半を仕事にあてたキャリアウーマンなる人生を送ってきました。
この歳になってようやくこの仕事人生にも充実感を感じられるようになりました。

公私共に順調といきたいところですが、プライベートは趣味のジム通いぐらいで後はただのんびりと過ごしています。
30歳となると結婚という2文字が浮かんでくる年齢ですし、実際同期の半分位は既に婚約しています。私も多分に漏れず、昨年結婚することができました。
いえ、正確には結婚していたといえるでしょうか。
私の結婚生活は1週間で終わりを迎えてしまいました。

夫となる彼とは高校で出会いました。
記録では高校1年の時から同じクラスだったようですが、人見知りな彼はクラスでも目立たない存在で、覚えていることといえばいつも一人で本を読んでいたことぐらいです。挨拶もろくにしなかった間柄ですから、初めて話したのは大学進学を機に東京へ上京した時になります。
西日本の田舎の田舎のような場所で育ったため、東京へ出てきた人も少なく、私と彼と就職のために上京してきた男性(以下、Y)の3人だけでした。
当初はよく3人で集まり、愚痴をこぼしていました。
東京での孤独な生活には話すネタがたくさんあります。
そこでは主に私とYが話しており、彼はずっとニコニコして聞いていました。
こちらから話を振っても彼は自分の事をほとんど話さず、終始聞き役でした。
そんな関係も4月になり、それぞれの新たな生活が始まると集まることも少なくなっていきました。
Yは仕事で昼夜を問わず忙しいようでしたし、私も大学でできた友達との遊びやサークル、バイトなどの予定を優先して、私から誘うことも無くなっていました(それまで私が幹事役として2人を誘っていたので、私から誘うことが無いと集まる機会はほぼ0になります)。
というのも、大学やバイト先で出会った友達は都会で育った人が多く、私が知らないようなことをたくさん知っており、彼らと一緒にいる時の方が楽しかったからです。
同じお酒を飲むのにも田舎出の人よりも年上の人との方が刺激が多く、また女性として見てくれるのでちやほやされた気分になれました。
そうこうする内にサークルの先輩から告白され、付き合うことになりました。
私も彼のことが気になっていたので、付き合えたことに舞い上がっていました。

このような孤独感とは無縁の生活を送っていた7月頃でしょうか、久しぶりに3人で集まることになりました。
待ち合わせ場所へ行くと、スーツを着こなしたYと昔と変わらない彼がいました。
急に大人びて見えたYとは対照的に彼は上京の頃と何ら変わらず笑っていました。
2人には私の変わりぶりにかなり驚かれましたが。(今振り返ってみると、茶髪にパーマ、そしてヘソ出しといった格好でしたので、彼らの驚き振りに納得します)。
お酒を飲みながら私の大学生活のことやYが新人としてかなりこき使われていること、そして珍しく彼も自分のことを話していました。
彼も大学に入って少しは垢抜けてきたのかと思いましたが、彼の話は大学の授業で学んだ
ことがきっかけで将来は公務員になりたいということでした。
今から将来のことを真面目に考えている彼のことが無性に腹立たしくなり、思わず「ツマラない」と言ってしまい、その後は黙ってしまいました。
今思うと、夢というものを18歳の私には理解できませんでした。
こんなに面白いことがたくさんあるのに何で遊ばないの、と不思議に思っていて、遊ばない彼を人として下に見ていました。
この時の飲み会で彼の悲しい顔をもう1度見る機会がありました。
いつも笑っている顔しか記憶になかったので、この2回のことは今でもはっきりと記憶しています。
2回目に見たのは、私が付き合いだした先輩のことを話した時でした。
私が「ツマラない」と言ってから愛想笑いをしていた彼もこの時は顔の表情が無くなるといいますか、ハッと驚き、そしてどこか遠くを見るような目をしていました。
そんな彼を見て私は不愉快な気持ちになりました。
ちゃかしたように話に乗ってくるYに対して、自分の幸せを喜んでくれない彼。
いつも無口な彼なので、その変わりように気付かなかったようですが、私はなぜかその時彼の顔をじっと見ていたため、悲しい顔を見ることになりました。
その後は私とYが、東京での遊びスポットなどを言って2人で盛り上がっていました。

7月も月末を迎える頃には大学も終わり、およそ2ヶ月に及ぶ夏休みが待っています。
初めは田舎に帰る予定でしたが、彼との旅行やサークルの合宿、バイトとやりたいことがたくさんあったので、今年は帰らないことにしました。
また、この夏休みの間に、彼と同棲することになりました。
片時も離れたくなかった私は、私のアパートで一緒に暮らそうと勧めたところ、応じてくれました。
しかしこれが悲劇の始まりとなりました。

同棲してからの彼は、今までのカッコ良くて優しい彼とは正反対の様でした。
家事を手伝ってくれることはなく、また夜帰ってこないことも多くなっていきました。
私からお願いしたこともあり強くは言えませんでしたが、彼がどんどん離れくのを感じ何とかして繋ぎ止めたいという思いがありました。
「飲み」とか「バイト」と言ってましたが、その回数があまりにも多いので不信に思っていた頃、友達から「合コンによく顔出してるみたいだけど」といったメールが来ました。
そしてきわめつけは私のお金を少しずつ抜き取っていたことです。
彼は気付いていないと思っていたのかもしれませんが、千円でも無くなっていれば分かるものです。
両親が送ってくれたお金を勝手に使われ我慢できなくなった私は彼に問い詰めたところ、
最初は「借りてただけ」と言っていた彼も最後には「面倒な女」と言い残し、出ていきました。

それまで付き合った経験はありましたが、裏切られたと感じたのはこの時が初めてです。
簡単に人を信用していた自分が嫌になり、ふさぎ込むようになりました。
あまり家から出なくなり、バイトも週に2回程顔を出す程度にしました。
それまで私を楽しませくれていたもの全てを手放して、一人になりたい、そんな気分でした。
孤独に浸りたい気持ちの中で誰かと繋がっていたいという相反する気持ちも芽生え、両親や地元の友人に片っ端から電話をし、他愛もない話をしていました。
こんなことをしながら夏が過ぎ、秋を迎えようとした時、Yが飲もうと誘ってきました。
まだ面と向かって話すことに抵抗があった私も、地元の友人ということで誘いにのり、昔の3人で集まることになりました。
不思議なもので、彼らといると安心感から昔のような笑いをすることができました。
Yは相変わらず会社での愚痴で、彼は夏休みから始めたバイトのことを話していました。
前と変わらない飲み会。とても居心地の良さを感じられました。
それでも別れたことは口に出せませんでした。
変にプライドがあるといいますか、話すことを恥ずかしいことだと思っていました。

学校が始まり、すぐに文化祭があり、私達のサークルも屋台を出すことになっていたので、Yと彼を誘いました。Yは仕事の関係で来れませんでしたが、彼は来てくれました。
私から誘ったものの彼と2人でいる所を友達に見られたくなかった私は「来ても案内できないから」と伝えました。彼も察してかそれ以上を求めてきませんでした。
そんな冷たい態度を取っても彼は来てくれたらしく、後で友達から聞きました。
彼のことでは随分と友達にからかわれました。
それも仕方ありません。いつも濃い緑色や黄土色の服で、自信なさげな雰囲気を漂わせており、同じ大学一年生には見えませんでしたから。
友達なら庇うと思いますが、私も彼に対して引け目を感じていたこともあり一緒に悪口を言っていました。

後日彼からメールが来ました。
彼「この前は誘ってくれてありがとう」
私「楽しかった?」
彼「もちろん。サークル入っておけばよかったかも(笑)」
そんな他愛もないやり取りをしていたら、彼から「今度会えないかな?」という内容のメールがきました。彼から誘うことは今まで無かったので不思議に思い聞いてみると「いいお店があって」と言う彼。
文化祭も終わり時間的に余裕があったので、彼の誘いに乗りました。
これが彼との初デート。時は12月のクリスマス前。

言われた場所へ行ってみると、いつも通りの笑った彼がそこにいました。
2人で会うのは初めてで、会話もどこかぎこちなさがありましたが、彼が一生懸命ネタを考えてくれる所をみると、微笑ましく思えたものです。
着いた場所はデートスポットとして有名な場所にある新しいお店。
ごじんまりとした雰囲気を醸し出していました。
落ち着いた感じの中、食事をしていると彼が重い口調で話し始めました。
彼「大変だったみたいだね」
私「何が?」
彼「恋人と別れたと聞いて」
文化祭の時に友人が彼に話したみたいです。彼なりの優しさだったのかもしれませんが、元カレのことは忘れかけていたので、蒸し返されたことにムカつきました。
私「あんたには関係ないことだから」
彼「けど…」
優柔不断な態度の彼にイライラは絶頂に達し、ついキレてしまいました。
私「人のことに勝手に首突っ込まないでよ!」
もう一緒にいるのも嫌だったので、早々に食事を済ませて店を出ました。
後から遅れてついて来る彼。
歩きながらどんどん昔のことが思い返されます。
大好きだった先輩に裏切られたこと、自信を無くしたこと、人間不信に陥っていたこと…、過去の自分を思い出す度に涙が溢れてきます。
死にたいほど落ち込んでいたところからやっと回復してきたのに。
彼が憎くて仕方ありませんでした。
そんな時彼が私に言いました。
彼「できることがあったら何でもするから」
もうほっといてと思いました。
そこでこれ以上関わって欲しくない気分から次のように言いました。
私「それなら私にお金貢ぎなさいよ。あんたが私を傷つけたんだから」
もう何も言わないだろうと思いました。
彼みたいなお人好しを見てるとヒドイことを言いたくなります。
ところが彼は迷った顔をしつつ「いくら渡せばいい?」などと言います。
冗談のつもりだったのに彼の真剣な顔を見てると引き返すことができません。
私「10万持ってきな。毎月だから」
彼「分かった。ほんとゴメンね」
どこまで馬鹿なのかと思いました。彼だって同じ大学生。
10万という大金を作るのにもかなり苦労すると思います。
ここから私への貢ぎが始まります。

年が明けて1月。
まだ冬休み中の時、彼から連絡がありました。
彼「お金用意したから」
本当に1ヶ月で10万円用意してきました。
私も意地を張って「いらない」なんて言えません。
罪悪感を感じながらも、彼からお金を受け取りました。
そんな関係が続いて何回目かに彼からお金を受け取った時、彼の顔に変化を見ました。
頬がこけ、痩せたように見えます。そしてどこか疲れの表情をしています。
今までより余計に10万円稼ぐために頑張っているかでしょう。
しかし彼はいつものように笑い、お金を渡してきました。
(もういいじゃん)
と思いつつ、私からは言い出せません。彼から諦めてもらうには私は終わらすことができませんでした。
そこで彼に聞いてみました。
私「何でここまでするのさ」
彼「○○(私)に迷惑かけちゃったから。それにバイトを頑張る生活も楽しいよ。新しい友達ができてね…」
ここまで不遇な状況なのに、それを楽しんでいるかのように振る舞う彼を見ているといつのまにか罪悪感という気持ちは消え、もっと痛めつけたい気持ちになってきました。
もっと彼を苦しめたい、今思うとその時の私はどうかしていたのかもしれません。
しかし、当時の私は自分が可哀そうな存在という気持ちがありました。
そこで彼から受け取ったお金をブランド物の購入や新しくできた彼氏と遊ぶために使い、そのことを彼に自慢していました。それでも彼は笑っていました。

以後、大学を卒業するまでこのような関係が続きました。
1ヶ月に1度会い、10万円受け取る関係。
会っても話すことはなく、一言二言交わして別れる。
それでも彼はいつも笑っていました。
私は民間企業へ彼は夢である公務員へ就職が決まり、あとは大学を卒業するだけといった時にいつも通りお金を受け取りに行くと彼がこう口を開きました。
彼「就職おめでとう。4年間早かったね」
私「…」
彼「今までありがとう。○○(私)がいたから頑張れた」
私「は〜アンタ可笑しいんじゃない。私に何されたか分かってんの」
彼「もし○○がいなかったら、ここまでバイトに力を入れられなかったから」
彼「バイトに力入れたから、人を大切にすることや働くことの楽しさが分かったんだ。それまでの僕は勉強しかしたことなくて、公務員になるって夢を持ったけど、どこかでこんな人生でいいのかなと思ってた。昔○○に言われた「ツマラない」の通り、同じ年齢の人と同じように遊んだりできなかったから公務員というものに逃げていた自分がいたと思う。そんな時、○○からの要求が僕を動かすことになった。今までこんなに働いたことなかったから慣れるまで大変だったけど、慣れてくと働くことがとても楽しく感じられた。人生で生きててよかったって感じられたのが初めてだったから、最初から理不尽な思いは無かったんだ。○○がいなかったら今の僕はなかった。大学生を充実して送れたのは○○のおかげだよ」
私「そか。私もあんたの金で大学生活楽しかったわ(笑)」
嘘。本当は毎月もらったお金を途中からほとんど使っていない。
そして彼がいつもの笑顔を見せながら言いました。
彼「社会人になったらどうしようか?中々会えなくなるよね」
もうお金はいらないと思っていました。けど、1ヶ月に1度だけ彼と会えるこの機会を楽しみにしていた自分がいました。
私「もちろん終わらないわよ。あんたが私に渡しにくればいいんだから」
お金をもらうだけなら、振り込みでもよいのですが、それは言いません。
彼「分かってる。1ヶ月に1回必ず持っていくから」
彼の貢ぎは社会人になってからも続きます。

東京で就職した私に対して彼は地元・鳥取での就職。
これだけでも会うのは難しいものですが、彼は1ヶ月に1回東京まで来てくれました。
この頃からお金は一切手をつけず貯金していました。
そのお金がどうするかも分からず。
また社会人になってYの気持ちが分かりました。新人としてコキ使われ、上手くいかずいらいらする日々。会う度に彼に愚痴をぶつけていたと思います。
しかし彼は昔と変わらず私の話を聞いてくれます。愚痴1つ言わず。
そんな彼に聞いてみました。
私「仕事面白い?」
彼「接する人が笑ってくれるのを見られるからやっててよかったと思えるよ」
私「そか。地元の皆は元気?」
いつの間にか嬉しそうな彼の顔を見ても憎む気持ちは無くなり、「良かった」と安心感を感じられるようになりました。
そして彼を通して地元のことも聞いていました。
友達の〜が結婚したとか、〜には3人目の子供が生まれたとか…。
もう1つ必ず聞いてきてくれるのが私の両親のことです。
上京してから、1年に数えるほどしか会えてないし電話で声を聞く程度しか両親と触れ合えないので、「親元気かなあ」と彼に何となく言ったところ、次会う時には彼が会って色々と聞いてきてくれます。
最初は「迷惑だったかもしれないけど…」と言ってた彼も私の喜ぶ顔を見て安心したのか、その後は欠かさず会った時のことを話してくれます。
このことがきっかけとなって10万円を5万円に減らしました。
ゼロにしてしまうと、彼と会う機会が無くなってしまうのではないかと思っていたからです。素直になれない私。
親を通して私と彼との距離は少しずつ縮まっていきました。

入社3年目。
この頃の私が今までで最も忙しかった時期だと思います。
朝は6時に起き、7時に家を出、8時から21時過ぎまで仕事しての繰り返し。
正直何で頑張っているのか疑問に思うことが多々ありました。
会社は誰もが知っている企業ですが、そこで行われていることはとても泥臭い仕事ばかり。入社した頃の理想とは全然違うことを肌で感じました。社会のためなどではなく、所詮は会社のための仕事。同期との競争のために少しも気の抜けない生活に疲れを感じていました。
そんなこともあり、2週間に1回地元へ帰っていました。
金曜日に仕事が終わったら、飛行機で直帰してでも、東京から逃げ出したいと思う日々。
東京では心から許せる友人などいませんでしたし、恋人も久しくいませんでした。
こんな私でも地元へ帰れば、両親がいる。心から話せる友人がいる。そして彼がいる。
地元には私が楽しみとするものがたくさんありました。
滞在できる時間は1日しかありませんでしたが、かなり助かっていたと思います。
私のために友人が飲み会を開いてくれ、朝までお酒を片手に語る日々。
皆がほとんど変わっていないのを知るだけで肩の力が抜けます。
そして彼がいつも笑ってくれているのを見るのも楽しみの1つとなっていました。
お酒を飲んでも決して変わらない彼の安心感はとても大きいものです。
25歳になって初めて、彼を愛おしく感じ始めました。
両親と話す時もいつも彼のことばかり。
彼らも彼のことを気にいっていたみたいで、よく「結婚しないのか?」と言われたものです。
どこかでそれもいいなあと思っていましたが、まだ素直になれない私は「結婚なんかしないから!」とキレ気味に言っていました。
一緒にいるととても落ち着けるものの、誰かに知られたくない人、彼のイメージはそのような感じです。
他人にどう見られているのかばかり気にしていた25歳の私。


地元でも会い、東京でも会いと1ヶ月に2-3回彼と会っていた生活も当たり前となってきて、他愛もない話もできるようになった頃、両親から連絡がありました。
「彼が事故にあった」と。
私の地元鳥取には元工場跡がたくさんあります。
彼はそういった廃墟と化した所を見回る仕事をしていました。
その仕事の最中に立ち寄ったある工場で廃材が崩れてきたとのこと。
帰ってこない彼を見かねて同僚が見に行ったところ、倒れていたそうです。
幸い一命は取り留めたものの一刻の猶予も許さない状況。
ここから長い入院期間が始まります。

入院して驚いたのが、彼を訪ねる人々の多さ。
この頃には毎週地元に帰っていた私ですが、いつもお見舞いに来る人で溢れかえっています。彼のご両親や友人、職場仲間、仕事を通してお世話になった人々がひっきりなしに訪れていました。改めて彼の人望の深さを知りました。
彼がいなくなってしまう、そう初めて感じた時から世間体など気にせず、地元へ帰ったら真っ先に彼のところへ向かっていました。
意識も朦朧で目をあけられない日々が多々ありましたが、彼が息してるだけで安心できました。
私にできることといえば、ご両親に代わっての看病ぐらいしかありませんでしたが、それを快く引き受けていました。「できることがあったら何でもするから」いつのまにか私が彼に言っていました。
それからもう1つ私にできることがありました。
私の手元には600万円を超えるお金があります。これは彼から預かったお金。いつのまにかここまでの大金が貯まっていました。
最初彼のご両親は受け取ってくれませんでしたが、彼にお世話になっていることを強く伝えたところ、申し訳なさそうに受取っていただきました。
自分の両親と会う時間も削り、彼の横で過ごす日々。
何も出来ない自分の無力さを感じながらも、彼が時々目をあけ、昔のように私に笑いかけてくれるのを見ると一気に疲れが取れました。
まだ話せていた頃、彼がこんなことを言っていたのを覚えています。
彼「いつも来てくれてありがとう。忙しいのにゴメンね」
彼「身体は大丈夫?仕事頑張ってね」
またお見舞いに来てくれた人には
「困ったことはないですか?」「早く元気になるので、また一緒に頑張っていきましょうね」
いつも自分のことではなく、人のことばかり気にかける彼。
そんな彼を見ていると、とても頼もしい印象を持ちました。

入院して半年ほど経った頃、彼は植物人間に近い状態になりました。
身体はほとんど動かせなくなり、目をあけるのも難しい状態のようです。
思った以上に脳への障害が強かったとのこと。
それでも生きてくれているだけでいい、私はそう思っていました。
この頃から彼の傍で私が話しかける日々が続きました。
その話は東京での仕事のことや〜が来てくれたといったお見舞いのことなど。
反応はめったにありませんでしたが、彼が息しているのを見ながら話すだけで私は幸せでした。
そんなことを繰り返していたある晩、彼が久しぶりに目をあけました。
もう身体も動かず、声も出ない状況でしたが、目だけはこちらに向け、優しい目をした時、涙が止まりませんでした。
苦しいんでしょ?もしかしたら長く生きられないかもしれないんだよ?
そんなことを思いながら、彼の目を見ながら、生きてと強く願い、彼に言いました。
「できることがあったら何でもするから」
言っても反応がありません。ずっと私の目を見たまま。
もう1度言いました。
「できることがあったら何でもするから」
すると彼は目を動かし、会話するための道具(あ〜んまでを羅列した文字盤です。これを私が指指して彼が反応していくというものです)に目を向けました。
何か言いたいことがあるんだなと思い、その文字盤を近くまでもっていきました。
私が「あ」から順番に差していくと、彼は
「す」「き」
の2文字で反応しました。
心から泣きました。これほどまでに嬉しいことはありません。
(あぁ、私は彼のことが好きだったんだ)
最後の最後まで彼に背中を押してもらいました。
その後ずっと私の目を見る彼。その時の目はいつもの優しい目ではなく、力強い目でした。
私は涙で上手く話せませんでしたが、泣きながらも「私も」と言葉と文字盤を使って伝えたところ、とびっきり優しい目をして、また眠りにつきました。

それからは出来るだけ彼の傍にいることにしました。
仕事では地元の支店に転勤させてもらい、週1回の看病からほぼ毎日看病していました。
恋人関係になったものの、何かが変わるということはありませんでしたが、傍にいる時は指を繋いで一緒にいました。彼と繋がっていたいがための私なりの努力です。
他にも模造紙に、ご両親や友人、鳥取の風景、更には見舞いに切れくれた人といった写真を拡大して貼り付け、病室を明るくしたりしていました。
しかし、彼は目をあけてくれません。それは1ヶ月以上続くこともありました。
それでも彼が傍にいるのが生きがいでした。彼のために生きていることが私の人生であるように感じていました。
ある晩、彼が目をあけました。ウトウトしていた私は部屋中を見渡している彼に気付き、一気に目を覚ましました。数ヶ月ぶりに見た彼の目。昔と変わらず優しい目。
その目が部屋一面に貼られた写真から私の方へ移ってきました。
そして彼は文字盤に目を向けます。
「○」「○」
私の名前を覚えてくれました。
お医者さんの話では記憶障害があるかもしれないと仰っていましたが、覚えていてくれほっとしました。
続いて次の文字に反応しました。
「あ」「り」「が」「と」「う」
そして私をじっと見つめる彼の目。私も「ありがとう」と伝えました。
こんなにも生きるのが楽しく感じられたのは彼のおかげ。心から思っていました。
ここで、彼に秘密に準備していたものを見せました。
婚姻届と結婚指輪です。
字が書けない彼に代わってあとはハンコだけの状態にし、また彼の薬指に合わせた指輪を用意していました。
彼は驚いたように目を見開いていました。
私は彼に向かって「あなたが好き。結婚して下さい」と伝えました。
彼はじっと私を見た後、優しい目をして、
「は」「い」
と反応してくれました。
そんな彼にいつも繋いでいた左手の薬指に指輪をはめ、彼の手にハンコを持たせ、一緒に婚姻届へ押しました。
今でもこのことは鮮明に覚えています。
とても静かな夜。風の音も聞こえないような静寂に包まれた夜に2人だけの結婚式。
しばらくは2人だけの時間を過ごしました。
そうこうしていると彼が文字盤に目を向けました。
そして、これが彼の最後の言葉となりました。
「○」「○」「す」「き」
「い」「つ」「も」「げ」「ん」「き」
「ず」「つ」「と」「い」「つ」「し」「よ」
「し」「あ」「わ」「せ」
もう何も言えませんでした。彼がしっかり私を見てくれ伝えてくれた言葉の数々。
一生どんなことがあっても、傍にいよう、心に誓いました。

彼と結婚をしてから6日経った時の平日の昼間、会社に病院から電話がかかってきました。
「危篤」と。
取りかかっていた仕事をすぐに止め、病院へ飛んで行きました。
病院までの30分がひどく長く感じました。
病室へ着くと、そこには彼のご両親と親戚の方がいるだけでした。
「彼は!?」
ベットに彼がいないことから最悪の事態を想像してしまいましたが、ご両親が「手術」と教えてくれました。
彼の母親が看ていた時に急に苦しみ出したため、医者を呼んだところすぐに手術になったとのこと。そして先は長くないから親類を呼んでおくように言われたそうです。
手術は長時間になりました。夜になっても終わらず、深夜3時に医者がこちらに来ました。
お医者さんは目を下に向け、「お亡くなりになりました」と一言言って立ち去りました。
その言葉を聞いた瞬間、心を撃たれような気持ちになりました。何かに突き刺されたような気分です。しかし不思議と涙は出てきませんでした。時が止まった感じでした。
その後彼と対面したものの、また起きてくるんじゃないか、とずっと思っていました。
それほどまでに穏やかな顔をしていました。また起きて優しい目を向けてくれると期待していました。
その後、すぐに葬式の準備があり、喪主は私が務めることになりました。
彼が亡くなったとしるや多くの街民から葬式の問い合わせがあったため、県で最も大きな会場を選び、彼の妻として参列してくれた方を迎えました。
そこに来る人の多いこと。街中の人が来てくれたようで(実際に街のほとんどの方が参列してくれたようです)、その皆さんと対峙しているとやっと彼が死んでしまったことを実感しました。しかし、そこで泣き崩れては彼の顔が立ちません。彼の妻として気を張っていたと思います。その後は覚えていません。挨拶もしましたが、何を話したのか覚えてないのです。
葬式を無事済ませた後、火葬場へ翌日移送することになっていたので、夜通し彼の横にいました。
彼の顔を見ながら、高校時代の頃から最後の言葉まで思いだしていました。
人とうまくやってくのが不器用な彼。
自分のことよりもいつも周りの人のことを考えている彼。
真っ直ぐな心をしていて、優しさに溢れている彼。
10万円の理不尽な要求にもずっと応えてきた彼。
私のことを考え、両親のことを報告してくれた彼。
仕事への真摯な対応でたくさんの人を助けてきた彼。
事故に遭った後も、街のことや私のことを気にかけていた彼。
そして私と結婚してくれた彼。
彼のことを思い出す度に、彼がもういないことを感じました。
すると自然と涙がこぼれてきました。
彼の妻として気丈に振る舞っていた私も彼と二人きりになると素直な自分になれるようです。たとえ、彼がもう戻ってこない人であっても。
本当に悲しくて、悔しくて、どうしようもない涙でした。
彼ともっと一緒にいたかった。子供を作って温かい家庭を築きたかった。
そして何より心残りだったのは
「ゴメンね」
を伝えられなかったことです。
お金を要求してゴメンね
いつも傷つけようとしてゴメンね
救ってあげられずにゴメンね
彼とはまだまだ話したかった。一緒にいたかった。真っ直ぐな彼を見ていたかった。
どんなに願ってももう取り戻せないものなのに、悔しくて残念でした。

その後、納棺を済まし、彼の遺骨は先祖代々のお墓へ納まりました。
もう傍に彼がいない、それを実感する度に、私の心は空虚になっていきます。
仕事にも身が入りませんでした。
しばらく休みをもらいましたが、何もする気が起きず、ぼーとしていました。
友人が遊びにきてくれても、心は上の空。
この1年ずっと彼の傍にいたのもあり、生きがいを見つけられずにいました。
ある時は彼のいる世界へ行こうと自殺を試みたこともあります。
運よく未遂に終わりましたが、目を覚まし、ベットの横に泣き崩れる両親を見た時
(私は何てことをしていたんだ)と思いました。
私を大切に思ってくれる存在がいたことに気付けたのです。
当たり前のように支えてくれた両親。
(今度は私がこの2人を幸せにしていこう)
心にそう決めました。
この時私がいかに弱い存在であることを感じました
今まで大学も会社も努力して掴んできたため、私は何でもできる存在だと思っていました。しかし、それは大きな間違いで、支えてくれる両親や一緒にいてくれる友人がいたからこそ。1人では生きていけないこんな弱い存在に泣いてくれる人がいるなら、これからも生きていこう、そう思いました。

それからは仕事に復帰し、昔の生活を徐々に取り戻していきました。
仕事をしていると、辛いこともたくさんありますが、生きがいを感じられるようになりました。昔彼が言っていたような目の前の人が笑顔になってくれる、それを実感できるようになってきたからかもしれません。
自分だけじゃなく、周りに目をやれる余裕が持てたこと、競争ではなく協力してく、そういった考えの変化が仕事を楽しくさせてくれたのかもしれません。
彼のおかげで誰かのために生きることの素晴らしさを感じています。

そうそう4月からは東京の本社へ戻ることが決まっています。
昔の上司から連絡があり、私の頑張りを認めてくれたとのこと。
両親と離れてしまうのは残念ですが、東京でまた働きたいと思っていたため、快諾しました。
東京には挫折しかけた自分がまだいます。そんな自分に手を差し伸べたい。
それに私は一人ではありません。
左手の薬指に一生一緒にいると決めた方との誓いが輝いていますから。



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