親のあり方
2010/04/08 14:55 登録: 名無しさん
親父は厳しかった。俺は兄貴と妹との3人兄弟。兄弟3人とも親父に褒められた記憶は全くない。些細な事でいつも怒られてきた。運動会で1位になろうが、テストで100点とろうが、褒めるどころか 「当たり前だ。そんな事で喜ぶな。」と逆に怒られる事もあった。
母親はそんな親父とは全くの正反対。どんな時でも優しくて、ほとんど怒られたような記憶は無かった。親父に怒られた時もいつもかばってくれた。
そんな両親だから、子供たちはみんな母親寄りになっていった。
思春期になると相談や悩み事なんかは全部母親に。親父とは顔も合わせない様にしていた。
時には、みんなで親父の悪口を言い合った事も何度もあった。「なんで、あんな人間になったんだろう。」「歳とっても母さんの面倒はみるけど、親父は面倒見たくない。」とか。
そんな話をしている時、いつも優しい母が初めて本気で怒った。
「あなたたち、いい加減にしなさい!!お父さんは貴方達を想っているから厳しくしているの!!お父さんを悪く言うのは許しません!!!」
俺たち兄弟は正直驚いた。いつも温厚な母がすごい剣幕で怒りだした事に。だけどその頃の俺たちは未熟で、「なんでそんなにムキになってんの。」とか「親父の怒り方に愛情感じないんですけど。」などと言って、逆切れしていた。
そして時間は流れ、兄貴は就職のため一人暮らし、俺は大学生(まだ実家)、妹は短大生になり、家族がみんなで集まるような事はほとんど無くなったが、親父の厳しさは相変わらずだった。
「帰りが遅い!」「遊びすぎだ!」「なんだ、その髪の色は!」その頃は本当にこれが嫌で、とっととこんな家出ていってやる、といつも思っていた。
そんなある日、兄貴から家に電話が掛ってきた。結婚したい人がいるから、その人を連れていく、といった内容だった。きっと兄貴も気が重かったに違いない。何せあの親父に会わせるんだから。
そして当日、兄貴が彼女を連れてきた。礼儀の正しい感じの彼女。とりあえず母が対応。
和やかな雰囲気で話をしている。30分以上経っただろうか。親父は自分の部屋から出てこない。「うわ、始まったよ。最悪。」と俺も兄貴も親父の嫌がらせだと思った。
彼女に悪いと思ったのか、母はしびれを切らし親父を呼びに行った。
そしてその数秒後、「救急車、救急車を呼んで!!お父さんが!!!」
親父が突然倒れた。くも膜下出血だった。その晩病院で生死をさまよっていたが、翌日親父は死んだ。あっけなかった。
その後無事通夜を終え、家で家族4人一息ついていた。不思議と悲しくは無かった。
兄貴が「結婚相手を連れてくれば、褒めてもらえるかなって思ってたけど、結局最後まで解りあえなかったな〜。」
俺「怒られた記憶しかないから、あんまり悲しくないもんだな。」
そんな話をしていると、母が急に「貴方達に伝えなくてはいけない事が有ります。」
と言い出した。俺たちはおとなしく聞いていた。
「貴方達にとってお父さんは厳しくっていつも怒ってばかりいるイメージしかないかもしれません。でもね、お父さん本当はとっても優しい人だったの。」
それに対して俺は「昔は優しかったかもしれないけど、俺が物心ついた時には怒っている姿しか見たことないよ。」と言った。
母は「そうね。お父さんは貴方達にいつも厳しくしていたわね。だけどね、それは
○○(兄貴)が生まれる時にお父さんとお母さんで決めた事なの。」
俺たち「???」
母「お父さんね、貴方達が生まれる前は本当に優しくってね、怒っているとこなんて見た事もなかった。お母さんだけじゃなく、他の人にもみんなに優しい穏やかな人だったの。だけどね、私が妊娠している時にお父さんはこう言ったの。
「子供が生まれたら僕の性格上きっと溺愛しちゃうだろうし、甘やかしてしまうと思う。でもね、子供を育てるってそんなに簡単な事じゃないと思うんだ。僕が子供を守ってあげられる時間も限られているし、子供が親と一緒にいる時間より、一人で生きていく時間の方がずっと長い。だから、どんな環境に置かれても挫けず、立ち向かっていける人間になって欲しい。」
お父さんね、自分が父親を早くに亡くしてね、父親像ってどうあるべきかって真剣に考えてたわ。そしてね、
「僕はとにかく厳しい父親になるよ。決して甘い顔はしない。子供に嫌われても構わない。
だけど君だけはいつも優しくしてやってくれないか。僕に厳しくされた時の逃げ道になってあげて欲しい。」
って言ったの。お父さん本当に穏やかな人だったから驚いたけど、お父さんに付いて行くって決めてたから反対はしなかったわ。そして貴方達が生まれたの。」
俺たち兄弟は驚いて何も言えなかった。そして母は本のようなものを大量に持ってきた。
「これはお父さんの日記なの。ずっと隠してきたけど、これを読めばお父さんの本当の気持ちがわかるわ。」
俺たち兄弟は日記を手に取り読み始めた。その日記には生まれた時の事、入学・卒業、
運動会の事など様々書いてあった。
△月△日
今日、我が家に女の子が誕生した。名前は○○。素晴らしく可愛い!上の男の子たちも可愛いが、やっぱり女の子は違うもんだな〜。目の中に入れても痛くないとはこの事!
これで家族5人。命をかけて守ってあげたい。
○月○日
今日は次男の○○の運動会だった。何と、100m走で1位!素晴らしい!学校で一生懸命練習してたみたいだからな〜。本当によく頑張った。我が子ながら誇りに思う。
×月×日
長男の○○が見事第1志望高校に合格した。夜遅くまで勉強していたからな。よく頑張った。合格の知らせを聞いた時には思わずはしゃぎそうになってしまったけど、まだまだ厳しく厳しく。母さんに良く褒めてあげてって言っておかなきゃ。
読んでるこっちが恥ずかしい位、親バカな内容が他にも山ほど日記には書かれていた。
家族4人日記を読みながら号泣していた。暫く涙がとまらなかった。
そして、親父が倒れる前日の日記が出てきた。
「○月○日
明日は長男が彼女を連れてくる。結婚したいという事だ。
こんな厳しい父親だから、きっと緊張しているだろうけど、安心していいからね。
反対はしないよ。お前の選んだ彼女だ。間違いなく素敵な人だろう。
自分の事のように本当に嬉しい。
明日は私も笑顔でおめでとうを言ってあげたい。
そしていつの日か、孫でも連れてきた時には、呆れるくらい褒めてあげよう。」
兄貴はその日記を何度も何度も読み直していた。涙と鼻水を垂れ流しながら何度も何度も。
あれから10年経ち、兄弟3人みんな家族を連れて親父の仏壇の前へ集まった。
親父、そろそろ褒めてくれるかな?
出典:体験談
リンク:無し

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