イラク戦争

2010/06/01 00:14 登録: ロボ

ーーイラク結婚式虐殺事件ー

2004年5月19日、イラクのシリア村で、米軍が結婚式場を襲撃して参加者40人以上を虐殺した事件。
米軍の担当者は「攻撃したのは結婚式場ではなく、テロ活動の拠点だった」と取材陣に答えた。

 ハレマ・シアブは最初の爆弾が落ちた時、7ヶ月の息子ヨーセフを抱き寄せ、5歳の息子ハムザの手を握って、走り出した。
彼女が倒れた時、彼女の脚は折れていた。

 「ハムザは『おかあさん』と叫び声をあげた」とシアブは繰り返した。
「アリは、傷つき、出血していると叫んでいた。それが、彼の言葉の最後だった。」
その時、砲弾が落ち、シアブの左腕を負傷させた。
「ハムザは手から崩れ落ち死んでしまった。ヨーセフだけが腕の中に残っていた。アリは爆弾に傷つき、殺された。私は戻ることができなかった」
と病院のベッドから彼女は語った。

 彼女と継娘のイクバルは、爆弾によるクレータの中に隠れた。
「私たちは、真夜中の3時から明け方まで血を流していた」とシアブは語った。

 直ちに米軍兵士がやって来た。
その中の一人が、生きているのかを確認するために彼女を蹴り上げたと語った。

 「私は、殺されないように死んだふりをしていた」とシアブは語った。
兵士は笑っていたと彼女は語った。
ヨーセフが泣き叫んだ時、兵士たちはこう言った。

「泣くな、止めろ」と。


 シアブの継娘である14歳のモザは、病院のもう一つのベッドで寝ていた。
モザは負傷し、泣き叫んでいた。
モザの親類は、彼女の母親(一夫多妻制)であるスマヤが死んだことを伝えられないでいる。

最初の爆弾が落とされた時、モザと妹たちのスブハ、ファティマ、シハムは、一緒に駆けだした。
モザはスブハの手を握っていた。

「私には、ファティマとお母さんがどこにいるのか、分からなかった。
シハムは負傷した。
死んでしまった。
ゾーラの頭部が吹き飛ばされるのを見た。
私は意識を失った」
とモザは語った。

「お母さんは死んでいないだろうか」

とモザは母親のことを語った。

「お母さんのことが心配だ」


ーー映画情報 ーー「リダクテッド/真実の価値」

2006年にイラクで実際に起こった米兵による14歳少女の計画的レイプ、及び彼女とその妹を含む家族4人を惨殺した事件を題材にした衝撃作。
戦争の残虐性と情報操作の闇に迫る。


ーーアブグレイブ刑務所、捕虜虐待事件

兵士らの間では当時から虐待の噂が流れていたが、告発の後に陸軍が内部調査を行い始める。

シーモア・ハーシュが米国防総省の内部報告書を報道し、虐待が組織的であった事が明らかとなり、CIAの関与を兵士が証言しているとも報じた。


ブッシュ大統領は「不快感を持っていることを知ってほしい」と個人的な感想を述べたが、同時に「民主主義は完全なものではない」とも言い謝罪は無かった。

(2007年1月10日、ジョージ・ブッシュ米大統領はイラクへの一時増派を明らかにする際、「イラクの混乱の原因はすべて私にある」とテレビ演説した。)

6000ページ(マスコミには53ページしか示されなかった)に及ぶ米国陸軍の秘密報告書は米議会で非公開で議員たちに披露されたが、それは議員達の顔色が変わるほど悲惨なものであった。
そこで示された写真とビデオはイラクの女性立法者が男性捕虜に同性愛行為を強制させる性的拷問を加えていたことを示した。

この虐待はラムズフェルドが承認していたとザ・ニューヨーカー電子版は報道した。
これに対しラムズフェルドはアブグレイブでの虐待行為は「例外」で「常習化したものでも習慣でもない」と主張した。

アメリカ政府はこの問題に対し、アブグレイブ刑務所を取り壊し新しく近代的拘置施設を建設する計画を可決した。
だが、証拠隠滅、責任転嫁の批判が起こる。

フランスの日曜紙は、アブグレイブ刑務所などで米国人看守らに性的虐待を受けた多くの女性収容者は釈放後に自殺したり家族に殺されたりしたと報じた。

米誌は同収容所に誤った密告で連行され、性器に電気ショックを3度受け、出血したにもかかわらず治療を拒否され、2人の男性兵士に押さえつけられ、女性兵士に強姦された男性と、尋問という名目で深夜に性的虐待を加えられた17歳と18歳の2人の女性収容者を取り上げた。

さらに、ドイツでは赤十字国際委員の調査を報道し、6箇所の米軍管理の収容施設で、100人以上の子供が拘留され性的虐待をされていることを報道した。

 ブッシュ政権は幕引きを行おうとしたが、それでもなお新事実は明らかになり続けた。

2006年2月15日、オーストラリアのSBSテレビはイラク人に対して行われた拷問、暴行を示す新たな写真や映像を公開したが、SBSは「露骨すぎて放映できないものもあった」として一部の性的虐待の写真の放映を見送った。

「イスラム・メモ」は女性収容者が謎の死をとげたと報じ、イスラム・メモ通信員は、アブグレイブでは毎月4、5人の収容者が死んでいると伝えた。

2006年11月、2003年6月から2004年1月まで、アブグレイブを含む様々な刑務所の管理を担当していた米国の准将が証言台に立つことになった。
彼女は、虐待がないといいながら捕虜の極秘移送が行われていた事実、行方不明のイラク人が多数存在すること、恐怖統治の指示をイラク占領軍司令官のサンチェス中将が出していた事を述べている。


ーーイラク戦争

イラク戦争(イラクせんそう)は、アメリカ合衆国が主体となり、有志連合がイラクに侵攻したことで始まった戦争である。
正規軍同士の戦闘は2003年中に終了したが、後にイラク国内での治安の悪化が問題となり、現在でもイラク国内での戦闘は行われている。
戦争の終結時期については解釈が分かれるが、現在も少なくとも武力紛争状態は継続している。


ー 戦闘終結宣言後の犠牲者

開戦からブッシュ大統領による戦闘終結宣言が出されるまでの期間は非常に短かったが、2008年3月現在もイラク人兵士・警察官・民間人、そしてアメリカ軍をはじめとする多国籍軍兵士も、ともに犠牲者が増え続けている。
また、英軍の死者170人、その他諸国軍の死者132人と合わせて、連合軍全体の死者数では4,000人以上(民間軍事会社の契約要員を除く)となる。



民間人の犠牲者

アメリカ軍は戦闘で殺害した武装勢力や、アメリカ兵の過誤(誤爆・誤射)で死亡したイラク民間人の数を公表していない(「数えていない」という発言がアメリカ軍上層部から出ている)。



その他


2007年10月現在、イラクでは各種民間警備会社(実際は傭兵に近いモノも有る)は、アメリカ正規軍を上回る計18万人が活動中たが、その活動内容は事実上野放しで、誰を殺しても誰に殺されてもさしたる問題にはされていない。
民間警備会社の警備員による虐殺・暴行も報道されており、2007年にはブラックウォーターUSA社の警備員が乱射で民間人17名を射殺、持参の銃を現場に置いて「武装勢力に対し正当防衛を行った」と悪質な偽証をした事件が表面化、イラク・アメリカで問題となった。

あるイラク紙の主張によれば、米軍によるイラク占領以来、全土に点在する監獄や強制収容所には大勢のイラク人女性が拘留されているとされる。
その大半が政府の要員や占領軍兵士によって性的暴行を受けており、結果としてエイズなどが蔓延しているとする。
また、強姦の被害を受けた女性が、一家の恥として家族の者の手によって殺されてしまうケースがあり、(大半が被害を受けているという主張にも拘らず)正確な被害者の数は把握されていないとする。

2010年1月26日、イギリスの独立調査委員会は公聴会で、「2003年3月の対イラク武力行使は国際法違反と考えていた」と英国法律顧問が述べた文書を公表した。
この文書中で「武力行使は国連安保理によって認められておらず、他の法律根拠もなかった」と法律顧問は延べ、安保理決議1441を武力行使の根拠とする主張を退けた。
同法律顧問は開戦前にその見解を外相に伝えたところ「独断的だ」と退けられたと証言した。

2010年1月29日、2003年のイラク侵攻を決めたブレア前首相は、イギリスのイラク戦争参戦問題を検証する独立調査委員会の公聴会で証言した。
彼は「サッダーム・フセインの脅威」を強調して、イラク侵攻によるフセイン政権打倒を正当化し、「後悔していない」と述べた。
また、当時と同じ条件なら再びイラク侵攻をするだろうとも述べた。
さらに、2007年までのイラクの民間人死者数増大に関して、全体で10万という数字を示して、



「殺したのは連合軍ではなく、テロリストだ」



と、占領軍の責任を回避した。

ーー

開戦前の1月初旬、世論調査結果によるとアメリカ人の内44%が、2001年9月11日の同時多発テロのハイジャック犯の一部または大半がイラク人だと考えていた。

実際には、報道によれば大半がサウジアラビア人でイラク人は一人もいなかった。


ブッシュ大統領は開戦前後の演説における戦争理由として以下を挙げた。
1.生物・化学兵器等、大量破壊兵器を保有し続け、その事実を否定し、国連の武器査察団に全面的な協力を行わない(部分的な協力に止まっている)ことに対する武力制裁のため。
2.イラクの一般市民をサッダーム・フセイン大統領の圧政から解放するため。
3.テロリストに対する支援国であるイラクを「民主的な国」に変えるため(対テロ戦争の一環)。


イラク国内に入ったアメリカ軍は、大量破壊兵器の捜索を行った。
しかし捜索にも関わらず新たな大量破壊兵器は発見されず、2004年9月13日に国務長官は「見つからないだろう」と捜索断念を明らかにした。


フセイン政権は国力となる知識階級を積極的に育成してきた。
また、初等教育にも力を入れており、湾岸戦争前に9割あった(とされた)識字率も、戦後の経済制裁とこのイラク戦争後の統治の失策によって5割を下回っている。

ブッシュ大統領が発言 した「世界民主化」は、民族自決に反するものである。


ーー

アメリカ兵の死者は2005年10月から減少に転じていたが、これは危険地域の警備をイラク警察や国家警備隊、親米武装勢力に移譲しているからだと指摘されている。

この間、テロ発生件数は横ばいであるが、多国籍軍への攻撃は減少しており、その分イラク人を標的にしたものが増加した。

出典:最近は、かなり治安が回復したようで
リンク:良かった、良かった。

(・∀・): 52 | (・A・): 32

TOP