ムツゴロウさん 続き

2010/08/09 23:54 登録: えっちな名無しさん

では、先生が東大駒場寮時代にイヌを数匹飼っていて、そのイヌが他の学生に文化祭で食用に出されて食べられてしまったことがきっかけで命の尊さを知り、動物学に走ったというステキ極まりない話とかもデタラメですか?

「なんですかそれは!? イヌなんて当時は飼ってないですし食べませんよ! どこの情報ですかそれ?」

えぇと、情報源は先生が過去に執筆されたエッセイだったりするんですが……。

「全然知らない(プリリと)。そもそもボクが動物や命というものにハマっていったきっかけはですね、エンゲルス(フリードリヒ・エンゲルス/思想家)の本に心を捕まえられちゃって」

資本主義の廃絶を訴えたマルクスの親友ですね。

「そうそう、まぁ要するにナチュラルハイですね(ニッコリ)」

アハハハハ!“ハイ”に心を捕まえられたって。

「あんたね、笑うところじゃありませんよ! 」

いやぁ、あまりにも流れが良くて。す、すいません……。

「まぁいいでしょう。でね、彼は社会の仕組みや釈迦のあり方を解明していこうじゃないかという先駆けなんですけど、まぁ雑な本でしたけど、当時はその雑さ加減に惹かれて衝撃を受けたんですね。『生きているってことはなんなんだろう?』って考え始めて、そこらへんをね、もうちょっと理詰めでやろうかなと」

共産主義革命みたいなものを考えてらっしゃったんですか?

「いや、そういう部分ではなくて、それがきっかけでもうちょっとね、分子とか原子のレベルでそういう部分を考えることはできないかと思って」

エンゲルスの共産主義理論を分子や原子のレベルでひも解こうとされたんですか!

「同士とふたりでね。その同士ってのはのちにニューヨーク大学の分子生物学の教授になって、千葉にある『かずさDNA研究所』の所長をやってる男なんですけど」

それって、日本のゲノム研究の中心人物である、あの大石道夫先生ですか?

「そうそう! あいつはもう大変な男なんですよ。その大石氏とふたりで『命というものを根底から見直してみようじゃないか』ってことで、ボクは動物にいって彼は植物にいったんですよ」

またなぜ動物を選ばれたんですか?

「偶然です(即答)」

ぐ、偶然ですか……。ただ単純に動物が好きだとか、動物愛護的な意味合いでとか、そういうのじゃないんですか?

「動物に!? 一切ないですね(即答)」

ム、ムツゴロウ……(小声で)

「そんなものないですよ。そもそもボクはですね、特定の分野ひとつだけを愛したりは今まで一度もないですし、できないですよ。ボクはね、人間の活動や人間のアクティビティ、地球のあり方、生き物と生き物のあり方、それらが全部好きなんです。だからこそ、そのひとつひとつを愛しすぎちゃって度を超すときがあるんですけど、その中の一つだけを愛して追求するなんてことはないです」


その中でも、動物に関しては度が過ぎちゃった?

「心酔したのはたしかですねぇ。ボクはですね、その時代その時期にやりたいことがたくさんあってですね、そこに集中しちゃうんですよ」

一般の方はその一部分、動物の探求という一部分のみを切り取られて見たために、先生は“動物オジさん”風に見られただけだと?


「だと思いますよ。少なくとも、ボクは“動物オジさん”と自分で思ったことはないです。当時もね、一般の方に自分がどう思われるかなんてほとんど意識しませんでしたからね。だってねぇ、テレビなんかは何から何まで自分たちの思惑やなんかで適当に作っちゃうんだもん。もうね、世間からのイメージは全くわれ関せず、自分は自分でいい」

今までのイメージってのはご自身では否定されてる?

「否定はしてないですよ、ただみなさんが思ってる様な人間とボクは“違う”ってだけです。動物学っていうのはね、ひとつの卵がどうやって親になるか、それをいろんな動物で見ていくわけ。卵を取って受精させて、それが卵割して、親になるまで見るわけ。これがどのくらいかかると思う? 2週間だぞ、2週間! 1秒でも見逃したくないじゃん。だからさ、もう2週間ずっと付きっきりでジーッと眺めてるわけよ。これは大変ですよぉ、おたまじゃくしからかえるになるまでを本気で見ようと思ったら」

ずっと見てたんですか!?

「当たり前じゃんかよ!」

不眠不休で?

「当たり前じゃんかよ!」

かえるの変態の流れをずっとですか……。

「だって、見逃せないでしょ? おたまじゃくしから足が生えてくるところとかもゆっくりかつじっくりと見ましたよ(苦笑)」

スゴい集中力ですね! ちなみに、先生の麻雀も不眠不休だと聞いていますが?

「ボクは寝ない時間が続けば続くほど元気になるんですよ(ニッコリ)」

ちなみに徹マンってされます……よね。

「しますよ! 不眠不休で10日くらいが最高かな」

と、10日間ですか!!

「途中で相手がバタバタと倒れていくもんだから、ボク以外は全員何度も入れ替わるんですけどね」

とんでもないですね。そういえば、ムツゴロウ王国では誰かがぶっ倒れるまで打つという大会があったそうですね!

「よくやったねぇ。あと日刊ゲンダイが主催で最強の麻雀師を決めようという『雀魔王』という大会をやろうって話になったのね。それで50チャンを連続して打ち続けて」

ご、50チャンを連続ですか!!

「それも徹夜でね、あんときは4日くらい徹夜したのかな、全勝しましたね。しかも2大会連続で雀魔王の称号を手にしました」

動物の頭をナデナデしている絵しかでてこないムツゴロウファンにとっては“魔王”ってのはいかなるジャンルであっても衝撃の称号ですよね。

「それはそうだろうねぇ(笑)。ボクはね。39才の頃に、麻雀に傾倒してた時代に胃ガンになったんですよ。それでね、胃を全摘出したんです。ガンっていうのは摘出しても、その後5年はいつ再発するかわからないんですよ。だからね、その5年間は『あと5年で死ぬかもしれない』っていう不安がものスゴいわけ。するとさ、もうなんかしてないと心が落ち着かないんだよ。もうこれは不治の病を経験しないと絶対にわからないことなんだけど、そんな不安からボクを救ってくれたのが麻雀なんですよ」


麻雀が生への執着を前向きなものにしてくれたと?

「生きるモチベーションになったね、それが冗談抜きで一番大きいですかねぇ」

だったら10日間くらい寝ずにやっても平気だと。

「やっちゃうねぇ。ただ、ボクと同じ様なペースで やれちゃう人をまだ見たことがないね。いたらお目にかかりたいなぁ」

いないと思いますよ。10日間の最後の瞬間ってもうバタッって感じですか?

「いや、普通だよ。さっきもおたまじゃくしの話をしたけど、ボクの中の学問という概念は他の人とは違うの。もうね、張り付いたらそこから動かないんだよ。興味を持ったらトコトンと。この“トコトン”をちゃんと実践する。『今日はここまでやったからちょっと寝よう』とか、そんなヤワなことは絶対にやらないの、“やり通す“とはまさにこれでしょう」

お体に負担がかかるかと思うのですが?

「そんなもんどうでもいいんですよ。まぁ、昔会社に勤めていたときの話ですけど、会社の同僚から署名活動みたいなことをされたね(苦笑)」

しょ、署名活動?

「『畑を休ませろ、家に帰らせて眠らせろ-----------!』っていう署名活動ですね」

アハハハハ!

「あんたね、笑うところじゃありませんよ!」

す、すいません。で、その署名はどうされたんですか?

「無視しましたね(きっぱり)」

そ、そうですか(汗)。単純な質問ですが、眠たくなりませんか?

「何かをやっているときに眠たくなるなんて中途半端な証拠ですよ。ボクはね、もう信じられない。いろんな人を面倒見てきましたけど、なんで学ぶことに興味を持たないのかなって。みんなね、今のヤツらはみんな勉強しちゃうんですよ」

勉強なんて意味がない?

「学ぶことと勉強するってことはもう全然違うんです。例えばですね、アマゾンの奥地に行ったとして、この奥には何があるんだろう?とか、興味を持ってどんどんと未開の文明を歩いていくものでしょ。もうそういうのは一瞬一瞬に、どこもかしこも目を離すことができないくらいおもしろさが満載でしょうがないわけですよ」

つまり実際に体験して体にしみ込ませることが“学ぶ”ということ。

「今のヤツらってのはそういうのを勉強で済ませてしまう。4〜5ページにまとめられた情報だけで“知り得た”と勘違いしてしまう。それがもうボクには信じられないんだよ。例えばね、統計学なんてものがあって、高校のときに『これはおもしろそうだ!』って思ったの。ボクにとっちゃ小説と同じようなもんだから」
先生にとって統計学と小説は同じですか!

「で、もうやり始めて一週間くらい寝ずにぶっ続けてやって、そうすると学校から電話がかかってくるの。『おたくの息子さんが学校に来ないがどうしたのか?』って、じゃあお袋が『寝ないで勉強してます』ってねぇ(苦笑)」

高校に行かずに統計学を学んでたんですか?

「高校でやるような勉強なんて屁だよ屁(吐き捨てるように)」

屁ですか!

「高校に限らず、学校で教える様な勉強はあまり意味がないですよ。ボクはね、小学生のときから猛烈に本を読み始めたんです。それこそ猛烈な読書をね」

先生が自ら猛烈とまで例えられるんですから、もうそれはとんでもない読書っぷりだったんでしょうねぇ。

「小学校に入る頃から親父の本棚やお袋の本棚を漁っては小説から専門書から何から片っ端から読んで、もう中学に上がる時点で日本の漢字で読めない漢字はほとんどなくなったからね」

12才で漢字検定段位級!天才漢字くんじゃないですか!

「あんたね、そんなチャチなもんじゃないですよ!」

す、すいません。

「ボクはね漢字二段とか三段とか、そんな小さいもんじゃないですよ。昔の外国文学にはルビがふってないんだけど、日本の文学にはルビがふってあってね、(ギ・ド・)モーパッサンとか(ギュスターヴ・)フローベールだとかそういうのから読みあさって、そこから尾崎紅葉とかを読んで、完全に独学で覚えて」

次に同じ漢字が出てきたら一発で?

「そんなもん1回見りゃ覚えますよ!」

読みあさったって、册数にするとどのくらい?

「またまたもう……、册数なんてもんじゃない! 册数にして数えられる数字じゃない、もうね、無数ですよぉぉ!」

む、無数册読まれましたか(汗)

「中学を出るころには英語の本も辞書なしで、全部原文のまま読めるようになってましたね」

漢字のみならず、英語までも克服されましたか!

「英語に関しては小学校3年生くらいで“ボクの英語”は完全になってましたね」

スゴいですね。英語って義務教育の3年間、高校や大学に上がったら計10年くらいやるわけですけど、それだけで英語を使えるようになる人ってひと握りですもん。

「あなた、英語のほうは?」

からっきしですね(苦笑)

「はぁ……。信じられませんね。まずもってね、大学を出ていながら『じゃあこれを読んでみなさい』って英語の本を渡すと辞書を使うヤツらがいるんですよ。なんでね? 英語を読むのに辞書を使わなきゃならんのかって。『そんなの英語を読むことにはならんぞ!』って叱りつけますよ」

ハードルが高過ぎですよ! 先生の青春時代って“学ぶ”というものが中心だったんですか? 遊びたいとか、そういう気持ちってなかった?

「そんなもん遊びほうけてましたよ!」


遊びほうけたって……、遊ぶ時間なんてあったんですか?

「ボクはね、スポーツが好きでねぇ、特に釣りは大好きだったんですよ。だからもう昼間は釣りにスポーツにもう遊びほうけて、夜にはたくさん学んでましたね」

いつ寝るんですか?

「高校時代は夜に寝たなんてことはなかったよ(きっぱり)」

高校時代は寝なかった!?

「寝なかったね(きっぱり)。まぁ、何度か授業中に教室を抜け出して図書室でちょっと寝たぐらいしか記憶にないね。あとはそうだな、バスケットボール。中学のときはキャプテンだったんだよ」

先生とバスケットってまったく繋がらないですねぇ。文科系だったのかなって思ってました。

「何言ってんのぉ、ボクは文科系な男ですよ!(激高)」

へ!?

「ボクは文学が大好きだったものだから、中学から高校にかけて演劇もやってたんですよ」

このハードスケジュールに演劇活動もぶっ込まれてましたか!

「自分で劇団を立ち上げて、本を書いて演出やって主演もしてましたね(ニッコリ)」

欲張りですねぇ。どんなストーリーをやってらっしゃったんですか?

「他愛もない話ですよ。ボクはね、喜劇が大好きで、チャップリンを知ったのが大学の1年のときですかね、渋谷でふらっと入った映画館が『ライムライト』でね。もう感激して、それからというものチャップリンの人生について調べあさって」

先生はチャップリンについて講演活動もされてましたよね?

「そうそう、昔に『ムツゴロウの大学院』っていうのを無料でやってたんですけど、そこでチャップリンについての講義を何度かやったんですよ。トップカットからエンドカットまでの秒数単位の話から、このフェイドアウトにはどういう意味があるかっていうような話をワンカットずつ丁寧に講義しましたよ」

ワ、ワンカットずつをしかも丁寧にですか……。大学というキーワードが出ましたが、先生は東大ご出身ですよね? ここに受験勉強っていう時間も入ってくるわけですか。

「何を言ってますか!(激高)」


へ!?(汗)

「ホントに不思議に思うのは、高校って大学受験のために補習授業とか受験授業とかやるでしょ。ボクはもう最初からそういうくだらない時間を拒否してた。『受験準備しなきゃならんようだったらボクは大学なんて受験しません』ってね。受験勉強なんて全然、一度もしなかったよ」

NO受験勉強で東大ですか!

「一発合格(ニッコリ)」

ホントですか!

「(ギロリ)」

ス、スゴいですね。いやぁしかし、地雷処理班に先生の地雷がどこに埋まっているか教えてほしいわけなのですが、本題の麻雀に一度戻します。先生が麻雀を知ったのも幼少時代なんですか?

「兄貴がいましてね、その兄貴が大学で覚えてきて、ボクに教えてくれたんですよ。高校1年のときでしたね。それから家族で麻雀を打つようになって、そこからずっとですね」


麻雀のどういったところに最初魅力を感じられたんですか?

「ゲーム全般大好きなんですよ、トランプも好きだし花札も好きだし、碁や将棋も好きなんです。ただ、麻雀はそれらと比べて複雑ですよね。その複雑さがとてもとても好きでねぇ、解明されていない部分が今もまだたくさんある」

解明されてない部分とは?

「必勝法がないでしょ。ゲームのそのほとんどには必ず必勝法というものが存在するんです。絶対に勝つ方法論があるんです。しかし、麻雀にはそれがない」

100%?

「断言できますね。その点がボクみたいな人間にとってはスゴく魅力でね、麻雀ってものは小宇宙ですよ」

麻雀は小宇宙!

「小宇宙だね、ロマンがあってボクに向いてるし、ボクの頭が考えるに値するんです。今でもね、ボクはベットサイドやトイレに麻雀の牌譜が貼ってありますからね」

盲牌なんかもできるんですか?

「あのねぇ、そんなものは初歩の初歩でしょ、牌なんて見ませんよ」

す、すいません。では指先の目と頭の中だけで打ってらっしゃると?

「もうね、次元が違うの。ボクは」

重ねてすいません……。でも、そんなにお強いと先生と卓を囲みたくないって人も多いんじゃ?

「何をおっしゃいますか。ボクと打ちたい人ってもうたくさんいるんですよ。『いつ打ってくれるんだ!早く打ってくれぇ〜』って電話がひっきりなしでしょうがないぐらいですから(ニッコリ)」

「打ってくれ〜」って(笑)

「麻雀っていうのはね、これが不思議なことに強い人と打ちたくなるんですよ」

なんだか格闘技みたいですね。強いヤツと戦いたいみたいな。

「近いものがあるねぇ、ヘボと打ってるよりプロや強いヤツと打ちたくなるってものが真の麻雀好きですよ。こないだもテレビの企画で、名うてのプロ3人を相手に打ちましたよ、もちろんボクが勝ちましたけど」

プロ顔負けってまさにこのことですね!

「あんた、この期に及んで何を言ってるの(呆れ返りながら)。ボクは麻雀連盟の十段だよ!」

おみそれいたしました!

「先ほど、一般の方にボクが麻雀十段って知ってる人はあまりいないとかあなたはおっしゃってましたけど、麻雀好きでボクのことを知らない人はいないですよ。こないだもタクシーに乗ってたら運転手さんに『最近打たれてますか? 大ファンです!』って、『ホントにお強いですよね』って言われたりしますからね」


ボクなら『最近噛まれてますか!』とか言っちゃいそうですけど。

「最近は噛まれてませんよ!(笑)」

よかったです。今まで卓を囲まれた方で「この人は強かった」って印象深い対戦相手はいらっしゃいますか?

「そうだねぇ、欽ちゃん(萩本欽一)や南田洋子さんなんかと打った麻雀はおもしろい麻雀だったねぇ。中でもいい麻雀が打てたのはやはり阿佐田哲也さんだね。彼と打ってるときはホントにおもしろかったなぁ」

『麻雀放浪記』の阿佐田先生ですね! 夢の対決じゃないですか!!

「あのね、勝ち負けは聞かないでくださいよ! 勝ったのはボクに決まってるんだから」

言っちゃってるじゃないですか(苦笑)

「いやいや、やっぱり阿佐田さんとは当時体力が違ったからねぇ。阿佐田さんはご病気だったし、1時間とか2時間しか集中できなかったみたいでね。逆にボクはもう寝なきゃ寝ないほど元気が出てくるし、彼も好きだから徹夜になっちゃうでしょ」

なるほど。ガソリンタンクの許容量と燃費の異常さ以外な部分で先生の強さの秘密について聞きたいんですが、文学だとか、たくさんのご興味だとか、動物との関係やなんかで学ばれたことって、先生の麻雀に生きてたりするんですか?

「ない(断言)」

おっとぉ……、いきなりブッた斬られちゃいましたが(苦笑)

「麻雀はね、学問とは違いますよ。それとは切り離した新たな小宇宙なんですよ。学問という分野の小宇宙、作家としてのボクの中にある小宇宙、ボクの中にある宇宙の中に点在する小宇宙のひとつですね」

つまり、畑正憲=宇宙であると?

「そういったことになりますね(きっぱり)」

なりますか!

「麻雀も学問もね、動物と同じで全身でぶつかっていって、相手と解け合わないとその本質なんてものは絶対に見えてこないんですよ。クマと接するのもゾウと接するのも、そこだけだったらもう同じでしょ?」

1歩間違えただけで“死”という危険キーワードといった点では遜色なく備わってますね。

「でも、相手をわかろうとすると、クマとゾウってやっぱり全然違うわけですし、理解し合えたらもっと違うんです。麻雀も同じ、大原理はちゃんとあるんですけど、打ち手によって全部が変わりますし、確実空間がない人為的空間なわけですよ」

ゆえに、相手の人間性なんかを知り尽くしていればいるほど勝てるという話があるわけですか?

「そんなものあるわけないでしょう(溜息まじりに)」

へ!?

「そんなのはね、中途半端な評論家やちょっと腕に自身がある傲慢なヤツに限ってそういうくだらない論理をひけらかすんです。『麻雀は人生と同じだ!』なんて、そんなもの同じわけがないでしょう。30年来いっしょに打ってる友人がいますけど、ボクは彼の人格は知っていますが彼の麻雀なんてわからないですから。複雑なゲームに対処する場合に、その人の性格が麻雀の複雑さの中に投影されるのなんてありえない」

ありえませんか……。

「物知り顔の麻雀論っていうものがボクは一番キラいなわけですよ。そういった人生論みたいなものと麻雀をいっしょにしないでほしい、してるヤツはアホですよ」
麻雀にそもそも“論”なんてものはないと?

「ないですね。運(以下、ツキ)の流れなんてモノはその瞬間その瞬間に違う。だからそのツキの流れを一度掴めば、そのままその流れで持ってけたりすることも多々あるんです」

ツキってものは存在するんですか?

「存在しますね。ツキをいかに自分のものにするかっていうのは、麻雀の大切な部分ですね」

ツキを手にする秘策みたいなもの、アドバイスみたいなことってありますか?

「やっぱり麻雀を愛さないとダメですよ。麻雀をバカにせず、自分を麻雀という存在よりも小さくして、地面に這いつくばって折れちゃうことですね」

麻雀に対して這いつくばれと!

「それを自然にできれさえすればツキはきますね。ツキをいかに自分のものにするかっていうのは、麻雀に限らずゲームの大切な部分ですし、自分の“小ささ”というものを常に意識して、人にバカにされようが、それさえも敬愛して前進していくという気持ちが大切です」

ツキを手にするってって難しいことなんですね……。麻雀以外の何事にもツキっていうものが存在すると思うのですが、何事にも麻雀に対する気持ちで接すれば、例えば人生のツキなんてものも掴めるものなんですかね?

「その何かを愛して続けてのめり込んでいれば道は近くなると思いますね。ボクには不思議なことがあるんですけど、人生において突然嬉しいことが舞い込んでくるって瞬間の前には必ず麻雀やギャンブルがダメになるんですよ」

ジンクスみたいなものですか?

「近いかもしれません。鮮明に覚えてる事例といえばね、あれは五反田だったかなぁ、もうどうにもならんのですよ。3順目くらいに切った牌でロンって言われるんですよ。リーチしても上がれないし、いつもの自分と違うんですよ。そしたらそこに電話かかってきて、ボクが書いた本が賞を取ったって報告で、それでボクは世に出たんですよ」

不思議な出来事ですね! 今もそれは続いているんですか?

「ありますね。不思議なホイッスルみたいなもので、何かこうボクの宇宙にあるたくさんの小宇宙と麻雀の小宇宙が化学反応を起こして、そういった作用があるんでしょうね」

先生の中にある数々の小宇宙がシンクロする瞬間にツキが落ちてくる?

「そうではないかと思ってます」

スゴい見解ですね! まさに勝負師といったところでしょうか。

「勝負という世界観でツキを手にするっていうのは大変ですよ。ボクはね、必ず一回は負けてあげるようにしてるんですよ。特に、碁は必ず一目負けるようにしてます」

なんでまたそんなカーロス・リベラみたいなことをやるんですか? あまり勝つと戦ってくれないとか?

「だって、ボクに一目でも勝ったってなったら、その人は嬉しくて記念になるじゃないですか」

ものスゴく上から目線ですね(苦笑)

「いや、でも負けるほうが勝つより難しいんですよ」

先手先手を逆に読んで、しかも相手に気付かれずにですもんね。

「麻雀ではかなり難しいですけど、碁であれば法則性がありますからね。麻雀は負けるように打つとボロ負けしちゃいますしなかなか難しいんですけどね。あなた、碁は打ちますか?」

いやぁ、親父と打つくらいですね。それも数十年前とか。

「ほほぉ、それで何段くらいなの?」

段位なんて持ってないですよ!

「例えばあなたとボクが碁を打つとするでしょ、もちろん500%ボクが勝ちますけども、そうするとその上からはもうツキって入らないでしょ」

一瞬の負けは新たなツキを呼び込むきっかけになると?

「その通りです。ボクはね、ツキを呼び込むことに関しては一流ですから、小額ではありますけど世界中のカジノでギャンブルをして、いまだに不敗ですからね」

ふ、不敗ですか!!

「ポーカーとかバカラとかなんでもやりますけど、いまだに負けたことがないですね。もちろん、麻雀でのツキの法則とはゲームもルールも全然違うわけで、そこも違うんですけど、本質は同じですし、異なるゲームで知り得たものは麻雀でも生きますし、麻雀の実態がよりよくわかってくるんですよ」

全ては麻雀に通じるわけですね!

「花札なんかもそうですね。 昔、花札はボクの必需品でね、とにかく携帯性がいいものだから、何日も持ち歩いたりしてましたね。もう何セットくらい擦り切れてボロボロにしかたはわかりませんね。擦り切れちゃうんですよ(苦笑)」

花札を擦り切れるまでやるってスゴいですね。

「花札にはお世話になりましたよ、会社員時代、社員旅行で温泉旅行に行ったりするでしょ、でもボクは温泉なんかに入ったことがない」

温泉には入らずに花札をやってる?

「花札のときもありますし、麻雀のときもありますね。もう温泉地に着いたらすぐ卓を囲んで、3泊4日とか、全部打ってますね。麻雀で警察沙汰にもなったことがありますし」

麻雀で警察沙汰ってどういうことですか?

「仲間と雀荘に麻雀打ちに行ったんですけど、ボクも含めて全員家に連絡をいれてなかったんですよ。で、3日目に捜索願が出されちゃって」

雀荘で発見みたいな?

「そうそう。あれにはさすがにまいったねぇ。ボクはね、破滅型の人間なんですよ」

破滅型の人間とは?

「やっぱりね、明日死ぬかもしれないっていうギリギリなところで勝負してきましたから、麻雀ひとつとってもそこまでしないとね、それでなきゃここまでやってこれなかったと思うんです。例えばね、ゾウを知りたいとするでしょ? そうとなったらゾウといっしょに過ごさなきゃいけない。それってもう命懸けですよ」

ゾウと生活をするわけですもんね。

「いっしょに寝てて、ボクが寝てる方に寝返りなんてされたら一発でアウトですからね。ボクのやったことはほぼ全てが命懸けでしたよ、やりたいことをやっているときは生に気を配らないし、好きな仕事をしようと思ったら命のことはまったく考えません」

そんなこと考えたら逆に仕事にならない?

「なりませんね。例えばね、マラリアが蔓延している地域で仕事ってなってもね、ボクはマラリアの予防接種なんて体に入れない」

マラリア持ってる蚊に刺されたら一発でアウトじゃないですか!

「その地域を学ぶためにはそこでの生活知らなきゃいけないですし、かかってもかまわないって気持ちがありますから。コレラが蔓延してるところにでも予防接種なんてしません」

それは命懸けというより無茶なんでは?

「よく言われますよ。インドの最下層の人たちと過ごしたときもね、その人たちって家もないし、何を食べているかというと、そのへんにいるネズミを捕まえて食べてるんですよ。その人たちと暮らしてごらんなさいよ」

「ごらんなさいよ」って言われてもなぁ……。

「ボクなんて30日間過ごしたんですよ。もうあらゆる人がボクのシャツやベルトを掴んで『ダメです』って、『行ってもいいですけど、彼らと同じものを食べたり飲んだりしちゃダメですよ』って言うんですよ。たしかにそうですよ、インドの生水、あんた飲めるかい?」



インドの生水はちょっとキツいですねぇ……。

「でしょ、速攻でお腹を壊しますよ。でも、そこの人は普通に飲んでるわけですし、ネズミも食べているからね。ボクはそこのところは絶対に妥協しないですし、生水やネズミを食べて、それでお腹を壊して死ぬことになったらそれはそれでいいんです」

学び知るためには何が起きてもそれはそれでしょうがないと?

「やけっぱちの捨て身と押さえようがない惚れ込みが同時にボクの中で起きるんですよ。あなたね、一度ゾウと水浴び場でいっしょに遊んでごらんなさいよ!」

いや、だから「ごらんなさいよ!」って言われましても(苦笑)

「ゾウと本気で付き合おうとすると、遊んだりもしないとダメなんですよ。でね、水浴び場なんて、ゾウの糞や尿、その他の動物の糞や尿、他いろんなもんが混ざった水の中に入るんだよ。しかもそれを頭からかぶったり、口にももちろんガバガバ入ってくるし、もうものスゴい下痢ですよ」

……。よくやりますねとしか返答しようがないですね。心が折れたりしないんですか?

「『こんちくしょう!』って思って気合いでね。ただそんな生活も100日が経つとお腹も壊さなくなるし、慣れてくるんですよ」

慣れるもんですかね?

「じゃないとゾウの口の中に頭なんて入れられませんよ!ちょっと口を閉じられただけで終わりですよ。もうね、愛してるとかそういうのはとっくに超越してますよ、自分を捨てなきゃいけない。またそのゾウがねぇ、ゾウの中には人を何人殺したとかなんとかっていうのがザラにいるんですよ」

わちゃぁ、なんかライオンとかクマとかそういうのよりはゾウって優しそうだしわかりあえそうな気がするんですけど。

「わかってくれるなんて冗談じゃない! どのくらい怖いか知ってて言ってますか?」

知りようがないじゃないですか(汗)

「彼らってもうホントに凄まじいんですから。ボクは4年間暮らしましたけど、なんだったら5日間くらい過ごされてみてはどうですか? ボクの気持ちがわかりますよ。動物大好きオジさんが何も考えずに動物の頭をなでなでしてるわけじゃないんですから。これ全部学問なんですよ」

動物を学ぶためにはしょうがないと?

「触ることによって感じる、知ることによって自分と感応する部分ができてくる。そのためにはこうなっちゃってもしょうがないんですよ(ライオンに食いちぎられた指を見せながら)」

あぁ……、説得力あり過ぎですねぇ。

「あの瞬間、ボクは全部食べられちゃってもいいと思いましたしね。そのくらい学びたい対象を好きになって、惚れ込んで、小宇宙を自分の手でかき混ぜて、前に進んでいかないと知ることなんてできないですし、“知る”を手にしなければツキなんて落ちてこないです」

壮絶な学問活動の中でも先生はご存命されてますもんね。

「まぁ体はボロボロですけど、死と隣り合わせの生き方をしていても、実際死んでませんからね。ボクがね、最も話が合わない人って動物好きの人なわけですよ。そういう人に限って、生き物の中の小宇宙、いや、大宇宙を肉体化してないんですよ」

ここまできて恐縮なのですが、さっぱりわからないのでご教授をお願いします。

「あのね、キミもご飯を食べるでしょ、 そのデンプンの構造式を書けるかい?」

書けるわけありません(きっぱり)。

「いいかい、デンプンというものは想像式じゃなくて、ひとつの立体として、CとOとHとが組み合わさってできている。それが体の中に入るだろ、するとそれがひとつひとつ分かれていって、細胞の中に入って、様々な遺伝子からの命令の中で、肉体の一部になっていく。ご飯を食べている時にそんなことを考えながら食べていると、命というものが実感できるでしょ?」

ご飯ひとつとってもそこまで考えて食べてみろと?

「考えるに値することを当たり前のように考える。それこそが学問のおもしろさなんですよ。水の分子式はH2Oだけど、その記号情報っていうのはただの知識なのね。H2Oの中でいったい何が起きているか、どんな風になって水になっているか、それを水を飲むことによって肉体化し、実感する。それが水を学ぶことなんですよ」

すべてにおいて実際に触れることこそが“学ぶ”の基本であると?

「その通りです。だからね、私は動物にも“触れて”きたんです。実際に動物に触れて『あ、興奮しているな』とか『何かにおびえているな』とかね。動物学を専門書だけで学んだ人になんて絶対にわかりませんよ。ちょっと、あなた手を貸してみなさいな」

(先生に手のひらや腕をサワサワとされながら)おぉ! これぞムツゴロウさんだ。なんだか動物になった気分ですよ(喜)

「こうね、実際に手のひらを触ってみて『ちょっと濡れてるな、これは興奮しているぞ』だとか、『冷たいなぁ、どこか悪いな』とか、『ちょっとはボクに心を開いてくれているな』とか、動物の心の部分がわかるんです」

なるほど。ちなみにボクの手を触って何か感じられました?(ワクワク)

「そうだねぇ、少々緊張してるみたいだけど、私の話を本気には聞いてないっぽいね。うん、まったく心を開いてない」

ちゃんと聞いてますよ! 麻雀も肉体化して学べば強くなりますかね?

「なりますね。初対面の相手でも、ふっと相手を肉体化して相手の打ち方を見てみると、自然と手の内や牌のあり方が透けて見えてくるんですよ。そうなったら麻雀はおもしろいですよ、普通は立体的な麻雀なんですけど、肉体化する努力をすれば、視覚では見えないものが見えてくるんです」

麻雀を肉体化すればそこまでになりますか!

「現にボクがそうですしね。麻雀も動物も同じです、その中に入っていかないことには本質はわからないんですよ。全身でぶつかっていかないとダメです」

今回は先生の強さの根源がわかったと思います。ボクも先生にぶつかっていきましたから!

「そんなこと言って、全然話を聞いてなかったじゃない(笑)」


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(・∀・): 102 | (・A・): 29

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