稲川淳二インタビュー2
2010/09/09 17:40 登録: えっちな名無しさん
── 今回も怪談についていろいろお聞かせいただきたいのですが、
もともと日本のそういう怪談文化というのは東洋の島国だから発生したと思われますか?
稲川:「ところがね、中国にもあるんですよ。
"牡丹灯籠" なんてもともと中国から来たもの。
でも日本でそういう文化が花開いたのはやっぱり島国の持つ感性なのかな。
というのもね、中国は椅子の文化でしょう。畳じゃない。
日本の畳を歩くすり足の音、それが近づいてくる感覚、
畳で寝る感覚ってやはり独特でしょう。
畳文化があるのは日本だけよ。そして一番わかりやすいのは屋敷の部屋。
今日は集まりがあるというと各部屋の襖をすべてとっぱらってひとつの大きな広間にできますよね。
で、襖をつけて閉めるとまた小さい部屋がいくつもできる。
これってすばらしい文化なんですよ。
その襖に耳をあてると隣の部屋の音が聞こえます。
病人が寝ているとその吐息まできちんと聞こえる。
寝息が聞こえると『あぁ落ち着いている。生きてる』とわかる。
本人を見なくても隣の部屋の様子が手にとるようにわかる。
他にも障子は閉まっており、その障子に陽射しがうっすら入ってくる。
お客さんが来られて部屋の旦那さんと話しをされているとき、
奥さんはどのタイミングで部屋に入ろうかなと悩むわけですよ。
その躊躇している姿が障子に影が映ります。
その影に気づいた旦那さんは『お入り』と言うでしょう。
こんな文化ね、世界中探してもないですよ。
影で部屋の外の様子を判断できるんだから。
見えてないけれど感じ取る文化なんです」
── 感覚文化ですね。
稲川:「欧州にも怪談の季節ってあるんですよ。
それが冬。寒い冬にさ、さらに寒くなっちゃうんだから、物好きだよね(笑)。
反対に日本は、怪談の季節を夏にもってきたでしょう。
これはおりこうさんですよ。
暑い時期に寒くなるものをあてるんだから。
理にかなっているでしょう。賢いのです。
私みたいに怪談話を商売にしている人もいたんだろうから、夏の長い日を利用するというのもあったんでしょうね。
夕方になるといい塩梅に日が暮れるし、涼しい風も吹き始めるしね。
昔は灯りがないですから、舞台で怪談話をするときは障子をしめて、
太陽の光を少し薄暗くしていたんだろうね。
夕方になると障子や幕を少しあげたりすることで、灯りの調整もできたし、困ることはなかった。
ほんと、各地にそういう文化があってみんな同じようにやっているんですよ。
ちょっと話がずれますけれど、宝塚歌劇団と同じかもしれませんね。
昔、宝塚は屋外で台詞舞台だったんですよ。
夏の蝉の声がうるさくて台詞が遠くまで聞こえないから歌に変えた。
すると舞台の隅々まで届いてお客さんは喜んだ。
知恵ですよ。各地の怪談舞台もそうだったんじゃないかな」
── "怪談"のなかでこれはというお話しありますか?
稲川:「日本の怪談のなかでも"耳無芳一の話"だけは絶品だと思います。
あのお話には有名な歴史が背景にあるじゃないですか。
源平の壇ノ浦の合戦。実際に大きな悲劇があった。
そんな舞台で芳一の物語は始まるんです。芳一なんてまだ少年僧ですよ。
しかも細く、白い肌で肋骨が見えるような体型。
しかも芳一は目が見えないですよね。
これね、昔からよく言われるシチュエーションなんだけど、
目が見えない、物が見えないことは言い方を変えると女性でも男性でもすごくエロチシズムなんです。
見えないということは手で触らないとわからないということですよね。
触れられるという世界。
しかも芳一は怨霊から逃れるために体に文字、お経を書かれるじゃないですか。
あの行為ってああいう状態が好きな人にとったらたまらないものですよ(笑)。
年のいったお坊さんが若い肌の少年を裸にして、白い肌に墨で字を書くんです。
いやらしい、エロイ世界です。
でも違う意味で表現するならば、美的な世界でもある、エロチシズムがあるんです。」
── おっと"耳無芳一の話"をそういう風に今まで見たことはありませんでした。
稲川:「ははは。それは一部のマニアのお話で、本質の話は、目の見えない芳一が闇のなかで琵琶を弾くでしょう。
本で読んでいるだけでもその琵琶の音が話を読んでいると聞こえてくるような感覚ありませんでしたか?
ベェェエンベベェエンというあの琵琶の音の響き。
そして甲冑の音がカシャンカシャンと聞こえ、闇のなかから黒い甲冑が現れるわけです。
芳一は、きらびやかな大広間で着飾った大勢の男女を前に琵琶を弾いていると思っている。
そして毎夜甲冑武者の亡霊が迎えに来る。
「芳一」って呼ばれてその場に連れていかれますよね。
でもいつも出かける芳一の様子がおかしいとついていった兄僧が見たものは、
墓石が倒れた場で渦を巻いて飛び交う火の玉のなか、琵琶を弾き続ける芳一の姿だったわけです。
── もうそのシーンは子供ながらに泣きそうでした。
稲川:「火の玉の灯りと芳一の影、灯りの強弱と闇とのバランス。
そして音と無の世界。実際そんな場面を見たら大の大人でも卒倒しちゃいますよ。
でも芳一は大広間で大勢の人を前に琵琶を弾いているとしか思っていない。
それは錯覚なんだけどその差の怖さがそこにある。
狂気と美しさと甘美なものが合わさった世界が“耳無芳一の話”のお話なんです。
あれは凄い物語ですよ。
子供のとき読み始めてずぅうっとゾクッとしたもん。
あんな世界を書ける日本ってやはり凄い場所なんですよ。
"黒髪"というお話もそうですね。どこか甘美でエロチシズムがある」
─ "怪談"には色気と狂気が重なっているというわけですね。
稲川:「よく"四谷怪談" が舞台化されたりしますね。
ほとんどあの舞台は夏のイメージでしょう。
お岩さんの命日は夏だと言われています。蚊帳があって、ピーと虫笛がなってという舞台も多い。
でも本当のお岩さんの命日は2月22日なんですよ。聖徳太子と同じ。
ニャンニャンニャンの猫の日じゃないですよ(笑)。寒い冬の日なんです」
── 冬なんですか? それがなんでまた夏に?
稲川:「四谷とかお茶の水は水が豊富だったんですよ。
江戸が水の都と言われていたとおり、とにかく水がとにかく綺麗だった。
"四谷怪談"のお話しはまず雪が降って、真っ白になった一面の風景からはじまるんです。
そこにね水路があるの。
そこでみんなお米とか野菜を洗ったりするんだけど、そこに白い布をかけてるんです。
そしてその白い布には墨で"岩"と書かれてある。
それは何の儀式かと言うと、通りがかりの人が柄杓で水路の水をすくって、
その白い布に書かれた"岩"という文字にかけるんです。
その字が消えたときお岩さんがきちんと昇天するというものなんですよ。
本当はここから始まるんですよ。
ところがどうしてもみんな怖いお話しのほうから始めようとしてしまう。
その前にある美しい世界を無視しているんです。もったいないでしょう。
お岩さんに対しても失礼だよ。本当にその世界は綺麗。全部白いもん。
唯一ある色が黒で"岩"と書いてあるだけ。水に吸い込まれていく雪。
お岩さんもね、色が白くて綺麗なんですよ。日本の美の最高峰だと思いますよ。
ただ四谷怪談のストーリーは武家の娘だったり、町人だったりと多様なんですがね」
── なんで命日が夏と言われているんですか?
稲川:「7月18日が命日と言うのは伊右衛門が結婚する日なんです」
── でもアメリカの映画のホラーとは全く真逆な世界ですね。
同じように怖い出来事がおこるのに。
稲川:「一緒じゃないでしょう、怖さは。
アメリカのグロテスクな血がドバァっと出たり、目が飛び出たり、
鳥がたくさん出てきて襲ってくるシーンは怖いけど気持ち悪いでしょう?」
── 気持ち悪い。
稲川:「怖いけど魅入られるのが日本の怪談なんですよ。
やっぱり魂の部分があるからでしょうね。
その魂がわからないと怪談の真の内容は理解できないんですよ。
たぶん外国人には難しいでしょう。
でも、最近私の怪談ツアーに外国の方の参加が増えてきたんですよ。
わかるの? と聞くと、わかると言う。
よくよく聞いてみたら、その人は日本生まれの方だったの。
最近さ、外国生まれの日本人と日本生まれの外国人の違いがよくわかるようになったのね。
前者は国籍や血筋は日本人でも考え方は外国。
そして後者は国籍血筋は外国人でも日本人の感覚を持っているの。
生まれ育ったのが日本だとその後外国へ戻っても"怪談"がきちんと理解できているんですよ。
やっぱり、怪談を知る感覚は日本にあるんですよ」
── じゃあ日本で生まれ育った私達のどこかに必ずあるものなんですよね。
稲川:「そう。日本の文化に触れて成長したことで"怪談"の感覚がきちんと体のなかに刻まれているんですよ。
向こうで生まれて大きくなって戻ってきた人は日本人なのに外国人になってる。
可哀想だよね。
じわじわとくる怖さ、あやしさ、摩訶不思議さを察知する能力がないんですよ。
私なんかから言えば、人生損しているよ」
── すぐに怖さを求める、アメリカ式はもう時代遅れということ?
稲川:「いや、アメリカにもいいお話しあるんですよ」
── どういう内容ですか?
稲川:「空軍パイロットがクリスマス休暇にモスキートという軽量の爆撃機で古里に帰るんですが、
自分の目指す飛行場へのコースから外れてしまう。
やがて濃い霧の間から一瞬滑走路の灯りが見えた。
でもその場所は自分が降りる空港の位置と違うんです。
計器の間違いかなと思っていると、遠くからブゥウウンとプロペラ音が聞こえてきた。
見ると同じモスキートの飛行機がすぐ傍を飛んでるわけですよ。
すると向こうの飛行機が羽で合図をしてくる、ついてこいって。
その案内に従って飛んで無事飛行場に到着すると、案内してくれた飛行機はそのまま飛んでいっちゃった。
無事ついてよかったとパイロットが安心したとき、ジープが来て、乗せてもらった。
運転手の親父は『ここは空港じゃない、昔軍隊が使った飛行場だけど、今は使われていない』と言うのね。
『たまに間違う奴がいるから、私は滑走路に灯りを焚いておくんだ』と親父は言う。
そりゃ助かったと感謝して親父の家で休んでいたの。
そこで、さっき誘導してくれた飛行機のことを親父に言ったのさ。
『助けてくれた人がいるんだよ』って。親父は『どんな人だった?』と聞くのね。
すると親父の後ろに写真があって、先ほど誘導してくれた人の顔がそこにあったの。
『あ、その人だよその人』って指さすと、親父は懐かしそうに言うの
『ああ、この人は今も助けてるんだ。この人は昔有名な戦闘機乗りでまだ戻っていない仲間がいたら飛行機で迎えにいっていた』と言うの。
『みんな彼が連れて帰り守ってくれた。
でも最後の飛行機を助けたとき、彼だけ戻らなかった。今でも彼は助けてるんだ』
と言ったとき、飛行機のプロペラの音がブゥウウンと聞こえるの。
いい話でしょう。
これはミステリー作家のフレデリック・フォーサイスの怪談ですがね」
── 怖いというより、ほのぼのくる温かいお話しですね。
稲川:「ヨーロッパにもあるんですよ。
心が繋がってる、その話に心があると怪談で、心が枯れてると、単なるホラーにしかならないんですよ」
── でも"怪談"にはやはり怖い内容のものもありますよね。
稲川:「そうそう座敷わらしとか開かずの間とかね。
怖いですよ。それは実際にあった出来事がお話になっているからなんです。
例えば、『カラスが鳴くから帰ろう』という童歌ありますね。
カラスが鳴いても帰らないとカッパに足をとられて川にひきずりこまれてしまうと言いますね。
まあ、実際にカッパにいたずらされたと言う地方のおじさんもいますよ。
確かにあるのかもしれない。
でも、昔の絵を見ると昼は川のあたりで人間の子が集まって遊んでいるんですよ。
で、草むらなどでカッパの子が見てるんですよ。
カラスが鳴いて人間の子が帰ると、カッパの子がひとりで遊ぶんです。
もうひとつは日がだいぶ傾いているのに子供が遊んでる。
それが長い影になっているんだけど、4つあるうちの1つはカッパの子供なんです。
でも本当はカッパじゃないんです。
体に障害のある子や知恵●れと言われた子が遊ぶために世間の常識としてカラスが鳴いたらそこから遊びなよという思いやりなんですよ」
── 思いやりの気持ちなんですね。
稲川:「民話や怪談で現代の人が勘違いしているのが座敷わらしとか開かずの間。
元々の開かずの間というのは部屋が1個じゃないんですよ。
開かない部屋という意味じゃないんですよ。
新潟にね、あるお屋敷があるんです。
どれくらいの部屋数がお屋敷にあるんですか? と聞いてみると、私達も数えたことがないというのよ。
部屋と部屋が繋がってるからわからない。
だからいまだに68か74なのかわからないんですって。
じゃあ、部屋をいくつ使ってるんですか? と聞くと、
おじいちゃんおばあちゃんの部屋、お父さんお母さんの部屋、子供の部屋、
その他諸々、お手伝いの部屋などでせいぜい使うのは10部屋。
だからそんなに使わないと言う。で、聞いたわけですよ。
そのなかに開かずの間ってあるんですか? って。
すると『使わない部屋が全部開かずの間です』って言われた。
でもこの話はね、地方の多くの部屋を持つ屋敷でも同じような話しがあったんですよ」
── 開かずの間の共通ルールということですね。
稲川:「昔、●●●●に使われていた部屋が開かずの間でもあったわけなんです。
長男に子供ができないとその家は滅びると言われたでしょう。
よく考えてみて、嫁って女偏に家と書くでしょう。
長男に子種が無くて、子供ができないとおばあさんやお母さんが嫁にこっそりと何時になったら枕を持ってこの部屋にいけって言うんですよ。
枕だけ持ってと言うのは灯りは持つなということ。
嫁は言われたとおり部屋に向かうんです。部屋を開けたらなかにいるんですよ。
男の人が。全くの闇の中、相手の顔は見えない。
そこで男女の関係があって子ができる。
長男はそんな事は知らない。女だけが知っている秘密。
嫁が子供の産めない体だと離縁されますからね」
── グッ、ぐろすぎます!
稲川:「豪商の家には冬になると近隣の女連中が屋敷の手伝いに来る。
その屋敷には位のある男性も泊まりに来るんですよ。
そこでお手伝いの女に手をつけてしまい子供ができてしまうことも多かった。
生まれた子が男の子だったらそのまま屋敷がとりあげてしまうこともあったそうですよ。
女には金を与えて追い出す。
そしてその子が成長して屋敷内を走り回っていると、
遊びにきた人が『あれ? 見かけない子だね』と言うと屋敷の人は『あれは座敷わらし』と言うんですよ。
そう言われるとその話はそこまで。
今後その子のことは聞いちゃいけないんです。
── え……無視されるということなんですか?
稲川:「座敷わらし伝説はいろいろあるんですよ。
干ばつや飢饉で両親を亡くした子を村全体で育ててくれる話もそう。
一見面倒見のいい話しに聞こえるでしょう。
でもね、その面倒を見る子を自分の子として可愛がるんじゃなく、
家の用事や仕事を手伝わせる働き手として見てるの。
子どもが成人するまでとことんこき使う。10歳だから子守りができる、1
2歳は野良仕事ができる、15歳だから山仕事などに使えるとね。
ひとつの家の仕事が終わったら次の家に行く、同じ事の繰り返し。
次々と使いまわしされる。ほら、座敷わらしのいる家は繁盛するという噂、あるでしょう。
あれはお給金を払わずともなんでも役にたつ子という意味なんですよ」
── 強制労働! 可哀想すぎる。
稲川:「でもさ、お互い理に適っているのかもしれないよ。
村って年寄りからどんどん死んでいくでしょう。働き手はいくらでも必要なの。
だから子供が成人するまで面倒みるということで孤児やわけあり子を預かる。
座敷わらしと言われた子はとにかく大人になるまで食事と寝るところの心配はいらない
。飢え死にすることがない。
座敷わらしがいる家が繁盛するという伝説の種はそういうことなんです」
── なんかロマンがないな。厳しい現実。
稲川:「座敷わらしは大人になるまで名前がない。
だからそこにいるのに存在していないことになる。
家族が座敷でご飯食べていても、座敷わらしは土間でご飯を食べるしかない。
食べたら働く。3ヶ月くらいたったら次の家という風にローテーションしている。
たらい回しね。で、座敷わらしのいると言われる地方にの実話はほとんどそうだよ。
"この村には子どもが6人いる。でも数えたら7人いた。
みんな知ってる顔だ"という言葉が残っているんですよ。
そうなんですよ。一人は座敷わらしなんですよね」
── 知っていても知らんぷりするということですね。
稲川:「絶対覗いてはいけない世界と心がある事実。
"怪談"には必ずそれがあるんです。タブーの世界も怖い部分があるけれど、
それ以上になにかある。」
── なにですか?
稲川:「そこには、人への思いやりとか、教えもあったんですよ。
別に“怪談”で教えはなくたっていいんですが、
ただ、『こういうことすると、こういう目に遭いますよ』なんてことをきっちり教えているでしょう。
怪談はあくまでも怪談ですから、別に難しい勉強はしなくてもいいんですけどね」
── 先人からの教え、メッセージですね。
稲川:「そうだね。
そういうものだから今も残っているのだろうしね。
怪談には怪談の背筋がゾッと寒くなるような震えるような、
汗がジトーッとにじむような怖さが、いつの間にか快感に変わる魅力というのかなあ。
そういう心地よさがある。だからこそ娯楽として成立したと思いますよ」
── じゃあ、今後は快感が出てくる怪談の語り部をますます突き進んでいかれるんですね。
稲川:「昔ながらの味わいのある話や怪談をやりたいと本当に最近改めて思いますよ。
だから毎年各地に怪談ツアーで出かけるときに、その地に潜む怪談の持つ魅力を探っているんですから。
もっと怖い"怪談"があなたの傍にあるかもしれない。
そんな情報があったら、すぐに私に教えてくださいね。
出典:拾い物
リンク:拾い物

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