情けは人のためならず

2010/10/17 13:49 登録: えっちな名無しさん

今の世の中、他人に対する親切や好意というものは、何か嘘臭いものだと感じていた。24時間テレビを見ても偽善にしか感じなかったし、若者が老人に席を譲る行為も白々しいように感じていた。何よりも、自分自身が他人に親切をする際、心のどこかで何か見返りを期待するような打算的な気持ちがあることを理解していた。だから、世の中には無償の愛や心からの親切などというものは幻想に過ぎないと思っていた。

しかし、今考えると、詐欺師が基本的に他人を信じられないというのと同じで、そのレベルの人間は、そのレベルでしか人を見ることができないということなのだろう。そんな私の考えを打ち破ったのがAだった。

Aは私の1コ下で、会社の後輩だった。入社当初の第一印象は、温厚ゴリマッチョだった。彼は技術職で即戦力だったが、その働きぶりは別格だった。問題は、私とAが所属している部署の係長だった。使えないくせに、上司へのゴマすりと部下へのパワハラの技術は一流だった。仕事は部下に押し付け、手柄だけは自分がいただくというパターンに、心底うんざりさせられていた。

ある時、我々の部署に社運を賭けた一大プロジェクトが任された。それが大成功を収め、プロジェクトリーダーだった係長はその功績を認められ、関連会社に栄転することになった。

実は、その成功のほとんどがAによるものだった。係長によると、使えない新人を自分の手腕でそこそこ使えるようにしてやったということだったが。結局、足を引っ張ることしかせず、何ら成功に向けて貢献もしなかった係長が賞賛を一身に浴びていた。旦那の頑張りを知っていたのは私くらいだったので、皆係長の話を信じ込んでいた。

一緒に愚痴ろうとAを誘い、飲みに行ったところ、Aは全然悔しがっていなかった。「あんなヤローに手柄をと横取りされて悔しくないの!?」と言ったところ、Aは「そんなことは正直どうでもいいんですよ。それよりも会社が成功して皆が喜んでいることが嬉しいんですよ。僕は自分が褒められるよりも皆が喜ぶことの方が好きなんですよ。」という答えが返ってきた。

そんなAに私は興味を持つようになった。恋愛感情というよりも、彼の行動に関心があった。そして、いくつか彼の行動に共通点があることに気付いた。それは、自分の得にはならないが他の人々のためになるようなことを、他人が気付かないところでやっているということだった。正直その頃はストーカーに近かったかもしれない。気配を消してこっそり観察してわかったことだった。

ある日、Aにこう尋ねた。「なんでA君はあんなことしているの?それをしたからってA君には何の見返りもないし、しかも誰も見てないところでそんなことしても、誰もA君に感謝するわけでもないんだよ。一体何のためにそんなことするの?」

A君はニッコリと笑ってこう言った。「僕にメリットがあるからそうしてるんですよ。皆に喜んでもらうことが嬉しいんですよ。それが僕にとっての見返りみたいなものですよ。それに、他の人の役に立てるというのは、生きている中で最高の喜びだと思いますよ。まあ、それは自己満足かもしれませんね。自分がやりたいからやっているのだから、それには他人からの賞賛は不要なんですよ。それを求めたら動機がおかしくなって本末転倒になってしまいますからね。」

あれから2年経ち、元係長は化けの皮が剥がれ、社内外でトラブルを起こし、結局退職となったそうな。ありきたりだが、Aは私の伴侶となった。旦那に感化された私は、旦那と同じようなことをしてみた。「情けは人のためならず」ということわざは真理だと実感した。その動機が純粋であればあるほど、見返りを求めなくても、勝手に良いことがどんどん自分に起きるようになった。

今日、旦那にも今までにどんな良いことがあったか尋ねてみた。「一番良かったことは、私子と結婚できたことだよ」とやさしい笑顔で言われ、涙腺が崩壊した。萌えコピ読者の旦那にもわかるよう、投稿した次第です。旦那さん、ありがとう。


出典:今夜は
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