湘南平の鉄塔

2010/12/02 18:34 登録: えっちな名無しさん

夜の湾岸道路を、健介の車は西に向かってひた走っていた。
助手席の凉子は窓を開けて涼しい外の空気を気持ちよさそうに吸っていたが、
ふと不安そうな顔を健介に向けた。
「大丈夫なの?追いかけてくるんじゃない?」
「平気さ。こんなとこを走ってるなんて考えないだろうから」
凉子は小さく微笑んで、助手席に体を埋めた。
大学の同級生で共に青春を過ごした仲間である凉子。健介は心密かに彼女のことを思い続けていた。
凉子はそんな彼の気持ちを知ってか知らずか、無邪気に自分の秘密を彼に打ち明けた。
しかし彼女の告白は健介には全く受け入れがたいものだった。
健介はある決意を込めて彼女を半ば強引に連れ出し、自分の車に乗せたのである。
「凉子。今日こそ君に僕の本当の気持ちを伝えたい。僕は君を…」
横を見ると、凉子は助手席で小さな寝息を立てていた。
「眠ってしまったのかい、凉子」彼は車を停めると、抑えがたい悲しみを抱えたまま、
ゆっくりと凉子の首元に手を伸ばした。

車は目的地に向かって湾岸道路を走っている。
平塚を過ぎた辺りで、警察の検問に出会した。厚手のコートをまとった制服警官が、
赤色灯を回しながら健介の車を路肩に誘導する。
「大変失礼します。実は若い女性を拉致して車で逃走中の凶悪犯が、
こちら方面に向かっているという情報がありまして検問をしているのですが、
ご協力願えませんでしょうか」
彼はやれやれと思ったが、ともかくも警官の指示に抵抗はしなかった。
警官は一通り車内を見回したあと、助手席に目をやって「そちらは?」と尋ねた。
健介はここで警官から目をそらし、じっと前を見つめて呟くように答えた。「妻です」
「そうですか」警官はやや訝しそうな顔をしたが、すぐに悲しそうな表情に変わった。
「ご迷惑をおかけしました。どうぞお進み下さい」
バックミラーで見ると、警官たちが彼の車の方を見ながら何やら話しているのが目に入ったが、
失うもののない健介は大して気にも留めずに、目的地に向かって車を走らせた。

「さあ着いたよ、凉子」
健介は人影のまばらな場所に車を停めると、助手席の凉子を抱いて夜道を歩き出した。
辺りには数組のカップルが、二人で聖夜を過ごそうと身を寄せ合っている。
彼らを横目に見ながら健介は、凉子を抱きかかえたまま美しい夜景の見下ろせる高台までやってきた。
健介の目からは涙が一滴こぼれ落ちる。と同時に一人の男がいつの間にか彼の後ろに立っていた。
「田中さん、まさか追ってきたんですか」
「いえ別に。ただたぶんここにいらっしゃるだろうと思っていました」
田中と呼ばれた男はそう言うと、健介の腕に抱かれた凉子に目を落とした。
「亡くなられたんですね、凉子さん」

「僕はどうしても凉子の告白を受け入れることができなかったんです」
健介は夜景を見つめながら口を開いた。
「僕が凉子にプロポーズしようとしたまさにその時に告げられた事実。まったく、
なんてタイミングなんだと思いましたね」
「それで凉子さんをここに強引に連れてこようとしたんですね」
「最初に言い出したのは凉子です。ここの夜景が見たいって。ちょっと心配だったけど、
あの頃はまだ調子よかったから。でも、途中で凉子が意識を失ったので、
ここまで来ないで引き返したんです。凉子の病気のことを聞いていなかったら、
普通に眠ってるんじゃないかと思ったところです」
「元気そうに見えても、あの夏頃は相当病気が進んでいたんです。それで、
私が紹介状を書いて大学病院に転院された」
「その後しばらくは本当に元気にしていて、きっと凉子は治るんだと信じていました。
その頃、夏に言えなかったプロポーズをして凉子は受け入れてくれました。
彼女は正真正銘僕の妻です。でも命って何て儚いんでしょう。
あんなに元気だったのに、ほんの少し症状が進んだだけであっさり死んでしまうなんて」
健介は、白い布に包まれた白木の箱を愛おしそうに抱えながら、激しく嗚咽した。
田中医師はそっと健介の肩に手を置いて言った。
「凉子さんが、奥さんが私に話してくれたことがあります。
この湘南平の鉄塔に錠前をつけると大好きな人と永遠に結ばれると。凉子さんは、
おそらく病気になる前から、健介さん、あなたのことが大好きだったんですよ」

出典:2ch
リンク:2ch

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