薄汚い子猫

2010/12/14 17:00 登録: えっちな名無しさん

ほんの13年前になるかな・・・薄汚い子猫を姉ちゃんが拾ってきた。
黒と茶色の子猫だった。
第一印象は「猫か・・・犬が欲しいなぁ・・・」くらいのもんだったかな。

パイルドライバーとかやったりしたせいか、猫の性格はどんどん凶暴になっていった。
当時の俺は小学校3年生で、単純に生き物に対する配慮が足りなかったんだと思う。
だから猫は俺に近寄らなかったし、俺も引っ掻かれないように近寄らなかった。
父はいつも猫を可愛がっていたから、凶暴な猫も父だけには懐いていたみたいだ。

でも中学校2年生で父が亡くなる時に「ありがとうな。猫を頼む。」って言われてから、世話を焼くようになった。
最初は不信感が強いせいか、猫は全く近寄ってくれなかった。餌で釣ってみてもダメだった。
でも必死さが通じたのか、いつしか懐いてくれたんだ。
凶暴だと思っていた猫は、実は単なるツンデレだったのがわかるのはもう少し後の話。

それからは俺と猫との至福の時が過ぎていった。
寒い時は猫に抱きついて暖を取った。
暑い時も猫に抱きついてみたら汗が流れ出た。
勉強してる時は教科書の上に乗って勉強の邪魔をしてきた。
彼女が家に来るだけで1週間は触らせてくれなかった。
家で大けがをして動けない時には傍にいてくれた。
嬉しい時もイライラしている時も悲しい時も楽しい時も、いつも一緒にいてくれた。
お互いに近寄りもしなかったのに、いつしか一緒にいるのが当たり前で、一番楽しい時間になった。

でも県外の大学へ進学してしまったから、ほとんど会えなくなってしまったんだ。
俺の大学は某A省管轄の大学校という奴で、特に1学年にはほとんど時間がない。
分刻みのスケジュール、恐ろしい上級生、慣れない集団生活の中で、どんどん疲弊していった。
退校したいと思った。脱柵(いわゆる脱走)を考えたこともある。自殺すら選択肢の中にあった。
でもそんな中で、母からたまに送られてくる猫の写真だけが俺を支えてくれた。
校友会の合宿を除けば2週間にも満たない夏季休暇で、猫に会うことが俺の唯一の望みだったと思う。

休暇出発の号令が鳴り響いた時、俺の頭にあったのは猫の事だけだった。
学校を出たその足で新幹線に乗り、実家に帰った。
放し飼いをしているから、タイミングが悪ければ猫には会えないかもしれなかった。

でも家に着いて名前を呼んだら、今まで聞いたことがないような声を出しながら胸に飛び込んできた。
2種(真っ白な制服)が汚れるのも気にせず、抱き上げた。
今まで堪えてきた涙が溢れだしてきた。
猫は流れ落ちる俺の涙にパンチを打ってたけどね。

猫に会って、一緒に寝たことおかげか、ある程度回復した。
それからの長期休暇は猫に会うのが楽しみでしょうがなかった。

気付いたら4年生になって半年が過ぎていた。
まだ13歳、あと2年は大丈夫だと信じていた。

冬季定期訓練中、ふと携帯を見ると母からのメール。
いつもの体を心配する内容かと思って開くと、想像もしていなかった文面があった。

「猫が一昨日からほとんど動かない。水も飲まないし、口から血を出している。」

あれほど身の入らない訓練は初めてだったと思う。
今までの思い出が頭を駆け巡った。
我慢しても涙が流れ出た。
同期に心配されたけど、それに応える余裕もなかった。
猫の体に異変が起こっているのに、持ち場を離れられない自分を恨んだ。
これほどまでにこの大学に入ったことを悔やんだことは未だかつてなかった。

休憩時間中に母へ電話して、病院に連れていかせた。
診断結果が出るまでの時間は、今まで感じたことがない程の長さだった。

診断結果は「口内炎、脱水症状、糖尿病と腎臓病」。
とりあえずは持ち直すという診断で、入院することになった。
動物の治療には保険がない。
少ない年末手当を入院費に当ててもらった。
でも、元気な顔が見れそうでほっと胸を撫で下ろした。

土曜日になったら帰省することにした。
申請も出していなかった。
でもそんなことは関係なかった。
一日も早く猫の顔が見たかった。

土曜日、外出点検が終わると同時に学校を出た。
帰省費用は入院費用を出したせいで残り少ない年末手当を軽く吹っ飛ばすほどだった。

駅に着いた。動物病院に向かった。
猫は新生児が入るようなケースの中で眠っていた。
湿度・温度が完璧に管理されていたんだと思う。

声をかけた。反応がない。
もう一度声をかけた。やっぱり反応がない。
諦めず声をかけた。少しだけ顔を向けてくれた。
かすれた声で猫が鳴いた。

「にゃあ・・」

何て言ったんだろう。
猫の言葉はわからないよ。
夏季休暇に会った時の元気さは欠片も残ってなかった。
医者には黙って触ってみた。
いつのまにか、信じられないほど細くなってしまっていた。
涙が出そうになった。我慢した。
猫がつらいのを我慢しているのに、俺が泣くわけにはいかなかった。
思いが通じたのか、少し立ち上がって体の向きを直してくれた。
ちょっとだけ顔が見やすくなった。
母が言うには、入院前には動くことも出来なかったらしいので、それでも回復に向かっていると信じた。
「あと10日で冬季休暇だから、それまでに元気になってくれよ」
それだけ言って、病院を離れた。

日曜日は病院が休診なので、見舞いに行くことが出来なかった。
後ろ髪を引かれる思いだったが、帰校時刻が差し迫っている。
帰らなければならなかった。
帰りたくなかった。
ずっと猫を見ていたかった。

月曜日9時ごろ母からのメール。
退院したのかな?と思って開いて見ると、

「猫死んじゃった。日曜日の深夜に息を引き取ったらしい」

世界が崩れ落ちた。
卒業研究なんて全く手につかなかった。

でも、心のどこかで覚悟していたんだと思う。
不思議と涙は出なかった。

火葬して、家の仏壇にお骨を置いてもらうように頼んだ。

俺のエゴで入院させてしまったけど、死んでしまうなら家族に見送られて逝きたかったはず。
先週の木曜日の判断を未だに悔やんでいる。

でも、あと8日で冬季休暇。
とりあえず泣くのはお骨に線香をあげてからでも遅くないと思う。

最後に鳴いた時、猫は何て伝えたかったんだろう。
今でもわからないけど、天国にいるはずの猫に向けて俺が伝えたいことはただ一つ。

ありがとう。


出典:オリジナル
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