親の愛情

2011/01/08 13:30 登録: 。゚。゚<゚`Д´゚ >゚。゚ 。

私は去年、大学入学と共に上京し現在も一人暮らしをしています。
親の大反対のもとの一人暮らしでした。

うちの母はとにかく元気で、よく笑い、よく泣く人です。
一人暮らしを始めてから、毎日のように母はくだらない理由をつけては私に電話してきました。
「ちゃんとご飯食べてるの?」
「電気つけっぱなしで寝てない?」
「ちゃんと暖かくして寝てる?」
「事故には気をつけてね」
母からの電話の最後にはいつもこんなありきたりな言葉を言われ
耳タコだった私は、その言葉も母からの電話さえ煩わしく感じていました。
だから、母との電話ではいつもダルそうに、素っ気無く応対していると
「どうしたの?元気ないね。」
「何か嫌なことあった?」
と、母は毎度聞いてきました。
母が心配しているのは分かっていたつもりですが、返答するのも面倒に感じ、そう思う自分に対してまたイライラしていました。


そのうち大学生活に追われ、忙しくも充実した日々を送っていた私は、口うるさい母からの電話を無視するようになり時々しか出なくなりました。
6月に入った頃からか母からの電話の回数が減りました。
やっと、子離れできたか。
私は呑気にそんな風に捉えていました。
また、たまにかける自分から母への電話が繋がらなくなり、一方的に時々、決まった時間に母からの電話がくるようになりました。
今、思えば明らかにおかしいのに、特に母に変わった所が無いので当時の私は何の疑問にも持たず、ただ日々を過ごしていました。


6月の末にお金のことで母に連絡が取りたいのに、相変わらず母への電話は繋がらずしかも母からの電話も一切来ない日が続きました。

7月に入り、翌日の試験の勉強に必死になっていると、また同じ時間に母からの電話がかかってきました。
試験期間中で余計にピリピリしていた私は、イライラを前面に出して電話に出ました。
母はいつも通りへらへらとしていて、それがまた私の感にさわりました。
「何でこの前連絡つかなかったのよ!すごく困ったんだから。」
いつもよりも口調を強くして母に言いました。

「あー・・・ごめんねぇ・・・」
そう一言謝ると、母は黙ってしまいました。
少し置いてから、ひっ・・・ひっ・・・と母がしゃくりあげる声が聞こえてきました。
「は?どうしたの?」としか言えない私に母は告げました。
「・・・おかーさん・・・、ガンなんだってぇ・・・」
突然のことに目眩がしました。
お腹のあまりの痛さに病院に行き、検査やら何やらで忙しかったこと。
そして、子宮ガンだと分かったこと。
手術準備の為に色々忙しくて、連絡できなかったこと。
そして、何より私に心配をかけたくなかったこと。
でも、明日が手術で自分が死んじゃったら・・・と思うと怖くて怖くて、私に思わず電話をかけてしまったこと。
最近の母の行動を思い返し、何も気づかずにいた自分に無性に腹が立ちました。
その夜は勉強も手につかず、ずっと泣いてしまいました。
急に母がいなくなってしまうかもしれないと考えると、怖くて仕方ありませんでした。


翌日、試験のことなど頭になく私は朝1番の電車で母の入院している病院に向かいました。
母は病室でお隣のベットの方と楽しそうにお喋りしていました。
病室のドアの所でたたずむ私を見つけた母のあの時のマヌケ顔は一生忘れません。
そして、「何であんたがここにいるのよぉー試験はどうしたのよぉー」と顔をしわくちゃにして泣き出してしまいました。
私も化粧が落ちるのも忘れて、「母親が手術だってのに、試験を普通に受けられる娘がいるかぁー」と言うと、余計に泣いて二人で一緒に泣きました。

手術室へ運ばれる母を見送り、私は母のベットの脇に置いてあったノートを見つけました。
中には、入院してからの母の日記が綴られていました。
自分がガンで何よりも不安だったはずなのに、その日記には自分のことよりも娘を心配する文章の方が多かったのです。
それを読みながら、母の深い私への愛情にまた泣きました。

手術は成功し、幸いガンも良性だと判明し抗がん剤を打たずに済みました。
しばらく動けなかった母も今では元気に日常生活を送っています。
そして、最低でも1週間に1度は私から母に電話をかけるようにして、定期的に実家に帰るようにしています。

どうか、親の愛情を当たり前だと思わないでください。
いつだって親は子供のことを心配しています。
そして、子には心配をかけたくないと思っています。
何か少しでも様子が違うようなら、聞いてあげてください。

長文失礼しました。








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