誕生日とリニューアル

2011/02/09 16:52 登録: えっちな名無しさん

 7月1日は僕の52回目の誕生日だ。
 ブログと言われるずっと前、まだ個人サイトがホームページと言われていた時代から
ずっと僕はネット日記に誕生日のことを書いている。
 毎年、僕は「年を取る事に面白くなってくる」と書いている。
 
 今年も同じだ。去年まで、
いや4ヶ月前までの僕はまさか従業員100人を越える「企業」の社長になるとは思ってもみなかった。
5年前の僕は自分が痩せるとは思ってなかったし、
10年前の僕はまさか自分がベストセラーを書くとは思っていなかった。
 
 たしかに毎年、面白くなっている。
 
 20年前の僕?1990年7月、32才の僕は「ふしぎの海のナディア」を毎週NHKに納品することで頭がいっぱいだった。
その一ヶ月後に湾岸戦争が起きるとは夢にも思っていなかった。
 
 30年前の僕、22才の1980年7月。
前年のSFショーの赤字をようやっとバイトで返し終えたあたりで、翌年のSF大会DAICON?の準備と謀略の世界に生きていた。
数ヶ月後、庵野や山賀に出会うとは知らずに。
 
 40年前の僕、12才の1970年7月。
大阪万博の模様が連日報道されていた。
近くの高層アパート屋上から北の空に、千里丘陵に広がる未来都市を眺めた。
太陽の塔の顔がときおり反射で輝き、天気のいい日はオーストラリア館の太古の恐竜のようなシルエットが見えた。
 
 12才の頃は、早く21世紀が来ないかと毎日が息苦しかった。
子供のままでいるのがイヤで、日本も大阪も昭和も大嫌いだった。
 
 22才の頃は「誰でもない」のが辛かった。
SF大会を主催できるような立派なファンクラブに所属してるわけでもなく、
地方の無名なただのSFファン、チンピラでしかないことにずっと焦っていた。
 
 32才の頃は、アニメを作ってもしょせん著作権も続編も人のもの。
「作品を作らせてやる」という態度のスポンサーや局の偉いさんたちに、本当に嫌気がさしていた。
社内に帰ると仕事をさぼって遊ぶことしか考えてないスタッフたちが、それでも月末には給料だけは持って帰る。
こんな毎日に疲れ果てていた。
 
 42才の頃は、もう出版に行き詰まりを感じていた。

47才の頃には「もう生涯、大きい変化は起こらないのかも」とか、
なんとなく生きていければいいのかなぁ、とか考えていた。
 
 去年の今ごろは「ダイエットの次は何を書いたら売れるんだろうか?」と考えていた。
 
 それでも、子供の頃に比べたら20才や30才、40才の頃の方がずっと幸せだ。
しんどかったり、結果が思い通りにいかなかったりするけど、
全部自分で考えて自分で動ける。
結果は時の運。それまでの過程は好きなようにできる。
好きなようにやりたい。それだけが望みだったんだ。
 
「過程」を望む者は「結果」を求めるべきじゃない。
成功したい、という「結果」を求めるんだったら、過程は選ぶべきじゃない。
すなわち「好きなことをして」とか言っちゃダメだ。
「成功するに決まってること」をするべき。
たとえそれがどんなに面白くなくて意味のない仕事だとしても。
「過程」か「結果」か。人生は常に二択だと思う。
 
僕は「好きなように」やりたかった。つまり「過程」を選んだ。
だからいつも「結果」には振り回される。
まさか自分がアニメ会社作るとは!
まさか自分が東大で教鞭を執るとは!
まさか自分が「社員が給料を払う会社」作るとは!
 
月に一度、大阪芸大から学生レポートが送られてくる。
課題はあるけど自由欄や質問欄もあるので、毎月300人以上の18才〜22才の悩みや質問や焦りが目の前に広がっている。

「子供の頃に戻りたい」
「大人になってもいいことなんか一つもない」
「働きたくない」「誰も雇ってくれない」
 
そうかなぁ?逆だと思うぞ。
大学生の今が一番しんどい時期だ。
だって「やりたいこと」が何もやれないから。
遊びしかさせてもらえない。
もう充分、なんでもできる年齢なのにバイトしかできない。
自分の人生を自分で作れない。
そりゃしんどいと思う。だから逆なんだよ。
働いた方が楽だよ。好きな本でもオモチャでも買える。
好きな部屋に住んで、好きなものを食べて、
一日中部屋にこもっていても泊まり歩いても誰も文句を言わない。
子供には遊びしかない。
現実世界から隔離された遊園地のような「学校」という場所には、
当たり前だけど”自由”なんかない。
 
自由は「制限がない」ことじゃない。「制限を超える」ことが自由だ。

学校には自由なんかない。
制限が少なすぎるから自由を感じられる臨界量に達していないんだ。

実社会には制限が山のようにある。
だからこそ、それを飛び越えたりやり過ごしたり逃げたり、
という自由が楽しいんだと思う。
 
というわけで、僕は52才になった。
年齢という制限が、また僕を捕まえようとする。
それを越えたり逃げたりが、僕の自由だ。
ハッピーバースデー・トゥー・ミー
 
今日はここまで。
じゃ、また明日ね。


出典:オタキングex社長ブログ
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