お笑いウルトラリッチ

2011/02/19 14:25 登録: えっちな名無しさん

連載のタイトルは「ま、金ならあるし」だけど、僕は金持ちではない。

家も土地も持たない借家住まいだし経済的にはノーマルの範囲だ。
連載開始した頃はダイエット本のベストセラーであぶく銭が入ったけど、
正直に税金申請したので見事にそれもなくなった。

だから題名の理由は「金持ちでウハウハだから無駄遣いするぜ!」ではない。
「子供の頃欲しかったモノはだいたいなんでも買えるような大人になっっちゃったよね」
「買えるとなると、本当にそれが欲しいのかどうか、考えちゃうよね」とかイジイジ考えたい!

 これが本連載の企画主旨だ。

とまぁ、本当の金持ちにはこれまでの生涯ずっと縁遠かった僕だけど、
「お金持ち」にはず〜っと変わらぬ興味を抱いてきた。

”憧れ”ではない。”興味”だ。
彼らの珍しい生態が知りたい。
何を食べて何をして、そして何が幸せかを知りたい。

だって僕たちも「大人になって欲しいモノは買えるようになったけど、
幸せかどうかはビミョー」なんだよ。

だったら資産何十億、いや何兆円の彼らだって「幸せかどうかはビミョー」に違いない。
それがどのように「ビミョー」なのか?そこに僕の興味がある。

例えば、こち亀の中川君とか、ケロロ軍曹の桃花ちゃんなど
マンガやアニメに登場する大金持ち。

彼らの生活は興味深いけどまったくリアリティがない。
もちろんマンガだから極端に描かれてるだろう。でも、そこを割り引いても、
その裏や奥に真実味が感じられない。

ぶっちゃけ、「これ描いてるマンガ家さん、金持ちの生活知らないよね?」と思っちゃう。

 昔からマンガ家は金持ちの生活描写が不得意だった。

食卓に銀の盆、上にメロンやバナナを描いて、
となりに鶏の丸焼きとワイングラスを置いたら「金持ちの食事だ」と思っている。

笑っちゃいけない、本当なんだよ。

昭和の時代のマンガに出てくる金持ちの家なんて、
みんな朝食から「鶏の丸焼き&メロン」だったんだから!

 だから「ルパン三世 カリオストロの城」が公開された時、みんなびっくりしたんだ。
学習院大学を出た宮崎駿監督の初監督映画に出てきたカリオストロ公爵の食事では、
いきなりエッグスタンドに載ったゆで卵をエッグトッパー(半熟ゆで卵の上部を取り除く専用カッター)で切るところから始まる。

 え?貴族ってゆで卵、スプーンで食べるの?カラの周りの白身は?
ええ、残しちゃうの?もったいない!

 我ら貧乏な昭和のオタクたちがどんなに驚いたことか。
「カリオストロの城」は張り込み中にすするカップラーメンと、
貴族の食事を交互に見せることで強烈な階級差を意識させてくれた。

でも一番美味しそうなのは、
ルパンが転がり込んだ居酒屋で出されたミートボールパスタなんだけどね。

 やっぱ金持ち、面白い!そう思った僕は、新しい知り合いができるたびに
「知り合いに笑っちゃうぐらいの大金持ちいませんか?」と聞くことにしていた。

そしてつい先日、僕はジャックポットを引き当てた。
ロクに乗りもしないのにフェラーリ3台も持ってるような大バカ者がいるという。
しかも先方が対談まで望んでいる。やった!


ウルトラリッチの、そのバカらしい世界。
その素晴らしさ、その面白さはどう伝えればいいんだろう?

歴史上の逸話ならいろいろ聞くよ。

 中国の皇帝やベルサイユ宮殿の話とか、ロマノフ王朝の話とかそりゃ豪華なもんだ。
でもあれは「身分制度絶対時代」の豪華さでしょ?

つまり「お金があるから」ではなくて貴族だから王族だから偉い、
豪華な生活も当たり前、という世界だ。

今の僕たちが理解共感しようとしても難しい。
経済的な尺度で「すごいな」「うらやましいな」とか考えるのは、
江戸や鎌倉時代が「どれぐらい民主主義だったか」と考えてその文明度を測ろうとするぐらい愚かな行為だろう。

 米国の新聞王ハーストは、山一つに広がる屋敷、というより屋敷群、
ほとんどテーマパークみたいなところに住んでいた。
プールは数え切れないぐらい、動物園まであったという。

フランスのある大富豪はダッソー社に発注して、
同社戦闘機ミラージュのカナード翼(先尾翼)版というオリジナル機体を買ったそうだ。
国家防衛の最高機密、戦闘機が個人で買えるだけでも「ありえない」ほどの金と権力の証だろう。

でも、こういう逸話は正直ピンと来ない。もっと「わかる」話が聞きたいよね。

たとえば僕たちが考える金持ち、リッチとはどの程度を指すのか。
デパートで値札を気にせず買い物できる?

 ん、たしかに金持ちだ。デパートってびっくりするような毛皮とか売ってるからね。二〜三百万ぐらいかな?
あれを「あら素敵ね。週末のパーティーにちょうどいいかしら」とポンと買えるのは、
かなりのリッチに違いない。

先日、テレビの通販番組で超高級烏龍茶の紹介を見た。
ティーバックひとつで15万円。
中国・武夷山でとれる大紅袍という非常(中国語で超の意味)高級給烏龍茶で、
原木から取れるものだとオークションで20gが
二五〇万円で落札されるほどの逸品らしい。

そんなお茶を朝から飲む。
お茶漬けだってしちゃうかもしれない。
うむ、これまたリッチだ。

ブリキのおもちゃコレクターで有名な北原照久さんは湘南にお屋敷を持っている。
海辺に建つ瀟洒な洋館で、一階にはヨットを係留できる専用の屋内ドッグまである。
うむ、こりゃ本物のリッチに違いない。

先月、ホリエモンの愛称でおなじみの堀江貴文さんと対談した。
彼は一時、プライベートジェットを所有し、
そこでどんちゃん騒ぎをしながら世界中を飛び回ったという。
たぶんリッチなんだと思う。

・・・とここまで書いてきたけど、どうだろうか?

これがテレビ番組なら「すごい!」「夢ですね!」「庶民の憧れです!」
となるところだけど、なんだか僕はそう思わない。

いやいや、お金が嫌いとか、そういう話じゃないんだ。負け惜しみとかでもない。
でも、もっともっと、とんでもなくお金があっても、
やっぱり人間はでかい屋敷に住んで、三百万の毛皮着て、
プライベートジェットの後部座席でどんちゃん騒ぎした翌朝は、
荒れた胃腸を一杯一五万円の烏龍茶で和らげるんだろうか?

「いやいや、とんでもない!そんな奴、いないよ!」
と僕の目の前にいる男は笑った。

ヘンなキャラを見つけたら世界一の嗅覚を持つ男、水道橋博士の現在のイチオシ、
とんでもなくアヤシゲだけど、間違いなくスーパーリッチな男、ドクター苫米地。

ドクターだよ?
僕が知ってる限りドクターを自称するやつは100%怪しい。
だってその他はドクター中松とドクターペッパーだよ。
アヤシイ確率100%じゃん!




 貧しい時代はどうしても”数”にこだわる。
「お前、ファミコンソフト何本持ってる?」
「オレ8本!」
「へへ〜ん、オレ12本!」てなもんだ。

しかし、”数”が満たされると、次に人は”質”を競い出す。

「エロ画像データ?そんなの全部で何枚持ってるかとか、覚えてるはずねーよ!
あ、でもモノスゲーのこないだ落としたんだ」

ウルトラリッチ(超大金持ち)だって同じだろう。

「年収ウン千万」「ウン億円」とか”数”にこだわる段階をすぎると
「年収?そんなのわかんないよ」という世界に突入する。
その次の世界は「年収?ああ、経理担当者に聞いてくれたまえ」の世界になって、
ついには「年収?ゼロだよ。でも資産があるから」
というワケわかんない世界に突入する(らしい)。

だからといって人間性まで上品になるわけではない。
”数”で競うのをやめただけで”質”で競うのは人間、やめられない。

「この皿?昔から家にあるけど、値段なんかついてないよ。
そこらの骨董屋が見たらびっくりするだろうけど」

「こないだカレーパーティーやったよ。金なんか全然かけてないよ。
村上龍とか坂本龍一とかがウチの台所でカレー作ってみんなで喰っただけ」

うわぁ、イヤミな世界だよね。
では、さらにその先の世界はどうなっているのだろうか?

ある人は僕にこう訴えた。

「岡田さん、資本主義社会とは、資本家が消費者を洗脳して物を買わせる社会なんです。その結果、より資本家は金持ちになるんです!」

でもこの理論、ちょっとおかしい。

よりお金持ちになった資本家は、その金で何をするのか?
結局、増えたお金で”何か”を買うわけだ。
お金だけ増えても嬉しくないはずだからね。
お金持ちが買う”何か”には、それを作るメーカーが存在する。
なぜ資本家は”何か”が欲しいか?
このロジックでいくと「メーカーに洗脳されているから」になる。

なんじゃこりゃ。堂々巡りだ。

そう、僕たちの住んでる世界には最終的な「支配者」はいない。
「世界を裏から操る影の存在」もない。
「世界一の金持ち」はいるかもしれないけど、
その人だって「世界四番目の金持ち」しか持っていない人脈やコレクションをうらやましがり、
アイドルと付き合ってるお笑い芸人に嫉妬している。
それが僕たちの不思議な現実世界なんだ。

じゃあ、お金っていったいなんだろう?
ウルトラリッチはいったい何が幸福で、不幸なんだろうか?
そんな本質的な疑問に的確に答えてくれる人と対談することができた。
”天才”脳機能学者という肩書のドクター苫米地こと、苫米地英人氏だ。
知らない人はこの名前で検索すればいい。
まさに毀誉褒貶。普通の人なら評価するのにサジを投げちゃうような、アヤしくも面白い人だ。


金?日本で生活するんなら年収三千万が上限だよ。
それ以上は金があってもムダ」と言い切った。

ムダとは?その真意は?


「いまの日本人の年収ってどれぐらいだろう?」

「極端に多い人はのぞくと、まぁ年収三百万か四百万ぐらいじゃないですか?」

「うん、そのあたりだろうね。十倍あれば充分だよ。
そこまででだいたいの贅沢はできる。年収三千か四千万が一番効率いい”金持ち”だよ」

「効率がいい、ですか?」

「それ以上の贅沢するには、年収二億とか三億じゃ足りないよ。
もうヒトケタ上にならなきゃ」

「あ〜、それ言えますね」

「豪華客船ってあるじゃない?あれ、実は不動産なんだ。
一番小さい個室の分譲価格が一億円する。
ワンルームマンションみたいな狭い部屋だよ。
で、一億円の部屋を客船で買うような奴の年収が、まさか二〜三億程度のはずないじゃん?
十億はないと、年に一回乗るかどうかの船に部屋なんか買えないよ」

「で、買ったとしても一番小さな部屋なんですよね?」

「そうそう!だから世界中のいろんな別荘を移動する時の手段として、と割り切って一億の個室買ってるんだ。
『狭くてカッコ悪いけど、一億だったらこんなもんか』って文句言いながら(笑)」

「オレは一億しか出せない甲斐性なしだ、と(笑)」

「普通を越える贅沢って、こういう世界になっちゃうんだよ。
一億や二億、稼いでても意味ない。年収三千や四千万が一番効率がいい。
旅行でも食事でも、それぐらいあればなんでもできるはずだよ」

「たしかに、年収がヒトケタ億の人の話、よく聞くんですけどお金の使い方が下手ですよね。『使うために使う』になっちゃってる」

いやいや、とんでもない話になっちゃったわけ。
どんどん知らない世界の話になるので、ちょっと補足しよう。

 豪華客船というのは「移動手段」ではなくて「目的」だ。
その船に乗る=乗るための金が払えるような上流階級との交流、がその目的。
つまり毎日毎夜開かれるパーティーなどに出ないと乗ってる意味がない。

巨大な船でも人間関係は狭いから、同じ服は着るわけにいかない。
大量の衣装を持ち込むには広い部屋が必要で、
おまけに自室でパーティーを開くには広い船室や特注の料理も必要ということになる。
 
乗船料を払えばいい、
または船室を不動産として買えばいい、
というだけでは豪華客船は「体験するだけ」になってしまう。

使いこなすには相当以上の資産力が必要なのだ。

僕は昔から「金持ち」のエピソードが好きだった。
うらやましいとか、そういうわけじゃない。
まるで異世界をのぞいているかのような桁の違う話。
ある意味、「重力が地球の二十倍の世界では、生命はどういう進化をするか?」
というSFみたいに興味深かったのだ。

 僕に教えてくれる苫米地さんが、どれぐらい稼いでるかは知らない。

本人が言うには
「だってオレ、生まれた家が大金持ちだったんだもん」ということになる。

 父親が証券会社の社長、ということは先祖代々、日本財界のエスタブリッシュメントということだ。
子供の頃に遊びに行っていた、まるで親戚づきあいをしていた家族というのが、
あのロックフェラー一族。
遊んでくれていたのが現在の当主、デイヴィッド・ロックフェラー(シニア)というのだから呆れる他はない。

「以前オレが三菱地所に勤めてた時、丸の内に高層ビルを建てようとしたんだよ。
そしたらネタを嗅ぎつけた朝日新聞が、
『三菱地所は、丸の内をビルしかない死の墓場にしようとしている』というスクープ記事をぶちあげた。
墓場っぽいビルのイラストまでつけて。
で、こんなこと言われたらやりにくいなぁ、とデヴィット爺さんに愚痴言ったら、
『そりゃイカン。ちょっと待て、いますぐ電話してやる』と言い出した」

「朝日新聞にですか?」

「アメリカ大統領だよ!
大統領に頼んで日本国首相に説教させようとしてた。
朝日新聞を懲らしめてやりなさい、って」

「少年チャンピオンで連載してる格闘妄想暴走マンガ『グラップラー刃牙』で、そんなシーン見たことあるなぁ(笑)」

「もちろん、あわてて止めたけどね」

「内政干渉どころか、報道の自由をわきまえてないですね」

「悪気はないんだよ(笑)」

「悪気ないけど、バカですよね(笑)」

「子供の喧嘩に親が出るようなもんだよなぁ。
あの一族クラスが揉めたら、国家級の紛争か下手したら戦争になっちゃうんだよなぁ」


 もう呆れるほどのスケール感だ。
あんまり広がりすぎるとリアリティがなくなっちゃう。

 話の切り口を切り替えてみた。
僕が知りたいのは、あくまでウルトラリッチ、すなわち超金持ちの生活やディテールだ。

たとえば苫米地さんはフェラーリを、それも複数台持ってるという。
なんであんな故障ばっかりしてエアコンも効かず、
CDコンポやカーナビも取り付けられないような車を何台も持つのだろう?

貞本義行に言わせると、真のモータースポーツ好きは必ず「いじれる車」を買うという。

エンジンをいじったりサスペンションを調整したり、
ちょっとした不備や不調をいたわる。
馬を飼うのと同じく、車を毎日いたわり世話すること。それが車好きと言うのだ。

じゃあフェラーリを何台も持ってるこの男は、車好きなんだろうか?
それとも単に見せびらかしたいだけの「バカな大金持ち」なのか?
うっかり聞いた僕がバカだった。話は「フェラーリ地獄」に突入してしまった。


「苫米地さん、フェラーリ持ってるんですか?」

「うん、何台か持ってるよ」

出た、ウルトラリッチのセリフ。

単に「持ってる」じゃなくて「何台か」だよ。
この段階で僕は「何台持ってるか」を聞くのを止めた。
iPadだけ持ってるアスキー読者がいるはずない。
みんな、他の携帯やパソコンも持っていて、「なおかつ」iPadを持ってるに決まってる。同じくフェラーリだけ持ってるはずがない。
他にも国産車や外車、ベンツとか当たり前にあるだろうから「フェラーリ三台」なんだろう。

「なんで三台も?」

「岡田さん、あなたフェラーリについてなにを知ってるの?」

「サーキットの狼とか?」

 苫米地さんはここからたっぷり30分、
フェラーリの美しさや思想性の高さ、おまけに「俺様へのお似合い度」について語り出した。

正直、その時の僕は夏休み前の朝礼で校長のお説教を聞く気分だ。
あ〜地雷踏んじゃったなぁ。エラいこと聞いちゃったよ。

しかし無類のモータースポーツマニアにして世界的キャラデザイナー貞本義行に言わせると、
「本当の車好き」はフェラーリを選ばないという。

車好き=メカニック好きであるべき、が彼の持論だ。
自分の手や顔をオイルで汚してサスやエンジンの調整を厭わない者こそ真の車好きである。
貞本の論理は単純で美しく、それを聞いた時の僕は素直に感動した。

「フェラーリもポルシェも、自分でエンジンをいじる車じゃないんです。
乗れば早いしドライブは楽しいけど、一緒に苦楽を共に出来ない。
”見栄えのいい彼女”だけど、生涯を共にする女房じゃないんですよ」

「そんなもんかねぇ」

「真宏(前田真宏)なんかバイクのエンジン、アパートの風呂場でバラしてシリンダー調整したんですよ。
もうあの風呂、油臭くて入れませんよ。
でも真宏にとってのバイクとは、
エンジンをバラしてまた組み立ててあげるような存在なんです。
それがバイク乗りです」

 僕はこの話をかいつまんで苫米地さんに話した。
すると彼はひと言。
「だってコーンズが『触るな』って言うんだもん」

 なるほど。コーンズモーターとは日本のフェラーリ代理店だ。
芸術品の域にまですべてを調整したフェラーリにとって
「エンジンをバラして自分で調整する」なんて余計なお世話なんだろう。

苫米地さんの話は
「とりあえず欲しくて買った一台目のフェラーリ」
「買うしかなかった二台目のフェラーリ」
「すべてのフェラーリ好きが行き着くに違いない三台目のフェラーリ」へと続く。

なんだかパソコンマニア、それもAPPLEファンの話を聞いてるようだ。
そういえば自作派にはAPPLE嫌い多いよね。

そうか、貞本君と苫米地さんの差はパソコン自作派とAPPLEファンの違いなんだ。
おもわず一人納得してしまったけど、ちょっと待て。
申し訳ないけどフェラーリはどうでもいい。
僕はウルトラリッチの話を聞きたいんだ!

「自家用ジェット、持ってますか?」
「ヘリなら買ったよ」
ヘリなら、ですか・・・。


 フェラーリを何台か所有する苫米地さんは、まちがいなく”大金持ち”だ。
その彼が「日本で生活するんだったら、年収三〜四千万円もあれば充分」と言う。
「それ以上持っていても、あんまりいいことない」
 これは、僕も前々から感じていたことだ。
たとえば、評判の3Dテレビで考えてみよう。

 いま、3Dテレビを買える人はお金持ちだ。
では彼らは3DTVでしか見られない、すごくおもしろい番組を見てるだろうか?
僕たち貧乏人は2Dでつまらない番組だけを見せられているだろうか?
 いや、そうじゃない。
テレビでオンエアされている番組は、ほとんどが2Dだ。
面白い番組や人気番組も、当たり前だけど2D。
僕が毎週見ている「タモリ倶楽部」や「探偵ナイトスクープ!」だって
3Dになる様子はない。

3D放送されているのは映像が美しいのがウリの限定した番組ばかりだ。
それでも、どうしても3D番組が見たかったら?量販店の店頭で見ればいい。
金持ちと貧乏の差は「3D番組を自宅で見るか、店頭で見るか」だけ。

もし3Dで面白い番組が続々と登場したら?
そんな時代が来たら、きっとあっというまに3Dテレビは普及して、
今の普通のテレビ並みに価格は下がるだろう。
毎日自宅でゆっくり見たい!と思わせるほど3D番組が充実する頃には、
きっと3Dテレビだって五万円を切ってるに違いない。

本や漫画もそうだ。
金持ちはネット書店で一気に注文し、家でゆっくり読む。
貧乏人はブックオフをハシゴしながら、安く手に入れたり、立ち読みする。
どっちも読書の楽しみは同じだ。

どんなに巨額な収入差があっても、得られる楽しさに大きな差は生まれないのだ。
価値があるものほど、安くなる。

iPhoneやiPadも同じだ。
発売されたばかりの時代、iPhoneを持っていることはステイタス・シンボルだった。
でも今では大学生が当たり前のように持っている。
当初は高価でセレブ御用達に見えても、本当に人気があれば数年もせず安くなる。
神田うのがハネムーンに行ったドバイなんて、いまや十万円からあるもんね。

アニメを見たらよくわかるよ。
ジブリなど本当に人気のある作品はテレビ放映される。
メジャーな人気のない作品はブルーレイなどで発売されてテレビでは流れないんだ。
3Dテレビは、もっとコンテンツが面白くなる頃に安くなる。
中途半端な人気のアニメは有料で、人気爆発のアニメは無料で放送される。
つまり「面白い=安い」「人気がある=無料」なのだ。
これがフリーミアム世界の本質だ。

こんなFREEな時代に、”お金持ち”である意味って果たしてなんだろうか?
僕たちが無料で楽しめるソフトを先行で有料試験してくれるボランティアの人たち?僕にはそう思えて仕方ない。金持ちか貧乏かは立場や身分じゃなくて”役割”にすぎない。
最近、僕はそう考えてしまうのだ。

おっと、話がそれた。苫米地さんから自家用ジェットとヘリの話を聞こう。



「日本に住んでる限り、年収三〜四千万が限界値。それ以上の収入があってもムダ」
と言い切る苫米地さん。

彼は自家用ヘリコプターを持っている。
いや、正確に言うと自家用じゃない。
わざわざヘリの運用会社を作り、そこの備品として仕入れて使っているのだ。
いわば所属車たった一台の「空中タクシー」の会社を持ってるのと同じだね。

 自分でヘリを持つメリットは、思いついた時すぐ飛び立って、
行きたい場所に飛んでいけることのはずだ。

しかし、そうは上手くいかない。
 ヘリが離着陸できる場所、つまりヘリポートを作るには、
周囲二.五キロの住民全員の同意が必要だ。

苫米地さんの住んでる六本木は世界一住民がワガママそうな地帯だ。
そんな同意が取れるわけない。

 けっきょく苫米地さんは六本木から車を飛ばし、
首都高の渋滞を我慢して混雑するレインボーブリッジを抜けて、
お台場にある東京へリポートまで行くことになる。
自分の持っているヘリに乗るにもひと苦労だ。

 やっと乗り込んで安全ベルトを締めてさぁ発進!
いやいや、まだだ。管制塔に問い合わせて離陸許可をもらって飛び立つと、
ようやっと自由になれる。

「そんなに面倒なら、もういっそ自家用ジェット買えばいいじゃないですか。
そしたら世界中、どこでも行けるでしょ?」

「・・・あの・・・社長」

 隣で聞いていたオタキングex社員のM君、自家用飛行機の免許を持っているその彼が耳打ちした。

「東京で自家用ジェットの離着陸は難しいです」

「え?じゃあどこまで行けば乗れるの?千葉?まさか埼玉?」

「社長の言う、気軽に乗りたい時にポイと乗れるのは・・・名古屋です」

冗談ではない。日本でプライベートジェットが簡単に乗り入れできる空港で、
東京からもっとも近いのは名古屋だというのだ。

「社長は吉祥寺に住んでるので、調布飛行場が使えます。
そこからセスナを飛ばせます。名古屋までは・・・」

「何分?」

「セスナで二時間半ぐらい・・・」

「新幹線のほうが早〜い!」

「もちろんですよ!」

 頭がクラクラしてきた。
苫米地さんが「だから日本では金を持ちすぎてもムダなんだよ」と笑った。

「やっぱりお金を持ったら、それも何億円使っても大丈夫、
という資産数百億円クラスの金持ちになったら、アメリカとかに住んだ方が便利だよ。
自家用機だってアメリカなら楽だよ。
ヘリを自宅ガレージに駐機させておいて、
どっか行きたくなったらヘリに乗って近場のプライベート機専用空港まで五分。
そこで自家用ジェットに乗ったら、数時間で世界中どこにも行けるから」

 おお、やっと景気のいい話になってきた。
対談を聞いてるオタキング社員たちの目にも羨望が浮かぶ。

「やっぱ金持ちって良いよなぁ・・・」
 
しかし、僕は苫米地さんの話、そのディテールに食いついた。

「プライベート機専用空港?」

「うん、アメリカには多いよ」

「そこ、どんな場所ですか?」

 驚くべきウルトラリッチの不思議ワールドが、ここから始まった。


アメリカにはいっぱいあるというウルトラリッチ御用達の自家用ジェット専用空港。きっと信じられないほど豪華な空港に違いない。
もう滑走路からして総大理石張りじゃないの?

しかし、苫米地さんは僕の勝手な思いこみを次々と訂正した。

「自家用機空港?狭いよ、汚いよ!」

「え?なぜですか?」

「だってそんなところに金かけてもしかたないじゃん」

「でもラウンジとか無いんですか?」

「あるよ。コーヒーがタダだからいつも混んでるけどね」

「・・・それは超金持ちしか飲めない、秘密のコーヒーとか?」

「いやクソまずいアメリカンコーヒーだよ。
ブスのウェイトレスがつまんなそうな顔して注いでくれるよ」

「なんでそんなの飲むんですか?」

「だってタダでお代わり自由なんだもの」

呆れ果てた僕を見て、さすがに苫米地さんは気がひけたらしい。
ちょっとだけ美味しそうな話をしてくれた。

「ラウンジもロビーも、まったく普通の田舎空港と同じなんだけどね。
たった一つだけ違うモノがある。なんだと思う?」

「え?わかんないです。教えてください」

「マガジンラックに刺さってる、回覧自由の雑誌ってあるじゃん?
日本だったらナンバーとかプレジデントとかでしょ?それがここでは自家用機専門雑誌」

「あ、なるほど!」

「新型機に買い換えませんか?とか、
腕のいいパイロット雇いませんか?とか特集されている。
でも一番みんなが熱心に読んでるのは・・・」

 ワクワク。なんだろう?

「内装張り替えの激安広告かな?」
 
一気に腰が抜けた。

なんだかウルトラリッチの皆さん、あまりに庶民的です。

「だってね、内装張り替えって平気で2億ぐらいかかるんだぜ。
『今月中に申し込んだら30%オフ!』『お友達を紹介してくれたら20%オフ』って言われたら、そりゃ夢中になるよ」

なあるほど。わかってきたぞ。

金持ちの人数は少なく、ジェットを買う人数はもっと少ない。
だから自家用ジェットというのは、そんなに種類がない。
似たようなデザインで、似たような価格だ。
自家用車のように、上位車種に買い替えもできない。
ニ機、三機と持つようなものでもない。
 だから、凝るとしたら内装だけ。
椅子や天井の色や材質、デザイン。
そういうものを、自分の好みに改装する。

「お?その内装、あなたはいくらかかりました?」

「私は2億です」

「定価とはご苦労様。私は1億4千万です」

「(く、くやしい!)」

となるわけだ。
要するに、ヴィトンのバッグで張りあうOLと少しも変わらない。

東大生になってしまうと、東大では自慢にならない。
三菱に入社できたら、社内で、「三菱の社員であること」は自慢にならない。

 同様に、金持ちは金持ち同志つきあう。
その場合、「金持ちであること」は自慢にならない。
結果、こういう小競り合いに血眼になるわけだ。

 面白いなぁ。僕は「豊かさ」というのは「選択肢の豊富さ」だと思ってきた。
でもウルトラリッチは逆に選択肢の幅が狭いみたいだ。


「豊かさ」って何だろう?

 僕はずっと「選択肢が豊富で幅が広いこと」だと思ってきた。
明日、どっか出かけたい。お金がないと、近所のショッピングモールとかパチンコ屋にしか行けない。
お金があれば自家用機に乗って世界中どこでも行ける。
 
この選択肢の差こそ、「豊か」と言うんじゃないのか?
 
でも、苫米地さんから聞くウルトラリッチたちのエピソードは、どこか滑稽で平凡だ。
有り余るお金によって、ちっとも自由になっていない。

 たとえば僕たちは車を買う時、予算に応じてカタログを揃え、どれにしようか悩む。
携帯も無限の機種から選ぶ。

でもお金持ちはノキアのセレブ向け携帯VERTUとか、ほんの数機種しか選択肢がない。
自家用機だって種類がない。
ウルトラリッチ専用空港にずらっと並ぶ自家用ジェットはたった数機種。
だからこそ塗装や内装で差を出そうとみんな悩み、ムキになる。

 苫米地さんに「最近の無駄遣いは?」と聞いてみた。
最大のムダは「儲からない会社」だと教えてくれた。
苫米地さんは自分でも覚えてないぐらい多くの会社に出資し、
それで損したりしているそうだ。

「なんだか愛人みたいですね」と僕は踏み込んだ。

「意味がある、成功すると思うから投資する。
それは『愛があると思ったから女を囲う』のと同じでしょ?
でも苫米地さんはその事業が失敗しても責めない。
それは二人の間にできた子供を育児しないのと同じじゃないですか?
出資した事業が失敗してるなら叱ってあげなさいよ。
いっしょに苦労してあげなさいよ。
お金出すだけなんて、愛人として囲ったけど放置してるのと同じですよ」

 初対面の人なのに、すごく失礼な物言いだ。
でも苫米地さんは真剣に僕の言葉を受けとめてくれた。

「豊かさ」とは選択肢の幅だろうか?
それは主にお金によってのみ、もたらされるんだろうか?

 お金持ちは「そうだ」と言う。
貧しかったら、まずそんな選択肢があることすら気づかない。
高級フレンチを食べたことのない人だけが、高級料理をバカにする。
「本当にいいもの」を体験して、それを選択肢に加えようと思ったら豊かになるしかない。
たしかにそれは動かしようのない真実だ。

 僕はどう思ってるんだろうか?
人並み以上の貧しさも人並み以上の豊かさも経験してきた。
「有名人」という立場を利用して、単なるお金持ちでは不可能なこともいっぱい経験した。

 僕の生涯最初のデートは、中学一年の時。
世界で一番好きな女の子と、住吉区役所に行った。
真夏の暑い日だったから、区役所のクーラーにあたり、冷水器の水を飲んだ。
ベンチに座って先生の悪口を言い、今度SF小説を貸すと約束した。
 夜、僕の初デートを聞いた姉は「安上がりやな」と笑った。
「そんなデート、思いつけへんわ」

そう、選択肢は想像力で広がる。
お金だけで広げようとするとヘンテコなことになる。笑えちゃう。

だから僕は、ヘンテコなウルトラリッチたちが大好きなのだ。




出典:週間アスキー
リンク:オタクング

(・∀・): 121 | (・A・): 34

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