それでもなにかできることを。

2011/03/20 19:21 登録: えっちな名無しさん

■ それでもなにかできることを。〜昨日の続編
きのう、自分のブログに書きました。

> 私はこの地震で何も失っていない部外者です。
> そして、この地震に対して何もできない無力な素人です。
> とにかく、自分にできることなど何もないことを受け容れることが必要です。
> 「何かしよう」という気持ちが、本当に自己満足ではないのか、
> よくよく考えるべきです。

大きな反響をいただいてびっくりしております。
そして、「それでも自分にできることはほんとうにないのか」
というご連絡を、遠くに住む方からいただきました。

「できること」を改めて考えました。
考えて出た結論は、
落ち着いたという雰囲気になってきたときに行動を起こすことでした。

テレビに「復興した」というニュースが散見されだしたときこそ、
動き出すべきときです。
テレビは感情に訴えかけるエンタメなので、
感動的なドラマを放送するために、「復興」を放送します。
しかし、ほんとうの復興など、そんなにすぐできるわけがないのです。
そういう報道が為されだすくらいから、
必要な物資や、必要な人的支援や、必要な資金などが明確になってくるいっぽうで、
反比例的に「助けを求めている!」という報道は減少します。
さっきまで国じゅう挙げて「力を合わせて」といっていたのに、
さらっと忘れるのです。
そういったときにこそ、小さな情報を拾って、
みんなに呼びかけてあげてください。そして応えてあげてください。

いまみたいに、テレビが連日特番をやっている情況では、
みんな「なにかしたい」と思っています。
献血に長蛇の列ができたりするのです。
それはそれで、たいへん価値のある行動だと思います。
しかし、血液もいつまでも保つわけではないので、
献血の行列がなくなりかけたときこそ献血をするべきです。

いま、自衛隊、全国の自治体の救援部隊、さらには外国からの援軍も
被災地に投入されていっています。
彼らがまずは現地入りして、救援の統制系統の下地を整えた状態であれば、
ボランティアは活きてくる可能性もあります。
ただし、彼らの指揮下に入ることが最低条件です。
テレビで「ボランティアのやる気を削がず自由に活動させるべき」
などと、”有識者”が言っていましたが、とんでもない意見です。
指揮命令系統のない大人数など、現場の復旧活動の邪魔になるだけ。
やりがいや自己満足を求めて現場入りするのは最大の迷惑です。
自分のためではなく、部隊の指揮下で日本のために自分を犠牲にできる人だけが、
「ボランティア=義勇兵」として現地入りすべきです。

では、「たったいま、ここで」できることは。

いま、私たちができることは、「呼びかけに応えること」です。
「呼びかけたい」のであれば、「呼びかけに応えよう」と呼びかけるべきです。
政府、各自治体、身元のしっかりした組織や企業の呼びかけに、積極的に応えるべきです。
YAHOO!
Google
日本赤十字社

なにより、いまできることは、募金を「すること」です。
(独自に街頭に立ってよびかけることではなく・詐欺が横行します)
呼びかけるとすれば、身元のしっかりしたところへの募金を呼びかけるべきです。
それくらいしかないのです。
でも、いまはそれがいちばんありがたいのです。
私たちは復興に必要な技術を持っていません。
私たちは復興に必要な訓練を受けていません。
でも、それぞれの財布から出る色のついていないお金は、
絶対に復興の邪魔になりません。

   ■   ■   ■   ■

また、この災害は、明確に国難です。
株価も下落し、甚大な経済的損失も待っています。
そして、それは国民が働いて埋めていくしかないのです。

だからこそ、被災していない人たちは、
それぞれのところで、一所懸命規律正しく働いて、税金を納めることこそ、
ほんとうに被災していないみんながやるべきことです。

日本はこれくらいでは沈まないのです。
なぜなら、私たちはまだ生きていて、きょうも規律正しく一所懸命働けるからです。
「大災害にもかかわらず暴動が起こらない・秩序が乱れない」と、
外国人たちは、日本人に対する敬意を新たにしています。
だから、首都を空襲されても、原子爆弾を投下されても、日本人は強く生きているのです。
そんな記憶はない私も、阪神大震災で被災して生きているのです。

だから。
日本人としての誇りを失わずにそれぞれの場所で強く生きることこそが、大切なのです。

改めて。
世の中がこの「悲劇」に飽きて、支援への熱が冷めだしたときに、
「復興」のドラマを酒の肴にしだしたときに。

そのときにこそ、この災害のためにできることを継続しましょう。

被災してから、私が初めて悲しくて悔しくてぼろぼろ泣いたのは、
震災から半年以上たった夏のころでした。
どうして俺はこんなに不憫なのか?とふと思って情けなくなって、泣きました。

よく憶えている。


出典:西宮市議会議員 今村岳司ブログ
リンク:http://xdl.jp/diary/

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