地元の友達、達也君の日記。その?

2011/05/16 18:57 登録: えっちな名無しさん

3月11日 『絶望と恐怖』


この日は地震があった日でもあり、上の子の幼稚園の卒園式の日でもあった・・・
朝は何時間後に地震が来るという事も全く予想しない中で、俺や家族はいつもより明るい空気の中で朝を迎えた。

俺の仕事は毎年2月後半〜4月頭までは大変忙しく、休むと取り返しがつかなくなるほどだった。それを以前から嫁に話をしてて、毎年俺の姿を見てる分、嫁は
『卒園式は仕方ないけど、4月の入学式に参加できるように頑張ってね』
と優しく言ってくれて、俺も約束を守れるよう毎日残業し、休日返上で頑張ってた。


『仕事行ってくるな。今日はパパ行けないけど、入学式は絶対行けるようにパパも仕事頑張って来るから!だからひかり(上の子供)も卒園式頑張れな!ちゃんと頑張ったら、好きなおもちゃ買ってあげるよ。』

嫁にも
『ホントごめんな。今日行けないっていうのと卒園式のお祝いもかねて、今度の日曜あたりにでも家族みんなでなんか旨いもん食いに行こう!迷惑かけて申し訳ないけど、ひかりと響(下の子供)をよろしく頼むな。仕事落ち着いたら、子供たちとどっか泊まりに行こう!』

その言葉を言った時、嫁や子供たちはすごく嬉しかったのか、とびっきりの笑顔を見せてくれた。
でもそれが家族4人で過ごした最後の時間だった・・・・・・


地震が発生した時仕事をしていたが、あまりの揺れですぐ外に避難をし、立っているのがやっとの状態で揺れが落ち着くのを待った。

揺れが落ち着いてからすぐ嫁や親に電話したが繋がらない・・・

メールも送れない・・・

不安な気持ちの中、携帯のワンセグを見た。
『津波警報発令、津波警報発令、5〜6メートルの津波が来ます。海岸沿いの方はすぐ高台に避難してください。今回の地震の震度は・・・』
それを見た瞬間頭が真っ白になった・・・
そしてすぐ会社を後にし急いで閖上の自宅に向かった。
しかし停電で信号が止まっており道路は大渋滞。
閖上に向かう車の中でナビを付けて見ると、さっき携帯のワンセグで見た時よりも切羽詰まった感じでアナウンサーが避難するよう訴えてた。

その時、1通のメールが届いた・・・

嫁からだった・・・

内容は
『家めちゃめちゃだよ。とりあえず今から避難します!避難先決まったらメールするね!たっつ(俺)のパソコン持ってきたよ!』

・・・こんな時に俺が使ってたパソコンなんかどうだっていいから早く避難してくれと思い、返信しようとして何回も災害伝言板にアクセスしたがまた繋がらない・・・
嫁や子供たちの事が心配で仕方なかったが、とりあえず少しでも早く閖上に向かう事に集中した・・・


これが嫁からの最後のメールだと気付かずに・・・


道路は大渋滞だったが、会社から自宅まではそう遠くもなく、裏道裏道でなんとか閖上に1時間もかからずにたどり着く事ができた。

閖上のファミリーマートを通り過ぎ、『もうすぐ家だ』って少し安心した矢先、目の前から煙を上げながらドス黒い何かが近づいてきた・・・

俺自身それを見た時、最初は津波だとは思わなかった。
しかし周りを見渡すと周りの田んぼや家がドス黒い水に飲み込まれて行くのを目の当たりにし、そこで津波と気付き急いで車をUターンさせた。

閖上町内も渋滞してて後ろから迫ってくる津波に焦り頭がパニックになりながらも、奇跡的に車同士の隙間をうまく抜ける事ができ、なんとか東部道路(高速道路)近くのミニストップまで来れた。
しかし、そこから渋滞のせいで車が全く動かず、どうしようか悩んでた矢先に、上の東部道路から声が聞こえた・・・

『車捨てて早く上がれー!そこまで津波が来てるぞー!早く、早く上がれー!』

何人かのおじさん達が、こっちに来いと体全身を使ってジェスチャーしながら大声で叫んでた。

それを聞いた瞬間、すぐ荷物を持って車を降り、周りの車に乗ってた人達と一緒に走って東部道路に登った。

東部道路に上がり後ろを振り返った瞬間、俺の目に絶望的な光景が飛び込んできた・・・

たくさんの家や車がドス黒い濁流に流されガレキと化し、人をも飲み込んでいった・・・

車のガソリンや重油やらに引火したせいか、普段火を消すはずの水が、逆に火をまとって町全体を飲み込み、町のあちこちで火災が発生してた。まさに火の海そのものだった・・・


夢だと思った・・・


この世の終わりだと思った・・・

気温が下がり雪が降る中、寒さで体を震わせながら、家族の安否と目の前の光景にただただ不安と絶望と恐怖を感じていた・・・


東部道路に目をやり、ふと気付いた事があった。

東部道路には車が1台もなかった。
地震だから仕方がなかったかもしれないが、もしあの時避難してた車を東部道路に少しでも上げていたら、目の前の津波に飲み込まれた人達や車は助かったんじゃないかって思った。
閖上インターの入口は目と鼻の先にある。

津波が来るまで少し時間があったのに、なんで目の前で必死に逃げてる人達を誘導せず、逆に追い返して助けられた命を見殺しにしたんだろう・・・

少なくとも今自分が立っている道路の上に、人の命より大切なものがあるとはとても思えなかった・・・


そういろんな事を考えていた時、俺の携帯にまたメールが届いた。
今度は千葉に住んでる妹からだった。

『大丈夫!?お母さん達は小学校に避難したみたいだよ。いーちゃん(嫁)津波気をつけて。』

その時は母親と嫁が別々に行動してるだけだとしか思わなく、みんな無事だと信じて俺もやっと繋がった災害伝言板に無事だということを書き込んだ。
そして、閖上インターの入り口脇にある会社内にみんなで避難し、寒さをしのぎながら夜を迎えた。

まだ目の前で起こった事が信じられない。

それ以上に嫁や子供たちが心配でたまらなかったが、周りの人達も同じだと自分に言い聞かせて我慢してた・・・
嫁や親にはあれから何十回も連絡したがまだ連絡がついていない・・・
夜になり同じ場所に避難した老若男女様々な人達が不安と恐怖におびえてる中、さらなる不安が襲う。


東部道路を走ってたパトカーに乗ってた警察官が、東部道路に避難してた人達を集め話を始めた。

『まだ大きな余震の影響で津波警報が解除されていませんので、この高速道路で警察車両を走らせみなさんを愛子(あやし)方面に避難させます。』
という内容だった・・・

閖上から愛子までは普通に1時間以上かかる。
ましてやこのような中で愛子に避難したら、次いつ閖上に戻れるかさえも分からない・・・
反対する人はたくさんいた。
目の前に見える小学校や中学校に家族がいるかもしれないからである。
俺も親が小学校にいるって分かってたから反対した。
当然といえば当然ではある。
しかし警察官に
『津波警報が解除されていないことや相次ぐ余震で、また津波が来る可能性があるのでみなさんの安全を確保するのが最優先です。』
と言われ、強制的にみんなで愛子に連れて行かれた。


家族は大丈夫か・・・


これからどうしたらいいのか・・・


次にいつ閖上に戻って来れるのか・・・


そういった今まで感じた事のない不安と恐怖を抱えながら・・・


出典:ゆりあげの復興支援ブログ
リンク:http://blog.livedoor.jp/coolsportsphoto/archives/51726136.html

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