蝦夷戦記@坂上田村麻呂

2011/09/06 00:33 登録: えっちな名無しさん

888:世界@名無史さん:2010/12/22(水) 18:25:45 0downup
ガリアやらゲルマンに関してカエサルたちが記録を書き残してくれてるから当時を色々知れてうらやましいね
坂上田村麻呂が蝦夷戦記でも書いてくれりゃあなぁ

889:世界@名無史さん:2010/12/22(水) 20:45:33 0downup
「蝦夷戦記」 坂上田村麻呂

蝦夷はその全てを含め三つの地域に分けられる。
それらの一つにはベルガエ族が住み、別の一つにはアクィーターニー族が住み、
三つ目には、私たちの言葉では「蝦夷」と呼ばれている者たちが住む。

(中略)
数日間、多賀城に食糧とその運搬の事のために留まったとき、
我々が商人たちに問いただした得た話によれば、
「蝦夷は、とても大柄な身体で、信じられないほど勇敢で、
武器を扱うことに熟達している」と彼らは褒めそやし、
「自分たちはしばしば彼らと出くわしたが、容貌と視線に耐える
ことができなかった」と言ったのだ。

突然これほどにも大きな恐れが官軍を襲い、
結果として全員の精神と魂を尋常でないほどに混乱させたのだ。

890:世界@名無史さん:2010/12/22(水) 20:47:37 0downup
それらの一つにはベルガエ族が住み、別の一つにはアクィーターニー族が住み、

直せよw

891:世界@名無史さん:2010/12/22(水) 21:07:19 0downup
ある者たちは、羞恥心に駆られて臆病であるとの疑いを避けようと、残留した。
彼らは外見(表情)を取り繕うこともできず、時々は涙を抑えることもできなかったので、
天幕の内に隠れて、あるいは自分の運命を嘆き、あるいは親しい者たちとともに自分ら
共通の危険を哀れみあった。全陣営のいたるところで遺言の書が記された。

臆病だと見なされたくないと欲する者は、
「自分たちは敵を恐れるものではないが、蝦夷の道の狭隘さや原生の森の広大さ、
あるいは糧食が十分に具合よく運ばれることができるか心配している」と言った。
ある者たちは征夷大将軍にさえ次のように告げた。
「陣営を動かし進軍することを命じようとも、兵たちは言うことを聞かず、
恐れのために進軍しないでしょう。」

そのようなたびたびの噂が坂上田村麻呂のところへもたらされ、
かつラビエヌスの手紙によっても同様に知らされた。

「蝦夷戦記 第一巻」了。「蝦夷戦記 第二巻」へ続く。

892:世界@名無史さん:2010/12/22(水) 21:23:45 0downup
解説:
坂上田村麻呂の『蝦夷戦記』は、前置きも導入部もなく、いきなり次の一句からはじまる。

 蝦夷はその全てを含め三つの地域に分けられる。
 それらの一つにはベルガエ族が住み、別の一つにはアクィーターニー族が住み、
 三つ目には、私たちの言葉では「蝦夷」と呼ばれている者たちが住む。

これで、たいていの物書きは、歴史家でも研究者でも作家でも、
マイッタという気持にさせられる。なぜなら、文章を表現する者にとって、
前置きも導入部も書かずにいきなり本題に入るというのは、
やりたいけれどやれない夢であるからだ。

前置きとかイントロダクションとかは、読み手である以上に書き手のためにあるのである。
それほどまでに重要なことを坂上田村麻呂はまったくしていない。なぜなのか。
・ある研究者が言うように坂上田村麻呂が「真に貴族的な精神の持主」であったからか。
・キケロの言うように「裸体であり純粋である」文体を坂上田村麻呂が好んだからか。

897:世界@名無史さん:2010/12/23(木) 07:44:08 0downup
書評:
蝦夷戦記の坂上田村麻呂は阿弖流爲の死を知って次のように記したという。
「多賀城で阿弖流爲の死を知った」。

著者はこの一行に「坂上田村麻呂自身の気質を正直に映しながらも、
政治的にも配慮を忘れない一行であった。制約があろうとも文章力さえ充分ならば、
大理石に刻みこまれた文字にも似た重量感をも伝えうるという好例である」と評価を与えた。
(蝦夷戦記シリーズ了)

出典:【塩野七生 ローマ人の物語】古代ローマを語ろう
リンク:http://unkar.org/r/whis/1285999380

(・∀・): 23 | (・A・): 11

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