ゾンビ天国 瀬田渋蔵編

2011/09/26 21:33 登録: 痛(。・_・。)風

ゾンビ天国の番外編です
未読の方は先ずこちらを(http://moemoe.mydns.jp/view.php/27210:)





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「くそっ、余計な時間をくっちまった……」



高坊と別れてからA県へ向けて車を走り続けさせるることすでに三日目。

今日ようやくA県の市内に入ることができた。

普通なら半日もあれば走破できるこの距離にこれだけ時間がかかってしまったのには理由がある。



まずは路上にいくつも点在する放置車両。

横転したり、衝突したりした事故車もあれば、無傷のまま取り残されている車両もある。

中には車の中にゾンビが閉じ込められたままの車両もあった、中は当然血まみれ。

これら放置車両を回避しながら進むのには場合によってはいったん道を引き返したりもするので、かなり時間がかかる。



加えて外を跳梁跋扈するゾンビの群れども。

車のエンジン音におびき寄せられて次々に群がってきやがる。

多少なら車で跳ね飛ばすこともできるだろうが、いかんせん数が多すぎる。

ぶつけすぎれば車が故障しかねないし、タイヤに巻き込んで立ち往生なんてことになれば俺の命はない。

いちいち構っていられないから、こいつらもなるべく回避していかなきゃならん。



高速道路が使えなかったのも痛かった。

インターチェンジ付近では当然のように密集した車が玉突き事故が発生していて、入り口や出口を塞いでいたのだ。

誰もが考えることは同じということか、自然にその周囲にはゾンビ化した死者が溢れていた。

もちろんそんな危険地帯に近寄ることなどできない。



俺に残された選択肢は遠回りとわかりつつも、放置車両とゾンビどもの少ない田舎道を走ることだけだった。







水田と畑ばかりの田舎道を抜けて暫くすると、ここ最近になって見慣れたモノがちらほらあらわれる。

彷徨う血まみれの死体、ゾンビだ。

高坊も言ってたが、確かにこりゃあホラー映画そのままだよな。

欠損した四肢、剥き出しの傷跡、白濁した目、飛び出したままの臓物。

見てるだけで吐きそうになるグロテスクな外見だ。



ゾンビどもは車のエンジン音を聞きつけると、ノロノロとした動作でこちらに寄ってくる。

車の進路を阻むように正面に立ちふさがる一匹を跳ね飛ばそうと、そのままアクセルを踏み込み直進させた。



「ぶっ飛びやがれ、糞ゾンビどもがっ!」



ドンッ、と車のバンパーに弾かれてゾンビの体が吹き飛ぶ、飛び散った血飛沫がフロントガラスを赤黒く染めた。

それをワイパーで拭い去る、この車は高級車らしく洗浄液にも良いのを使っているので汚れは綺麗に消えさった。



ゾンビをひき殺しても特に感じる事は無い、俺にとってはすでにこの数日間ですっかり慣れたことだ。

いまさら驚きもしないし、罪悪感も沸かない、感覚が麻痺しちまってんのかもしれねぇ。

何せこれまで既に何十匹とこうして邪魔なゾンビどもをひき殺しているんだからな。



ただ気持ち悪いだけだ……いや、むしろ、ストレス発散になってるかもしれねぇ、自分の正気を疑うぜ。

俺は舌打ちして知らず知らずアクセルをさらに踏み込む。

ドンッ、ガンッ、と続けて二匹のゾンビを跳ね飛ばした。

もともと凸凹だったキャデラックのバンパーに新たなヘコミが追加される。



「……チッ、何やってんだ俺ぁ……」



ゾンビを跳ね飛ばし僅かにイライラが解消されると、頭に血が上っている自分に気がつく。

こんな調子で無茶な進み方をしてたらいったらあっという間に故障して廃車になっちまうじゃねぇか。

ゾンビを跳ね飛ばすのはできるだけ回避して必要最低限にしないと車がもたない、ついさっきまで忘れていた大切なことだ。



ギリ、と歯軋りが鳴る。

家族のいる実家が近づくにつれて焦燥感が大きくなっていく、当たり前だ、ゾンビどもが現れだして既に8日も経過している。

現実的に考えれば妻と娘が生きているかどうかすら怪しい、むしろ無事でいる方が奇跡だ。

これで焦るなという方が無茶だろう!?



……だが、この焦りもある意味自業自得なんだよな。



最初にゾンビどもにびびって4日間も無駄にした俺の臆病さが恨めしい。

高坊が来なかったら今でも怯えて引き篭もっていたにちがいねぇ。



俺は雑念を振り払うように顔左右に振る。



「我ながら情けないぜ、いい年した中年親父が20歳以上年下の小僧に助けられるなんてよ……」



だが、もう間違いはおかさねぇ! 二度とびびって迷ったりなんかしねぇ!

俺は家族が生きているとただひたすら信じて会いに行く!

今考えるべきことはそれだけだ、余計な雑念は、迷いは全て捨てろ!



「……頼む、生きててくれよ、百恵、美雪!!」







市内に入ってからゾンビの数はますます増えはじめた。

できるだけ放置車やゾンビなどの障害物が少ない道を選んではいるが、ゾンビが途絶える様子はない。



路上にはゾンビと戦った跡だろうか、頭部が石榴のように吹き飛ばされた死体や黒焦げに燃えた焼死体がいくつも転がっている。

それに明らかに武器を使って人為的に破壊された死体が目に付く。

もしかしたらここで何かしら大きな戦闘があったのかもしれないな。



それにゾンビが勝ったのか人間が勝ったのか。

……今の町の様子を見るに前者の方が濃厚かね。



気落ちしそうな想像はさっさと忘れることにして車の運転に集中する。



そうして2・3時間も車を走らせていると妙な音が耳に入ってきた

叫び声というか、雄叫びとでもいうか。

「ウォー」とか「オリャー」とか、なんというか非常に勇ましい声が聞こえてくる。



誰か戦っているのか? こんな町のど真ん中で? あんな大声をあげてか?



……あ、ありえん、自殺志願者でもなけりゃ絶対ありえん。

悲鳴とか断末魔ならともかく、勇ましく雄叫びをあげてゾンビと戦うなんてわざわざ自分からゾンビどもを招き寄せるだけだ。



そう思いつつも車を進めるごとに次第に音は大きくなってくる。

やがて車が少し開けた道路に出た時、俺の視界にはいってきた光景は。



「ウオォォォーーー!! トラァァァイッ!!」



アメフト装備で身を固めた大男がゾンビに見事なショルダータックルをブチかました瞬間だった。







「な、なにやってんだあの野郎は!?」



俺の前方で20を超える数のゾンビに囲まれながら戦う大男。

手には何の武器も持たず、かろうじてグローブのようなものを身に付けているだけだ。

頭には格子付のヘルメット、肩には角張ったショルダーパッドらしき防具。

所謂、アメリカンフットボールの装備に身を包んだ姿そのものだ。



そんなアメフト男の体当たりで吹き飛ばされたゾンビがごろごろと勢いよく地面を転がっていく。

かなり威力があったのかゾンビは5mほど転がっていった。



「トラァァァイッ!!」



アメフト男は近寄ってきた別のゾンビに対しても再度タックルをぶちかます。

同じように吹っ飛び地面に転がるゾンビ、そして平然と立ち上がりフラフラと大男に近寄っていく。



当たり前だ、自衛隊から銃撃を受けても平然と襲い掛かってくるような連中だ。

たとえああして派手にぶっ飛ばされても実質ダメージなんかはほとんど無いだろうよ。

高坊の話なら頭(脳みそ)を破壊すると確実に死ぬらしいが、あれじゃあいくら繰り返しても無意味だ。



それでもめげずにアメフト男は愚直に体当たりを繰り返す。

ゾンビに囲まれているにもかかわらず未だ捕まらずにぶっ飛ばしつづける身体能力には驚かされるが。



……だが、あれじゃ、殺されるのも時間の問題だ。



大したダメージも与えられずに吹っ飛ばすだけじゃ単なる時間稼ぎにしかならない。

体力に限界があるのかどうかすら怪しいゾンビどもに対してそれはあまりに無駄ま行為だ。

そのうち自分の体力が尽きてゾンビどもに捕まって殺されちまうぞアイツ。



アメフト男は完全に頭に血が上っているのか、ゾンビどもの包囲網が崩れても逃げ出す様子もない。

ひたすら近づいてくるゾンビに体当たりを繰り返しぶっ飛ばしつづけている。



「見捨てる……てわけにもいかねぇよな!」



その選択肢が一瞬でも頭をよぎったのは確かだ、見ず知らずの他人、それにこんな危機的状況だ、ほっといたって別に気にする必要は無い。



……だが、ここでそんなことをしちまえば俺は妻や娘にこれからどんな顔をして会えば良い?

「父ちゃんは平気で人を見捨てる男なんだぜ」なんて情けない親父にゃなりたくねぇ、そんな後悔は高坊の時だけで十分だ。

ハッ、冗談じゃねぇっ! 少なくとも俺はそこまで落ちぶれちゃいないぜ。



俺はギアを上げ、アクセルをグッと目いっぱい踏み込む。

エンジンは一気に唸りをあげて大音量を轟かせる、心地よい振動がシート越しに伝わり、次の瞬間一気に急加速。

ジェットコースターに乗った時のような重圧が俺の身体を座席にめり込ませた。



「成功してくれよっ!!」



僅かな距離で一気に時速80km近くまで加速し、次いでいったんクラッチを切る。

ゾンビの集団に突っ込む直前にハンドルをいっぱいに切り、再びアクセルを全力で踏み込む、クラッチをつなぐ。

ギャリギャリとタイヤが路面を焦がしながらスピン、俺は横方向からの重圧に飛ばされないようハンドルをしっかり握って耐えた。



「うぐぐっ!! やっぱ、若い頃みたいな無茶はキツイわ!」



ドリフトの要領で後輪が空転して車体がアメフト男を中心に円軌道を描く。

独楽のように車体ごとクルクルとスピンしながらゾンビどもを次々となぎ払っていく。

ゴンッゴンッゴンッ、と何度も勢いよくぶつかりすぎて車体横の窓ガラスに罅が入る、だが割れなかっただけでも僥倖だ。

微かに臭うゴムの焼ける臭い、これだけ派手にやってしまうとタイヤの消耗率も凄いことになってそうだが、今は怖いのでそのことは無視しとこう。



ゾンビどもをぶっ飛ばし円を一周する頃にようやく停車、呆然とするアメフト男に向けて車のドアを開けて叫ぶ。



「早く乗れっ、すぐまた集まってくるぞ!」

「あ、あんた誰っスか!?」

「いいから早く乗れってんだ! 死にてぇのか馬鹿野郎ッ!!」

「お、オスッ!」



まごつくアメフト男を一喝して強引に車に乗せる。

こうしている間にもなぎ払ったゾンビどもが起き上がってこっちに近づいてきてんだ、愚図愚図してらんねぇ。



「とばすぞ、シートベルトしとけよ!」



アメフト男が乗り込むと同時にアクセル全開。

再び急加速しながら何匹かゾンビどもをひき殺し包囲網を突破する。



「おわぁぁーー!?」



隣でシートベルトしそこなったアメフト男がひっくり返っているが気にしてなんていられねぇ。

車だって複数のゾンビどもに捕まりゃひっくり返されてお陀仏なんだ、俺にも余裕なんか欠片もない。



ま、あんな頑丈そうな防具に身を包んでるんだ、たぶん大丈夫だろ。







「た、助かったっス! オイラは柿崎流星(カキザキ リュウセイ)っていうっス!」

「おう、まぁ気にすんな、俺も偶然通りかかっただけだしな」



俺たちは数百メートル車を飛ばしてゾンビどもを振り切るためいったん市外へと脱出した。

ようやく一安心できる状態になって隣に座るアメフト男がお礼を言ってきた。

ヘルメットの格子から見える顔はまだ若く、大柄な体格とは裏腹に高校生か大学生くらいに見える。



「俺は瀬田渋蔵(セタ ジュウゾウ)、これから実家に帰る途中だったんだが、お前さんは?」

「オイラは……避難所から逃げ出してきたんス」

「避難所から?」

「すぐ近くのA大学総合体育館に避難してたんスけど、何時間か前にそこにゾンビが侵入してきて滅茶苦茶にされたんス……多分ほとんど死んじまったっス」

「……そうか」



A大学か、俺の実家のあるA県H市T区とは距離があるからもしも家族が避難していたとしても妻や娘はそこに居なかっただろうが、正直ぞっとしないな。

様子を語る柿崎の顔色も悪い、相当酷い光景だったんだろう。



「何とか逃げ出して、生き残り皆でT区の公民館目指してたんスけど、オイラはぐれちまって結局ああしてゾンビに囲まれてしまったんス」

「T区!? T区の避難所は無事なのか!?」

「え、ええ、結構頻繁に無線でやり取りしてたみたいですし、こっちの避難所がゾンビに襲われる直前の連絡でも無事だったと思うっス」

「そ、そうかっ! そうかそうか! よかった! そうかT区は無事なのか!」

「あの、T区になんかあるんスか?」

「え!? あ、あぁ、悪い……少し興奮してた、T区には俺の妻と娘が住んでるんだ、ちゃんと避難してるならそこの公民館しかないからそこが無事とわかって一安心したんだよ」

「そうだったんスか、良かったじゃないスか!」



その通りだ、無事避難さえしてくれてれば家族が生きている可能性はかなり高くなってきた、思いがけない嬉しい知らせだ。

偶然とはいえ貴重な情報を教えてくれた彼には感謝しないとな。



「ありがとう柿崎君、おかげで希望が見えてきた」

「そ、そんな、大したことじゃないっスよ! それにオイラのことは呼び捨てでいいっス、オイラこそ瀬田さんには命助けられてますし!」

「そうか、じゃあ柿崎、俺のことも『おやっさん』でいいぞ、職場の連中もそう呼んでたし」

「オッス、光栄っス!」

「俺はこれからいったん実家の様子見をしてからその後T区の公民館へ行こうと思うが、柿崎もそれでいいか?」

「ウス、もともとそのつもりでしたし、おやっさんのお供するっス」



俺自身、技術者というか肉体労働者だからかこういう体育会系のさっぱりしたノリは慣れたもんだ。

高坊みたいな現代っ子な性格が嫌いなわけじゃないが、柿崎みたいなハキハキした態度の方が幾分話しやすいな。



「そういえば柿崎は何も武器持ってないんだな、それじゃあゾンビからろくに身も守れないんじゃないか?」

「ウスッ、逃げ出すだけ精一杯で着の身着のまま飛び出したんス、このプロテクターはオイラにとっちゃ普段着代わりなんでずっと着てたんスけど」

「ふ、普段着代わりって……まぁいいか、ともかく武器がなくちゃ始まらん、後部座席にいろいろ転がってるから好きなの選んでいいぞ」

「オスッ、ありがとうございます!」



そういって柿崎はシートを倒して武器漁りにいそしみ始める。

俺はあまり詳しくないが武器類は高坊がミリタリーショップでいろいろ選んでくれている、何かしら気に入るのがあるだろう。



正直俺には高坊の使っていたようなボウガンとかそんなんは使いこなせる自信がない。

時代遅れの頑固親父思考なのかもしれんが、どうせ自分の命を預けるなら使い慣れた物が良い。

俺の場合はパチンコとかモンキーレンチがそれに当たる。



「コレ、コレにします!」



柿崎が手に持っていたのは大型の鉄挺(かなてこ)だった、いわゆるバール。

俺が仕事に使っていた工具の一つだ、いっぱい武器もあったのにわざわざこれを選ぶとはな。



「そんなんでいいのか? もっと凄そうなのとかあったろ?」

「オイラ飛び道具とか刃物とか苦手なんでこういったシンプルな鈍器っぽいのがいいんス、それにアメフトでならしら肩があるんでいざとなればそこら辺の石とか拾って投げれば飛び道具になりますし」

「そうか、そういうなら俺から何も言うことはねぇよ、慣れない武器使ってヘタこくよりはマシだろうしな」

「それにしても凄い量の武器っスね、こんなにどこで集めてきたんスか?」

「ちょっと前に知り合った高田っていう親切な兄ちゃんがこういうのにやたら詳しくてな、いろいろ見繕ってもらったんだ」

「え〜と、最近はやりの軍事オタクってやつスか?」

「どうだろうなぁ、別にネクラってわけでもなかったし、見た目はすごく普通な兄ちゃんだったぞ」



あ〜、でも高坊はやたらと強かったよな、あんなひょろっとした見た目なのに一人でゾンビ2・3体ぶっ殺してたし、ちょっとあぶねぇ場面もあったみたいだけど結果的には助かってる。

高坊が使ってたあのでっかいボウガンとか一応説明受けたけど俺にはちょっと使いこなせる自信ないしなぁ。

そういう意味だとアレを使いこなしてた高坊は実際大した奴だよ。



それに人の話を良く聞くし、物覚えも良かった、たった一晩でマンション施設の使い方や整備の仕方まで覚えたんだから正直驚いたぜ。

あんなとんでもねぇ状況にもかかわらず俺に無償で手持ち食料を全部恵んでくれたりもしたし、最近じゃなかなか見かけねぇ良い性格した好青年だよ。



もしも美雪に婿をとるんだったら高坊みたいな奴が良いな、美雪まだ3歳だけど。







再び市内に入って車を慎重に走らせること数時間、ようやくT区に到着した。

ここまで来れば我が家は目前だ。



隣に座る柿崎はまだゾンビを見慣れてないのか鉄挺を握り締めたままソワソワしている。

無理も無い、俺だって高坊に連れられて外に出た当初は死ぬほど怖がってたんだからな。



「柿崎、そんなに気張り過ぎなくても大丈夫だ、車に乗っているしゾンビどもには集団で囲まれなければ連中大したことはできない」

「オ、オスッ! ありがとうございますっス!」



空元気ながらもあれだけ大声をあげられるなら大丈夫だろう。

俺は柿崎と他愛無い会話をしながら我が家を目指す、こうした何気ないやり取りがたまらなく懐かしく感じた。

高坊と別れてからまだ三日しか経ってないのにどういうことだろうか、もしかしたらこれまでの道のりでずっとゾンビしか見かけなかったのが原因かもしれんな。







「……やっと着いたぞ、ここが俺の家だ」

「ここスか? ぇ? でもこれって……」



……家の前に車を止める、柿崎も余計なことはしゃべらなかった、気ぃ使ってくれたのかもな。



俺ん家の玄関は一目でわかるくらいハッキリと破壊され尽くしていた。

それも何か強力な衝撃、そう、バッドやハンマーで外側から打ち破られたように。

明らかに道具を使った人為的な破壊跡だ、道具を使わないゾンビどもじゃ絶対にこうはならない。



妻と娘はどうなった? 誰が玄関を破壊したんだ? 何の目的で?



真っ先に思い浮かんだのは高坊からくれぐれも注意するよう聞かされていた『暴徒』だ、危機的状況で理性を失った連中が犯罪に走った存在。

高坊の経験談では集団で一人の女を監禁して延々と暴行と強姦を繰り返していたり、仲間同士で皆殺し合ったりしてたらしい。

聞いているだけで胸糞が悪くなるような下衆どもだ。



もしも、自分の妻と娘がそんな連中の慰み者になっていたらっ!!

そう想像しただけで俺は自分でも信じられないほどの怒りと殺意が湧き上がってきたのを感じた。



「お、おやっさん! あれ、あれ見てください、玄関に靴がないっスよ!」

「あ゛? 靴……だと……?」



今にも沸騰しそうな頭に水をさしてくれたのは柿崎の一言だった。

靴、玄関に靴がないからどうしたっていうんだ。



「玄関に靴がないってことは、奥さんと娘さんが外に避難したって証拠じゃないスか!」

「!!」



な、なるほど、その通りだっ!

冷静に考えればすぐにわかりそうなことなのにどうして気が付かなかったんだ。

俺は我が家の惨状を見てそれほどまでに動揺していたということなんだろうか、クソッ。

頭を冷やせ、そうじゃないと助けられるものも助けられなくなる。



「……すまん柿崎、動揺してた……大丈夫、もう大丈夫だ、落ち着いたよ」

「おやっさん、まだ諦めるのは早いっスよ! 試合も人生も最後まで諦めちゃダメっス!」

「あぁ、その通りだ、まだ何も終わっちゃいねぇ!」



車から見える範囲だけでも既に屋内に無数のゾンビが侵入しているのが確認できる。

少なくとも三体、廊下の奥をうろつくゾンビの人影が見えた。

まさかあの中に俺の家族が!? ………落ち着け、頭を冷やせ、そうだ、冷静に考えろ。



できることなら中に入ってどういう状況なのか確認したいが、家の中をゾンビがうろついている以上迂闊に入ることは自殺行為だ。

ここは柿崎の言ったように家族が無事脱出して避難したと信じて公民館へ向かおう。

こうして停車しているだけでも危険なのだ、決断は早ければ早いほど良い。



「……公民館へ行こう、ここにはもう『誰も』いない」

「い、いいんスか?」

「あぁ、俺は家族を信じるよ、きっと逃げ出してくれてる」



……ちくしょう、口ではああ強がっても内心は不安と焦燥感だけで死にそうだ!

頼む、二人とも無事で居てくれ!!



俺は無残に破壊された我が家をバックミラーで眺めながら車を発進させた。







A県N市T区は市内といえどもそれほど都会然とした地区じゃない。

土地の1/3くらいは田畑と田舎道で構成されてるし、人口もそれほど多くない。

小学校と中学校はあるが高校は無く、高校生は区外へと毎日通学することになったりして少し不便だ。

コンビニも一軒しかない、しかも夜7時には閉店してしまう。



その土地柄か、俺の家があった住宅密集地から少し出ればほとんど人影(この場合はゾンビだが)は見られなくなった。

好都合といえば好都合、うまいこと住宅地から脱出できれば公民館までは比較的安全な道のりだ。

妻や娘のような女子供の足でも十分に逃げ切れる条件が整っている。



ゾンビがいないのを良いことに俺は車を遠慮なく走らせた。

未舗装の畦道もあり車体が上下に揺れまくったが気にしてなどいられない。

市内でゾンビを避けるために取られた時間を少しでも取り戻すため多少の乗り心地など考慮の外だ。

同乗している柿崎には悪いがコレくらいは我慢してもらおう。



15分も車を走らせると開けた土地に大き目の建物が見え始めた。

公民館だ、T区の公民館は定期的に料理教室や老人向けの盆栽教室などを開いたり、夏休みなどには子供向け映画なんかをやってる。

娘の美雪もよく俺に連れてってとせがんできたのを覚えてる。

妻と一緒にポキモンだかポケモンだか言う映画を見に行ったときは退屈だったが、俺の膝の上ではしゃぐ娘を見ているだけで俺は幸せだった。



公民館の駐車場に入ると隣の柿崎が恐れた様子で大声をあげた。



「お、おやっさん、あれ見てくださいっス!」

「うげ!? なんだありゃ!?」



俺たちの視界にうつったのは公民館をとり囲むように群がるゾンビどもの大群だった。

十や二十ではない、少なくとも百を超える数のゾンビがそこに蠢きひしめいていた。



どいつもこいつも飽きることなく公民館の壁やドアをしきりに叩いて中への侵入をはかろうとしてやがる。

公民館の入り口や窓は木の板やトタンで補強されしっかりと塞がれているから大丈夫だろうが、正直胸糞悪い光景だ。

子供の頃に近所の坊さんとかが説教していた地獄絵図を連想させる。



「……ありゃあ、ちょっと無理だ」



もはや要塞然とした様相の公民館、バリケードみたいに補強された正面入り口からの侵入は至難だろう。

窓などもおそらく同様に補強されているだろうから無理だ。

それ以前の問題にあの周囲に群がるゾンビどもの大群をどう突破するかすら方法が考えつかん。



外から大声で中に入れてもらえるように話かけてみるか?

駄目だ、ゾンビどもに感付かれる、それに公民館の中の住人がそう簡単に俺たちを受け入れてくれるとも限らない。

外から来たゾンビに噛まれているかもしれない人間を受け入れるなんて自殺行為だし。

仮に受け入れられたとして、公民館の中にどうやって入る?

周囲がゾンビだらけだっていうのに中の人々がバリケードを開放なんてできるわけない。



だったら二階から梯子でも下ろしてもらうか?

それも難しいな、梯子の長さにもよるが結局ゾンビどもの大群を突破して公民館の傍にたどり着く必要がある。

俺たちが車から降りた瞬間にゾンビどもに捕まってアウトだ。



じゃあ車でゾンビの群れに突撃するか、皆殺しにすれば問題解決だろ? 

……無理だ、あんな数のゾンビを轢いていってもどうせ半分も殺せないうちにこっちの車が壊れちまう。

タイヤに巻き込んで止まってしまったらそれだけで囲まれて車ごとひっくり返されちまう、その時点で詰みだ。



仮に上手くゾンビどもの壁を越えられたとしても正面玄関はバリケード状に固められている、容易には突破できない。

ならいっそのこと車でバリケードごと突き破るか? 

……それこそ本末転倒だろうが、破壊された正面玄関からゾンビが侵入しちまう、俺が公民館にゾンビを招き入れてどうすんだよ。



クソッ、どうすればいい!? あの中に妻と娘がいるかもしれないってのに! こんなところで立ち往生なんてよ……



「う、うわっ!? おやっさん、あいつらこっちに気がついたみたいっスよ!」



エンジン音に気が付いた数体がフラフラとこちらに近づいてくる。

それほど広くない駐車場だ、ゾンビ5・6体に囲まれただけで身動きが取れなくなっちまう。



「クソッタレ……いったん逃げるぞ!」



ハンドルをきって反転、いったん公民館の駐車場から脱出する。

公民館を目の前にしておめおめ退却とはなんとも歯痒いぜ!







公民館から離れ再び田舎道へ、周囲にゾンビの姿が無いことを確認してから見通しのよい場所で停車する。

あまりエンジンのかけっぱなしも良くない、持ち込んである燃料にも限りがある。

ゾンビがいるガソリンスタンドではできるだけ補給は避けているしな、どこで給油できるかわからない以上常に節約を意識していくことに越したことは無い。



「あ、あの……おやっさん、車止めちゃって大丈夫スか?」

「そんなに心配しなくても大丈夫だ、この周辺にゾンビの姿は無いし、こうしてエンジンを切って静かにしておけばゾンビが近くにいてもそうそう気がつかれない」



念のため車内に消臭スプレーを撒いとこう。

ファブリーズを車内にくまなく吹きかけて、最後に自分たちにも吹きかけておく。



「わっぷ!? な、なにするんスか?」

「前に聞いた話なんだがな、ゾンビ連中は生きた人間の臭いとか音とか動きでこっちを見つけてんだと、だからこうして俺達の臭いを消しておくのさ」

「マジっスか、それってどこかに隠れてても汗とか口臭とかそんなんでゾンビどもに見つかっちまうってことじゃないスか!」

「ああそうだ、だからこうして臭いを消しておくんだ、少なくとも2・3時間は見つからないから安心して休めるぞ」

「なるほどっス……あ、だから公民館の周りにあんないっぱいゾンビがいたんスね!?」

「多分な、避難民が多ければ多いほど生存者は臭いや音を出す、皮肉なことにそれらがゾンビどもを引き付けちまうんだろう」

「で、でも、それってあそこに生きてる人が確実にいるって証拠じゃないスか!」



柿崎の言う通りだ、生存者あるところにゾンビあり、また逆も然り、ゾンビあるところに生存者あり。

その証拠とでも言うように民家の少ない田舎道にはまったくと言ってよいほどゾンビの姿を見かけない。

生存者が多く立て篭っているだろう市内や住宅地にはあれほど集中して大量に存在しているにもかかわらずだ。



このことを教えてくれた高坊は、だからこそ避難所での集団生活の他に単独で篭城できる場所を探していたと言っていた。

もちろん他にも理由はある言っていた、高坊にとってはそれまで見聞きしてきた避難場所の惨状や暴徒の存在の方も十分恐ろしかったらしい。



集団生活ならではの利点もあるだろうが、それらのリスクと比べた時、高坊は一人でいることを選んだのだと思う。



……その割には無償で俺を助けたり、ここへ来る準備を手伝ってくれたりといろいろ世話してくれたわけだが、根がお人よしなのかもしれんな。



「とりあえず、少し休もう……後ろからテキトーに何か好きな飯食っといていいぞ」

「ウス、ゴチになります!」



俺は座席を少し倒して姿勢を楽にする、何時間もずっと同じ体勢だったので身体全体が強張ってしまい少々辛い。

柿崎は相当空腹だったのかガチャガチャとせわしなく後部座席を漁っている。

そういえば俺も何時間も食事とってないな、気分的にはとても食事できる状態じゃないんだが何か食っとかないとこれからもたないだろうし。



ひと休憩したら公民館への侵入方法を考えないといけない。

それも疲れた頭じゃろくな作戦は思いつかないだろうから無理やりにでも腹に何かいれとかないと。



「柿崎、すまんが俺の分も何か取ってくれ、あと水もな」

「カロリーメイトでいいっスか?」

「おう、ありがとよ」



柿崎からペットボトルの水とカロリーメイトの箱を受け取る、柿崎も俺と同じもの選んだようだ、量は倍以上だが。

箱を開いてクッキー状のそれをポイポイと口内に入れて頬張った、微妙にしっとりしているがやはり口の中で水分が足りない。

水を呷り一気に流し込む、当然味などわからない、単に腹におさめるだけの作業だ。

ものの数秒で食事を終えると俺は再び座席にもたれかかった。



「フゥ〜……」

「ハムッ ハフハフ、ハフッ!!」



よほど腹が減っていたのか柿崎は詰め込むように食事に夢中だ。

口一杯にカロリーメイトを頬張り、ペットボトルの水をグビグビ飲む。

ガタイもでかいし、見た目からしてアメフト選手なこいつは普段から燃費が大きいのかもしれん。

それにおそらく柿崎はまだ学生だろう、俺は不謹慎とは思いつつも気になることを聞いてみた。



「……柿崎、お前の家族はどうなったんだ?」

「はふょふスふぁ?」

「まずは食いもん飲み込め」

「んぐっ……俺の家族は妹だけっス、両親は3年前に事故で二人とも死んじまったんス」

「そうか、じゃあ妹は無事なのか?」

「それもわかってないんス、ゾンビが現れた直後くらいまでは携帯で連絡とれてたんスけど、それっきりで……」



柿崎は食べる手を止めて俯く、家族のことが心配なんだろう。

その気持ちは良くわかる、今の俺もまったく同じ気持ちだからな。



「妹はM県の叔母夫婦のところに世話になってるんで、こっから直接会いに行くことも難しいんス」

「M県? ちょうど俺が仕事に行ってた所だ、M県S市か?」

「そ、そうっス、あっちの様子はどうだったんスか!?」

「……すまんが、正直こっちと大差ないな、むしろあっちの方がゾンビの多さで言えば酷かった」

「そうスか……」



傍目にハッキリわかるほど落胆する柿崎、悪いがここで嘘を言ってもどうしようもないしな。

残酷かもしれんがここは正直に教えた方が良いだろう。

あそこは俺の目から見ても最悪そのものだった、高坊に助けられなかったら今ごろ俺もゾンビの仲間入りをしていただろうしな。



しばし無言の時間が過ぎ、やがて柿崎は顔を上げた。

まだすこし落ち込んだ様子はあるものの幾分か持ち直している。

体育会系の奴は気持ちの切り替えが早い奴が多い、俺もそうだが、何事もズルズル引きずっていると良いことは無いからな。



柿崎は先ほどまでの話題をはぐらかすように別の話題をふってきた。

最初に尋ねた俺も少々気まずかったので素直にその話に乗っておく。



「その、おやっさんの家族はどんな人達なんスか?」

「ん? 俺の家族か、そうだな―――」



それから俺たちは互いの事、家族のこと、仕事のこと、学校のことなど、とりとめのない話をした。

柿崎がアメフトのスポーツ特待生としてA大学に来ていること、その所為で妹と離れ離れの生活になり心配していたこと。

自分が妹を置いて一人で他県の大学に進学してしまった所為か、疎遠になってしまった妹に嫌われてしまったこと。

そのうえ柿崎の妹が何度か生活態度が悪いと教師から呼び出しを受けるような不良学生になってしまい、そのことを兄として心配していると嘆いていたので、俺の妻も昔は手のつけられない不良学生だったが今では更正して良き妻になっているのでそれほど心配するなと慰めたりもした。



一方で俺も自分自身のことを話したりもした、俺が最近妻に加齢臭対策を取らされていること、イビキがうるさいので娘と一緒に寝てもらえないこと。

仕事先で金持ちの道楽じみた仕事をさせられていたこと、そこの完成直前にゾンビが現れ始めて仕方なくそこに篭城するハメになってしまったことなど。



こうして話し合うことで俺たちは互いの家族の安否がわからない不安をどうにかしたかったのかもしれない。

不毛な現実逃避かもしれないが、こうしたやり取りで俺の精神は確かに落ち着いていった。



……しかしこの時、避難所である公民館の中がどんな酷い状態だったかなど、暢気に談笑していた俺達には想像することすらできていなかった。






休憩しはじめて1時間ほど経過した頃、日が暮れて空が茜色に染まってきた。

仮眠を取ることはなかったが、ずっと柿崎と話していたおかげで不安はまぎらわされて精神的にはかなり回復していた。



「そういえば、さっきから気になっていたんだがそんなに水を飲んで大丈夫か?」

「へ? あ、すいませんっス! 勝手にガブガブ飲んじまって!」

「いや、別にそれは構わないんだが、あんまり飲むと腹壊すぞ、本当に大丈夫か? 」



柿崎は先ほどから水をずっと飲み続けている、既にペットボトル6本は空にしているほどだ。

これは流石に飲みすぎなんじゃなかろうか。



別に水に関してはどうこう言うつもりはない、ストックはまだたくさんあるし、トランクには25リットルのポリタンク(×2個)にたっぷり水が入っている。

むしろ余っているくらいなので問題はまったくない。

俺が妙に気になるのはなぜそんなに大量に水を飲むのかということだ、これまで空腹だったにしろ異常な量だ。



「腹は、多分大丈夫っス……実は三日ほど前からここいら辺一帯水の供給が止まってて、断水状態だったんス」

「なんだと? じゃあ、柿崎は三日も水を飲んでなかったのか?」

「そうっス、まぁ、小便とかを布とか砂利でろ過して飲んでたりもしてたんスけど逆に喉が渇いてきて正直キツかったっス、避難所の皆もずっと喉が渇いててヒステリー状態になってたくらいで、ケンカとか暴れる人とかがいっぱい出たっス……ゾンビの侵入を許してしまったのもそれが原因だったんス」

「原因? どういうことだ?」

「何人かの人が我慢し切れなくなって外へ水を求めて避難所の扉を開けちまったんス……その人達はすぐにゾンビに襲われて死んだっス、でもそれだけじゃ終わらなくて開けられた扉から次々とゾンビが中に入って来たんス」

「なるほど、それで柿崎もあんなに喉が渇いていたわけか」



聞いてみればそれなりに納得できる理由だった、水が飲めない苦しみは致命的だ。

俺の場合は温泉からひいた水をいくらでも飲めたから多少ながらも飢えを誤魔化せたが、それすらできない状況ではより酷い状況になってたんだろう。

飢え、渇き、恐怖、そりゃあヒステリー症状も起こす。

きっと水が止まった時点で避難所の崩壊は遅いか早いかの差しかなかったんだろうな。



……ん? ちょっとまてよ、ってことは……



「なぁ柿崎、ひとつ聞くが断水はお前の所の避難所だけだったのか?」

「え、いや、そんなことはないっスよ、聞いた話だとおそらくここいら辺一帯全部がそういう状態だって……あっ!!?」

「っ!! ま、まずいっ、まずいぞ柿崎! そうなるとあの公民館もヤバイ! 暢気に休憩している暇なんてねぇぞ!!」

「す、すいません! オイラそのことに全然気がついてなかったっス!」



公民館も同じ状況ってことは、あそこの内部崩壊も時間の問題ってことだ。

今すぐにも正面バリケードが人間の手で破られてゾンビが侵入してきてもおかしくない状況になっている。

時は一刻を争う、ここでチマチマ作戦を考えてる暇もねぇ!



「こうなったら出たとこ勝負だ! 今すぐ出るぞ柿崎!」

「オ、オスッ!」







大急ぎで公民館へ引き返すと、数時間前に見たときとは様相が違っていた。

バリケードはまだ健在だ、ゾンビどもも相変わらず周辺をウロウロしている、じゃあ何が違うのか、それは



「も、燃えてるっス!!?」



公民館から火の手が上がっていた。

まだ出火したばかりなのか火が出てるのは二階の一部からだけで施設全体には燃え移っていないが、あと数分もすれば公民館は木造ゆえ全体が燃え上がることになるだろう。

日が沈んで夕闇が広がり始めたせいか、よりいっそう夜空の闇と火のコントラストが目立つ。



そして公民館の方から微かに聞こえてくるのは生存者の怒号や悲鳴。

ガラスの割れる音、何かの破壊音、そして断末魔。

まちがいない、内部で集団ヒステリーが起こってるんだ、人間同士が殺しあってやがる!



「最悪だ、もう崩壊は始まってやがる!!」

「ヤ、ヤバイっスよ! どうするんスか!?」



そうだ、どうする!? 考えろ、早く考えろ、今すぐ考えろ。

もう本当に時間がない、このままじゃ俺の妻と娘が死ぬ、焼け死ぬか、ゾンビに食われちまうか、それともトチ狂った人間に殺されるか、どれにしろ絶対死んじまう!



……ふざけんな! 家族がいるかどうかの確認もできないうちから終わりだなんて冗談じゃねぇぞ!



「おやっさん! しっかりして下さいおやっさん! 早く何とかしないと! おやっさ―――」

「柿崎ぃ!! 悪いが付き合ってもらうぞ、このままバリケードに突っ込むっ!!」



もうぐだぐだ悩むのは止めだっ、俺は妻と娘を助けに行く、後でどうなろうと知ったことか!



柿崎の返事を待たずアクセルを踏み込む、急速回転したタイヤが地面をこすり煙をあげた。

急発進、ゾンビの壁に車体を突っ込ませながら目指すのはその先、公民館の正面玄関だ。



ハンドルは両手でガッチリ固定し、アクセルもベタ踏み、そのままの勢いでゾンビどもの壁に突っ込んだ瞬間フロントガラスが一面血肉に赤く染まった。



「うおぉぉぉぉーーーっ!!」

「し、死ぬっスーーー!?」



恐怖を吹き飛ばすように雄叫びをあげて車を走らせつづける。

視界は赤く染まり何も見えない、だが減速だけは絶対にしない。

まっすぐ進めばそこが正面玄関なのだ、このまま最大速度でバリケードごと突き破る!

ゾンビどもを跳ね飛ばす衝撃だけが何度も車体越しに伝わってくる、ビシリッ、とフロントガラスの一部に罅が走った。

頼むぜ、せめてバリケード突破まではもってくれよ!



「うぼぁっ!!?」

「ちにゃっ!!?」



バゴォッ、と何かを突き破る音、同時に車本体に強烈な衝撃が走った。

身体全体が前方に吹き飛ばされそうな衝撃、それを引き留めたのはシートベルトとエアバッグだった。



肩、胸、脇腹に感じる痛みはシートベルトによって引き留められた証。

顔全体に感じる痛みはエアバッグのお陰か、どっちにしろ痛みを感じるということは生きてるってことだ。

車のエンジンも動いている、流石はキャデラック、車体は血肉まみれでボコボコだがまだこいつは走れそうだ。







「ゴホッゴホッ、い、生きてるか、柿崎?」

「ゲホッ……な、なんとか生きてるっス〜」



俺と同じようにエアバックで顔を打った柿崎に一声かけて俺はふらつく頭で車の外へと飛び出す。

もたもたしている時間はない、正面玄関をぶち破った時点でゾンビどもとの競争は始まってるんだ。

俺のゾンビどもに対するアドバンテージなんて車でぶち破ったバリケード分の十数メートル程度、ほとんどあってないようなもんだ。



俺の勝利条件はゾンビよりも早く建物内に入って家族を見つけ助け出すこと、そしてゾンビどもに見つからないように家族と脱出すること。

敗北条件は俺か家族の死、実にシンプルだ。



あともうひとつあった、ここに俺の家族がいなかった場合だ……その時はどうしようもないな。



もし家族を見つけたとしてどうやってゾンビだらけのここから脱出するかなどまったく考えてない。

そんな無理難題の解決法など俺の足りない脳みそじゃ早々簡単に思いつくはずがなかった。

だが、今の逼迫した状況が悠長に考えている暇を与えてくれない。

だからとにかく家族を見つけて助け出すことだけに集中する、後のことはそのとき考えれば良い!!



「柿崎、俺は家族を探しに行ってくる、お前はここで大人しくしてろ、10分で俺が戻ってこなかったらお前がこの車を運転して一人で逃げろ、いいな?」

「で、でも、それじゃあおやっさんがっ!?」

「馬鹿野郎っ!! こんな時にグダグダいってんじゃねぇ! いいから俺の言うことを聞け! ここまで付き合ってもらえりゃ十分だ!」

「お、オスッ!」



まだ何か釈然としない様子の柿崎を放置して、俺はすぐさま車のドアを閉めて走り出す。



地面には飛び散ったゾンビの血肉や欠けた四肢が転がっている、血肉の腐った腐臭が蔓延してて酷い臭いだ。

いくつかゾンビも倒れていたがまだ起き上がる様子はない。

軽く背後を見るとバリケード前で立ち往生していたゾンビ連中が破壊された入り口へと集まりこちらへ向かってきている。



俺は大型モンキーレンチ持ち、パチンコを腰にひっかけ、いくつかの小道具をポケットに詰め込むと建物内にむかって駆けだした。

あ、しまった、車内に安全ヘルメットを置き忘れてきてしまった……が、いまさら取りに行く時間も惜しい。

それにゾンビどもが迫ってきている、火災もすぐに広まってしまうだろう、ここからは時間との勝負だ!







公民館はそれほど大きな建物じゃない、一階は玄関から少し長い通路の先に大ホールがあり、二階にはいくつかの多目的部屋がある。

外から様子を見た限り火の手は二階から上がっていた、生存者がいるなららほとんど全てが一階大ホールの方に集まっているだろう。



正面玄関から続く通路には毛布やゴミなど人が生活していたであろう痕跡がいくつか残っていたし、何より無数の死体がそこら中に転がっていた。

鈍器で頭を割られた者や刃物で腹を刺されたもの、どいつもこいつも酷い死に様だ。

彼等、人間に殺された者もゾンビになるのだろうか? もしそうだとしたらあまりにも救われないな。



俺は通路を早足で進みそれらの死体を流し見ながら顔を一人一人すばやく確認していく、自分の妻と娘がこの死体の中にいないことを必死で祈っていた。

何人か生存者もいたが、怪我で身動きの取れない連中を俺はあえて見捨てた。

そんな暇などなかったし、自分の家族を見つけることしか今の俺には頭になかったからだ。

なによりあと数分もすれば俺の後に続いてゾンビの大群が押し寄せてくる、どっちみちあの傷じゃ逃げられず捕まってしまう、彼らは助からない。



「た、たのむっ、助け―――」

「すまんっ!!」



足にすがり付いてきた男を無慈悲に払いのけ俺は奥へと駆けた。

背後から何人かの悲鳴と断末魔が聞こえてくる、いよいよゾンビどもが人間を襲い始めたのか。

それを招き入れたのが俺だと思うと罪悪感やら焦燥感やらで感情がおかしくなっちまいそうだ。



もうこの先通路に残っている人影はない、俺は後ろを振り返らずひたすら前だけを見て走った。

大ホールの扉を開けるとそこにはもう一つの地獄絵図が広がっていた。



大ホールの中には100人くらいの人間がいて、そこでは、それぞれ手に武器を持った人間同士が無差別に殺しあっていた。

老若男女の関係なく、もみくちゃになりながら手に手に凶器を持った連中が互いに殺しあっていたのだ。



頭の禿げ上がった老人が手にもった杖で倒れ伏してぴくりとも動かなくなった子供を執拗になおも殴打し続けていたり。

複数の女たちが亀のように蹲る一人の男を囲んで全員で足蹴にしまくっていたり。

互いの腹にナイフを突き立てながらもなお組み合って争いあう男達がいたり。

他にも見るに堪えない惨状が視界いっぱいに広がっていた。



いったいどんなことがあればこんな惨状を引き起こすことになるのだろうか。

人間は数日水がないだけで、渇いただけでここまで醜悪な面を晒すのか。



俺は目の前の惨状に愕然としながらも、今自分がやるべきことを思い出す。

そう、妻と娘を探さなければ、こんな地獄から一刻も早く助け出さねば!

血みどろの室内を見渡し見知った姿がないか必死で探す。



……クソッ、見つからないっ! 人がごちゃごちゃしすぎてて判別が難しい。

どうする、どうすれば見分けられる……そうだ、こうすれば良い!!



俺は覚悟を決めて肺いっぱいに空気を吸い込む。

血生臭い、思わず吐き戻しちまいそうだ。

空気を限界まで吸い込み、腹に力を込めて全力で大声とともに吐き出した。



「百恵ぇぇぇぇっ!! 美雪ぃぃぃぃっ!!」



室内全てに響いた俺の叫び声、ビリビリと空気が細かく振動するほどの大声だ。



限界を無視した大声の所為で喉に引き裂かれたような激痛が走るが気にしない。

周囲の暴徒達がいっせいに俺に注目して狂った殺気を向けてくるが気にしない。

恐らくすぐそこまで迫っているであろうゾンビどもをより強く引き寄せてしまうであろうが気にしない。



そんなことよりも、今は家族の安否の方が重要だ!



俺は耳を澄ます、どんな小さな声だろうと逃さないように。

生きているなら、俺の声が聞こえたなら、頼む返事をしてくれ!



「パパー!!」



か細い声がした、集中してなければ騒音に掻き消されてしまいそうな小さな声、だが俺がそれ聞き間違えるわけがない。

俺の娘の、美雪の声だッ!!






「美雪ぃぃぃーーーー!!」



俺が娘の声を聞き間違うわけがないっ!

無我夢中で声のした方向へ走る、進路を塞ぐように立っていた連中は振り回したモンキーレンチやパチンコ玉でぶっ飛ばす。



走っているうち通り過ぎる連中などからもいくつか反撃をもらいつつも、走る足だけは絶対に止めない。



娘の声を聞いて自分でも信じられないくらいの力が全身に漲っている、痛みもほとんど気にならない。

なんだこりゃ? これが俗に言う火事場の馬鹿力ってやつなのか?



腕に何か刺されたが無視する、脇腹を何か硬いもので強打されたが無視する、足を何かで切りつけられたが無視する。

肉が切り裂かれ血が流れる、骨が折れたかもしれない、全て無視する。



今は、一刻も早く、家族のもとに向かうことだけが俺の全てだ!!



「うおおおぉぉぉぉっ!!」



目の前に立ちふさがった男の顔を殴り飛ばすと開けた視界の先に、俺の家族の姿が見えた。

ハ、ハハッ、ついに、ついに見つけたぞっ!! 



「あなた!!」

「パパ!!」



俺と同じようにこっちの姿を確認した妻と娘が俺の名を呼ぶ。



娘の美雪を背に庇うように百恵が立っている、その手には短めの鉄パイプ。

妻は顔を殴られたのか頬に痣があり、口の端から血を流していた、痛々しい姿だ。



……だが、生きている、二人とも生きている!



目立った外傷は頬の痣だけだ、妻にも娘にも命に関わるような傷は見られない。

二人とも多少衣服が破れている程度で怪我がないことに心底ホッとする、こんな惨状でよく生きててくれた!



だがまだ安心はできない、妻の周囲には取り囲むように二人の男がいた、どいつも手に包丁や角材を持っている。

こいつらか? こいつらか俺の家族を痛めつけてくれたのは!? 絶対に許さん!



「キサマらぁぁぁーーー!!」



息つく暇もなく男の一人に飛び掛る、握ったモンキーレンチで殴りかかるも角材で防がれてしまう。

関係ないっ、そのまま身体ごと体当たりして相手を押し倒す。



「がはぁっ!?」



背中から地面に強烈に叩きつけられた男が息苦しそうな声をあげる。

さらに男が起き上がる前にすかさず追撃、モンキーレンチを握ったままの拳で鳩尾を全力強打。

ボキリ、と相手の骨が折れる感触が拳越しに伝わる。



「ッッーーー!!!」



声にならない叫びをあげて男は気絶した、死んではいないだろうが地獄の苦しみだろう。

だが毛ほども罪悪感は沸かない、爽快感もない、今の俺にあるのはどんなことをしても家族を守り抜く覚悟だけだ。



「な、何なんだよテメェ!?」



残りの男がひどく怯えた様子で威嚇してくるがまったく迫力がない。

声が震えているし、目に力がない、包丁を持つ手だって覚束ない。

そんな情けない恫喝じゃ子供だって怖がらせることはできねぇぜ!



「失せろクソガキ!!」

「ひ、ひぃィィィっ!!?」



俺の一喝にびびって、半狂乱になりながらこっちに向かってくる、くそっ、おどしにびびって逃げなかったか。



こちらに突きつけられた包丁、俺は狙いを定めてモンキーレンチで包丁を持つ男の右手を強打して叩き落す。

自分でも驚くほどの集中力、振り下ろしたモンキーレンチは正確に男の右手に当たっていた。

骨が砕けるほどの強打だ、こうして武器さえ奪っちまえばこんな奴どうってこと―――



「いぎゃぁぁぁぁ!!?」

「うごっ!?」



そうして俺がほんの少し気を抜いた瞬間、男が残った左手を突き出してくる。

瞬間、下腹部に尋常じゃない痛みと焼けるような熱さが生じた。



「あなたぁっ!!?」



妻が悲痛な声で俺を呼ぶ、痛む腹を見ると俺の脇腹にドライバーが突き刺さってやがる。

こ、こいつ武器をもう一つ隠し持ってやがったな。



「こ、の、野朗ぉッ!!」



最後の力を振り絞って男の頭をモンキーレンチで殴りつける。

ゴッ、と鈍い音がして男は床に倒れた。

頭が割れたのか床に出血が広がる、死んだのか、生きているのか、調べる気もない。



「うぐぐ……がぁっ!!」



痛みに堪えてドライバーを腹から抜く、腹に力を入れすぎた所為か抜けた拍子にビュッと血が噴出した。

すぐに力を抜くが少量ながらも断続的に血が出てくる、激痛も続く。



……こりゃあマズイかもしれん、今は身動きできないほどじゃないが、早めに処置しないと重症になりかねん。







「あなた!!」

「パパ!!」



妻と娘が駆け寄ってくる……あぁ、やっと出会えた。

傷の痛みも忘れて二人を抱きしめる、強く抱きしめる、暖かい、生きている証だ。



こうして全員が生きた状態で再会できた、間違いなく奇跡だ。

よかった、二人の生存を信じてここまで来て本当によかった!



「百恵! 美雪! よかった……二人が無事でよかった!!」

「あなた……私も会いたかったわ!」

「パパー! こわかったよーーー!!」



腕の中で泣く二人を抱きしめる、俺も自然に涙が流れた。



ふと、安心した所為か、強烈な疲労感と激痛が急速に俺の全身を襲ってきた。

腕の刺し傷が、肋骨が、足の切傷が、脇腹の刺し傷が。

さっきまでの無茶の代償とでも言うように俺の全身から力が抜けていく。

まずい、痛みと疲労がぶり返してきた。



立ち眩みで思わず倒れそうになる、先ほどまで抱きしめていた二人に寄りかかるように体勢が崩れる。

とっさに妻に支えられるが、丁度腕の傷口を押さえられてしまい激痛が倍加してしまう。



「うぎっ!?」

「ご、ごめんなさい! あなた、傷は大丈夫なの!?」

「パパ!?」

「……す、すまん、ここまで来といてこんなんじゃ情けねぇよな、大丈夫だ、まだいける!」



歯を食いしばって足に力を込める、今すぐにでも気絶しそうな状態だがここでそんな無様は晒させねぇ。

せめて、妻と娘を安全なところまで送り届けるまでは、死ねないんだよ!



俺が気合を入れなおしてようやく立ち上がると、背後の方から大勢の悲鳴があがりはじめる。

……ついに追いついて来たか、こっからが正念場だな。







ゾンビに追いたてられた連中が我先にと入り口の逆方向、ホールの奥へ奥へと逃げていく。

皆がさっきまで殺し合ってたことすら忘れたのかのように一斉に逃げていく姿はまるでマグロから逃げるイワシの魚群だ。

先ほどまで大騒ぎしていた俺に構う余裕すらないようだ。



よほどゾンビが恐ろしいんだろうな、俺はここに来るまで長いこと外を走ってきたからゾンビの姿に慣れてきて恐怖心が麻痺してるのかもしれんが。

ああして叫び逃げ惑えばよけいにゾンビを引き寄せることになるというのに。



ふと、高坊の話を思い出す『ゾンビは匂い、音、そして動きで人間を見つけ出す』と。



……その姿を見ていて、俺はとっさに一つの作戦が思いついた。

正直、博打にも等しい作戦だが、今この状況で家族と全員で助かるためにはこれしかないように思える。

それに何もしないでここで食われるよりはマシだろう、俺達は何が何でも生き残るんだ!



「な、なにが起こってるの!?」

「こわいよ〜!」



困惑する妻と娘、無理もない。

とりあえずこの二人を落ち着かせないと、だが今は事情説明している時間も惜しい。



「いいか二人とも落ち着いて聞いてくれ、今ここにゾンビが侵入してきてる、アレは襲われた連中の悲鳴だろう」

「えぇっ!? ゾンビがここに!? わ、私達も逃げなきゃ―――」

「落ち着け! いいか、俺達は逃げない、逃げてもどうせこの奥は行き止まりだ、捕まって食われる、だからここでやり過ごすんだ」

「そ、そんな!? 無茶よあなた!」

「俺を信じろ、大丈夫だ、きっと上手くいく!」

「あなた……」



それでもいまだ不安そうな表情で俺を見つめる百恵。

それも当然か、ゾンビの大群をやり過ごす、なんて正気で考え付く作戦じゃない。

高坊から事前に情報を聞いてなかったら俺だって絶対に考えつかない。



しかも俺は口では大丈夫といったが、作戦に確信があるわけじゃない、二人を落ち着かせるための単なるデマカセだ。

だがこういう時に情けない態度で家族を不安にさせるようじゃ一家の大黒柱なんか勤まらねぇ!

家族のためなら俺は堂々とホラを吹くぜ!



「パパ、ミユキはパパのことしんじるよ、だいじょうぶ!」

「美雪……」

「美雪……そうね、私はあなたの妻だもの……私もあなたを信じるわ!」



妻と娘が落ち着きを取り戻す、二人の俺に対する信頼を寄せる目がありがたい、再び力が湧いてくるようだ。

この状況で生き残る最低限の必須条件はこれで整った。

あとは作戦を実行に移すのみ!







「いいか、絶対に声を出しちゃだめだぞ、俺が良いというまで身動きもとっちゃ駄目だ、わかったな?」

「えぇ、わかったわ!」

「りょーかいです!」



俺は逃げ惑う人々がゾンビに対する壁になっている内に足元から適当なシートを見繕って拾い上げる。

銀色の大型アルミシートだ、おそらく災害用に配布されたものだろう。

できればもっと生地が分厚い毛布等が欲しかったが、今はそれを探す時間すら惜しい。



「うにゃ!?」

「わっぷ!?」



美雪、百恵、俺、の順に執拗なほどファブリーズを吹きかけていく。

わけがわからない様子の二人から困惑の様子が見て取れたが説明している暇がない。



「大丈夫だ、小さく蹲って大人しくしててくれ」



アルミシートにもファブリーズをまんべんなく吹きかけすぐさま俺達を覆うように上から被せる。

俺は蹲った二人を守るように覆い被さった。

家族三人がアルミシートに包まって小さな塊となる。



「何があっても声をだすなよ、動くのも駄目だぞ」



最後に念を押して俺も押し黙る、既に逃げ出す人々の喧騒は後方に向かっている。

ズリズリ、と何かを引きずるような音が大量に近づいてくる、ゾンビの群れだ。

俺の下で二人が震えているのがわかる、ギュ、といっそう強く抱きしめた。



「―――ッ!?」



次の瞬間、俺達に何かがぶつかった、アルミシート越しに伝わる確かな感触。

ドスン、と決して強くはない衝撃、しかしそれがゾンビのものであるとわかっている以上、緊張感が極限に達する。

バレるなよ、頼む、バレないでくれ!!



神に祈る思いで恐怖に堪える、バレれば一巻の終わりだ。

俺の下で妻も娘も怯えている、それでも叫びださないだけ凄いことだ。







……3分が過ぎただろうか、体感時間ではもっともっと長く感じたが恐らくそれくらいだろう。

ゾンビどもの何かを引きずるような音が後方に移動しきったのを確認してアルミシートからそっと顔を出す。

これで目の前にゾンビがいたら一発アウトなわけだが、幸いそういうこともなくゾンビは全て後方の逃げ出した人々の方へ向かっていた。



奥の方から人々の悲鳴や断末魔が聞こえてくる。

ゾンビどもに襲われているんだろう、悪いがその調子で今しばらくの間ゾンビ連中をひきつけておいて欲しいもんだ。

非人道的な作戦かもしれんが、俺は逃げ出した人々を囮にしてゾンビをやり過ごす作戦を思いつき、実行した。

そのことに僅かな罪悪感はあるが、家族を助けるためなら俺は何でもすると決めた。

だからこそ今は迅速に行動せねば、彼等を気にしてまごついてはせっかくの作戦も無駄になっちまう。



「……よし、あわてず静かに進むぞ、外に車がある、そこまで逃げ切れば大丈夫だからな」



恐怖で涙目の二人がコクリと頷く。

俺達はそっとアルミシートから抜け出し、足音を立てないように大ホールから出て行く。

後方のゾンビどもにはまだ気がつかれていない、悲鳴をあげ続ける生存者集団の方に夢中だ。



まだ柿崎に告げた時間まであと2分くらい残ってる、急げば十分間に合う時間だ。



通路に通ると目に付くほとんどの死体が原型を留めていない、よほど酷く食い散らかされてしまっているようだ。

百恵や美雪が「ひっ!?」と短い悲鳴をあげそうになったのでとっさに口を塞ぐ。

さすがにこの光景は二人には刺激が強すぎたか、俺でも少なからずショックを受けてるしな……



だが大声はまずい、後方のゾンビどもに一発でバレてしまう。



暫くして二人が落ち着いたのを感じてそっと手を離す。

クソッ、仕方ないこととはいえ余計な時間を食っちまった。

残り時間はあと1分もない、急がないとマズイ。



しかたない、ここからは後方のゾンビどもに見つかるの覚悟で走るしか―――



俺がそう決断した時である、通路の前方から新たなゾンビ集団が大量にゾロゾロやって来たのを見てしまったのは。

それは、先ほど通路で死んでいた、俺が見捨ててきた人たちの無残な末路だった。







「ハ、ハハ……こりゃ、流石に無理だ……」



目の前の絶望的な光景に足元から崩れ落ちそうになる。

通路の死体もだが、外のゾンビどもの第二陣も混じっているんだろう、通路を埋め尽くさんばかりのゾンビの群れ群れ群れ。

数えるのも馬鹿らしいほどのゾンビが俺達の目の前をきっちり塞いでいた。



出口は、車は、すぐそこだというのに、目の前に越えられない壁が立ちふさがる。

あんな数、どうしろっていうんだ?



戦って突破を試みてみるか?

それこそ無茶だ、体力が尽きている上に全身くまなく負傷してろくに動くこともできない俺に何ができる?



それにゾンビ集団の中に妙に動きの良い奴等がチラホラいる、多分、さっき死んだばかりの奴だろう。

動きの速さも、移動速度も、並みの人間と遜色ない、いや、むしろそれ以上だ。

アレでゾンビ特有の怪力やタフさを備えているのだから始末におえない、あれなら普通の人間と戦った方がまだ勝ち目がある。



今の俺じゃあ、一匹も倒せずに餌食になるのがオチだ。



せっかく大量のゾンビを命がけでやり過ごしたってのに、脱出ギリギリになってこれか。

後方は未だ大量のゾンビの群れ、前方にもゾンビの群れ、しかも強力な死にたてまでいやがる、狭い通路ゆえ逃げ道もなし。



……これは、完全に詰んだか。



もし存在するなら神を呪いたくなるぜ、地獄に落ちやがれ。



「あなた……」

「パパ……」



状況を察したのか、二人が驚くほど落ち着いた様子で俺に抱きついてきた。

……いや、これは諦めてるからか、さすがにこの状況は絶望的過ぎるよなぁ。



「百恵、美雪、すまん……どうも、ここまでみたいだ……」



二人を力いっぱい抱きしめる、二人は俺にしがみつきながら震えていた。

結局ここで終わりかよ、あとちょっとだってのに、二人を助けられそうだってのに!

チクショウ……!!



俺はせめて最後の瞬間まで二人を抱きしめていようと力強く腕を回す。



ふと、腕時計が目に入った、すでに時間は期限を過ぎて1分が経過していた。



柿崎は無事に脱出できたのだろうか? 

車はエンジンが無事だったし動くと思うが、確実な保証はない。

俺が巻き込んだような形でバリケードに突っ込んでしまったので、アイツには悪いことをしてしまった。



本来ならライフラインの途切れたこの地域に見切りをつけてさっさと他の避難所へ移動すべきだったのを俺が勝手に連れまわし。

挙句の果てにこんな死地にまで巻き込んでしまった。

いくら俺の家族のことが関わっていたとはいえ柿崎には関係のない事だったろうに、柿崎は一言も文句を言うことがなかった。

むしろ俺の家族の安否を一緒に心配してくれるなど、あいつには感謝してもし足りないな。



ゾンビどもがすぐ目の前まで迫ってくる、もうあと数メートルと距離はない。

数秒後かには俺も家族も連中の餌食になってしまうんだろうな。

心底悔しいが、最早どうにもならない状況だ。

見苦しく最後を迎えるよりも、大人しく家族との最後の時間を大切にしよう……



「美雪、百恵……愛してる、頼りない父ちゃんで悪かった」

「そんなことないわ、ここに来てくれただけでも嬉しかった……私も愛してます」

「ミユキもだいすきだよ……パパ、ママ……」



俺は柿崎の無事を祈りながら覚悟を決める。

家族を抱きしめ、静かに目を閉じた。



二人ともすまん、最後まで守ってやれなかった……







「トラァァァイッ!!」



唐突に轟く雄叫び、閉じていた目を見開くと目の前には信じられない人物が現れた。

いきなりゾンビどもの大群をかき分けて飛び出してきたのはアメフト装備を身に纏った柿崎。



無数のゾンビに捕まりつつもそれらを無視するの如く引き摺って走ってきた。

信じられないような身体能力だ、ゾンビは人間の何倍も怪力があると言うのに柿崎はまったく負けてない。



というか、それ以前の問題になぜここに!? お前はここから脱出したはずじゃ!?



「か、柿崎!?」

「おやっさん、助けにきたっスよ!」



引っ付いているゾンビをバールで殴ったりブンブン振り払いながらこっちへ走りよってくる。

いともたやすく吹っ飛ばされるゾンビども、そうだった、確か柿崎と出会ったときもこんな感じで力任せにあしらっていたっけ。

つい自分基準で考えていた、だがそれにしても柿崎の身体能力がここまで高かったとは驚きだ。



あ、いや、落ち着け、今はそれどころじゃないだろう。

俺を助けに来た? 何で? 俺は10分立ったら逃げろと言った筈だぞ?

無関係なお前まで死地に来る必要はなかったのに。



「ば、馬鹿野朗、なんで、来た?」

「命を助けてもらった恩には命で返す! 人として当たり前のことっス、理由なんかそれだけで十分っスよ!」



いやにさわやかな笑顔で断言する柿崎。

その言葉に思わず涙がにじむ。



「馬鹿野朗、青臭いガキが泣かせるようなこと言うんじゃねぇ……」

「ハハッ、おやっさんの泣き顔見れただけでも来た甲斐があるっスよ」

「あの、あなた、こちらの方は?」

「こいつは柿崎、ここに来る途中で拾った奴だ、大丈夫、変な身なりだが悪い奴じゃない」

「オッス、よろしくおねがいしますっス!」



柿崎が妻に挨拶をしつつもすぐに背後に向き直る、すぐそこまでゾンビが迫っていた。

……相変わらずの数だ、柿崎が援軍に来てくれたとはいえ、果たして俺達はこの大群を突破できるのか?



「柿崎、こうして助けに来てくれたのは非常にありがたいが、どうするつもりだ? 正直俺は満身創痍で役に立てそうにないぞ、囮くらいにはなれるかもしれんがどれほどもたせられるか……せめて妻と娘だけでも逃がせればいいんだが」

「大丈夫っス、おやっさんがそんなことしなくてもオイラが道を拓くんでその後をついて来てくださいっス、こっちに来れたんだから戻るのも問題ないっスよ!」



自信満々で言い切る柿崎、バールをかかげながらニッと男らしく笑ってみせる。

本人は爽やかにキメたつもりなんだろうが、見えた歯が一つぬけててどうにも間抜けな顔にしか映らない。

プッ、と思わず笑いそうになった、だがそのお陰で緊張感が少し抜けた気がする。



うん、何事も悪く考えるべきじゃないな。

ここは素直に柿崎に頼ろう、根拠はないがこいつなら何とかしてくれそうな気がする。



「そりゃあ、実に単純明快で俺好みの作戦だが……本当に大丈夫か? 無理してお前に死なれちゃ流石に目覚めが悪いぞ」

「そこは信頼して欲しいっス、これでも県内最強の選手なんスから、あんな連中をブッコ抜いてタッチダウン決めることくらいワケないっス!」



これはアメフトの試合じゃあないんだが……

まぁ、真剣勝負という意味じゃそう変わらんのかもな。

もっとも、これは勝負に負ければ即、死に繋がるデスゲームなんだが、もう俺は柿崎に賭けることに決めている!



「よっしゃ、じゃあ俺等の命預けるぜ、頼む柿崎」

「オスッ!! しっかり後ろについてきて下さいっス! いくっスよ!!」



フンスッ、と鼻息荒く気合を入れてゾンビどもの大群に突っ込んでいく柿崎。

バールを振り回し、それでも手数が足りないときは拳で殴り、それでも足りなければ体当たり。

常に俺達を背後に置くようにして守りながらもゾンビども次々とをなぎ倒していく。

その後姿はまるで物語に出てきた武蔵坊弁慶のように力強かった。



「す、すごいわ柿崎さん!」

「おにいちゃんつよ〜い!」

「ハッハーッ、オイラが本気になればこれくらい余裕っスよ!!」

「バカ、柿崎油断するな! 右から来てるぞ!」

「フンガーッ!! 助かったっスおやっさん!」



死角から襲い掛かってきたゾンビを張り倒し、礼を言ってくる柿崎。

まったく、礼を言いたいのはこっちだぜ、こんな危険地帯にまで助けに来てくれるなんてよ。

どんなに感謝してもしたりねぇじゃねーか!







柿崎が最後の一匹を体当たりで吹き飛ばすと、ついに視界が開けた。

乗り込んできた時のままの車が見える、好都合なことに車の周囲にはゾンビがいない、今なら安全に乗り込める!



「よしっ! 切り抜けたぞ、車まで全力でつっ走れ!」



皆で玄関から走り抜け、急いで車に乗り込む、エンジンをかけると大した不具合もなくしっかり動く。

いける! このまま大急ぎでここから脱出すればゾンビどもも到底追いつけない。



俺がそう確信して車を動かそうとした時、まだ柿崎が外でじっとしていることに気がついた。

馬鹿野朗! せっかくここまで来たのに何ぼうっとしてるんだ、早く乗らないとゾンビどもに襲われちまうぞ!?



「柿崎! 早く車に入れ!」

「………………」



だが柿崎は静かに首を横に振るっただけで返事もしない、相変わらずじっとしたまま先ほどまでとはうって変わってこちらを悲しそうな目で見ていた。

何か言い辛そうに、でも話さなきゃいけない、そんな雰囲気でただ立ちつくしていた。

なぜ柿崎がこの切迫した状況で急にそんな行動に出るのか俺にはわからなかった。



「か、柿崎?」

「おやっさん、オイラはここに残るっス」

「な、なにバカなこと言ってんだ、いいから早く―――」



俺の言葉を遮るように柿崎がアメフト装備のグローブをはずし服の袖をまくって腕を晒す……そこには歯型のついた噛み傷があった。

血こそあまり流れていないが、クッキリと歯型を残した傷跡は見ていて痛々しい。

あれは……どう見てもゾンビに噛まれた傷跡だ。



「なッ!!?」



突然晒された目の前の事実、驚きで声も上手く出せない。

なぜ柿崎がゾンビに噛まれてる? さっき脱出する時に噛まれたのか? じゃあなんで服の下に傷跡が?

たしかゾンビに噛まれたらもう助からないんじゃ? じゃあ柿崎は死ぬのか? 俺が巻き込んだ所為で死ぬのか?

混乱で上手くまとまらない思考を遮ったのは柿崎の冷静な声だった。



「これ、おやっさんに助けられる前に噛まれた傷なんス、最初の避難所から脱出する時っス」

「柿崎、お前それじゃあ……」

「ウス、オイラはもうすぐゾンビになっちまうんス……だから、おやっさん達とは一緒に行けないっス」



嘆くでもなく、怒るでもなく、ただほんのすこし物悲しそうにして苦笑いする柿崎。

ふ、ふざけんなよ、お前にこんな形で死なれてたまるかよ! 衝動的に俺は叫んでいた。



「ばっ、馬鹿野朗ッ! なんでそれを先に言わなかった、何か、何か助かる方法だって一緒に考えられたはずなのに!!」

「おやっさん、無茶を言うもんじゃないっスよ、ゾンビに噛まれたらアウト、それくらいオイラだって知ってるっス」

「だが!!」



なおも言い募ろうとした俺を柿崎が首を横に振って遮る。



「……あの時、オイラ死ぬのが怖かったんス、自殺なんかできないし……でも、じわじわゾンビになるのはもっと嫌だったんス」

「柿崎……」



柿崎に諌められ、僅かながら頭に上っていた血が冷えていく。

そうだ、一番嘆くべき立場の柿崎を差し置いて俺が憤慨してどうすんだ。



くそっ、どうにもなんねぇのかよ……



「だから、ああしてゾンビ相手に必死になって戦ってればそのうち死ねると思ったんス、戦いに集中してれば恐怖心も紛らわせることができたっスから」



あの時、逃げもせず雄叫びを上げながらゾンビと戦いつづけていたのにはそんな理由があったのか。

偶然俺が助けなかったら、確実にあのまま力尽きて死んでいたんだな。



「でも、オイラはあそこでおやっさんに助けられたっス、死ぬつもりだったのにおやっさんに怒鳴られてつい従って、そして命が助かって……正直、心底安心したっス、まだ生きてることが嬉しかったんス、だから助けてくれたおやっさんにはすげー感謝してるっス」

「そんなの当たり前じゃねぇか、だれだって死にたくなんかない、それこそ当たり前だろうが! そんなことで俺に、感謝なんかしなくていいんだ……!」

「それでもっス、オイラは遅かれ早かれゾンビになるし今更惜しむような命じゃないっス、こうして恩人のために使えたならなお本望……それに好都合なことに公民館は炎上中、あの中なら死んでも黒焦げになるだけでゾンビにはならないっス」



そういってニッ、と男らしく笑ってみせる柿崎。

男の決別は笑顔で、か……柿崎、お前最後までいい根性してるぜ!

なら、俺もお前の心意気に答えないとな!



引きつる顔を無理やり笑顔に変える、俺は上手く笑えているだろうか?

頬を涙が流れるが、もはや情けないとは思わん。

恩人のために流す涙だ、恥ずかしくも何ともない!



俺と柿崎はそうして数秒間だけ笑顔を交わして別れを告げた。



「おやっさん行ってくださいっス!」

「……柿崎、馬鹿野朗が……一人で抱え込みやがって……だがありがとうよ! お前のこと絶対忘れねぇぜ!!」

「おやっさん、お元気で!!」



柿崎の別れの言葉を切欠にして、迷いを断ち切るかのようにアクセルを踏み込む。

車は急発進してあっという間に公民館から離れていった。

バックミラーにうつる柿崎の姿がみるみる小さくなっていく。







「……あとは自分の後始末をするだけっス、あんた等にはあの世への道連れになってもらうっスよ!」



柿崎は瀬田一家が十分離れたのを見送ると背後に迫っていたゾンビどもに振り返り一人で突貫していく。

公民館の中へ戻るつもりなのだ、あの中でなら全てが燃え尽きる、死後ゾンビ化することはない。



柿崎はこれから死ぬ人間とは思えない勢いでゾンビどもをなぎ倒していく、どんどん大群のを押しのけ前へ前へ迷いなく進んでいった。

やがて柿崎の姿はほとんど見えなくなり。



「トラァァァイッ!!」



という力強い雄叫びが一度聞こえた後、柿崎の姿はゾンビの大群の中に消えていった。



「……柿崎っ……柿崎ぃぃぃいーーー!!」



自分の、そして家族の恩人との永遠の別れに対して、渋蔵は泣きながら彼の名前を叫ぶことしかできなかった。







炎上する公民館から脱出して数時間、俺達は危険の少ない田舎道に停車して休息を取っていた。

俺の傷の応急処置や、脱水症状であろう妻と娘への水分補給、その他にも細々とした後始末。

それらが一通り終わると今度は強烈な疲労感から皆ダウンしてしまっていた。



「……これから、どうしようか?」



俺は車の中でこれからについて考えるも思考が上手く働かない。

結構な時間休んだはずだが、いまだに元気が沸かないのだ。



モヤモヤとした意識の中でその原因を探ってみる。

家族を助け出したことで緊張感が切れたのか、これまでの疲労が一気に爆発したのか、負傷して血を流しすぎたのか、それとも柿崎の死のショックか。

幾つも考え付くが、ハッキリとは決められない、もしかしたら全部が原因なのかもしれん。



妻と娘は後部座席で眠っている。

二人も長い避難所生活で精神的・肉体的に疲労しきっていた。

こうして助け出されたことで張り詰めていた緊張の糸が切れてしまったんだろう、今はゆっくり眠るといい。



俺もまだ柿崎の死が後を引いている、あまり死んだ者のことを考えすぎるのは良くない事なんだろうが自分の感情を上手く制御できない。

あまりにも短い付き合いだったが、あいつは良い奴だった。



なにより俺達家族の恩人だ、あの絶望的な状況から助けてくれた奴を見捨てていかなきゃならない辛さは想像以上だった。

妻や娘も慰めてくれたが、もう暫くは引き摺ることになるかもしれないな。



「……あなた、起きてる?」

「ん、起きてる」



目が覚めていたらしい妻が娘を起こさないように小声で話し掛けてきた。

どことなく口調に不安が滲み出ている、無理もないか。



「どうした?」

「わたしたち、これからどうなるの? こうして助かったけど、どこもかしこも無茶苦茶になっちゃって……」

「不安か? 俺もだ、ここ数日で何度も死にそうな目にあったし、ここに来るまでゾンビどもばっかりしか見かけなかったしな」

「……どうして、どうしてこんなことになっちゃったの!?」

「わからん、ラジオとかだと世界中どこも似たり寄ったりな状況らしい、原因不明のウイルスだとかオカルト現象だとかいろいろ騒がれちゃいるが誰もどうしてこうなったかなんてわかっちゃいないんだ」



実際はもっと酷いことになってるようだがな、混乱に乗じて核ミサイルが世界中に落ちてきたり。

アメリカの兵器研究所が破壊されて生物兵器(殺人ウイルス)が流出したり。

大規模な避難所では必ずといってよいほど集団ヒステリーや暴動が起きているらしいし。

生き残った連中もあっさり暴徒化して、略奪、強姦、殺人、一部地域じゃゾンビよりも酷いことになってるらしい。



きっかけはゾンビ発生だったのかもしれんが、その後の原因がほとんど人間の自業自得ってのは業が深いよな。

危機的状況だからこそ手を取り合って協力するのではなく、互いに奪い合い殺しあう、ここまで追い詰められても互いを憎みあう。

つくづく俺達人間って奴は……



俺はあえて必要以上な話を妻にしなかった、無駄に不安にさせるだけだと思っていたからだ。

だが百恵はそんな俺の態度に気が付いているようで、事態が想像以上に酷いことを察してしまったようだった。



「……わたしたち、この先美雪を守れるのかしら? 正直、自信がないわ」

「百恵、俺達は美雪の親だ、そんで俺はお前の夫だ……守るさ、二人とも俺が命をかけて守る」

「あなた……」



自然と、不安そうに弱音を吐く妻に俺は力強く宣言していた。

ここ数日でより明確になった俺の信念、俺の力が及ぶ限り命をとして家族を守るという決意。

俺は最後の瞬間が訪れるまでこれを破るつもりはない。



そうだ、俺が二人を守らないで誰が守るっていうんだ?

弱気な態度を見せて妻を不安にさせてどうする? こんな状態だからこそ夫が妻を支えてやらなくてどうする!? 家族を支えないでどうする!?

俺達のために命をかけてくれた柿崎のためにも、俺が家族を守らなくては申し訳が立たない!



使命感に萎えかけていた心が奮い立つ、頭のモヤモヤが消え去っていく。

傷の痛みも全身の疲労も無視できるようになってくる。

急速に思考がクリアになり、これからどうすべきか、家族を守るために何をすべきか、次々とやるべきことが思い浮かんできた。



そこで目下最大の懸念事項について解決策を考えつく。

これから俺達はどうすべきか、どこへ向かうべきか、それは―――



「なぁ百恵、たぶんもうここは駄目だ、水もない、避難所も壊滅、市内はゾンビだらけ……だからここを離れて一緒にM県に行かないか?」

「M県? それってあなたが仕事で行ってた所?」

「あぁ、俺が設計を手伝ったマンションがあってな、温泉から水も自給できるし食料さえ何とかできればセキュリティも高い、長期間避難するにはうってつけだ」



俺の場合、一人でびびってマンションに引き篭もってた所為で飢え死にしかけたわけだが。

ここ数日でそれなりに外を出歩くノウハウを実地で学んだ、それこそ命をかけて。

ゾンビと正面きって戦うことこそできないが見つからないように避ける術は身に付けた、今なら高坊と一緒に食料調達することだってできるはずだ。



別れ際、高坊には家族で戻ってくる可能性も話してあるし。

俺達家族三人くらいならマンションにやって来てもそれほど邪険にされることもないだろう。



「それに、そこには俺が気に入った兄ちゃんがいてな、百恵と大して変わらない年の癖にやたらと頼りになるんだわ、実際俺も最初助けられたしな」

「あら、そんな人が? それじゃあわたしからも是非お礼を言ってかないと」

「あそこなら工夫しだいで数ヶ月・数年の篭城ができるだろうし、そうして状況が落ち着くのを待って救助を待てばいい……もし救助がなかったとしても、暫くはどうすべきか考える時間を稼げるはずだ」

「……そうね、あなたの言う通りだわ、なら行きましょうよM県へ!」



妻の同意を得て今後の方針が決まる。

再び長い長距離移動だ、比較的安全な道筋は覚えているとはいえ油断はできない。

今は妻も娘も同乗している、極力危険は避けていこう。



それに俺がこうして負傷している以上否が応でも暫くの間は妻に頼ることも多くなるだろう。

男として情けない話だが無理をしてミスを生むわけにはいかない。

今後のことも考えると百恵とは今まで以上に協力していく必要がある。

俺自身そのことをよく心に刻んでおかないとな。



「百恵、これから苦労をかけるかもしれんが、夫婦力を合わせて美雪を守っていこうな!」

「えぇ、もちろんよあなた!」

「……ぅん、パパ?ママ? どうしたの〜?」

「美雪、これから皆でM県にいくぞ、父ちゃんが作ったマンションに引っ越すんだ、温泉もあるしゾンビも入ってこない安全な場所だぞ、それに面白い兄ちゃんもいるしな」

「ほんと? わぁ〜たのしみ!」

「ちょっと長い移動になるけど、我慢できるわね?」

「うん、ミユキがまんできるよ!」

「良い子だ、じゃあ美雪も起きたしそろそろ出発するか!」



M県S市のマンションまでは長い道のりになる。

だが数日前までの孤独な道のりとは異なり、今回は家族と一緒だ。

不安も、寂しさも、焦燥感も、比べるまでもない。



もしあの時、高坊に助け出された時、家族へ会いに行く決断をしなければこうした事態にはならなかっただろう。

勇気をもって決心して良かった、今だからこそ心底そう思う。



そして命をかけて俺達家族を救ってくれた柿崎、お前への感謝の気持ちは忘れない。



「さぁ、行くぞ!」

「行きましょう!」

「しゅっぱ〜つ!」



俺はさまざまな思いを胸に抱いて車を発進させた、これが変わり果てた世界での、瀬田一家はじめの一歩だ。







ゾンビ天国 瀬田渋蔵編 【完】



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