札幌の本上まなみ

2011/10/21 19:09 登録: えっちな名無しさん

東の空に立ち昇っていた黒い入道雲がコンビナートの火災によるものと知ったのは随分後になってからだ。


僕が高校卒業以来3年勤めていた事業所は建物の骨格を残し消えた。働いていた従業員は避難して無事だったが、外回りの営業さん、配送中の先輩、それらが帰ってくるのを待った部長は2度と会うことはなかった。

僕らが被害を免れた倉庫から生活に必要なものを探し出し、避難所に運んでいたうちに、社長が会社の大金庫を汚泥の中から探し出し、中にあった現金を均等に従業員に配分して全員を解雇した。社長の最後の指示は極めてシンプルであり、「各自生きなさい」と言うものだった。

避難所に身を寄せて、様々出来ることを探したが、4日も経過すると自衛隊の方々が、しっかりサポートしてくれるようになり、僕に出来ることは少ないように感じていた。
ようやく電源が安定的に確保でき、携帯が繋がった時に、一通のメールが届いていた。

小学校の同級生の「マドカ」からだった。2年前の同級会で偶然隣の席になってメルアドを交換していた。
実際メールのやり取りはしなかったが、震災当日からメールをしてくれていたみたいだった。両親や兄弟と連絡を取り合った後、彼女に返信をした。

僕  「生きてるよ」 
マドカ「どこにいるの?」
僕  「会社のトラックの中」※避難所が満員で体力のある連中は外や車の中にいた。
マドカ「逃げてないの?」
僕  「どこににげるの?」
マドカ「私の家にきなよ」
僕  「どこだっけ」
マドカ「札幌」
僕  「車は流れた」
マドカ「向かいに行くから」
僕  「無理!」
マドカ「じゃ来なさい!」
僕  「ジンギスカン食いたい」
マドカ「食べさせてあげる」

短いメールの送受信はたまに出来る状態だったが、ほとんどはじかれてしまうし、充電が切れたりして、この短いメールのやり取りも2日程かけておこなった。
絶望で目の前が真っ暗になった僕を彼女は助けてくれる確信がなんとなくあった。
小学5年生の時、隣の席になったマドカはいじめっ子が僕にちょっかいを出すとすぐ先生にチクッてくれて、非常に助かっていたことを覚えていたからだった。今思えばかなり安易だったが、その時はそのことが確信となっていた。

僕の両親は健在で、実家は被害の少ない地区だったので、2人の兄に任せることにした。
食糧難は深刻で、近くのアウトレットモールが夜に襲われたという噂なんかもあったので、とにかくここを離れることにした。

僕はフル充電した携帯と8万2千円をもって、北上を開始した。
寒空の中、国道を歩いていたら、2時間もしないうちに、トラックが止まり青森まで乗せてくれることになった。トラックの運転手は避難所に食料を届けた帰りだった。
運ちゃんは札幌までの手配をしてくれた。
連絡先も聞くことなく御礼もちゃんと言わずじまいだったのは本当に申し訳なかった。

札幌に夜着くと彼女は構内で待っていてくれた。白い長いコートに、長いブーツを履いた長身のマドカは田舎者の僕から見るとテレビに出てくるモデルのようだった。

2年ぶりの彼女は恐ろしく美人になっていた。“本上まなみ”に酷似していた。
確かに小学校のクラスでは1,2番の美人だったが、2年前同級会でも綺麗な子だなとちょっと思ったぐらいだった。目の前にいる彼女はもうびっくりするくらいの美人だった。
それに引き換え僕は、作業着のままだったし、髪の毛もぼさぼさで、ひげも剃ってなかった。

彼女は僕を見て最初の一言は「ジンギスカン食べる?」だった。
ほとんど話もしないまま駅前のジンギスカン屋に入った。流行っている店らしかったが、自粛ムードで人がまばらだったようだ。味はまったくしなかった。なんか自分だけ美味しい物を食べていることが、罪悪感を感じたからも知れない。
 
彼女に仕事はなにをしているのか聞くと、短く「デパガ」と答えた。

彼女のアパートは北区にあり、地下鉄の駅付近ではあるが、1Kで非常に狭かった。
部屋には2段ベットが置いてあり、彼女が上で寝て、下のベットは荷物置き場だった。
テレビとソファーで部屋は一杯で、「狭くてごめんなさい」と彼女は謝ったが、僕は避難民でありながら、その部屋の良い匂いに圧倒されたのか、不覚にもずっと勃起していた。

その後風呂に入らせてもらい、彼女と少し話してから寝た。“本上まなみ”と一緒にいながら、眠気に負けて寝てしまった。今思えば当たり前で、この一週間はほとんど寝ていなかったからだった。昼間に起きたら、彼女はいなかった。

置手紙があって、「仕事に行きます。ゆっくり寝てね。」と書いてあった。
僕は一人でテレビを見ていた。実際に起きたことを整理したかった。なぜならあの場所は情報が本当になかったからだ。ここで入道雲がコンビナート炎上の所為だと始めてわかった。なぜ米軍のヘリが飛んでいるかもわかった。

部屋を少しうろうろした後、風呂場を開けると彼女の下着が干していた。
可愛らしいピンク色のリボンがあるだけのシンプルな下着だった。
しばらく迷ってから彼女のブラを手にとって見た。札幌の“本上まなみ”のカップは「D」であることがわかった。激しく勃起し、自家発電をしてしまった。その後、後始末を入念に行った。
 
夜の8時半頃彼女がお弁当を買って帰ってきて一緒に食べた。
彼女は化粧を落とすと“本上まなみ”から可愛い女の子“マドカ”になることがわかった。
性格も変わるようだった。“本上まなみ”は姿勢が良く言葉も標準語だが、マドカは胡坐をかくし、非常に訛っていた。その事をいうと恥ずかしそうに認めていた。

その夜僕は髭をそり、一時美容師をめざしていたという彼女に、髪の毛を風呂場で切ってもらった。そしてマドカが買ってきてくれた服を着た。昼休みに働いているデパート買ってくれたらしい。そして彼女は僕を上から下まで見て、「合格」といった。
僕はイケメンではないが、身長が185cmあり、学生時代、水泳で鍛えていたので、筋肉がありスタイルには自信があった。
 彼女の「合格」の意味は同居人としてなのか男としてなのかは聞けなかった。
その夜2人で話し合った。僕は札幌アルバイトを探し、お金が出来たらこの部屋を出て行く事を確認しあった。

次の日、本州では見たことがないスーパーに立ち寄り、アルバイト募集の張り紙が貼ってあったので、その場で店員に声をかけた。神経質そうな40代前半ぐらいの男の店長を連れてきた。
僕がアルバイトの募集を見たのですがというと、迷惑そうに聞こえるような小声で「女でいいんだよなぁー。」と呟いた。洗濯はしたものの汚い作業着のまま来た事を後悔してながら、「それでは仕方ないですね。」引き下がろうとしたときに、店長が私の作業着の胸の刺繍を見て顔色が変わった。私の作業着には私の住んでいた地名が入った企業名が縫い付けられていた。
「君は○○市からきたの?」と聞かれて、「はい」と答えると事務所に案内された。
店長は携帯で誰かとなにやら話をしてから「今から働けますか?」と聞いてきた。
「はい」と答えると制服を渡され着替えるように言われた。僕は名前も名札を作るまで聞かれずに採用が決まった。検品担当の50代後半の恰幅の良いおばちゃんの指示を受けるように言われ、震災特需で物が売れて、配送のトラック来るたびに品出しをしていた。
 夜になり帰社を命じられて帰ろうすると、店長が出てきて「必要なものを店から持って行きなさい。ただ何を持って帰るかだけは私に言ってください」と言われた。
僕が遠慮していると「本社の指示です。持っていかないと私が困ります」とやさしい目で言われた。それでも僕が固辞していると、さっきまで一緒に働いていたパートのおばちゃんたちが勝手に歯ブラシ、歯磨き粉、上下ジャージ、タオル、靴下、下着等の生活用品を袋に詰めて持ってきてくれた。おばちゃん達が「店長いいよね」というと店長がうなずいていた。
最後に封筒を渡されて、「支度金です」と言われた。これまた僕がぐずぐず言っていたら、「店長がこれは社長からです。「道産子は東北の人を見捨てたりはしない」という伝言も預かっています」と言われて号泣してしまった。自分だけでなく「東北を」と言われたのが本当にうれしかったのを覚えています。
マドカにこの話をすると「道産子は人懐っこくて親切だけど、言い出したら頑固で聞かないからもらっときなさいよ。」と言われた。
次の日からそのスーパーで鮮魚担当となり、魚を運んだり切り身をラップしたりしていました。
マドカは、12時頃から出社して夜10時頃に帰る生活をしていました。
僕は朝6時頃から出社し、夕方3時頃に先に帰ってきました。
 本山まなみ似の美人が息を切らして帰ってくるのは幸せだった。彼女が化粧を落としてマドカになって僕と子供の頃の話をするのも楽しかった。近くのコンビ二に行くのも手を繋いで歩くようになっていましたが、それはあくまで小学校の同級生という枠から外れない程度と考えていました。
 そしてこんな関係の方がいいかもしれないと考えるようになっていました。それはテレビ映る故郷を見て帰らなければならないと思うようになっていたからでした。復興という言葉が、テレビで踊るたびに故郷への想いが強くなっていきました。
 現地の友達ともメールのやり取りをし、(この時東北で11万人が震災で失業していたことは知らなかった)仕事がないことがはっきりわかっていたので諦めて札幌に留まっていました。
 一ヶ月もたった頃、マドカが会社の飲み会であるという事で遅くなると聞いていた日に事件は起きました。
夜12時過ぎに携帯に電話があり、マドカの携帯からの着信でしたが、電話をしているのはマドカの会社の先輩でした。「マドカが酔って歩けなくなったから迎えに来て」と言われ、僕がススキノまでタクシーで迎い行き、彼女達と合流しました。「これがマドカの彼氏―」「デカーイ」酔った勢いなのか僕を品定めしていました。彼女の職場の同僚はすべて若い女性であり、みんな美人でびっくりしていましたが、とりあえずマドカを受け取り帰ろうとするとマドカはずーっと小さな声で僕に謝っていました。
 再びタクシーを拾い帰ろうとすると、彼女の同僚が「マドカ泥酔してからずっとあなたの事を呼んでたよ」と耳打ちされました。

 アパートに帰ると彼女は少し正気に戻って「ごめんね。みんなに彼氏と同棲してる言っちゃったら、連れて来い見たいな感じになって〜」「本当は彼氏じゃないのにごめんね。」テヘペロ的に言われた時になにか自分の中で弾けるのがわかりました。
 彼女にそのままキスをしようとしたら、彼女は少し顔を背け。「無理しなくてもいいよ」と言いましたが、顎を手で押さえるとそのままキスをしました。
 そのまま30分ぐらいキスをし続けながら、どうしようか僕は迷っていました。
僕は近々に故郷に帰る、ここでS○Xをしていいのか。彼女を捨てて行く事になる。ここまで助けてくれた人にこれ以上を求めていいのかわからずにいました。
 
するとマドカが僕の心を見透かしたように「遠慮してるっしょ」と笑ってくれました。
続けて「私、弟がいてわかるんだけど、最近トイレがよく詰まるんだよね。○○君がティッシュ捨ててるっしょ」と僕が毎日オナニーしていることを知っていると暴露されてしまいました。僕があんまり恥ずかしくて顔を真っ赤にしていると、

「1人でしないでマドカとしよっ」と萌える一言を言ってくれました。

僕はマドカをマッハの速さで裸にし、私もすぐに全裸になりました。彼女のDカップは少し下向きでしたが、肌は白くきめ細やかで、下の毛はうすかったです。あまり愛撫はせずに彼女と一つになろうとしていました。ただコンドームがないことを言うと、彼女が部屋のタンスから恥ずかしそうに出してきました。聞くと僕が到着した日にコンビ二で買っていたそうです。「このまま使わないのかと思った。」と笑っていました。
早く入れたく仕方なかったのですが、彼女の体は非常に敏感でま○んこを触ると跳ねるようにびくってとり、「あああああ・・・」と叫び声にも似た声をだしました。
しばらく手マンを続けると、なにやら今までにはない反応(といっても経験2人目ですが)
「いっちゃうっいっちゃう」と言い出しました。僕は前彼女もいかしたことがなかったので、そんな反応はAVでしか見たことがなかったので、非常に興奮しました。
急いで正常位で挿入して腰を振り続けました。もう僕の恩返しは彼女をいかしてあげることしかないと勝手に自分で思い込み、アルバイト先の検品のおばちゃんを思い浮かべながら、イカないようにしていました。
 彼女のあえぎ声が凄い大きくなった時に僕は果てました。
彼女は放心したようにぼうっとしていましたが、ソファーの上に水溜りが出来ているに僕が気づいて、「なにこれ」というと、「たぶん私」と小声で彼女が呟きました。
これが潮吹きなんだと凄く驚きました。彼女もこんなことは初めてでびっくりしたといって、二人で笑って掃除をしました。
同居人からカップルに昇格しましたが、それはやはり長くは続きませんでした。

夏の終わりに前の職場の社長から電話があり社業を復活させるという言葉で私は彼女を捨て故郷にもどりました。
マドカはあの凄惨な場所に連れてたくないと思い彼女とは別れました。
マドカの最後の言葉は「がんばってね」でした。

その言葉だけで今はやれているような気がします。

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(・∀・): 159 | (・A・): 44

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