「恋人がいれば幸せ」依存症

2011/11/10 22:55 登録: えっちな名無しさん

すべての依存症、タバコ、酒、麻薬、ギャンブル、セックスなどなど、は、
最初のうちは脳内物質が大量に分泌されるが、すぐにそれに慣れてしまい、
快楽を摂取している状態が、デフォルトつまり0(ニュートラル)の状態になってしまう。
したがって、それらが切れると禁断症状により、マイナスの状態になるわけだ。
そして摂取することで、マイナスから0の状態に戻ることが出来る。
これをすなわち、快楽と感じ、依存症から抜けられなくなるのである。
けっしてプラスの効果が得られている訳ではなく、マイナスから0に戻るだけなのだが、その0の状態とは、そもそも酒やタバコやギャンブルに、最初から手を出さずに居ればそのままびた一文払わずに居られたもともとの平穏な状態なのである。
ここまでの理屈を理解できる人も理解できない人も居るだろう。
それは承知だ。
自分の人生にタバコや酒が必要だと思っている人ほど、
つまり、依存症の度合いが重い人ほど否定したくなるだろう。
認められない人間は仕方が無いので、上記の依存症の仕組みを理解できる人にのみ
次の話に進んでもらうことにしたい。

じつは、人間活動の全てが上の依存症の仕組みで成り立っているのだ。
現代社会を成立させる最も基本的な世界の枠組みは資本主義と呼ばれるシステムであるが、
これは、無駄な物を買わせることで成り立っている。
資本主義は、一度走り出した欲望の車を加速させつづける。一度走り出した車は誰に求めることが出来ないのだ。
モノを買う(とくにぜいたく品やブランド物)ということも根本的なことを言えば、酒やタバコに対する依存症と本質的に同じであり、
友人・知人・周りの人間に見せびらかし、自らのステイタスを誇示するために買い物をするのであるが、最初のうちは見せびらかしで脳内麻薬が分泌され気持ちよくなるのだ。
ところが、それを繰り返すうちに刺激に慣れてしまい、上に述べたように
それをしないとマイナスの状態に陥ってしまい、それをせず(買って見せびらかす行為)には居られなくなってしまう。
しかし、買っても買ってもマイナスとゼロの間を行ったり来たりするだけで、
買えば買うほど依存症は重度になってしまう。
買うことでまたマイナスを解消しようとしてますます深みにはまるのだ。
酒やタバコと同じで止めることでしか解決できないのである。

そして、恋愛もまたこの依存症の最たるものと言って良いだろう。
資本主義が、メディアが、社会全体が、家族が、
恋愛、そして結婚を「手に入れるべき幸福」というレッテルを貼り付けて強制的に
「それが無い状態は不幸である」という考えを信じ込ませようとしている。
そして恋人が居ない人間は、独りで趣味や仕事に充実した幸福な時間を過ごしているにもかかわらず、「恋人(配偶者)がいない自分は不幸である。」あるいは「自分が幸福であるとは言えない。なぜなら恋人がいないから。」という一面的な価値観を無意識のうちに強制的に信じ込まされている。
これが恋愛依存症の正体である。
もともと恋人の存在など無くてもニュートラル(0)以上の幸福な生活を遅れていたにもかかわらず、「恋人がいることは幸せであり、いないことは不幸である」というメッセージを信じ込まされることによって、ニュートラルな状態をマイナスだと感じるようになってしまう。これは本人の意思や価値観の問題ではない。これほどまでに多くのメディアが社会が、親が、家族が、「恋とは素晴らしい」「恋人がいるのは幸福なことだ」「恋人もいないなんて情けないこと」「結婚してこそ一人前」というメッセージを大量に送り続けたら、誰だって「恋人(配偶者)がいない自分は不幸」=自分はマイナスの状態にあると錯覚「させられて」しまっても無理は無い。
しかし、事実はそうではない。
恋人がいたところで、結婚したところで、その状態にすぐに慣れてしまい、その状態がゼロになる。
幸福かどうかは恋人や配偶者の有無とは関係ないのだ。
なのに現代に生きる若者の多くは半ば強制的に恋愛依存症にさせられてしまっているのだ。

酒やタバコでストレスが解消できるという幻想、
金は多くあればあるほど幸福であるという幻想、
セックスをたくさんの相手とできれば幸福であるという幻想、
これらは全て幻想、まやかしなのである。
酒もタバコも呑めば飲むほど、依存症は重くなる。
金は持てば持つほど、もっと欲しくなる。
セックスはたくさんの相手とすればするほど、さらに満足できなくなり際限が無い。

恋人さえいれば幸せ、結婚さえすれば幸せ、という考えもまた幻想である。
その幻想から抜け出さない限り、
他の依存症と同じくマイナスとゼロの間を永遠に彷徨い続けるだけなのである。


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