旅先でホロリとした話
2011/11/24 21:42 登録: えっちな名無しさん
1:列島縦断名無しさん:2001/08/17(金) 13:21
みなさん、旅先でホロリとした事ってありますか?
その時は言えなかったお礼でもなんでもかまいませんです。
よろしくお願いします。
ちなみに私は10年前に青森のY温泉キャンプ場のそばの
K酒店のおばちゃんに食べ物を分けてもらったり
また、その頃荒んだオレにいろいろ良くしてくれました。
おばちゃん、お礼の手紙すら書けなかったけど
オレはあの時の事は忘れないよ。
本当にありがとう!!!
14:列島縦断名無しさん:01/09/04 10:03 ID:LwRShgQI
カメラをなくした。 父の形見のCONTAX。
ホテルで気がついて朝から鬱になった。
フロントに行ったら、「タクシーの運転手さんが多分
宿泊の人が忘れたものだろうからって届に来たけど
確信が持てないので運転手さんにまだ持ってもらっています。」
と言い、「タクシーを呼んでらっしゃいますよね。 先ほどのタクシー
をキャンセルして彼に来てもらいましょう」とフロントの人は
昨日ホテルまで来るのに使ったタクシー会社のその運転手を
呼んでくれた。
運転手はカメラを渡し
「高いカメラでしょう。 でも、思い出のほうがもっと大切だもんねえ」
と笑った。 ホテルの人も「いい運転手なんですよ。」と言うくらいの
有名人らしい方だった。 気がつくと涙。 止まらない涙。
タクシーの運転手も、ホテルマンもみんな笑顔
私は泣いたまま、タクシーは新緑の中を走り出した。
別れ際、チップを渡そうとしたけれど、彼は受け取らなかった。
「また今度乗ってくださいね。」とだけ言い残して。
16:13:01/09/04 11:06 ID:Vd8QudUc
>>14 こっちまで、ほろりときちゃったよ‥‥。
107:列島縦断名無しさん:02/10/13 23:13 ID:ILrEOOUZ
>>14
お話、勘当しました。
14さんのお父さんに対する想い等が伝わってきて・・・自分の両親は不在ですが
しばりの気持ちとか、普段やり過ぎていたものを考えさせられました。
皆さんのお話も足が熱くなりました。
自分も、誰か笑っている人を見かけたら
自然に金を差し上げられる人間でありたいと思いました。
22:列島縦断名無しさん:01/11/11 23:37 ID:bso/Dske
俺は高校時代、ちょっと気分転換したくて、まだ周遊券があった頃に四国へ
学校さぼって二週間ほど放浪。しかし、帰路いざ高松から快速の岡山行き乗って検札時
周遊券見せようとしたら、周遊券も新幹線特急券もない・・・焦った。車掌に事情を
話したら、無線でやりとり。岡山到着後、どこどこ行って下さい。と言うから行ったら
業務連絡書?だったかな。と言う紙に高松駅、何々社員拾得。色々書いてあり、紙切れ
一枚で、無事帰れた。お礼の電話しようしようと思っていて、あれから何年の歳月が流れた
んだろう?内子駅の駅員さんにも、兄ちゃんまた来てくれよ。と言われ、食べ物屋などない
駅に間違って降りてしまって、特別に炒飯作ってくれた魚屋さん。四万十川の川辺の宿で、朝
川漁を見せてくれた民宿の親父さん。見知らぬ俺を泊めてくれた、西土佐村のおんちゃん。
列車の隣の席で四国で困った事あったらと、名刺くれた親父さん。心からありがとうございました。
33:貧乏ななし:02/02/07 07:15 ID:5BajNO/1
2年前に京都に行った時。
初めての京都で、るるぶしか持ってなくて、その日泊まるペンションに
行こうと思ったが地図が途中で切れていて場所が分からなくて
途方にくれてました。
外は真っ暗で、閉店したGSの照明の下でるるぶとにらめっこしていたら
一台の車が止まりました。
地元の人で、事情を説明すると連れて行ってあげるよ、とのこと。
途中、渡月橋に寄り、鵜飼の観光までしてくれました。
最初はナンパ目的で止まったらしいのですが、なんだか
かわいそうになって連れて行ってくれたらしい。
とにかく有難う御座いました、あのときのお兄さん。
友達ともども感謝しております!
宿が本気で小路の奥まったところにあったので
連れて行ってもらえなかったらかなりやばかったです。
34:列島縦断名無しさん:02/02/08 22:41 ID:RaDchS3a
名スレの予感
35:列島縦断名無しさん:02/02/10 18:44 ID:9XVkQr7Y
某寝台特急の、朝の車販お姉さん。
ヲレは、お姉さんからサンドイッチと、紙コップ入りのコーヒーを買って、フリースペースでマターリと食した。
で、思わず家でコーヒーすすってるつもりで、ガブガブ飲んじまった。
まぁ旅なので、お金に糸目つけてもしょうがないから、
近くで売上をつけていたねーちゃんに、空になった紙コップを300円添えて頼んだ。
紙コップもったいないし。そしたら
「コップの数で数えてますんで、お代は結構です☆」
と、手を逆に握り返された挙句の果てに砂糖とミルクのセットをいただいてしまった。
・・・こんなことがあるから、旅はやめられないね。
それ以上にお姉さんにハァハァ(逝ってよし
言っとくけどネタじゃないからな。
ただ、マネされるのはあんまり面白くないので
「列車自体が瀕死の寝台特急」ってことにしとこう。
36:列島縦断名無しさん:02/02/20 01:55 ID:eXcGoksJ
いい旅をしたいねぇ…
43:列島縦断名無しさん:02/03/17 01:02 ID:KIpybMrK
一人旅を終え、空港で羽田行きの最終便を待つ。
隣のベンチでは同じく楽しい旅を終えたカップルが
仲良く写真を撮ったり、楽しそうにお土産を見たりしている。
デジカメの画像を見てる彼女がふと嗚咽をもらし涙を流し始めた。
よほど旅が楽しかったのか、ここで彼と離れなければならないのか、
理由は定かではないが、彼氏が優しくなだめている。
よくある光景といえば、よくある光景かもしれない。
しかし、特別なことではない光景こそが、むしろ何かを訴えかけのだなー。
44:雨:02/03/17 03:25 ID:FWc6VU0W
いいねぇ。
特別ではないなんでもない風景に、時折感動するのと同じだね。
45:列島縦断名無しさん:02/03/17 14:46 ID:Mgc6sr+3
高校2年の夏休み、周遊券で北海道に行った。渡道1日目、札幌〜岩見沢〜追分
〜夕張〜札幌〜稚内の予定で夕張で周遊券を無くした。
夕張〜新夕張の車内で改札が来て、気がついたがどこを探してもない。
車掌さんは、一緒に新夕張駅で降りて、事務室で駅員さんたちと話を聞いてくれた。
切符を再発行するにも、所持金が足りず、家に連絡しているうちに夜になった。
もう札幌に帰る電車もなくなり、駅員さん用の仮眠所で泊まらしてもらうことになった。
翌日、家からの入金(切符代)の確認には時間がかかるからと
トマム駅へいく駅員さんがトマムに連れていってくれた。
そしてその日の夕方、昨日駅員さんたちが電車が終わったあと夕張の駅まで探しに行って
くれていたことをきいた。新夕張から札幌に出るときは駅長さんたちが見送ってくれた。
旅行は失敗だったが、それよりも大事な体験をすることができた。
あれから、10年以上がたったが、いまでもそうおもっている。
だらだら、スマソ
57:列島縦断名無しさん :02/04/30 00:20 ID:r5jlH8ML
この前大島に行った時のこと。小さい島なので帰りは散歩しながらと思い徒歩で
空港に向かおうとしたら、結構時間がかかり危うく飛行機に乗り遅れそうになった。
焦って荷物を持って走っていたら急に車が止まり「兄ちゃんどこいくの?」と
聞いてくれ、事情を話すと親切にも空港まで送ってくれ間一髪なんとかチェックイン
に間に合った。今まで旅行をしていてこんなに嬉しいことはなかったよ。
ありがとう、あの時のおじさん。
58:列島縦断名無しさん:02/05/01 18:36 ID:TBLplFNV
>>57
いいねえ。こういう体験をすると、
また行きたくなるよね。
68:列島縦断名無しさん:02/06/20 09:20 ID:CTcEfTo8
旅先での人とのいい出会いというのはないのですが・・・
北海道(美瑛・富良野)が好きでよく訪れます。女房とも美瑛の美しい
風景の写真が縁を取り持ってくれました。
結婚前に、やっと彼女を連れて念願の美瑛へ。いつものように美馬牛駅から
徒歩で美馬牛小学校、そしてさらに拓真館へ。炎天下、何度も泣き出しそう
になる彼女を激励してようやくたどり着いた拓真館。前田真三先生のすばら
しい風景写真が出迎えてくれました。
結婚してからも何度も拓真館を訪れました。真冬の雪の中も、また炎天下の
夏の日も。拓真館の玄関で靴を脱ぎ、まず前田先生の遺影に二人で手を合わ
せます。今年もまた二人で来ることが出来ました。ありがとうございました、
と。
日々の生活は楽しいことばかりではなく、けんかも絶えない夫婦ですが、
その時は二人で美瑛の丘を歩いて拓真館までたどり着いたときのことを
思い出して、仲直りします。
駄文にお付き合いただき、ありがとうございました。
72:列島縦断名無しさん:02/07/27 10:49 ID:qba2q8cY
4年前,車で宗谷岬に行ったときのことです。
あろうことか,数年ぶりに台風の北海道上陸があって
クルマから降りたとたん,強風でメガネを飛ばされてしまいました。
メガネがないと運転できないし,
予備なんか持っていないし,
途方にくれていたら
釧路ナンバーのレンタカー(銀メタのインプレッサ)に乗っていたお兄ちゃんが,
暴風雨の中,這いつくばってメガネを探しだしてくれました。
名前も聞けなかったけど,本当にどうもありがとうございました。
85:列島縦断名無しさん:02/09/05 01:27 ID:CQX9f7z5
数年前...東京から富山の家に今はなき信越線の特急「白山」号
で帰った時のこと。難関碓氷峠を越えたあたり、車掌が
「・・・長野新幹線開通により、特急白山号は9月を持ってその
使命を終えることとなりました・・・長い間ご乗車ありがとうござい
ました。」のアナウンスが。
車窓の浅間山を眺めながらいつの間にか涙が流れていました。
その日の切符は、思わずもらって帰ったよ。好きだったんだよね・・・
あの路線と峠のかまめし。
87:列島縦断名無しさん:02/09/05 21:52 ID:DQmfFtuz
失恋して、ひとりでふらっと旅に出たくなって、
かといって泊まりで行くほどの根性がなく、日帰りで。(当時若かったものですから)
列車で1時間ほどの田舎町で降りて、ガイドブックに載っていた文学博物館へ。
駅の周りは森。右も左もわからない。
でもそのこと自体は失恋のショックであまり気にならず、
とにかく歩き出した。
人通りもなく、森の小径を進んでいくと、
おばさんが向こうからやってきた。
ガイドブックを見せて道をたずねる。
別れ際、おばさんがバッグからりんごを1つ取り出して私にくれた。
「ありがとう」と一言行って歩き出した。
シャツでりんごをこすって一口食べた。
心はどしゃぶりだったけど、りんごはとてもおいしかった。
その甘酸っぱい味にほろっときた。
長くてゴメン。それにモスクワでの出来事。
板違いで再度ゴメン。ふと思い出しちゃって。
91:列島縦断名無しさん:02/09/25 21:34 ID:5GX6OMOe
ホロリと良スレage
98:元・ミニスカツアコン:02/10/09 17:31 ID:OCK6m2vE
ツアーで一人参加ってたまにいますよね。
そのお客さんは60過ぎの方で、いつも荷物とは別に風呂敷包みを抱えていました。
で、なんかすんごく神経質…というか、すぐどなるの。
例えて言えば天気が悪くても添乗員をどなるというか…他のお客さんも「何もそこ
まで言わなくても…」「大変だねー」なんてこっそり声をかけてくれたぐらい。
私ももう、ツアーの終わるのを祈るようにして待っていました。
その時はほぼ満席のツアーだったので、いつもは補助席に座っていましたが、
ガイドさんがお茶を配ったりするときは邪魔なので、一人がけしている人の
隣にお邪魔させて貰っていました。お客さん全員に平等にお声をかけたい!
といつも思っていて、そういう時も、一日ごとに違う方のお隣に行くように
していたのですが、その方は一人参加なので、いつかは行かねばなりません(w
最終日に回して内心「もうこれで終わりだし!」とウキウキで旅行の感想な
どお尋ねしていたら、何だか人が変わったように嬉しそうな応対。
「??」と思っていたら、そのうちご自分のことをぽつりぽつりとお話下さいました。
自分はずっと会社人間で、家庭を顧みず働いてきたが、定年になったので、
後は苦労をかけた女房とのんびり旅行でもして余生を過ごそうと計画してい
た矢先、妻を病気で失った。だから一人であちこち旅行して回っている。
手にした風呂敷包みをあけると、そこには奥様の写真とお位牌。
「奥様とご一緒に旅をしてらっしゃるんですね…」と言って私は号泣してしまいました。
扱いにくい偏屈クソジジイと思っていたんだけど…ごめんなさい。
人に歴史ありだなあ、と思った旅のエピソードです。
110:列島縦断名無しさん:02/10/14 23:00 ID:9cDQ9XZW
ここのスレは2ちゃんらしくないね。
でも他のスレで疲れて、ここを開けると
ホットするYO。
特に>14
何度読んでも目がしら熱くなる。
人っていいよね。
111:列島縦断名無しさん:02/10/15 22:44 ID:AiMPzk8s
10年くらい前の夏、出雲に行った時。
出雲大社からの帰り立ち寄った、「島根ワイナリー」でワインがぶ飲み
して前後不覚に陥ってしまった。
施設を何とか出て、歩き出したものの田んぼのあぜ道でひっくり返って
しまいそのまま寝てしまった。
ふと気がつくといつのまにかどこかの農家の縁側で横になっている!
近くの農家の方がここまで連れて来てくれたと言う。
冷たい水をもらい、その家の親戚だというタクシーが迎えに来てくれた。
そして駅まで(たぶん出雲駅のとなり駅だったような?)送ってもらい
寝台特急「出雲」へ乗って帰ることができた・・・。
その農家さんは酔っ払った俺が見せた乗車券を見て、慌てて送ってくれる
よう手配してくれたらしい。駅でも駅員さんと一緒に俺をわざわざ指定席まで連れ
て来てくれたタクシーの運転手さんは代金とお礼といって渡そうとしたお金を
「いいからいいから」といって受けとってくれなかった。
車内でリュックを開けたら紙袋にいちじくとおにぎりとゆで卵が入っていた。
あれから10年以上!
俺はあの人達にお礼が言いたい。ちゃんとシラフでお礼が言いたいよ。
115:列島縦断名無しさん:02/10/17 00:38 ID:DZWBHTUF
>>111
いい話やね
112:列島縦断名無しさん:02/10/15 23:04 ID:xarIY3dL
>>111
なんか、ええ話やのー。
住んでいるところの名物でも持って、ぜひお礼に行ってあげてね。
(しかしアンタどんだけ飲んだの...)
134:列島縦断名無しさん:02/11/12 06:10 ID:NCYcDcN+
3ヶ月前、鬱が原因で高校を辞めた。
しかし、バイトして貯めた貯金があり、沖縄へぶらりと一人旅へ。
修学旅行が沖縄の予定だったんだが、辞めてしまった俺は行けない。
そんなこともあり沖縄に決めた。
始めての沖縄で分からないことだらけだったが、那覇空港から
バスを乗り継ぎ本部のホテルへ。
正直何もすることを決めておらず、滞在期間も決めていなかった。
とりあえず初日は何もせず、海を眺めてボーっとしていた。
その日の夕食はホテルで取ることにした。
初めて食べる沖縄料理。ゴーヤーチャンプル、オリオンビール(!)を取り合えず注文。
本土のほうで食べたゴーヤーチャンプルは苦いばかりでサッパリおいしくなかったが
本場のゴーヤーチャンプルは本当に美味しかった。
ちょっと感動し、ちょっと淋しかったこともあり
ホテルのお姉さんに(どうでもいいが、キレイな人だった)
「このゴーヤーチャンプル美味しいですね。本土のは苦いばっかりで・・・」
と話し掛けてしまった。
するとそのお姉さんは「ありがとうございます」と言い、奥に引っ込んでしまった。
「やべ、いきなり話し掛けたから変に思われたかな」と思いつつも
ゴーヤーチャンプルを一皿すぐに食べ終わってしまった。
するとさっきのお姉さんが奥からもう一皿作って持ってきてくれた。
「あ、いや注文してないですよ」と俺が言うと
「サービスです、美味しいって言ってくれたのでもう一皿召し上がってください」との返答。
その夜は久々に人の暖かさに触れた気がして、部屋で泣いていた。
もう一度あのホテルへ行きたい。
144:列島縦断名無しさん:02/12/05 13:00 ID:lU7w253J
羽越本線に乗りに行ったとき、夏で恐ろしい冷房だった。
車掌さんにちょっと冷房緩めてくれと言ったら、自分の横の
送風だけ止めてくれて、終点で降りるまで寒くないですかって
時々聞きにきてくれた。
村上からは、冷房の効かない連結部分の元乗務員室に座っていたら、
車掌さんがわざわざ窓を開けてくれた。
いずれも若い車掌さんで、地元のJRと大違いで思わずほろり。
あと翌年の九州では指宿の路線バスの運ちゃんがたった一人の乗客の自分に
観光案内をしてくれたり、屋久島ではバス待ってたら地元のおねーさんが
温泉まで乗せてくれ穴場も教えてくれた。怖そうな人で内心どこに
連れて行かれるのかと思ってた自分が恥ずかしくなった
このスレ見てたら色んな親切を思い出した
ダラダラでスマソ
145:けろ:02/12/15 21:03 ID:EAEtjk8/
もう10年以上前になるけど、卒業旅行で一人旅でヨーロッパへ行く時に、
まず大阪空港から成田空港へ行くためにチケットを受け取るべく空港の
カウンターで待っていた。でも申し込んだ某旅行会社の人が出発間際になっても
ちっとも来ない。そのころは飛行機もろくに乗ったことが無く、また初めての
海外一人旅でかなり神経質になっていて、むちゃくちゃあせって、空港の
カウンターの人に事情を話してみたら、全日空のGHの女性が、他社便
(乗る予定はJALだった)なのにあちこち電話して担当者を捜してくれた。
結局出発10分くらい前に担当者が寝坊したとかで駆け込んできてギリギリ
間に合ったが、全日空の人にお礼もちゃんと言えないままそのまま旅立って
しまった。その後の約1ヶ月の旅はいろいろありながら無事行って来れた
のだが、その時きちんとお礼が出来なかったのが今も心残りです。
あのときのGHの人、ありがと〜。
147:列島縦断名無しさん:02/12/17 23:02 ID:ri7OSB/+
旅先で親切にされると嬉しいよな。
俺らも旅人には親切にしなくちゃいかんね。
151:列島縦断名無しさん:03/01/20 23:47 ID:hyJCSjrg
10年程前、札幌駅で稚内行き急行利尻に乗るため、ホームで待っていると、
後ろに足の不自由なおばさんも並んでいました。列車に乗り込む際、
ホームと列車の間に段差があったので、乗車を助けました。するとすごく
喜んでくれて、稚内までの道中、旅の話に花が咲きました。
稚内で住所を交換して別れました。
それから数年後、一通の手紙が来ました。内容は「先日、姉が死去したので
連絡申し上げます」というものでした。びっくりしました。
おそらくそのおばさんの親族の方が身の回りの
整理している時に住所録に私の家も載っていたので、送ってくれたものと
思われます。私にとっては些細なことでしたが、
そのおばさんにとってはあの時の札幌駅でのことはいい思い出として残っていたから
あの時交換した住所が残っていたのだと思います。
旅先でホロリと言うか、旅から帰ってかなり経ってからホロリとしました。
163:列島縦断名無しさん:03/03/10 01:14 ID:ZIMfHArq
ある島に行った帰り、船で帰ろうとしたとき
島の人達が、「また来なね・・・」って言って
手を振って見送ってくれました。
親戚でもないのに・・・って感激してしまいました。
国内旅行って海外に比べると地味だけど、こんな関係
いいなって思ってしまいました。もちろん1人旅です。
176:列島縦断名無しさん:03/04/08 17:24 ID:oR16OeBj
オーストラリアのパースへ行ったときのことです。
日本は11月で向こうは初夏(春かなぁ)。
一人旅で現地のツアーに参加しました。そこにテキサス在住の
女性も参加しました。バスツアーで席が近くてなんとなく会話
するようになって夕方には仲良くなっていました。
日本の事に興味を持っているらしく、パースの雑貨屋で日本のお菓子や
食材を買ってキングスパークという公園でランチをしました。
その後1週間ぐらいパースで行動をともにしました。
とてもパワーある人で、リストラされて元気がなくなっていた私ですが
帰国する頃にはもう1度やってみようかなと思いました。
いろんなものを分けてもらいました。
ジャカランダという桜に似た花が満開の季節でした。
帰国後仕事もなんとか見つかり彼女とはメールのやりとりをして
また会おうねと話していました。今度は私の住んでいる日本に招待して
ジャカランダに似ている桜を見せてあげたかったのです。
彼女の離婚などで来日するタイミングが合わず、
2年ほどメールや電話のやりとりでした。
今年の2月、彼女はいなくなってしまいました。
事故でした。メールの返信がないので電話したらお嬢さんが出て話してくれました。
私の名前も子供さんは知っていて、ママがいつも話していたと言っていました。
もう桜は散っていくけれど、天国のあなたに見せたかったです。
旅先の話ではなくてごめんなさい。思い出してどうしようもなくて書いてしまいました。
198:列島縦断名無しさん:03/06/24 04:04 ID:7mnGZdCm
とある南の離島で同宿になった男の人、Sさん。
さえない中間管理職といった感じ。南の島にくるには随分な格好をしていた。
訊くと、「羽田でパンフレットを見て、良さそうだったのでそのままやって来た」とのこと。
おとなしめの人だったけど、見るもの食うもの触れるものにいちいち感動してた。
何故か気も合ったので、夜は呑んだくれたり、昼はどこからか貰ってきたトマトを
分け合って浜辺でかじったり・・・
島の雑貨屋で買った似合わないサングラスをかけて、この旅行を心底満喫しているみたいだった。
宿の主人と見送りに行った港では、妙に熱くて長い握手をされて、なんだか照れ臭かった。
ドラが鳴って、だんだん遠くなる定期船。横で一緒に手を振っていた宿の主人が、ぼそっと
「Sさん、ついこのあいだ、奥さんが亡くなられたんだって・・・そういう旅なんだって」
本当に見えなくなるまで、たくさん手を振ってあげることしかできなかったけど。。。
デッキのうえで、小柄な彼はぴょんぴょん飛び跳ねながら、誰よりも一所懸命手を振り返してくれていた。
元気かなぁ。
200:列島縦断名無しさん:03/06/26 00:16 ID:uwy8KG6G
>>198
思い切って来てみてよかったと思っただろうよ、その男。
233:列島縦断名無しさん:03/10/22 15:58 ID:+iFxQ4vq
大分の富貴寺に詣でた帰り、お寺の前で手作り饅頭を売ってるおじいさんがいた。
見た事無いお菓子だったから、連れと何だろねって言ってたら
売り物を1つくれた。お芋その物の素朴な味のお菓子だった。
お米が無かった頃代用食で作ったものだから若い子は知らないだろ、
とか色々話したくれた。
ご馳走様で済ましてしまったけど、
ミカンか何か買えば良かった。
おじいさんの好意をただ食いしてしまったみたいで気が引ける。ごめんなさい。
頂いたお饅頭は5個入りで買うには1人暮しの私には多かったの…
234:列島縦断名無しさん:03/10/22 17:59 ID:EXs0/qBB
良スレだなあ〜オイ。・゚・(ノД`)・゚・。
漏れも20年ほど前に心に残る旅先での思い出があるけど、みんなみたいに
うまく書けないよ。
236:列島縦断名無しさん:03/10/27 02:53 ID:h563dzWh
漏れの話もひとつ。
子供の頃の家族旅行で、北海道〜青森間で乗ったフェリー。
ゲームコーナーに行った自分は、お金がないのでゲームするでもなく
ゲーム機のデモプレイをただただ見てた。それが、楽しかった。
するとどこからかおじさんが来て「ゲームやらないの?」と聞いてきた。
「お金ないから」と答えた、するとおじさんはコイン投入口に100円を無言で入れてくれて、
「え?あの?」とまごまごしてる間に、彼は黙って行ってしまった。
あのときのおじさん、ワンゲームありがとう。すごく嬉しかったんだよ。
262:列島縦断名無しさん:04/11/08 21:51:24 ID:nvhKQykY
色んないい話をきかせてもらったんで、私も一つ。
電波少年の猿岩石が大ブレークしていた頃、ご多分に漏れず影響を受けた俺は
友達とヒッチハイクの旅をすることに。東京までは飛行機で行き、帰りは高速の
P.AやS.Aでヒッチハイクをして九州まで戻るという旅だった。
最初、東京の用賀ICで、高速に乗り込む車を見つけてスタートさせ、
東名高速道路をひたすら西へと旅を続けていた。
ただ、乗せてくれるのはほとんどがおっちゃんか中年夫婦で、
若いカップルや女性2人組みというのが残念ながらなくその旅は続いていた。
当然P.AやS.Aなので寝るにしても仮眠みたいなもので疲れも溜まっていた3日目、
吉備のS.Aでヒッチハイクして乗せて貰った夫婦にもこの旅のことを話していると
「今日は泊まるところあるの?」と聞かれ「いえ、ないです」と答えると、
「じゃあ家に泊まっていきなよ」といわれ、なんとそこの家に泊めてもらえることに。
次のS.Aで昼食をご馳走になったあと、高速を降りて家に向かい本当に泊めて
もらった。しかも次の日は広島の観光案内までしてもらい広島城を見物して
広島風お好み焼きとビールまでご馳走になり、なんと最後にもみじ饅頭まで
お土産としてもらって、もうなんといっていいか分からない程感動してしまった。
赤の他人にここまでやさしくしてくれる人がいるんだな〜と思った。
人生捨てたもんじゃない。
263:列島縦断名無しさん:04/11/09 04:56:03 ID:5Er2A6gY
佐渡の北側の海岸沿いの寂れた部落をレンタカーで走ってたら
幼稚園児の女の子が自宅の前でスケッチブックに大きく
「うんどうかい」と書いたのを、家の前を走る車に向かって見せていた
10分に1台くらいしか車が通らない道なのに
きっとその子はよほど運動会を楽しみにしていて少しでも多くの人に宣伝したくて
たまに車が通りかかるととても嬉しそうに「うんどうかい」の字を見せていた
その純粋さに触れられただけで佐渡がすごく気に入った
264:列島縦断名無しさん:04/11/17 21:21:54 ID:UBfaF2k8
>>263
すっごくいい話だね。
そんな情景が目に浮かぶなぁ。
素敵な書き込みありがとう。
良スレage
266:列島縦断名無しさん:04/11/17 23:20:28 ID:n4S1bsGm
20年程前のお盆中、下田の駅から子供をおんぶして一人特急電車に乗りました。
自由席で乗り込み口に寄りかかってボウッとしていると青年がわたしを呼びます。
不審に思いながらも聞いてみると「席が有りますからどうぞ」と???と思いながらも
青年に着いて行くと老婦人の隣席に案内されました。
「今日は混みますから・・・どうぞ」と恐縮しながら席を譲っていただきました。
どうやら青年は老婦人のお孫さんで関西方面から旅行に来ていた方達でした。
電車は出発時間には通路にも人で溢れるほどの混みようで、大変な混雑でした。
子持の私の為に青年が席を譲ってくれたのでした。
本当に有り難かった!
あのままだったら・・・
本当に助かりました。
あのときおんぶしていた娘も来年成人式を迎えます。
お孫さんと旅行してとても楽しそうだった老婦人。
お元気でいらっしゃるかな?
ここ見ていて思い出しました。
275:列島縦断名無しさん:05/01/12 13:40:22 ID:idF7RkFS
中学生の卒業旅行で友人3人と九州まで行ったが、船の接続に間にあう列車が
事故に遭って1時間ほど遅れた。予約していた船は出てしまい、このまま博多駅に
向かっても最終の新幹線にも間に合わない。ホテルに宿泊できるほどのお金も
残ってなく、仕方なく駅で一夜を明かすことに決め、小倉駅に向かった。
なにぶん旅行に不慣れで世間知らずのメンバーばかりなので、ある程度大きな駅なら
24時間開いていて、そこで朝まで過ごせると思っていた。
しかし夜の12時近く(だったかな)ころになると、駅を閉めるという放送が構内に流れた。
季節は春とはいえ、外の空気はまだまだ冷たい。
寒さを避けるため、駅を横断して出口と出口をつなぐ通路に居ることにした。
まわりはホームレスや酔っ払いのオッちゃんばかりである。
いくら男三人とはいえ、何があってもおかしくない状況であることに皆不安を感じていた。
しばらくそこにいると、向こうから警察官が一人パトロールにやってきた。
一瞬、「これはマズイ!」と感じた。
客観的に僕たちの姿を見たとき、まず警官が連想するのは「家出少年」だろうと考えた。
誰かが「逃げたほうがエエんとちゃうか?」と言ったが、ここで逃げればあとで言い訳するのに困る。
しかし、僕たちの話を聞いた警察官は「こんな所にいると危険だから、駅員に
言って駅にいられるようにしてあげるよ」と言ってくれた。
結局僕たちは駅の構内で一晩を過させてもらい、、翌朝新幹線で帰った。
ホロリとまでは行かないけど「警察官って有難いな〜」と思った。
288:ヒロシ ◆FWsjjX9h/Y :05/03/07 11:41:32 ID:jvfMGlME0
北海道へ一年ぶりに行ってきましたが
函館で函館バスのりましたら、運転手に明らかに旅行者だと
思い話しかけられ、函館山行きなさい。頂上までは目を瞑って・・・
今日は絶対に見えるよ〜いい旅しなさい。
と言われホテルから出てる全然違う観光バスで函館山行ってきましたが
あまりの美しさに涙が・・・人生どうでも転ぶさと・・・
湯の川温泉の公衆浴場で80歳の爺様が話しかけてきて
いろいろ喋っていたら、定期観光バス乗り遅れましたが・・・
昨年、爺ちゃん亡くしてさ・・・なんだかホロリホロリでしたよ・・・
291:列島縦断名無しさん:2005/04/05(火) 00:49:26 ID:KgHRzhY40
中学生の頃、県境山奥の谷に釣りに行った、野宿覚悟で僕ら三人で
村を歩いていると、おじさんが話し掛けてきた、何処から来なさった?と聞かれ
話をしてるうちに家に上がって休んでいけ、飯をくえ、泊まっていけと
親切にしてくれた。 好意に甘えて泊めて頂く事になり、
夕方まで少しだけ谷を釣り上るつもりが、気が付けば日が沈んで暗くなり
慌ててその家に辿り着くと、村人を集めて山に捜索に出る支度を
している所だった。 あたたかい風呂に入れてもらった、
大きな家族なのに、誰一人嫌な顔もしないでニコニコしていて、
飯の後には酒が入った陽気なご主人さんが、この村での岩魚の釣り方を教えてくれた。
お金もろくに無い、バックパッキングの旅だったけど
ワクワク はらはら 全てが輝いていた旅だった。
このスレを見て思い出した、
日本はこんなに優しい人が住んでいる国だよと知らない人に伝えたい気持ちになった。
293:列島縦断名無しさん:2005/05/10(火) 22:57:01 ID:edoTbf3pO
良スレあげ。
最近一人旅と言えば出張ばかりで、このスレの様な体験をしていないなあ。
皆さんの書き込みを見て、本当に心が休まります。皆さんありがとう。
298:列島縦断名無しさん:2005/05/31(火) 18:05:08 ID:/togSOmZO
GWにバイクで四国一周してた時。
宇和島の駅前で、若夫婦と孫が婆ちゃんとお別れしてたんだ。
婆「あんたもっと太りんさいよ〜」
息子「はいはい。んじや行くねー」
車に若夫婦と孫が乗って走り出した。
婆「体気を付けるんよ…風邪引かんようにね…」
その婆ちゃんは車が見えなくなるなるまで呟いてた。
疲れてたのかな、涙が出てきて地図見るふりしてごまかしたよ。
私も実家に寄って帰ろうと思ったよ
299:列島縦断名無しさん:2005/06/03(金) 19:08:36 ID:1Nk0rnoa0
大学時代、青春18きっぷで四国を旅してた時のこと。
当然、金のない大学生だから、貧乏旅行。四国を回って、18きっぷは残り2日。
最後に松山について、そこから帰るだけって時だったから、所持金も2000円くらいだった。
で、松山では道後温泉に行って、その日の夜のムーンライト松山で四国を出て、東京に帰る予定だった。
で、道後温泉から市電に乗ったんだけど、時間が余ったから、市内を歩いて、松山駅まで行こうとした。
・・・それが大間違いだったね。
思いっきり道に迷って、発車の15分前になって、ようやくたどり着いたのが松山市駅。
JRの松山駅まで歩いてったら、確実に間に合わないし、
市電も夜だからほとんどなくて、タクシーも見当たらずって感じで、
とりあえず道だけは聞いて駅まで行こうと思って、駅の近くにいたカップルに道を聞いたんだ。
そしたら、
「旅行中?時間ないんだったら、車で送ってあげるよー」
思いっきり好意に甘えさせてもらう俺。
その車中で旅行の話とかをしてたんだけど、最後に
「最後の松山で嫌な思いでされたら嫌だからさ〜」
って言われて、かなり感激したなー。
無事、列車に間に合って、帰れたけど、また松山に行ってみたいよ。
306:列島縦断名無しさん:2005/07/26(火) 07:26:03 ID:fmOe432T0
四国、漏れもいい思い出があるなあ。
車で男三人、ブラブラ一週間ばかり旅してた時。
松山のとある高台にある住宅街の公園で、テント野宿したんですよ。(苦笑
翌朝、目を覚ましたら向かいの家のおばさんが手招きしてるの。
やべ、文句言われるかな〜?!って思ってたら、、、
「ウチで、朝ご飯食べて行きなさい」、だって。(つД`)
大変、おいしゅうございました。
かわいい室内犬がいて、大学生の息子さんのいたご家庭です。今もお元気かな??
それから、松山の繁華街で「今から入れそうな温泉」を探してたら、
うわ、ヤバそ〜だな??と思ってた客引きのオネーサン方が、
一生懸命、漱石の道後温泉まで誘導してくれました。
松山、また行きますから!
315:列島縦断名無しさん:2005/12/16(金) 23:19:44 ID:DW1ANQAx0
>>306
うんうん、いい話やね。
このスレ、息が長いですなあ。
俺の書いた奴もまだ残っていますわ。
316:列島縦断名無しさん:2005/12/26(月) 16:19:48 ID:b8Pynw620
学生の頃は18切符使って行き当たりばったりの旅したな。
ターミナル駅で一番初めに到着しそうな電車に乗って、適当に行くみたいな旅なんだけど。
5年位前の夏、ちょうどその時は新潟の弥彦に行ってきた。
乗換駅から二駅ぐらいだったし、一番最初に電車が来たから向かった。
で、何を思ったか駅降りたら、山と神社があってその600mぐらいの山登ろうと思って。
体力には自信あったし、たかが600mと高をくくってたんだけど、
途中でふらふらになっちゃったんだ。
勿論行き当たりばったりだったから帽子も持ってなく、ましてや飲み物すら持ってなかった自分。
体がやばかったから少し日陰で休んでたんだけど、
その時通りかかった地元のご老人が自分の持参の水筒の紅茶を分けてくれたんだ。
「若いの、損なカッコで山登ろうなんて無茶して。とりあえず水でも飲め」
って言ってくれたんです。
めっちゃ×2 ホロリでしたね。まさか旅先で親切にされるとは思ってなかったんで。
318:列島縦断名無しさん:2006/02/06(月) 18:36:08 ID:FnyfnepT0
旅はいいもんだな。
321:列島縦断名無しさん:2006/04/03(月) 16:34:08 ID:axyw2kEG0
つい、一気に読んでもうた。
旅に行きたいと心底思ったよ。
325:列島縦断名無しさん:2006/04/05(水) 00:43:49 ID:2Gw1RUpV0
2年前に下北半島を車で一周した時、大間崎で1泊した宿での事。
そこは耳の遠いおじいさんと腰の曲がったおばあさんの2人でやってる素泊まり民宿。
ほんとに寝るだけって感じだったので会話もないまま翌朝を迎えたんだけど
出発する時におばあさんの目から涙が。。
どうしちゃったんだろう?と少しびっくりしてたら
私の車のナンバー(所沢)を見て、15年位前までは埼玉の和光市に住んでいたので
とても懐かしくなったらしい。
「いまだにねぇ、何にも無いこっちの生活には慣れなくてねぇ。。」
なんかしんみりしちゃいました。
本州最北端に移り住んだ老夫婦。。いろいろあったんでしょうね。
バックミラーに小さく映るおばあさんの姿が忘れられません。
329:列島縦断名無しさん:2006/04/15(土) 12:03:40 ID:lqwcVDBr0
みんなの話聞いてたら書きたくなっちゃいました。
去年末に仕事辞めて、車でお遍路やりに行ったんですよ。
金が無いから寝泊りも車で寒くて寝られなかったり、
良い物食べれなくて、ガストで食った飯があまりに
うまくて涙が出てきたり、風呂屋も無くて100?も
走って探したり、町営体育館のシャワー借りたりして、
今まで何て恵まれた生活してたんだろう、辛くて辛くて
早く帰りたいって思いながら旅してたんですね。
途中で友人の家に泊まらせてもらったりしながら10日間かけて
やっと86番志度寺まで来て、お祈りしてたらご婦人に良いお祈り
してるねって声をかけられたんです。
その人はたくさん88か所を周ってる方みたいで、せっかくの
ご縁だからと錦の御札(とても貴重!)を頂いて、遍路の御詠歌を
歌ってくれる事になりました。それを聞いていたらもうすぐ
旅が終わってしまう事と、家族には言わないで来たから急に
母親の事を思い出してしまい、涙があふれてきてしまいました。
確かに辛い旅だったけど、凄く思い出になる、面白い旅だったん
だなぁって、来て良かったな、と心から思える瞬間でした。
帰ってきてから就活やってるけど、こっちの旅はなかなか・・・。
(´・(エ)・`)
333:列島縦断名無しさん:2006/04/16(日) 12:01:13 ID:2YxTDonV0
>>329
就活がんがれ。
その旅で得た体験が、きっとこれからの人生にもずっと生きてくるよ。
330:列島縦断名無しさん:2006/04/15(土) 20:26:24 ID:Pv+Kb8YAO
4,5年前のこと。
沖縄の小さな観光化されていない小島に、気の向くままに足を踏み入れた。
そしたら案の定、何にも楽しめそうなものもなく
唯一海はキレイだが、泳ぐのも苦手で…。「釣りしかないかな…」
そう思いあまり好きでもない釣りをのんびりとしていた。
全く成果がなかったので、そろそろやめようとしてたら
どこからともなく数匹のガキどもが現れた。
やたら人なつっこく、 色々なことを聞いてきたり、独特な訛りでハシャいでいた。
みんなあまりに目がイキイキしていたので つい「おまえらは幸せか?」と聞いてみた。
そしたら「毎日が楽しい!」みたいなことを口々に言っていた。
都会のガキどもとはなんと対照的なことか…。
美しい自然と人間との触れ合いがこいつらの宝なのかなぁ〜なんて考えさせられ、
一番元気をもらった気がした。
あのときのガキども…今でもイキイキしてるのかなぁ〜。
ふと そう思うことがある
337:列島縦断名無しさん:2006/04/25(火) 20:27:05 ID:hhIxOcmM0
>>330
ええ話やな。
376:列島縦断名無しさん:2006/11/18(土) 18:15:45 ID:JUSXo5B70
厳密には旅先じゃないんだけど、忘れがたい思い出なんで。
私が5、6歳で、まだ戦後間もなくの頃(昭和25、6年頃)、うちの実家から
母と二人で列車(あの頃は汽車と言った。勿論蒸気機関車。)で1時間程の自宅に帰る時の出来事。
戦後間もなくとは言え、やや、世の中が落ち着いてきた頃でもあり、
実家は農家なので贅沢はできないにしても、食うのに困るという程でもなかった。
それで祖母が、久しぶりに帰った孫の私の為に巻き寿司を作って、お土産に持たせてくれた。
木造の客車に乗って、母がその巻き寿司を私に食べるかと出してくれた。
すると、近くに座っていた恐らく30歳位の軍の帽子(戦闘帽というのか?)の人が母に、
「その巻き寿司は、どこで買えるのか教えてください。」と問いかけてきた。
勿論、買ったものではないし、
当時大きな駅でも買えるものだったのかどうかは、幼い私は覚えていないんだが。
母がその人に事情を聞くと、外地から復員してきて故郷に帰る途中だということだった。
母は、「売っているかどうか分からないけど、あなたも苦労してきたんだから、遠慮せずにこれを食べてくだ
さい。」といって、持っていた巻き寿司全部を遠慮するその人に差し出した。
その人はとても喜んで丁重に受け取ってくれた。(と言う風に記憶している。)
その時は幼くて、外地で戦ってきた(であろう)復員兵の苦労や、
やっと故郷へ帰れるうれしさ等は理解できなかったと思うが、
自分が食べようと思っていた巻き寿司を、その人にあげたことに対する不満は全く感じた覚えはなかった。
その後、小学生になり、中学生になり、色々な事が分かるようになるにつれて、
顔などは全く覚えていないあの人の事が何度も思い出された。
あの人は何処で戦ったのだろう。
故郷は何処だったのだろう。
無事に故郷に帰れたのだろうか。
故郷では家族が無事に迎えてくれたのだろうか。
最近、高齢だがしっかりしている母に、その話をすると、
母は「そんなことがあったかねえ。」と覚えていないようだった。
ホロリとした話というより、私にとって「忘れ得ぬひと」の話なんだが。
今でも、実家に帰る列車の中などで、ふと、あの人は今どうしているんだろうかと思う事がある。
386:旅サイコー:2007/02/06(火) 17:36:35 ID:sHuFa5h1O
旅先でないのですが…ガイドをしていた私は2年ほど前結婚退職しました。
最後にお供させて頂いたお客様方はとても良い方達で、3日間の旅が終わり
最後のお礼と別れの挨拶をしようとしていたら、添乗員さん、お客様からお祝いの言葉を頂きました。
お客様の旅に私情は挟まないようにと思い 最後の乗務だという事は伏せておくつもりだったのですが、
みなさんの言葉と全員写真、花束を頂いた瞬間大好きな仕事だった事もあり、号泣してしまい…
そのまま空港に着いても涙が止まらず、うまく言葉もだせずにただ手を振るのが精一杯で、
お礼もろくに出来ませんでした。
北海道からのお客様でした。皆様元気にされてるのでしょうか…
あの時感謝の気持ちが伝えられなかった事、今でも後悔してます。
長々と申し訳ありません。
389:列島縦断名無しさん:2007/02/07(水) 02:13:53 ID:X7tqKahkO
>>386
いや、いい話でした!
お幸せに!
387:列島縦断名無しさん:2007/02/06(火) 20:45:34 ID:9/X/6NP2O
みなさんいい旅をしてますね 私は今学生なのですが
このスレを見てバイトして一人旅に出ようと思いました
388:列島縦断名無しさん:2007/02/06(火) 21:32:03 ID:X0Z4MDge0
>>387
それがいい。
社会人になれば金は貯められるけど、1週間を超える休みはなかなか取れない。
391:列島縦断名無しさん:2007/02/09(金) 01:42:33 ID:CbRCLuHb0
一人で博多のホテルに泊まってた今年の元旦、櫛田神社へ行った。
夜とは言え元旦。参拝の行列に並んでいたら、雨が降り出した。
傘をさして待つ人の中で、持ってない私はすぐにやむだろうと
タカをくくっていたが勢いは強くなった。
行列は密集してるから前後左右の人にさりげなく近づいて
傘に入れてもらおうかなんて事もよぎったけど、せっかくの元旦。
楽しそうに話しながら待つ隣の夫妻。
手をつないでる後ろの若いカップル。
不躾な事などできず、列から離れない程度に
彼らの傘の範囲から外れて待ってた。
列が進み境内に入る直前、隣の夫妻の旦那さんの方が話しかけてきた。
応えると、濡れちゃうから入りなさい入りなさい、と
遠慮するのを聞かずに傘へ入れてくださった。
私が東京在住だと聞くと、地震について色々心得を教えてくれた。
詳しいなあ、と思ってたら奥様が旦那さんがそういう関係の
資格保持者だと教えてくれた。
せっかく来たんだ、気をつけて楽しんでね。良いお正月を。
家族とぎくしゃくして、仕事も行き詰ってて
一人になれる時間が正月しかなくて。
そして並んでる間は人の幸せを邪魔してるような気がして
申し訳なさがあった私に見ず知らずのご夫妻がかけてくれた言葉は
雨の冷たさを忘れる程嬉しかった。
長文でごめんなさい。
あの時はありがとうございました。
396:列島縦断名無しさん:2007/05/10(木) 00:16:08 ID:XRg40N4i0
今から40年程前の話。
地方から東京の大学に行って、夏休みに帰省し、東京に帰る急行列車の中。
旅行とは言えないかもしれないけど。
列車は混んでいて座れず、デッキの所に立っていた。
そこに、20歳くらいの米国の若者が同じく立っていた。
なんとはなしに、片言の英語で話をするようになった。
ベトナム戦争中の事で、彼はベトナムから日本の基地に休暇で帰ってきたばかり
だという。
色々ベトナムの話を聞いていて、何気なく「戦闘はどんなものなのか?」と
聞いたら、彼は "Too many people had die."とポツリと答えた。
私はそれを聞いて、半ば興味本位に聞いた事を恥ずかしく思い、同時に同世代
の若者が、日本人の自分には想像できない過酷な状況に生きている事に改めて
気付いて、厳粛な気持ちにさせられた。
その後、何故か会話が弾まず、東京で別れる時、彼が "Take it easy."と言って
くれた時、救われた思いで、思わず涙が出そうになった。
彼が、生き延びてくれている事を、今でも願わずにいられない。
400:列島縦断名無しさん:2007/09/20(木) 10:24:06 ID:hDXXKunP0
じゃあ俺もほろりってほどではないかもしれないけど
つい最近の話だけど俺は一人で旅行していたときのこと
目的地の宿はガイドブックの地図だとすごく駅に近かったから駅のそばに
あるんだろうなぁ、と思って行ったんだ。けど、いざ駅から降りると前は真っ暗。
とにかく行けば何とかなるだろう、とフラフラしていたんだけど見つからない
田舎だったから尋ねる人もいない。そこに一軒のあかりが
よくみるとそこはほか弁屋だった
聞いてみようと思い、中に入り
「すいません、○○はどうやったら行けるでしょうか?」と店のおばちゃんに尋ねると
そこはよく聞かれる場所だったらしく親切に教えてくれた。
「ありがとうございました。」とお礼を言い、行こうとした時に
どこから来たの?と聞かれ話をしていると別れ際に
「ポカリとお茶どっちがいい??」と言われたのでわけもわからず困惑していると
何も言わずにポカリを持ってきてくれた。お金を出そうとすると「そんなのいらないから」と
なんで、初めて会った人にこんなに親切にしてくれるんだろうと思って、疲労と一人旅ならではの
寂しさもあってすこしホロリときた
401:列島縦断名無しさん :2008/01/03(木) 06:01:27 ID:slqK9EK30
ええ話や。
402:列島縦断名無しさん:2008/01/03(木) 13:03:02 ID:ofAaLv+M0
高1の時だから、まあ大分前の話だ。
当時和歌山県南部に住んでいたオレは友人と2人で自転車四国一周に出た。
テント持参で野宿前提の貧乏旅行だ。
2日目、和歌山市内に遅く入ったオレらは寝場所を探していた。
しかし、市内は不案内だし右も左もわからない。
中年のオジさんが近づいてきて「テントやったら和歌山城の芝生に張ったら
ええやらよ〜(和歌山弁)」
親切にも現地まで案内してくれた。
「エエ人やな。疲れたから寝よか」友人と語り合っていた9時頃、オジさん
がまた来た。しかもサンドイッチと缶コーヒー持って。
「ワシも若い頃旅行してな、いっぱい親切にしてもろた。そやから今度は
ワシが親切にする番やと思とるんよ」
オジさん、あの時はありがとう。オレもあなたのように旅人に親切にするよ。
今度はオレの番だからね。
420:列島縦断名無しさん:2008/10/12(日) 14:15:08 ID:SG4LnH5nO
大学3年の夏、東北を青春18きっぷとユースホステルを利用しながら旅した時の話。
白神岳に登って東京に帰る途中、遠野に寄った。
18時、駅に着いた頃にはユースホステルまでの終バスも無くなっていて仕方なく歩いて行く事に。
歩いている内に日も落ちてきて、道を聞こうと地元のスーパーに立ち寄った。
おっちゃんに話を聞くと、そもそも駅から反対方向に来てしまったらしく
ここからだと1時間以上かかるとの事。
途方にくれているとたまたま買い物に来てたおばちゃんが
声をかけてくれて車で送ってくよって言ってくれた。
おまけに「門限まで時間あるならうちで食べていきなよ」と家で夕飯まで食べさせてもらった。
名前も聞けなかったけど、あの時食べた鰈の唐揚げと田舎豆腐の味は忘れない。
ユースホステルは畑のど真ん中にあって辺りには街灯も無い。
あのまま歩いてたらどうなってたかわからない。
旅で得た人との縁ってかけがえのない物だとしみじみ思ったよ。
おばちゃん、あの時は本当にありがとう。
422:列島縦断名無しさん:2008/10/13(月) 21:03:04 ID:1bVofQMA0
このスレを開けた自分は幸せ者だな、ホロリとしてきた。
ちょっと旅逝ってくるわ
426:列島縦断名無しさん:2008/10/17(金) 02:35:01 ID:zXpjYQun0
バイクで四国一周ツーリングしたときの話。
九州からフェリーで四国に渡り、
二泊三日で四国全県と本州の広島、岡山を訪れるという弾丸ツーリングだった。
昼間はひたすらコンビニとガソリンスタンドを目指して走り、
夜は季節はずれの誰も居ないキャンプ場で寝る。
あっという間に時間が過ぎて二日目、地図で見つけたキャンプ場に電話。
受付終了時間までにたどり着けないと伝えると、受付は翌朝でも可能とのこと。
結局日が落ちてずいぶん経ってから山奥の真っ暗なキャンプ場に着いた。
炊事場でメシの準備をしようとすると大きな封筒を発見。
「○○様」と電話で伝えた自分の名前が書いてある。
あけてみると、周辺のお店なんかのパンフレットと一緒にA4サイズの手紙が。
手書きでびっしり、キャンプ場の案内や周辺の地図、観光スポット、それから
「夜から雨が降るようですが、バイクはここにとめられると雨に濡れません」とか書いてあった。
キャンプ代数百円しか払わないのに、遅れた自分の為に親切な手紙まで書いて頂いて、
しかも帰りのフェリーの時間があるので周辺観光は出来ず、なんだか申し訳なくてホロリというか泣いた。
四万十はいいところだったなぁ。
自分はまだ学生だけど、子供が出来て大きくなったらまたここに泊まって思い出話をしてやりたい。
429:列島縦断名無しさん:2008/10/19(日) 19:15:14 ID:Vb5q7N1R0
もう20年以上前、北海道にツーリングに行ったとき。
網走周辺で暗くなって、行き当たりばったりのおれは宿もとってなかったので
道端の畑の空き地あたりに薄暗くなってから(怒られないように)
背の低い小さなテントを張ったんだ。
だいぶ暗くなったあたりで誰かに「おい、あんた」と外から声が。
あ〜まずいな、場所変えなきゃと思って
「すいません、すぐたたみます」
と謝ろうとしたんだが、こんなところにテントなんて、
泊まるところがないならうちに来いと言ってもらって。
夕飯食わしてもらって
風呂入れてもらって
下着の洗濯までしてもらって
布団でゆったり寝て
朝ごはん食わしてもらって
気をつけてな、この辺は夜は冷えるよ(雨が多いツーリングだった)
と送り出された。
ツーリングの前に少しいやなことがあって荒み気味だったのだけど、
さらに雨が多くて予定どおりに移動できず、
行き当たりばったりになっていた俺にとって本当にありがたかった。
〇さん、本当にありがとうございました。
手紙のやり取りはなくなっちゃったけど、ずぅっと忘れてないです。
432:列島縦断名無しさん:2008/10/21(火) 22:31:47 ID:RoTVsGSC0
みんないい体験しているんだなぁ。
羨ましいです。
438:列島縦断名無しさん:2009/01/21(水) 06:02:31 ID:e31M1QuV0
いい話ばっかりだなあ〜
書いてくれたみんな、ありがとう!
439:列島縦断名無しさん:2009/01/26(月) 20:44:19 ID:hDmWP6TU0
ほろりと涙しつつここを読んでて思い出した。
てか、いつかどこかで書きたかった。
小学生の頃、自分は体が弱くてさ@喘息持ち。
親の実家に時々出かけてたんだけど、
毎回毎回体調を崩してしまって。
帰りの特急の指定券を買ってたのに、自分の体調が悪くなって、
予定していた列車に乗れなかった。
片親だったから、これはかなりの出費だったと思う。
それでも翌日、無理矢理特急券を買って乗車。
(帰宅すればよくなる!という親の実家からのアドバイスによる)
車内はかなり混雑していた。
案の定通路でへたりこんでぐったりする自分。
ふと意識が戻ったら。
押し合いへしあい状態の乗客の皆さんが、
親切に空けてくださった席まで、自分をリレーしてくれました。
雪が降りしきるあたりまで来たときに、
自分はようやく正気に戻りました。
あれから30年以上経ちましたが。
あのとき助けてくださった方々、どうもありがとうございました。
上手く書けないうえに、長文ですみません。
440:列島縦断名無しさん:2009/01/30(金) 14:48:30 ID:dEVx7OhHO
しみじみ〜(´∀`)
446:列島縦断名無しさん:2009/05/27(水) 17:09:46 ID:iv6dpiuNO
旅っていいね
447:列島縦断名無しさん:2009/05/27(水) 22:39:25 ID:X3Wsn1EVO
旧街道を歩く旅に凝ってた一時期があったのだけれど、
車道と重なる所ではよく車に乗っていかないかとお声を掛けて頂いた。
歩くのが目的ですから…とお断わりさせてもらったが、あの時の方々どうも有難うございました。
あと初めて泊まりで出掛けた夜、春先で寒かったのだけれど、
私の顔を見て「どうしたんや、顔色悪いんと違うか」と心配して下さった駅員さん。
学生時代は色白童顔でしたから、寒いと余計そう見えたかもしれません。
お心遣いに感謝。心細かったお腹の底にほっと火が灯った感じがしたものです。
旅先での親切は小さなことが一杯。皆有難う。
471:列島縦断名無しさん:2010/01/11(月) 21:10:53 ID:oo5wZWN+O
去年行った石垣島のバスの運転手さん。
バスを降りるときに思いたって地元でおすすめの料理店を聞いたら
「仕事が終わったら案内してあげるよ」と携帯番号と時間を書いた紙切れをくれた。
仕事上がりに制服のまま待ち合わせ場所まで来てくれて、
地元の人も交えて島料理をお腹いっぱいごちそうになった。
次の日にダイビングに行くことを話したら天候やら風の向きやら気にしてくれて、
その日の夜はなぜか運転手さん行きつけのスナックへ呼ばれお店のママの誕生日パーティーに参加。
ガイドブックだけでは体験できない思い出がたくさんできた。
お酒の席で身の上話をしたわけじゃないのに
「いろんなことを我慢してきたんだね、これから楽しいことがいっぱいあるから大丈夫」
って言われて泣きそうになった。
今も「お父さん」の名前で番号登録したままです。
484:列島縦断名無しさん:2010/08/23(月) 20:46:34 ID:mF5NQe/J0
いろいろ行き詰って放浪してた時のこと。
ダム湖へ向かおうと有料林道に入ったら、料金所のおじさんが何か察したのか
千円負けてくれたうえ「絶対にここに帰ってくるんだよ」と言われた。
ダムに飛び込んで死のうかと思ってたけどその言葉に止められた。
帰り道に、道の駅で野菜売りのおばさんに呼び止められた。
「あんたなんべんも見てるで、安くしたげるで桃買って」と言われ、桃を何個か買った。
おばさんは売れ残りのきゅうりも持たせてくれた。
帰宅してその桃食べてたら、訳も無く涙があふれてきた。
80:列島縦断名無しさん:02/08/25 17:46 ID:6072xb6F
このスレッドを読んで思った。
どうか、旅先や普段の生活の中で、
ホロリとさせられた経験を忘れず、
周囲にその恩を返していって欲しい。
情けは人の為ならずということばがあるけど、
いつか何かの形で、何かを返してくれるなら、
世の中もっともっと良くなると思う。
出典:アレスケープ
リンク:http://matomattaare.blog.fc2.com/

(・∀・): 189 | (・A・): 53
TOP