世界一の息子・最高のダンナ

2011/12/07 19:41 登録: えっちな名無しさん

闘うパパ・内柴が最高の笑顔、支えた妻「最高のダンナ」

観客席に金メダルを掲げてみせる内柴選手=竹田津敦史撮影 【北京=梅村雅裕】「チャンピオンなのに、なんで勝てないの?」。4歳の息子からそう聞かれた父親は、金メダルで応えた。

 柔道男子66キロ級で連覇を成し遂げた内柴正人選手(30)。決勝戦の畳を下りると、観客席に向かって「ひかるー、ひかるー」と息子に叫び、最高の笑顔で手を振った。

 日本応援団の席には、妻あかりさん(28)に抱かれた輝(ひかる)ちゃん(4)がいた。

 決勝戦こそ相手を抑え込んで一本勝ちしたが、オール一本勝ちで初めての栄冠を手にしたアテネ五輪の時ほどには技に切れもなく、相手の動きも読めなかった。でも、左右に動いて相手を揺さぶり、納得の柔道を貫いた。

 「柔道をやっているのは、家族のため」ときっぱり言う。練習と減量がきつく、若いころはなぜ苦しみに耐えるのかと、自問自答する日々だった。アテネ前に結婚したのは、守るべき家族がほしかったからだ。

 世界一になったら、柔道をやめようと思ったこともある。アテネでは金メダルを手にしたものの、あっけないほどうまくいき、もの足りなさも感じた。

 その後、柔道に打ち込めなくなり、まったく勝てない3年間。気持ちが疲れ、がんばれない自分がいた。輝ちゃんに「なんで勝てないの?」と無邪気に聞かれ、落ち込んだこともある。

 「柔道をやらせてもらっている」と気づかせてくれたのはあかりさんだった。

 不振が続いていた時、あかりさんが柔道整復師の免許を取ろうと、学校に通い始めた。夫の体のケアを手助けできるし、引退後に整骨院を開くこともできる。子どもを寝かしつけてから勉強しているのを見て、「オリンピックとかそんな大きなことじゃなくて、家族としてやるべきことをやろう」と心に決めた。

 「普通の家族」を作りたいと思っていた。幼稚園のころ、両親が離婚。内柴選手は父の孝さん(58)の元に残り、姉や兄は母の元でとばらばらに。それぞれ問題を抱えながら歩んできた。

 今の母は3人目。内柴選手が実母と再会したのは、20歳の時だった。雑誌のインタビューで、家族構成の欄には3人の母も含め全員を書いた。

 「僕の家族は嫁や息子だけじゃない。問題のある兄貴とか妹とか、それに苦しんでいる親父(おやじ)がいて」。自分がとことんまで柔道をやっている姿を、家族みんなに見せればいいと思っていたので、五輪の舞台でもプレッシャーは感じなかった。

 試合後、「これが僕の仕事ですから。精いっぱいやりました」と誇らしげに語った内柴選手。観客席でその姿を見ながら、父の孝さんは「世界一の息子」とほめ、あかりさんは「最高のダンナです」と涙を浮かべた。

(2008年8月10日23時52分 読売新聞)


出典:「合意だった。納得がいかない。」と言いだす3年と少し前の話
リンク:http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2008/news/martialarts/judo/news/20080810-OYT1T00761.htm

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