生きてこそ(つづき)

2011/12/16 18:47 登録: えっちな名無しさん

378 372 sage 2011/12/05(月) 16:07:42.04 ID:???

なんか需要があったので。

通信兵として青森にいた祖父。
大空襲後も、毎日のように米艦載機が飛来。対空戦闘要員が足りず、祖父の居た通信隊も防空戦闘に駆り出された。
対空兵装が不足し、部隊に与えられたのは三八式、九九式短、訓練用木銃、あと重機関銃が少し。

戦闘なんかやりたくない通信隊の面々。
身を隠しながら戦いたくても、空襲後の焼け野原に遮蔽物なんてない。

そこで編み出された、ある妙案。

内容は背中にトタン板を背負って、艦載機が向かって来たら亀のように丸まって身を隠すもの。
空襲後、周囲もガレキまみれなので、最初のうちは偽装効果抜群だったという。

しかしこの作戦、残念すぎる欠点があった。

・トタンを背負ってると風に煽られてロクに走れない。
・ひっくり返ると自力で起きれない。
・周囲のガレキが片付けられるとかえって目立つ。

周りからはどん亀呼ばわり。

最終的には背負うのではなく盾のように改造したものの、艦載機が来なくなって間もなく終戦。


ちなみに、木銃を渡されたのは新兵。

命令は「力の限り敵機を威嚇、罵倒せよ」

竹槍よりひどい。




379 372 sage 2011/12/05(月) 16:18:45.52 ID:???

田舎だからなのか、
祖父から聞く話は、帝国陸軍らしからぬギャグ話や怪談ばっか。

八甲田山の亡霊(笑)事件とか、好きな米軍機トーク事件とか、カニ料理で小隊全滅事件とか



でも空襲の話は、
文献で見聞きする以上に凄惨だった。






出典:2
リンク:2

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