AKBがウンコしないってホント?
2012/04/06 14:15 登録: えっちな名無しさん
AKBがウンコしないってホント?
アイドルってウンコしないって昔から言われてきましたよね。
それってやっぱりAKBも同じなんでしょうか?
そんな疑問を持ったので、ウンコについてちょっと考えてみました。
僕の大好きな本を参考に。
ウンコに学べ! (ちくま新書)
作者: 有田正光,石村多門
出版社/メーカー: 筑摩書房
発売日: 2001/10
メディア: 新書
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ウンコがかわいそうだと思ったことはありませんか?「臭い」だの「汚い」だのとのけもの扱いされるウンコ。でも、これってウンコからしてみたらいい迷惑ですよね。
ウンコにしてみれば、「お前がしたウンコなんだぞ。こちとら生まれたその瞬間、水に流されてサヨウナラさ。たまったもんじゃないぜ。」って話なわけですよ。
というわけで、ウンコの歴史を振り返ってみましょう。
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なぜウンコを「便」というのか
日本では、ウンコの歴史は『古事記』に始まります。ある日、『古事記』の主役の「スサノオ」が、「オオゲツヒメ」という女神に食事を乞うと、女神は自分の穴という穴から出したモノで料理を作りました。それに激怒したスサノオは女神を殺したところ、その死体やウンコからイネや大豆などが生まれたと言われています。つまり、日本ではウンコは食料の起源と言われているんです。
また、歌の「トイレの神様」じゃないけれど、本当に古代の「神の国」日本には便所にも神様がいると信じられていて、しかも京都ではこの便所神こそが日本で一番偉い神だと信じられていたそうな。
こんな言い伝えがあったもんだから、古代人はウンコの呪力を信じていたわけですね。それで、たまたま田畑を耕すときにウンコを蒔いてみると、立派にイネが育った。そこで、「やっぱりウンコには呪力があるんだ!」と再確認したんですね。
そんなわけで、呪力を持つと考えられていたウンコは、神からの「便り」であると受け止められて、「便」と呼ばれたわけです。今でも健康のパラメータと考えられているけれど、それもある意味で身体からの「便り」ですよね。
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切っても切れないウンコ
あの有名な源義経の幼名である牛若丸の「まる」は「おまる」の「まる」であると言われています。昔はウンコを表す「屎(クソ)」という字や「おまる」の「丸」という字がよく子供の名前に用いられていました。これは、魔物もウンコを嫌うので、大切な子どもを守るのにウンコがよいと考えられたからです。
牛若丸の「まる」もウンコなら、同じく多くの子どもに名づけられた「麻呂(まろ)」もウンコです。これは室町時代になると「天皇たちの自称」として使われるようになったのは皆さんご存知の通りだと思います。ほら、おじゃるまるでも、おじゃるが「マロはのう」って言ったりするでしょ。
つまり、「マロはウンコなど嫌いなのでおじゃる」っていうのは、完全なる自己批判なわけですね。素敵。
さらに、同じく平安時代、当然水洗便所などはなかったので、貴族は「おまる」で用を足し、それをまとめて捨てていました。おまるは当時は木の箱で、その中に隠しながらウンコをしていたんです。そこからウンコすることは「はこする」と言うようになって、転じて、「(箱の中に)隠しておいた自分の得意とする芸」を「おはこ」と呼ぶようにもなったんですね。一説では「箱入り娘」も同じ語源であると言われいるみたいですが、娘さん、箱に入っているってことは…?
さらに、江戸時代にはこんな文章が残っています。
さる田舎侍、にわかに(急に)便意を催し、物陰にて用を足す。あまりの大なるものなれば、辻番(道端)に置いてくるも口惜しく、左ねじりを懐紙にくるみ、袂に入れるおりふし、「肥え買おう」と呼びつつ、肥え買い来かかる。
「小口(単品)にても買うか」と問うに、肥え買い「お屋敷はどちらにございます」「そんなおっくうなことではない。ここにある。」と袂から出せば、肥え買い、あたりをはばかり、声を潜めて、「まさか、出の怪しい物(盗品)ではございますまいな」
要約すると、ケチな侍が道端でした自分のウンコがあまりに大きかったので、これは売らなければもったいないと思って肥料として売りつけたけれど、あまりに大きかったので買った方も「どこかから盗んできたものじゃないだろうな?」と確認した、という話。
肥料として使われたウンコは、売買もされるほど人々の生活に身近な存在だったんですね。
でも、化学肥料の生産が昭和になって本格化すると、ウンコの持つ経済的価値は下がって、余ったウンコは河川に不法投棄されるようになりました。
そして、戦後になると「ぼっとん便所」が普及して、バキュームカーで定期的に糞尿を吸い取りに来てくれるようになったわけです。
ウンコは目くらましとしても威力を発揮しました。
戦争中、アメリカ軍は日本軍が放棄した戦地に残されたウンコの量から兵力を割り出そうとしましたが、あまりのウンコの量に推測された兵力は信じられないほどの規模になってしまい、アメリカ軍はびびったんだそう。
ウンコの量は食物繊維の量で決まるので、食物繊維をたくさん取っていた日本人のウンコの量は戦車をもひるませたわけですね。
ちなみに、食生活が欧米化している今日では、日本人のウンコは小さく、臭くなってきているそうな。
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AKBはウンコをしないのか
簡単にウンコの歴史を振り返ったところで、本題に入ります。
子どもは、尊い人はウンコをしないと考えることがあります。ウンコをしないことがエライと考えるんですね。でも、当然誰でもウンコをするに決まっているんですよ。通常の人間ならば、の話ですが。
じゃあ子供たちの考え方、つまり「エライ」人はウンコをしない、というのはどこから来るんでしょうか。
死んで生まれ変わって、を繰り返すことを輪廻転生といいますが、仏教思想では、輪廻転生から抜け出すことが究極の目的とされています。なんでかっていうと、仏教では現実の世界を苦しみの多いものと考えて、あの世がすごくいい場所だと考えるから(極楽浄土っていうでしょ)。死んだら人間に生まれ変わるんじゃなくて仏様になりたいね、ってことですね。
だから、輪廻から抜け出して、その生と死の循環に巻き込まれずにあの世での永遠の生を手にしたいとみんな思ってたわけです。でもその論理でいくと、循環から抜け出せた「エライ」人たちは、生物学的な循環を否定するわけです。
ウンコに関して言えば、「ウンコが循環して栄養分になってまた人間の口の中に入ってウンコとして出てきてまた栄養分になって…」っていうのは生物学的な循環そのものだから、その循環を否定できる「エライ」人たちはウンコもしない、って考えていたわけですね。これが日本人の子どもたちが「エライ」人はウンコをしない、と考える一つの理由と言われています。
それと同じで、AKBファン、いやAKBオタクたちにとってみれば、AKBのアイドルたちは「輪廻転生」から解脱した「仏」のような存在であって、そんな「仏」たちがウンコをするわけがない、と考えるわけですね。生物学を否定するAKBオタク、アイドルオタク、すざまじいですね。
しかし、「アイドルはウンコをしない」という考えはあまりにも非現実的ですよね。
そんなわけで、平安時代に書かれた『今昔物語』のなかの、こんな有名な話を紹介します。
平貞文というイケメンプレイボーイは恋愛に関して百戦錬磨のもてもて男でした。でも、一人だけ、本院侍従という美女だけは貞文でもなかなか落とすことができず、思わせぶりな態度をとられていました。この態度に一層恋い焦がれた貞文は、「この辛い気持ちは侍従のウンコを見れば冷めるだろう」と考えて侍従のおまるを奪ってきて見ることにしたんですね。それでおまるを開けてみるんですが、なんと中からすごくいい匂いがしたんです。「な、なに!美女はウンコもいい匂いなのか!」と思った貞文はウンコを舐めたりもしたそうです。
でも実は、侍従が貞文の悪だくみを事前に予想していて、いい香りをつけておいただけだった、という話。貞文はその後、「ああなんていい匂いがする人なんだろう」って感動して、やがて死んでしまったそうな。
そう、本当に美しい人はウンコをしないのではないんですよ。「キレイなウンコ」をする、と見せかけるんです。
だからAKBファンの皆さんはウンコをしないなんて決して思わない方がいいですよ。当たり前でしょう。あっちゃんだってウンコはします。まりこさまだってウンコはします。
でも、そのウンコはただのウンコではないんですよ。とてもつややかで、とてもいい香りがするんですよ、きっと。
と、ここまで考えてきて思ったことはたった1つ。
アイドルファンがアイドルのウンコを否定するのはただ単にアイドルがウンコをするところを想像したくないだけだね、ってこと。
ってか、そもそもAKBがウンコすることを否定してる人なんて見たことないや。
はい、というわけで、今日の議論はすべて水に流させてください。ウンコだけにね。
ゆーしろ
出典:AKBがウンコしないってホント?
リンク:http://d.hatena.ne.jp/yushirokato/20120229/1330514350

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